第三話 雑念、無念、もう二年
「かぁーーーーーーーつっ!」
ババシッ! パァンッ!
「い、痛ぁっ! ・・・・・・ふぅ・・・・・・」
「うむ、うむ・・・・・・」
今日はイノシシ店長の奨めで、東京は東京でも、山梨との境近くにある山間の禅寺に来てるの。
座禅って、心が落ち着く。心がクリアになる。
背筋を伸ばして目を瞑り、指には印を組んで自分自身との見つめ合い。雑念が少しでもあって揺らぎが見えれば、住職に警策で肩をひっぱたかれる。
あ、ひっぱたかれるんじゃなくて、「警策をいただく」って言わなきゃダメなんだった。
チチチチチッ ぴきゅうぴきゅう
ピーチョピーチョピーチョ ヒーヨヒーヨヒーヨ
あたし一人しか今日は申し込んでないみたい。寺の本堂内には、あたしと住職だけ。
なんだろう、どこからかわかんないけど、全体的にお線香の香りがする。外では、何種類かの鳥が鳴いてる。ひとつは絶対ヒヨドリだ。あたしの実家によく来てたから鳴き声を覚えてるんだ。
「かぁーーーーーーーつっ!」
ババシッ! パァンッ!
「い、痛ぁっ!」
「うむ、うむ・・・・・・」
しかし、なかなかこれ、痛いな。あたし、どんだけ雑念があるっていうのさ。まぁ、何の鳥か気にしてる時点で、それも雑念になっちゃうのか。
なにげに住職、すごいね。そういうのを感じ取ることが出来るって、絶対に超能力者でしょ。
十五分経過・・・・・・。うん、平気。
十八分経過・・・・・・。余裕、余裕。
二十分経過・・・・・・。ちょっと、お尻が痛くなってきた。座布団は柔らかいのにな。
「はい、終わりです。心を解放して、ゆっくりと目を開けて印も解いて下さい」
「ありがとうございました。貴重な経験でした」
あたしは特に信心深いわけでもない。その時の気分で、お参りするのは神社でもお寺でも教会でも構わない。でもなぜか、お坊さんと話をすると、自然と合掌しちゃうんだよな。なんでだろう。
イノシシ店長が言っていた。ここ、大空寺住職の天空橋業徳和尚は、同じ宗派の大本山がある都心の寺に出張の際、必ずマチナカカレーを食べて帰ると。しかも二杯。
なるほど、オニギリみたいな可愛い顔と体型は、それなら納得かも。
「若い女性が一人で申し込んできたのは初めてじゃ。ホッホォホォ! いかがじゃった?」
「なんか・・・・・・途中から、あーだこーだ考えることがなくなりました・・・・・・」
「うむ、うむ・・・・・・。最初はだいぶ雑念があったようじゃ。無念なこともあったようじゃな」
「無念なこと?」
「うむ、うむ・・・・・・。例えば、何か、道半ばで思うようにいかず、迷いの森に踏み入った、とか」
やばいよ。絶対にこの住職、超能力あるって。あたし、まさに、そんな感じだもん。
「・・・・・・うむ、うむ・・・・・・。あなた、迷ったまま、ずっともがいておるな?」
「え、ええと・・・・・・。・・・・・・まぁ、そんな感じですかね・・・・・・」
「うむ、うむ・・・・・・。それも、もう一年以上、いや、二年ほどになるかいの?」
「え!」
あたしは今、超能力を持った人と向き合ってるに違いない。オニギリだなんて言ってごめんね、住職。バチが当たっちゃったら、嫌だな。
「ホッホォホォ! 大丈夫じゃ。心配することはないぞよ。必ず、あなたの道は開ける」
「そ・・・・・・そうですか?」
「拙僧の予感では、あなたはいずれ、西に行く。『西の陰陽、待ち人あり』と見えるのぉ」
「に、西? ・・・・・・ええと、どこだろう・・・・・・」
「それは、あなたがこれから切り開くことじゃ。拙僧は、ここまでしか見えぬし、言えぬ」
袈裟姿のお坊さんって、何か妙に説得力がある。このゆったりとした話し方に、仏像のような朗らかな表情。きっと、長年の経験と徳を積んだ結果で、この説得力が生まれるんだろうな。変な理屈と持論で物事を考えちゃうあたしとは、全然違う。
「あとな、あなたの中には、煮えたぎった熱き魂魄が渦巻いておるでな? 自分でおわかりか?」
「煮えたぎった・・・・・・こんぱく?」
「負けたくない。一番でいたい。正しくありたい。今の自分は自分ではない。・・・・・・などがな」
だめだ。あたし、この住職の前では、何でも全て見透かされちゃうわ。
そうだよ。あたしは、ずっと道の一番前を走ってた感じだった。勉強でも、習い事でも、部活でも、自分より優れた人を認めたくなかった。でも、そんな自分自身に負けたことに気付いたんだよ。
総務省を辞めたのも、何だかんだ理由は言ったけど、結局は自分に負けただけ。そんなことは、ずっと前からわかってたんだ。
今のあたしはあたしじゃない。でも、役人だったあたしもあたしじゃない。じゃあ、あたしはどこにいる。あたしはずっとあたしでいたい。でも、こんなあたしじゃ、あたしでなんかいたくない。
そんな浮き沈みばっかりで、今後どうすりゃいいの、藤咲水紀は。
「おや、おや・・・・・・。心の糸をちょっと、解きすぎたかの? ほれ。これで涙をお拭きなさい」
あれ、なんだろう。いつの間にか、勝手に涙を零しちゃってたんだ。ありがとう、住職。
「・・・・・・すみません。・・・・・・ちょっと、感情が・・・・・・」
「うむ、うむ・・・・・・。それでいいぞよ。心を石のように固めてはいかん。ありのままに、じゃ」
「はい」
住職の声が、外に舞う鳥の声と織り混ざって、なんか、不思議な心地よさを感じる。すごいね、徳を積んだお坊さんは。こんなあたしを、何だか今すぐにでも変えてくれそうだ。
「ホッホォホォ。あなたは能力の高い人ゆえ、挫折や自分の足りぬことが許せんのじゃな」
「そうかもしれません。・・・・・・あと、焦りもあるかも。無駄な日々を過ごしてる感じで・・・・・・」
「この五つを覚えておくとよいぞよ。『日日是好日』『平常心是道』『知足』『放下着』『柔軟心』」
目を腫らしたあたしに、住職は優しく、そして易しく説明してくれた。
一日は平等で尊いゆえ、良い日悪い日などと言わず、大らかな心で毎日を過ごそうということ。
自分に無理せず、背伸びせず、平らで真っ白なありのままの自分を、常に受け入れること。
他と比べて心乱さず、欲張らず、自分自身の持っているものや足りないものを受け入れること。
欲望も願望も膨らませることなく、一切の執着を無くし、煩わしい思いを手放すとよいこと。
広い視点で物事を捉え、他者にも自分にも柔らかい思いで向き合うことが肝要であること。
「・・・・・・大切な言葉だ・・・・・・。全部、あたしに染み入ってきた・・・・・・」
あたしは無意識のうちに、正座になってそれらを聞いていた。
「ホッホォホォホォ。素直じゃな、あなたは。それでよいのじゃ」
ツツピーツツピーツツピーツツピーツツピー・・・・・・
鳥たちもきっと、毎日この大空寺へ修行に来てるのかもしれないな。だから鳥は、自分の翼の赴くままに空を飛び、悩むことも迷うこともなく、自然のままに羽ばたけるんだろうね。
あたしも、そうなりたいな。あ、そうなりたいとか思いまくっちゃダメか。執着せずにって、難しいなぁ。
「あなた、生まれは東京なのかいな?」
「いえ。出身は栃木です。大学が東京だったんで、卒業後もそのまま、都内にいる感じですね」
「そうかそうか。移りゆくのも、また運命。留まることも、また運命。受け入れるが良し、じゃ」
「・・・・・・はい。・・・・・・そうですよね!」
「迷いが出たらまた来なさい。・・・・・・粗食を用意した。禅寺ゆえに生臭物はないが、召し上がれ」
「ありがとうございます。いただきます」
木々の若葉から透き入る光が、気持ちいいや。住職の用意してくれた食事は、タクアン三切れと梅干しおにぎり。そしてミョウガの味噌汁だけ。でもこれが、すごく美味しい。
あたしは、両手で持ったおにぎりが、隣で微笑む住職の顔に見えた。だって同じ形なんだもん。