「ホームレス元勇者」
「拠点が決まったらアーティスに来てください。もし私達が不在でもアーティスには定期的に連絡に行くので、引っ越し先を王か衛兵に伝えれば私達が行きますので」
「王様を伝言板かわりに使えるとは、お姫様の特権だなー」
ディアの言葉に元勇者は苦笑いした。
元勇者の住居である砦に戻ってすぐにマルス達の襲撃に遭い、玄関は壊れ元勇者も負傷し、傭兵の襲撃に遭った直後であり状況は混迷している筈だったが、元勇者も3人娘も日常モードだった。
いまや元勇者達は山賊セシルに狙われる立場で、対抗しようにも拠点が無ければ不自由が多い。
冒険者時代には敵の魔物が巣食う巣窟や魔城に攻め込む側だったが、どういったわけか逆に攻め込まれる側になっているのだ。
「そうだ、伝言板と言えばコレを忘れていた」
元勇者はアイテム入れの子袋から、水晶玉を取り出した。
「大賢人のところでおみやげに水晶玉を買ってきたんだ。なんでもちょっとした連絡が出来るタイプらしいんだけど」
大賢人のところでは様々な水晶玉が販売されていた。魔力によって様々な効果を与えられた水晶玉は、映った光景を記録し再生するタイプのものや、特定の場所を映し出すタイプのもの、映った光景を他の水晶玉と入れ替えて映し出すものなど様々あるらしい。
「勇者様、これって流行している”携帯水晶”じゃないですか!」と、ディアが歓喜の声を上げた。
「えっ? なにそれ? 魔力で音や映像を映し出したり出来るらしいんだけど。若い人達の間で流行しているという話だったから。どうせたいしたものじゃないだろうけど、使い物にならなくても水晶だからアクセサリーにはなる金と思って」
「これが携帯水晶です。大ヒット商品なのですが、マジックアイテムですからお高いですし、入荷待ちでなかなか手に入らないんですよ」
ふーん?とイマイチ理解出来ていない元勇者とシュナに対し、3人娘は興味津々といった感じで瞳をキラキラさせていた。
シュナは興味薄そうに言った。
「水晶玉で何か見えると言ったら回復魔法も攻撃魔法も使えないハンパな魔法使いが占いとかで使っているものだけど、サッカーボールほどもある大きさの水晶を使うじゃない。このケータイ水晶とやらはピンポン玉ほどの大きさだけど、こんな大きさで使い物になるの?」
「しれっとサッカーとかピンポンとか世界観をブチ壊すような事を言うんじゃない」
元勇者がツッコミを入れたように、この物語は中世ファンタジーの筈である。
「ほら! この水晶を覗いて見てください! 水晶の向こう側に見える景色が普通とは違っているでしょう?」
キャッキャとはしゃくディアが元勇者の眼前に水晶を向けた。覗き込むと確かに別の景色が見える。どうやらホリィが持っている水晶の景色がディアの水晶に映し出されているようだ。
「どれどれ私にも見せて……なるほどねぇ」
若者の流行に付いていけていない元勇者を尻目にシュナが水晶玉を覗き込み、その仕組みを理解したようだ。
「水晶玉に固有の波長の魔力を共鳴するようにして、同じ波長の魔力を持つ水晶玉の景色を鏡のように映し出す古典的な仕組みのようね。単純な原理だけど良く出来ているわ」
「ふむ、サッパリわからん」
「つまりこの水晶を持っていれば離れた場所にいても同じ波長を持つ水晶の向こう側の景色や音が見れるという事よ」
「よくわからんが、こういった水晶を使ってバーチャル冒険者が講師業で荒稼ぎしているわけか」
「お高いもので入手困難なら、持っているのは金持ちでしょうね。金持ち相手に講師業をすれば儲けるのは簡単でしょうし、そうして儲けている人を真似する人も大勢出てくるでしょうから、水晶玉がもっと売れるという商売なんでしょうね」
「3人娘に1コずつと合計3個しか買わなかったが、買い占めておけば良かったかなぁ」
「転売でもするつもり? 品薄なのは水晶の採掘量の都合でしょうから、どこかで水晶が沢山採掘されればすぐに値崩れするわよ。そうならなければ入手困難なまま流行が過ぎ去って不良在庫を抱える事になるかもしれないわよ」
「ナウなヤングのトレンドは、オジサンにはついていけないなぁ。不良在庫の水晶玉を抱えた中高年なんて怪しいにも程があるから転売はダメか」
水晶玉で遊ぶ3人娘を尻目に、元勇者は(そんなオモチャの何が面白いんだ?)と思ったり(女の子はキラキラ光る石コロが好きなものなんだろうな)等と思ったが、言葉として口に出す気は無かった。実感も無く理解もしていなかったが、薄々(若者の流行や関心事についていけないのは、それだけ俺が老いたという事だろう)と感じていたからだ。
「ねぇ勇者様のケースイは無いんですか?」と、ディア。
「け、けーすい? ……あぁ携帯水晶の事か。俺はそういった物にはあまり興味が無いから……」
「勇者様も持っていれば、いつでもこのケースイで連絡が取れるんですよ。便利なのに」と、ホリィ。
「ホリィまで略語を使うとは……いや何でもない。使い方がわからないから、また次の機会に考えるよ」
「勇者様モ持ッテイレバ、イツデモ寂シクナイノニ」と、ライム。
「あぁ……そうかもしれないな?」
元勇者の内心で(そんな水晶玉に映った虚像と話が出来ても寂しさが紛れる筈が無い)というしらけた考えと、(一人で孤独だった3年間を思えば誰かの声が聞こえる事がどれほど有難い事か考えるまでも無い)という考えが拮抗していた。そんな石ころで寂しさを紛らわせたいわけじゃないが、あればきっと寂しさを感じる事は減っていた。きっと古い価値観が新しいものを拒絶しているのだろう。
「まぁその水晶玉は好きに使ってくれ。まずは山賊セシルから身を守る事が先決だ。俺はこれから次の住処を探さなきゃならないから、また何日かの時間がかかるだろう。目処が付いたらアーティスに”転移のオーブ”で行くから」
そう言って(転移のオーブのほうが携帯水晶よりも高級品じゃないか)と気付いて苦笑した。
携帯水晶も所詮は古典的なマジックアイテムで、転移のオーブのほうが新しく作られたものだ。新しいものを拒絶したい気持ちを持ちながら水晶玉より新しいマジックアイテムを常用しているのだから、自分自身のいい加減さに笑うしかなかった。
苦笑する元勇者にホリィが声を掛けた。
「いかがなされましたか?」
「いやいや、次に機会があったら俺もケースイを買ってみようかなと思ったんだよ。その時には使い方を教えてもらう事になるだろうから、よろしく頼むよ」
無理して若者言葉を使ってみたが、言葉が喉に引っかかりそうな違和感だった。
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3人娘は”転移のオーブ”によって姿を消した。まずはアーティス城に状況報告するらしい。
残るはシュナだ。久方ぶりに非常に長い付き合いの元勇者とシュナの2人だけとなった。
「どうしてシュナが来たのかもよくわからんが、カールは何処に行ったんだ?」
「カールはまた”希望の暁”の調査に行ったわ。一応は元アーチャーだし索敵や潜入のスキルは高かったから、スニーキングミッションで名誉挽回したいみたいよ」
「スニーキングミッションって体型かよと思うが、まぁ商人みたいな恰幅のよさだから商人を囲い込もうとしている”希望の暁”を調べるには丁度良いのかもしれないな。どうせ商人を騙して組織化して金を集め、その金で世界征服といった企てだろうけど」
元勇者の呑気な口調に、シュナは眉を顰めた。
「山賊となったセシルの目的は世界征服じゃないかもよ?」
「他に何があるって言うんだ?」
「セシルのデスノートに書かれていた”人類補完計画”とか”新世界の神”とかの事は覚えてる? 人が神になろうと目論むには、世界を征服するだけじゃ事足りないとは思わない?」
そう言われて元勇者は考え込んだ。確かに世界征服をしたところで王様程度で神を名乗る程でもない。とはいえ他の何になろうと考えているのか具体的には何も思い浮かばなかった。
考え込む元勇者にシュナは言った。
「山賊セシルは何かの新しい魔術の術式を編み出そうとしていたけど、どうやら”プラスのエネルギーをマイナスに変換する魔法”なのよね」
「それは珍しい魔法なのか?」
「いいえ。例えば氷結系の魔法は”熱エネルギーを奪う”事でアイスストーム等の魔法になるわけだから、エネルギーの転換は基本中の基本よ」
「つまり……どういう事だってばよ?」
「問題は、山賊セシルの魔法が”何のエネルギーをマイナスにするのか?”というところよ。もしこの術式が完成すれば、連鎖的に魔法が発動し続けて”何かのプラスのエネルギー”が永遠に”何かのマイナスのエネルギー”に転換され続ける事になるわ」
「なにやら大変そうだが、具体的にはよくイメージ出来ないな」
「もしそのプラスのエネルギーが”熱”だとしたら、熱エネルギーを糧に冷気を生成し続けて、世界中が氷河期になるまで止まらなくなるわ」
ようやく元勇者も事の深刻さを理解した。世界中から熱が奪われれば世界は滅ぶ。山賊セシルは歪んだ考えで世界を滅ぼし、世界中の人間を滅ぼす事で神となろうとしているのだろう。邪神であっても神だ。
「まぁ何のエネルギーをマイナスにしようとしているのかはさっぱりわからないし、術を発動するにはトリガーとなる強いエネルギーが必要だから、実際に氷河期になって人類が滅ぶという事もないでしょうけど」
「とはいえ何かのプラスのエネルギーが連鎖的に奪われ続けるという事は、世界からそのエネルギーが失われてしまうという事だろう? 一体何のエネルギーを奪おうとしているのだろう?」
「そこがよくわからないのよねぇ」
2人は考え込んだ。
「私、心当たりがあるんですけれど!」
「うわっ! サッちゃん!? いたのか!」
ひょっこりと姿を現したのはサッキュバスのサッちゃんだった。
「そもそもモンスターである私が、魔王を倒した後の世界に出現している事って結構不思議だと思いませんか?」
「そういえば……。いやそもそも魔王を倒した俺のところにモンスターが住み着いている事のほうが不思議なんだけどな」
「魔物・モンスター・怪異といった私達の存在は、この世界では魔法と同じく幻術・幻想のエネルギーによって賄われています。具体的には人間の心のエネルギーに近いものです」
「心のエネルギー? 心にエネルギーとか無いだろ?」
「わかりやすいところでは”引き寄せの法則”ってあるじゃないですか。理想を強く願い続けると叶いやすくなるっていう。これは心のプラスのエネルギーの働きによるものです」
「単なるおまじないじゃないのか?」
「人間が道具や魔法を扱うようになってその感覚が失われ測定する能力もないから感じられないだけです。人間も退化しているのでしょうね」
「失礼な魔物だなぁ」
「そしてその心のエネルギーのマイナスの部分がモンスターが湧き出す糧になるんです。魔王様が世界を征服しようとして世界を絶望に追い込んだのも、ネガティブな心のエネルギーを吸収してより強い力を得る為です」
真面目に話を聞いていたシュナが問うた。
「魔王はユートが倒して世界の絶望気分も薄らいだわ。それなのにどうしてサッキュバスのあなたが出現できたわけ?」
「お話を聞いてきた感じでは、山賊セシルの”狼煙獅子団”や”希望の暁”といった世界の平和を乱す存在が暗躍している事で、世間に”魔王がいなくなってもそんなに世の中良くならないじゃないか”といったマイナスの気分が増えたからだと思います」
元勇者は「世間の人の気分ひとつで魔物が増えたり減ったりするのかよ」とボヤいたが、レベル的にはミドルクラスの……つまりは本来出現する筈のないモンスターであるサッキュバスが押しかけてきているのだから、なんとも否定しがたい。
「なるほどねぇ……」と、シュナ。「そのあたりの角度から山賊セシルの術式を読み解いてみる価値はあるかもしれないわ」
「何かわかりそうか?」
「何かわかればセシルの企てを防ぐ手がかりになるでしょうね。私は帰って研究するから、ユートはそこのサッキュバスとハメハメしいてていいわよ」
「しないって! 魔物だし!」
サッちゃんはニヤリと笑みを浮かべた。
「このまま世の中が混沌としていけば私のパワーも増しますから、その時に我慢できるか楽しみです」
「いやいや、俺はこれから次の住処を探さなきゃならないし、その住処の場所はサッちゃんには絶対に教えない」
「教えなくても、魔王様を倒した冒険者の波長は感知できます」
「するな。とにかく俺はこれから次の物件を探さなきゃならないんだから、そろそろ皆どっかに行ってくれ!」
元勇者の次の住処探しも安穏としていられない雰囲気になってきた。山賊セシルの目論みは水面下で着々と進んでいるように思われ、後手になるほど厄介な問題になりそうにも思える。
早目に転居先を見つけ、山賊セシルの目論見を阻止する計画を考えねば、元勇者が安穏と煙管をふかして呑気な日々を過ごす事は遠い事となってしまう。
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シュナは”転移のオーブ”で自宅に帰り、サッちゃんも「少し不景気な世間の様子を見て魔物エネルギーを充電してきます」と何処かに姿を消し、ようやく元勇者一人きりとなった。
「ようやく次の物件を探しにいける」
元勇者は煙管に火をつけ、深く吸い込んで大きく吐き出した。はぁぁ……と大きな溜め息が可視化されたような煙だった。
「引越しに必要なものって……なにはともあれ”お金”なんだよなぁ」
表情一つ変えずに呟いた。
魔王を倒してから3年以上、冒険者時代に稼いだ預貯金を切り崩して生活していた元勇者だったが、3人娘の襲来と、意味無く備蓄食料を食べつくすサッちゃんのせいで、しばらく予算オーバーの生活費が続いていたのだ。
中高年のオッサン一人が生活するのは、贅沢しなければさほどお金はかからない。
しかし年頃の少女達に貧相な生活を強いる事もできず、魔王を倒した勇者のクセに魔物のサッキュバス相手にケチな事も言えず、密かにずっと生活費の残高が気になっていたのだ。
「……手持ちの現金が少なくなっているから、なんとか工面しないとならないな」
一応は元・勇者である。冒険の終盤では高額アイテムも多数ゲットしている。生活費はそういったアイテムを道具屋に売って工面していた。常用している”転移のオーブ”も1コ道具屋に売れば、たとえばラストダンジョン前の村にある異様に高い宿屋に長期滞在できる程の金額で売れる筈だ。
「とりあえずアイテムを売り払って転居費用を捻出するか」
元勇者は砦の地下室の物置を漁って予備のアイテム袋に不用品を詰め込み、麓の街に向かった。
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「麓の街に繰り出すのも久しぶりだな」
街を歩くのは、ホリィと遭遇した事で3年間の孤独な日々が終わった日以来だろうか。
人混みを避けながらの散策で、ひざの痛みを感じる。加えてマルスに貫かれた腹の傷もシクシクと痛む。エリクサーで治癒している筈だが、やはり消費期限が切れていたのだろうか。
それでも以前のように一人ぼっちの寂しさに苛まれずに済んでいるのは最近のかしましい日々で活気が充電されているからだろうか。次の棲家が決まれば再び3人娘との賑やかな生活となるかもしれない。それはそれで悩ましい問題ではあったが、孤独の寂しさに比べれば些細な問題に思えた。
「とりあえず適当な道具屋で10コほど”転移のオーブ”を売るか」
転移のオーブはまだ90コほどあるし、ハイレベルの冒険者しか買えない高級アイテムだった。買い取り価格は半値が相場だったので使うものを売るなら損をするが、90コを使いきる事もないだろうと考えたのだ。
手近な道具屋に入り、店員に声を掛けた。
「アイテムの買取をお願いしたいんだけど」
「えっ、買取ですか? うちの店は買い取りはやっていないんですよ」
「マジで? 道具屋なのに?」
「はい。昔は冒険者を相手に質屋のような事もやっていたらしいのですが、私がこの店でバイトを始めた時にはもう買い取りはやっていませんでした」
「えぇ……そうなんだ……」
元勇者はしばらく呆然とした。
予定がいきなり狂ってしまった。
このバイト店員が勤め始めたのは元勇者が魔王を倒した後の事だろう。冒険者が道具屋を使わなくなったのでアイテムの買い取りも取りやめたのだろう。
「わかりました、失礼しました……」
「あのう、中古品の買取でしたら近くにリサイクルショップがありますよ」
「えっ? 中古品? リサイクルショップ?」
「はい。そういったものを売り買いしている店が出来たんです。結構大きなお店ですからすぐにわかると思います」
元勇者は店員に礼を言って店を出た。
(中古品の専門店なんてものが出来ていたのか)
元勇者は普段の買い物の時にも無用な寄り道はしておらず、街の変化にも疎かった。貯金を切り崩しての生活で無闇に贅沢をすればお金が幾らあっても足りないからだ。
道具屋の店員に聞いた道を行くと、リサイクルショップの看板があった。
看板には”なんでもリサイクル・BIGワイバーン”と書かれていた。
「なんと珍妙な店名だ」
なかなか大きな店構えで、質屋とは思えぬほど明るい作りの店だった。
「なんだか思っていたイメージとは随分違うが、アイテムを売らないと引っ越し費用が得られない。しかしこういった店を使った事は無いのでちょっと緊張するなぁ」
元勇者は店内に入った。
入り口のあたりにはテントや釣具などのアウトドアグッズが陳列され、椅子や棚などの家具も並んでいた。その奥には食器や調理器具などの日用雑貨が並んでいた。
「ここは本当に質屋なんだろうか? ほとんど万屋じゃないか」
中古品を取り扱っているリサイクルショップと聞いていたが、並んでいる商品はどれも綺麗で中古品に見えない。しかし付いている値札は新品よりも割安で、確かに中古品を販売しているのだろう。かなりの売り場面積を使って一般人の衣服まで売っていた。古着屋というものはリサイクルショップによって淘汰されているのかもしれない。元勇者は近年の街の変化について疎い事を痛感した。
「冒険者のアイテムとかは買い取ってくれるのだろうか?」
店内を見て回ると店の奥の壁際に武器や防具が飾られているのを見つけた。近くには吟遊詩人が使う楽器も並んでいた。まるで観賞用アイテムのような扱いに見えたが、買取をしていないわけでは無さそうだ。
元勇者は買い取りカウンターに向かった。
「すいませーん、買取をお願いしたいのですが」
「はい、どのような物をお売りになられたいのでしょうか?」
「じゃぁ、まずはこの”転移のオーブ”なんですけど」
「はい、そちらでしたら、1コ50Gで買取いたします」
「eっ……!」
元勇者は思いっきり絶句した。
”転移のオーブ”は高等な魔術によって作られた高級アイテムで、遠く離れた場所に瞬時に移動できる便利アイテムである。駆け出し冒険者は売っているものを見る機会さえない珍しいアイテムであり、値段も相当に高かった。高い店では1コ2000Gはした筈だ。
「いかがなされましたか?」
「えっと、あの、50G……ですか? これ”転移のオーブ”ですよ?」
「はい。50Gです。通常は売値の3割が買い取り価格の相場なのですが、転移のオーブは魔王が倒された頃に多く買い取りしておりまして、当店でも在庫が多くありますのでレアリティが低くなっているんです」
「あ、あの……一瞬で遠くに瞬間移動できる高級アイテムですよ?」
「はい。長旅でモンスターに襲われる危険性もなくなったので、魔法での移動の需要も減っているんです。また転移のオーブには積載重量制限がありまして、商人が大量の荷物を運ぶ時には使えないという制約がありますので、数人の冒険者が長い距離を移動する時くらいしか使い道が無いという事で需要が少ないんです」
「せ、積載重量制限なんてあったのか……」
「複数の転移のオーブを同時に使えば大きなものも転移できるそうですが、そもそも巨大な物を転移させる必要性って少ないですから」
「はぁ……なるほど……」
元勇者はインモールの街での巨竜グラムドリンガーを思い出した。”転移のオーブ”1コで転移できるものでないとすれば、複数のオーブを同時に使ったのだろう。つまり一人で出来る事ではなく、山賊セシルは明確な意思を持って用意周到にグラムドリンガーを転移させたのだろう。街の被害もお構い無しに元勇者を殺す為に”転移のオーブ”を使ったのだ。セシルだけでなく元7勇者メンバーの全員がユート・ニィツを殺す事に躊躇が無いという現実を改めて認識した。せめて買い取り価格が高ければ気分も沈まないのだが、現実はイヤな事ばかり大安売りされているようだ。
「最近はモンスターの出現率が高くなっているという噂ですから、それで在庫が売れるようでしたら買い取り価格も少し上がると思うのですが」
元勇者は「幾らぐらい上がりますか?」と問おうとして止めた。2000Gで買ったものが50Gで買い取りなら、55Gでも60Gでも割に合わないからだ。
「……どういった物を高値で買い取りしているんでしょうか?」
「主に家具は高値で買取しています。他は未使用新品ですとか、流行のグッズなども高価買い取りしております」
「例えば最近流行しているらしい、遠くに離れていても会話とか出来る水晶玉なんてものは……?」
「それでしたら75Gから買い取らさせて頂いております。双方向ではなく受信専用のものでも50Gからです。ただし流行しているいまだけの買い取り価格ですので、在庫の数量によって変動すると思いますが」
「なんと! ”転移のオーブ”以上の価値があったとは!」
おみやげとして元勇者が3人娘にプレゼントした水晶玉は大賢者セボンの売店で1個10Gで買ったものだった。しかも3個買ったので1個分の料金をオマケしてもらっていた。たぶん元勇者だからこその特別価格だったのだろうが、転売すれば手堅い利益が得られていた高額アイテムだったのだ。元勇者はトレンドに疎く価値も見定める事が出来なかった。内心で「世間のトレンディな事とか軽視するもんじゃないな……」とボヤいた。
「あの、武器とか防具とかって買取してますか?」
「はい。インテリア用品としてそこそこの需要がありますので、未使用品なら高価買取いたしております」
「冒険者の武器や防具で未使用品って、滅多に無いと思うんだけどなぁ」
元勇者はダメ元で、持って来た武器や防具を取り出して店員に見せた。経験値稼ぎで雑魚モンスターを倒し続けていた時に沢山入手していたドロップアイテムだ。元勇者は使っていないが元々はそのモンスターに倒された冒険者の所持品なので未使用品には程遠い。
「こちらは5G……この武具は3G……こちらの盾は買い取り不能ですね……無料ならお引取り致します」
「ううむ、道具屋で半値で買い取ってくれていた時代に処分しておくべきだった」
「あぁ、こちらの剣は10Gで買い取れます」
「えっ、その剣ってそれほど攻撃力高くない普通の剣だけど」
「装飾などのデザイン性が良いので、インテリアとしてお買い求めくださるお客様が多いんです」
「いちおうアイテム袋に20個入っているんだけど、全部買い取りって……できますか?」
「はい、インテリアは家具と同じく堅実な需要がありますので、全て買い取る事が出来ますよ」
「よかった。じゃあ全部売ります。安い値段の武器や防具もついでにお願いします」
店員は笑顔で頷き、1枚の紙を差し出した。
「それではこの紙にサインと住所を御記入ください」
「えっ」
「当店は古物商認可の店ですので、盗品などの売買が行われないようお客様の個人情報をお預かりしております。違反すると商人ギルドから業務停止命令が出てしまいますので」
「えぇ……」
元勇者はしばらく困惑した後、現在は住居の砦の玄関が壊れて引っ越し先を探している最中である事を告げた。
「そうですか、それは困りましたねぇ」と店員は困っていない表情で言った。「買い取り価格が何割か低くなりますが、それで宜しければ買い取る事も出来ますが」
「それじゃぁ殆どはした金にしかならないけど、使わない武器や防具だから構わないか……」
結局アイテム袋から取り出した大量の武器と防具を全て売った価格は100数十Gにしかならなかった。
「……自炊生活なら切り詰めて数週間の食費になる金額だけど、自炊する家が無い現状だと焼け石に水にしかならない金額だなぁ」
たとえばラストダンジョン前にある村の宿屋であれば1泊も出来ない金額だ。どういった物価指数なのか為替レートなのか改めて考えるとボッタくられていた気しかしないが、冒険者だった頃は金が無ければ雑魚モンスターを倒し、経験値が足りなければ雑魚モンスターを倒せば当面の問題は解決していた。
いまは再びモンスターが増えてきているそうだが、魔王を倒すほどのハイレベル冒険者に近付いてくる雑魚モンスターなど1匹もいなかった。
ふと、元勇者は深刻な事態になっていた事に気付いた。
「……冒険者時代に稼いだアイテムの価値が暴落しているという事は、俺の想定していた預貯金では老後の生活なんて無理なんじゃないか?」
なにしろ高額アイテムの筈の”転移のオーブ”さえ50Gなのだ。手持ちのオーブを全部売っても数ヶ月の生活費にしかならないだろう。魔王を倒した事によって高額アイテムの価値が軒並み低くなってしまったのだ。
途方に暮れつつ、目についた不動産屋に入ってみた。
不動産屋は主に空き家の斡旋をしている。物件によっては宿屋に長期滞在するより安く済むかもしれないと思ったのだ。
幾つか安い部屋はあったが、最低でも月300Gで、相場は月600G。安い部屋の広さはせいぜい10フィート四方の狭いワンルームで、一人で住むにも手狭な広さだ。
(”転移のオーブ”1個に2000Gも使っていた時代が懐かしいなぁ)
世界を恐怖と混乱に陥れた魔王を打ち倒す為!という唯一にして最大の目的の為に稼いだ金を湯水の如く浪費し続けてきたが、所詮はフリーランス。設備投資費も維持費も全て自己負担だっただけだ。大金を費やして維持し続けたフリーランス冒険者としての役割も魔王を倒した事で完全終了し、その成れの果てが現在の元勇者の姿だった。
(住むところ無し、貯金なし、定職も無い、身体のあちこちにガタが来ている独身中高年の俺って……どうすればいいんだろう?)
引っ越し先の新居を見つけて3人娘を招くという予定は不可能に思えるほどハードルが高いという事に、元勇者は呆然とした。
「俺、ホームレスじゃん」
一応は手持ちの金にリサイクルショップでの金があるので無一文ではないが、無駄な出費をする余裕は全く無かった。
元勇者の足元を1枚の落葉が寒風で舞った。
季節は寒季に移り変わろうとしていた。




