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元勇者は禍根渦中  作者: 数ビット
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「SEKAI GA OWARU」


 夜が明けたが、大陸の中央に位置する火山地帯”ヘルズドア”は噴煙が空を覆って昼夜もわからぬ様相だった。太陽の光が噴煙と火山灰で隠され、溶岩の赤い光が空を覆う塵に反射して照り返し、まるで血に染まっているかのような不気味な光景だった。


 ヘルズドアは火山活動の影響で、あちこちにマグマ溜りが点在し、地面が隆起して崖や谷のようになっている場所も多く、戦闘が出来そうな場所は僅かな平地のみだった。そこがセシルが指定した決戦の地だった。


 その決戦の地に程近い丘にアーティス精鋭部隊の一団が陣取っていた。


「いよいよ勇者様が決着をつけ、世を乱すトラブルの火種が(つい)える時が来たわね」


 毅然とした口調でディアは言った。

 ディアはアーティス精鋭部隊の司令官の務めを任されている。実際には精鋭部隊の各部隊長が指揮を取り、任務もこの戦いを傍観するだけなので、実際には殆ど何もする事は無い。最終的な決定をディアが確認し部隊全体の状況を把握するだけだ。ディアとしてはより近くで元勇者の手助けをしたかったが、もし戦闘に参加してしまうとアーティス王国がこの戦いに加担している事になり、不測の事態が起きた時にはアーティス国民全体の不利益となってしまう。それでもアーティス王がディアの遠征を許し精鋭部隊の指揮官の任を与えたのは、いずれアーティス王国を継ぐ事になるであろうディアに統率者としての経験を積ませる目的もあった。


「しかし相手は様々な悪事で世を乱してきたセシルさんですから、油断は禁物ですわ」


 ホリィの言葉にディアとライムは頷いた。

 テクとなるセシルは山賊だけでなく商人を騙して手玉に取り、いまではこの大陸中の拙い経済を不安定なものにし無関係の一般市民が不景気の影響に苦しんでいる。わかりやすい悪事だけに留まらず、狡猾で巧妙な騒乱で多くの人々を不幸にして悪党集団を統率している”悪党のプロ”とさえ言える。

 悪党のプロが元勇者との戦いを挑んできた事は勝つ算段があるからと思われ、ホリィだけでなく元勇者を知る者達全員が心配し不安に思う事だった。


「勇者サマハ絶対ニ勝チマス! 負ケル筈ガアリマセン!」


 毅然と言い切ったのはライムだった。

 ホムンクルスのライムは世に生を受けてから然程の年月を生きていないが、それ故に純粋無垢で(無垢とも言い切れないところもあるが)、時には誰よりも物事の本質を捉えて見抜く。そのライムの一片の曇りも無い元勇者を信じる言葉には、周囲が抱いていた不安も消し去るほどの力強さが篭っていた。




 3人娘を取り囲むように守りを固めていた精鋭部隊の陣形に一筋の道が開けた。

 シュナとカールがやってきたのだ。


「まったくもう、物見遊山の遠征軍なのに随分な大部隊ね。でも悪の組織が壊滅するところの目撃者は多いほうがいいのかもしれないわね」


 普段は結婚に焦り問題発言ばかりのシュナだが、きょうばかりはかつて生真面目だった頃の凛々しい表情を崩さなかった。

 婚期に焦って魔王との最終決戦をすっぽかしたシュナだが、そのまま冒険者としての日々が終わってしまった事はシュナにとっても禍根となっていた。(それは「ただの冒険者より世界を救った冒険者のほうが結婚できる確率が上がっていたかもしれない」という歪んだ禍根かもしれないが)これから始まる戦いにシュナが真剣になっている事は確かだった。


「これから始まる戦いの目撃者は、シュナさんが思うより遥かに多くなるかもしれませんよ」


 アレクがシュナに声をかけた。普段はアッパラパーなアレクだが、一応は剣技に長けた一流の女戦士だ。


「どういう事かしら?」

「空中のあちこちに魔力の込められた水晶球が浮かんでいるのが見えますか? あの赤く光る水晶が先日の宣戦布告動画のように大陸中の”スマ水晶”にこの戦いを実況生配信するのではと推察されているのです」

「あら、じゃあ私ちょっとお色直ししたほうが良いかしら?」


 真顔で妙な事を言い出すシュナに、カールがツッコミを入れた。


「どうせ戦いが始まれば土埃が舞う中で汗だくになって殺し合いをする事になるんだ。身だしなみどころじゃねーよ」

「でも凛々しく戦う美人ソーサラーとしてバズったら求婚してくる男が倍増するかもしれないじゃない」

「バズるってどこの言葉だよ。それにゼロが何倍になってもゼロのままだろ」

「そう言うカールも緊張して表情に力が入って、身体はいつも通りなのに顔だけ昔のイケメンになっているから、垢BANされそうなほど不気味な姿になっているわよ」

「だからなんだよ垢BANって……ってオレ顔だけ力入ってる? 自分じゃ全然気付かなかった……」


 カールが周囲を見ると、明らかに3人娘が引いていた。

 貫禄ある太り方のカールの体型は、全身に気合を込める事で冒険者時代のスマートでイケメンの姿に戻す事が出来る。


「戦いの時には出来るだけ全身に力を込めて身体を引き締めないとならないな」

「カールのわがままボディは身だしなみでどうにかなるレベルじゃないんだから、少しは気をつけなさい」

「ううむ、オレも戦闘中はずっと身体に力を込めておいたほうがいいかなぁ」

「あら? 5秒しか持たない変身能力の時間が延びたの?」

「別に変身じゃねーけど、3分ほどなら気合で体型維持できるようになったぞ」

「それはそれで不気味だけれど、出来れば人目に付かない場所でダッダーン、ボヨヨンボヨヨンと姿を変えたほうが良さそうね」

「……こんな言われようをされるならダイエットしておくんだった」


 そして時間が流れた。

 宣戦布告してきたセシルも姿を見せないまま、緊張感の漂う無為な時間が流れた。


「やれやれ、皆さんお揃いで。こんなところに大勢集まって、黒雲立ち込める火山地帯でピクニックかな?」


 とぼけた事を言ったのは元勇者ユート・ニィツだ。

 陣形の隙間をフラフラと歩いて3人娘やシュナ・カールのところにやってきた。


「随分と遅いご登場ね。真打は遅れてくるものだとか、そういうカッコつけかしら」とシュナ。

「いやいや、ただの寝坊だよ。寝る前に色々と考えていたら”戦いたくないでござる! 絶対に戦いたくないでござる!!”って気分になっちゃって寝付けなかったんだ。もちろん戦わなきゃならない事はわかってるけど、気分がアガらなかったんだ」

「ユート、この戦いは”絶対に負けられない戦い”なんだぞ。そんな調子で大丈夫なのか」とカール。

「大丈夫だ、問題ない。……それに負けてもいい戦いなんてあるわけ無いだろ? 俺たちも相応にオッサンなんだからあまりバカっぽい言い回しはしないほうがいいぞ」


 そう言う元勇者の格好は普段とさほど変わらなかった。冒険者時代に装備していた鎧や盾なども身につけていない。普段との違いはせいぜいグラムドリンガーと戦った時に使った片刃の両手剣を手にしている程度だ。


「本当にそれで大丈夫か? あとで”一番良い装備をくれ”とか言う暇は無いと思うぞ?」

「未来の事は1秒先もわからないから大丈夫かどうかなんて事もわからないが、重い装備を着込むより動きやすい格好のほうが良いだろうと思ってね。それに一応アイテムを入れる子袋には薬草をそれなりに詰め込んできたし」

「魔王を倒して何年も経っているのに、戦いながら草を食べる日が来るとはユートも災難だな。薬草あまり美味しくないんだよな」

「最近はそうでもないらしいぞ。道具屋で買う時に薬草や体力回復アイテムの新商品が結構あって、プロテイン入りとかタウリン配合とか疲労回復に効果があるとか1本で満足するとか1日分の野菜が摂れるとか健康に良さそうな回復アイテムが一杯あったよ」

「で、ユートはどんなアイテムを買ったんだ?」

「普通の薬草より高かったけど”エリ草ー”ってのを買ってみた。効果があればいいんだけどなぁ」

「なんだか効能が認められない詐欺商品みたいな感じだな」

「大手の薬師(くすし)ギルドとかが付けそうな名前じゃないか。多分効果があるよ」

「……まぁ薬草を使わないで済むようにしたほうがいいだろうな」


 元勇者は3人娘の様子を伺い、軽く話をして少女達の不安を軽くし、ついでに待機中の兵士達に振舞われていたコーヒーを1杯ゆっくり飲んだ。コーヒーを飲み終わって煙管を一服、一息ついた後に元勇者は立ち上がった。


「よっこいしょういち、っと。さてそろそろ面倒事を片付ける事にするか」


 元勇者の動向を伺っていたシュナとカールはすぐに元勇者に並んで歩き出した。


「まだセシル達の姿が見えないけど?」とシュナ。

「空に浮いてるスマスマ水晶とやらの中に俺達を監視する為のものも紛れている筈さ。俺達が戦いの場に向かえば、セシル達も出てくる」


 戦いに向かう元勇者の背後から3人娘達の「御武運を!」「必ず勝ってください!」「勇者様ヲ信ジテマス!」と声が響いた。


「うーむ、若者達の期待の声には応えなきゃなぁ。若者は夢がMORIMORIなきゃ良くないし、うっかり負けちゃったらさぞかしガッカリさせちゃうだろうし」

「うっかりで負けるような事が無いよう気をつけてよね」

「負けるだなんて縁起でもない事は言うなよ。オレは絶対に勝ってみせるぜ」

「カールは随分と気合が入っているな? まぁお前達は後衛を頼むよ」


 元勇者達が戦いの場に相応しい平地に赴いて歩くと、対面からセシル・ローザ・クロビスの3人の姿が現れた。

 セシルの格好はきちんとした武具を身にまとい、さながら魔王を倒した英雄のように見えた。かつての冒険者だった頃に苦楽を共にしたパーティのリーダーだった頃の雰囲気さえ感じられた。


 元勇者達3人とかつての仲間だった敵3人が場の中央に向かい、会話できる距離で対峙した。


-----


 セシルは元勇者に言った。


「アーティス近くで再会した時に俺はみっともない姿を晒してしまったし、俺が喋り終わった時にユートは俺を殺すと言っていたが、折角の機会だ。少し長く話をしようじゃないか。殺し合いはその後で始めよう」


 そう言うセシルは普段の陰鬱とした雰囲気の消えた表情だった。憑き物が落ちたかのようでさえあった。そして元勇者との戦いを心から望んでいるかのように薄い笑みを浮かべていた。


 元勇者のテンションはセシルと再会した時のように深く沈んでいたが、一連の騒動の元凶との最後の戦いになるであろう時に鬱オーラでどんよりしてもいられない。またセシルがどのような罠を仕掛けているかもわからない。相応に気を引き締めつつセシルとの会話に応じた。


「水晶玉を使って宣戦布告とは、最近の悪党家業は派手なパフォーマンスをするんだな」

「魔王を倒したユートに普通に挑んでも勝ち目は無いからな。色々と小細工をしたくなったのさ」

「俺にはわざわざ小細工する手間をかけて晩節を汚すセシルが理解できないよ。お前はヤクザな冒険者なんていうフリーランス業を辞めて人生をやり直したのに、悪事に悪事を重ねて殺すしかない大悪党になってしまった」


 セシルは口の端を歪めて皮肉めいた笑い声を漏らした。


「俺達が冒険者を辞めたのはアラフォーの頃だ。ろくな職歴も無いフリーランスが40代で真っ当な職に就けると思うか? 真っ当な職に就いても成人成り立ての若造より仕事の出来ない老けた新米にしかなれないし、冒険者時代の体力が生かせるような仕事は肉体労働だけだ。それもやはり仕事の出来ない新米労働者にしかなれないんだ。戦闘と労働では使う筋肉も違うしノウハウも覚え直さなきゃならないからな」

「だからって悪党家業でレベルアップする事も無いだろう」

「それは蓄えの余裕がある奴の話さ。きょう食う為の金が無ければ生きていけない。俺はリーダーだったから仲間を食わせていかなければならなかった。何度も冒険者を辞めた事を後悔したよ」

「ならば再び冒険者になれば良かったんだ」

「フッ……ユートも本気ではそう思ってはいないんだろう?」


 元勇者は返事に詰まった。セシルが言葉を続けた。


「冒険者のスキルをどれほど磨き上げても日々の生活には役に立たない。稼ぎの良いフリーランス冒険者は戦闘力より営業力が重要だからさ。程々のモンスターを倒して金と経験地を稼ぎ、危ない敵とは戦わないほうが安定した稼ぎが得られる」

「……」

「稼ぎの良い冒険者ほど自画自賛のアピールが上手いものだという事もユートは知っているだろう。嘘でも上手く宣伝すれば同じ仕事でも高い報酬が得られる。フリーランス冒険者も稼ぐには少々の悪事を織り交ぜているものさ」

「そういった輩も多かったのかも知れんな」

「でなければ何故ユートだけが魔王と戦う事になった? どうして魔王を倒したユートが成金になれなかったんだ? それは他の冒険者の全員が魔王と戦って死ぬのが嫌だったからさ。お前は貧乏くじを引かされたのさ」


 元勇者の背後に立つシュナとカールの表情が歪んだ。理由はどうあれ元勇者を見捨て自分の命を選んだ為だ。

 挑発的なセシルの言葉は尚も続いた。


「結局みんな誰でも少々の悪事をやっているものさ。戦わずに安全な場所で魔王が打ち倒されるのを待つだけの一般人も、冒険者相手に高値を吹っかける商人も、自分の不幸と責任を魔王と戦う冒険者に押し付けるだけの卑怯者なのさ」

「それが言い訳の全部か? それで山賊に身を落とし金品を奪って悠々自適な悪党ライフを送る理由なら、真面目に耳を傾ける気も萎える」

「自分に嘘を()くなよユート。本当は嫌というほど理解しているんだろう? 命がけで人助けをしても、助けられた側はそんなに感謝していないものさ。それを誤魔化す為に冒険者は世界を平和にする為にと自己暗示をかけて魔物や悪党を殺すサイコパスなんだという事を」

「大義名分があるかどうかは大きな差だと思うよ。自分のエゴの為に悪事を正当化するセシルを理解したい気分にはならないね」

「俺は山賊集団”狼煙獅子団”や悪徳商人ビジネス”希望の暁”のリーダーをやっているんだ。悪党達にも平等に安定した暮らしを与える大命題がある。ユートの大義名分とそれほどの違いは無いのさ」

「悪党というのは詭弁スキルも必須のようだな。セシルのお仲間の悪党共が贅沢をする為に何の関係も無い人々が苦しむ事を是とする口実が足りないな」

「ユートもわかってるんだろう? ”何の関係も無い人”の事なんて、俺達が考え心配する必要なんて無い事を」

「禅問答みたいな屁理屈でも言うつもりか?」

「もっと具体的な事さ、魔王を倒した冒険者でなければただの独身未婚の中年でしかないユート・ニィツ」


 元勇者の表情が露骨に歪んだ。まだ戦う前だというのに心に少々ダメージを受けた。


「それが現実なのだから嫌な顔をするなよユート。俺だってローザと結婚したが子宝に恵まれず”親”になる事が出来なかった。妻としては役立たずのローザと一生を共にするのは独身より辛いぞ」


 セシルの背後に立つローザが顔をしかめたが、セシルは全く意に介さなかった。


「持つ者が持たざる者よりツライというのは説得力ゼロにしか思えないね」

「ユートこそ”持つ者”じゃないか。魔王を倒したという事実とそれを成し得るだけの実力を」

「それを嫉んで水晶玉であんな演説をしたんじゃなかろうな?」

「嫉んで何が悪い。ユートだって嫉む感情があるから独身未婚という事に孤独を感じているんだろう? 魔王と戦ったのも他に魔王に挑む者がいなかったからだろう? 戦おうとさえしなかった一般市民が一番幸福に暮らしている現実に嫉んだ事がないと言えるのか? 不条理だとは思わないのか?」

「……セシルと愚痴を言い合うのは、理解者がいるような気分と同族嫌悪で、少し疲れるよ。そろそろ戦いを始めないか?」

「そう急くなよ。この会話は俺の最後の言葉になるかもしれないのだから。それに俺はユートとこんな話が出来て久しぶりに楽しい気分を感じている。俺もユートもフリーランス家業を真面目に続けて馬鹿を見た同類だからな」

「同属嫌悪のほうが強くなってきたよ。こんな話をする為に大陸中にメッセージを発信したわけじゃないだろう?」

「そうでもないさ。俺はユートと愚痴を言い合いたかったし、俺はユートを心底嫉んでいる。魔王を倒したのに幸福を得られなかった哀れな善人のお前がな!」


 セシルの表情が怒りと狂気に満ちていった。


「俺は真面目に世界を救おうとしたし、真面目に悪党として成り上がろうとした! しかしどうだ? どれほど努力しても行き着く先は何も無い虚無の世界じゃないか! 適当に生きている連中のほうが幸せそうじゃないか! 善人として頑張っても悪人として頑張っても空しい努力に終わるこの現実この人生に、どうして納得が出来る! 出来る筈が無いだろう!!」


 元勇者はセシルの心情が理解できた気がした。セシルも過去の禍根に悩み苦しみ、ローザや山賊仲間に囲まれながらも孤独に苛まれ、悪党集団のリーダーでありながら理解者のいない日々に鬱をこじらせ、しかし悪の道を突き進んだが為に救われる事も無く、自分を正当化する為に精神が壊れているのだ。

 ”精神が壊れている”という部分は元勇者にも通じるところを感じていた。冒険者としての宿願を果たしながら仲間に逃げられ何も得られなかった元勇者も、鬱と加齢と人間不信で救済される事の無い日々を過ごし、自分を正当化し精神を守るために悲観論とシニカルな態度で他者との距離が近付かないように逃げてきた。誰かに救われる事よりも誰かに傷つけられる事のほうが多いと思っているし、これ以上傷つけば本当に精神が壊れてしまうかもしれない不安を常に抱き続けていた。


 しかしセシルを理解できた気がしても、その狂気を止める算段は無かった。


「セシル、そろそろお互いの禍根のどちらかに決着をつける頃合じゃないか」

「もう少し待てユート。殺し合いを始める前に、ちょっとした余興を見せたいんだ」


 そう言ってセシルは近くの噴火口を指差した。噴火口と言っても隆起したマグマ溜りといった程度の小さな噴火口だ。そのマグマの池に隣接して小さな小屋が建てられていた。


「あそこにはこれまで世間から掻き集め毟り取った金銀財宝の全てがある。一生遊んでも使い切れない額だ。小さな国ならひとつふたつは買えるだろう。使い方によっては大勢が幸せになれる大金だ」

「……もう少し危なくない場所に保存すべきだな」

「俺が見たいのは大勢の幸せではなく、戦いも努力もせず幸せになった大勢が不幸になるところだ!」


 バァン!と音が響き、土台が爆発して小屋がマグマ溜りに向かって倒れて転がった。

 バリバリと音を立てて壊れる小屋の中から金貨や金塊が光り、権利書が舞い上がった。それらはマグマに飲まれ、熱に燃えていった。


「フハハハハ! どうだい、世の中から大金が消えて無くなった瞬間だ! これで世間は平等に不景気に苦しむ事になる!」

「か……金は金だ。こんな事で起きる不景気なんて一過性で終わるだろう?」

「どうかな。金は労働の対価だ。その対価が消えたという事は対価分の労働が無駄になったって事なのさ。どのみち金が不足した経済なんてものは上手く回らないし埋め合わせるものも無い。実際どうなるかは生き残った者が見届ければいいだけの話さ」

「セシル、お前は結構マジで殺したほうが良さそうだな。俺は死ぬ事を考えても案外と死にたくない気持ちが勝ってしまうんだが、セシルの自暴自棄は本気で死にたがっているように思えるぞ」

「それも戦って決着がつけば判る事だ。俺は嫉ましいユートを殺す事に全力を尽くす! お前の存在が俺の努力を無駄にしているからな!」


 空中に浮かぶ水晶玉の光が赤色から緑色に変化した。

 それが戦闘開始のゴングだった。




-----


 セシルと元勇者は同時に剣を構えた。


(セシルの持つ剣、あからさまに何かの特殊効果が付与されてるって感じの装飾だな)


 冒険者としてレベルMAXに近いと言える元勇者は、明らかに自分よりレベルの低いセシルに最初に攻撃させてその力量を計ろうと考えていた。正々堂々と戦うとは思えないセシルがどのような罠を仕掛けているのか判らないのに、元勇者から先んじて攻撃する事はリスクがあるように考えたからだ。


 剣を構えるセシルは、まるで魔王を倒した英雄のような見栄えだった。成り行きと惰性と諦めの悪さで渋々魔王を倒したような元勇者のほうが英雄らしくない貫禄の無さだった。身だしなみや格好をつける事も時には必要なのだなぁと思った。


 対峙したセシルが動いた。

 元勇者の余裕ある構えに隙を見たのだろう。セシルは驚くべき瞬発力と無駄の無い動きで最初の一撃を繰り出した。


「!!」


 元勇者はセシルの攻撃を紙一重でかわした。

 まずは一撃食らって力量を見定めよう等と考えていた元勇者だが、セシルの最初の攻撃は元勇者の首を狙った一撃だった。攻撃力には大きな差がある筈だが、そのスピードは元勇者に匹敵する早さだった。セシルの攻撃は攻撃力ではなくクリティカルヒットでの即死攻撃を狙ったものだった。


(うっかり最初の一撃を食らっていたら、いきなりクビチョンパで試合終了していたところだった……)


 血こそ流れていないが元勇者の首の薄皮に傷が出来ているようだ。本当に紙一重で命を落とすところだった。

 セシルは何か卑怯な攻撃をしてくるだろうと考えていたが、その予測が裏目に出たようだ。戦闘では元勇者のほうが実力が上と見くびっていた事も間違いだった。英雄のような格好の山賊セシルは、間違いなく強敵だった。


(うむ、やはり再会した時に、殺せる時に殺しておくべきだった)


 元勇者は思いっきり悪党のような事を思った。


 すかさずセシルの2撃目の攻撃が繰り出された。今度は通常の――しかし元勇者に匹敵する速さの上段切りだった。元勇者は最初の攻撃を回避して体勢が不安定で、交わしきれずに剣で受け止めた。両者お互いに剣を引かず、(つば)迫り合いとなった。


 セシルは周囲に聞こえない程度の小声で(スマ水晶での中継では聞き取れないようにしているのだろう)元勇者に言った。


「魔王を倒したという割には大した事が無いなユート。確かに俺もユートと再会した時には怖気づいたが、ユートが破壊力一辺倒でモンスター退治に明け暮れていたのなら俺にも勝機はある」

「随分と余裕だなセシル。随分昔に冒険者を辞めてからエクササイズでも始めたのか?」

「お前が魔物を殺すプロなら、俺は人間を殺すプロって事だよ。山賊家業では相手を殺しておかないとこちらが危なくなるからな」

「それを聞いて安心した。セシルを殺す事へのためらいが減ったよ」


 キィィン!と両者の剣が弾く音が響き、セシルと元勇者は距離を取った。


 元勇者は毅然と剣を構え技に集中した。


「ソニック・ブレード!!」


 やはりこの技はついつい技名を叫んでしまうが、初級の技でもハイレベルの戦士が繰り出せば前衛にいる複数の敵を一度に吹き飛ばせる程の攻撃力と破壊力を持つ。


 しかし攻撃はセシルに当たらなかった。瞬時に姿が消え、ソニックブレードは遠くの地面を切り裂いていた。


「いきなり広範囲攻撃の技を使うとは、やはりユートはモンスター退治がお似合いの戦闘馬鹿だな」


 背後からの声に振り向く暇も無く、元勇者のわき腹にセシルの剣が突き刺さっていた。


「うぐっ……! 成る程”転移のオーブ”で超近距離移動したのか」

「御明察。アイテムの数しか使えないが、何個持っているのかわからなければユートも見切り難かろう」

「しかしこの程度のダメージで勝てると思っていたのか?」


 元勇者は振り向きざまに再びソニックブレードを放った。今度は技名を言わずに瞬時に攻撃した。

 攻撃は元勇者の背後の地面を大きく切り裂いた。しかしセシルは高くジャンプして攻撃を避けていた。


「攻撃のスピードもなかなかのものだが、逃げ足の速さはそれ以上だな」

「それだけじゃないさ。こんな火山地帯に呼び出した理由が……コレさ!」


 元勇者が振り向き様に放ったソニックブレードが切り裂いた地面が割れ、溶岩が吹き出した。


「この平原の一帯は元々巨大なマグマが溜まった火口だったのさ。ユートが攻撃力の高い攻撃を出すたびに地面が割れてマグマが吹き出すから、せいぜい気をつけるんだな!」

「わざわざ説明有難うよ。成る程この戦いの場の全部が罠だったとは、セシルの悪党レベルを過小評価していたよ」


 そう言い終わるや否や、元勇者の姿が消えた。

 ”転移のオーブ”などのマジックアイテムの効果ではない、残像さえ見えぬ元勇者の高速攻撃だ。


 キィィン!と元勇者の剣とゼシルの盾がぶつかって大きな金属音を響かせた。セシルも元勇者の早すぎる攻撃を回避しきれなかったのだ。セシルは大きく弾き飛ばされ、防御したにも関わらず盾を持つ腕から全身にかなりのダメージを受けていた。防御に失敗していたら体力の殆どを失っていただろう。


「……俺もユートを過小評価していたようだ。魔王を倒した勇者ユートを相手にラクに勝てる筈は無い事は判っていたつもりだったが、やはり形振(なりふ)り構わず戦わねば勝てないようだ」


 元勇者が次の攻撃のモーションに入ろうとした時、背後から多数の弓矢が降り注いだ。クロビスによる攻撃だろう。気配を察知して避けたが、矢は元勇者の足元に突き刺さって多大な衝撃を響かせた。


「この程度の攻撃に当たるワケが……ってマジかよッ?!」


 地面に刺さった矢の衝撃で地面が割れてマグマの火柱が吹き上がった。


「こうも地面から噴水のようにマグマが吹き上がったら戦いにくいったらありゃしな……うわっ?!」


 ちゅどーん!

 次いでローザから放たれたファイアボルトの魔法が元勇者の足元の地面に当たり、巨大な火柱が吹き上がった。元勇者はマグマの火柱に飲まれて宙高く飛ばされた。強力な火炎耐性を持つ元勇者でなければ即死かつ灰になっていたであろう。


「シュナ! カール! 後衛は任せると言っただろう! 何をローザとクロビスに波状攻撃させてるんだ!」


 吹き出したマグマに吹っ飛ばされ無様に落下しながら元勇者は大声でクレームを入れた。


「こっちだって忙しいのよ!」と、シュナ。

「オレの攻撃が当たらない事はユートが一番知ってる事だろ!」とカール。


 ううむ、と頭痛が痛くなった元勇者はこめかみを押さえつつ落下した。




-----


 噴煙立ち込める火山地帯”ヘルズドア”は地面からの熱と焼けた空気の匂いが漂っていたが乾燥しきった風は生ぬるく、灼熱の光景とのギャップで寒気を感じそうでさえあった。地獄が現世にあるなら”ヘルズドア”のような不気味な場所であろう。


 澱んだ空気の中で元勇者とセシルの戦いが始まった時、セシルの背後にいた筈のローザとクロビスの姿が忽然と消えた。

 セシルとの戦闘が始まった元勇者はそれを意に介さず、シュナとカールも気付くのが遅れた。


 シュナはローザ達が消えた事に気付いた瞬間、振り向きもせず背後に手を伸ばし即座に”マジック・ウェーブ”を放った。魔力の塊を衝撃波として広範囲にぶつける攻撃魔法だ。属性も何も無い原始的な攻撃魔法だが瞬時に術を発動できる。相当の魔力を持つ者でなければ扱えない魔法でもある。


 マジックウェーブは背後から襲い掛かってきたローザに当たった。シュナは姿を消したローザは背後の死角から襲ってくると予測し、その予測が当たったのだ。


「クッ! 行かず後家のくせに生意気な!」


 ダメージを受けたローザは捨て台詞を吐きながらアイテムの煙玉を足元に投げつけた。煙幕が広がり、再びローザの姿は見えなくなった。


「……誰が、行かず後家ですって……!!!!!」


 シュナの眉間に血管が浮いた。何本か切れそうな勢いだった。

 姿をくらませたローザを追う為、シュナは”レビテーション”の魔術を使った。僅かに浮かび上がる事で地面を滑るように移動できる。いっそ空中高く舞い上がる事も出来たが、戦いが始まった直後に遮蔽物の無い空中で目立てば格好の標的でしかない。


「ローザも世継ぎが出来なかったくせに、悪党の旦那に振り回された挙句に私の魔法で火葬されるのだから不幸な人生だったわね」

「クッ! モンスター相手に人生を棒に振ったシュナには言われたくないわね!」


 煙幕の奥から数本の短剣らしきものがシュナ目掛けて飛んできた。苦無(くない)だ。

 シュナは間一髪でかわしたが、何本かはシュナの服をかすめ、肌に傷をつけた。


「よくも私の玉の肌にキズを付けたわね……すぐに納骨できるよう最高火力でローストしてあげるわ!」


 シュナの全身が赤く燃え上がり、その熱量がシュナが手に持つマジックワンドの先端に収束して小さな太陽の如く輝いた。


「この”ヘルズドア”では火の取り扱いに気をつけたほうがいいわよ」


 ローザが不敵な笑みを浮かべつつ言うと、丁度すこし離れた場所で戦っている元勇者とセシルの周囲から次々と火柱が上がっていた。


(地面や周囲に一定以上のダメージを与えると、地面からマグマが吹き出すって事? だとしたら、私もユートも最大攻撃力の技を出せないじゃない!!)


 シュナはマジックワンドに溜めた火球を消失させた。魔力を無駄にしたが、シュナの強力な魔法攻撃では足元に噴火口を作ってしまう。


 ローザはオホホと高笑いしながら言った。


「やっぱりモンスターとばかり戦っていたシュナは色々と経験不足のようね。大昔に一緒に冒険していた頃も、男も知らないくせに真面目ぶっていたシュナは好きじゃなかったのよ!」


 シュナの真面目さは加齢と共に消え去ったようだが、一応かつては仲間と思っていた相手に仲間であった頃からの悪意を向けられるのは気分の良くないものだった。

 その悪意の言葉とは別にシュナは気分の悪さを感じた。そして次第に体調が悪くなっていく。


「……さっきの苦無、毒を塗っていたのね」

「当たり前でしょう。私クレリックを辞めてからはシーフやアサシンのスキルを身につけたの。使わなきゃ勿体無いでしょう?」

「既婚のくせに尻軽で無節操なのね。更に毒まで使って、クレリックだった頃のローザは完全に消えてしまったようね。昔の(よしみ)なんてものを気にする必要も無くなって気が楽になったわ」


 そうシュナは言ったが、じわじわと毒が体力を奪い気分は悪くなるばかりだった。




-----


 クロビスが姿を消した事に気付いたカールは即座に反応した。

 カールもクロビスも同じ弓使いのアーチャーだ。長距離攻撃を基本とする2人にとって障壁の乏しい平地では戦略も戦術も限られてしまう。元勇者が戦う場所から少し離れれば溶岩で隆起した一帯がある。カールは丸々と太った身体を揺らしながら、その巨体に見合わぬ素早さで移動した。


 戦いの場の周囲は、吹き出したマグマが冷えて固まった柱のような岩石が林のように乱立するエリアとなっていた。

 長距離戦を得意とする弓使いにとっては格好の舞台だったが、カールもクロビスも共に専業アーチャーであり、カールに都合の良い事はクロビスにとっても都合が良い事は明白だった。


 岩陰に身を潜めたカールだったが、隠れるのと同時にクロビスの矢が飛んできた。


「危ないッ!!」


 攻撃を察知した緊張でカールの太った身体は一瞬引き締まった。太った体型であれば身体に当たっていたが、スマートな身体になった一瞬でクロビスの矢が通り過ぎた。


「……太った巨体のくせに、俺の攻撃をかわしたというのか?」


 地形を熟知しカールが身を隠す場所も見当がついているクロビスだったが、不意打ちに等しい攻撃を太った商人にしか見えないカールが回避した事に驚いた。カールが全身に力を込めると一瞬で昔のスマートでイケメンだった頃の姿に変わるという事はクロビスも情報として知っていたが、一瞬の事だと脳が上手く理解できなかったようだ。


 クロビスは連続して矢を放った。しかしカールがその矢の(やじり)がキラリとヒカルノを察知した瞬間に緊張で一瞬だけスマートな体型になり、全ての矢を紙一重でかわしていた。(カール自身は殆ど回避行動をとれていなかったが)


「この戦いには負けられないんだ……絶対に!」


 カールは弓を引き、クロビスの攻撃に備えた。

 後方に(やじり)がキラリと光るのを察知したカールは瞬時に狙いを定めて(その”瞬時”のみイケメン姿に戻って)矢を放った。


「クリッティカル・アロー!」


 カールの放った矢は空気との摩擦熱で白く光る軌跡を描いてクロビスの矢を貫いた。そしてその勢いのまま矢を放ったクロビスを貫かんと飛んだ。しかし僅かに逸れてクロビスに当たらなかった。


「クソッ!こんな時でさえ、オレの矢は当たらないのか!?」


 アーチャーの遠距離戦と言えど数発も打ち合えばお互いの位置がわかる。柱のような岩石に身を隠しながら位置を変え、相手が隙を見せた瞬間に攻撃するスナイピング勝負だ。

 しかし先に痺れを切らしたのはカールのほうだった。


「オレだって魔王を倒す為に長い旅を続けてきたってのに、オレの矢が敵に当たった事が一度も無いまま終わってたまるか!」


 カールの過去の禍根というか、カールがこの戦いに気合が入っていた理由だった。

 アーチャーとしての腕は非常に優れている筈なのに、何故か敵に当たらない。かつてシュナに「当たったらSSR」と言われた事があるが、そのSSRが出た事が無いのだ。


「下手な弓も数撃ちゃ当たるハズだ! ソニック・レインアロー乱れ撃ち!!」


 強力な攻撃力が衝撃波となって当たらずともダメージを与える”ソニック・シュート”と、魔力によって1本の矢が複数に分裂して攻撃する”レイン・アロー”を組み合わせた弓を連続で放った。10数本の矢がさながらカマイタチのような衝撃を放ちながら分裂し、レインと言うよりタイフーンのようだった。


 クロビスが身を隠していた岩石の壁は”ソニック・レインアロー”によって粉々に破壊された。しかしクロビスは防ぎきれない程の攻撃が来る事を予想していた。


「リフレクト・シールド!!」


 クロビスに当たりそうだった多数の矢が魔法障壁に弾かれた。攻撃を防ぐマジックアイテムを装備していたのだろう。

 弾かれたソニック・レインアローは勢いが衰える事も無く四方八方に飛び散った。その先には元勇者の足元も含まれていた。


 カールの矢の流れ弾が次々と元勇者の足元にダメージを与え、そして幾多もの火柱が上がった。

 間髪いれずローザが放ったファイアボルトの魔法で元勇者の足元から巨大な火柱が上がって元勇者が天高く舞っていた。


「シュナ! カール! 後衛は任せると言っただろう! 何をローザとクロビスに波状攻撃させてるんだ!」


 カールは「オレの攻撃が当たらない事はユートが一番知ってる事だろ!」と叫んだが、元勇者の足元に当たっている事は黙っておく事にした。




-----


 元勇者とセシルの戦いは、接戦となっていた。

 ”スマ水晶”で観戦している輩にとっては見応えのある勝負に見えるかもしれない程だ。

 素早い剣捌きは目にも止まらぬ程だったが、剣がぶつかる金属音で戦いの激しさがわかる。


 元勇者は強力な技を封じられたような状態なので、セシルの攻撃を受け流す事に専念せざるを得なかった。それでもレベル差の大きさから戦いが長引くほどセシルのほうが消耗し疲弊していく筈だ。元勇者は既に相応の手傷を負っていたが、戦闘中はアドレナリンが出ている為か余程のダメージを受けない限り気にせず戦い続けられる。


 一方のセシルは悪党らしからぬ実直な攻撃だった。さながらターン制のように交互に攻撃を繰り返す戦いは傍目には好勝負のように見えるであろうが、元勇者は違和感を感じていた。


「セシル、どうした? 普通の戦い方で俺を倒す自信があるのか?」

「ユートは俺が意表を突いた攻撃をする事を期待しているようだな。ではその期待に応えてみようか」


 そう言うセシルの表情は一瞬だけ歪んだ。どうやら普通の技しか出せないと見せかけて元勇者が油断したところで不意打ちをする算段だったのだろう。


 元勇者が攻撃を繰り出した瞬間、セシルの姿がゆらりと消えた。


「!!」


 剣を振りぬく暇さえなく元勇者は消えたセシルの行き先に高速で移動した。


 戦いの場である平地から少し離れた場所に”転移のオーブ”を使ったセシルが姿を現した。

 転移した場所は、ディア達アーティス精鋭部隊が陣取っていた場所の本陣だった。


「きゃぁっ?!」


 本陣にいた3人娘は思わず悲鳴を上げた。その声がセシルのターゲットとなった。


「かつての事を覚えているぞ。狙うならアーティスの姫君、だったな」


 セシルの剣が躊躇無くディアの首を狙って振り抜かれた。

 ザクッ、と肉の切れる感触と、飛び散る血飛沫。

 しかしセシルの剣は肉に食い込んだまま止まった。


 殆ど瞬間移動のような速度で、元勇者がディアを(かば)っていた。

 セシルの一撃を左腕で受け止めていたが、その傷は骨に達する寸前の深手だった。


「どうだユート、少しは驚いてくれたか?」

「予想はしていたさ。だからこそ”身代わり”で防げた」

「その割には随分と辛そうな表情だな。その程度の怪我でギブアップしないでくれよ?」

「あぁ。きちんと利子をつけてお返ししなきゃ割に合わないからな」

「その余裕、いつまで続くかな?」


 セシルは高くジャンプし、空中でソニックブレードの連撃を放った。攻撃の衝撃波が四方八方に繰り出され、精鋭部隊の陣形のあちこちからマグマの火柱が吹き上がった。灼熱の溶岩が足元から吹き出した事で精鋭部隊はパニック状態になった。この行軍の目的は戦いを見届ける事であって、戦う事ではない。元勇者対セシル達の戦いにアーティスやインガー帝国の兵士が助力すれば対等な戦いではなくなり政治的なプロパガンダと思われかねない。精鋭の兵士ではあれどセシルほどの実戦レベルを持つ者も少なく、突然の奇襲を受けても反撃する事もできない。


「ディア、撤退だ! すぐに全員ここから離れろ!」


 そう言いながら元勇者はセシルに攻撃を放った。しかしセシルの姿は再び消えた。どうやら”転移のオーブ”を使ったのではなく、分身か幻影の術を使ったのだろう。元勇者は(やはりこれまでの戦い方は奇策を隠す為の小細工だったか)と思った。


 姿を現したセシルは、元勇者ではなく遠征舞台の兵士達を狙って攻撃した。

 咄嗟に元勇者が防ごうとするが、セシルは手当たり次第に攻撃しては”転移のオーブ”や分身を織り交ぜて姿をくらませた。


 元勇者は全力で怒鳴った。


「全員、逃げろ! 邪魔だ!!」


 声と同時に元勇者から最大級の”フィアー”が発せられた。

 圧倒的な力を持つ者が発する恐怖のオーラは大地震などの自然災害を超えるもので、誰もが本能的に逃げ出さずにはいられないレベルだった。


 強烈なフィアー効果は、次の攻撃を繰り出そうと高くジャンプしていたセシルの動きさえ止めていた。元勇者はその隙を見逃さなかった。

 次の瞬間、元勇者は空中にいるセシルに一撃を食らわせていた。その動きは早すぎて、いつ剣を構えていつ飛び上がったのかも見えなかった。


 その攻撃は確実にセシルにダメージを与えていたが、致命傷には至っていなかった。


「……その剣はサムライソードか? 両手で扱えば俺を殺せていたかもしれないが、片腕で振りぬくにはさぞや重たかっただろう」

「これは最初に受けたダメージのお返しさ。きちんと利子をつけてからトドメを刺さなきゃ帳尻が合わないだろう」

「強がりを言うなよユート。魔王を倒したお前の攻撃力が半減する程のダメージを与えられた事が嬉しくて仕方が無いよ」

「……喜んでもらえたのなら、そりゃ結構な事だな」


 嬉しいと言うセシルの口調がさほど嬉しそうでは無い事に、元勇者は何かを感じていた。

 セシルは巧妙に戦っている割に、どこか活力のような何かが感じられなかった。元勇者に深手を負わせた時も感情の起伏が見えなかった。元勇者はそれに似た何かを知っているような気がした。しかしそれが何なのかが思い出せない。


「そろそろ卑怯な手口もネタ切れの頃合だろうセシル。俺も結構疲れてきたから、そろそろ決着をつけようじゃないか」

「そう急くなよユート。この戦いが終わってしまったら、その先に一体何が残っているというんだ? この戦い以上に生きている事を感じられる出来事があると思うか?」

「知らないね。まぁ病気になって苦しんでる時には健康に生きていた時の有難味を感じるじゃないか。そういった事で満足しておけよ。……この戦いでセシルが勝てばの話だけどな」

「あぁ、俺はユートを倒して戦いに勝つ。それが、それだけが俺に残った最後の希望だからな」


 セシルと元勇者は激しく剣技を繰り出し続けた。

 兵士達は逃げ出し、元勇者とセシルは地上に空中にと激しい戦いを続け、その周囲ではシュナとローザの戦いで魔法の光が瞬き、カールとクロビスの戦いであちこちから溶岩の火柱が吹き上がっていた。



-----


 シュナとローザの戦いは、意外にもシュナが劣勢となっていた。

 元勇者と同様シュナの魔法攻撃は威力が強すぎて、地面からマグマが吹き出す”ヘルズドア”では扱い難い。うっかりメテオストライクでも落としてしまえば巨大な噴火口が出来てしまうだろう。


 それでもシュナは雷を撃ち込む魔法”ライトニングボルト”などを使って果敢にローザを攻撃し続けた。しかし全体攻撃・広範囲攻撃が得意なシュナにとっては歯痒い戦いでもあった。

 元クレリックのローザはこまめにダメージを回復しつつ、シーフのスキルで器用に攻撃をかわし、苦無で攻撃しつつ”転移のオーブ”で姿を眩ませた。時折シュナの背後に姿を現して攻撃を繰り出し、シュナは得意ではない近距離戦に対応せざるを得なかった。神出鬼没のローザの攻撃をかわしながらの魔法攻撃では術に集中しきれず、また毒によって体力が奪われ続けていた。


(それぞれの攻撃は大した事はないけれど、近距離攻撃に加えてアイテムまで使ってチクチク攻撃され続けていたら呪文に集中しきれないわ)


 毒のダメージを中和する暇も無く攻撃され続け、シュナは憔悴していた。ローブのあちこちが裂け、身体中に生傷が出来ている。見た目こそ実年齢より随分若いが加齢による体力減も影響していた。加齢は元勇者側もセシル側も等しく抱えている問題だが、地の利を生かして戦うセシル側のほうが余計な疲労を溜めずに済んでいた。


「随分と顔色が悪いわねシュナ。でも私が奪えるのは体力だけじゃないわよ!」


 ローザは短く呪文を唱えると、シュナの意識が混乱した。何かが吸い取られるような感覚だった。


「私に奪えないものはないわ。いくら最強のソーサラーのシュナでも魔力を吸い取られたらただのオバサンよ」

「オバサンはローザもでしょう!」

「私はオバサンじゃないわ、悪女よ。女は少し悪いくらいのほうが魅力が増すものよ。マジメなイイコちゃんだったシュナにはわからないでしょうけど」

「色に狂ったローザにどれほどの魅力があるのかしら。ただ安売りして勘違いしているだけじゃないの」


 ローザの魔力吸収”アスピレイト”によって、シュナの精神力は激しく消耗していた。このままでは魔術を扱う事が出来なくなってしまう。反撃しようにもローザは幻術や”転移のオーブ”で逃げ回り捉える事が出来ない。


「マジメな子だったシュナは身奇麗で女の喜びも知らないままあの世に行くなんて可哀想な人生ね。せめて苦しまないよう一気にトドメを刺してあげるわ」

「ローザのような下品な女に哀れんでもらっても嬉しくないわ。それに、トドメを刺されるのはローザのほうですから!」

「大した魔力も残っていないくせに何が出来るっていうの? そろそろ初級の魔術も使えなくなる頃でしょう」

「……長年ソーサラーを続けてきた私を見くびらないで欲しいわ。逃げ回りすぎて戦いの場の中心から随分離れてしまった事に気付いていないお馬鹿なローザに、私の本気の攻撃を見せてあげるわ」


 シュナは乏しい魔力を集中させた。


「行くわよ……”ファイア・ボルト”!!」


 指先から一筋の炎が一直線に伸びた。まるでレーザービームのように細く鋭い炎だった。しかし素早く逃げ回るローザにはかすりもしなかった。


「あはは! どこを狙っているの? そんなチャチな魔法でも、私に当たらなければ倒せないわよ!」

「……本当に哀れな女ね」


 シュナの魔法はローザが逃げ回っていた範囲の外周の地面をぐるりと切り裂いていた。

 それにローザが気付いた時、地面からマグマの火柱が一気に吹き出した。ローザは火柱に取り囲まれた状態になっていた。


「近くにユートやカールがいたらこんな攻撃は出来なかったけれど、ローザが逃げ回ってくれたおかげで遠慮なく魔法が使えるわ。”アイス・ブリザード”!!」


 ローザは反撃で苦無を投げたが、シュナの魔法”アイス・ブリザード”に阻まれた。広範囲の空間を氷結させる呪文だ。

 氷結魔法で吹き上がったマグマが冷えて固まり、ローザは岩石の壁に取り囲まれて逃げ場を失った。岩壁の無い方向にはシュナが待ち構えている。


「クッ! 体力も魔力も尽きている筈なのに……!」

「山賊の女房に体力も魔力も奪われたままにする気はないわ。魔力を吸い取る魔術”アスピレイト”、そして体力を吸い取る”エナジー・ドレイン”!!」


 シュナが呪文を発動すると、ローザの身体中からオーラのようなものが吸い出されているのが可視化されているかのように見えた。苦しみもだえるローザの表情が見る見る生気を失い、老いていくように見えた。


「く、苦しい……たすけて……!!」

「貴方が襲って殺した人達も同じ事を言ってたんじゃないかしら? でもローザがこれ以上惨めな姿を晒さないよう一思いにトドメを刺してあげるわ……”メテオ・ストライク”!!」


 シュナは吸い取って回復した魔力を用いて最大級の攻撃魔法を発動した。

 魔力の塊のような隕石がローザに直撃して地面を貫き、巨大なマグマの火柱が吹き出た。その膨大な熱で周囲を取り囲む氷結魔法で冷えた岩壁が極端な温度差で爆発四散した。


 巨大な魔物でさえ生き残れないほどの多大な魔法ダメージと、”ヘルズドア”の地盤に溜まる膨大なマグマの熱量によって、ローザは消滅した。




-----


 カールとクロビスの戦いも、カールが不利となっていた。

 攻撃の大半は瞬時に痩せる事で回避したが、かわしきれなかった攻撃で多数の矢を受けていた。

 クロビスの放つ矢は魔力が込められているようで、岩壁に当たると直角に反射してくる。矢の兆弾で狙う対象を仕留めるクロビスの固有技で、正面から放たれた矢が横から飛んでくるので回避しにくい。またクロビス自身のアーチャーとしてのレベルも結構高く、狙いも正確だった。

 対するカールの攻撃は紙一重で外れるばかりだ。


(クソッ、どうしてオレの攻撃はこんなにも当たらないんだ!)


 カールも一応は魔王を倒した勇者カール・ニィツと共に戦い続けてきた。元勇者がセシル達と別れた直後に仲間入りした言わば新メンバーではあるが、当時既にハイレベルだった元勇者の仲間になれるだけのアーチャーとしての実力はあった筈だ。しかし現実にはカールの矢は敵に当たる事がないまま、カールが戦いから逃げ出し元勇者が魔王を倒した事で遂に「一度も敵を倒せなかったアーチャー」になってしまった。


(こんなんじゃオレはアーチャーとして冒険した日々の全てがウソになっちまう! )


 カールはレイン・アローを連射した。膨大な量の矢がクロビスを狙うが、どうしても当たりそうで当たらない。

 攻撃が当たらない事は「下手に動けば逆に当たってしまうかもしれない」という牽制になっていたが、慣れてしまえば怖れる必要は無くなる。警戒しながら戦っていたクロビスも次第に積極的になっていった。

 むしろクロビスにとっては”攻撃する瞬間や回避する一瞬だけ太ったカールの姿が別人に変化しているように見える”事のほうが脅威だった。意味がわからないし理解できない。


 一向に優勢に立てないままダメージを受け続け、カールは焦りを感じた。


(オレは魔王討伐の旅には不要な存在だったのか? オレの冒険の日々は何の意味も無かったというのか?!)


 攻撃を続けながら、カールは過去を思い返した。


(どうして敵を倒せないようなオレがユートやシュナの仲間になれたのだろう?) 


 カールが仲間になったのはセシル達が冒険者を辞めて元勇者達のパーティが人手不足になった頃だ。そこそこの攻撃力と戦闘途中で体力が尽きない程度のスタミナがあれば誰でも構わなかったのだろう。とはいえその頃から既にカールの矢は狙った獲物に当たらないものだった。

 しかしそんなカールを仲間に迎えたのはユートとシュナだ。「オレの矢は当たらないぜ?」と念押しするカールに、ユートやシュナは「カールの強力な攻撃が敵に当たったらエグイ事になるし、当たらなくても威嚇や牽制になる。それに仲間が多いほうが敵の攻撃がバラける。当たらないぐらいで丁度いい」と笑い飛ばしたのだ。


(しかしこんな時でさえ敵を倒せないオレがユートやシュナの仲間だったと言えるのか? どうして俺の攻撃はこんなにも当たらないんだ?!)


 長年カールは弓使いとして生きてきたのは……弓の才能があったからだ。

 弓を覚えたての頃は誰よりも正確無比に的を射抜く事が出来た。若かった頃には神童とさえ言われた。だから冒険者として、アーチャーとして経験地を積み重ねてきた。

 しかしカールの矢は正確すぎた。狙った獲物には必ず当たる。カールが弓を引けば狙われた者は確実に命を落とす。周囲の人々は次第にカールの正確すぎる矢の威力を怖れ始め、そして否定するようになっていった。逆にカールが狙いを外したほうが喜ばれるようになっていった。無責任な周囲の人々の無責任な声に知らず知らずのうちに影響を受けてカール自身が弓の才能を封印するようになっていたのだ。


(そうだ、オレの矢は、誰よりも正確に敵を射抜けたんだ。それがオレの才能だったんだ。オレの才能の芽を摘んだのは誰だったのかは思い出せないが、確かにオレの矢は狙ったものを正確に射抜けるんだ……!)


 カールの矢が当たらないのは、カール自身の深層心理で”敵を殺したくない”と思っていたからかもしれない。紙一重で外れるところを狙って撃っていたのかもしれない。普段は軟派な色男だったカールの優しさがそうさせていたのかもしれない。


 一方クロビスはカールの事を怖るるに足りぬ弱い敵と認識していた。カールの攻撃は避けずとも当たらず、万が一当たりそうでもクロビスはマジックアイテムの”リフレクト・シールド”を装備していた。まだ数発の攻撃を防げるだけの効果があった。


「どれほど威力が高くても当たらなきゃどうという事はない。その太った身体では矢を避けるのも大変だろう。そろそろ逃げなくてもいいようにしてやる!」


 仁王立ちとなったクロビスは渾身の力と魔力を込めて矢を引いた。技と魔力で攻撃力を数倍に高めた”クリティカル・アロー”を放つ為だ。


 狙われたカールは大きく息を吐き出し、全身に気合を込めた。太った身体がゆっくりと昔のスマートだった頃のチョイ悪イケメン姿に変化していった。


 かつてカールが魔王討伐の旅を始めた頃の他愛も無い会話が脳裏をよぎった。

 「お前が倒されたらその分の攻撃が俺たちのほうに来ちゃうだろ? 敵を倒すのはカールが倒されそうになった時のたった一発で十分さ」と元勇者は笑って言っていた。


 カールが弓を引いてもクロビスは微動だにしなかった。どうせ当たらないと思っての事だ。

 ハイレベルのアーチャーが面と向き合い、さながら真昼の決闘の様相だ。


 そして2本の矢が同時に放たれた。


 魔力を伴ったクロビスの矢が強力な波動を発しながら空気を切り裂きカールを貫かんとした。

 カールの放った矢は、なにも特殊効果を付与していない、普通に撃っただけの攻撃だった。


 バァン!と稲妻が炸裂したかのような轟音が響いた。

 クロビスの矢は粉々に砕け、その眉間にはカールの放った矢が刺さっていた。


 あまりに正確すぎるカールの”普通に撃った矢”はクロビスの矢の中心を貫き、更に”リフレクト・シールド”さえ貫いた。威力のベクトルを別方向に逸らせないほど正確に力点の中心を貫いたのだ。


 満身創痍だがイケメン姿のカールは、呟いた。


「当てるのはたった一発で十分さ。出たぜSSR」




-----


 周囲で起きた爆発の音や戦いの気配で、元勇者とセシルは状況を理解した。


「どうやらローザとクロビスは負けたようだな」と、元勇者は剣を振るいながら呟いた。

「まだ終わっちゃいない! まだ戦いは終わっていないぞ!」とセシルは声を荒げた。

「さっきから”魔法のオーブ”を使っての不意打ちをしなくなったな。そろそろアイテムが尽きて小細工が出来なくなったか」

「そう言うお前も随分と疲れ果てた様子だな。些細なダメージも無視できないほど体力が減っている事が顔に出ているぞ」


 戦いが長引くにつれセシルの転移や幻術による奇策の回数は減り、殆ど真っ向勝負のような戦いの様相となっていた。

 元勇者も腕に受けた傷で全力を出し切る事が出来ず、剣技に関してはセシルと元勇者は互角の戦いとなっていた。


(まぁ……レベル差でダメージに関しては俺のほうが有利のような気もするんだけどね)


 そうは思いつつ、元勇者は真剣にセシルとの戦いに応じた。

 真っ向勝負でも戦う事をやめないセシルの雰囲気は、どこかで知っているような気がしたからだ。

 セシルの戦い方は悪の道に堕ちる前の冒険者時代のようにも感じられ、しかしその頃のような義憤や情熱は微塵も感じられない。まるで無心にユート・ニィツを殺そうと剣を振るっているようだった。


「どちらが生き残るかで世界の命運が決まる戦いだ! 決着をつけてやる!」

「たかだか冒険者の戦いなんぞで世界の命運は変わらないよ、セシル」

「この戦いは大陸中に中継されている。誰もが冒険者の戦いではなく道化の見世物として見ているだろう! 命がけで戦う冒険者よりも、目立つために嘘をつく道化のほうが世の中を動かす事が出来るのさ! なんと馬鹿馬鹿しい世の中だとは思わないか!」

「何が言いたいのか、よくわからないね」


 キィィン!と剣と剣がぶつかる激しい音が響いた。

 セシルの太刀筋はだんだんと鋭さを増していた。


(セシルの奴、戦いながら俺の剣技を”盗んで”いるな?)


 元勇者の推測は正しいように思えた。幾分手加減しながら戦っていた元勇者だったが、次第に手加減する余裕が無くなっていた。元勇者も深い傷を負っている事で全力を出し切れず、また加齢によって体力も限界が近かった。加齢による体力低下はセシルも同様の筈だが、無心に剣を振るい続けるセシルは体力など気にしていないようだった。


「どうしたユート? 随分と剣捌きが鈍くなってきたな。俺を殺すんじゃなかったのか?」

「そう言うセシルは随分と余裕があるみたいだな」

「オレはユートを殺す事しか何も残っていないからな。嫌な女だったが妻のローザは死んだ。仲間達も死んだ。ユートを殺さなければ”狼煙獅子団”も”希望の暁”も崩壊する。冒険者を辞めた時に失った希望を悪党家業に求めたが、その希望が全てなくなってしまう!」

「これはセシルが始めた戦いだぞ! セシルが選択した結果がこの戦いなんだぞ!」

「ユートがそれを言える身分か? 俺達はフリーランス冒険者として戦い続けた結果が”自己責任”でしかなかったというのに、魔王を倒して尚も日陰暮らしのユートが”選択した結果”を否定できるのか?」

「俺が否定したいのはセシルの独善だ。悪党として好き勝手に生きながら上手くいかなくなったら世の中の所為にするのは自己責任以前の問題だ」

「しかし俺もお前も結果は同じじゃないか。お互い全力で生きながら幸せになれなかったという結果が」

「確かに俺は幸せじゃないかもしれないが、それほど不幸だとも思っていない」

「では俺を不幸にしているのは誰だ? 俺から何もかも奪っているのは誰だ? お前だよユート!! お前が俺を不幸にしている元凶なんだ!!」

「中高年になっての逆恨みはみっともないぞ、セシル!」


 激しく剣を交えながらの舌戦の最中、お互いの剣が激しく弾かれて適度な間合いになった。


「俺に残された唯一の希望は、ユート・ニィツを殺す事だけだ!」


 セシルが剣を構えた。最後の一撃を繰り出す事は気配で判った。


 元勇者は(この感じどこかで知っている)と思った。

 セシルの言葉や態度とは裏腹に、どこか冷めた感じ。元勇者を殺す事が希望と言いながら、その瞳は澱んでいる。生気は乏しいのに戦う事に執着している。まるで戦う事で全てを終わらせたがっているような感じだ。


 ふと元勇者の脳裏に、魔王と戦った時の言葉が蘇った。「得られるものが無くとも自分の理想や目的の為だと思い込もうとしても、人間の短い人生では理想も目的もすぐに色褪せた事であろう。──そなたも長い旅を辞めようと幾度も思った事であろう」と魔王は言っていた。


 セシルは剣に全ての闘気を注ぎ込み、構えた。元勇者はそれが一撃で敵を倒す必殺技”アルティメット・ソード”と察し、即座に同じ構えを取った。


「死ねェ! ユート・ニィツ!!」


 セシルと元勇者は同時に”アルティメット・ソード”を放った。

 お互いの剣と件の切っ先がぶつかり、二人の剣に籠められた闘気が衝撃波となって爆風を発生させた。


(そうだ……この狂ったセシルは、かつて魔王と戦った時の自分自身と似ていたんだ……!)


 同じ必殺技を出し合った二人は、向かい合った格好で動きが止まった。


 元勇者の片刃の両手剣の切っ先がセシルの剣を切り裂いて粉々に粉砕し、セシルの心臓を貫いていた。




-----


 その攻撃力の高さから、セシルは即死している筈だった。

 普通の相手であれば衝撃波で塵になっていてもおかしくない程の破壊力だ。

 しかしセシルは心臓を破壊されても尚、元勇者を睨むように見つめていた。


「……言った筈だぞ、どちらが生き残るかで世界の命運が決まる、と」


 元勇者は無言だった。間違いなくセシルは死んでいる筈だ。なのに喋っている。喋れる筈がないのにだ。何かのアイテムを使ったトリックがあるのかもしれないとさえ思った。


「お前が生き残って俺が死んだ事で、俺の編み出した魔法が完成した! 世界を変える”希望の無いパンドラの壷”が発動する!」


 そう言い終わらぬうちにセシルの貫かれた胸から光が漏れた。穴の開いた鎧が崩れて落ちると、セシルの心臓の辺りを中心に身体に刻まれていた魔法陣らしき文様が光っているのが見えた。


(しまった! これがセシルが生み出そうとしていた”自然の摂理を変えてしまう魔法”か?!)


 元勇者はセシルに突き刺さった剣を抜こうとしたが、引き抜く事が出来なかった。


「俺が生き残れなかった世界に”希望”なんてモノは要らないだろう。世界から永久に”希望”を奪い取って、代わりに”絶望”を永遠に撒き散らす魔法が発動したのさ」

「そ、そんな馬鹿げた魔法があるわけがない! そんな魔法が編み出せるワケがない!」

「そう、こんな魔法を発動するには生贄が必要だった。最後の希望も失った俺のような人間の”絶望”を贄にして、希望を絶望を連鎖的に変換し続ける特殊魔法だ……特殊な錬金術とも言えるがね」


 元勇者が全力で剣を引き抜くと、胸に穴の開いたセシルの身体が黒く染まり、足元から塵となっていった。つま先から踵、そして膝まで地理になってもセシルの身体は立った格好のままだった。足が無くても立っている様はまるで幽霊のようだ。


「良い事でも悪い事でも本気で頑張っても報われず幸せになれない絶望ってのは、俺達しかわからない事じゃないか。適当に生きている奴らのほうが幸せになっているのは不平等じゃないか。ならば世界から希望を消し去って、誰もが絶望の中でしか生きられない世界のほうが平等だとは思わないか」

「それがセシルの”人類補完計画”って事か……全く賛同できない八つ当たりでしかないが……」


 元勇者はそこで言葉を飲み込んだ。「賛同できないが理解は出来る」とは、これからセシルの最後の魔法がどのような被害を(もたら)すのかを知らなければ、迂闊に言って良い事ではない言葉だった。


「俺がユートに勝った世界のほうがユートの望む世界だったかもしれないな。だが、これからの世界はユート・ニィツが選んだ世界だ。せいぜい苦しめ……ハハハハハ!!」


 黒く染まったセシルの身体は遂に頭の先まで塵となって消え去った。

 魔法の贄として消費され消滅したのだろう。


 戦いの後には、何も残っていなかった。

 元勇者はしばしその場で呆然と立ち尽くした。


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