「ふたつの禍根」
停止したポータルに再び魔力が戻り再稼動したのは翌日の夕方頃だった。
それに気付いた元勇者は、大きなため息を吐き出した。
(これで、これで少しは落ち着けるかもしれない……)
なにしろ然程広くない砦の中に、ディア・ホリィ・ライムの3人娘、サッキュバスのサッちゃん、18禁レベルMAXのアレクに加えて元祖ガッカリ処女ビッチのシュナまでいるのだ。
ただでさえ女子高の如く男には居心地の悪い状況であるのに、この2ヶ月ほどの間にサッちゃんやアレクと如何わしい関係になったのではないか?という3人娘の疑惑を晴らさなければならなくなったのだ。
3人娘からの疑惑も最初は「そんな事があるワケがない」と軽く流せそうだった。しかしサッちゃんはその疑惑を既成事実にしようと適当な嘘を言い始め、アレクは「オスとメスが一緒にいれば18禁展開になるのは当たり前」などと言い出し、シュナも歪んだ恋愛観で話をかき回した結果「元勇者はムッツリスケベの色情狂」という結論になりそうになった。
元勇者は内心(ムッツリスケベというところは否定しないけど)と思いつつ、色情狂という事にされればこれまでの我慢が全て水泡と化してしまうので必死に否定し続けなければならなかった。
3人娘は元勇者と久しぶりの再会だった事もあって、夜が更けてもなかなか眠ろうとしなかった。結果、元勇者に対する逆セクハラトークは深夜まで続いた。肉欲よりも睡眠欲が勝った頃にようやく元勇者への言われなき糾弾は終わった。
夜更かししたためか元勇者以外の面々の起床時間はバラバラで、作り置きした食事を食べる時間もそれぞれ別々だった。おかげで狭い砦での集団生活も波風が立たないおだやかなものとなった。元勇者だけは加齢の為か早朝に目覚めてしまい、トイレなどを済ませて二度寝してみたが熟睡は出来ず、色情狂の汚名を着せられそうになった居心地の悪さもあって、静かで平穏であるにも関わらず落ち着かない気分の1日となった。
そんな1日の夕方に、ようやくポータルが再稼動したのだ。
(折角ポータルが起動したのに、他の誰も気にしていないようだ……)
砦のエントランスに一人突っ立っている元勇者は心の中でボヤいた。生娘からビッチまでの女性陣6名はそれぞれ個室でくつろいでいるようで、他に用事が無ければ夕食時まで顔を合わせる事は無いかもしれない。
「まったく、みんな実家暮らしのように安穏とくつろぎやがって……」
元勇者のボヤきは声となって発せられたが、それを聞く者もいなかった。
3人娘は襲撃されたというアーティス城から非難してきたという事なので、余計な心配をせずにくつろいでいるのであれば良い事だ。シュナやアレクは暇があればトラブルしか起こさない気がするので静かにしていて欲しいし、サッちゃんは腐っても魔物であるので平穏だからと油断は出来ない。
「平穏なのは良いけれど、ポータルが再稼動したという事はアーティス城の問題も解決したという事だろうに、誰もそれを気にしていないというのはいささか楽観的過ぎやしないか?」
元勇者がブツブツと独り言を言っていると、砦の個室のひとつからホリィが姿を現した。お茶でも飲もうと思ったのかトイレに行きたくなったのか。さほど慌てていない様子から前者であろうと思われた。
「勇者様、そんなところで一人、何をなさっているんですか?」
「どうやらポータルが直ったみたいだ。アーティス城での騒動も落ち着いたという事じゃないかな」
「よかった。昨日は急に城内が騒がしくなって、衛兵さん達が走り回って大きな声で叫んだりしていて、ちょっと怖い雰囲気でしたから」
「多分だが城に忍び込んだクロビスが騒動を起こしたのだろうが、アーティスの衛兵達に捕らえられる相手でもなかっただろうなぁ。山賊に落ちぶれたとはいえ元は結構レベルの高かった冒険者だから、一般的な兵士にとっては驚異的な相手の筈だ」
「私にとって冒険者の基準が勇者様なので、世間一般の冒険者をやってらっしゃる方々の強さというものがよくわからないのですが、”希望の暁”の方々はそれほど強い相手なのですね」
そう言うホリィも元勇者と行動を共にしてきた事でアーティスの新兵よりレベルは高くなっていた。一般兵が恐れる相手であっても3人娘なら臆さず立ち振る舞う事だろう。
「まぁ”希望の暁”で強いのはセシル・ローザとクロビスの3人だけだろう。もうルト・マルスのような元冒険者も山賊の用心棒で雇われる事も無いだろうし、残りは山賊か雑兵だ。山賊程度ならアーティスの軍隊で撃退できるだろう」
「でも昨日のように奇襲で襲われるのは……怖いです」
「戦闘はスポーツじゃないから、山賊とかの使う姑息な戦法は侮れないんだよなぁ。そして戦いはどんな卑怯な手を使っても、買ったほうが正しいという事になりがちだ。負けたほうは死人に口なし、死して屍拾うものなしだから」
「勇者様、あまり脅さないでください。本当に怖くなってきました」
「臆病なぐらいで丁度いいものだよ。こんな平穏な時であっても油断大敵という事を忘れないように……」
「あっ、勇者様、ポータルが稼動し始めました!」
ポータルが”きゅぴーん・きゅぴーん”という謎の効果音を発した。
「さて、誰が出てくるのかn……」
ゴスッ!!
元勇者の眉間に、1本の矢が突き刺さった。
ポータルの向こう側から放たれた弓矢が元勇者の脳天にクリティカルヒットしたのだ。
元勇者は声も出さず、そのままゆっくり床に倒れた。
「えっ? あ、あの……ゆ、勇者様? 勇者様ーッ!?」
ホリィの悲鳴が響き、部屋から他の者達が様子を伺いに出てきて、ようやく平穏すぎる時間は終わった。
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シュナは淡々と、言った。
「元冒険者ユート・ニィツ、享年50……えぇっと享年って数え年だったかしら? そもそもユートの正確な年齢なんて覚えていなかったわ。とにかくそれっぽい年齢に1歳足せば享年って事にならないかしら?」
「縁起でもない事を言わないでください!」とディアは厳しい口調でシュナに言った。
おでこに矢が刺さったまま仰向けに倒れこんだ元勇者の周囲を3人娘達が心配そうに見つめ、その傍らでシュナは無表情で立ち、サッちゃんとアレクは狼狽していた。
特にアレクは”元勇者の護衛”が本来の任務である為、あたふたと滑稽なほど狼狽しまくっていた。
「ままま、まさかこんな事が起きるなんて! わたわたわた、私は一体どうすれば……!」
「アレクさん、落ち着いてください」と、ホリィ。
「そそそそうだ、人工呼吸を……!」
「ダメです! 勇者様への人口呼吸なら私達がします!!」
「しかしこれは私の責任ですから、あわわわわ」
「……? ちょっとアレクさん! どうして人工呼吸で勇者様のズボンを下げようとしているのですか!」
「ゆゆゆ、勇者様の勇者様に人工呼吸をすれば、きっと勇者様は勃ちあがる筈ですッ!?」
アレクが元勇者のズボンをがっしり掴んで引き下そうとした時、ライムが雷撃の魔法をアレクに放った。攻撃レベル0.01程度の軽い電撃ショックだったが、狼狽し暴走するアレクを止めるには十分だった。
「私達ノだーりんニ手ヲ出シタラ許サナイッチャ!」
「あらライム、語彙が増えたようね」と、シュナ。
「古典ノ知識モ役立ツ事ガアルカモシレナイシ、突然りめいくサレタリスル時代カモシレナイノデ」
「あまり変な事ばかり覚えちゃ駄目よ。リメイクも増えすぎたら話題性が薄れちゃうようだし」
呑気な態度のシュナに対し、再びディアが厳しい口調で言った。
「一体何を言っているんですか! 勇者様が倒れているというのに!!」
ライムの雷撃魔法の静電気とディアの大声で、ようやく元勇者は意識を取り戻そうとしていた。
「うっ、うう……五月蝿い奴等だ……」
元勇者の呟きにシュナは心の中で「ギリギリセーフ!」と思ったが、勿論口には出さなかった。
「ホリィちゃん、勇者様に回復魔法を!」とディアは指示した。
「はい! 治れー! 治れー!!」とホリィは即座に元勇者の頭に全力で回復魔法を唱えた。
元勇者の意識はゆっくりと覚醒していった。
「……頭痛がする、は……吐き気もだ……くっ……ぐぅ」
頭に矢が刺さったままの元勇者は身体を起こそうとしたが、どうやら意識が混濁している様子だった。
「よかった! 目が覚めましたか勇者様! 頭の傷は大丈夫ですか!」
喜ぶディア。しかし元勇者の意識はまだ混乱している様子だった。
「ヘルメットが無ければ、即死だった……」
「勇者様ハへるめっとシテマセンヨ」と、ライムがツッコミを入れた。
「ヘルメットなんて飾りです、偉い人にはそれがわからんのですよ」
「勇者様、頭、大丈夫デスカ? 」
「兄さん……頭が痛いよ……!」
「オ兄サンガイラッシャッタノデスカ? ソレトモ超能力ニ目覚メタノデスカ?」
「アブトル・ダムラル・オムニス・ノムニス……」
「勇者サマ、オデコニ矢ガ刺サッテ怪我シテイマスガ、第3ノ目ガ開イタわけジャアリマセン」
一応は言葉が話せる様子、つまりは致命傷ではなかった様子である事にライム達3人娘は安堵のため息をついた。
「また私の回復魔法がうまく効かなかったのでしょうか?」
ホリィの回復魔法は以前に元勇者の心の歪みを治してしまった事があったが、今回は単に脳天へのダメージで元勇者の意識が混乱しているだけのようだった。
「……うーむむむ、頭痛が痛い。なんていうかチョベリバな気分だ」
「勇者様! 意識が戻りましたか……? 戻ってますよね???」と、ディア。
「うーむ、ナウなヤングのキャピキャピした声が響いて熟睡できなかったよ」
「き、きゃぴきゃぴ? い、意識戻ってますよね?」
「大丈夫だ、問題ない。なんだかひどく頭が痛むけど」
「勇者様は頭に矢を受けて倒れられたのです。いまも頭に矢が刺さったままです」
元勇者はおそるおそる額に手を当てた。確かに1本の矢が突き刺さったままだった。ちょっとだけ血が出てる。
「たしかポータルから誰かが出てくるかと思った矢先、頭に矢を受けて……それで気を失ったのか」
「そのようです。私はその場を見ていませんでしたし、ホリィちゃんも突然の事でよくわからなかったようなのですが」
「俺は一体どれだけ気を失っていたんだ? 頭に矢が刺さったままという面白い格好で失神していたのは恥ずかしすぎるんだが」
「おおむね5分ほどでしょうか。勇者様が死んでしまったのではと本当に心配しました」
「この弓矢には何かが付いているんじゃないかな? 近すぎてよく見えないけど」
「私達も気になっているのですが、多分”矢文”だと思います。勇者様の頭が大丈夫でしたら抜いたほうが良いかと」
「頭が大丈夫かどうかって……」
歳を取っても頭が悪いと言われれば気分を損なうものだが、それ以前に格好が悪い事に元勇者は赤面しそうだった。
どうやら何者かが……勿論アーティス城で騒乱を起こし姿を消したクロビスが放った矢文であろうが、元勇者の脳天を狙って射ち込んだわけでは無いだろう。死んだら矢文の文面は読めないからだ。
その”狙ったわけではない矢”を運悪く脳天に受けてしまった元勇者は、戦闘時の覇気も防御もなくクリティカルヒットして気を失ってしまった。戦闘時であれば怪力のハガーの攻撃を脳天に食らっても平気な元勇者だが、全く警戒していない状態では本当に死んでいたかもしれない。助かったのは瞬間的な防御が僅かでも発動していたからであろうが、それは殆ど奇跡のようなものだ。防ぎきれなかったダメージで脳震盪を起こし元勇者は失神してしまったようだ。体力をヒットポイントという数字に置き換えて考えたならば1/4程度はHPが失われている感じだ。とはいえ……
「……どうやら無事のようだ。怪我もたいした事は無い」
そう言いながら元勇者は額に刺さった矢を引き抜いた。一筋の血が流れたが鏃が食い込んだ程度の浅い傷で済んだようだ。
「たいした事がなかったのなら、さっさとその矢文に付いた手紙を読んでみなさいよ」
シュナは素っ気無く言ったが、その視線の先はポータルに向けられていた。元勇者のダメージが敵の意図した事であったなら、次にポータルから姿を現すものが何なのか警戒する必要があるからだ。他の者達が狼狽し混乱していた中シュナだけが冷静に行動できていた。
「相手はポータル経由で矢文を射ち込んでくる輩だから、内容は概ね察しが付くけどな」
元勇者はホリィにおでこの傷に絆創膏を貼られつつ手紙に目を通した。年頃の少女は何故か可愛い柄の絆創膏を常に持ち歩いているようだ。
手紙を一読した元勇者は、事も無げに言った。
「お察しの通りの内容だ。差出人は”希望の暁”名義の山賊セシルで、内容は”1週間後に決着をつけよう”って感じだ」
元勇者を取り囲む女性陣は、黙ったまま言葉が出なかった。
不慮の事故とはいえ元勇者が倒された直後の、一連の問題の黒幕からの果たし状だ。事態が穏便に解決するという淡い期待とは真逆の展開になりつつある状況に、容易く言える言葉などなかった。
唯一、元勇者と同様に何事も無かったかのような態度のシュナが言った。
「で、どうするの?」
「どうもしないさ。頭が痛いから、軽く食事を取ってからたっぷり寝る事にするよ」
「それがいいでしょうね。ユートの頭がこれ以上悪くなったら周りが迷惑するでしょうから」
「遅れて来た発情期で見境無く男を漁ろうとして逃げられてるリアルガチ迷惑女には言われたくないわ」
「むしろどうして男が釣れないのか不思議だわ。それほど悪くないと思うんだけど」
「全ての美点を帳消しにして余りあるほど性格に問題があるからだよ。少しは自覚しろ」
日常的な言い合いを続ける元勇者とシュナに、アレクが尋ねた。電撃で髪の毛が少しチリチリになっているが気にしていないようだ。
「あのう、これって、アーティスを襲撃しようとした山賊やインモールでのドラゴン騒動、インガー帝国方面まで巻き込んだ人身売買の黒幕が、勇者様と直接対決を希望している……という事ですよね? そんな相手に狙われているのに、どうしてそんなに落ち着いていられるのですか?」
「うろたえても意味が無いじゃないか。俺はこの砦に左遷されている身だし、山賊セシルと次に言葉を交わしたら殺しあう約束もしている。1週間も先の事なんてわからないし、いつかはセシルと決着を着ける日も来るだろうとも思っていたし」
「しかし勇者様より御強い兵はアーティス軍の兵士にはいませんし、話に聞く冒険者ルト・マルスのような同等レベルの冒険者も殆どいない事でしょう。つまり勇者様を守れる者はいないのに、山賊や商人ギルドを牛耳る悪漢達全員と闘う事になるかも知れないんですよ?」
「心配してくれているのなら有難い事だけど、先の事なんてどうなるかわからないんだから心配するだけ無駄だよ」
あっけらかんとシュナが横槍を入れた。
「まぁ、運が悪くても、せいぜい死ぬだけよ」
「そうそう。人の人生なんて醒めない夢を見ているようなものだよ」
「そんな冷めた事を言わないでください。一応私は勇者様をお守りする勤めを与えられているのですから、その守るべき対象が生きる事に執着していないような事を仰られては困ります」
困りきった様子のアレクに、元勇者も「その守るという勤めをほっぽってサッキュバスと無意味な変態バトルしてるだけじゃないか」と言いたくなるのを我慢した。
「まぁ冒険者なんて根無し草のフリーランス家業、戦闘じゃなくても稼ぎが悪けりゃ生きていけなくなるんだから、ちょっとぐらい冷めた事を言っても気にしなくていいよ」
「そう言われましても……」
どうやらアレクは元勇者のヒネクレたネガティブな性格に未だ慣れていなかったようだ。あまりシニカルな事を言い続けてアレクを困らせてもしょうがない。
「まぁ時間は1週間ある。アーティス城を襲ったクロビスも矢文を射ち込んで役割を果たしたからそろそろ”希望の暁”に帰っている事だろう。一応時間を空けて明日あたりに誰かがアーティス国王に色々と報告して、それからどうするのかを考えようじゃないか」
シュナが大きなため息を吐いた。
「その報告は私がしておくわ。一応は大昔に仲間だった連中ですし、少しは野放しにしちゃった責任も感じるし」
「俺は頭に矢を受けて少々ヒットポイントが減ってるから、ぐっすり眠って回復に努める事にするよ。歳を取って回復スピードが遅くなってきた気がするけど」
「人間万事塞翁が馬、あとは野となれ山となれ。あまり関わりたくない事だけど、いずれどうにかしなきゃならなかった事だし、決着が付けばこんな辺境での左遷生活をする必要も無くなる。悪い事ばかりじゃないさ」
余計な心配をさせないよう元勇者は優しく微笑んだ。
そのおでこにはホリィが貼った可愛らしい柄の絆創膏が目立っていた。
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大陸の中央にある火山の噴火口に近い坑道に拠点を移した”希望の暁”。
”狼煙獅子団”の山賊が集めた金品と”希望の暁”で商人達から巻き上げた大金の全てが噴火口の近くに集められていた。
「遂に、ユート・ニィツと戦う時が来てしまったわね」
ローザは勤めて淡々と言ったが、北の宿場町では元勇者の一撃で命を落としかけている。戦闘においては圧倒的な攻撃力を誇る元勇者ユート・ニィツに宣戦布告の矢文を送りつけた事は悪手としか思えなかった。
「全ては予定通りだ。ユートとの戦いが終われば、俺達は全世界の新たな神となって崇められ恐れられる存在となるだろう」
セシルは生気の無い声で言った。
その口調にローザは不安になった。
「ねぇ、私達、勝てるの?」
「……”勝てる”さ。ユート達は失い、俺達が名声を得る。この世界の歴史に嫌でも名を残すほどにな」
「でも元々のメンバーで生き残っているのは私達とクロビスだけよ? ”狼煙獅子団”の手下も所詮は雑兵だし、まともに戦って勝てる相手じゃないわ」
「そんな事はアーティスに攻め込もうとしてユート達と再会した時から判っている事だ。それに俺達の宿願はユート達を殺す事じゃない。この世界の神となる事だ。ユート・ニィツはその目的の為の駒に過ぎん」
「あなたいつも”神になる”って言ってきたけど、比喩で言っていたんだと思っていたわ。圧倒的な支配者とか独裁者とか、神様のような存在という意味で言っているのよね?」
「……その程度で俺が満足できると思っているのか?」
ローザはセシルに言い知れぬ恐怖を感じ、言葉を返せなかった。
「冒険者として命をかけて戦い続けた道を捨てて山賊なんぞに身を落とし、馬鹿な荒くれ者を手下にして組織を大きくしてもこの程度だ。俺達は頑張って真面目に悪の道で頂点を目指してきたのに、本物の悪党には到底及ばない。本物の悪党は何も考えずに悪事をやってしまう。そんなケダモノみたいな悪党には俺達がどれだけ真面目に悪事を働いても敵いやしない」
「私達のこれまでの頑張りが無駄だったとでも言いたいの?」
ローザは”希望の暁”をまとめる為に……幾分は自分自身の欲も含まれてはいたが、信者達を誘惑し身体を提供して懐柔してきた。暗黙の了解はあったと思っていたがセシルとローザは夫婦の関係であり、アンモラルな事で組織を大きくしてきた事を否定されたように思えた。
「ユート・ニィツが俺達の前に現れなければ”狼煙獅子団”や”希望の暁”で十分だったかもしれない。しかし俺達が真面目にやってきた悪事の邪魔をする奴はユートに限らずいずれ現れたのかもしれない。誰であれ俺達が負ければただの悪党でしかなくなる。それではまるで俺達が冒険者を辞めた時のようにこれまでの苦労が全て無駄になってしまう」
「……ねぇ、それなら掻き集めた大金を持って何処か他の大陸にでも逃げましょうよ。私達だけなら一生遊んでも使い切れない程のお金があるんだから」
「金がどうしたって言うんだ。そんなものがあっても俺達は悪党のままでしかない。俺達よりあくどい誰かに奪われるかもしれない。俺達は魔王から世界を救う為に冒険者となって命をかけ続けたから山賊になるしか生きる道がなくなった。世界中の冒険者が魔王を討伐するたったひとつの椅子を奪い合う椅子取りゲームでユートだけが勝ち残り、その恩恵を受けたのはユートではなく何もしなかった世界中の一般人だろう。こんな狂った世の中で本当の勝者になるには、神になる他に無いだろう。……その為の魔法も完成している」
しかしセシルの言葉にローザはまだ懐疑的だった。
「あなたが作り出したその魔法って一体どういうものなの? 実際に使ってみた事はあるの?」
セシルは感情の無いまま薄い笑みを浮かべた。
「魔法というより錬金術に近いかもしれんが差し詰め”希望の無いパンドラの壷”といったところか。この魔法が発動すれば世界は俺達のものになるが、それにはユート達を発動のトリガーに使う必要がある。全ては1週間後に明らかになる」
そう説明されてもやはりローザには意味がわからなかった。
ただ、1週間後に全てが終わる予感だけは感じていた。
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アーティス城にはシュナとアレクが出向き、国王に矢文の手紙を見せ、事の次第を説明した。
「ふむ、”希望の暁”を名乗る集団のリーダーであるセシルが、ユート殿と果し合いをしたいという事じゃな」
アーティス国王はそれ以上の言葉を発しなかった。
シュナは暫く何らかの返事を待ち続けたが、数分の時が流れてから頭を下げて謁見の間を出た。
シュナはアレクに「私はカールに会いに行くから、アレクはユートに”王には話を伝えた”と報告してちょうだい」と言った。
アレクは困惑したが結局シュナの言うとおり、砦に戻って元勇者にその通り伝えた。元勇者は「ふーん」と素っ気無い返事をしただけで、それ以上尋ねる事も無く何事も無かったかのように自室に篭った。
――それから数日、何事も無い日々が続いた。
アーティスやインモール・インガーを含む大陸のあちこちで些細な事件が起きたのは、果し合いの3日前の事だった。
その事件は、辺境の砦で安穏としていた元勇者の耳にも届く事となった。
「勇者様! これを見てください!」
慌てた様子でホリィが元勇者の個室に飛び込んできた。どうやらラッキースケベ展開にはならなそうな雰囲気だ。
「これって何を見ればいいんだ?」
「これです! この水晶です!」
ホリィが手に持つ水晶球には何らかの映像が映り、微かに何かの音も鳴っている。大賢人ワン・セボンが商売で売っていたり、サッちゃんが片田舎の農村が山賊や魔物に襲撃され滅びる様子を映し出した時に使っていた”スマート水晶”だ。何がスマートなのかは流行に乗り遅れた元勇者にはわからなかったが、映像や音声を映し出したり、ちょっとした連絡手段にも使うことが出来る便利なマジックアイテムらしい。
「そんなものばかり見ていちゃダメですよ」
「実家の母ならそういった事を言いそうですが……そうではなくて、なにか強力な魔法によって”スマート水晶”に無差別にこんなメッセージが繰り返し流されているんです!」
「……ど、動画配信みたいなものかな?」
元勇者は(世界観とか大丈夫かな?)とよくわからない心配をしたが、水晶玉に映像を写す事は古来より魔女や占い師がやっていた古典的魔法だ。あまり深く考えないほうが良さそうな気もした。
元勇者が怪訝そうに水晶玉を覗き込むと、そこに移っていたのは山賊セシルだった。
立派な鎧を身にまとい、貫禄ある姿で語り始めた。
「私はかつて世界を救った勇者であり”希望の暁”のリーダーでもあるセシルである。この大陸に住む全ての者に伝える事がある。再び世界を救うべく甚大なる魔力を費やして大陸中の水晶にこの宣言を届けている!」
元勇者は呆然とした。セシルが世界を救った? 再び世界を救う? 何を言っているんだ?
「勇者様、この映像は他の水晶玉にも強制的に映り込んでいるようなのです。たぶんセシルさんが言っているように大陸中のスマート水晶に、このセシルさんの勝手な言い分が映し出されているんです!」
「なんとまぁ」
あと3日で元勇者はこのセシルと戦う事になる予定だ。その前にセシルがこんな奇妙な事をするとは想像していなかった。
セシルの演説は続いた。
「皆も噂で知っているように、昨今の世の騒乱の原因は、魔王を倒したと自称する狂戦士ユート・ニィツが引き起こした災厄である! 世が不景気になった事も、山賊が村を襲うようになった事も、全ては狂戦士ユートが原因である!」
「うーむ、俺がバーサーカーだったとは知らなかった」
「勇者様、こんな時にふざけないでください」
セシルの一方的な演説は尚続いた。
「そこで私は諸悪の現況である狂戦士ユート・ニィツを打ち倒す事をここに宣言する! 3日後に私は狂戦士ユートと対決をする! そしてその戦いが終われば世界は一変する事になるだろう!」
元勇者の表情は曇り、冗談を言う気分も薄れていった。
「……俺はセシルの事を見誤っていたようだ。冒険者に挫折して山賊にジョブチェンジしたのだろうと思っていたが、セシルの禍根も相当なものだったようだ。……もしかすれば俺以上に」




