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元勇者は禍根渦中  作者: 数ビット
42/46

「ネガティブ・ゴースト」


 各地をふらふら旅しながら元勇者は(何かがおかしい)と感じていた。


(おかしい……スマ水晶でセシルとの戦いが配信されて、世間的に俺は有名人になっている筈なんだが……)


 いや別にバズって人気者になって広告塔のようになって小銭を稼ぎたいわけでもなく、子供の将来なりたい職業が「勇者」になる事を望んでいるわけでもない。


 しかしどの街に行ってもセシルと戦かって勝利した事に誰も反応を示さなかった。実は誰もスマ水晶を見ていなかったのでは?と思うほど。一応はアーティス王も軍の魔導師達もスマ水晶で元勇者の戦いぶりを見ていたと聞いているし、その映像は更なる魔術で記録されいつでも見る事が出来るようにもしているという話だった。


 おかげで元勇者は宿屋に泊まって静かな日々を堪能する事が出来た。元勇者が商人を襲ったという噂も完全に消え去っているようでもあった。そもそも元勇者が”スマ水晶”の中の映像で激しい戦いを繰り広げていた人物と同じだと誰も気付いていなかった。


(それにしても、世間に活気が無さ過ぎる)


 最初は祭の後のように街の人々がにぎわっているのだろうと思っていたが、どの街に行っても人々に活気が感じられない事が何日も続くと嫌でも何事かあったのではと思ってしまう。

 繁華街や宿屋や酒場で人間観察をしていると、活気の無さは高齢者よりも若者のほうが深刻のように思えた。老人はさほど変わりは無いが、若者や子供に元気も活気も無い。たまに子供の笑い声が聞こえても、すぐに笑うのをやめて疲れた表情になってしまう。


(まさかこれがセシルが命を費やした特殊魔法なのか?)


 疑念は確信になりかけ、すぐにただの疑念に戻った。どうにも確証が無い。


「まぁ、争い事も無くなっているし平和と言えば平和なんだが……」


 確かに世の中から争い事は減り、魔物の出現さえ珍しい事となった。

 しかし世間の不景気は一向に収まる様子も無く、人々の暮らしに明るい話題も無かった。


「……平和っぽくないのが空模様なんだよなぁ。ずっと薄曇りで、あの戦いからきょうまで一度も青空を拝んでないぞ」




-----


 セシルが塵となって消滅してから2週間、”ヘルズドア”を中心に大陸全土が灰色の空に染まり続けていた。


 寒期から春へと移り変わる季節風の流れが乱れ、噴煙の塵が大陸中の空に広がった。雲ひとつない天気でも太陽は霞んで見え、小雨が降ると街の建物が汚れた。弱まった日差しは春の暖かさは感じられなかった。


 その被害は農家を直撃した。田畑の土は固く、種を蒔いてもなかなか芽が出ず、苗を植えても育ちが悪かった。全く育たないというわけでもなかったが収穫量に悪影響が出る事は明らかで、大陸中の農家が同様の状態だったので春先だというのに飢饉の心配が払拭できなかった。


 ”希望の暁”が事実上壊滅しているのに不景気は収まらなかった。元々しっかりした経済で成り立っていたわけではない世界で労働対価である大金が火山のマグマの中に消えてしまった後、それを補うような活気は生まれなかった。

 マグマの底に消えた大金の多くは悪徳商人の稼ぎだったが、悪徳商人を介して取引をしていた中小の商人達または悪徳商人も加わっていた商人ギルドにも影響は及んだ。”希望の暁”という後ろ盾を失った悪徳商人達はこれまでのように荒稼ぎする事もできなくなり、その下で仕事を請け負っていた多くの普通の商人達の仕事も減った。


 とはいえ飢饉が起きるのは暫く先の事であり、商人達の仕事が全て無くなったわけでもない。灰色の空が晴れるだけで季節は春めき農作物も育っていく事だろう。

 そして暗躍していた”狼煙獅子団”と”希望の暁”が壊滅した事で世の中から不要な騒動が無くなり、事実上の「平和な世の中」になったと言えた。


 しかし世の中が平和になったのに、人々から活気は失われていった。

 その原因はわからないが、特に若者達の思考がシニカルで悲観的になっていく傾向が見受けられた。望みや欲や理想などが急にくだらない無価値なもののように感じる若者が増えていった。その傾向は若者だけでなく大人にも確実に広がっていった。変わり映えのしない平和な毎日を生き続ける空しさ、不景気が当たり前の日常になっていくのを受け入れるしかない無力感。誰もが理想や希望を夢想してもすぐに下らない妄想にしか思えなくなっていった。



 その状況はアーティス王国も同様だった。海洋資源や輸入品で経済が成り立っているアーティスでは季節や天気の影響は少ない筈だったが、市民の活気は緩やかに失われていた。


 しばらく様子を伺っていたアーティス王だったが、3週間経っても青空が戻らず市民の活気が失われ続けている事を憂慮し、ある事を指示した。

 ”ヘルズドア”の再調査である。


 セシルと元勇者の戦いの時に遠征した精鋭部隊を再結集させ、セシルが発動したと思われる特殊魔法がどのようなものだったのかの手がかりを探すように命じた。また魔導師には戦いの時に使われた”スマ水晶”の幾つかを使えるようにするか持ち帰るよう指示した。


 そして調査隊は”ヘルズドア”に向かった。




-----


 調査隊はヘルズドアの近くの廃村に設置されているポータルに転移し、3週間前にセシルと元勇者が戦った地に向かって移動した。


 調査隊とはいえ何が起きるのかわからないので完全武装した格好であり、ただの移動でも結構な体力を浪費する。また火山帯にある”ヘルズドア”の地形は複雑に隆起して歪んで、僅かな丘を乗り越えるだけでも苦労を強いられた。


 幾つかの小高い丘を登っている時、兵の一人が呟いた。


「なんだか、随分と薄暗くないか?」

「俺も気になっていた。景色の暗さとは別の薄暗さが目の前にへばりついているような……」


 兵士達は視界の悪さに気付いて動揺したが、しばらくすると気にするほどの事でもないという気分になっていった。急に行軍する事も面倒に感じ、視界の悪さもどうでもいい事のように思えた。

 兵士達は次々と急に湧き上がった疲労感に襲われ、調査隊は行軍を止めた。

 兵の精鋭が集められて結成された部隊なのに、急に気力が尽きて行軍をやめるという事は異常な事だったが、誰もがそうだったので誰も異常と思わなかった。周りもそうだから自分もという集団バイアスも働いたのかもしれないが、無気力になった兵士達は小高い丘の上で無為に時間を過ごした。


 どれほど時間が経ったのか”目の前の薄暗さ”が幾分収まってきた頃、兵の一人が声を上げた。


「あ、あれは……何だ?」


 小高い丘の上で呆然と佇む兵士達は”ヘルズドア”の景色を眺めた。暗い灰色の空の下に連なる小火山からマグマの不気味な赤い光が漏れていた。


 兵士達はしばらく”それ”に気付かなかった。

 そして気付いても目の錯覚か何かだろうと思おうとした。

 しかし”それ”はたしかにゆっくりと動いていた。


 ”それ”は、小火山を越える大きさの人影だった。


 巨大な人影は、とても薄い(もや)のようなものだった。ピントが合っていないかのように曖昧な薄い影だったが、邪悪な暗黒騎士を思わせる形の人影だった。その影を形作るものは何処にも無く、ただ巨大な影がゆっくりと移動していた。その動きはとても遅く、ふと見ただけでは止まっているかのようだった。


「まさか先程の薄暗さは、この巨大な人影がこの部隊の目の前を通り過ぎていたからなのか?」


 誰かの呟きは、この場にいた兵士達全員が思った事だった。

 しかし気力を失った精鋭部隊は巨大な影に対して何をする事も出来ず、ただ呆然とするばかりだった。




-----


 数日後、ようやく精鋭部隊はアーティス王からの君命である”ヘルズドア”の再調査を終えた。


 アーティスに戻った兵士達は軒並み覇気を失っていた。兵士であるのに気力が失われていた。


「……これは一体、どういった事だ」


 報告を受けたアーティス王は遠征に出なかった魔導師を集めて状況を解明するよう命じた。また遠征部隊が再調査の際に発見した使用済み”スマ水晶”の術式の解析も命じた。同様のものがあれば遠方の地の定点観測に使えるからだ。


 状況解析の報告には数日の時間を要し、その間に他国からの情報もアーティスに伝わってきた。各国で情報を共有して”ヘルズドアで何が起きているのか?”を把握しようと考えたのだ。同盟国でもない国からも賛同と協力があった事からも現状の「春が来ない灰色の空」が大陸全土または全世界に広がる深刻な問題となっている事の表れだった。


 アーティス以外の幾多の国も”ヘルズドア”の調査に赴き、そして巨大な人影を目にしていた。その目撃情報は早い段階で目撃した話ほど影が薄く巨大なもので、アーティスの精鋭部隊が目撃した時にはそれより影が濃く、大きさも一回り小さくなっていたようだ。それでも数百ヤードはある身の丈の巨大な人影だ。そんなものが”ヘルズドア”から何処かに徘徊しているのであれば(ただ)事ではない。


 アーティス王は呟いた。


「これがセシルが命を賭して発動した特殊魔法であろうが……相手が”影”では如何様(いかよう)に対処すれば良いものか」


 大陸の各国はすぐに追加の調査を行った。

 それぞれの国が巨大で曖昧な人影を調べ、”ヘルズドア”周辺の街や村を調査した。しかし調べているうちに気力を失っていく為に調査は遅々として進まなかった。


 そしてセシルが消滅して2ヶ月が経とうという頃、ようやくある程度の推測がまとまった。


 巨大な人影はセシルの発動した”希望を絶望に変換する特殊魔法”の副産物もしくは特殊魔法の効果そのものであろう──というのが各国の魔導師の出した推論だった。

 アーティス王はセシルの末期を元勇者から事細かに聞いており、その情報とシュナが調べていた”セシルのデスノート”に書かれていた未完成の術式の情報、そしていまも尚ゆっくりと何処かに移動し続ける巨大な影、その影が日を追う毎にピントが合うかのように又は密度が高くなっていくように薄闇が濃くなって少しずつ背丈が縮んていき、その影が通過したと思われる”ヘルズドア”近辺の街や村が壊滅していた事などから、巨大な人影は世界中の人々から”希望”を吸い取った結果として発生したものではないか?と推測したのだ。


 しかし各国の魔導師も気力というものを失いかけており、実体の無い影が実態の無い”希望”というものを吸い取っているという確証も得られる筈が無かった。

 既に春の最中のはずなのに空は2ヶ月ずっと灰色に染まったままで気温もさほど上がらず、人々の不安も晴れないままだった。誰もが不安と無力感と無気力に苛まれている時に、その原因であろう巨大な影に近付いて調べている兵士や魔導師が何の影響も受けない筈も無い。巨大な影がセシルの特殊魔法の結果というのもとりあえずの仮説に過ぎなかった。


 わかっている事は「巨大な影に近付くと気力を奪われる」という事と、「巨大な影が通り過ぎた街や村の人々はまるで生命力を吸い取られたかのように死んでいた」という事、そして「影に矢や投擲で攻撃をしても当たらず効果も無い」という事だけだった。


 この曖昧で巨大な影に、各国の魔導師達は「ネガティブ・ゴースト」と名付けた。




-----


 「ネガティブ・ゴースト」に関して、世界各国の魔導師よりも村人などの噂話のほうが情報精度が高かった。

 噂話なので信憑性は乏しかったが、兵士でも魔導師でも「ネガティブ・ゴースト」に近付いて調査しようとすれば気力が薄れ理知的に考える事が出来なくなってしまう。遠くからその姿を眺め、近くで被害に遭った人から話を聞いている一般人のほうが幾分だけ謎の巨大な影が何なのかを理解していた。


 世間では謎の巨大な影は「死の影」と呼ばれていた。


 「死の影」は、近くにある村や街に向かってゆっくりと移動し、夜闇に紛れて人々の住まう場所に覆いかぶさって人々の心を喰らう。心を喰われた人々は考える事も動く事も出来なくなってそのまま死に至る。既に幾つかの村々が滅んでいるらしい。


 また「死の影」は存在するだけで世界中の人々の気力を吸い取っており、未だ収まらない不景気の一因も「死の影」であると考える人は多かった。噂では不景気と無気力が蔓延している事で自殺者も増加傾向にあるらしいという話さえあった。


 更に根も葉もない噂となると枚挙に暇が無いほどだった。「死の影」の顔に一つ目が開く事があり目が合うと死ぬとか、「死の影」は何体もいて大陸のあちこちで人を襲っているとか、「死の影」が現れてから出生率が低下したとか、実は人間サイズの女形の本体がいて口にマスクをつけており「わたし綺麗?」とか言いつつ馬車より早く走るとか。


 そんな噂も活気を失った人々の間では言葉少なげに語られる程度で、ただ人々の共通認識としては「セシルと元勇者の戦いが終わった時に世界は終わってしまったのだ」と感じている人が多いようだった。


 山賊は姿を消し、悪徳商人も不景気を理由に廃業したり隠居したりしていて、魔物の出現率も激減していた。モンスターさえ気力のようなものを失って活発に人を襲うような事が減っていた。


 セシルと元勇者の戦いから2ヶ月が過ぎ、世の中から巨悪というものは無くなった。しかし同時に希望というものも失われ、人々は平和な日々さえ涅槃の世界のように感じていた。誰もが生きる目的を見失っていた。「死の影」は人々の心に暗い影を落としていた。


「絶望した! まるで悪徳商人じゃないか!」


 元勇者は人材派遣ギルドの窓口で思わず声を上げた。


「派遣バイトの初日だから気持ちはわからんでもないが、50代で職歴無しのオッサンでなくとも、手取りとしてはコレが普通なんだよ」


 人材派遣ギルドの事務員は淡々と言った。


 元勇者は世の中の不景気を身を以って知るという口実と、貯金が少なくなってきた事と、気まぐれで、日雇いバイトをやっていたのだ。冒険者としてのスキルしか持たない元勇者に斡旋できる仕事は少なく、結局は馬車に荷物を積む為のピッキング作業のアルバイトをする事となった。


 ピッキング作業は比較的簡単な仕事であったが、真っ当な労働経験の無い元勇者は現場のローカルルールを覚える事にも手こずり、あたふたしている間に1日の作業が終わってしまった。魔物に的確にダメージを与える技術も、岩をも砕ける攻撃力もまるで役に立たず、むしろ戦闘では使わない筋肉を酷使した事で身体はガタガタだった。現場では仕事の後半では「ポンコツ」というあだ名をつけられる程の「日雇い労働者LV1」だった。


「しかし日給10Gという話だったのに、手取りが6Gとはどういう事だい?」

「中抜きだなんて思わないでくれよ……いやまぁ中抜きと言えばそうだが、アンタが仕事から逃げ出した時に代わりの働き手を捜す手間代とか、アンタを現場に案内して仕事を教えたり、アンタが仕事でミスして物損事故を起こした時の賠償金を立て替える為とか、仕事を斡旋するのにも結構金がかかるんだよ」

「そ、そうなのか知らなかった……。でも派遣先から直接雇用なら手間代も差し引かれずに10G頂けるんだよね?」

「いまどき直接雇用なんて滅多にないよ。特に”死の影”が現れた頃からね」

「……”死の影”? あの戦いの後に現れたという噂の?」

「あの戦いの後から世間にちっとも金が回らなくなっちまった。払う給料の分の金が世の中からゴソッと消えちまったんだ。金が無いから仕事が無い。失業者が増える。じゃあ少ない金しかない世の中で雇用を増やすにはどうすればいいか?っていうと、仕事の需要と供給の間にもうひとつ”斡旋”という余計な仕事を増やすしかないのさ。”死の影”が現れてから誰もが平等に中流以下の稼ぎになっちまったのさ」


 事務員は顔をしかめながら言った。とても給料を4割も中抜きしているとは思えない被害者っぷりの表情だった。

 元勇者は貯金こそ底が見えてきて焦りも感じていたが、いますぐ金が必要というほど困窮しているわけでもない。年下の事務員に少しはチクリと嫌味を言いたい気分が沸いた。


「それでも何人も派遣して中抜きしていれば結構な稼ぎになるんだろう? 働く労働者より働かずに斡旋するだけで稼げるなら良い商売じゃないか」

「そう思うだろう? しかしそんな事を考える商売敵が次から次と湧き出して稼ぎは減るばかり、しかも何かトラブルが起きれば保障料がかかるし面倒な仕事も増える。予定していた人員が当日ドタキャンで欠勤されるだけで大騒動さ」


 どうやら人材派遣ギルドなどというものも、派遣業の同業者が働き手を奪い合う為に出来たギスギスした組織のようだ。


「ははは、やっぱり楽な商売なんて無いものだなぁ」

「こんな事を話すのもアンタに長期で働いてもらいたいからさ」

「まさか、ロクに職歴も現場経験も無いアラフィフ独身のオッサンなのに?」


 事務員は元勇者が現場で「ポンコツ」と呼ばれていた事を知っていたが、真顔だった。


「派遣では仕事が出来るかどうかより、真面目に仕事に来て真面目に働いてくれる事が一番重要なんだ。もともと肉体労働なんて若者には人気の無い仕事だし、例の”死の影”が現れてからは若い人材は殆どいなくなっちまった。中高年でも未経験でも派遣先で文句を言わずに働いてくれれば十分なのさ」


 なるほど、と元勇者は思った。派遣先で使えない奴と思われても、契約上はきちんとフルタイム働いていれば派遣会社は儲かる。仕事が出来るかどうかは派遣会社にとってはそれほど重要ではないのだろう。せいぜいクレームが来ない程度に働いていれば”三方一両損”といった感じなのだろう。もちろん仕事をバリバリこなせば”三方一両得”という事にもなるのだろうが、日給が上がるわけでもないので労働側の得は少ない。


「どうだい? 明日も働くなら良さそうな現場を紹介するぞ?」


 そう言われて元勇者は困惑し、曖昧に断ったが事務員は本気で勧誘してきた。なるほどこれが人材不足というものかと思ったが、結局「別の日に気が向けば」という事で誘いを断った。

 元勇者としても日雇い労働は思っていたより居心地がよかった。派遣仲間には冒険者崩れもちらほらいたし、中高年でフリーターをやっている者も多かった。現場の仕事に合うか合わないかという博打要素はあるが、フリーランス冒険者しか職歴の無い元勇者でも引け目を感じる事がない仕事があるという事が有難かった。……とはいえ中抜き4割でポンコツ呼ばわりされるのは気分の良い事では無かったし、日雇いで現場が日替わりでは「労働者LV」の経験地稼ぎもレベルアップも難しそうではあったが。


(結局は”死の影”とやらのせいで不景気が当たり前の世の中になりつつある……という感じか)


 まともな就労経験のなかった元勇者でも1日なんとか仕事が出来たのも”死の影”の影響で仕事の現場にそれほど活気が無かったからだ。そんな現場でもポンコツと言われたのだから元勇者はかなり仕事の出来ない部類だったようだが一応の日銭を稼ぐ事は出来た。


 元勇者は稼いだ日銭を酒場で使ってしまおうと考えた。経験地稼ぎで雑魚モンスターを倒し続けた1日の何分の1だろうか。僅かな稼ぎでも無駄遣いしなければいずれ役立つのかもしれないが、”死の影”の事も噂でしか知らず、世間の様子ももう少し知りたいと思ったのだ。世間を知るには人の集まる酒場が手っ取り早い。


「酒場……だよなココは? 夕食時も過ぎているというのに随分と静かだな?」


 元勇者の言葉に誰も反応しなかった。普段なら客で賑わっている筈だが、数人の客が酔い潰れているだけだった。


 元勇者はわざと大きな音を立てるようにしてカウンター席に座った。

 数分の静寂の後ようやくマスターらしき男が姿を見せた。


「いらっしゃいませ……と言っても出せる料理は限られているがな」


 無愛想と言うよりは無気力なマスターの態度に、元勇者は戸惑った。


「も、もしかしたら閉店時間だったのかな?」

「……いや、店は開けているが、なにしろ食材の入荷が滞っていてね。”死の影”が出現してから食料の流通量も減ったし、酒を飲みに来る客もどんどん減っていって、いまではこんな感じさ」

「広い店内に客が3人しかいないぞ。しかも皆が酔い潰れてる」

「あぁ、この近くの農家さ。苗を植えても育たない、種を蒔いても芽が出ない、いくらか育っても実が()る程には育たないんだから、そりゃあ酒を飲んで酔い潰れたくもなるだろう」


 元勇者は手近にいた農家の男に声をかけた。


「やはり、あの戦いの日から続く灰色に曇った天気の所為かい?」

「だろうね。他に何があるって言うんだい」

「曇り空で例年より肌寒いとはいえ、少しは春っぽい気温になってきているじゃないか。これから育つんじゃないか?」

「そうなら良いんだが、どうやら土も枯れてきたようだからな。”ヘルズドア”から飛んできて空を灰色に染めている火山灰がジワジワ畑を汚染している所為で苗も育たないんじゃないかって噂さ。だとしたら農家にゃどうする事も出来ない」

「そう簡単に諦めてもらっちゃ消費者の俺も困る。いずれ問題が解決する時が来るかもしれないんだから、それまで深酒で身体を壊さないでくれよ」


 農家の男は愛想笑いをしようとして顔を引きつらせ、上手く笑えず酒をあおり、テーブルに突っ伏して動かなかった。酔い潰れたいが酒で逃避しきれないといった様子だった。


 元勇者は再びマスターに話しかけた。


「まさか大陸中の農家がこんな状態じゃないだろうな? なにか噂は聞いちゃいないのかい?」


 マスターは死んだ魚のような目で元勇者を見つめ、ボソボソと呟くように答えた。


「噂も何も食材不足で食事も出せないこの酒場を見れば判るだろう。市場に買い出しに行っても食材は乏しく値段は上がる一方さ」


 景気が悪いのに物価が上がっているのなら、経済に疎い元勇者でも良くない状況だとわかる。

 元勇者はこの状況の打開策を考えようとしたが知識が足りず、結局エールを一杯飲み干しただけで酒場を後にした。




-----


 冒険者時代にもあまり立ち寄らなかった縁の薄い宿場町で数日を過ごしていた。

 世間が”死の影”の影響で活気が失われていても不景気でも、人々は仕事をして食事を取り一応の生活が成り立っていた。しかしそれは不景気前の蓄えを切り崩して保たれているに過ぎず、これからいつまで灰色の空の日々に耐え続ける事が出来るのかは誰にもわからなかった。


 元勇者は宿場町の宿に戻った。連泊しているが旅の者で賑わう事も無く、まるで空き家のように感じる時さえしばしばあった。普段から客が少ない様子だったが、この日は元勇者の他には誰もいないようだった。誰とも顔を合わさずに2階の部屋に向かった。


「まぁ……静かで孤独な時間は慣れているけどね」


 呟きつつ部屋に入り、ベッドにダイブした。

 簡単なアルバイトでも慣れていない事を延々とやって些細なミスで怒られ続けるのは酷く疲れが溜まる事だった。中高年になれば尚更だ。若い現場リーダーにペコペコするのは苦ではなかったが、若者のスピードに合わせて若者の機嫌を損ねないよう仕事をするのは精神的にも疲れる。ピッキング作業が簡単であっても仕事が簡単なわけではなかったようだ。


 一方で常に命の危険を意識しなければならない冒険者家業とは違うという気楽さも感じた。冒険者として魔物と戦う時は雑魚であっても気が抜けないが、バイトではせいぜい労災レベルだ。”労災レベル”を”せいぜい”と言える程の差があった。冒険者家業には責任者も現場猫もいないが、バイトなら死の危険は少なく誰かが助けてくれる可能性がある。


「きょうは日雇い労働というものを経験してみたが、明日はどうしようかなぁ。そろそろ温泉付き砦に戻って壊れた玄関をDIYしようかなぁ」


 流浪の旅を謳歌するつもりだったが、活気の無い街や村を眺めても退屈なだけだった。

 退屈な日々は、魔王を倒してから子娘達が現れるまでの3年ほどの間に飽きるほど経験している。それこそが元勇者にとっての日常なのかもしれなかったが、せっかくフラフラと旅をしているのだから孤独な日常とは違った日々を過ごしたくもあった。


 寝る前に一服をと煙管を取り出そうとした時、窓が開いた。


「お久しぶりです、勇者様」


 ふわりと2階の部屋の窓から侵入してきたのはサッキュバスのサッちゃんだった。コスチュームによっては背中に小さな羽根が付いている事もあったのだが、羽ばたかずに空中浮遊する事も出来るようだっちゃ。とはいえ電撃攻撃などは出来ないようだっちゃ。


「これはこれは、お久しぶりです」と元勇者は棒読みで返事をした。

「山賊セシルとの戦いの様子は、私も”スマ水晶”で見ていましたよ。案外と苦戦なさられていたようでしたが、これで勇者様の役目は全て終わって完全にフリーの身になられたという事ね」

「完全にフリーの身か……まぁ、そうだな」


 魔王も悪党もいなくなり、元勇者が戦うべき対象は無くなった。”死の影”が世間に暗い影を落としているが、これは異常気象や天災に似た自然災害のようなものだ。


「ですのでそろそろ、気を抜いても宜しいのではないですか?」


 ふわりとサッちゃんがベッドの上に乗り、寝転がっていた元勇者の上に重なった。

 元勇者は拒もうとしたが、拒む理由が見当たらなかった。


「サッキュバスも仕事熱心だな。俺の相手なんかしても得にはならないだろうに」

「お忘れですか? 私が勇者様の精気を得れば魔王様の復活が僅かに早くなりますし、私も気持ちの良い事は大好きですし、勇者様にとっても私と快楽を分かち合っても魔王様がすぐに復活できるわけでも無いのですから、誰も損しないんですよ」


 サッちゃんの身体が肉布団のように元勇者の上に重なった。服を通しても柔らかい身体とその体温が伝わり女の艶かしい匂いが香った。

 元勇者はバイト疲れでサッちゃんを突き飛ばすような気力も沸かず、成すがままの格好だった。覆いかぶさるサッちゃんの乳房が目の前で揺れ、思ったより小さな手が元勇者のシャツの中に滑り込んだ。


「それに世の中はすっかり静かになってしまって、誰が何処で何をしていようが気に止める人もいなくなりました。アーティス王国絡みのトラブルも片付いて、若い娘さん達もいません。大人の男と女が身体を重ねる事も自然な事。もう勇者様には拒む理由も無いんですよ。こうして身体を重ねているのに何もしないほうが不自然というものです」

「勝手に身体を重ねてきたのはサッちゃんじゃないか。俺は人並みにフリーターというものを経験してきたばかりで疲れているんだ」

「あら、身体のほうはまだ元気があるようですよ。(しず)めたほうが、ぐっすりとお休みできると思いますよ」


 そう言いながらサッちゃんは服を脱いだ。元勇者の服も捲り上げられ、サッちゃんが抱きつくと肌と肌が吸い付くように密着した。


「こんな戯れは勇者でなくとも誰もがやっている事ですよ。誰もが秘密でやっている事です。それに魔物とはいえ私も女、拒まれるのは女の恥ですし、女にも性の欲はあります」


 サッちゃんは腰を動かし元勇者の下半身に重ねた。すっかり錆付いていたと思っていた部分が痛むほど硬くなり、下着の薄い布越しにサッちゃんの秘部と密着した。


「勇者様、いまやらないで、いつやるんですか?」


 元勇者は(いつやるか?今でしょ!)と思ったが、ちょっと古いかもなぁと思った。

 言われた事に反論できないのは、サッちゃんのいう事がどれも正しいからだった。元勇者は決まった恋人も伴侶もいない独身で、魅力的な3人娘も義理と道理をわきまえて手を出さなかっただけだ。勇者は女を抱いてはいけないというルールも無い。むしろ冒険者の多くは女遊びを好む者も多かった。年齢差の大きなホリィ・ディア・ライムのように義理立てする必要も無く、経験豊富すぎて逆に手を出しにくいアレクのような気苦労も無い。魔物相手なら事後の責任も取らなくていいようだし、その魔物のほうから求められての事だ。

 それに色恋沙汰のイニシアティブは常々女性のほうにあるものだ。いまや元勇者はまな板の鯉となっていた。


「これからやる事は誰にも秘密ですし、私はサッキュバスですから、どんな楽しみ方にも応じられますよ。勇者様が若い娘をお望みでしたら、このように姿を変える事も出来るのですから……」


 サッちゃんの姿がゆらりと霞み、ホリィの姿になった。全裸のホリィが半裸の元勇者の腰の上に跨っているような格好だ。透き通るような肌は幾度か目にしたホリィの柔肌そのままで、体温まで同じに思えた。


「抱き心地まで本物そのままの快楽ではありませんが、本人には出来ないような激しい事を楽しまれても大丈夫ですよ」


 ホリィの姿がディアに変化した。サッキュバスの幻術であろうがホリィとディアの僅かな体重差まで再現された変化はとても偽の姿とは思えなかった。ディアの引き締まった肌が元勇者の身体に密着し、理性が頭の中で麻痺していくように感じた。ディアの姫としての気品と若々しい少女の張りのある肌が元勇者の股間に押し付けられた。


 そしてライムの姿に変化した。


「勇者サマニ抱カレル事ヲ望ンデイルノデス。女トシテ扱ワレタイノデス。私ヲ”女”ニシテクダサイ。イツデモ、何度デモ」


 布越しに密着した股間に湿気を感じた。ライムの姿をしたサッちゃんの身体が密着したまま蠢き、下着がなければ硬く張り詰めた性欲がライムの腹の中に挿入してしまいそうだった。


(まぁ、こういうのもいいかな……)


 こういった事への経験レベルは人並みを少々下回る元勇者は、このまま雰囲気に流されてしまうのもいいように思った。拒む理由も無いようだ。据え膳喰わぬはなんとやら。


 いよいよ元勇者も我慢するのをやめて、自ら下着を脱いで事を致そうか……と身体を動かそうとした。サッちゃんが肉布団として重なったままではパンツが脱げない。


「ちょ、ちょっと身体をずらしてくれないかな?」


 恐る恐る元勇者はサッちゃんに言ってみた。サッちゃんはしばらく元勇者の身体の上で密着を堪能したままで、抱き合ったままでは行為を始められないと気付いたのは元勇者が再び「ちょっとどいて?」と言い直した後だった。


「あ、あらゴメンナサイ。下着を着けたままじゃ始められないのに……サッキュバスの私がこんな事で流れを止めちゃうなんて恥ずかしいわ……」


 サッちゃんは本気で狼狽した。男を誘惑し精気を吸い取るサッキュバスが、誘惑した男に指摘されるまで手際の悪さに気付かなかったのだ。恋人同士の事であれば気に留める必要も無い些細な事だが、本職の床上手である筈のサッキュバスにとっては大失態だった。


 戸惑うサッちゃんの姿を見ているうちに元勇者の理性も復活していった。雰囲気によってはすっとぼけてラッキースケベの続きを楽しみたい気分もあったが、少し気になる事もあった。


「もしかして魔物のサッちゃんも”死の影”の影響を受けてる?」

「えっ? そ、その……最近ちょっと集中力が低くなっちゃう事は増えましたが……」

「なるほど……どうやら”死の影”は人間だけじゃなく魔物にも影響するようだな」


 サッちゃんが普段より落ち着いた雰囲気で迫ってきたので元勇者も色欲に流されそうになったが、それが”死の影”の影響によっての事であるならば安々と準じるのも釈然としない。セシルの呪いの特殊魔法のおかげで女を抱けたとしても何の価値があるだろう。


 元勇者はセシルの最後の言葉を思い返した。「これからの世界はユート・ニィツが選んだ世界だ」という言葉だ。

 セシルの言っていた事が本当であるならば、世界から希望が吸い取られて絶望に変換され続ける。つまりは世の中からポジティブな事が失われ、ネガティブな事が当たり前になってしまう。不景気も活気が失われた人々もネガティブな世の中のままでは情況が好転する可能性も低そうだ。とはいえ実体の無い影が相手では対処のしようも無い。


「いまの世界のこの状況、どうにか出来るものなんだろうか……?」



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