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元勇者は禍根渦中  作者: 数ビット
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「魔王倒せし男」

 元クレリックのローザがホリィの喉元に短剣を突きつけ、シュナとカールは弓とマジックワンドを手放していた。

 一般的には山賊と化したセシル達のほうが優勢な状況だ。


 しかしシュナもカールも安穏とした様子で、脅されているホリィもどうしていいものか困惑していた。まるで脅迫されている緊張感がないのだ。


「俺達は何年も奪い、殺し、犯す日々を続けているんだ。この小娘の首を刎ねる事など造作も無い事!」


 セシルは悪党らしい威勢で声を張ったが、シュナとカールの反応は冷ややかだった。


「あーあ、この元勇者さん、やっちまったなーって感じだな」

「そうねぇ……完全に死亡フラグよね」

「何を言っている。お前達は仲間を人質に取られて武器も手放したじゃないか」

「私、ワンドとか別になくても魔法使えるのよね。ただ私の出番は終わった気がしたから身軽にしただけよ」

「オレも弓矢で活躍できるのは戦闘開始時の露払いくらいで、あとはせいぜいサポートだから弓は不用なのさ」

「……? いまさらそんな強がりを言ったところでどうにもならんぞ」


 セシルは念のために周囲を確認した。

 50人の山賊はカールの弓矢の威力に身動きひとつ出来なかったが、逃げ出す事も出来なかったので一応シュナとカールを取り囲む布陣にはなっていた。

 ルナーグとハガーとクロビスも、かつての仲間シュナの魔法攻撃の桁違いの威力を目の当たりにして戦慄していたが、ダメージは受けていなかった。


「お前達のハッタリに付き合ったところで何の価値も無い。昔の好で我が狼煙獅子団の仲間にでもと思ったが、その情けをかける必要も無さそうだ。我が野望の邪魔者は容赦なく殺す!」

「あらあら? セシルは私を殺せるの?」

「うわー、オレたち、この山賊たちにころされちゃうのかー(棒)」

「この期に及んでよくもそのような軽口を叩けるものだ」

「だってねぇ、セシルったら自分のピンチにさえ気付けていないんですもの」

「この俺がピンチだと? 下らぬ戯言を! シュナは小娘の命がどうなっても構わないようだな」

「セシルこそ自分の命がどうなっても構わない口ぶりね」

「いいかげんハッタリはよせ。どうせ人質を取られた正義面のお前達には何もできまい」

「セシルの一番の失敗は、ホリィちゃんを人質にしちゃった事かしら」

「山賊が人質を取って何が悪い。世の中結局自分の為に他人を犠牲にする者だけが生き残るものなのだ!」

「そんな事を言って生き残った悪役を見た事無いんだけど」

「冒険者として命を懸けて他人を救い続けても報われる事など何もなかったではないか」

「途中で逃げ出したセシルが偉そうに言う事じゃないわ」

「ちくわ大名神」

「なんとでも言え。冒険者をやめた事で我が狼煙獅子団をここまで大きく育てる事が出来たのだ」

「烏合の衆を集めたところで、サル山のボスでしかないわ」

「その猿山のボスがアーティス王国をも支配する事が……いや、ちょっと待て」

「何?」

「誰だいまの?」

「俺だよ俺、ワリオだよ」


 まるで活力のない声が丘の麓から聞こえた。


「ワr……? お、お前は……ユートか?」


 膝を痛めているのか丘の坂道を歩くのも不自由に見える白髪交じりの猫背の男は、確かにかつてセシルと共に戦った男、ユート・ニィツだった。




-----


 特に急ぐ様子もなく、ユート・ニィツはセシルのいる丘の中央に歩みを進めた。


(確かにユートだが……一体どうしてここに来たのだ? 人質の娘を救いに来た様子でもなく、シュナ達を助けに来た様子でもないように見えるが)


 セシルは不確定要素の出現に困惑した。


「……ユート、久しぶりだな」

「元気そうじゃないかセシル」

「そう言うお前は元気が無いように見えるな」

「そりゃぁ元気が無いからな。ヒザが痛むから坂道はキツイよ」

「お前、昔とは少し雰囲気が違うな。以前はくだらない事など言わぬ男だったが」

「冗談でも言ってないと気が滅入るからな」


 そう言いながらユートはホリィの喉元に短剣を突きつけているローザの横を通り過ぎた。

 まるで見えていないかのようだった。


「ところでシュナとカール、一体お前達は何をしているんだ?」


 まるで感情の篭っていない元勇者の声に、シュナとカールは身を強張らせた。


「お前達は、何を、しているんだ?」


 二度目の言葉に、カールが咄嗟に答えた。


「済まないユート! なんでもない! 何も問題は無いよッ!」

「そっ、そうよ、何も問題は無いわ!」


 セシルは状況が理解できなかった。どうしてシュナ達は4勇者の仲間だった筈のユートに怯えているのか?


「そこにいたのはローザか。髪型変えた?」

「……」

「ホリィと何をして遊んでいるんだ? 刃物を持って遊ぶと危ないじゃないか」

「あなた本当にユートなの?」


 ローザは元勇者の放つ鬱屈とした異様な空気に、そう尋ねた。


「俺は刃物で遊ぶと危ないじゃないか、と言ったんだ。聞こえているのかローザ?」

「ユートは状況を理解していないようね。私たちの邪魔をするようならユートでも容赦しないわよ」

「ローザ、そんな台詞が最後の言葉でいいのか?」

「何を言って……」

「ちょっ、ちょっと待ってくだしあ! わ、私は大丈夫ですから!」


 突然、人質になっている筈のホリィが元勇者に対して何かの弁明をした。

 ローザは意味がわからなかった。この人質として捕らえている小娘は喉元に短剣を突きつけてもさほど狼狽しなかった。なのにみすぼらしい姿となったユートの言葉に緊張し、足も震えていた。


「ユート、わざわざ何しに来たっていうの?」


 ローザの問いかけに、元勇者はぼんやりとした声で答えた。


「セシル達、山賊やってるんだって? 俺も仲間に入れてくれよ」


 セシル達山賊集団の全員が呆気に取られ、そして大声で笑い出した。

 山賊の陣取る丘に品の無い笑い声が響いた。


「ははは、ユートよ、ひざを痛めているというのに山賊稼業が出来るのか?」

「冒険者上がりのフリーランスは再就職が厳しくてね」

「俺はてっきりシュナ達の助っ人に来たのかと思ったぞ」


 ユートは憂鬱そうに答えた。


「そこにいるシュナとカールは肝心な戦闘の時に逃げ出して戻ってこなかった裏切り者だよ」


 シュナとカールは何かに警戒した様子だ。

 セシルはシュナに問うた。


「シュナはユートと仲間だったんじゃなかったのか? 伝説の四天王とかを倒したんだろう?」


 シュナは余裕のない緊張した小声で返事をした。


「四天王を倒したのも本当の事、そして私達がユートを残して最終決戦前に逃げたのも本当の事よ」

「随分と大仰な嘘をつくものだ」

「……莫迦ねセシル。もしユートと戦う事になったら私たちでも本気で全力を出し尽くさないと生き残る可能性なんて微塵も無いって事よ」

「気でも違えたか、シュナ」

「あそこにいる冴えない中二病のオッサンは、たったひとりで魔王を倒した男よ」

「ははは、馬鹿馬鹿しい事を。魔物を従え世界を恐怖と混沌で支配した魔王を、たった一人で倒せるわけがない! しかも倒したのが7勇者のナンバー2でしかないユートだと? ははははは!」


 シュナは説明をやめた。セシルの相手をしている場合ではない。

 なにせ元勇者の機嫌を損ねたり鬱が悪化すれば、ただ事では済まないのだ。


(あ~、ユートったら物凄く鬱オーラ発してるわ……。地下牢に入れられたのを放置したのがいけなかったのかしら?)


「そういえばセシルも俺やシュナを置いて逃げ出したんだっけ。お前も俺からすれば裏切り者だよなー。山賊やってるのもお似合いっつーか」

「……昔の話だ」

「かつては聖騎士と言われたセシルなのに俺達を残して冒険者辞めちゃって、いまじゃ立派な暗黒騎士って感じだよなー。ダークサイドに落ちた気分ってのは楽しいものなのかい?」


 セシルも笑っている場合ではない気がした。

 数年ぶりに再会したユート・ニィツは死んだ魚のような生気の無い目をしていて、感情も感じられない。かつて正義の為に戦った7勇者としてのユートの雰囲気も感じられず、山賊の仲間になりたいという言葉にもまるで真剣さが感じられない。


 (かつてのナンバー2、ユート・ニィツは何の為にここに来たのだ?)




-----


「さて……実は俺、ちょっと地下牢に閉じ込められている最中なんだけど、トイレ休憩って事で勝手に抜け出してきているんだ。出来れば早く戻りたいんだけど」


 相変わらず感情の無い声で語る元勇者に、山賊達もなにか異様な相手である事を感じ始めていた。


「とりあえずさぁ、シュナは魔法でこの雑然とした位置関係を整理してくれないかな?」

「わ、わかったわ」


 セシルが「何を勝手な事を」と言いかけたが、シュナは躊躇無く”レビテーション”の魔法を使い、ホリィに短剣を向けるローザを持ち上げ、シュナ達とセシルの間に構えるルナーグ・ハガー・クロビスの場所に飛ばした。

 シュナとカールも後衛に移動してホリィとディアの元に近付いた。


「これで前が元7勇者、後方が元4英雄、周囲のギャラリーが下っ端の山賊共。実にわかりやすいじゃないか」

「ふんっ、お前達にとっては人質も関係ないというわけか」

「……ホリィ、人質にされていたのか?」


 ホリィは何か嫌な予感がしたので、咄嗟に「いえ! わかりません!」と曖昧な返事をした。

 短剣を突きつけていたローザが離れたというのにホリィの足の震えは止まらなかった。


「ユートよ、お前……俺達の”狼煙獅子団”に入りたいと言ったか?」

「あぁ」

「入ってどうする?」

「俺がそのナントカ団のリーダーになる」

「お前が? リーダーに?」


 セシルは何かの冗談と思い笑い出しそうになった。セシルにとっては元勇者ユートの印象はかつてのナンバー2だった頃からアップデートされていないようだ。


「とりあえずナントカ団の名前を変える。ロケット団とか死ね死ね団とかわかりやすい名前に」

「しばらく会わない間に随分とふざけた男になったようだな、ユート」

「まぁ冒険者を続けていたら、ふざけた世の中に苦労させられるからな。さてナントカ団の入団テストは一体なんだ?」

「本気で仲間に入りたいというのか?」

「別に本気でも無いけど、暇つぶしにはなるかもしれないだろう?」


 間で活黙していたハガーが怒声を上げた。


「ユートの野郎、オレ達を莫迦にしやがって! 昔の仲間とか関係ねェ! ブッ殺してやる!」


 ハガーは巨大なバトルアックスを構えてセシルを一瞥した。セシルが制するそぶりを見せなかったので、ハガーはそのまま元勇者に飛び掛った。


「食らえッ!」


 元勇者の脳天に巨大なバトルアックスがヒットした。


「……ユートめ、冒険者の成れの果てで遂に精神をおかしくしたのか。哀れな奴だ」


 セシルは呟いた。バーバリアンのハガーが全力で打ち込んだバトルアックスの打撃が直撃したのだ。無事でいられる筈が無い。


 しかしハガーは怒りに身を任せて攻撃したのに、その一撃を打ち込んだまま微動だにしなかった。

 元勇者ユートもただ立ち尽くしている格好だ。


「久しぶりだなぁハガー。でも手加減しなくても構わないんだぜ?」


 元勇者の額に一筋の血が流れた。

 確かにバトルアックスは当たっている。ハガーは手加減などという事が出来ないし、全力で巨大な斧を打ち込んだ筈だ。斧の柄が折れそうなほどの、打ち込んだ手首を傷めそうなほどの衝撃だった。なのに一筋の血しか流れない程度の傷しか与えられていないのは何故なのか?


「まぁ、久しぶりの再会でバトル展開ってのは結構ありがちだと思うよ。気にせず手加減せずかかってきたほうが、俺も少しは楽しい気分になるかもしれない」

「なッ……なんともないのか? このオレ様の攻撃を食らって平気なのか?」

「おいおいハガー、もう老眼か? 血が出てるだろう。ちょっと切れちゃってるよ~」


 渾身の一撃で剃刀負け程度の傷しか付けられなかったハガーは状況が理解できずにバトルアックスから手を離した。巨大な斧が地面に落ちてドシン!と大きな地響きが鳴った。


「ルナーグ、クロビス、少し痛めつけてやれ!」


 ハガーが身を引くとすぐにクロビスが放った矢が元勇者に当たった。しかし鎧も着ていない元勇者の身体に弾かれるように地面に落ちた。

 間髪いれずにルナーグの連打・連撃が元勇者に打ち込まれた。しかし小気味良い打撃音が響くばかりで元勇者は微塵も動かない。


「ルナーグもお久しぶり。随分と元気がないが、どこか体調でも悪いのか?」

「ゆっ、ユート……俺の攻撃が効いていないのか?」

「えっ? いまのは攻撃のつもりだったのか? ルナーグはそういった冗談は言わないタイプだと思っていたんだが、長年会っていないと結構わからないものだな。冗談はいいから、お前も遠慮せず打ち込んでこいよ」


 ハガーとルナーグは何か悪い夢か幻覚でも見ている気分になった。冒険者稼業を辞めてから何年もの間、山賊として様々な悪事でその力を振るい続けてきた。人々はその力に恐怖して平伏し、力を誇示する事で欲しいものを手に入れ続けてきた。なのに目の前の旧知の仲間ユート・ニィツには全く通じていないのだ。


「みんな随分のんびり屋さんだなぁ。もうすぐ日が沈むぞ。セシル達ナントカ団はこれからアーティスの街を焼き討ちに行く予定なんだろ? その前に入団テストを済ませてくれよ」




-----


 状況が理解できずに固まるセシル達。

 その沈黙の時間にディアが元勇者に声をかけた。


「あのー勇者様! これからどうするおつもりですか?」


 元勇者は答えた。


「どうしたらいいかなぁ。みんなリアクション薄いから、もう帰りたくなってきたんだけど」

「出来れば山賊からアーティスを守っていただいてから帰る事を希望します」

「わかった。じゃぁディアの近くに落ちている、そこらの”ひのきのぼう”をこっちに投げてくれないか」

「檜の棒ですね。わかりました」


 ディアと元勇者とは少々の距離があり、ディアが投げた檜の棒は元勇者に届かず手前に落ちた。


「どーもどーも。じゃぁすぐに全員皆殺しにするから、ちょっと待ってて」

「みなごろし、ですか」

「うん、もちろん皆殺し」


 ディアとホリィの脳裏にキッチンでのボヤ騒動の光景が浮かんだ。


「だいじょーぶ大丈夫。皆殺しって言っても血しぶきブシャーって感じにはしないから。血肉も骨も残らない塵レベルで粉砕瞬殺するから。ゴア表現とかレーティングとかもたぶん大丈夫だから」

「そ、そ、それって逆に物凄く恐ろしいのですが……」

「ディアの国に火を放とうとしているそうだから、それで無関係の街の人達が酷い目に遭うよりは恐ろしくないと思うんだけどなぁ」


 ホリィも元勇者に尋ねた。


「どうして勇者様は山賊の仲間に入ろうと思われたのですか? 冗談にしてはいささか不謹慎に思えたのですが」

「あー、まー山賊なら強いのがリーダーになるわけでしょ。どうやらセシルは全然レベル低いみたいだし、俺がリーダーになるわけじゃん。で山賊共を俺の命令で遊んだら楽しいかなーって」


 山賊にとって相手が怯えない状況は最も好ましくないものだが、かつてのナンバー2であるユートが来てからは一層セシルにとって都合の悪い雰囲気になっていた。

 セシルは山賊の長として50人の山賊に、大声で命令した。


「一斉に襲い掛かって、この冴えない男の息の根を止めろ! ふざけた口をきけなくしてやるんだ!」


 覇気の篭ったセシルの号令に、大勢の山賊達が雄叫びを上げて奮い立ち、ユートに向かって駆け出した。

 地響きを上げて襲い掛かってくる山賊達。


「やれやれ……よっこいしょういち」


 元勇者ユートは地面に落ちている檜の棒を拾った。前かがみになって背筋を伸ばす時に背骨がパキパキと音を立てた。運動不足だ。


「さーて卍解しちゃおっかなー」


 いよいよ山賊集団がユートに飛びかかろうかという時、ユートは凛と背筋を伸ばして”ひのきのぼう”を構えた。


 その姿を見た50人の山賊達の頭の中から”明日”という概念が消滅した。明日だけではない、”次”とか”後”などの”未来を示す概念の全て”が急に見えなくなったのだ。


 目の前には夕日を背に檜の棒を構える中高年がいるだけだ。

 覇気も無く生気も感じない、眼鏡の奥の目は死んだ魚のような、くたびれた中年でしかない。

 なのに、そんな中年男に近付けば確実に”未来を示す概念の全て”を失う事を本能が告げていた。他の思考はすべて消えうせ、ただ”死”しか感じられなかった。


「う……うわぁぁぁ!!」


 大勢の山賊達は一斉に武器を手放し、ユートの視線を避けるように顔を覆い、這いつくばってもがきながら、少なくない人数が恐怖で失禁しながら必死で逃げ出した。

 逃げる山賊達の姿はとてもみっともない格好であったし、普段は脅す側である山賊が恐怖で逃げ出すなどという事はありえない事でもあったが、そんな事は些細な事だった。目の前にいる檜の棒を構えるユートの姿は”死の象徴”なのだ。


 元勇者ユートは棒を構えただけだったが、50人の山賊達はその姿に死の恐怖しか感じられなかった。

 圧倒的なレベル差がある場合、その冒険者の特殊スキルとは無関係に「フィアー(恐怖)」という能力が発動する。

 ハイレベルの冒険者が弱い雑魚モンスターと遭遇しないのは、雑魚モンスターが恐怖で冒険者から逃げ出しているからだ。高い崖の下を見下ろした時に感じる恐怖のように「フィアー」に感じる恐怖は抗う事の出来ない生存本能だ。


 相応の冒険者レベルのはずのセシル達も、檜の棒を構えたユートの姿に圧倒的な恐怖を感じ、死を予感した。

 セシルの不幸は、確実に負けるレベル差ではあるがフィアーの能力で逃げ出すほどではなかった事だ。冒険者を辞め山賊として略奪と虐殺を繰り返してきたセシルは冒険者時代よりも少しだけ強くなっていたが、ユートのフィアー能力の影響は受けていた。

 つまり中途半端に強かったが為に、セシルは逃げ遅れたのだ。


「さてセシル、面倒になってきたから次のターンで終わりにしよう。お前が何か喋ったら、それがお前の最後の言葉になる。言い終わった瞬間に一発ブチ込むから、よろしこ」

「……ッ!!」


 セシルは何かを言おうとして、絶句した。

 ユートが魔王を倒したという話はいまだ信じられないが、セシルがユートに勝てる可能性は全く無い事だけは確かだった。


「セシルに対する慈悲の気持ちは全く無い。山賊に身を落としたセシルを可哀相とは全く思わない。このままお前を嬲って始末しても俺自身の心に後味の良くないものは残らない。……それが魔物と戦い続けた冒険者の当然のルールだからな」


 シュナとカールも身を強張らせていた。ユートは元”4英雄の唯一の前衛”であり、更にはユートひとりで魔王を打ち倒しているのでシュナやカールよりも戦闘経験値は上だ。そのユートが戦闘モードで攻撃を繰り出した時の恐ろしさは誰よりも知っていた。


「王様にはこのあたりをペンペン草も生えない荒地にしても構わないって許可は頂いてあるけど、それじゃ済まないかもしれないわね。ユートがご機嫌ナナメなのはいつもの事だけど、地下牢に放置プレイした事を根に持ってるのかしら?」

「……なんか聞こえたぞシュナ。やっぱ放置か。放置プレイか。俺、寂しいの結構イヤなんだけどなー」


 シュナはユートを無視して、セシルに声をかけた。


「セシル、あなたがナンバー2と言ってるこのさえないオッサンが、魔王を倒した男なのよ……つまりね、ユートは”魔王よりも強い男”なの」


 その言葉にセシルの顔から完全に血の気が引いた。

 夕日を背に檜の棒を構えるユートはまだ何も本気を出していない。戦おうとする意欲さえ感じられない。ただ不機嫌そうな中年に過ぎなかった。

 なのにその姿からは屈強な魔物さえ従えてしまいそうな威圧感が漂い、ユートの構える檜の棒の攻撃範囲からセシルが逃げる事も不可能としか思えなかった。眼前の”魔王より強い男”と戦って生き残れる可能性は皆無だと本能で悟っていた。


 そして”魔王より強い男”が、他人や自分を、またはモラルや正義を守る事を望んでいない”無敵の人”である事に気付いた。生気の感じられないユートに漂う違和感の理由がこれだったのだ。


(な、何か一言でも声を出せば、それが俺の最後の言葉になってしまう……)


 獅子に襲われた小兎のように、セシルは身動きする事も声を出す事も出来なかった。


 それはセシルにとっては長い長い恐怖の時間だったが、実際には数十秒でしかなく、様子を伺っている者にとっては数十秒は退屈な時間でしかなかった。

 膠着状態に痺れを切らしたカールはおもむろに弓を引いた。キュッと身体が引き締まる。


「戦う事も出来ないなら逃げてしまえ、元7勇者の山賊さん」


 1本の矢が正確にセシルを狙い、しかし当然の如く僅かに外れてセシルの足元の地面を吹き飛ばした。その爆風でセシルも高く宙に舞い、元勇者から離れた場所に落下した。


「……ひぃっ! ひぃぃぃぃ~ッ!!」


 セシルはのたうつように四つん這いで地面を這い、そして脱兎の如く逃げ出していった。


「うーんこの、寂しいから来たのに全く何も活躍してない感じはモヤッとするなぁ。モヤットボールないかな?」

「あなたが活躍するような事になったら、山賊に襲われたほうがマシだったって事になりかねないじゃない。攻撃力高すぎなのよユートは」

「やっぱりオレの矢は3年経っても当たらないのか……」

「カールの矢も、もし当たったらゴア表現でゲロゲロな事になるんだから、ハッタリ効かせる程度で十分よ」

「もう陽も沈むし帰る事にしよう。暗いと鬱が悪化する」


 元4勇者の3人が振り返ると、ディアとホリィが硬直していた。


「どうしたの? 帰りましょう」


 シュナが声をかけるが、2人は「あわわわわ……」と声にならない声を漏らすばかりだった。


「あー、これはユートのフィアー能力のせいだな」

「最後に弓を打ったのはカールだろ? カールのフィアーじゃないのか?」

「私は関係ないわよ。メテオストライクしか落としてないし、怖いお姉さんと思われたくないもの」

(……一番ハデに攻撃したのがシュナじゃねーか)


 元4英雄は、石のように固まったディアとホリィが動けるようになるまで待つ事となった。




-----


 逃げ去った山賊達が戻ってくる様子もなく、丘の上でのんびり夕日を眺める時間が続いた。


「あ、あの……勇者様、額の傷の手当てをさせてください」


 ようやく通常時の状態に戻ったホリイは。そう言った。


「あぁ、ハガーの時の傷の事か。ひっかき傷みたいなものだから全然大丈夫だよ」

「一応ですが父グレッグから回復魔法の基礎は学んでいます。どうぞ遠慮なさらず」


 そう言ってホリィは慣れない様子で呪文詠唱した。


「ひ……ヒーリングっ!」


 ホリィは元勇者の額の傷に手をかざし、その手は強い魔力で光り始めた。


「これは……凄い魔力だわ」とシュナ。

「さすがグレッグの娘、クレリックとしての素質は物凄く高そうだ」とカール。


 ホリィのかざす手の輝きはより強くなった。


「な……治れー! なおれー!」

「……気のせいかしら? ユートの傷口、ぜんぜん治っていくように見えないんだけど?」

「……確かに強力な治癒魔法は発動している筈なんだが……全然治ってないよな? どうなんだユート」


 元勇者も少し困惑した様子だった。


「何かが物凄く回復している気はするんだが……」

「でも傷口ぜんぜん変化無いわ。少しも塞がってないし」

「血とか滲んだまんまだし、しかし魔法は強力だ。一体何が治癒しているんだ?」

「なおれー! なおれー!」


 必死に回復魔法を唱え続けるホリィを、元勇者は制して止めた。


「うむ、随分と良くなった気がするよ。ありがとうホリィ」

「申し訳ありません! 私のヒーリングの魔法で勇者様の傷口は少しでも治せると思ったのですが」

「いや、ホリィの魔力を身を以って感じる事が出来た。グレッグにも取らぬ強靭な魔力を備えているよ」

「そ……そうですか? 傷、少しも治っていないのに?」


 シュナとカールは顔を見合わせた。


「何か変じゃないか?」

「なにか変よね?」


 元勇者は、意気消沈しているディアに声をかけた。


「どうしたんだいディア。随分と元気が無いじゃないか」

「私まったく役に立てなくて……アーティスの都合で山賊退治をして頂いたのに、王族の私は何をする事も出来ず、お邪魔なばかりで……」

「はっはっは。ディアがこの場にいる事が最大の功労じゃないか。王族であるディアが危険な前線にいる事が我々にとってどれほど勇ましい事か。山賊を追い払えたのもディアがここにいたからだ」

「そ、そうなんですか? 私もっと強く立派になります!」

「ディアには元気な姿が一番似合う。その元気さがアーティスの未来を築いていく事だろう」


 キリッとした笑顔を見せる元勇者。歯がキラーンと光った気さえした。

 シュナとカールは怪訝そうに眉を顰めた。


「もしかしてホリィちゃんの魔法、傷を治さずに……」

「ユートの歪んだ性格を直したのか?」

「HPを回復する魔法で、MPを回復したって事かしら」

「なかなかの変人っぷりだな……勇者の素質があるのかもしれないな」


 普段の猫背とは違い、凛と背筋を伸ばし毅然とした様相の元勇者は言った。


「さぁアーティス王の元に帰ろう。山賊を退け平和が戻った事を報告しなければならない」


 背筋と共に性格も真っ直ぐになった元勇者だったが、帰路の途中で疲労感が溜まると共に屈折した鬱気分の元の姿に戻っていった。

 結局、元勇者の額の傷にはディアが持っていた絆創膏を貼った。女子はなぜか絆創膏を持ち歩いているものだ。

 そうして些細なトラブルは終焉を迎えた。


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