「オー人事オー人事」
元勇者の攻撃による土煙の煙幕によってインガーの遠征部隊は苦も無く山賊のいる丘を駆け上がり、攻撃圏内に捕らえた。
山賊達は体制を整えるのに手間取っていた。長弓による遠距離攻撃で一方的に攻撃していた筈なのに、何故か近距離攻撃を食らった為だ。元勇者が矢をなぎ払うために放ったソニック・ブレードの衝撃波が山賊達のいる丘まで届き、ダメージこそ無かったが体勢は大きく崩されたのだ。
「一気に山賊共を仕留めろ!」
遠征部隊の隊長の声が高らかに響くと、インガーの兵士達は勇猛な雄叫びを上げた。インガーの兵士達は近距離戦の強さに定評がある。決着はすぐに着く事となろう。
遠征部隊と一緒に走り出しながら少し送れて丘に到着したのは、元勇者だった。
「必殺技とかじゃなく普通に走ると、やっぱヒザがグラグラするなぁ。それに土煙の中を走ると、口の中がジャリジャリする。口をすすぎたい。鼻をかみたい……」
まるで頼りない様相だったが、それでも元勇者が山賊との戦闘に加わらないわけにはいかなかった。この山賊が”狼煙獅子団”なのかを確認する必要があったからだ。
「山賊がアーティスに攻め込もうとした時に遭遇はしているが、雑魚の顔までは覚えて無いからなぁ」
元勇者は山賊のリーダーらしき男の姿を探した。
「こういった連中のリーダーがどこにいるかというと……安全な場所で逃げ支度をしているような奴だろうな」
混戦状態となっている丘の上から少し離れた場所に見覚えのある男がいた。
「……ルナーグか。やはり”狼煙獅子団”という事でファイナルアンサーだな」
元勇者の近くにいた山賊が果敢にも襲い掛かってきた……が無視した。元勇者は既に戦闘モードで、山賊の下っ端の攻撃を食らっても頭の上に”GUARD”の文字がぴょこんと飛び出る気がする程度にしか感じなかった。レベル差がありすぎて山賊の攻撃は元勇者の覇気を貫く事が出来ないのだ。
近付くとルナーグも元勇者に気付き、心底驚いた表情となった。
「ユ、ユート! どうしてこんな辺境に、しかも何故インガーの部隊にいるんだ!」
「どうしてだろうねぇ」
元勇者は茶を濁した。
決して「住む家が見つからなくってホームレス状態になって辺境をウロウロしてたらこんな事になった」とは言わなかった。表情こそポーカーフェイスを保ったが、言うのはやっぱ恥ずかしかった。
「ともあれ山賊のリーダーが顔見知りとは話が早い。ルナーグ、喋る事が出来るうちに色々説明してくれないか?」
「俺たち山賊が人を襲う事に何の説明がいるって言うんだ?」
「この期に及んでしらばっくれるつもりか? 山賊のくせに商人を襲わず、インガー帝国の遠征部隊を攻撃し続けている”狼煙獅子団”の目的を尋ねているんだよ」
「……目的も何も、俺はセシルとローザの命令に従っているだけの下っ端だ。ユートのご期待に沿えるような事は何も知らされていないんだ」
そう言いながらルナーグは手に持っていた武器を地面に投げ捨てた。
そのまま両手を挙げて降伏するような素振りを見せた。
「俺はセシルの思惑なんて興味ないし、ユートと戦うつもりも無い。ここはどうか見逃してくれないか? 手下共はすぐに引き上げさせるし、もうインガーの部隊に手出しはしない」
「ほーん……?」
元勇者が気を抜いたように見えた瞬間、ルナーグは突如攻撃に移った。
かつてルナーグは武闘家としての道を極めようとしていた体術のエキスパートだ。二つ名として呼ばれていた”蹴る殴るのルナーグ”は心底嫌がっていたので定着しなかったが、武器を持たずともモンスターを瞬殺する実力を持っていた。
「身交し脚からの……爆裂拳ッ!!」
ドゴォ……ッ!!
ルナーグの素早く強烈な足払いによってバランスを崩した元勇者の身体に、容赦ない連撃が打ち込まれた。普通のモンスターであれば確実にしとめられる大ダメージの必殺技だ。
元勇者は悲鳴こそ上げなかったが、ルナーグの攻撃のダメージは確実に届いている感触があった。
「さらに必殺”鎌鼬”! トドメの正拳突き!!」
素早すぎる攻撃によって空気を切り裂き衝撃波を伴った一撃、そしてルナーグの持つ攻撃力の全てを込めた拳の一撃が、元勇者の体に打ち込まれた。
不意打ちからの連撃でダメージを受けた元勇者は「ぐッ……!」と短い声を漏らした。
「ゴーレムさえ打ち砕く必殺の拳だ。幾らユートでも無事では済まないだろう……」
「ところで話の続きなんだけど、」
「何ッ!? 普通なら全身の骨が砕け内蔵破裂するだけのダメージを与えた筈……!?」
「いやゴメン、本当は全部そのまま攻撃を食らってみようと思ったんだけど、やっぱ痛いのイヤだから途中から防御してた」
「なっ……ッ!!」
ルナーグは絶句した。元勇者は気付いていないようだが、ルナーグの放った技はどれも防御を貫通してダメージを与える”発勁”を組み合わせて打ち込んでいた。つまり全てのダメージは元勇者に届いているのだ。
必殺技のダメージを全て受けていながら平然としている元勇者は、狼狽するルナーグに言った。
「実際に攻撃を受けてみないと、山賊セシル達の現在のレベルを計り知る事が出来ないからな」
「馬鹿な……馬鹿なッ! これだけの攻撃を受けて平気なわけが無い!」
「うーんと、仮に俺のレベルが99と仮定したとしたら、ルナーグの攻撃はレベル35とか40あたりじゃないかな。もう少し強い攻撃が来るかもと思っていたんだけど、まだ必殺技があるなら攻撃していいぞ」
「そんな馬鹿な……、こんな人間がいる筈が無い……!」
自慢の格闘術が無力だった事にルナーグは狼狽しているように見えた。
「少しでもダメージが与えられたなら、更にダメージを与え続けるのみ! 食らえ! 爆裂拳……」
ドッ! という音が響いた。
攻撃をしようとしたはずのルナーグの視界は、何故か土煙の舞う空しか見えなかった。
「俺も傀儡じゃないんだから、もう見てる技を2回も食らいたくないよ。」
視界の外から元勇者の声が聞こえた。どうやらルナーグは”既に倒されている”という事に気付いた。元勇者は手に武器を持っていなかった筈なので、ルナーグが必殺技を繰り出すより早く胸元辺りをド突かれたのだろう。武闘家でもない武器を持たない元勇者にド突かれた瞬間に地面に叩きつけられたのだ。
「で、さっきの話の続きなんだけど……あばら骨は逝っちゃってないかな? 喋れるかな?」
のほほんと話しかけてくる元勇者に、ルナーグは恐怖した。例え話で言っていたレベルの差が50もあるとこれほどの力量差があるものなのかと絶望した。”雲泥の差”という表現では足りない程の差があるようにさえ思えた。
「お前達”狼煙獅子団”は、どうして人さらいを守ってインガーの遠征部隊の邪魔をするような事をしているのかな?」
ルナーグの視界の端に人影が見えた。逆光で霞むその姿は”魔王さえ倒した鬼神”のように見えた。
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インガーの兵士達はミーケから買った”三徳ブレード”を使いこなして善戦したが、兵士達は無傷の者達だけが攻め込んでいたので、山賊の人数の半分ほどだった。まだ誰も山賊に打ち倒されてはいなかったが、勇猛果敢なインガーの兵士でも一人で2人以上の山賊を相手するのは手間取る事だった。
一方の山賊は既に何人かが倒されていた。長弓で遠距離攻撃しているだけで勝てると思い込んでいた油断から近距離戦への装備の変更が間にあわなかった者もいたからだ。しかし戦いが長期化するにつれゲリラ戦や乱戦の得意な山賊達は体勢を立て直しつつあった。
カキン、カキンと剣と盾が金属音を響かせる中、ルナーグとの話を終えた元勇者が乱戦の最中に割り込んだ。
その姿を見て隊長が声を上げた。
「ユート殿、加勢を願う!」
「ふむ、ではオジサンちょっとだけ出しゃばりますね」
元勇者は片刃の両手剣を構え、次の瞬間には姿が見えなくなった。
ドン!という衝撃波が響き、あちこちで割れた地面の塊が舞い上がり、気付くと戦いの場の向こう側に剣を収める元勇者の姿があった。隊長の目にはまるで元勇者が瞬間移動したようにしか見えなかった。
それから僅かに遅れたタイミングで山賊達が次々と地面に崩れるように倒れていった。
目にも止まらぬ速さで、元勇者は数十人の山賊達を倒したのだ。
元勇者は、言った。
「安心しろ、峰打ちだ」
隊長は元勇者の力量の凄さに呆然としたが、つい素直な感想を漏らした。
「……峰打ちじゃないほうが、良かったのでは?」
地面に転がる山賊達の手足はそれぞれ本来曲がらない方向に折れ曲がり、複雑骨折か粉砕骨折しているのは明らかだった。
「でもまぁ、コロコロしたら、埋めるのとか大変かなーって」
「とはいえこれは……やはり一思いに殺すのも情けだったような気がする。まぁ悪党であるからこれも因果応報でしかないのかもしれぬが」
突然戦闘不能になった山賊達はしばらく状況を理解出来ないでいたが、激痛で状況を理解し、激痛に悲鳴を上げた。数十人の大の大人が痛みに耐えかねて泣き叫ぶ様子は、まるで地獄絵図だった。
「まぁこれで山賊達は当分悪い事も出来ないだろう。よほど腕の良いクレリックに治療してもらわなければ山賊稼業を続ける事も難しくなるだろう」
「ユート殿の目的は達する事が出来たのか? 山賊のリーダーから情報を得る事は出来たのか?」
「ああ。聞くだけ聞いて峰打ちしといた。聞いた話は後で説明するよ」
「そうか、ではとにかくここを離れよう。……山賊の鳴き声の合唱が煩くて気が滅入るからな」
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戦った兵士達と元勇者は、丘を降り元いた陣地に戻った。
負傷している兵士達とミーケが留守番として待機していた。
「勇者様、ずいぶん速いお戻りですね!」
ミーケの耳がピョコピョコ動いた。元勇者は内心(耳、触りたい……)と思ったが、いまの世の中なにがセクハラ扱いされるかわからないので我慢した。魔王を倒した勇者と言えど世間一般が特別待遇してくれる事は稀であり、魔王を倒した勇者がセクハラでタイーホ等という事になれば面子も立たない。
「概ね予想通りだったから、話も早かったよ。インガーの兵士達が奮闘してくれたし」
「大勢の山賊を全員退治したんですか?」
「なんか面倒だったから峰打ちで全員”せんとうふのう”にしておいた。運が良ければ助かるかもしれないが、また悪い事をするには相当リハビリしないとならないだろうな」
「さすがです勇者様!(ピョコピョコ)」
(その耳、触りたい……)
ミーケとの話の区切りを待って、インガー遠征部隊の隊長が元勇者に尋ねた。
「ユート殿、あの山賊共の目的は一体何だったのだろうか?」
「山賊の隊長をやっていたのはルナーグという男だったが、そいつは”狼煙獅子団”を名乗る山賊チームの一員で、そして行商人ギルドに取り入って何かを目論んでいる組織”希望の暁”の一員でもあるんだ」
「つまり山賊共は……行商人に売る”商品”を守ろうとしていたという事か?」
隊長の表情が怒りでみるみる険しくなった。
”商品”というのは、インガー帝国の辺境の村々から人さらいに連れ去られた少女達だからだ。
「ルナーグから聞きだした話では、その少女達を奴隷として売ったり”希望の暁”に高額のお布施をした者に与えたりする事が目的らしい。いくら商人でも人身売買なんて事は表立っては出来ないが、裏で高額商品として売れるなら取り扱いたい奴もいるのだろう」
「つまりその”希望の暁”という組織は、闇商人を守る為のギルドという事か。なんと悪どい! なんと外道な!」
「”希望の暁”の正体を調べるのは結構苦労したが、この部隊と関わった事で尻尾がつかめたよ。山賊共の猛攻に耐え続けたインガーの兵達の奮闘のおかげだ。ありがとう」
「そ、そうか……人さらいから村娘達を救出する為の遠征であったが、山賊を操り悪事を働く組織の陰謀を暴く役に立ったのならば、傷付き倒れた兵達も報われる事であろう」
頭に血が上りかけていた隊長も、元勇者の言葉で幾分落ち着きを取り戻した。
元勇者も特に深く考えての発言ではなかったが、歳を取るとこういった口車がそれなりに上手くなるものだ。
「さてと……”希望の暁”という組織の悪巧みは、アーティス王国でも気にかけている事なんだ。俺は少しばかりアーティスの王様に縁があるから、この事を報告に行こうと思うんだが」
元勇者の言葉に隊長は少し考え込み、そして言った。
「ユート殿はさぞかし名のある武人と見受けたが、ここはアーティスに向かうのを少し待っては下さらぬか。山賊共を一瞬で打ち倒したその力量で是非とも我が部隊に助力して頂きたいのだ」
「えぇっと……」
元勇者は(たしかインガーの兵士は傭兵とか雇わないんじゃなかったっけ?)と思ったが、口に出していいものか迷った。
「それほどの時間は取らせぬ。人さらいはここから一刻(約2時間)ほど先にある洞窟を私娼窟としていると睨んでいる。この辺りは他に悪党が潜める場所は無いし、ユート殿の腕であれば早々に人さらいを制圧できるであろう。ユート殿も日が沈む前にはアーティスに向かう事が出来るだろう」
「えぇっとですね、インガーの兵士は、傭兵って……雇うんでしたっけ?」
「傭兵は雇わぬが、パートタイマーは雇う事もある」
「ぎゃふん」
「履歴書不要で即決、時給は特別に1時間120Gで如何か? 無事に問題が片付けば就業時間に関係なく日給500Gを日払いしよう」
酒場の仕事依頼ではスライム退治が5Gである事を考えれば相当な高給だ。
そもそも元勇者は住む場所も見つけられずにフラフラしていただけだ。運良くインガーの兵士達のトラブルに巻き込まれたおかげで”希望の暁”と”狼煙獅子団”が商人相手に悪どい闇ビジネスを支援していた事が明らかになった。もしこの遠征部隊と関わっていなければ元勇者はいまもフラフラ路頭に迷い続けていただろう。手持ちの現金が増えれば引っ越し先を探しやすくなるかもしれない。
「では僭越ながら、そのお仕事を手伝わせて頂きます。宜しくお願いします……」
元勇者は一応ペコリと頭を下げた。隊長は30代か40代に見え、元勇者より随分と若い。長年フリーランスとして自営業を営んできた元勇者が歳下の上司に頭を下げるのはさほど不愉快でもなかったが、少し奇妙な気分だった。
隊長も元勇者を格下として扱う様子は無く対等な立場であるかのように振舞っていた。元勇者の職歴もフリーターのようなものであったが、パートタイマーとして上司に仕えるという経験はそれほど多くなかったので、妙な緊張を感じていた。
(俺、マナーとか身に付いていないから、変なミスしてクビになったりしたらイヤだなぁ)
どんな仕事も慣れるまでは緊張するものである。
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まず隊長と元勇者は段取りを決めた。
負傷している兵士はここで戦線離脱し近くの宿場町で待機。行商と成り行きでここにいるミーケは負傷兵と宿場町まで同行し、問題なければ現地解散でコフガ村に帰る。
私娼窟は天然の洞窟を掘削して作られた魔窟で、モンスターの巣となったり山賊の住処となったりという遍歴があったが現在は長く放置されている筈の場所らしい。魔物や山賊のいた場所として一般人は忌み避けていた場所なので、人さらいが潜むには丁度良い場所だろうと隊長は考えたのだ。
インガーの兵士で私娼窟に攻め込める無傷の者は15人。戦力としては心もとないが、さらわれた村娘達を救出するにも人手は必要だった。
約2時間の移動の末に、私娼窟と思われる入り口の近くに辿り着いた。
「入り口は1箇所のみだから一気に攻め込んで不意を突くのが定石であろう」
無表情で冷静を装っている隊長だが、やはりまだ頭に血が上っていて冷静さは乏しいようだ。
元勇者は遠慮がちに提言した。
「僭越ながら……この洞窟が改造され別の逃げ道が作られていないとは限らないですし、狭い洞窟に全員で突っ込んでも混戦になるだけです」
「では、どう攻める?」
「私娼窟の中にはさらわれた村娘達の他に商人と人さらいがいる筈。我々が相手をすべきは人さらいの山賊だけですから、俺と隊長だけが洞窟に入って人さらいを退治し、逃げた商人達を残りの兵士達が捕らえる……というのではどうでしょう?」
「人さらいは”狼煙獅子団”という山賊集団である可能性が高いのだろう? その山賊達が何人いるかもわからぬ。私とユート殿の2人だけで太刀打ちできると思うのかね?」
元勇者は頭を掻く仕草をした。
「まぁ、給料分の仕事はするつもりですよ」
隊長は一刻前の丘での元勇者の戦いを思い出した。瞬時に多数の山賊を打ち倒した技量はエル・ナントカの英雄と名付けたくなる程の凄さだった。狭い洞窟の中であのような剣技を振るえるのかは未知数だが、本人が給料分働くと言うのであれば信じるに値すると考えた。
隊長は兵士達を3分隊に分け、唯一と思われる入り口の他に逃げ道がないか周囲を警戒する陣形を取るよう命じた。
そして元勇者と隊長の2人が、私娼窟の中に入っていった。
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「ところで、ユート殿はこのような事には慣れておるのか?」
「このような、とは? ……あ~、いわゆる”アール系”クエストの事かな。それほど多くは無いけれど、俺もオッサンだから嗜み程度にはクエストをこなしていると思いますよ」
私娼窟の奥に進むと天然の洞窟らしさは薄れ、人が手を入れ整えられた広い通路となっていった。崩落防止の為に木材の木枠が組まれ、さながら炭鉱のようだった。
「ユート殿、その”アール系”クエストとは一体どのような任務の事なのか?」
「冒険者の間での俗語ですよ。若い冒険者には向かないような過激なクエストの事を”これはR-15だな”とか”これはR-18Gだな”と、英雄の冒険譚として子供に語れないようなクエストを分類しているんです」
隊長は行き止まりの場所にある扉の隙間から中を覗きながら、言った。
「なるほど。ではこの状況は”アール系”で言うとどの程度かな?」
隊長が扉から離れ、元勇者に中を見るよう促した。
元勇者が中を覗くと、集会場のような広い空間の奥で、連れ去られたと思しき少女達が裸で縛られて舞台のような場に立たされていた。その周囲には10数人の商人らしき姿。
「これはまぁ、R-18ですね。でも俺達のする事は変わりませんから」
「所詮兵士は戦うのみか。ではこの状況、どのように戦う?」
元勇者は少しだけ眉間にしわを寄せた。
(上司は隊長で、俺はパートさんでしょ。年齢に関わらず仕切ってくれないと動き難いんだがなぁ)
隊長が元勇者を立ててくれている事は態度からも察する事が出来る。しかし上司というのは部下が動きやすいように責任を取ってくれないと困るのだ。上司は年上の部下であっても余計な気を遣わないで欲しいなぁと元勇者は思った。
「……洞窟の中は暗いし、まだ人身売買オークションが始まる前のようだ。”狼煙獅子団”の連中が何人で守っているのかもわからないし、少しだけ様子を見ましょう」
「村娘達に傷のつくような事があれば即座に動くが、構わないな?」
「勿論」
元勇者と隊長が息を潜めて様子を伺っていると、一人の女が舞台の片隅から姿を現した。
「ではこれから”希望の暁”に高額出資してくださった富豪限定のオークションを始めます!」
弛んだ乳房と腹の肉を宝石と金の装飾品で隠した半裸の中年女は、山賊セシルの妻ローザだった。
元勇者は隊長の耳元で囁いた。
(なんてこった、ローザが人身売買を取り仕切っていたのか!)
(あの女が何者だと言うのか?)
(ローザは”狼煙獅子団”や”希望の暁”のナンバー2だ。悪党組織のリーダーの山賊セシルの女房で、冒険者としてはクレリックとシーフのスキルを持っている筈だ。商人を丸め込んだり人身売買したりという事をリーダーのセシルが思いつくとも考え難いから、もしかすればローザが悪巧みの首謀者かもしれない)
(なるほど相当な性悪女のようだな。妙な策を講じられる前に、一撃で仕留めたい相手だが……ユート殿なら出来るのではないか?)
(いや難しいだろう。距離があるし、手前にはオークションに集まったスケベ商人達、ローザの近くにはさらわれた村娘達がいる。戦闘圏内に捉える前にローザのイニシアティブが先になるだろう)
(悪漢共は成敗したいが、人質の救出が先決であるし……外の部隊に陽動させて様子を伺うか?)
(陽動作戦も悪くないが、下手をするとローザたちに逃げる時間を与えるだけになるかもしれない)
(悩ましい状況だな。もう少し様子を伺うか……)
ローザは裸の少女達の前を練り歩き、集まった商人達に言った。
「”希望の暁”では出資者への特別優遇として性奴隷を提供しているけれど、それだけでは満足できない皆様の為に専用の娘達を提供します。性欲の掃き溜めに躾けるのも良し、借り腹として使うのも良し、飽きたら娼館に売り飛ばすのも良し、手足を切り刻んで嬲り殺して肝を食うのも良し。人に言えない欲望を存分に吐き出せる家畜を手に入れられるのは、このオークションで一番高額な値を付けた人のみよ!」
ローザの狂気に満ちた言葉に、隊長は吐き気を堪えていた。
舞台の上の少女達は後ろ手に縛られ、足にも縄がかけられていた。絶望で瞳に生気は無く無表情だったが、膝が僅かに震えていた。その様子を商人達がニヤニヤと笑みを浮かべて眺めていた。
「開始価格は10000Gから始めるわ。勿論買うお金があるなら一人で何人買い占めても構わないわよ。そして最も多くのお買い物をした人には特別に、私が直々に一晩サービスをしてあげるわ」
ローザの言葉に商人達は一斉に紙の束を取り出した。金貨を持ち運ぶのは大変なので手持ちの資産を証明する書類で代用するのだ。”希望の暁”に属している商人はその資産を組織に見せる事で資産証明書類を作る事が出来、その資産証明書類を裏で高額な地域通貨のように使っているようだ。
非道なローザの催したオークションに集まった下衆な商人達の醜い欲望は、まるで異臭を発しているかのように気分が悪くなるものだった。
元勇者は周囲を注意深く観察した。この集会場のような空間の片隅に潜んでいる敵兵は5人。魔法を使いそうな相手はローザの他にはいないように見受けられる。
(このままでは埒が明かない。どうするか?)
(ローザと5人の雑魚なら、倒すだけなら簡単だ。しかし雑魚はバラバラに突っ立ってるから一度に瞬殺はムリだなぁ……)
(ではあの首謀者の中年女から始末するしかないな。私が雑魚を相手に戦闘を仕掛ける。中年女が私に気を取られた瞬間にユート殿が仕掛けるというのは如何か)
(隊長が雑魚相手に陽動してローザの注意を引き、そこで俺が仕留める、か。上手くいくかは微妙だが、他に良い手も思いつかないし、それでやってみよう)
集会場の後方に身を潜めていた2人は、隊長は右側から、元勇者は左側から壁伝いに舞台側に向かった。
お互いが集会場の半分ほど進んだところで会場を警備している山賊の視界に入ってしまう位置となった。進めば見つかり騒動となる。隊長の陽動作戦のとおりの展開ではあるが、元勇者の位置からローザのいる舞台までは少し距離があった。
(出来ればもう少し進んでローザの背後を取りたかったが……そう上手くは行かないようだな)
元勇者がひっそりと溜め息をついた瞬間、隊長が行動に出た。
「我はインガーの警備部隊隊長である! 我が領土の村々を襲い娘達を連れ去った事はインガー帝国への謀反である! また我が国の人民を奴隷として売ろうとするとは冒涜も甚だしい! よってこの場にいる者達全員を厳罰に処する!」
陽動とは思えない怒りの篭った隊長の声に、人身売買オークションの会場は一瞬で混乱した空気となった。商人達は怯えうろたえ、警備の山賊は虚を突かれて動揺した。舞台の上でオークションを取り仕切っていたローザも驚きの表情で固まっていた。
(いまだ!)
元勇者は抜刀した瞬間的に攻撃力を倍化させ、最大速度でローザのいる舞台に突進した。集会場の壁側を伝っていてはこの一瞬の隙を突けないので、悪徳商人達のいる場所を勢い任せに強引に突き進んで最短距離で突撃した。その速度はまるで瞬間移動の如き素早さだ。
その気配にローザが気付いて振り返った。
元勇者の攻撃は、隊長の陽動に気を取られたローザの側面からの攻撃だった。陽動に驚いたローザは咄嗟にネックレスに手をかけていた。その格好のまま振り返ったローザの脇腹に、元勇者の剣の切っ先が突き刺さった。ローザと元勇者の目と目が合った。ほんの一瞬の事だった。
ドン! という音と共に、商人達が抱えていた資産証明書類が舞い上がった。
元勇者の瞬間移動による攻撃の衝撃波が私娼窟の集会場の中に突風を巻き起こしたのだ。
「……まさか、逃げられたとは」
元勇者の手に持った剣の先には、ローザを切った血が付いていた。
しかし切った筈のローザの姿は無かった。
どうやらローザは、隊長の陽動に驚いた時に”転移のオーブ”で逃げようとしていたようだ。ネックレスの宝石の中に”転移のオーブ”を隠していたのだろう。逃げようとした瞬間に元勇者の気配を感じ、振り返った一瞬だけ転移が遅れたのだ。元勇者の攻撃に気付いてから転移しようとしても間にあわなかった筈だった。
商人達は慌てふためいて逃げ出し、たった5人の山賊は「狼藉者だ! 殺せ!」と声を荒げた。
しかし囚われた村娘達を人質にするような知恵のある敵は見当たらず、私娼窟の外にはインガー遠征部隊の兵士達が待ち構えている。
もはや元勇者にとっては何の憂慮の必要も無い、何の障壁も無い状況だった。
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……数分後には私娼窟の集会場は静寂の場となった。警備役の5人の山賊は”せんとうふのう”と化して意識を失い、悪徳商人達は洞窟から出た先で遠征部隊に捉えられている事だろう。
隊長は捉えられていた娘達の手枷を解き、裸の身体に布をかけて隠した。
騒動の割にはあっけない幕引きとなったが、インガー帝国領土の辺境の村からさらわれた村娘達の全員を無事に救い出す事が出来たようだ。
「ユート殿のおかげで無事に解決する事が出来た。貴殿のような老兵……もといベテランの戦士がインガーにいれば手を煩わせる事も無かったのだが、おかげで我が兵達が無駄に消耗せずに済んだ。またユート殿がいないままこの私娼窟に攻め込んでいたら、追いかけてくる山賊と洞窟の中の山賊とで挟み撃ちにされていただろう」
元勇者は老兵と言われた事はスルーしたが、ネチネチ覚え続ける事は間違いなかった。
「給料分の仕事には足りなかったかもしれないのが申し訳ないのですが」
「姿を消した首謀者の中年女の事か? 魔法の道具で転移する相手に攻撃が当てられたのだから凄い事だ。それに人質となっていた村娘達も無事で済んだ。日当を払う価値は十分にある。報酬は外の兵士に用意させているから、ここを出たら受け取るがいい」
「とりま、これで俺のパート契約はオシマイって事ですよね」
「名残惜しいがそうなるな。出来れば3ヶ月ほどの契約でインガーの新兵を鍛え上げて欲しいところだが、ユート殿もそこまでの暇は無かろう」
「まーアーティスに行って王様あたりに経過報告しておこうかなって程度ですけどね」
キュピーンキュピーン、ドガーン!!
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!!」
噂をすればなんとやら。呼んでもいないのに飛び出してきたのは、アーティス王国の国王だった。
少し離れた場所にいたインガー遠征部隊の隊長は、即座に片膝をついて頭を下げていたが、近くにいた元勇者は”転移のオーブ”で突然出現したアーティス王の衝撃でひっくり返っていた。
「なんなんですか突然ッ!! クシャミもしてないし、壷とかも無いんだから、とっとと帰って好きなだけハンバーグでも食べていてくださいよ!」
「それどころではない、勇者ユート・ニィツ! 貴殿に新たな任務を授けるので心して聞け!」
アーティス王の傍迷惑な傍若無人っぷりには幾度も煮え湯を飲まされているが、唐突に出現していきなり命令してくるのは尋常ではない。
(パート仕事が終わった瞬間に次のミッション発生とか……上司に恵まれなかったら何処に連絡すればいいんだろう?)
冒険者にとってクライアントは上司に相応するし、国王となれば取引先の社長のようなものだ。フリーランスであり下請けのような立場の冒険者にとっては無碍に扱えない相手ではあったが、下請けだって取引相手は選びたい。
あまりに唐突な展開に元勇者は困惑したが、その唐突さが謎に思えた。
「ところで、どうして俺がこんな場所にいる事が判ったんですか?」
「我がアーティスの探知魔法を扱える精鋭魔道師30人に水晶で探させたのだ」
「……はぁ? 俺を? 探知魔法で? 30人も使って? ……なんで?」
アーティス王は、インガーの隊長に聞こえぬよう、元勇者の耳元で語った。
「数刻前に、我が娘ディアとその連れの少女2人が人さらいに拉致されたようなのじゃ」
元勇者は、腹の底から搾り出したような怒声を上げた。
「な ん で す と お ぉ ォ ォ ォ~ッ!?」




