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とある書店にてシリーズ

カニカマと匂い

うららかさはまるでこれまでの歩みを褒めてくれたものかと思えてしまう。そんな春の日を待ち焦がれていた町はいくらか賑わいが望める新店舗のオープンといった話題もあって、この時代でも新たな生活は始まってゆくのだという確かな感覚がついてくる。そんな最中でも人知れず心は決められた場所に向かおうというのか、儚さを連れ添うかのように少しずつ歩んでゆく様は頼りなくも頼もしい。迷いがなければ風情もないものなのかもしれない。謡われた情景と目の前に広がる色合いとを重ねながら、柔らかな空気の肌触りをいつまでもと望んでしまいそうになっている。


その日、少しばかり不確かな情報を頼りに古くからの知り合いが経営する書店に向かっていた。種明かしをしてしまえば中学時代の友人の一人で、当時から本好きの変わり者だった人物である。奥さんに愛想を尽かされて娘も今は一人暮らしとのことで、ときどき覗いてみると当人はいつも猫と客の相手をしている。アナクロニズムをむしろ趣だと解するような部分があったから甚平姿の時もあったし、時代の最先端などとは無関係に生きてゆくものとばかり思っていた店主が、どうやら数ヶ月前から某ソーシャルメディアに愛猫の画像を投稿しているという話を別の知り合いから聞かされた。探し方が悪いのか肝心のアカウントを見つけることが出来なかったので真偽を確かめることもできず、それならばと直接確かめにこの日出向いたのだ。


カラカラ


到着し書店の扉を開けると、その日も人気が感じられぬ。見慣れた光景ではあるが、微かにそこに違和感を覚える。ここまで誘ってくれた春霞の気配はこの店に一歩足を踏み入れた瞬間のどこか怪しい空気にかき消されたかのようで、書棚を移動して奥の方を見通してみるとやはりというか店主の姿がない。


「いませんか?」


少し大きな声で呼びかけても返事は無かったが、ソロソロと猫だけが感づいてどこからか近寄ってきた。


「おお、いたか。【カッパ】」


店主の付けた珍妙な名を呼びながらその頭を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。何が気に入ったのか自分はこの猫に懐かれているようで目を細めて身体を預けているような姿を見ると、堅物の店主よりもこちらの方が接客の術を心得ているように感じてしまう。防犯意識なども含めて、プロとしてあるまじき姿を晒してしまっているのではあるが、この日は特に酷いと感じるタイミングでようやく住まいの方から現れた。


「おお。すまんすまん。久しいね!君!」


「寝てたか?」


「いや、寝てはいない」


少しぼんやりしている表情を見ると言葉に信憑性はない。ただ店主はこんな風に弁解する。


「最近はね、ネットで注文というシステムがあるからね、その処理をしていたのさ」


「君がそんなことをやっているのかい?」


「おう。こないだ娘にやり方を教授してもらって、今も配送の準備をしていたところさ」


「…」


やや呆気に取られて言葉を失う。筋金入りの機械音痴と思われていた人物も、時流には逆らえずテクノロジーの恩恵を享受するようになったらしい。見方を変えれば感動する事実ではあるが、この時はどちらかといえばその変わりように喜劇性を感じてしまった。気を取り直して、


「とすると、君がSNSを使っているのは本当ということだね」


「いかにも。これも娘が提案してくれて、アカウントから何まで全部設定やってもらったのだ」


そう誇らしげに話してはいるけれど、内容を聞くと臆面もなく言っているように思えてしまう。


「猫の写真がそこそこ人気あるという話を聞いたぞ。○○から」


「おお!流石○○は情報通だな。確か彼はエンジニアだったな」


「君の主義からするとそれはどうなんだと思わなくもないが、時代の流れだね」


「背に腹は変えられぬのさ」


安易とばかりは言えない「鞍替え」「宗旨替え」。世の人はそうして営みを続けているのやも知れぬ。かくいう自分も、一人息子から最近の流行りを聞けば嬉々として職場で話題にしてみたりもする。旧式の人間であることには変わりないけれど、疎ましがられるよりかは時代に適応していった方が絶対に良い。


「そうだ。君、今日一緒に飲まないかね?」


「昼間っからかい?」


「いんや。そうじゃないよ。積もる話もあるだろうから、久々に飲み屋でも行ってさ」


「積もるほどの話はないが、今日は日がいい。折角だから桜の見える場所に行きたいなぁ」


「それなら風流な店を知っている。ここからそう遠くはない」


「ならばそこにするとしようか」


どうやら彼と飲むことになった運び。「夕刻にまたきて呉れ」という話をされ、一旦店を出ようとすると惜しむように【カッパ】が一鳴きした。



☆☆☆☆☆☆☆☆


宵。桜並木の通りを二人歩く。店はこの通りの先にあるらしい。


「いやはやすごい時代になったものだね」


と言って何かの画面を見せてくる。そこには【カッパ】の写真、そしてその投稿に高評価がついている事が読み取れる。どうやら店を出る前に「【カッパ】今日はお留守番です」と写真付きで呟かれたもので、歩いて10分ほどのうちに多くの評価が得られている。


「まさにリアルタイムで更新されているんだね。桜の写真も撮ったらいいよ」


「それもそうだ」


カシャ


もはや手慣れた様子で文明の利器を操作する姿は中学時代からは想像できぬ。両手で操作している辺りは仕方ないとしても、彼ほどの音痴をここまで飼い慣らすテクノロジーの進歩は驚嘆すべきだろうか。かくいう自分も彼と同じような姿勢で並木をカメラで収めている。


「ただね。俺は思うのだ」


彼は桜を見上げつつ、ふと真面目な表情になって語り始めた。


「やはりどの時代にあっても、人は変わらず人だよ。猫を喜び、桜を愛でたくなる。方法に違いはあれど、人の心が求めるものは大して変わりはしないように感じる」


その横顔は見知った友人のものには案外見えない。知れず自分も絆されてそんな表情をしていたかも知れない。


「君は、」


言いかけて言葉が見つからなかった。おそらくはこの胸の中に、しんと残っているその悲哀のような希望のような何かは、生きてきた証なのだろうと感じる。時代は繰り返すような、けれどそれほど素直過ぎるというわけでもなく、ただこうして旧友とゆったり急ぐわけでもなく歩いていると、昔誰かが自分に伝えたかったことも時を超えて蘇ってくるような気がしてくる。


「もう少しで店だ」


彼が今度は少しうわいついた様子で云う。向こう側で花びらは舞い、町の明かりは行先をうっすらと照らしている。こんな時、人知れず、心はどこに向かおうとするのだろうか。


「今夜はいい酒が飲めそうだな」


「猫に土産でも用意しなきゃならんな」


「やはり魚なのだろうか」


「いや、やつはカニカマだ」


「え…カニカマを食うのかい?」


友人に猫用のカニカマの教授されながら道を進む。鼻をくすぐる匂いはどこかに残しておきたいと感じた。

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