「勇者だけがいない世界」
「勇者様っ! 勇者様ぁぁぁー!!」
ホリィ、ディア、ライムの3人はネガティブ・ゴーストの消え去った爆心地の周囲で涙声を上げ続けていた。
戦いが終わり世界に平穏が取り戻されてから数時間、青空はオレンジ色に染まり始め、西日は地面に突き刺さった元勇者の剣の影を長く伸ばしていた。その影は傾いた十字架のように見えた。
「ユート、いるならそろそろ顔を出せよ!」
カールも必死に元勇者を探していた。障害物の少ない荒野なので元勇者が姿を現せばすぐにわかる筈だが、その兆候は無かった。攻撃による激しい大爆発の影響で吹き飛んだ土砂に埋まっているのではと地面の起伏さえ確認したが、見つけ出す事は出来なかった。
世に平和が訪れた事を確信したアーティス国王は魔導師を派遣して探知魔法で元勇者を探させた。しかし何の反応も得られないまま時が流れた。
「……そろそろ日が沈むわ。街に戻りましょう」
「シュナはユートの事が心配じゃないのか?」
「カールもわかっているでしょう? あんなトンデモ破壊力の攻撃を繰り出したらユートでも身が持たないって事を」
「そういう事は出来るだけ考えたくないんだ」
「なにしろ物理攻撃の通用しない敵を消滅させた程の攻撃を放ったんだもの。その反動は技を繰り出した当人が一番受ける事になるわ」
カールは元勇者の最後の攻撃が如何に無茶をしていたかを思い返した。多重分身攻撃はそれだけで十分に必殺技と呼べる強力な攻撃で、それ故に肉体的に莫大な負荷がかかる。その負荷に耐えて2倍から4倍、4倍から8倍と更に多重に分身し、最終的に64倍もの多重分身をしていた。技を放つ前に身体が負荷に耐えかねて全身の骨が粉砕骨折しても不思議ではない程の無茶をしていた。その上で超精密攻撃を繰り出す”デーモンコア・ブレイク”を放てば、技が成功しても失敗しても元勇者は致命的なダメージを受ける事は明白だ。
「しかし、しかしこんな時だからこそ希望を持ちたいじゃないか。ユートなら何かヘンテコな理由で生き残っていそうじゃないか。しょーもない冗談を言いながらひょっこり顔を出しそうじゃないか」
「私もそうならいいと思うけど……希望は御都合主義を叶える為の屁理屈じゃないわ」
そう言うシュナの表情は沈痛なもので、カールも異を唱え続ける事が出来なくなった。
途切れた会話に、魔王ゴグが割り込んだ。
「確かに勇者ユート・ニィツは消滅したようだな。私との戦いに決着がついた時も、勇者ユートは指の1本も動かせぬ程だった。その私よりも異質なネガティブ・ゴーストを打ち倒したのであれば、無事に生きている筈は無い」
魔王ゴグの傍らに火竜グラムドリンガーが舞い降りて言った。
「空から見渡してもそれらしきものは見つからなかった。これ以上出来る事も無いようだから、ワシは先に帰る事にするぞ。もし”火吹き山”までの道程にあやつの姿を見つける事があれば舞い戻るが……いや余計な期待をさせるべきではないか。ワシは希望が絶望に変えられる事の無い事を堪能して長き眠りに付く事にする。もう愚かな人間と関わる事もないだろう。さらばだ」
そう言って飛び立つグラムドリンガーは名残惜しそうにも見えた。
火竜が飛び去った後、3人娘が集まってきた。その顔は涙で目を真っ赤にしていた。
シュナは敢えて感情の無い声で3人娘に言った。
「そろそろ街に戻りましょう。暗くなったら何も出来ないわ」
しかし3人娘は頑なに拒んだ。
「勇者様がいないのに、私達だけ帰れません」
「まだこのどこかで勇者様が私達の助けを求めているかもしれません」
「私達、勇者サマトノ約束ガ残ッテイルノデス!」
カールも中高年の大人として3人娘を窘めなければならなかった。
「もう日が沈むから、暗くなったら探し出す事は無理だよ。それにもし無事ならユートのほうから顔を出すだろう。だからきょうはもう帰ろう」
しかし3人娘たちは首を縦には振らなかった。
「私達、きょうはここにテントを張って残ります。勇者様と再会する約束を果たすまではここを離れたくないんです」
その気持ちはシュナもカールも同じだった。しかし空を切り裂き成層圏まで達するような馬鹿げた特大必殺技を放ち、その爆心地のド真ん中にいながら無事とは到底考えられなかった。
再び魔王ゴグが話に割り込んだ。
「勇者ユート・ニィツの肉体が滅んだ事は間違いないであろう」
「魔物の王様には人の心なんて微塵も無いようだな」とカールは悪態をついた。
「ネガティブ・ゴーストと共に勇者ユートが消え去った事は間違いの無い事だ。奴の波長も感じられない。この世に勇者ユート・ニィツは存在していない事は確実な現実である」
その言葉にホリィ・ディア・ライムの3人は子供のように泣き出した。
悲痛な泣き声の合唱、重い空気に誰もが俯いた。
しかし暫くの間を置いてから、魔王ゴグは言葉を続けた。
「……しかし勇者ユート・ニィツが死んだのであれば、我は召喚の呪縛から開放され完全復活する筈である。しかし一向にその様子が無いのは一体どういう事なのか?」
その言葉に誰もがきょとんとした。
確かに元勇者が死んだのであれば、ネガティブ・ゴーストを倒しても、魔王ゴグが人類の敵となって世界を恐怖に陥れている筈なのだ。
しかし魔王ゴグは元勇者と共闘していた時と変わらぬ様子で、しれっと3人娘やシュナやカールと一緒にいる。
「えっ……なんでだろーぉなんでだろ? なんでだなんでだろー?」と、カール。少しパニックに陥ったらしい。
珍妙なカールの口調を無視して魔王ゴグは淡々と言った。
「そもそもネガティブ・ゴーストは物理攻撃も魔法攻撃も通用しない謎の敵であった。我々が見ていた影の姿は本当にこの世に存在していたものなのか、それとも冥府や魔界のような別の世界の存在の影だけがこの世に映し出されていたのか、それさえも判らぬ。その存在さえ曖昧な謎の敵を消滅せしめた勇者ユートの攻撃が何処に届いて何を倒したのかも皆目判らぬ」
「たしかに攻撃が一切通用しない敵にダメージを与えられた事が不思議だわ」とシュナは首をかしげた。
「常識ではありえぬ莫大な攻撃を一転に集中して放った勇者ユートの攻撃は、この世界だけで受け止められるようなものではなかったのかもしれぬ。例えばこの人間の住まう世界から魔物の住まう魔界に届く程の破壊力だったのかも知れぬ……つまり勇者ユートの攻撃はこの世界を飛び越えたネガティブ・ゴーストの本体が存在する別の世界まで達していたのかも知れぬ」
「それってつまり……どういう事だってばよ?」と、カール。混乱して口調が変になっているようだ。
「どういう事かは、我にも判らぬ。勇者ユート・ニィツは”死の影”と共に滅んだ。しかし我の存在は未だ勇者ユート・ニィツの召喚の呪縛から解放されておらぬという事だけは現実である」
その話に3人娘達の涙も止まっていた。
「魔王さんガ復活シテイナイトイウ事ハ、勇者さまガ生キテイルトイウ事……?」
「否、勇者ユートは確かに死んでいる。しかし我との召喚の契約は続いている。度を越えた愚かな人間の事は……よく判らぬ。最後の最後に小癪な事をしてくれたものだ勇者ユート・ニィツ。召喚が解けねば我の完全復活も不可能ではないか、フフフフフ……」
そう言いながら魔王ゴグ・グリストは夕闇の西日に溶け込むように姿を消した。
「常識的に考えれば、天を貫く常識外れの攻撃力に耐えられる人間なんていないわ。ユートは死んだ事は確実なんでしょうね。……でも魔王様の言っていた事が本当だとしたら、ユートは死んだのに死んでいないという意味不明な事になっちゃうわ」
シュナは悲しんでいいのか希望を持っても良いのか全くわからなくなったようだ。
その様子にカールは言った。
「シュナはあの魔王をモノにしたいんじゃなかったのか? もう姿を消してしまって何処にいるのかわからなくなっちまったけど」
「あぁッ! イケメンの魔王様がいないッ!! こんなところで無駄な時間を浪費している場合じゃないわ! 私は魔王様を追いかける旅に出るから、後の事は任せたわ!!!」
そう言うとシュナは即座に何らかの魔法を唱えて魔王ゴグの居所を探そうとし、曖昧な目処も掴めないまま”転移のオーブ”を取り出した。きゅぴーん、きゅぴーんという謎の効果音と共にシュナは姿を消した。
元勇者と共に戦っていたグラムドリンガーと魔王ゴグが姿を消し、ついでにシュナも姿を消して、残された”元・元勇者チーム”は呆然と夕日が沈むのを眺めた。
「……やはり私達はこの場に残り、テントを張って様子を見る事にします」と、ディア。
「そうか……まぁ急に受け入れられる事じゃないし、オレもどうすればいいのか判らないし、諸悪の根源は消滅したばかりだし、女の子が3人で野宿しても危険はなさそうだし。気が済むようにしたらいいと思うよ」
そう言うカールもこの状況をどのように受け止めればいいのかわからないでいる様子だった。
元勇者を探していた魔導師や連合軍の兵士達も次々と撤退していた。消えた元勇者に対して出来る事は何も無かった。
(──しかし冒険者ユート・ニィツも、魔王との戦いで報われなかったツケを再び世界を救う事で全世界に本物の勇者だった事を見せつけたんだ。本当に死んじまったんだとしても、きっと本望じゃないかな……)
それはカールの願望でしかなかったが、せめて元勇者にとって少しでも報いとなるラストである事を願った。
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”死の影”ネガティブ・ゴーストが消滅した翌日。
誰もが目覚めると窓から見上げ、空の色が青く輝いている事と太陽が見える事に「昨日の出来事は夢じゃなかったんだ」と思った。喜ばしい気分が湧き上がり、そのポジティブな感情が何者かに吸い取られてしまうのではという不安を感じ、しかしそのような兆候も感じられない事に、安堵の笑みを浮かべた。
誰もがこれまで失われていた”当たり前にあった幸せ”を感じ、その有難味を全身で感じていた。
”死の影”への恐怖と、希望が絶望になってしまう事が無くなっただけで、人々の暮らしが激変する事は無かった。
世界は総じて不景気なままで、数ヶ月の季節が止まったような灰色の空の影響は農作物などに長く響くだろう。
実際、希望が絶望に強制変換されなくなっただけで、希望が増えたわけでも絶望を感じなくなったわけでもない。当たり前の気分に戻っただけなのだ。
しかしそれだけの変化であっても3日ほど経つと人々は活力を取り戻し始めた。
かつて”希望の暁”によって悪徳商人が幅を利かせていた商人ギルドも中小の商人が活発に活動するようになって不正行為が行いにくくなり、動脈硬化状態だった市場経済が活気を取り戻す糸口となりそうだった。
季節が戻った事で農耕なども忙しくなっていった。この世界の原始的な経済を支えている農作物は”死の影”によって数ヶ月分の損失となっていたが、その損失を取り返そうと農民達は精力的に働き始めた。作物が実を付けるまでの長い時間が常に好天に恵まれる筈も無かったが、その不安を超える希望と行動で埋め合わせようと労を惜しまなかった。
人々は”死の影”で失われていた希望と、それを奪われて倍加した絶望によって失われていた活力を取り戻し、抑圧された心が反動で余計に解放されたように活発に行動した。
1ヶ月も経つと、世界は何事も無かったかのように活気を取り戻していた。
市民が復興に尽力を尽くし、各国が市民の生活を支援し、廃れた世界が元に戻される事で復興特需に似た景気の良さが生まれた。それはまるで不景気を吹き飛ばすような勢いだった。
一方で魔物が出現して人を襲い、稀に山賊や強盗が人を襲う事も増えていった。しかし魔物はかつてのように魔王ゴグに統率されているようではなく野生動物に似た危険度でしかなく、山賊も”狼煙獅子団”のような統率された狡猾な組織ではなかった。それらを討伐する為に冒険者を雇おうとする需要も増えた。
数ヶ月が過ぎ、まるで魔王が人間の世界に進軍を始める前のような世界に戻っていた。
それはつまり絶望もあるが希望もある世界だった。
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そして更に月日は流れた。
「……ユートが死んで1年か」
淡々と、カールは言った。
「正確には”ユートが消えてから1年”ですけどね」
淡々と、シュナが訂正した。
元勇者が死んでいたならこの日は一周忌だった。カールとシュナはそれぞれ”転移のオーブ”でふらりと”死の影”ネガティブ・ゴーストと戦った地に赴き、そこで2人は再会したのだ。
地面には、元勇者が使った剣が突き刺さったままだった。やはり墓標のように見えた。
「ユートが死んでいたとしても結局は葬式もしなかったから、なんだか死んだ気はしないよな」
「お葬式は3人のお嬢ちゃん達が頑なに拒んでいたから何も出来なかったのよね」
「まぁ葬式は金がかかるから、ホームレス状態だったユートには無理だっただろうけどな」
「お香典を掻き集めればお葬式ぐらい出来るんじゃないの?」
親の介護で苦労して激太りしたカールは、そのあたりの事情には詳しい様子だった。
「火葬にしても土葬にしても埋める土地は必要だから、まず墓場の土地代が必要だ。そして素人が勝手に亡骸を埋めるわけにもいかないから葬祭専門のクレリックに頼む事になるが、これにも結構な金がかかる。その時に戒名というホーリーネームを付けるのが一般的だが、それにもまとまった金が必要になる」
「随分と詳しいのね。私はまだ若いから知らない事だらけだけど、死人から金を巻き上げるなんて随分酷い商売ね」
「ホーリーネーム代をケチったら結構ショボイ名前しか与えてくれないから、葬式代をケチっても戒名代をケチらないほうが良かったりするし、逆にホーリーネームなど要らないと開き直る人も増えてきているらしい」
「戒名代をケチったら、どれぐらい変わるのかね?」
「単純に文字数が減るらしい。例えば”天元突破ユート”が”冒険王ユート”とか”ZZユート”になったりする」
「最後のは逆に言葉数が増えてないかしら?」
「実際にはもっとちゃんとしたホーリーネームが付くんだろうけど、そこまではオレも詳しくないからなぁ」
他愛も無い駄法螺話をするカールとシュナの足元を空っ風が通り過ぎた。
ネガティブ・ゴーストが消え去った記念日として世界の各地では賑やかな祭りが催されている筈だが、2人は何も無い荒野で地面に突き刺さった剣を眺めながら他愛も無い話をするばかりだった。
「大金が必要なら、おいそれと死ねないわね」
「まぁ大金があっても別に死にたくは無いけどな」
「そういえばユートったら、手持ちのお金も蓄えもほとんど全部使っていたらしいのよね」
「ユートが負けるつもりで戦いに挑むワケはないが、こういった展開も予見していたんだろうな……。戦う前にユートが開いた食事会も相当なお金を使い込んで開いたらしいが、いま思えば最後の晩餐のつもりだったのかもしれないな」
「あまり盛り上がったパーティとは言えなかったけれど、ユートにとっての最後の晩餐だったのならもっと楽しげに振舞ってあげれば良かったわね……」
「いや、あんな程度の和気藹々で十分だったと思うよ。ヒネクレたユートの事だから、カラ元気ではしゃいで見せてもスグにバレるだろうからな」
「それはそうね。人間不信で孤独でいる事を好むようなポーズを取りたがるくせに寂しがり屋の構ってちゃんだから、そういった嘘はすぐにバレちゃうでしょうね。自分では常識人ぶっていたようだけど結構面倒なタイプの変人よ」
「そりゃあ変人でなきゃ”死の影”もろとも空まで一刀両断できないって」
シュナとカールは元勇者の陰口を叩きながら笑った。空っ風と似たような少し乾いた笑い声だった。
「そろそろオレは帰る事にするかな。高級品の”転移のオーブ”を無駄遣いしたくないから、ここにくる事も当分無いだろう。……そういえばシュナはあの魔王ゴグを追いかけていたんじゃないのか?」
「それがなかなか上手くいかなくってねぇ……。魔王様が存在する波長はしばしば感じ取れるんだけれど、滅多に遭遇する事は無いわ」
「滅多に無いという事は、時々はあるのか? 魔王と会うような事が」
シュナは魔王ゴグが現れた時の事を思い返した。
それはシュナが気まぐれに元勇者が消え去った状況を調べようとしていた時の事だった。
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シュナは元勇者が剣だけ残して消え去った事に幾許かの疑問を抱いていた。
「そもそもネガティブ・ゴーストの存在を、魔法を司るマナとは正反対の”ネガティブ・マナ”だったと考えると、そんな”魔法の源の逆のもの”にダメージを与えられたという事が意味不明なのよねぇ」
マナは魔法という非実在のものを具現化する為のエネルギーとするならば、ネガティブ・マナも同様の性質を持っていると考えるのは自然な事だろう……但しその効果はプラスではなくマイナスに作用し、現実のプラスのエネルギーを受けても全て膨大なマイナスに打ち消されてしまう。更にセシルの特殊魔法で人々の心の中のプラスの感情をマイナスに変換し続けるという特殊効果が付与されているのだ。
もし元勇者が”死の影”を倒せなければ世界中からプラスのエネルギーが奪い尽くされ、人々が絶滅した後も気温や運動エネルギーなどが失われ続け、希望だけでなく全てのエネルギーが奪われ続けていたかもしれないし、それによって世界は永久凍土より酷い事になっていたかもしれない。
それに対しての元勇者の攻撃は完全にプラスのエネルギーだった。瞬間的にネガティブ・ゴーストのマイナスのエネルギーを上回るプラスのエネルギーを打ち込んだのだとすれば、マイナスのエネルギーを失った”死の影”が消滅するのは必然だろう。しかしそうであるなら元勇者が剣だけ残して消え去った事が謎となる。自分の必殺技の威力で自滅したと考えればつじつまは合うが、ならば地面に突き刺さった剣が然程ダメージを受けずに残った事が謎となる。
「……別にアラ探しをしてまでユートが生きてる可能性を探っているわけじゃないんだからね」
誰にでもなく自分に言い聞かせるようにシュナは無駄なツンデレ台詞を呟いた。
その独り言に、誰かが応えた。
「あの愚かなる勇者はもうこの世にはいないと言った筈であるが、そなたは聞いていなかったようだな」
空中にふわりと姿を現したのは、魔王ゴグ・グリストだった。
「ま、魔王様……私と結婚してくだしあッ!」
突然の魔王の訪問に、シュナは欲望だだ漏れの言葉を発した。慌てて舌がもつれた。
魔王ゴグは、シュナの珍妙な言葉に動じる事無く言った。
「我の透けている姿を見れば判るとおり、我もこの世に完全に実体化しているわけではない。未だ勇者ユート・ニィツに召喚された状態のままであり、これは我の力では如何様にも出来ぬ」
「それはつまり、使い魔とか幽波紋のようなものでしょうか?」
「使い魔はともあれ、スタンドは我の知らぬ概念である。我は勇者ユートが死ねば契約の呪縛から開放され元の姿に戻っている筈である。しかしそうなっていないのだ」
シュナは考えた。そして言った。
「ユートが生きているから魔王様が完全に実体化できないのなら、生きているユートを殺さないと! でないと私が魔王様と結婚できないわ!」
殺意の波動に目覚めそうになったシュナだが、さすがに「いやいや、そーゆー事じゃないわよね多分」と思いとどまった。口から出た言葉は引っ込まなかった。
魔王ゴグはシュナの奇妙な暴言もノーリアクションでスルーした。魔界の王は人間を愚かしい存在と認識しているので、本当に愚かなシュナの発言も”人間とはそーゆーものだ”と考えている為だ。
「魔物の命の定義は簡単だ。存在を認識されれば生きているのと同じなのだ。現在の我の存在も認識されぬのであれば幻と同じになってしまう事であろう。魔法やマナが認識されなければ扱う事が出来ないように、魔物も認識されなければ幻の存在となってしまうであろう」
「私はソーサラーとして魔法を扱いますし、魔王様は確かにここにいらっしゃいます。魔法の存在や魔王様の存在を疑う理由などありません」
「しかし時が流れマナや魔法が非現実的なものと思われてしまう時代が来るやも知れぬ。さすれば我の存在も幻か妄想と捕らえられるやも知れぬ。しかし人の命は魔物や魔法のそれとは違うようだ」
「人の命は生きているかどうかというだけの、認識によって左右されるものよりもっと単純なものではないんですか?」
「愚かなる勇者ユート・ニィツは確かに死んでいる。しかし我が完全復活できないこの現実は、果たして単純に捉えるべき事であろうか? もしくは単純と思う以上に簡素な自然の摂理なのであろうか?」
「……私にはその問いに答えるだけの知識が無いようです」
魔王ゴグは何処か遠くを見るような眼差しで微笑した。
「この曖昧で愚かな人間の世界を我が支配するという野望を叶えるには長い時間がかかりそうだ……フフフ」
魔王の姿が薄れ、消えていった。
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「時々というより、魔王と遭遇したのはこの1回きりね」とシュナは残念そうに呟いた。
「回想シーンでも、やっぱシュナは気持ち悪い事を言うんだな」とカールは率直な感想を漏らした。
魔王ゴグが未だに”元勇者に召喚された存在”でしかない事も不思議だったが、根本的なところも謎だった。
「どうして魔王はわざわざシュナなんかのところに出現して、そんな謎掛けみたいな事を言ったんだ?」
「謎がすぐに解けるなら誰も苦労しないでしょうね。それに私には”ユートは確かに死んでいる”という事を念押ししに来たように思える時もあるわ」
「まぁ常識的に考えて死んでいるんだろうけど、攻撃の爆発規模が大きすぎて死んだ瞬間も見えなかったし、遺品も剣1本の他には痕跡すらないから、どうにもユートが死んだ気分になれないんだよなぁ」
「別に仲が良かったわけじゃないけれど、腐れ縁の同世代と死に別れる事を認めたくない気持ちがそう思わせているのかもしれないわね。だって私、ユートみたいな死に方イヤですもの」
「確かに。自分の放った攻撃の破壊力で死んだら事故死じゃなく自殺みたいなもんだし、そうなる事を予見せずに死んだのならうっかりミスにも程がある。世界を救えていなければ、ただの馬鹿って事になっちまう」
「冒険者なんて、馬鹿じゃなければ務まらないわ」
「そうだな、オレ達も馬鹿だったな」
2人は自嘲気味に笑いあった。
「英雄に憧れ人々を救い自分を犠牲にして未知のモンスターと戦い続けても、平凡な幸せからは遠ざかってしまう。ユートやオレ達はその当たり前の現実から目を背け続けて青春時代を終えてしまったんだろうな、侵略者である魔王への義憤を言い訳にする事で」
「義憤からの正義も何年も続けば感覚が麻痺するし、それまでの苦労や努力が邪魔をして後戻りできなくなっちゃう。私達は直前で魔王と戦う事をやめてしまったけれど、ユートだけは後戻り出来ずに戦い続けてしまった。逃げた私達も馬鹿だけれど、逃げなかったユートは私達以上に馬鹿だったわ。あの時一人で魔王と戦わず後戻りしていれば、ネガティブ・ゴーストと戦って死ぬような事にもならなかったかもしれない」
「ユートが一番平凡な幸せを望んでいたのに、過去の禍根に囚われて平凡な幸せから最も遠い人間になっちまった。結局僅かな名声と引き換えに死んじまったんだから、冒険者ユートの物語は悲劇なのかもしれないな」
「せめてユート自身が悲劇と思わず全力で戦った事に満足していてくれればいいと願うしかないわ」
「そうだな。こんな事にならなくてもユートの末期は孤独死一択だっただろうし」
2人ははぁと溜息をついた。
ついつい自分が死んだ時にはどうなるかを考えてしまう。出来るだけ理想的な死でありたいと思ってしまうが、そもそも死という事を望んでいない。しかし年齢を重ねるほどそれは自然と近付いてくる。そして避ける事は出来ない。そしてシュナもカールも独身なので、臨終の時に付き添う身内もいない。元勇者の死は他人事ではなかった。
シュナはボヤいた。
「人生設計、完全に間違えていた場合はどこまで後戻りすればいいのかしら……」
カールもボヤいた。
「オレも独身貴族を謳歌したつもりだったが、結局はユート同様に孤独死になるかもしれないなぁ……」
2人がグチグチ語り合っているこの時も世界のあちこちではネガティブ・ゴーストが消えた記念日を祝う祭典が催されて賑わっていた。世界中の人々の失われた”希望”の心が取り戻された記念日を祝う祭典は明るく活気に溢れ笑い声の絶えない賑やかな祭となるのは必然だった。──それはかつての元勇者の日常とは真逆だったが、それを知るのは元勇者の近くにいた僅かな人々だけだった。
シュナとカールは元勇者の遺品となった剣の墓標をしばし眺めた後、”転移のオーブ”で帰っていった。
剣の突き刺さった荒野に風が吹いた。
こうして元勇者ユート・ニィツの冒険の物語は幕を閉じた。
…。
……。
………。
きゅぴーん、きゅぴーん。
「この剣が唯一の手がかりね。危険だし可能性は低いけど」
「ドレホド時間ガカカルカ判リマセンガ、唯一ノ方法ダト思イマス」
「私達の冒険はこれからですね。必ず探し出して見せます!」
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そして時は流れた。
元勇者のいなくなった世界は、当たり前の世界となっていた。
元勇者の武勇は過去のものとなり、伝説となり、歴史の一行となってゆっくりと薄れて消えていった。
平和な時代と不穏な時代を繰り返し、しばしば世を乱す悪漢が猛威を振るい、それを討伐する勇者が現れた。未曾有の大災厄に人々が恐怖し、それを救う冒険者が現れた。
時が流れ、世界は開拓され続け、魔物は次第に数を減らし、魔法は呪術の如く妖しいものとされて廃れていった。
やがて文明は進歩し、科学が発展し、冒険者も廃れていった。それは世の中の日常から危険が減った事の証左であったが、代わりに科学を用いた戦争も起きるようになった。人と人が争い、誰かの為に誰かが戦った。そうして得られた平和な時代の先には再び騒乱の時代が訪れた。
そうして元勇者ユート・ニィツの名はこの世界から消え去り、未来永劫に亘ってその存在を語る者はいなくなった。




