「まだ元勇者は禍根の渦中」
「……まぁた変な夢を見たなぁ」
日当たりの悪い安アパートのワンルームで、中高年”ニイヅ・ユウト”は目を覚ました。
氷河期世代で就職浪人の憂き目に遭い、しばらくは実家暮らしのフリーターとして日銭を稼ぎ、ネット時代になると駆け出しのフリーランサーとしての活動を始めたユウトは、その仕事ぶりの評価こそ高かったが、税務署が調べに来るほどの利益も稼げない”器用貧乏”だった。フリーランスの仕事もネット黎明期にはまとまった利益が得られたが、単価は右肩下がりに安くなり、絶え間なく若手のライバルが出現し続け、ソースもデータも次々と新規格に刷新されていくので対応するのも一苦労だった。実家暮らしで家賃の心配が無かった頃はそれでもなんとかなったが、いまはそうではなくなっている。
実家暮らしをしていた若かった頃には在宅のフリーランサーという存在は珍しく、無職の引き篭もりのような目で見られながら「ユウ君はパソコンの先生」などと言われて何度も苦虫を噛み潰した。フリーランスの仕事が得られない時には日雇いのアルバイトに出たが、その理由の半分は実家に居辛かったからだ。日雇いのアルバイトに汗を流して日銭を稼いでも周囲からは底辺の仕事しか得られなかったという冷徹な目で見られた。
そんな時代も過ぎ去り、ユウトも歳を取って中高年となり、親と死別して実家を処分して僅かに残った遺産金で日当たりの悪い安アパートでの生活となった。フリーランスの仕事も日雇いアルバイトの仕事も稼ぎが悪くなって、僅かな遺産も予定以上の早さで減り続けている。
「それにしても馬鹿馬鹿しい夢だ。異世界ファンタジー世界で美少女に囲まれて無双するとか……最近はそんなゲームを遊ぶ暇も気力も無いっていうのに」
夢なのだから夢のような出来事を堪能するのは悪くない筈だが、ユウトは夢の中でも理性を捨てきれず高嶺の花のような美少女達に手を出せなかった事を不甲斐なく思った。
夢の中でもユウトは鬱をこじらせた偏屈な性格で、リア充には程遠かった。冒険者としてモンスター相手に無双しながら然程の評価もされず、魔王を倒したエンディングも散々なもので、その後の余生など哀れですらあった。夢の中なのに、まるで現実と同じじゃないかとさえ思った。
ユウトは点けっ放しのデスクトップPCの前に鎮座した。
ビデオ会議ソフトには「朱菜」と「カヲル」がログイン中である事が示されていた。
この2人はフリーランサー仲間で、幾つかの自主製作ソフト開発で手を組んだ事がある。2人とも実力は相当なものだったが、朱菜は性格に問題のある”逆サークルクラッシャー”で、カヲルは美人以外が対象の女たらしだ。既に結構長い付き合いとなるが全員が独身で未婚だ。この2人と共同開発した作品の幾つかは高く評価されたが、売り方が悪くて然程の利益にはならなかった。
ユウトはビデオ会議ソフトにログインした。音声通話だと歯止めが利かなくなるので普段はチャットで世間話をしている。
ユウト:おはよう。2人ともきょうは随分と早いな?
朱菜 :おはよう
カヲル:おはよう。
カヲル:そう言うユートも朝から起きているとは珍しいな。
朱菜 :どうせまたいつもの夢でも見たんでしょう?
フリーランサーでアパートに引き篭もっていると世間話の相手に飢える。朱菜もカヲルも世間話をする為に、暇がある時にはビデオ会議ソフトにログインしている。
ユウトは(以前にも夢で見た事を話していたっけ? 世間話のネタが尽きていても夢の話とかしないほうが良かったかも)と思った。中高年がファンタジックな夢物語を人に話すのは少々恥ずかしく思えた。
カヲル:実はオレ達もユウトの語っていた夢と似たような夢を
カヲル:見たという話をしていたところなんだ。
朱菜 :異世界で魔法を使ったり、ドラゴンが出てきたりwww
ユウト:夢で見た話しか話題の無い奴はつまらない人間だそうだぞ
朱菜 :それユウトの事じゃないwww
カヲル:ゲームの遊びすぎだぞユウトwww
ユウト:2人で草をはやすな。緑化かよ
ユウト:夢の話なんて、どうでもいいよ…
ユウトは朧げになっていく夢を思い返しながら、数々の行為に恥ずかしさを感じた。少女3人に翻弄されたり、夢の中でもウダツの上がらない中高年であったり、最後には格好つけてラスボスと戦おうとしてしまった。美少女に求婚された時に鼻の下が伸びていなかった自身は無い。そんな姿を朱菜やカヲルに見られていたなら一生の恥だ。
カヲル:オレの夢ではスニークミッションが結構多かったなー
朱菜 :私は夢の中でユウトと一緒にお風呂に入ったりしてたわ
朱菜 :貧相なフニャチンのユウトが私の身体をガン見してたわ
ユウト:うそをつくな。そしてとりあえず死んでくれ。
朱菜はかつてはインテリ美人だったが、女性フリーランサーが珍しかった時代からの古参なので男に口説かれる事も多かったようだ。それが災いして男嫌いとなり、結婚適齢期を過ぎる頃から急に婚活に目覚めたが時既に遅く、その結果として下品な処女ビッチと化したようだ。
ユウト:まぁ、特に良い仕事の話が無いなら、俺はそろそろログオフするよ
朱菜 :最近は呆れるほど単価の安い仕事しかないわよね
カヲル:若手がタダみたいな値段で仕事請けちゃうから仕事の価値が下がる一方だよな
ユウト:きょうも不景気な話ばかりだな
ユウト:じゃあ俺は落ちるわ。また暇な時に来る。
ユウトはそう言って”退室”ボタンをクリックした。
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ユウトはコーヒーをドリップしつつ、煙草に火をつけた。
日当たりの悪いワンルームのアパートで、一人孤独な生活を続けて3年以上経つだろうか。
少々の浮き沈みを経て独身中高年となったユウトの人生は、まだ若かった頃から全力で頑張り続けてきた筈なのに、振り返ると間違いばかりの空しい人生だった気がしてならない。それは夢の中で勇者となりながらも何も恵まれなかった”ユート”の姿とさほど違わないように思えた。夢の中なのに現実と同じ空しさが払拭できない事が悲しくあり、また(現実なんてこんなもんさ)とシニカルな気分になった。
一服吸い終わって、コーヒーメーカーからカップにコーヒーを注いだ。
インスタントも常飲しているが安売りで買ったコーヒー豆をドリップして飲む事は、独身中高年の寂しい日々の生活の中での数少ない贅沢だった。
ユウトがコーヒーの香りを堪能している時、急に耳鳴りがした。
(更年期障害か? それとも何か怖い病気でも発症してしまったのか?!)
中高年となると体調の異変に神経質になる。そして本当に何か悪い病気が発症してしまう事も多いらしい。特に耳鳴りは脳の障害などが懸念されるらしいし、普通の耳鳴りであっても”聴力は悪化したら元に戻らない”という情報をネットで見かけたばかりなので油断は出来ない。
(なんだこの耳鳴りは……?)
それは耳鳴りというより、何処か遠くから響く音のように聞こえた。
その音は次第に大きくなっていった。
(ん? この音……どこかで聞き覚えがあるような……)
その音は、遂に最大音量となった。
きゅぴーん、きゅぴーん!
それは”転移のオーブ”を使った時に鳴り響く、謎の効果音だった。
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日当たりの悪いワンルームの狭いアパートの一室の中央に出現したのは、異国の女性だった。
豊満な身体つきは現実の人間を超えた美しさ。金髪の長い髪、豊かな乳房が柔らかく揺れた。
ユウトは手に持ったコーヒーカップをテーブルに置いた。
長らく女性に縁の無かったユートの住むアパートの部屋に入った初めての女性。どこか見覚えはある気はするが、フリーランサーとバイトの日々では異国の女性と出会う機会など無い。
それにこの女性は玄関から入ってきたのではなく、突如目の前に”出現”したのだ。
「あ、あの……えぇっと……」
ユウトが言葉に詰まって口をパクパクさせていると、女性は飛びつくようにユウトに抱きついた。
「お久しぶりです、勇者様!!!」
「えっ、ち、ちょっと待って、勇者様って人違いでは……?」
「私の事を忘れちゃったんですか? それとも記憶までは”転生”しないものなんでしょうか?」
「て、転生……?」
いやいや俺はトラックにはねられた記憶は無いぞ?とユウトは状況を理解しようとした。しかし抱きつかれて押し付けられているスライムおっぱいの柔らかで甘美な感触に冷静に考える事が出来ない。……スライムおっぱい?
「もしかして、ライムなのか?」
「そうです! 嬉しいっ!!」
喜び余ってライムはユウトにキスをしそうな勢いで更に抱きついた。中高年のユウトの体力ではライムを支えきれなくなってベッドに押し倒された。
「で、でも俺が夢の中で見たライムより少し大人っぽいし、髪の毛も随分と長くなってるし……」
「それもこれも勇者様が私とハメハメしてくれないまま次元断層に飲み込まれてしまったからですよ!」
「は、ハメハメって。せめてチョメチョメ程度で抑えて欲しいというか」
「私は勇者様の求愛を受けられるのでしたらズッコンバッコンでも構いません!」
「いやいや俺は勇者じゃないし、とにかくもうちょっと状況を説明してくれないか?」
「……勇者様は覚えてらっしゃいますか? 私がホムンクルスである事を」
「お、覚えているというか、夢で見て知っているよ」
「私の身体の半分は魔法で生成されているので、普通の生命体のような寿命ではないのです。そのおかげで勇者様と再会できたのですが」
たしか朱菜……ではなくシュナの説明では「魔法生命体としての力が強くて寿命が未知数なのよね。エルフより長生きしちゃったらそれはそれで不幸でしょ?」と言っていた。
「それでも俺はユートじゃなくユウトで、ライムとは夢の中で出会っただけで、ユウトの俺は現実ではライムと出会っていない筈なんだ。夢が現実に飛び出してきたようで、正直まだ全然理解できないんだが……」
「後できちんと説明しますが、先ずは少し大人になった私の身体を”大人の女”にして頂けませんか? 邪魔が入る前に」
そう言いながらライムは押し倒したユウトの身体に手を這わせた。長く使っていない錆付いた下半身の一部が活気を取り戻しそうになる色香だった。
「ら、ライムはこんな子じゃなかった筈……いやこんな子だったけど、ここまで積極的じゃなかったと思うんだが!」
「だって私、勇者様を見つけ出す為に長い長い時間を旅してきたんです。ホリィちゃんやディアさんが来る前に、少しぐらいご褒美が欲しいです」
そう言いながらライムはユウトに覆いかぶさって抱きつき、頬にキスをした。
(あ、案外と色気が無い、というか子猫みたいなじゃれ付き方。この無垢な感じは確かにライムだ)
状況はまだ理解できないが、これが夢であってもそろそろ手を出してしまいたい欲求が高まってしまう。
狭いワンルームの部屋で2人きり、ベッドの上に押し倒されて我慢し続けるほうが無理だ。
(そうこれは夢だ。夢なんだから我慢しなくても……。いやまて”邪魔が入る前に”って言ってたな?)
再び部屋に謎の効果音が響いた。
きゅぴーん、きゅぴーん。
「勇者様! やっぱり生きていらっしゃったのですね!」と、ホリィが涙目の笑顔でユウトが押し倒されているベッドに飛び込んだ。
「ずっと信じていました! こうして再会できる日の事を!」と、ディアもベッドにダイブした。
「うわっ! ホリィにライムまで!?」
ライム程ではないが、ホリィもディアも夢で見た姿より少しだけ大人になっているように見えた。子供っぽさが抜けて一層良い女になったように見える。
美少女3人の肉布団の感触に、かつてルト・マルスと相打ちになって看病された時の事を思い出した。
……いや現実にはそんな経験はしていない。ユウトは就職氷河期世代のフリーランサーでしかなく、仕事の無い時はただのヒキニート中高年でしかない。テレビゲームでもそんなシナリオをプレイした記憶は無い。しかし何故か失血して冷えた身体を美少女3人の体温で救われた記憶が残っている。
「と、と……とても夢のような素晴らしい状況なんだけど、俺はユートじゃなくユウトだし、人違いだったら申し訳ないから、ちゃんと説明してくれないか?」
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3人娘をベッドに座らせ、元勇者はPC前のデスクチェアに腰掛けて、淹れたてのコーヒーを飲みながら説明を聞いた。
「勇者ユート・ニィツ様は、ネガティブ・ゴーストとの戦いで”消滅”してしまったのです」と、ディア。
「そりゃまぁファンタジーの世界でもトンデモ核爆発を繰り出したら、しんじゃうよなぁ」とユウト。
「勇者様の身体が消滅したのは、異次元に存在していた”ネガティブ・ゴーストの本体”まで攻撃が届いたからです。あの強力な一撃”デーモンコア・ブレイク”で時空間までブレイクしちゃっていたのです」とホリィ。
まるで夢のような話だが、夢の中から飛び出してきた美少女の言葉を否定する気は沸かなかった。
「時空間を貫いた事で、勇者様の身体は異次元に吸い込まれ、多分ですがネガティブ・ゴーストの本体を貫いた時に対消滅してしまったのだと思われます。マイナスの存在を勇者様というプラスの存在が打ち消したのでしょう」とライムは言った。
「じゃあやっぱり俺……というかユートは死んでいるじゃないか」
その疑問にホリィが説明を続けた。
「父グレッグが言うには、人の死には2つあると話していました。ひとつは肉体的な死、もうひとつは精神的な死、です。ネガティブ・ゴーストの被害がそうであったように、人は心が尽きれば死人のようになってしまいます。鬱になったらお風呂に入るのも面倒になってしまうのは、身体が健康であっても精神が弱まれば生命力が下がってしまうからです」
「急に俗な説明になったなぁ判りやすいけど」
「勇者様の場合、身体はネガティブ・ゴーストで異次元で対消滅してしまいましたが、精神までは消え去らなかったのです」
「つまり……どういう事だってばよ?」
「勇者様の精神が生き続けている事は明白だったので、私達はその精神を追いかける事にしたのです」
「なんだか抽象的な話だけど、つまりユートの魂が異次元に消えたって事だろう? 追いかける事なんて不可能じゃないか?」
ライムが説明に加わった。
「そこで私の”未知数の寿命”が役に立ったのです。最後の戦いの時に勇者様が託してくださった”転移のオーブ”で勇者様が消え去った異次元の断層に転移し、私自身の時の流れを極限まで遅くして、”異世界の何処かに飛ばされてしまった勇者様の精神の波長”を探し続けたのです」
波長を感じ取るスキルはサッキュバスのサッちゃんに教わったのだろう。
ディアが説明を付け加えた。
「私とホリィちゃんは、異次元に転移したライムちゃんが”何処かの現実世界”に出現した時に、そのライムちゃんの位置に転移できる”新型・転移のオーブ”を用意して、その時を待ち続けました。私達の世界の時間でも3年は経っています」
「ライムちゃん一人だけ異次元を漂ってもらうのは危険だし、どれほど時間がかかるかわからない事だったのですが、他に良い手段も無くて……」
ホリィが申し訳なさそうに言う言葉をライムが遮った。
「それぞれの異次元並行世界の時間の概念では数千・数万年の時の流れだったと思うのですが、私自身は極限まで体感時間を遅くしていましたし、寿命も定まっていないホムンクルスなので結構平気でした……勇者様と再会できる事を信じていましたから。様々な平行世界の歴史を傍観しながら勇者様の波長を探していたので退屈もしませんでした」
ユウトは何かを言おうとして、絶句した。
全てを理解できたわけではないが、本当の話であればライムは元勇者の為に身を犠牲にして異次元に飛び込み、永遠にも近い長い長い時間の中を一人で元勇者の波長を探し続けていた事となる。
「そうしてようやく見つけ出せたのが、この異世界に転移した勇者様の精神というわけです」
「現代日本を異世界と言っちゃうのかぁ……」
ユウトの呟きに、ライムが反応した。
「この世界では、いまは何年の何月何日ですか?」
「言っても判らないだろうけれど、聖暦20xx年、零和x年の……???」
ユウトは言いながら困惑した。いま言った年号は、何かが違っていなかったか?
「では、いまこの世界でメジャーな神様って誰ですか?」
「世界三大宗教と言えば、仏教、イスラム教に、グリスト教だよ……って”グリスト”?!」
「あの戦いで勇者様が完全に死んでいなかった事の証明が魔王ゴグです。魔王は召喚の呪縛から開放されなかった事で存在が不確定なものに変異して、しかし魔王の人間の世界を支配しようという欲望によって時空間の秩序が僅かに狂ったのです」
「いつかのんびり世間話をしたいと思った事もあるが、よもや魔王ゴグ・グリストが神様になっているとは……」
そう呟いた時、ワンルームの一角に人影が現れた。
「愚かなる勇者・ユート・ニィツよ、我が名を呼んだな。再び遭い見える事が出来て嬉しく思うぞ」
「Oh……。こんな日当たりの悪い安アパートに神様まで出てくるのか。こんな事なら毎日きちんと掃除しておけば良かった」
「貴様が何時まで経っても覚醒せぬので我も少々退屈しておったところだ」
「かつての魔王が神様とは、正に世も末だな。まぁ日本では疫病神も貧乏神も神様だけど」
「我は八百万の神よりも人間の世界に深く関わる心積もりであるが故、この召喚の呪縛が解かれた暁には世界に一層の荒波を立てて惑う人間共を眺めて楽しむつもりだ。愚かなる勇者の僕でいるのも、それまでの余興のようなもの」
「こりゃ俺もうっかり死ねなくなったな。これまでどれほど人間の歴史を狂わせてきたのやら」
「我はそなたの呪縛があるが故まだ何もしてはおらぬ。まぁ我の名を用いた人間が勝手に世を乱していたようだが、それもまた良い余興であった」
「つまり……俺はいま神様を使い魔にしてしまっている事になるのか。この現実の世界ではしがないフリーランスのフリーターでしかないというのに」
ユウトは現状を認識するにつれ気が重くなっていった。
自分は夢の中での勇者ユート・ニィツではなく、ただの一般人でしかないニイヅ・ユウトでしかない。美少女や神様(元魔王)が出て来ても、自分には不相応にしか思えない。
「……そなたは気付いているか?」
「何がだ? ……神様」
「そなたは我を呼ぶのに”魔王”で構わぬ。そして感じはせぬか? 過去の禍根の残り火を」
「過去の禍根の残り火?」
いまユウトが感じるのは自分自身の中にくすぶる欝な気分だけだ。美少女とも釣り合うとも思えず、神となった魔王とも対等とは思えないユウトには、いま目の前の光景も夢か妄想にしか思えなくなってくる。
「……まるで”死の影”が未だ何処かにいるような気分はするけどな」
自嘲気味にユウトが呟くと、3人娘と魔王ゴグの表情が険しくなった。
「やはり勇者様は転生なされても勇者様ですね!」とディアは声を高めた。
「勇者様、私達の戦いは未だ決着がついていなかったのです!」とホリィ。
「時空間の狭間で見てきた無限の平行世界の最果てに、真の敵がいるようなのです」とライム。
「魔導師でもないセシルという男がネガティブ・ゴーストという我をも超える異形異質の災厄を独力で編み出せるとは思えぬ。セシルの持つ禍根の闇に惹かれ、セシルが闇の化け物を作り上げるよう何者かが暗に誘導していた可能性は高いであろう」と魔王ゴグ。
呆気に取られているユウトに、ライムは女神のような美しき微笑で言った。
「その未知なる恐怖を打ち倒せるのは、かつて絶望を退けた勇者ユウト様だけなのです」
「そんな筈はないよ、残念ながら。俺は勇者じゃないんだ……」
「ですが私達の”希望”なのです。勇者様を探し続けた長い年月の間に無限の平行世界・異世界を見てきましたが、勇者様はそれら全ての世界の中で唯一あなた一人しかいないのです」
ライムは時も空間も飛び越えてユウトを探し続けている。その人知を超えたスケールは本物の女神と言って差し支えないのかもしれない。その女神の如き存在がユウトを”希望”と呼ぶ事に怖気つきそうになった。その年月で口調も自然になり、美しき金髪も長く伸びてはいるが、確かに数々のセクハラ展開でスキンシップを取っているライムだった。
凛とした笑顔でディアが言った。
「この世界にはマナもネガティブ・マナも少ないので真の敵は別の異世界にいる筈ですが、その異世界が何処か判れば”新型・転移のオーブ”でこの世界にもアーティスにも自由に行き来できます。大賢人のワン・セボンさんも新型オーブの開発を手伝ってくださいました」
ホリィも言葉を続けた。
「それに私達の勇者様を思う気持ちは微塵も揺らいでおりません。3年ほどの時が流れた事で歳の差も少しだけ縮まりましたし、異世界の何処かにはそういった杞憂を感じずに済む世界もあるかもしれません。勇者様が望むなら私達の誰でも、全員でも構わないのですよ」
3年成長した元・小娘達は以前より一層”女の逞しさ”が増したように感じ、ユウトはたじろいだ。
狼狽するユウトの背後から声が響いた。
カヲル「なんだか面白そうな話になってきたな。オレも協力するぜ!」
朱菜 「最近ストレス溜まってて、派手にブチかましたい気分なのよね」
どうやらビデオ会議ソフトの退室ボタンを押し間違えて、チャットではなく音声通話状態になっていたらしい。Webカメラでこちらの様子は丸見えだったようだ。
「お前達、俺の見た夢の話を馬鹿にしていたんじゃないのか?」
朱菜 「私は私の視点からの夢しか見ていないからユウトの夢の事なんて関係ないわ。イケメンの魔王様がいるほうが常に現実なのよ」
カヲル「オレも似たような夢は見ていたが、オレが見た夢の話をしてもユウトはオレを馬鹿にしただろう? お互い様だよ」
魔王ゴグがユウトに問うた。
「話は簡単だ。この運命と戦うか、戦わぬか。──これからの世界を選ぶのは、元勇者である”ユウト”だ」
……沈黙。
ホリィ・ディア・ライム・魔王ゴグ・朱菜・カヲル。
誰もがユウトの答を待っていた。
その沈黙も長くは続かなかった。
ユウトの「はぁ」という深い溜息で途切れた。
そして自嘲気味に、少々ヤケ気味に、ユウトは言った。
「やれやれ」
その場の全員がユウトの無気力な台詞に笑みを浮かべた。
「元勇者でしかない俺がどれだけ頑張ってもトゥルーエンドに辿り着ける保証なんてないんだぞ。それでも構わないなら中高年の俺も頑張るしかないじゃないか」
『勇者様ぁ!!!』
3人娘が歓喜の表情でユウトに抱きついた。
ワンルームの安アパートでくすぶっていた現実も、子猫のように抱きついてくる美少女3人の笑顔の為なら捨てられる気がした。そして勇者の世界でもこの現実の世界でも囚われて払拭できなかった過去の禍根を対消滅させるほどのトゥルーエンドを目指さなければ人生という長い冒険の旅の帳尻が合わない気もした。
「魔王ゴグ、俺はこの運命を戦わずに終わらせるつもりは無い。真の敵がいるというなら抗えるなら抗いたい。まだ召喚の盟約が終わっていないなら使い魔として俺と一緒に戦ってもらうぞ」
「フフフ、やはり貴様は最も愚かで、だからこそ面白い人間である。御し難くとも文句は言うなよ」
きゅぴーん、きゅぴーん、ドガーン!!!
謎の効果音と共に、安アパートが揺れた。
「なんだ? こんな時に地震か?」
窓の外に巨大な影が見える。概ね察しはつくが、ユウトは窓を開けた。
「貴様との決着は未だついておらぬぞ。それに未だ戦いが終わっていないのであれば我の力も役立つであろう。目障りな敵がいるならばそれを打ち倒し、邪魔者がいなくなった時に貴様と決着をつけようぞ!」
「よもや火竜グラムドリンガーまで転移してくるとは……。元気そうで何よりだが、電線には気をつけろよ・あと翼でそこらの建物にぶつからないようにしてくれ。この世界は窮屈な町並みなんだ」
住宅街に響き渡った轟音と振動で近所の人が巨大な火竜を目撃し、その誰もがスマホで動画撮影を始めていた。少し離れたところからクラクションも響いている。このままでは町中がパニックに陥ってしまう事だろう。
「グラム、とりあえず俺たち全員を乗せて飛んでくれ。朱菜とカヲルと合流したい」
「愚かなる人間風情が我が名を気安く略すな。しかし見知らぬ異世界の空を飛ぶのも少しは面白かろう」
ユウトは近所の目を気にする事無く美少女3人をはべらせて巨大なドラゴンの背に乗った。
その様子を見ている人々は口をぽかんと開けたまま呆然とするばかりだった。
グラムドリンガーが羽ばたくと、近所の建物の窓が揺れ、瓦屋根がカタカタと音を立てた。
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そうして新たな冒険が幕を開けた。
現代世界、”死の影”の災厄があった世界、そして真の敵がいるであろう異世界を股にかけた新たなる冒険の旅は数々の伝説と珍事を生み、しかしその顛末を見届けた者は僅かしかいなかったという──。
──「元勇者は禍根渦中」── おしまい




