第五話 水紀は布団にもぐってのびている
「〔・・・・・・――――すごいですね! なんか、水紀先輩、経験値アップしまくりじゃないですか〕」
「そんなことない・・・・・・と思うけど。でも、初経験なことだらけだから、気持ちは新鮮だよ」
「〔わたしも、やってみたかったですよ。やっぱり、あれ、痛いんですか?〕」
「痛いよ。あと、住職の気合いにビビるね。目を瞑ってるから、余計にさ」
「〔わぁ。そうなんだ。・・・・・・わたしだったら、二十分間、やられずに済むかな?〕」
「絶対無理だと思う。あんた、絶対に雑念ありまくりだろうから」
「〔そんなぁ。わたしだって、メンタルはけっこう強くなったから、雑念なんてー・・・・・・〕」
高校最後の年に一番可愛がってた後輩が、数年ぶりに電話をしてきた。あたしは今日、だるいし眠いし何だか腹も痛いから、早めに寝ようとしてたのに、なんてタイミングだ。
この後輩は昔から、独特なタイミングであたしに絡んできたっけね。間が悪いと言えば悪いし、絶妙だと言えば絶妙でもある。当時、さんざん可愛がってあげたよね、いろんな意味で。
窓から差し込む月の光が、あたしの布団を碧く染めている。
ほのかに、夜桜と若葉の香りも風に乗って入ってくる。
いつの間にか下の階は静かになっていた。ボクシングジムがもう、今日の練習を終えて閉まったんだね。
「ちゃんこ鍋は美味しかったよ。あたし、家で真似して作ってみたんだ」
「〔水紀先輩、なにげに昔から料理上手でしたもんね。覚えてます? 高校の合宿の時〕」
「うん。覚えてる。・・・・・・あんたが作ったカレー、なぜか味噌汁の味がしたんだよな」
「〔カレーじゃないですよ。ビーフシチューですよ〕」
「どっちにせよ、味噌汁の味がするってのがありえないんだって」
「〔ま、まぁ、確かに。・・・・・・変ですよねぇ。妹に作り方習って、わたし風にアレンジしたのに〕」
「そのアレンジで、ビーフシチューがぶっ壊れたんだよ」
「〔そうだったんでしょうね、きっと。・・・・・・懐かしいですね、こういう話〕」
「・・・・・・。・・・・・・そうだね。・・・・・・ところで、あんた、何か話したいことがあるんでしょ?」
「〔へ・・・・・・? え、えっとぉ・・・・・・〕」
「いつもじゃん。適当な世間話から入る時、あんたは何か、話したい核心のものがある」
「〔か、変わってないなぁ、水紀先輩・・・・・・。じ、実はなんですけどー・・・・・・〕」
それからあたしは、眠い目をこすりながら、布団に潜って後輩の話を聞いてあげた。
何のことかと思ったら、十月から半年間、総務省の出先機関である行政監視評価局に研修出向に行ってほしいと言われたんだって。承諾するべきかどうか、迷ってるんだってさ。
何でそれをあたしに相談してくるんだと言ったら、「水紀先輩、総務省でしたよね?」と言われた。
ああ、ごめんね。あたしが辞めたこと、言ってなかったね。あたしもう、国家公務員じゃないの。
「〔え! そ、そうだったんですか! ・・・・・・ご、ごめんなさい。わたし、知らなかった〕」
「しょうがないよ。あたしも言ってなかったから・・・・・・」
「〔・・・・・・あまり深くは聞きませんけど、水紀先輩が辞めちゃったのって、やっぱ、内部が?〕」
「・・・・・・まぁ、そう思っといて。(本当は、あたしがあたしに負けただけ・・・・・・)」
「〔そ、そんなー。・・・・・・わたしも新人の時、いろいろありましたけど・・・・・・〕」
「いいじゃん。あんたはあんたで、続けてるんだから。・・・・・・なに? 今年、総務課なの?」
「〔はい。今年度から。ぜんっぜん違う仕事だし、違う雰囲気だし、ストレス溜まりますね〕」
「適当にやりなよ。あたしは、適当に妥協できなくて、もう無理だと言って辞めたんだ」
「〔そうだったんですね。・・・・・・適当にかぁ。あー、国の出先に研修出向なんてー・・・・・・〕」
「いいじゃん。適当でいいんだよ。あんた今年度、何の係なの?」
「〔地方統計に関することと、市政要覧に関することと、あとはー・・・・・・〕」
「まぁ、大変でもあたしみたいな道は歩まないで。ほんと、アラサーのフリーターは大変だよ」
「〔大変、ですか?〕」
「うん。・・・・・・今のご時世的に、バイトもなかなか見つからない。アプリでの日雇いはあるけど」
「〔バイトアプリですか。・・・・・・水紀先輩が、そんな状況なんてー・・・・・・〕」
「あたしが選んじゃった道だから。でも、必ず目的地は見つけるから安心しな」
「〔・・・・・・はい。わたし、信じてますから。水紀先輩ならきっと、だいじですよ!〕」
だいじ、か。あたしの地元、栃木の方言だ。自分の口からはしばらく出てない言葉だ。
あたしが、二つ下の後輩に「大丈夫ですよ」なんて言われて励まされてる。当時はあたしが「だいじだ!」「泣き止めよ!」「ほら、行くよ!」なんて言ってたのにさ。
高校の時、一緒に団体戦のチームを組んでたメンバーは、みな、地方公務員だ。
その中でも、この子が何だかんだで一番あたしを慕ってるんだろうな。面白がって、昔は頭突きしたり頭をひっぱたいたり、馬車馬のように走らせたりとシゴいたのにさ。立派になったもんだ。
「とにかく、あんたが思うようにして決めると良いよ。ただ、国の機関は地方とは違うからね?」
「〔・・・・・・わかりました。了解です! ・・・・・・あー、胃が痛いですよぉ・・・・・・〕」
「胃薬でも飲んで、寝ちゃいな! ・・・・・・また、いつか、普通に会えると良いね。・・・・・・じゃ!」
「〔夜分にすみませんでした。水紀先輩も、お元気で。・・・・・・おやすみなさい。失礼します〕」
「うん。おやすみ。しっかりやりなね」
電話を終えたあたしは、スマホをそのままクッションにぶん投げちゃったよ。
現役バリバリの公務をしてる後輩に、何でフリーターのあたしが偉そうなこと言ってんのさ。ああ、嫌だ。こういう自分が、嫌なんだってば。あたしはもう、役人じゃないんだ。
あたしは今、海苔巻きだ。布団にもぐってゴロゴロしてたら、海苔巻きになったよ。
アパートの外でネコが鳴いてる。
この時期のネコ、不気味に鳴くから恐いんだよ。もう寝よう。