「ハーレム展開にも旬がある」
「すっごいお風呂! こんな贅沢なお風呂に24時間入り放題だなんて、さすが勇者様だわ!」
ディアは感嘆の歓声を上げた。
南方の地アーティス王国の日差しを受けた健康的な褐色の肌と王家の豊かな暮らしですくすく成長した肢体は、少女らしさと女性らしさ両方の美を併せ持っていた。
「個人宅で源泉掛け流しのお風呂なんて、初めて見ました」
ホリィは広い風呂を目にして感嘆の声を漏らした。
勇者と共に冒険をした父グレッグの娘として、その栄誉に恥じぬよう躾けられ真面目に育ったホリィは、白い柔肌に均整の取れたプロポーションで、その柔らかそうな身体は芸術的な美しさとさえ言えた。
元々は勇者と共に戦う革命軍の為に作られた砦であり、その風呂も大勢の戦士が入れるよう広く作られていた。
しかし石と木で造られた砦に温泉を設けた事で、その湯気の湿度で金属製の武具の保管には向かなかった。またこの砦が造られた頃は革命軍の兵士の数も減っており、砦そのものの必要性が薄くなっていた。
使われぬまま廃棄され忘れ去られた砦は元勇者にとって格好の隠れ家となり、お風呂の湿気問題もDIYで換気口を設けた事で改善した。
ホリィとディアは最初こそ遠慮がちに湯を使っていたが、止め処なく溢れ流れる掛け流しの源泉の湯量の多さに気兼ねなく身体を洗い流した。
元勇者がDIYで作った換気口からの光が絶妙な「謎の光」となって2人の美少女の裸体を隠す絶妙なヴェールとなっていた。もちろん湯気も良い仕事をしていた。
「これほどのお湯が自由に使えるなんて、普通の家では出来ない贅沢だわ」
「勇者様と一緒に冒険をした人の娘でもお風呂は普通だったの?」
「えぇ。勇者様と行動を共にしている者の家族が贅沢な暮らしでは世間の規範にならないと、ごく普通の生活を営んでいました。一応は父からの仕送りがあったので貧しくはなかったのですが、その仕送りも村の為に使う事が殆どでした」
「ふぅん色々大変だったのかなぁ。まぁ私のところは年中暖かい国だから水風呂が当たり前で、あったかいお湯のお風呂なんてこれが初めてなの!」
2人はお互い笑いあった後、広い湯船に身を沈めた。
「すごい!すごい! 本当にこれ全部がお湯だよ!」
「うふふ。風邪をひかずに済みそうですね」
「あったかーい。長風呂しちゃいそう」
「そうですねぇ。勇者様を探しての長旅の疲れが癒えるようですわ」
まったりと温泉を堪能した2人だが、湯から上がろうという頃合に2人にとって核心の話題となっていった。
「それにしてもホリィちゃん、スタイル良いわね」
「そんな……ディアさんのプロポーションに比べれば私なんて……。でも勇者様のお嫁さんは譲れませんよ」
「もちろん私も譲る気はないわ。アーティス王家の血を引く私のほうが勇者様の妻に相応しいに決まってますし」
「私の父は勇者様と共に旅をした仲間でしたし、私のほうが先に勇者様に告白していますから」
「勇者様が戦いを終えて3年も経っているのよ? 1日1ヶ月1年早ければ早い者勝ちと言うのもわかるけど、ホリィもきょうここに着たばかりでしょう? 殆ど同じじゃない」
「私は父の面倒を見なければならなかったので旅に出るのが遅れましたが、ディアはそういった事情は無かったのでしょう?」
「ワタシはアーティス王国の復興でなかなか勇者様の後を追う事が出来なかったの。それに勇者様の居場所を探しながらの長旅で大変だったのよ」
険悪といった感じではなく自己紹介を兼ねての口論といった様相だったが、ふとディアは悪戯っ子のような笑みを浮かべてホリィに言った。
「こうなったら、きちんと勇者様に選んでもらいましょう!」
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元勇者は2階のベランダで煙管を一服しながら、夜空を眺めていた。
(夜空を眺めていると四天王を倒した後、魔王を倒す前の1ヶ月間を思い出すなぁ……)
それは元勇者にとって思い出したくない記憶だった。思い出したくない記憶だが、魔王を討伐し封印してからの3年間は特にする事も無く考える事も無いので結構頻繁に思い返している記憶でもあった。暇な中高年は過去を振り返っては後悔するのが日課のようなところがあるのだ。
しかしいまは、かしましい少女2人が押しかけてきた事によって、さほど嫌な気分ではないのが正直なところだった。
中高年の毎日にとって一番の問題が「寂しさ」だ。
元勇者も20代や30代の頃には孤独や寂しさなど大した事ではないと考えていた。しかし40を過ぎた頃から次第に孤独や寂しさが生きる上での大きな問題になる事を感じ始めた。若い頃には寂しさの恐ろしさを知らなかったのだ。
元勇者は魔王を倒した事で孤独にならざるを得なくなり、寂しい毎日に耐える事を受け入れて生活してきた。自分ひとりでは寂しさはどうにも出来ないのだ。それは魔族軍を討ち魔王を討伐した勇者であっても同じだった。
(もしもこういったハーレム展開が10年前に起きていたなら俺の人生も随分と違ったものになっていただろうなぁ)
いまではアラフィフの元勇者も昔は青年であり、昔は若かった。若い頃は物事の考え方も未熟だったので「寂しさ」の恐ろしさを侮っていた。歳を重ねて考え方が熟した頃には若かった頃の未熟な考え方を是正する手段は無くなっていた。
長い人生の間で若い頃にしか得ることの出来ないものは沢山あり、元勇者はその大切な若い頃を魔王の討伐に費やしてしまった。世界を救うという善行であっても人生を賭するに見合う対価が無ければ報いというものが無い。それに気付いたのは40を過ぎた冒険の終盤で取り返しがつかず、現在の隠居生活の以前から、魔王を倒す前から後悔の念を抱き続けていた。元勇者といえど時間を巻き戻す事など出来ないのだ。
はぁぁ、と溜め息混じりに煙管の煙を吐き出した。
冒険の最中にロマンスが無かったわけではない。10数年の長い時間にはほんのりとした好意を寄せてきた女性も幾人かいた。元勇者が少し押せばフラグが立ったであろうシチュエーションも多々あった。しかし「魔王を倒し世界を平和にするまでは」と生真面目を貫いてしまったので関係が進展する事は無かった。
いっそ魔王など恋愛の片手間に倒せば良かったとも思うが、彼女が出来た途端に敵の罠にかかって悲恋と化すといったベタな展開もありえる危険な旅だったので、魔王討伐と彼女作りの両立は不可能だった。
(もし魔王討伐の旅を始める前にホリィやディアのような女の子に迫られていたら人生色々違っていただろうなぁ。可愛い彼女と一緒に魔王の侵攻に怯えて暮らす一般市民のほうが幸せな人生だったのかもしれないなぁ)
勇者ならではの欝な後悔もホリィとディアの登場によって少し癒されたような気分もあった。さすがに世間からガン無視され続けて余生を生きるのは勇者であってもメンタル的にキツイ事だった。しかし2人は少々過剰ながら勇者をリスペクトしている様子だ。ちやほやされて嫌な気分になる中高年などいない。オッサンは優しくされるとコロッと釣られるチョロイ存在なのだ。
しかし中高年になるとホリィやディアの情熱も若い少女の一過性の熱意であろう事がわかってしまう。きっと2人とも真剣に思いを寄せてくれているのであろう。とても有難い事だ。しかしその真剣な思いも成就しないとわかればすぐに次の対象に情熱が移るだろう。数年も経てば他の誰かに嫁いでいるかもしれない。若者と中高年の時間の流れは全く違うのだ。
「……やっぱ早いうちに追い出したほうがいいだろうな」
正直に言えば元勇者も孤独で寂しい一人暮らしより、可愛い少女と共に華のある生活を過ごすほうが良かった。
しかしそんな些細な願望の為にワンチャン残っていない中高年が未来ある若者の人生に傷をつけてはいけないという考えは揺るがなかった。
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そろそろ少女2人が風呂から上がった頃合と思い、元勇者は様子を伺った。
……風呂場には誰もいない。
(良かった、警戒せずいきなり風呂に入っていたらラッキースケベ展開になって「キャー! 勇者さんのエッチ!」なんて言われるところだっただろう)
そんな状況になっても中高年には初々しいリアクションが取れないのでただ困り果てるだけだ。
元勇者は風呂場に誰もいない事を確認してから脱衣所に戻り風呂に入ろうと服を脱いだ。
(退屈しなかった1日だったが、騒々しいし台所は燃えるし散々な1日でもあった……)
疲労感にグッタリしつつ、元勇者は風呂場に入った。
「※※※ おおっと ※※※」
風呂には、全裸のホリィとディアの姿があった。
2人とも前を隠さず、その瑞々しい肢体を元勇者に見せつけていた。
「ゆ、勇者様、お待ちしておりました……」
「ワタシとホリィのどちらが勇者様の妻に相応しいか、どうぞ存分に品定めしてくださいませ!」
ホリィとディアはその若い肢体を隠す事なく晒して勇者の目の前に立っていた。
風呂場に全裸の中高年と美少女2人、これぞハーレムといった状況であり、世間に知れればただ事では済まない通報検案でもあった。
「一体どこに隠れていたんだ?」
「ホリィは扉の影に、ワタシはお湯に潜ってました!」
「南国育ちのディアが水属性とは知らなかった」
「水に潜って1分は息を止めていられます!」
「結構普通じゃねーか」
もじもじしながらホリィが言った。
「ところで、あの、私達のどちらの身体がお好みでしょうか?」
一瞬、元勇者の下半身のスイッチがONになりそうになったが精神力で止めた。人生経験豊富な中年になれば精神力で下半身のスイッチをOFFの状態にする事が出来るし、中高年になればスイッチ自体がサビついてくる。股間を隠しているタオルが持ち上がってしまうような姿を少女に見せるわけにはいかない。
「ムフフ……勇者様、お好きに弄んでも構わない全裸の女の子を目の前にして、まさか据え膳食わぬという事はないでしょうね?」
「ディアも私も、どちらを選んでくださっても構いません。も、もしそれをお望みなら嫁とせずに弄ぶだけでも結構ですので……」
元勇者は美少女2人の策略と度胸に絶句しかけた。
しかし幸いにも下半身のスイッチはきちんとOFFの状態を保っている。そして取り乱すほど若くない。理性も失ってはいない。
元勇者は深く深呼吸して、ホリィとディアに言った。
「お前達は理解していないようだな」
「な、なにをですか?」
「俺は一応だがお前達の小さな頃を見ているんだ。そんな姿を見せられても成長したんだなぁ~としか思わん。ホリィは台所の物陰からこっそり見ている気の小さな子供だったし、ディアも男の子と勘違いしたほどチビスケだったしな」
2人の美少女の表情が引きつった。乙女が恥ずかしい思いを押し留めて誰にも見せた事の無かった一糸纏わぬ姿を晒しているというのに、まるで親戚のおじさんのような昔話トークが繰り広げられたのだ。
「まー中高年にもなると10年とかついこの前の事に思えるしな。俺が魔王討伐の旅を始めた頃にはオシメをしていた子供が、これだけ立派に成長したのはオジサン嬉しい気分だよ」
「お……おしめ……」
ホリィとディアの顔がみるみる羞恥で紅潮していった。勇者の妻となるべく身体を張ったのに、完全に子ども扱いされたのである。
「こうなったら……もう恥ずかしいけど実力行使です!」
ディアが勇者に抱きついた。
「私まだ子供でしょうけど、勇者様が大人の女にしてください!」
先を越されて慌てたホリィも勇者に抱きついた。
「わ、私も大人の女にしてください!」
突然美少女サンドイッチ状態になった勇者はさすがに慌てふためいた。
ディアのプルンとした身体、ホリィのムニュッと柔らかい肌が密着し、不器用にも抱きつこうとしてくる。いくらサビついていてもこの状態ではスイッチをOFFの状態に保つ事は困難だ。
元勇者は風呂上りで濡れた若い肌が滑る事を利用して美少女サンドイッチ状態から抜け出し、湯船に飛び込んだ。
「ふぅ……間一髪だった。やはり戦闘時は気を抜いてはいけないな」
もちろん戦闘と銭湯をかけたオヤジギャグだったが、ウケる事もスベる事も望んでいないただの独り言である。
とりあえずは少女達の妙なノリの腰を折った事で白けた空気になった筈だ。中高年になると若者の元気な様子だけで胃がもたれてくるようになるので、シラケた空気のほうが心地良いのだ。
「もう! 恥ずかしいのを我慢して迫っているのにどうして逃げるんですか!」
意外にもホリィのほうが元勇者に不満をぶつけてきた。おとなしい娘のように見えても女としての価値を否定されるのは不愉快だったようだ。
ディアも恥ずかしかったのか、そそくさとタオルで前を隠した。元勇者が言われるがままに2人のうちのどちらかを選んでいれば、選ばれなかったほうは非常に気まずい思いをした事だろう。また抱きついた事で元勇者が湯船に逃げたという事は少なからず反応を示したという事でもあり元勇者の妻となる希望が絶たれたようにも思えなかった。
「それにしても勇者様、背中の傷が物凄い事になってますね……」
ディアは元勇者の背中に近付き、無数の刀傷や裂傷の傷跡を触った。
「あー俺、見様見真似で覚えた初級の回復呪文しか使えないから、傷口を消すような事が出来ないんだよね。背中だから自分では見えないし」
「……物凄く痛そうに見えます」
ホリィも元勇者の背中の傷を触ってくる。遠慮して触るので、くすぐったい。
「もちろん痛くないよ。傷跡は残っていても怪我は治ってるんだから」
「そうなんですか? こんなに傷だらけなのに、古傷が痛む!みたいな事って無いんですか?」
「こういった傷では全然ないね~。傷がある事も忘れていたし。むしろ関節痛とか足腰とかのほうが痛むし」
元勇者は一応の笑みを浮かべつつ、(怪我は治っても心に受けたダメージは回復呪文では治せないんだよなぁ)と陰鬱な気分に苛まれた。長い冒険の旅では救いの無い絶望というものを幾度も経験した。その絶望は魔族軍の恐怖とは関係の無い日常的な絶望が殆どだった。……しかしそんな気分はホリィやディアに話しても仕方がないし、そんな絶望とは無縁の人生を歩んで欲しいとも思った。
「やっぱ平凡な暮らしが一番幸せだよ。普通が一番」
しみしみ語った元勇者の言葉を理解出来なかったディアが反応した。
「それって平凡には程遠い王族の娘は嫁に出来ないという事ですか!?」
「あ、私はごくごく普通の平凡な4英雄の娘です!」
「勇者の娘なら全然平凡じゃないでしょ!」
「あ~そこの女子達。お風呂でキャピキャピルンルンと賑やかにするのは勘弁してくれないかな」
「き、きゃぴきゃぴ?」
「勇者様、言葉遣いが古語っぽいです……」
「うーむ、俺はトレンディな言葉はよくわからないんだよなぁ」
「とっ、とれんでい?」
「あの……勇者様は見た目はお若いのですから、あまり古めかしい言い方は控えたほうが……」
元勇者は見た目は若いと言われた時に「あー」と困惑交じりの声を漏らした。
「見た目が若いっていうのは、別の言い方をすると歳甲斐も無い、って事なんだよなぁ」
「どういう事? 若く見えるのって良い事じゃ?」
「ん~、俺のような結婚もせず家庭も持たずに中高年になった大人は若く見える分ガキっぽいって事だよ。結婚もせず趣味の為だけに生きたり魔王を倒す為に生きてきたような社会不適合者は案外と見た目が若いものなんだよ」
「ゆ、勇者様、自虐が過ぎませんか?」
「いやいや俺は事実上、中高年の引き篭もり独身ニートの不審者で社会不適合者なんだよ。街に買い物に出かけても誰もがそういった目で見てるし」
ははは……と乾いた笑いを浮かべる元勇者だったが、ホリィとディアは声を揃えて大声を上げた。
『そんなの間違っています!』
「うわっ! 声を揃えて否定されるような事を言ったかな?」
「魔王を倒し世界を救った勇者様が、その平和の恩恵を得た人々に尊敬も感謝もされず隠居の身に甘んじるなんて間違っています!」
「勇者様がヒネた性格になるのも当然です!」
いましれっと酷いこと言わなかった?と思いつつ、元勇者の目の前で揺れる合計4つの若くたわわな乳房から目が離せなかった。
「でもまぁ……そういうものだよ世の中って」
「だからその世の中が間違っています!」
「ですから世の中が間違えています!」
そう叫ぶディアとホリィの瞳には僅かに涙さえ浮かんでいた。勇者が世界を救った事を知る2人にとっては、それが認められず知られてもいない現実が納得できず、悔しささえ感じている様子だった。
「ま、まぁ……少しは魔王討伐記念パーティとかやってくれても良かったかなーって思った事もあるけれど、もう3年も前の事だし、戦乱の時代の事を思い出さないで生活できる事が平和なんだよ。昔の事なんて思いださないほうがいいんだよ」
「すぐにアーティス王国に行きましょう! 国を挙げて魔王討伐おめでとうパーティを開催させます!」
「いやいや、しなくていーから」
「勇者様の偉業は世の全ての人に伝え語り継ぐべき事です! 父グレッグもそれを望んでおりました!」
「いやまぁ、魔王討伐ってあんま綺麗事ばかりでもなかったから、広めないほうがいいところも結構あったし」
「そんな! 世界を救った偉業を広めない理由なんてある筈がありません!」
目の前の乳房を十分に目に焼き付けた元勇者は、静かに目を瞑った。
「若い頃は俺もそう思っていた。正しい事を成し遂げればきっと感謝され賞賛されるだろうってね。でも旅を続け歳を取っていくうちにそうじゃないって気付いていったんだ」
「正しい事を成し遂げれば、賞賛されるべき事ではないのですか?」
「賞賛される事もあるさ。……たぶん賞賛される正しい事だけが本当の正しさなんだよ。だから俺はあまり正しくなかったという事さ」
「ワタシにはちょっと難しくてよくわかりません」
「わからないままのほうが良い事もあるんだよ」
2人は納得出来ないといった様子だったが、元勇者もこの話題は続けたくは無かった。
「そういえば、魔王と戦う前に、お前に世界の半分をやろう、って言われたよ」
「えぇー! 本当にそんな事言うんだ魔王って!」
「いや~、言われた時はフザケンナって思ったけど、後から思い返すと結構笑えるなーと思って」
元勇者は話をそらすために魔王との戦いを面白おかしく語った。無論その戦いは絶望的で殺伐としたもので、しばしば救いの無い話になりそうになったが、ホリィもディアも重苦しい話にならないよう気を使った。
そうして元勇者と2人の少女は長風呂を終えた。
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少女2人を適当にあしらいゲストルームに押し込めて、騒々しい1日に一区切りがついた。
「……長い1日だった」
元勇者は煙管に火をつける気力も無く、ベランダの椅子に腰掛けてうなだれた。
この3年間の日常では無為で怠惰な時間を過ごすばかりだったが、2人の美少女の襲来によって気を抜く暇も無い1日となった。まるで魔族軍との戦いの時のように気が抜けない1日だった。
元勇者は、世間が賞賛する事こそが本当の正しさである、という事について考えた。
魔王討伐の旅は、この事について嫌と言うほど思い知らされる旅でもあった。
思い返せば冒険の始まりの頃から、魔王を倒すという元勇者達の行動は世間に認められずにいた。魔王に歯向かえば一層魔族軍が攻めて来るのではないか? 戦うより逃げるほうが正しいのではないか? しまいには「魔族軍を殺すのは平和的ではない」という論調さえあった。世間は戦わない口実の為に「正しい事」の定義を変えようとしたのだ。
それでも元勇者達は目の前の脅威から人々を救う為に戦い続けた。魔王討伐の前半戦「7人の勇者」時代から元勇者達の戦いは世間との確執が耐えなかった。アーティス王国での魔族軍との全面対決でも当初は国王の理解が得られずに投獄された。その誤解が解けてアーティス軍と一致団結し魔族軍と戦ったところでエンディングだったなら「7人の勇者」の苦労も報われた事だろう。しかしその後のドラゴンとの戦いによって仲間達の心は折れて殆どが去っていった。
魔物との戦いはむしろ気苦労が無かった。戦って勝てばよかった。
しかし世間という人類の集合体の曖昧な意思は、正義や平和という概念にさえ不要なアンチテーゼを与えようとし続け、元勇者達の戦いの足を引っ張り続けた。そして世間の誰もが「元勇者達は正義の為に自己犠牲を覚悟して戦っている」という事実から目を背け続けた。「好きで戦っているんだろう?」「戦えるだけ強いんだから戦って当然」と軽視し見下してさえいた。誰も戦い続けるための努力や、戦い続ける為に何かを犠牲にしている事に気付かないようにしていた。
(……世間の正しさが一体なんだって言うんだ)
元勇者は心の中で悪態をついた。
何もしないで元勇者達の足を引っ張る世間のほうが偉く正しいのか。……正しいのだ。それが現実だ。しかし勿論そんな現実に納得など出来る筈がなかった。納得出来ないだけの苦労と犠牲を払ってきた。
あの夜、魔族軍の四天王との戦いの後に「4英雄」の仲間達が去っていった時の事が思い返された。
クレリックのグレッグ、ウィザードのシュナ、アーチャーのカールは四天王を倒した後に戦いから去っていった。元勇者ユートも含め、皆が心を病んでいた。
「……帰ろう、もう帰ろう。一度帰ろう。いや、帰らなきゃ。帰らなきゃダメだ……」
グレッグがうわ言のようにブツブツと言い続けていた。いつもの事だったが、いつもより深刻な様子だった。
「俺ももう限界だ……もう帰る。帰る。帰る。帰る。帰る……」
アーチャーのカールもグレッグのうわ言に同調した。カールは一応4英雄ではあったがさほど戦力にならず、敵の目を逸らす囮として活躍していた。カールが逃げ腰な事を言うのもいつもの事だったが、この時は涙を流して震えていた。
「そうね! 帰りましょう!」と、ウィザードのシュナはきっぱりと言いきった。
シュナは4英雄の中でも全体攻撃魔法を扱う最強の戦力で「7人の勇者」時代から旅を共にしてきたベテランだったが30代後半あたりから気性が荒々しくなっていった。彼女は既に40歳中盤であり、魔王討伐より女としての鮮度に強い焦燥感を抱いている様子だった。
「……あとは魔王を倒すだけだぞ。たったラスボス1体だ。それでこの苦々しい旅が終わるんだ。なのに本気で故郷に帰る気じゃ無いだろうな?」
元勇者はもっともらしい事を言ったが、3人に睨まれただけだった。
「そういえば貴方の故郷は魔族軍に襲われて無くなったんだっけ。帰る故郷が無いから私達を引き止めようとしているんでしょう?」
「まぁ、そうだけど。俺も正直もうこんな旅は止めたい」
「どうせラスボスにも俺の弓矢が当たる筈がないんだ! 次は本当に死んじまうかもしれない! なのに誰も俺達に加勢してくれないんだ! どうして魔王から世界中を救おうとする人間が俺たち4人しかいないんだよ!」
「どうせ死ぬなら……死ぬ前に娘の顔が見たいなぁ」
グレッグの言葉に誰もが頷いた。
「魔王が物凄く強い事は明らかだ。次こそ本当に命を落とすかもしれない。ここで一度時間をおいて故郷に帰るなり会いたい人に会うなりして、心残りを無くしておくのも良いかもしれない」
元勇者がそう言うと3人は即座に頷いた。
「どうせ誰も俺たちの事なんて気にも留めちゃいないんだ。魔王と戦って勝っても負けてもスポーツの試合結果程度にしか興味を持っちゃいないんだ。俺達が少しくらい魔王討伐を休んで休息をとっても誰も気にしないさ!」
「魔王に勝ったからって結婚相手が見つかるわけじゃないし、魔王討伐に時間を取られている間に女の価値はどんどん下がっていくんだから、グズグズしていられないわ!」
「もう随分と長く娘と会っていないんだ……英雄としてではなく父親の時間をもっと大切にするんだった……」
「なによグレッグ! 結婚してる子持ち親父のくせに! ワタシなんて生理が上がりそうなのよ!」
元勇者とグレッグとカールは一斉に顔をしかめた。4英雄の紅一点も歳を取れば恥じらいも無くなり、男が抱く女性への幻想を壊す存在となっていた。
「とりあえず1週間の休暇という事にしよう。一度解散して好きなように過ごし、1週間後にここに集まろう」
元勇者の言葉に、4英雄の表情に長らく目にした事の無かった笑顔が戻ってきた。
アイテムを蓄えている袋から各地に瞬間移動できる「転移のオーブ」を取り出し、グレッグ・シュナ・カールに手渡した。
「でも貴方はどうするのよ? 帰る故郷も無いんでしょう?」
「……俺はここで休んでいるよ。行く当てもないし、疲れて動きたくないし」
「ユートも何処かに行って気晴らしをすればいいじゃないか」
「俺はここで、皆が戻ってくるのを待っているよ」
3人の仲間は転移のオーブを使ってそれぞれの行き先に消えた。
元勇者はその時の彼らの表情に笑顔が無い事に気付いていた。3人とも申し訳なさそうな目をしていた。
そして1週間後、誰も戻ってこなかった。
この3年間で元勇者はその現実を「そういった事もあるさ」と受け止めるようになった。ただ人間不信になっただけで済んだ。信じようとした自分が悪いのだ。グレッグもシュナもカールも申し訳無さそうに去っていったじゃないか。皆はきちんとシグナルを送っていたのに、それから目を逸らした自分が悪いのだ。
……そう思うしかなかった。
---
翌朝。
就寝前に嫌な過去を思い出していた元勇者だが、幸いにも悪夢に苛まれる事なかった。夢も見ないほどの疲れでぐっすり眠り込んだようだ。
寝ぼけ眼で階下に下りると、キッチンでエプロン姿のホリィが朝食を用意していた。
ベーコンエッグとトーストにコーヒーの香り。
「勇者様おはようございます」
キッチンは掃除がされていて昨夜の火事の痕跡は概ね片付けられていた。
どうやら掃除はディアが、料理はホリィが受け持ったらしい。
昨晩の赤裸々な姿を思い出すとホリィやディアの姿をセクハラ視線で見てしまいそうになったが、少女といえど女であり、女は逞しいものだ。下手にセクハラ発言しようものなら元勇者のほうが子供扱いされてしまうだろう。
「2人とも、さすがに朝はおとなしいな」
「ディアと結婚するなら、いつでもおとなしくします」
「その口約束は絶対に守られないだろうな」
「私は普段からおとなしくしていますよ」
「おとなしいホリィのような子が積極的に迫ってくるほうが逆に怖いんだけどね」
元勇者は(一晩経ってもまだ結婚したいとか言っているのか)と疲労感を感じた。魔王を倒し世界を救った元勇者に仕え尽くしてくれるというのは有難い事だが、それはホリィかディアに犠牲を強いるような事でもある。結婚となれば尚更の事で、年の差婚というにも年齢が離れすぎている。責任の取れない事でも平気な人間を無責任と言う。元勇者は無責任な人間になりたくはなかった。
何事も無く3人でおだやかに朝食を食べ、食後のティータイムでまったりしている時、元勇者は話した。
「2人とも、きょうは家に帰るように」
ホリィもディアも大声で文句を言いはしなかったが明らかに不服そうな表情で元勇者を睨んだ。
「いや、正直に言えばホリィやディアが来てくれた事は嬉しいし楽しくもあった。なにより寂しくなかった」
「ディアと一緒なら毎日寂しく無いですよ!」
話の腰を折るディアの横腹にホリィが軽く肘鉄を入れた。息を詰まらせディアがおとなしくなったのを確認してから元勇者は話を続けた。
「しかし結婚とか同居となると話は別だ。世間的には無職の独身中高年の俺が年頃の女の子を住まわせるわけにはいかないし、結婚しても責任が取れない」
「世間なんて関係無いですし、いっそ責任も取らなくて結構です。どうしてそんなに拒まれるのですか?」
元勇者はふぅと溜め息を漏らし、説明した。
「俺はもうすぐ50歳の中高年で、君たちは10代の若者だ。もし俺が10年後に要介護認定レベルの老人になっていたら、君たちは俺の介護で貴重な20代を費やすつもりかい?」
「急に夢の無い現実的な話に!」
「わ、私は父の面倒を見ていたので、少しならお力になれるかも知れません」
ホリィは殊勝にもそうは言ったが表情は曇っていた。
贅沢病で亡くなったグレッグの介護も相応に大変だったようだ。
「それにいますぐ結婚して子供を作っても、子供が成人する頃には俺は70歳のおじいちゃんだ。それじゃ子供が可愛そうだろう?」
「そ、それはそうですけど、世界を救った勇者様なら年齢は関係無いと思います」
「ワタシは末娘だから、父上様がワタシを作った頃には結構な御歳でした! 関係ないと思います!」
「俺が無責任でいいなら関係ないかもしれないけれど、ホリィやディアは10年20年後にも年の差は関係ないと思い続けているのかな?」
元勇者は内心で(俺はいかにも大人といった感じの卑怯な言い回しをしているな)と思った。答の出せない問いかけを若者に投げかけて自論を押し通す、若かった頃の自分自身が苦手だった言い回しで話をしている。話すたびに自分自身の老いを証明している気分だった。
「まぁ一度家に帰って、ゆっくり考えてみるといい。何年か経っても気持ちが変わらなければ、その時には俺ももう少し真剣に考えてみよう……勿論いまより老け込んでいるだろうけど」
「勇者様、老いて益々盛んという言葉があります!」
「ディアはどこでそんな言葉を覚えたんだ」
「勇者様は私達の事を気遣って拒まれているのでしょうが、私の気持ちは何年経っても変わりません」
「ホリィも案外頑固だなぁ……」
元勇者はしばらく思案した後、妙案で少女2人を追い返す策を思いついた。
「じゃあ俺はこれからしばらく一人旅に出る。君達がこの砦にいても意味はないぞ」
「そんなに私たちはお邪魔ですか?」
「慌てて決める話じゃないって事さ」
さすがに「お邪魔ですよ」とは言えないので上手に茶を濁した返事をした。これぞ年の功。
ホリィとディアはしばらく不平不満を言い続けていたが、2人の少女が同時に勇者に求婚を申し出ている事は不都合が多いという事に気付き始めた。
「……抜け駆けするには一度リセットしたほうがいいのかも?」
「……積極的なディアがいなければ私と勇者様のムードが高まるかも?」
「なにやら不穏な考えがダダ漏れな気がするけど、まぁ一度帰って考える時間があっても悪くないだろう?」
「あ!ワタシそういえば帰りの旅代が無いのです! 帰るのはホリィだけという事で!」
「ディアはアーティス王国のお姫様だろう? 街はずれの港には南国からの貿易船が来ている筈だ。どうせそれに乗って来たのだろうし、そうでなくても王族が国の貿易船に乗れない事も無いだろう?」
「ングッ! バレていましたか……」
「まぁ旅費を片道分で使い切ってしまうような女の子とは結婚できないしなぁ。家計を任せられないから」
「フゴッ!」とホリィが慌ててむせた。
「まぁホリィは荷物の何処かに帰りの旅費がしまってあったんだろう?」
「は……ハイ。あります……」
亀の甲より年の功。
少女2人はしぶしぶ荷物をまとめて帰り支度を済ませ、玄関で別れの挨拶をした。
「勇者様、また来ますね」
「すぐに戻ってきますから!」
「ん~、ま~、遊びに来る分にはいつ来ても構わないよ。親戚のおじさんの家と思って遠慮なく遊びに来なさい」
「そうではありません! 次に来る時には必ず勇者様の伴侶と認められるよう頑張ります!」
「ディアも次こそ勇者様と結婚して、アーティス王国の家系に英雄の血脈を得ます!
「そそっかしいアーティス王族には英雄より勤勉なサラリーマンとかの血脈が必要な気がするけどね。ともあれ家に帰るまでが遠足だ。帰り道も怪我や迷子にならないよう気をつけるように」
ホリィとディアは「また来ますから!」と何度も言いつつ、ようやく帰っていった。
バタンと玄関のドアが閉まる音が響くと、元勇者の住まいに以前と同じ静寂が戻ってき……バタン。
「ただいま」
「いや早すぎだろ! いくらなんでも!」
「それがその……このお方が勇者様に会いに来たそうなのでお連れしました」
見るとホリィとディアの後ろに太った中年男が立っていた。
「……誰だこのオッサン?」
「オレだよオレ! アーチャーのカールだよ!」
かつて4英雄と呼ばれた勇者の一人であるカールを名乗る謎の人物が笑顔で話しかけてきた。
元勇者は、言った。
「誰だこのオッサン?」