第十六話 天空橋業徳のお導きにより・・・・・・
「かぁーーーーーーーつっ!」
ババシッ! パァンッ!
「い、痛ぁっ! ・・・・・・(まだ雑念があるのかなぁ)・・・・・・」
「うむ、うむ・・・・・・。迷いがまぁだ、あるようじゃの」
「ふぅ・・・・・・。集中、集中・・・・・・」
あたしはまた、大空寺の座禅会に申し込んで、今日、午前十時過ぎからずっと座って瞑想をしているの。
前回はあたし一人だったからか、心が透き通るくらいに集中できた。でも今日は、あたし以外にも申込者が何人かいて、目を瞑っているとその人たちの気配が禅堂の中に感じられる。
それにも心を乱すことなく、しっかり無になって自分と向き合わなければいけない。難しい世界だよね。
以前は聞こえたんだけど、今日は寺の外から鳥の声が聞こえない。ちょっぴり残念。
「かぁーーーーーーーつっ!」
ババシッ! パァンッ!
「い、痛ぁーいっ! 痛い痛い! わぁー痛い! 何か、だめでしたぁ? ねぇ、だめでした?」
「うむ、うむ。・・・・・・雑念ばっかりじゃな。もっと心を落ち着かせるとよいぞよ」
「えー。本当にぃ? むっずかしーぃ!」
集中、集中、集中。・・・・・・頑張れ藤咲水紀。その声に、心を迷わすな。「なんでよりによってあんたも一緒に申し込んでんだよ」と思ったけど、それも雑念。今は、ひたすら心を静めるんだ。
「みなさん、すごぉーい! 静かに瞑想してるーぅ! 藤咲さんもぉ、仏像みたーい!」
「これこれ。みな静かに瞑想をしとるのだ。あなたも、心静めて再開しなさい」
「はぁい、わかりましたぁ。また、叩かれないようにしまぁす」
何ということだ。あたしは、このキンキン甲高い声に、心がぐらりぐらりと動かされそうになっちゃう。まだまだ、修行が足りないってことか。
いや、違うな。あたしはこの声に対し、無意識に身体が拒否反応を示しちゃうんだろうな。
原本ゆかり、頼むからこの禅堂の中では静かにしててくれないかな。ほら、他の人だって正直、やかましいことには迷惑してると思うよ。
「かぁーーーーーーーつっ!」
ババシッ! パァンッ!
「い、痛っ! ・・・・・・あざぁっす! 集中します!」
「うむ、うむ・・・・・・」
原本ゆかりの他にもう一人、あたしがよく知る人が申し込んでいた。バイトでお世話になった、あの高萩さんだ。会社の研修の一環だかで、社員数名で申し込んだんだってさ。
座禅会が始まる前に、「ぴたっと止まって静かにしているのは苦手」だって言ってたな。いつもガンガン動き回っているせいかもしれないんだって。
十五分経過・・・・・・。本当に黙ってくれ、原本ゆかり。気が散ってしょうがないよ。
十八分経過・・・・・・。高萩さんの方から、唸り声が聞こえる。足が痺れてるんだろうね。
二十分経過・・・・・・。何の音もしない。何の気配もしない。あたし、無になってるのかな。
「はい、終わりです。みなさん、心を解放して、ゆっくりと目を開けて印も解いて下さい」
「「「「「 ありがとうございました 」」」」」
ふぅ、今日も良い経験になったな。やっぱり、大空寺での座禅は、心が清々しくなるから好き。毎日こんな環境にいたら、あたし、出家して尼僧になっちゃうかもしれないくらいだ。
この後は簡素な食事の席となるが、高萩さんと一緒に来た人たちは現場があるだか何だかと言って、一足早く帰ってしまった。残ったのはあたしと高萩さんと原本ゆかりだけだ。
「ホッホォホォ! 粗食を用意した。禅寺ゆえに生臭物はないが、召し上がれ」
前回はタクアンと味噌汁とこのおにぎりだったけど、今日はゴマ豆腐とニンジンの味噌汁、そして梅干しおにぎりだ。座禅の後のこの質素な食事、あたし、何気に好きなんだ。
「えー? ええー? これだけ? これだけで、住職さんたち、足りてるんですかぁ?」
ちょっと黙ってなよ。これだってきっと、修行の一環なんだよ。
「うむ、うむ。これでよいのじゃ。足りぬことを知ることも、これ、修行なりということじゃ」
「えー? じゃあ私、欲があるってことぉ? そんなばかなー。えー? 欲張りさんなのぉ?」
「ちょっと! ・・・・・・もう少し、静かにしてよ。ここ、禅寺なんだよ?」
「え? あー、ごめんねー藤咲さん。でも、静かすぎると、逆に気持ちが変にならない?」
「ならないよ。そうなる方が変なんだよ」
「えー? そうかなぁ。まぁ、藤咲さんって元々、変な感性だもんね。普通じゃないよね?」
こ、このやろう。いや、待て待て。ここで怒っちゃダメだ。原本ゆかりは悪意があるわけではなく、これが素なんだ。あたしがいちいち目くじら立ててたら、疲れちゃう。
何のために座禅をやったんだ。心を丸く、穏やかに、にこやかに。そうしよう。
「あ、あたしは・・・・・・変な感性っていうか、独特な感性なんだと思ってはいるけど・・・・・・」
「いや、変な感性だよぉ。変だもーん。でも、頭良い人ってきっと、全員、変なんだろうね?」
誰か、こいつの言葉をうまく変換してくれ。どういう意図があるんだか。悪意はないんだろうけど、やっぱり、鬱陶しくってしょうがないよ。住職も、高萩さんと笑ってないで、助けてよぉ。
「ホッホォホォホォ。・・・・・・ところで、体格が良いそちらのお方?」
「え? 俺、ですか?」
「そう。あなた。・・・・・・あなたはあと数年以内に、良き人と出逢う縁が見えるのぉ」
「え、そうなんすか! 誰だろう。良き人、か」
「多少の年齢差はあるようじゃが、うまくいく。前世からの縁のような結びが見えるのでな」
「そうなんすか。楽しみだな! どこの誰がその良い人なのか、楽しみに待つことにします」
「うむ、うむ。あなたには『鐡に埋もれし一枚の紅葉』というものが出ておるのぉ」
出た。天空橋住職得意の、予言のような言葉。あたしも、西の方に待ち人ありって言われてるんだよなぁ。西の方ってアバウトすぎ。どこで誰が待ってるんだろう。ヨーロッパとかじゃないよね。
「え! え! ええー。すごいすごい! 住職さぁん、私には何か、ないんですかぁー?」
「ホッホォホォ。あなたには『静寂の中の雷鳴に難あり』と出ておるのぉ」
「えー。えー。えーっ? なーんですかぁ、それ? ねぇ、藤咲さん。今のって、わかるぅ?」
なんであたしが、原本ゆかりの運命を語らにゃならんのだ。わかんないよ。ただ、住職がそう言うんだから、何かはこの先あるんだろうね。静かにしてろってことではないと思うんだけどさ。
「おやおや? あなたは以前と比べ、だいぶ迷いの渦が緩くなっておるの。良いことじゃな」
「あの、すみません住職。あたし、実は・・・・・・」
「ホォッホォホォホォ。言わんでもよい。西の陰陽が、あなたを待っておる」
「やっぱり、そうなんですか?」
「ホッホォホォ。『我逢人』じゃ。人と会ったその時から、その人との運命は始まるのじゃ」
「会ったときから・・・・・・かぁ」
じゃあ、あたし、今ここにいる住職や原本ゆかり、高萩さんなどとは、初めて会った時から今日に至るまでの運命か何かがもう決まってたってことなのかな。
不思議だね。禅の世界って、面白い。
「新たな場に足を踏み入れる時は、様々な迷いが出て当然。でも、自己は見失ってはいかんよ」
「自己を、ですか・・・・・・」
住職の言葉って、いつも、深い。高萩さんや原本ゆかりも、感心して聴き入ってるわ。
「今日はこの言葉を覚えて帰ると良いです。『鶏寒上樹、鴨寒下水』じゃ」
「いったい、どういう意味合いの言葉なんですか?」
お、高萩さん食いついたね。あたしも、今、どんな意味なのか聞いてみようかと思ったんだ。
にこやかに、住職はその言葉の説明をしてくれた。
鶏も鴨も同じ「鳥」という括りの生き物だけど、それぞれ同じ状況下でも動き方や対処の仕方は違う。
物事を見る際には一つの答えや方法に囚われずに、多方面からの視点を織り交ぜて見ることで、幾通りもの見え方が生まれるそうだ。
一つの視点に拘ると視野が狭くなって、物の見方がとても狭まる。人生にそれを当てはめると、本来あるべき心の在り方が見えてくるんだってさ。
「あと、もう一つ。『好雪片々、不落別處』じゃ。これも大切なことである」
空から舞い落ちる雪はみな、無造作に地面へ落ちているように見えても、実は一つ一つがどこに落ちるかは運命によって定められている。人生もそれと同じだそうだ。
必ず、どの人にも着地点となる目的地はある。「うまくいかない」「良いことばかり」「この先どうなるのか」などを一喜一憂せずに、物事をあるがままに受け入れ、自分を見失うことなく、どんと構えているのが良いそうだ。
勉強になる。天空橋住職はいったい、どれほどの知識量なんだろうか。
こういうことがサラサラと出てくるくらいじゃないと、人の心を和ませ、人を諭し導くことなんかできないんだろうな。
これらの言葉を、住職からお寺で直々に教えてもらうってのが、また深いんだよね。
「えー。じゃあ、この面々が今日、ここにこうして集まったのも、偶然ではないんですかぁ?」
「そう。全ての人は、運命の綾糸がある。それらが今日、こうして交差したにすぎんでな」
「そーぉなんだーぁ。じゃあ、こちらのお兄さんと、藤咲さんと、私が座禅をやったのも・・・・・・」
「そうじゃな。きっと、御仏の定めだったんじゃろうかのぉ。ホッホォホォ!」
「えー。すごーいすごーい。じゃあ、私、彼と結婚できたのも決まってたことだったんだぁー」
はしゃぎすぎというか、騒ぎすぎだよ原本ゆかり。その甲高い声を、まずは何とかしてよ。ほら、高萩さんも、顔が引きつってるじゃないか。
でも、住職が教えてくれた言葉は、あたしの心に全て深く染み入ってくるんだ。
前回もそうだった。妙に、じんわりずっしりと、心の芯に響くというか何というか。言葉一つ一つに、きっと、魂が込められているんだろうなぁ。
「ホッホォホォホォ。おや? あなたには新たに『西の地にて己を知る』というのが見えるのぉ」
「え? あたしに、ですか?」
「そうじゃ。迷うことなく、赴くままに受け入れ、西の地へ行ってみると良かろう」
「そうなんですか。・・・・・・あたし、そこでいったい、何を知るんだろう・・・・・・」
住職の予言のような言葉は、あたしだけでなく、高萩さんや原本ゆかりもしっかりと受け止めていた。さっきから高萩さんはずっと「その人と結婚しちゃったりして」と言って笑ってるし、原本ゆかりは何だか声の甲高さが増してるし。
あたしは、岡山に行くにあたって、やっぱり心のどこかに不安と迷いがあるのかもしれない。
行っていいんだろうか。
行ったらどう変わるのか。
そもそも何か変わるのか。
そんなことが時々、頭の中を流れるんだ。でも、こうなったのって、舞い落ちる雪と同じく定めとして決まっていたことだとしたら、もう、どうこう言って考えていたってしょうがない。
「・・・・・・ありがとうございます。住職!」
「んん? ホッホォホォ! さらに心の霧を払ったようじゃな? うむ、うむ。それでよい」
赴くままに、自然のままの流れを受け入れよう。鳥のように、雪のように。ってか、考え込んでたらいつの間にかあたししかいないじゃないか。
高萩さんも原本ゆかりも、いつ帰ったんだろう。