「嵐の予感」
「……こうやって魔王様のいなくなった人間の世界を眺めていると、直情的で愚かな人間ばかりで可愛らしく見えてくるわ」
魔力で宙に浮かびながら辺境の村が滅びていく様子を眺めているのは、サッキュバスのサッちゃんだった。
サッキュバスは色香を用いた特殊攻撃の他は目立った攻撃アビリティを持たない。しかしミドルクラスのモンスターなので魔力
は高く、自由に空を飛ぶほどではないが低空に浮かぶ程度の飛翔能力を持っていた。
宙に浮かぶサッちゃんが眺めているのは、辺境の村を山賊が襲い、その最中に雑魚モンスターが山賊達に襲い掛かって混戦状態
になっている様子だった。
「山賊でも血の気が有り余っているなら精力を頂こうと思っていたけれど、こんな寂れた村を襲わなきゃならないほど逼迫してい
るのなら論外だわ」
村のあちこちに村民の亡骸が横たわる中、生き残った住人を襲おうとした山賊がイレギュラーに出現した雑魚モンスターに襲わ
れパニックになっていた。狼狽する山賊に生き残りの住人が襲い掛かり、その周囲を雑魚モンスターが取り囲む。
「あの雑魚モンスターはワーウルフかしら、ライカンスロープかしら? 遠くからじゃよくわからないけど、これほど魔物が増え
ているなら”ネガティブ・マナ”がどんどん増えていっているのでしょうねぇ」
魔物が増える事は魔王の僕であるサッちゃんにとっては喜ばしい事の筈だが、その表情はむしろ曇っていた。
”ネガティブ・マナ”は自然界の生命力の源といえるマナとは逆の性質を持つエネルギーのようなものだ。かつて世界を恐怖に
陥れた魔王であれば無尽蔵にネガティブ・マナを発する事が出来たが、魔王は元勇者に打ち倒されている。最近増え続けている雑
魚モンスターは魔王と関係なく湧き出している「魔王の僕ではない魔物」なのだ。魔王に忠誠を誓っているサッちゃんに
とってはむしろ面倒くさい状況だった。
「寿命の短い人間という生き物が、欲で命を落とし、欲で命を奪われていくのですから、そりゃあネガティブ・マナも増えて当然
だけど、この程度の混迷では魔王様の復活には全然足りないわ。勇者ユート・ニィツが寿命で亡くなれば更に魔王様の復活も早ま
るでしょうけど、それでも数千年の時が必要でしょうから、やっぱり勇者の精力を吸い尽くせるだけ吸い取りたいんだけど……」
そこまで考えてサッちゃんは頭を抱えた。
傍目にはハーレム展開真っ盛りの元勇者は既に中高年で、勇者という立場上その状態を処理しきれない。そんな状況でサッちゃ
んが元勇者を誘惑しても比喩ではない一刀両断で失敗するのは目に見えている。
「懐柔しようと砦での騒動の時にはちょっとだけ協力してあげたけど、その程度で気を許すとも思えないし……」
サッちゃんが考え事に耽っているうちに辺境の村で起きていた騒動は収束していた。村人も山賊も死に絶え、生き残った魔物が
死肉を食らっていた。しかしサッちゃんにとってはどうでもいい事だった。ホリィやディア・ライムに打ち勝って元勇者を性の虜
にしなければ魔王復活の道は遠ざかるのだ。
「勇者ユート・ニィツ……一体どんなコスプレなら落とせるのかしら?」
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なにもない極寒の辺境の地の砦の中、元勇者は毛布に包まって震えていた。
「くっさめ! くっさめ! ……誰かが俺の噂をしているんだろうか?」
元勇者のクシャミに、アレクが問いかけた。
「なんですか、その不思議なクシャミは?」
「知らんのか? アレクの世代でも通じないのか……」
「世代限定で通じるクシャミがあるのですか? 古語でしょうか?」
「薪の心配はなくなったし、ボイラー機能とやらで砦は十分暖かくなった筈だけど、所詮は石造りの砦だから寒冷地の断熱性能は
イマイチだなぁ。ちゃっぷいちゃっぷい」
「いまの”チャップイ”は何の呪文でしょうか?」
「これも通じんのか……」
「寒いのでしたら薪を追加して暖炉の火力を上げましょうか? それとも私の熱く濡れた肉暖炉に勇者様の固い薪をくべて頂けれ
ば身体で暖めますが」
「真顔でそういった事を言えるアレクとは、ジェネレーションギャップとは違う大きな隔たりを感じるなぁ。まぁアレクの淫乱っ
ぷりに隔たりを感じない人間がどれほどいるのか知らんけど」
元勇者はアレクと2人きりの日々に疲れ果てていた。
アレクは見た目こそ美しい女戦士だったが、R-18クエストの経験が豊富すぎる為に貞操概念というものが無かった。「希薄
」ではなく「無い」のだ。男と女の秘め事も、隠そうとする気が無いアレクでは男も手が出しにくい。アレクが若い頃にはそうい
った事で様々なトラブルを起こしていたようだが、本人にはトラブルを起こした自覚さえなく、アーティス軍のガッカリ美人兵士
NO1となっている。
アレクとの共同生活での世間話の殆どは数々の破廉恥な経験談に基づくものであり、夕食を食べている時でさえ種付けオークの
射精量とか触手に快楽漬けにされた時の話を聞かされ続けている元勇者の疲労感はハンパなかった。
元勇者もアレクのハレンチな言動に惑わされそうになった瞬間はたびたびあった。枯れ始めているとはいえ元勇者の性欲は皆無
でもなく、お互いに独身の大人であるのだから少々の戯れがあっても不自然な事ではない。むしろ男と女という関係性では自然な
事とさえ言える。
それでも元勇者が手を出せないのは、秘め事を秘める気の無いアレクが相手だからという事と、ここで肉欲に負けたらこれまで
の我慢が無駄になるような気がしたからだ。純真な少女達の求愛を跳ね除け続けてきた元勇者が手頃な女性に手を出したのでは不
義理なような気がした。元勇者は既に中高年で、老い先が長いとは言えないお年頃だ。初老の元勇者がホリィやディアやライムを
嫁に迎えても責任を取れるとは到底思えない。手軽そうな相手に手を出すのも不誠実に思えた。
(このラッキースケベ展開のモテ期が30代の頃に……いや40代の頃にでも来ていれば!)
そう葛藤する事は常々だったが、特にアレクと2人きりの日々では絶え間なく苦しまされていた。
しかし砦のエントランスにアーティス王国と繋がるポータルが設置された事で、その苦しみに耐える事が幾分楽になった。いつ
ポータルから来客が来るかわからないので、元勇者が色欲に負けそうになった時に3人娘が押しかけてきたら言い訳のしようも無
いからだ。元勇者として、年長者としても、若い少女達にみっともないところは見せられない。ポータルは元勇者がラッキースケ
ベ展開に耐える為の理由としても有益だった。
「私が少しだけセックスに奔放である事は認めますが、勇者様は少しお堅いのではありませんか?」
「少しだけと言い張るか。俺は色恋沙汰に関しては遊びじゃなく真面目でいたいんだよ」
「もちろんオークなどの魔物とのセックスでは真面目に相手をしないと命を落としかねない危険なプレイですが、快感は人間とは
比べ物にならないほど激しくて」
「そんな話は小娘達の前ではするなよ? 俺はオッサンだから聞き流せるけど」
この砦に住まうようになって2ヶ月以上が経つ。
寒期の冷え込みはピークに達していて、見渡す限りの草原だった周囲の景色は雪原に変わっていた。僅かに見える土のあぜ道は
霜柱が立ち草木も凍てついていた。
ポータルからは週に1度ほどの頻度でアーティスの上級兵士によって食料や薪などが運ばれてきたが、カールや3人娘は姿を見
せなかった。
(「便りが無いのは良い便り」とは言うが、世の中が不景気になりつつあるという話を聞かされてから続報が無いのはちょっと不
安になっちゃうなぁ)
安穏と煙管に煙草葉を詰めて火を点け、一服吸い込んでゆっくり煙を吐いた。
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──この2ヶ月ほどの間、冬の季節が深まるのに比例するように世の中は不景気で痩せ衰えていった。
”希望の暁”の画策とそれの頓挫によって大手商人の多くは商売の規模を縮小したり廃業していた。この騒動で損益を被った金
持ち商人こそが騒動の戦犯ではないか?という声が密かに囁かれ、これまでのように商売しにくくなったのだ。北の宿場町で元勇
者のソニック・ブレードによって怪我をした商人はその怪我を負った経緯を隠しても怪しまれた。元々小売人の利益を削って稼い
でいた事もあって、僅かばかりの信用も疑念によって失ったのだ。
悪徳商人が稼ぎにくい世の中になった事で、世の不景気は加速した。悪徳とはいえど元締めだった商人がその仕事を控えれば、
中小の商人の仕入れや行商に大きく影響した。一時的には物価が下がって中小の商人や客にとって喜ばしい状態になったがそれも
長く続かず、商品の仕入れが滞って物価が上がり始めた。
物価が上がっても市民の収入が増える事は無かった。世間に流通している金の一部は悪徳商人が溜め込んでいて、その金は”希
望の暁”のカルトビジネスで巻き上げられていたからだ。”希望の暁”の活動が沈静化した一方で山賊の蛮行は増え、商人や農村
が襲われる事が増加傾向にあった。
この状況下では冒険者が用心棒として雇われる機会が増える筈だが、そうはならなかった。中小の商人は冒険者を雇う余裕が無
く、ベテランの冒険者は少し前の噂のあおりで雇おうとするクライアントが激減していた。若手冒険者の仕事は増えたが、魔物も
頻繁に出現するようになった事で危険度が高くなっていて、安値で命がけの3K仕事をするのは割に合わなかった。
ただの不景気であれば、こういった浮き沈みも自然に落ち着いていくのであろうが、経済をまわしていた金が”希望の暁”に吸
い取られて失われたままでは回復の兆しも無かった。
元々この世界の経済は原始的なものでしかないが、原始的な経済だからこそ市場から失われた大金の影響は大きかった。
この状況はアーティス王国の国王も頭を抱える事態だった。
「当面の間は物々交換による商売を認める。但しそのレートは不景気前の相場に準じたものとし、過度に不平等な取引は厳罰に処
する事とする」
アーティス王の対処は素早いものだったが、物々交換を認めた事で王国の維持費である税金の徴収は絶望的となった。金ではな
く穀物によって納税するという案もあったが、年貢を取り立てて一揆が起きては対処しきれない。
アーティス王国は元勇者との関わりによって、山賊セシル達が画策する”狼煙獅子団”や”希望の暁”の目論見を把握しており
、この不景気の一因である事も理解していた。アーティス王は山賊セシルを探し出して退治し、かき集めた金を市場に開放する事
で不景気から脱しようとする策も実行していた。しかしアーティス軍の兵団は山賊セシルの居所を突き止める事は出来ず、不毛な
時が流れるばかりだった。
また不景気の影響はアーティス近隣に留まらず、インモールやインガー等の周辺国から街道に点在する宿場町まで広域に及んで
いた。季節が収穫物の得られない寒期である事も大きく影響した。
結果、世に失業者や生活困窮者が増え、”狼煙獅子団”とは関係のない山賊や犯罪も増え、日の短い寒い季節と相まって世相は
暗いものとなっていた……。
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元勇者によって悪徳商人との闇取引が阻止された事によって”希望の暁”は目立った活動が出来なくなっていた。
中小の商人を取り仕切って大儲けしていた大手の悪徳商人の悪事が元勇者達に露呈してしまった事で、悪徳商人達も同様に商売
を自粛せざるを得なくなっていた。下手に目立てば人身売買に大金を投じようとしていたことが世間にバレてしまうかもしれない
からだ。また”希望の暁”に援助し続けてきた多額の出資も無駄になりつつあった。
”希望の暁”の拠点は、悪徳商人達から巻き上げた多額の金と共に姿をくらましていた。
インモールにあった拠点も廃棄し、北の宿場町の私娼窟も廃棄していた。
山賊セシルとローザを頭領とする”希望の暁”は、大陸の中心に位置する火山の噴火口の近くの坑道に身を潜めていた。
「こんな火山の麓の坑道を拠点にするなんて、どういう算段なの?」
ローザはセシルに問いかけた。
人里から離れていて悪党の拠点としては都合はよかったが、火山の噴煙によるガスが漂って空気が悪く、長期滞在には向かない
場所だった。
「物事には順序がある。まずは商人達から集めた金品を全てこの拠点に移す。そして”狼煙獅子団”としての活動を再開して更に
各地から金を奪い取る。邪魔者のユートが出しゃばるようならアーティスにも攻め込む。そして準備が整ったらユートをおびき出
して……俺達が新世界の神となるのだ」
セシルの語るロードマップは、ローザには実現可能性が低いように思えた。
「でもハガーもルナーグも倒され、手下もユートたちに随分倒されたわ。そう上手くいくのかしら?」
「上手くいくさ」
「でもユート・ニィツの実力は人間離れしているわ。あんな奴を相手にしていたら命が幾らあっても足りないわよ」
「ユートもこの計画の駒に過ぎない。ユートを倒せれば他に障害となるものは無くなるし、倒せなくても俺たちが新世界の神とな
る計画が頓挫する事は無い。その為の術式は完成しているし、触媒も概ね揃っている」
「じゃあユートなんか相手にしないですぐに世界を支配してしまいましょうよ」
「物事には順番というものがあるんだ」
そう言うセシルの目は澱んでいた。
「……ねぇセシル、あなた少し様子が変だわ。少し休んだほうがいいんじゃない?」
「どうしたローザ、妻のような事を言うなんて珍しいじゃないか」
確かにローザはセシルの妻でありながら、その関係は冷え切っていたし、ローザは”希望の暁”の信者を相手に身体を重ね続け
てきた。普段は妻らしい事など言わないローザであったが、それでも長年連れ添ってきた相手であるし、心配になるほどセシルの
様子は何かが変だった。
「ユートが現れてから私達の活動も邪魔される事ばかりで、セシルも気が疲れているのよ」
「俺はユートと再開できた事は神の……いや悪魔の思し召しだと思っている。ユートが現れた事で術式完成が実現し、俺たちは新
世界の神になれる目処が立ったのだから」
セシルの言葉にローザはなにか狂人めいたものを感じた。普通じゃない。
その「普通じゃない」感覚は、かつて何かで感じたものに似ていた。それは”狼煙獅子団”がアーティスに攻め込もうとした時
に元勇者ユートと再会した時に感じたどんよりと暗く思い鬱屈した雰囲気だった。
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「お久しぶりです勇者様。ご提言を受けたのでお色気を封印してみました」
この世界この時代には珍しいビジネススーツ姿のサッちゃんが、辺境の砦を尋ねてきた。
シックでストレートなスーツ姿は差し詰め貴族の秘書といった様相だったが、サッちゃんの豊かなボディラインを押さえ込めず
胸や腰の部分が張り詰めていて逆に色気が強調されていた。真面目な格好なのに色香があふれ出しているというギャップに、元勇
者は思わず声を漏らした。
「おぅふ」
ムード派を自称する元勇者は、案外こういった誘惑に弱かったようだ。直球エロで誘われれば応じやすいが拒みやすくもある。
サッちゃんはまだ誘惑もしていないのに、元勇者の枯れかけた劣情が刺激されかけていた。真面目な格好をしているのにお色気ム
ンムンのサッちゃんから目を逸らせなくなった。
「このような真面目な格好も良いものですね。しかし少々、息が詰まりますね」
サッちゃんはそう言いながら大きく息を吸った。バツン、と胸元のボタンがはじけて僅かに胸の谷間が露出した。しかしそれで
も普段のサッちゃんの露出度には遠く及ばなかった。
元勇者も落ち着こうと深呼吸した。
「ムフゥ~」
単に鼻息が荒くなっているのをアピールしただけとなった。
「さすが中級レベルの魔物、油断しているとちょっと危ないな」
「あら……せっかく勇者様に喜んで頂こうと頑張ったのに”ちょっと”ですか?」
「ああ、ちょうど一見真面目そうだけど18禁恥女というのがいて免疫をつけていたところだったから助かった。そうでなかった
らちょっと危なかったかもしれん」
砦の何処かから「くっさめ!」という声が聞こえた。多分アレクがクシャミをしたのだろう。
「それにしても、よく俺の居場所がわかったものだ。ここにいる事はアーティスの一部の人間だけの筈なんだが」
「魔王様を倒した勇者のオーラを感知する事は私にとっては簡単な……ええ、簡単な事です」
「何故ちょっと言い澱んだ?」
「オーラの波動は魔王様に似たものなので感知する事は簡単なのですが、覇気というものが全く感じられなかったので他のオーラ
に埋もれがちなんです。勇者様はもっとギンギンになられたほうが宜しいかと思います」
「なにをギンギンかと。50過ぎのオッサンがギンギラギンになってどーする」
「さりげなくギンギンな中高年の人間は結構多いようですよ」
「”老いてなお盛ん”ってやつか……景気の良かった時代を生きた老人には多いそうだが、俺の世代は世の中が不景気になった最
初の世代だからなぁ」
ユート・ニィツが駆け出し冒険者になる前までは魔物の出現率も低く、平和な時代で景気も良かった。しかし魔王軍が本格的に
侵略を開始した事で不景気となり、就職先の見つからなかったユート・ニィツはフリーランスの冒険者となったのだ。
「ともあれサッちゃんは何の用事でここに来たんだ」
「もちろん勇者様をかどわかす為です」
色香がダダ漏れのサッキュバスが真面目な格好と真面目な口調で言う為、そのギャップの激しさに元勇者はクラクラしそうにな
った。しかしどうにか耐える事が出来た。
「……かどわかす事にはこれまで何度も失敗しているし、俺の御機嫌を損ねれば即座に冒険者と魔物の関係になってバトル開始な
のに、危険を冒してまでここに来た理由としては少々弱いな」
サッちゃんはインテリ眼鏡を指で押し上げ、ニヤリと笑みを浮かべた。
「さすが勇者様ですわ。かどわかしに来たのは本当の事ですけれど、これまでとは少々違った誘惑をご提案しようと」
「これまでとは違った誘惑?」
「勇者様はこんな辺鄙な過疎地で暮らしていらっしゃいますから世間の様子に疎いのではと思いまして、このような資料を用意し
ました」
「資料?」
サッちゃんは水晶玉を取り出した。魔法の力で映像や音を記録し伝える事も出来るマジックアイテムだ。
代賢人ワンはこの水晶の事を怪しい名称で語っていたが、世間的には”スマート水晶”という呼称が定着しつつあった。
「まずはこちらをご覧ください」
そう言うと水晶の上の空間に映像が映し出された。片田舎の農村が山賊に襲われ低レベルの魔物も出現して混乱している様子の
映像だった。
「……結局のところ魔王がいてもいなくても世の中は乱れる、とでも言いたいのかな?」
「そうではありません。魔王様がいらっしゃれば魔物はもっと力強く獰猛に人間共を蹂躙しているでしょうから。しかし山賊のよ
うな愚かな人間は”狼煙獅子団”に限らずとも自然発生しているようですし、商人を襲ったのではと噂になった勇者ユート・ニィ
ツが俗世間から姿を消してからは世の中の乱れは疫病のように確実に広がっているようですよ」
「勇者とか冒険者ってのは、争い事を収める為のボランティアじゃない。こんな映像を見せられても、俺にはどうしようもないぞ
?」
「しかし勇者ユート様が魔王を倒すほどのお力を持っている事は事実、その勇者様が商人達に噂され恐れられた事も事実、そして
その勇者様が俗世から姿を消してから世の中での蛮行が増えつつあるのも事実です」
「まるで俺の隠居生活が悪いみたいじゃないか」
「強者の存在はそれだけで抑止力になります。その抑止力が消えた事でハメを外す人間共もいるという事でしょう」
「そんなの、さすがに俺は責任取れないぞ……」
元勇者は困った顔で呟いた。この砦に左遷されたのもアーティス王が良かれと思っての決定であるし、元勇者への偏見のイメー
ジが薄れた頃には世の中も落ち着いている筈だった。しかしサッちゃんの見せた映像はそれには遠く及ぶものではなかった。
「そこで、ご提案です」
「なにかな?」
「魔王様を復活させるというのは如何でしょう」
元勇者はしばらく考え込んだ。否、考えるフリをした。結論は考えるまでも無いからだ。
「ないな。絶対にない」
しかしサッちゃんはインテリ眼鏡をクイッと押し上げ、説明を始めた。
「魔王様は勇者様に打ち倒された事によって消滅しましたが、その膨大なエネルギーが無に帰したわけではなく、勇者様がその名
を呼べば召喚出来る状態にあります」
「そのとおり。しかし召喚すれば再び魔王が出現した事になる。俺が生きている間は魔王を使い魔として扱えるが、俺が寿命や事
故や病気で死んだ後は魔王を押さえ込む要素が無くなって、魔王が完全復活する事になる。魔王を召喚できるなんて事は、呪いや
罠のようなものなのさ」
「でもそれを実際に試した人っていませんよね? ただの推測じゃないですか」
「試すには危険すぎるだろ」
「それに起きていない可能性を警戒するより、いま世の中で起きている問題を解決するほうが勇者様のご希望に近いのではないで
すか?」
「そりゃあ確かに世の中が荒れたままというのは気分の良い事では無いけど」
「なので魔王様を使い魔として召喚し、世の不景気の原因が魔王様であると宣伝してから勇者様が魔王様を倒すのです」
「一度倒した相手と2回も戦いたくないぞ」
「もちろん魔王様は勇者様の使い魔ですから、戦っても勇者様が確実に勝ちます。しかし本物の魔王様と勇者様が戦うのですから
茶番であっても世の中に与える影響はとても大きなものとなります。山賊などという小悪党が呑気に村を襲う事も減るでしょう。
世の乱れを押さえ込むには世の中で共通した仮想敵が必要なのです」
「そんな事の為に、サッちゃんの主である魔王を俺が召喚してもいいのか?」
「それは勇者様がこの状況を”そんな事”と思うかどうかでしょうね。使い魔となった魔王様とプロレスするだけで、世間に勇者
様の偉業が改めて広まり、現状の不景気で殺伐とした世の中に大きな影響を与える事が出来るのですから、メリットのほうが大き
いと私は思うのですが」
そう言われると一概に否定できない提案に思えてくる。
そもそもの元勇者の不遇は「魔王を倒した決定的瞬間を誰一人として見ていない」事にある。共に冒険したシュナ・カール・グ
レッグも離反していて、魔王と元勇者の一騎打ちだった。結果として魔王はいなくなり元勇者は生き残っているので状況証拠的に
は元勇者が魔王を倒したのだろうと考える事が出来るが、魔王討伐に携わっていない一般市民はそういった事を考える事がない。
結果、元勇者は廃棄された砦で孤独な生活を数年続け、性格は鬱で歪んでネガティブ中高年となり、魔王を倒した事によるボー
ナスも特になく、ただフラフラと冒険の旅で流浪して若さを失った無資格キャリア無しの無職中高年となってしまった。
しかしサッちゃんが提案するように魔王を召喚してプロレス試合をすれば、元勇者は改めて「魔王を倒した冒険者」としてのキ
ャリアを得る事が出来る。魔王を超える力を持つ元勇者の存在は世間の様々な問題さえ些細な事にしてしまうだろう。世間の目が
「無職の中高年」から「世界を救った救世主」にクラスチェンジすればこれまで諦めていた事も、または少々の無理さえ出来てし
まうだろう。若い少女を嫁にする事も、いっそ一夫多妻となって妾を囲う事も。
「……いや、やっぱ、無いなぁ」
少々の名残惜しさを含ませた口調だったが、元勇者はサッちゃんの提案を却下した。
「どうしてですか?」
「俺が若くないからさ。この提案は若い頃なら受け入れたかもしれないが、そろそろ終活を考え始めるお年頃の俺にとってはリス
クのほうが大きい。俺が仮にあと10年生きたとしても、元勇者の威光で世間を治める事が出来るのも10年、俺が元勇者として
甘い汁が吸えるのも10年だ。それが過ぎれば召喚した魔王は使い魔としての制御が無くなって再び魔族との戦乱の世が始まって
しまう」
「どうせ寿命が100年にも満たない人間の世界が10年も平和になるなら十分ではないですか。未来の事まで勇者様が責任を担
う必要は無いのですし、10年の酒池肉林を堪能する程度の働きは十分にしているではないですか」
「いやぁ10年というのも希望的な仮定でしかないし。なにかの病気とか、うっかり事故とかで長生きできないかもしれないし、
ヒザとか身体のあちこちが痛んだりすると不安になっちゃうし」
「魔王様を召喚して少々の茶番をすれば、あとは楽しい毎日が当たり前となってネガティブ思考も無くなりますよ」
ふぅむ、と元勇者は再び考えるフリをした。
元勇者がネガティブ思考なのは魔王を倒す前からだったし、既に元勇者の人格の背骨になっていた。ネガティブな自分が少しだ
け好きに思える時さえある。いまさら自己啓発したい気分も皆無だ。
「いや、せっかくの提案だけど受けるつもりは無いな。どうせサッちゃんは魔王が復活すればいいだけなんだろうし、それに見合
うほどのメリットを俺が楽しめる気もしないし」
「そうですか……では、いつもどおりの方法で魔王様の復活を手助けするほうが宜しいでしょうか? これなら魔王様が復活する
のは勇者様が天命を全うされた随分先になるでしょうから、心配をする必要は無いですよね?」
そう言いながらサッちゃんはビジネススーツの上着を脱ぎ始めた。白く上質なシルクのワイシャツの光沢がサッちゃんの豊満な
身体の曲線美を際立たせていた。
「いまさらそんな誘惑に惑わされるわけが無いだろう」
元勇者はそういいつつも、しっかり曲線美を目に焼き付けていた。眼福である。
そこにようやく、アレクが姿を現した。
「勇者様、お客様ですか?」
「お客というかサッキュバスだけどな。一応ちょっとだけお世話になったこともあるから無碍には出来ん」
「サッキュバス? ……魔物の襲来ですね! ここは私にお任せを!」
「いやだから別に戦わなくていい相手なんだってばよ」
「しかし部外秘となっている勇者様の居場所を突き止めアーティスの砦に入り込んだのですから、このまま返すわけには行きませ
ん!」
そう言うとアレクは服を脱いで下着姿となった。
「さぁ! どこからでもかかって来なさい!」
「……何故脱いだ?」
「相手がサッキュバスと聞いたので。勇者様は百合展開を目にするのは初めてですか?」
「普通は目にしないだろ」
そのやり取りにサッちゃんも加わった。
「貴女が噂の18禁恥女ね! もちろん相手が女騎士でも手加減はしませんよ!」
そう言いながらワイシャツを脱ぎ捨て、タイトなスカートを脱ぎ始めた。
「2人揃って服脱いで何の勝負をするのか知らんけど、冬の寒い時期にこんな砦でマッパになったら阿呆でも風邪を引くぞ」
そう言った矢先、アレクとサッちゃんの「くっさめ!!」という声が響いた。




