「決戦前夜」
山賊セシルが大陸中の”スマート水晶”に向けて発信したデマゴーグは世間を騒がせた。
元勇者にまつわる噂……それは”悪徳商人を成敗して人身売買を食い止めた”というのが真実ではあるが、無責任な噂で”元勇者ユート・ニィツは商人の敵である”と歪められて広まった。
この問題は元勇者が辺境の砦に身を隠し続けて噂が落ち着くのを待つことで消極的解決を目指していた。元勇者が助力したインガー帝国の側から”元勇者は悪徳商人を成敗しただけ”という事が広まった事で、歪められた噂は自然消滅しかかっていた。
しかし山賊セシルが商人から巻き上げた金を溜め込んだまま姿をくらませた事で、世間は不景気になっていき、不景気は治安の悪化を助長した。寒期の寒さが世間の人々の気分を更に沈ませた。
元勇者にまつわる噂も話題の旬を過ぎて語られなくなり、寒期もピークを過ぎて春の気配が近付いてきた頃。ようやく季節も景気も寒々しい時期が過ぎ去るのではと誰もが期待し始めたタイミングで、その出鼻を折るかのように山賊セシルのデマゴーグが大陸中に配信されたのだ。
その配信はリピートされて1日中続き、”スマート水晶”を持っていない人々にまで内容が広まって話題となった。不景気の中での数少ない娯楽品だった”スマート水晶”が誰かによって強制的かつ一方的に情報発信された事も人々を驚かせたし、その内容が「世界を救った勇者を名乗る者が、偽の勇者と対決をすると宣言した」のだから、その内容の真偽は兎も角、話題にならない筈が無かった。
世間はまるでプロレスの頂上決戦でも始まるかの如く、やはり無責任にああだこうだと語った。セシルが正しいとか信用できないとか、ユートが悪いとか期待できるとか、適当ながらも正しい声もあれば騙されたままの声もあった。不景気で寒い季節の中、大陸中の人々が共通の話題として語り合うほど注目を集めていた。
そして元勇者ユート・ニィツと山賊セシルとの対決の前日となった。
---
それでも尚普段と同じように安穏と過ごしていた元勇者の元に、シュナとカールがやってきた。きゅぴーんきゅぴーん。
「これはこれは。絶賛婚約者募集中のガッカリ熟女シュナと、しあわせの箱を探す冒険をしている商人カールじゃないか」
元勇者のいつもどおりの悪態を2人は無視した。
2人は無言でリビングスペースのテーブルの席に着き、目で元勇者も座るよう促した。元勇者は面倒くさそうにそれに応じた。
「きょうはシュナもカールもノリが悪いな。なにか変なモノでも食べたのか?」
シュナは元勇者の言葉には答えず、淡々と話し始めた。
「明日のセシルとの戦いには、私も参加しますからね」
「まるで俺が山賊セシルの挑発に乗るかのような言いようだな」
「乗るに決まってるじゃない」
「どうかなぁ。明日は明日の風が吹くって言うし」
「アーティス国王はこの件に関して一切何も言わなかったわ。つまり……あなたならどういう事かよくわかるわよね」
「ふぅん……何も言わなかったんだ。あの王様いつもトンデモ発言ばかりなんだから、なにか変な事でも言えばよかったのに」
「あなたはアーティス王国と縁があって係わり合いがあるけれど、冒険者でしかないあなたはアーティスの兵士では無いし、アーティス国王の忠臣でもない。北の辺境の宿場町近くの炭鉱で悪徳商人達の人身売買を食い止めた事で変な噂が広まったからこんな辺鄙な砦に隠居しているけれど、セシルの”スマート水晶”を使った偏向配信で無駄になったわ。つまりあなたがこの砦に隠れている意味は無くなったし、セシルと決着をつけなければ濡れ衣を着せられたままになるのよ」
元勇者は困ったような笑顔で、特に返事もせずに頭を掻いた。
シュナは言葉を続けた。
「アーティス国王が何も言わなかったという事は、あなたがこの砦での軟禁を無視してセシルと戦う事を黙認するという意味でしょう。アーティスが国としてあなたを支援する事は無いけれど、あなたがどう判断して行動しても自由だという事なんでしょう」
「あの王様が何も言わなかっただけだろう? きっと眠かったんだよ。深い意味なんて無いさ」
「しらばっくれるのは構いませんけど、あなたは絶対にセシルと決着を付けに行くでしょうから、私はセシルとの戦いに参戦するわ」
はぁ、と元勇者の大きなため息がリビングスペースに響いた。
「シュナがそんなに戦闘大好きとは知らなかったよ。メテオストライクとかも趣味で打ち放っていたんだと思ってた」
「そろそろそのつまらない冗談は止めてくれないかしら」
「シュナには無関係の戦いに参加したいと言い出すほうが冗談に聞こえるんだがな」
ふぅ、と今度はシュナがため息をついた。
「山賊に落ちたセシルは、私やユートが共に冒険の旅をしてきた仲間だったわ。私達のリーダーだった。そのセシルが山賊になる道を選び、冒険者だった頃の私達が救おうとしてきた人々を不幸にして、挙句にかつて仲間だった私達を殺す為にこんな大掛かりな嘘をついているのよ」
「そんな事は、アーティス近くでの山賊騒動でセシル達と再会した時からハッキリしている事じゃないか。それともあの時にセシルを殺しておかなかった俺を責めているのかな?」
「元々は私達のリーダーとして人々のために戦っていたセシルが、どうしていまのような悪党に落ちぶれたのかはわからないけれど、その誤った道を進む事を止めるのは私達がセシルに出来る情けでもあるし、責任でもあると思うの」
「難しい事を考えていたんだなシュナは。結局のところ、人生いろいろ、だよ」
「それに……」
シュナはそこで言葉に詰まった。暫く声を出すのに躊躇した様子を見せたが、覚悟を決めたかのように語り始めた。
「……私は魔王との最終決戦の時、勝ち目が無いと思い込んであなたを見捨てるように戦いの場には戻らなかったわ。きっとあなたも戦わずに逃げるものだと思っていた。もちろん魔王との決戦前に旦那を見つけて結婚しようと頑張っていたけれど……」
「あ、そこはガチなんだ」
「ともあれ結果として私は一番大事な時に仲間を裏切って逃げた格好になってしまったわ。もちろん良い旦那が見つかっていれば戦いの場に戻れたんですけれど」
「いやそれ可能性ゼロだろ、常識的に考えて」
「魔王との戦いの前に、恐怖や葛藤で人生の選択を間違えてしまったのかもしれないと思う事もあるし、この時の判断が禍根となって山賊セシルのような悪党を生み出してしまったのかもしれないと思う事もあるわ」
「”禍根”ねぇ……」
シュナの表情は真面目なままだった。
その”禍根”が「魔王との戦いから逃げた事」なのか「必死に結婚相手を探したのに見つからなかった事」なのかは元勇者にはわからなかったが、シュナが真顔なので冗談も言えなかった。
「とにかく私は過去の禍根を絶つ為に、セシル達との戦いに参加しますからね」
元勇者は返事を返さなかった。まだセシルと戦うとも言っていないのに「戦闘に参加する」と言われても困るばかりだった。
元勇者が懐から煙管を取り出し、煙草葉を詰めて火をつけ一服する間、沈黙が続いた。
煙管の紫煙が薄らいで消える頃、カールが口を開いた。
「勿論オレも参加するぜ。過去の禍根という事なら、オレも魔王との戦いの前に逃げ出した身だ。あの時逃げずに戦っていればと毎日のように考えちまう。逃げ出した筈なのに少しも心が休まる事が無かった」
「逃げ出した先が、高齢となった親の介護だったっけ。魔王との戦いと比較していいものかワカランが、まぁ大変だったんだろうなぁ」
「それにオレは逃げ出した事で大きな心残りが……いやなんでもない。魔王とか世界を救うとかといった事とは関係のない個人的な”禍根”を残しているんだ」
「プライベートな事が何かは知りたくもないが、命をかけなきゃならないような戦いなんてしないで禍根を残したまま長生きしたほうが良いんじゃないか?」
「考えた上での結論さ。オレも戦いに参加するよ」
元勇者は呆れ顔で煙管の煙を吐き出した。
元勇者はもう戦いとかウンザリなのに、どうしてこの肝心な時にいなかった2人は今更戦いたがっているのだろうか。
「お前達が戦う相手は山賊に落ちた元英雄のセシルだ。光の戦士とさえ呼ばれた男だったが冒険者家業で心が折れて暗黒騎士のように成り果てた悪党だ。俺とシュナにとってはかつての仲間でもあるし、カールはセシルの強さを知らない厄介な相手だ。最近の”狼煙獅子団”や”希望の暁”などの狡猾な悪事からも、明日の戦いがスポーツマンシップに則ったフェアプレイになる可能性はかなり低いだろう。……それでも戦うというのか?」
シュナとカールは無言で頷いた。
「ならば勝手にすればいいさ。俺にお前達を止める権利は無いんだから」
「私達もユートを止める権利は無いわ。あなたを慕う3人の少女達も山賊セシルの指定した場所に向かうそうですから」
「マジで?」
ホリィ・ディア・ライムの3人は、シュナと共にポータルでアーティス城に帰っている。それっきり辺境の砦には来ていないので、元勇者は山賊セシルとの件には関わらないだろうと思い込んでいた。しかしその予測は外れたようだ。
「ユートはセシルに濡れ衣を着せられたままでも構わないなんて腑抜けた事を思っていたのかもしれないけれど、それではあなたを慕っていた若い子達は納得できないわ。あなたの汚名を払拭する為にアーティス王も家賃タダの砦を貸してくれているのだから、このまま放置して良いわけがないでしょう。この騒動はもうユートだけの問題じゃないのよ」
---
ディアにホリィとライムが共に装備を固め、その周囲をアーティス軍精鋭部隊が取り囲むように陣形を組んで護衛して進軍していた。向かう先は山賊セシルが指定した決戦の場、大陸の中心に位置する火山の噴火口「ヘルズドア」だ。
普通なら数日かかる距離だが、途中までポータルを活用しているので翌日の到着は確実だった。部隊は少数精鋭の予定だったがディアを守りたい親心でアーティス王が多めに用意し、更に周辺国の兵士も遠征し合流して100人を超える大部隊となった。
アーティス国王は玉座に腰掛け、こめかみを押さえて黙ったままだった。
「勇者とセシルの戦いに決着が付くのを何もせず待つわけにはいかない」というディアの強い進言は、少女の一直線の情熱と、王家の血の濃さが合い混ざって、アーティス国王を以ってしても押さえ込む事が出来なかった。
もちろん王としても父としてもディアを戦地に赴かせるような事には反対だったが、その命令に従わないのであれば十分な兵力で守り、君命として「深入りせず事の次第を見届ける事がアーティス王国の立場であり、一線を越えればアーティス国民に不利益をもたらす」と告げる事でディアの若気の至りに正当性を与えつつブレーキをかけた。ディアも父である国王と反目したいわけでは無いので、しぶしぶながら承諾した。
アーティスの国民の反応はというと、商人ギルドと太いパイプを持ち名の知れている”希望の暁”は元勇者同様に様々な疑惑があり、対する元勇者はまるで名が知られておらず、しかし一部に熱心な支持者がいる事で疑惑の真偽が定められないという感じで、結局のところ世間の大半はどちらが正義なのか全くわからないままだった。
これは大陸全土でほぼ同様の事だったが、人攫い騒動を解決したインガー帝国では元勇者は英雄の如き評価を得ていたし、商人の多いインモールでは”希望の暁”を信じたいという者が多数派だった。事情を何も知らない者達は山賊セシルの”スマ水晶”によるプロパガンダを信じてしまう者も多かった。地域差はあれど全体的にはセシルが僅差で支持されていた。
セシルと元勇者の決闘は、大陸中の人々が注目する出来事となっていた。
-----
ディアと想いを同じくするホリィとライムの3人娘は、アーティス精鋭部隊の中心にいた。
100人近い大部隊は、夜更け頃には目的地である大陸中央の火山の間近に到着していた。日の出と共に出発すればセシルと元勇者の決戦の場に数刻も経たずに到着する距離だ。ディアを陣頭に進軍する精鋭部隊の目的は戦闘に参加する事ではなく、元勇者の戦いを見届けるディア達を守る事でしかない。
それだけの為に大軍勢が行進しているのは、勿論アーティス王の君命だからであるが、アーティスの兵士達は元勇者の実力を知っている者が多く、その”魔王を倒した勇者の戦闘”を実際に見てみたいという者も多かった。
ディア達に直接仕えているアレクサンドラもその一人……なのかどうかはよくわからない。
アレクは(一応)ディア達と同じ女性であり面識もある事から身辺警護を任され、辺境の砦での元勇者の護衛と監視の任務を取り止めて精鋭部隊の大部隊の一員として参加しているのだ。
寝付けぬ様子のライムが、星空を眺めながら呟いた。
「……アノ赤イ星ハ、一体何ナンデショウ?」
同様に寝付けないでいたディアとホリィも夜空を見上げた。
「随分と低い空に光る星ですね?」とホリィ。
「それに真っ赤に光っていて、なんだか不気味ね」とディア。
その声に気付き、アレクは言った。
「あれは星ではありません。魔術師達が観測した結果、どうやらスマ水晶が魔法で宙に浮かんでいるようです」
「スマ水晶が夜空に浮かんでいる? どうしてそんな事を……」
ディアは言いかけて言葉が途切れた。
決戦の地に近い土地の空に怪しい物が浮かべられているのであれば、それは山賊セシルが仕掛けた何かであろうと思われるからだ。
「多分ですが、先日の大陸中に配信された挑戦状動画のような事を行う為のスマ水晶では無いかと」
「いまは私のスマ水晶には何も映っていないわ」
「これは魔術師の推測ですが、明日の決戦の様子を大陸中にライブ配信するために設置されている可能性が高いそうです」
「ら、”ライブ配信”?」
ディアは(そんな言葉を使って世界観的に大丈夫なの?)と思ったが、深く追求してこじれたら困ると思い黙った。
「推測の域は出ませんが、勇者様と”希望の暁”との戦いが始まる時間になるとこの地域の様子を映像として大陸中のスマ水晶に送信するのではないかと。つまり実況ライブ中継の魔力ネット配信です」
「そんな言葉を使って世界観的に大丈夫なの?」と、こんどは黙らずツッコんだ。
「夜空に赤く光って少々不気味ではありますが、スマ水晶にかけられた魔法のそれぞれは然程珍しいものではないのだそうです。かなりの魔力が込められたものと思われますが、せいぜい1~2時間の生配信で魔力は尽きるのではと調査している魔術師達は言っていました」
「生配信って言い方もどうかなぁと思うんだけど」
「使われている魔法のそれぞれは珍しいものでは無いのですが、このような使われ方は前例のないものです。ですのでそれを言い表す為の新語は仕方がないかと」
「少なくとも勇者様を貶めるための罠ではないのですね?」と、ディア。
「勇者様が顔出しNGであるとか、自分のチャンネルで配信したいという事でなければ問題は無いかと」
「チャンネルって……」言いかけてディアは我慢した。平常心、平常心。
「ともあれ皆様方そろそろ眠らないと明日に差し支えますよ」
アレクはアレクで我慢していた。
スマ水晶というものが単に音声や映像を映し出すための魔法グッズとして世に広まったのではなく、元々は大人の淫らな戯れを魔法の水晶に記録して売りさばく商売が流行していた事が”スマ水晶”の原点である事を。いわゆるオトナのオモチャの18禁グッズで、アレクは異世界AVなどについて熱く語りたい欲求を乏しい理性で必死に押さえ込んでいたのだ。
(ちなみにこの場合の”異世界AV”の”異世界”は別の時空間の世界を言い表すものではなく、日常に対しての非日常という意味でしかない)
-----
「うーむ、平常心、平常心」
辺境の砦で一人夜を過ごす元勇者はボンヤリと呟いた。
出来るだけ平常心で明日に挑みたいとは思いつつも、やはりかつての仲間であるセシルと戦い、多分元勇者が勝ち、仲間だった者の命を奪う事には少々の葛藤を感じていた。
「やっぱセシルが山賊を引き連れてアーティスに攻め込もうとした時にコロコロしちゃえば良かったんだろうなぁ」
実際に元勇者は久しぶりに再会したセシルが山賊のリーダーに成り下がっていたのを目にした時に”せんとうふのう”にしてしまう事も考えていた。実際にそうするつもりもあった。しかしどうにも気分にならず、結果として少々脅かして見逃しただけとなった。
「でも小娘達の前で人殺しを見せるのもちょっと違うよなーという気分だったし。でもでも見逃した事でかなり大きな問題に発展しちゃった事も事実ではあるし……」
どうしてこんな事になっているのか。元勇者の望んでいる流れではなかった。
明日セシルと戦う事は不可避であろう。元勇者が出向かなければ更に大々的なプロパガンダが行われるであろうし、セシルの言う事が正しいと黙認したようになってしまうだろう。
戦えば元勇者はきっと勝つだろう。途中で冒険者を辞めたセシルとの戦闘能力の差は歴然だ。しかしセシルから挑戦してきた事から何らかの作戦や罠があるのも明白だ。戦いの中で余裕がなくなれば”手加減が出来なくなる”。いわゆる戦闘不能状態にしてセシルとの決着を着ける事が難しくなれば、野蛮で原始的な殺し合いになるだろう。もちろん元勇者がセシルを殺す事になるだろう。
問題は、元勇者はセシルを殺すほどの感情や恨みを抱いていない事だった。
せいぜい悪い事が出来ない程度に痛めつけ、その後は元勇者の前に姿を現さないままであれば十分だった。
「俺とセシルのどちらが悪かだなんて、ドングリの背比べみたいなものなんだけどなぁ」
元勇者は煙管に火をつけた。そして漂う紫煙をぼんやりと眺めた。
セシルと再会した時、元勇者は山賊集団のリーダーになると冗談のような事を言った。それが冗談なのかは元勇者自信にもよくわからなかった。
元勇者も長い長い冒険の旅の間、幾度も冒険を辞めて人生をやり直したいと考えた。しかし職歴が冒険者しか無い元勇者がフリーランスを辞めてもどう人生をやり直せば良いのか。せいぜいしがない用心棒か山賊に実を落とす他に転職の道は無い。農業や力仕事では冒険者の経験は殆ど生かせないだろう。
セシルが冒険者を辞めたのがアラフォーの頃だった。幾多の魔物を倒し人々を救い続けたセシルが山賊に実を落とすしかなかったのには事情があるのか、それとも正義の戦いに疲れたのかはわからない。しかしセシルは悪党として悪徳商人達を支配するほど出世している。これは適当に悪事を重ねているだけでは成し得なかった「悪党の偉業」と言えるだろう。
もし元勇者がセシルのように冒険者を辞めていたら、セシルのように悪の道を進まずにいられただろうか?と考えるといささか自信がない。人々を救う為に様々なイベントをクリアし続けてきたが、助けた人々が必ずしも善人であるとも限らなかった。成功報酬を踏み倒されたり、八つ当たりのような非難を受けた事もしばしばだ。
もしセシルが冒険者を続けていれば、魔王を打ち倒していたのはセシルだっただろう。
もし元勇者が冒険者を辞めていれば、悪党として大成できていただろうか?
どちらにしても、元勇者とセシルは「同じ穴の狢」でしかないように思えた。
少しだけ進む道が違っただけで、元勇者は魔王を倒す為に人生のうちの若く健康だった時代を全て費やし、セシルは悪の道で成り上がる為にそれまでの名誉を捨てて悪党としてのレベルを上げる為に努力し続けてきたのだろう。
世知辛い世の中を見続けてきた元勇者にとっては、セシルが悪とも言い切れなかった。誰かを救う為にはもう一方の何かを犠牲にしなければならない事はしばしばだ。
例えば世界を侵略しようとした魔王も、魔族にとっては正義の為の行動だったのかもしれない。モンスターが世界を支配する事が正義だと考えていたのなら、敵は人間であろうし排除しようともするだろう。セシルも”狼煙獅子団”や”希望の暁”といった組織を守り発展させる為に仲間ではない人間から奪い殺してきたのだろう。元勇者がモンスターを倒し続けてきた事も立場が変われば残虐な悪事になるのかもしれない。戦わない一般の人々が正義かというとそうでもない事は幾度も目にしてきた。
「まぁ、どのみち明日はセシルと戦わなきゃならない事は避けられそうに無いんだから、深く考えるだけ無駄ってものか」
そう考えても気分はどんよりとしたままで晴れる事は無かった。
元勇者が冒険者を辞めなかった事に後悔と禍根があるように、セシルは冒険者を辞めた事に後悔と禍根があるのかもしれない。
しかし自分の禍根を断つ事もできない元勇者に何が出来るだろう。
出来る事はせいぜい、戦いあった結果で引導を渡し相手の禍根を断ち切る事だけだった。
……しかし命と共に禍根が断たれるのは元勇者のほうかもしれない。
戦闘力や攻撃力では元勇者のほうが圧倒的に上だが、その元勇者に挑戦状を叩きつけてきたのはセシルのほうだ。賞賛も無く戦いを挑んでくるとは思えないし、悪党レベルはセシルのほうが遥かに上だ。どのような罠があるのか不明なので、どちらが勝つかは戦ってみないと判らない。
「まぁ俺が負けても、悲しむのはせいぜい小娘達だけだろうし、若者だからすぐに俺の事など思い出になって忘れ去ってしまうだろう。親戚縁者もいない独身中高年だから葬式も簡単に済むだろうし。独身中高年の良いところは死んだ時ラクって事だけなんだし……」
自分で言いながら自分の言葉に気分が落ち込んだ。なんと寂しい人生なのかと。
親戚や縁者がいれば元勇者の死後も時々は思い出してくれるだろう。実子であれば尚長く記憶に残してくれるだろう。それは元勇者は確かにいたという存在証明のようなものだ。そういった存在が途絶えた時、元勇者に関する記憶は世の中から消え去ってしまう。魔王を倒した勇者であっても存在が曖昧なら伝説や御伽噺にしかならない。
「あぁ、こんな事はしばらく考えていなかったが、小娘達が押しかけてくる前までは頻繁に考えて鬱になっていた事だった。久しぶりに思い出してもやっぱり鬱な気分になるだけだった……。もう寝よう……」
元勇者は鬱な気分から脱する為に、また明日の戦いに備えて早目に就寝する事にした。
その逃避の眠りさえ深夜にトイレに行きたくなって目が覚める事が増えてきた。原因は加齢であろう。
「せめて良い夢が見たいなぁ……」
まるで貫禄の無い事を呟きながら、元勇者はベッドに潜り込んだ。




