表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迷い道と目的地 ~藤咲水紀の日常~  作者: 糸東 甚九郎(しとう じんくろう)
18/28

第十七話  あたしだって、たまには・・・・・・ね?

「・・・・・・――――お待たせしました。生どら焼き五種セットです」

「ありがとうございます。・・・・・・これこれ!」


 今日はバイトも無ければ面接も何も無い。天気も良いから、しばらくぶりに瀬田谷区(せたがやく)まで足を運んでみた。

 宮乃坂駅(みやのさかえき)前にある瀬田谷八幡宮(せたがやはちまんぐう)徳豪寺(とくごうじ)にお参りし、(かえで)新町(しんまち)まであちこち道草を食いながら、てくてく散歩。こんな過ごし方も、悪くないなと思う。

 あたしは今日、日々の悩みやモヤモヤなんかを全て振り切って、心をクリアにして歩いている。

 どら焼きを頬張って、ゆっくりと、時には早足で。

 食べ歩きは行儀が悪いけど、今日だけは許してほしい。だって天気が良すぎて、心も開放的になりすぎちゃってさ。

 楓新町駅のすぐ近くに、「(かえで)(もり) 伊佐屋(いさや)」っていう老舗和菓子店がある。

 大学時代、あたしはこの楓新町に初めて遊びに来た時、この店のどら焼きが気に入っちゃった。美味しすぎて、ゼミ仲間にも部活仲間にも教えなかった。あたしだけの秘密の味にしてしまった。

 まぁ、このお店は有名らしいから、みんな知ってたかもしれないけど。

 ちなみにあたしは、抹茶ミルク餡のどら焼きが好き。

 瀬田谷区を歩くってことで、ジャージだのパーカーだのじゃなく、ちょっとしたオシャレをして来たんだ。やっぱり、この辺を歩くとなれば、服装もちょこっと気合いを入れる。アラサーとは言え、あたしだって女だもん。たまには、ね。


「・・・・・・そうだ。せっかく楓新町に来たんじゃ、あのお店に寄ってみよう。あるかなぁ・・・・・・」


 伊佐屋から楓新町駅を通り抜けてすぐのところに、「真富鮨(しんとみずし)」っていう美味しいお寿司屋さんが昔あったんだ。今もあるのかなぁと思って歩いていったら、あったよ。変わらず、そこに、ね。

 銀座街(ぎんざがい)紅坂(あかさか)にあるような超高級寿司店じゃないの。店構えも庶民的な、小さな「町のお寿司屋さん」って感じの店。そのひっそりとした佇まいが、何とも言えぬ渋さで、あたしは大好きだったんだ。もちろん、現在進行形で今も大好きだけどさ。

 学生時代、よくこの真富鮨の寿司折りを買ってから、その隣にある「鶴屋千年堂(つるやせんねんどう)」って和菓子屋のわらび餅も買って、ちょこっと東に歩いて小間沢緑泉公園(こまざわりょくせんこうえん)のベンチで食べてたっけ。

 せっかくだから真富鮨の「光り物三種詰め」を買って、懐かしの公園まで行ってみようっと。


「・・・・・・――――あいっ、お待ちぃ! コハダ、アジ、イワシの三種! 相変わらず、通だね!」

「ありがとうございます! 学生時代によく来たんですけど、わかりますか?」

「おぅ。若いモンはトロだのを好むが、お姉ちゃんは昔から光り物好きだから、よく覚えてらぁ」


 威勢の良い大将のおじちゃん、あたしのこと覚えててくれたんだ。ちょっと、嬉しい。


   チチチチチチ・・・・・・

   チュンチュンチュン・・・・・・

   ブイイィーッ

   ブロロロロォォ・・・・・・

   ガタコンガタコン

   ガガガガ・・・・・・


 鳥の囀りに、車の音。時折混ざるバイクの音。そこに重なる、電車や工事現場の音。

 こんなに都内って、音に溢れていたんだっけ。あたしの耳は、東京の音をいくつも拾い、それを脳内で仕分けている。

 歩いていて、色々と思い出した。大学生になって初めて一人暮らしを始めた時、あたしはこれらの音が、少し恐かった。

 ひたすら鳴り止まぬような音の波は、なんだか独りぼっちのあたしを四方八方から包み込んで、出ることのできない渦に飲み込んでいくような感じがしてさ。

 あたしの地元では、音が止んで時が止まったかのような瞬間が、たまにあるんだ。

 何の音も聞こえない、心が穏やかになるそんな瞬間が、ね。でも今はもう恐くない。きっと、慣れたんだろう。

 小間沢緑泉公園までは、楓新町駅から歩いて十五分くらい。途中、子猫が三匹、どっかの家の車庫に入っていった。電線にはスズメとカラスが留まって何か鳴き合っている。

 あたしがよく独りで座ってた小間沢緑泉公園のベンチは、変わらずそこにあった。座ると、大きなケヤキの樹と、噴水が目に飛び込んでくるんだ。

 近所の住宅街から子どもたちが集まってきて、よくこの公園で遊んでいたのを眺めてたっけ。

 犬の散歩をしていた人や、井戸端会議のように集まって談笑していたお年寄りたちも、今はどうしているんだろうか。

 ま、いいや。久々に来たここのベンチに座って、残ったどら焼きとお寿司を食べようっと。


「・・・・・・おいしい。このお寿司も、変わってない!」


 絶妙な酢加減と塩加減の、光り物三種。あたしは、野菜や魚を昔からよく食べる。

 魚の中では、アジ、サンマ、イワシ、サバが好きなんだ。身体に良いとか何だとかは、あたしの中では後付け。ただ純粋に、これらの魚が好きっていうことなんだ。

 どら焼きも、お寿司も、そしてこの公園も、変わってない。

 あたしは、変わってないのだろうか。

 それとも、変わったのだろうか。

 どっちだっていいか。だってあたしは、あたしだもん。

 昔から、あたしはよく人に頼られる方だったと思う。あたしが誰かに甘えて、頼って、どうにかお願いしますってことは、無かった気がする。あったのかもしれないけど、ほぼ無いに等しい回数だったかも。

 だからあたしは、いつも前を向いて、強く凜々しくしてなきゃならないっていうことを、無意識のうちに自分に課していたのかもしれない。

 周囲からはよく、「水紀ちゃんはクールだ」と言われてたのも、そういうことだね。

 でも、あたしは正直、そんなに強くないし。

 クールっぽくしているのは、自分の弱さや甘さを見られたくないっていう心理からだと思うんだ。

 このベンチに独りで座って陽の光を浴びていると、何だか妙に心が落ち着く。

 あたしは独りでこうして散歩をし、いつもとは違う日常の中に身を置くのが、好き。


「はぁ・・・・・・。和むなぁ・・・・・・。このままずっと、ここでこうしていたい・・・・・・」


 こんな時間も、大切だよね。

 どら焼きも、お寿司も、美味しかった。ごちそうさまでした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ミズキって、なにげにタイプかもしんねぇ。。。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ