「ウタカタのユメとウツツ」
「おー、絵に描いたようなやられっぷりだな」
砦から230ヤードほど離れた山の中、カールは元勇者の攻撃で吹き飛ばされたルト・マルスを発見した。200mも飛ばされる程の打撃力を全身に受けた衝撃で、マルスの全身は粉砕骨折と内臓破裂で完全に戦闘不能状態だった。回復魔法を扱える者がいれば助かるかもしれないが周囲にクレリックはいなかった。
マルスの仲間のソルとルランの姿も見えたが意識は無い様子だった。同様の深いダメージを負っており、攻撃の衝撃で回復アイテムも台無しになっているようだ。クレリック不在の現状では助かる見込みは無い。
「どうやらオレ達の粘り勝ちのようだな」
カールは淡々とマルスに話しかけた。運良く生き残れた事に安堵していたが、襲ってきたマルス達への恨みは湧かなかった。
冒険者だった者同士、同じフリーランスの中高年なので、金の為にカール達を殺そうとしたマルスの考えも理解できるような気がした。
「……」
マルスの口元は笑みを浮かべようと動いたが、声を出す事は難しい様子だった。
「しかし、まさかトップクラスの冒険者同士で殺し合いをする日が来るとは思っていなかったよ。天下一武闘会じゃあるまいし、最強の冒険者を決める意味さえない時代だっていうのに。それほど山賊セシルの提示したギャラが良かったのか?」
「に……25万ゴールド……」
「25万!? ユート一人を殺すだけで25万もの大金を出すとセシルが言ったのか!」
「け、結局、俺達の命の値段になってしまったがな……」
「しかしマルスほどのベテラン冒険者が金額に目がくらんで山賊セシルの依頼を受けたわけでもないんだろう? どうして悪人の片棒を担ぐ気になった?」
マルスの瞳から光が薄れていった。
「俺達フリーランスは、所詮はクライアントの駒だ……。安くても高くても駒として生きるか、駒でいる事を辞めるか、それしか選べない……。駒としての生き方しか身につけてこなかった者が歳を取れば、他の道なんて残っていないのさ」
「そんな事は……無い筈だ」
「いや……あいつなら……ユートならわかる筈だ。駒としての人生を真剣に生きてしまった者が、自らその人生を否定する事が出来ようものか……。努力し苦労するほど、結果や成果が割に合わなくなっていく……。苦労した結果が悪人が得をする世の中なのだから、嘆き絶望するのが当たり前だろう」
「そうは思いたくないけどな」
「フフッ、知っているぞカール。お前は魔王との戦いの前に逃げ出したそうじゃないか。仲間を裏切って生き残り、ほとぼりが醒めてから許しを請うとは立派な卑怯者じゃないか。そういった奴ほど得をする世の中なのさ」
「その通りだ。たしかにオレは卑怯者さ……」
マルスの言う事は図星であり正論だった。しかしカールの脳裏に故郷での親の介護の日々が蘇った。
「しかし魔王から逃げ出してフリーランス冒険者を辞めてからの日々も、結構な地獄だったよ」
「それだけ太って生きているんだから、結構良い地獄じゃないか」
「一番の地獄は、オレ達けっこう歳を取った大人だというのに、未だ何が正解なのかもわからず迷い続けている事かもしれないな」
「そうかも……しれないな……」
いよいよマルスの今際の時が近付いているようだった。
カールはマルスを助けるつもりはなく、マルスも助かる事を望んではいなかった。
「ユートに伝言はあるかい?」
カールはそう尋ねた。マルスとの戦闘中に幾度も死の間際に追い詰められながら最後の言葉で時間稼ぎをしたが、もはやマルスには時間は残っていなかった。
「……ユートには、……”絶望に気をつけろ”と……伝えてくれ……。セシル達”希望の暁”の絶望は……危険……」
そこで言葉は聞き取れなくなった。
マルスは吐息で何かを言い続けているようだったが、既に意識も失いかけて意味のある言葉を言う余力も失われていた。
カールはしばらくマルスを眺めてから、その場を去った。
歳を取ると人の死はそれほどショッキングな事ではなくなる。冒険者家業でなくとも長生きするほど葬式を経験するし、いずれ自分の身にも訪れる自然な出来事なのだと実感していく。
ましてや数年前まで魔王が世界を恐怖に陥れ、モンスターとの戦いや騒乱などで人の死が当たり前な時代だった。そんな時代に青春の日々を費やして老いたカールやマルス達にとって野垂れ死にする事はいつも覚悟していた事だ。
「数日で腐るか、クマや雑魚モンスターが食べ散らかすか……こんな所に人は来ないし、誰かが来た頃には邪魔にならない状態になっているだろう。墓を立ててやるほどの関わり合いも無かったし」
カールは一度だけ振り返り周囲を確認した。マルスの様子が気になったわけではなく、想定外の増援などの不測の事態が起きないかどうかの確認の為だ。冒険者時代には何回かそういった「意外な展開」で苦労させられたので念の為の確認だ。
「オレも糖尿病とかには気をつける事にしよう。長生きしたいワケじゃないが、早死にしても面白くはないからな」
マルス達の不意打ちで始まった騒動は完全に終了した。
あとは深手を負った元勇者の容態、もしくは元勇者のご機嫌だけが気がかりだった。カールは皆のところに戻る事にした。
……マルスの亡骸の周囲に散らばる壊れた回復アイテムなどの荷物の中に壊れた水晶玉がある事にカールは気付かなかった。
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ベッドに横たわり意識を失ったままの元勇者は、夢のようなものを見ていた。
しかし、いつもうなされている悪夢とは違った。冒険者時代の苦労や後悔の苦痛が夢の中でリバイバル上映されるような悪夢ではなかった。
(……随分と懐かしい景色のような気がする……)
薄い意識の中で感じられるのは、暖かい日差しと明るい空だった。
(こんな景色を見たのは一体何処だっただろう? 長い冒険の旅で、長い人生の中で、様々な景色を見て、様々な観たくなかったものを見てきた。そんな人生の中で、こんな景色を何処で目にしたのだろう……?)
生い茂る雑草の匂いが新鮮に感じた。濃厚な自然の香りから朝露の匂いさえ感じられる。
そして日差しの暖かさに驚きを感じた。冷ややかな朝の空気とのコントラストを肌身で感じる事が出来た。日差しや空気に驚きを感じている自分自身が意外だった。
(日差しや空気を新鮮に感じるだなんて、俺は一体どうしたんだろう。ここは黄泉の国とかで、俺は死んでしまったのだろうか?)
元勇者の身体は痺れたように動かせず、身体の感覚も曖昧なもののようにしか感じられなかった。
これは本当に死んでしまったのかもしれないと思った。何か死ぬような目に遭った気もする。
……しかし、もし死んでいたとしてもどうだというのだろう?
これほど眩しく暖かい日差しを浴び、新鮮な空気を感じていて、何が不満だというのだろう?
(それにしても……なんだかとても懐かしい気がする)
ここが天国であるとしても何も不安は感じなかった。もし死んでしまったなら、それでも構わないような気さえしていた。
しかしここが天国ではない事も薄々感じていた。夢の中にいるという事も薄々理解できていた。では……こんな景色を何処で見たのだろう?
夢の中で呆けていると、この景色は大昔に見た記憶の光景である事に気が付いた。
(そうか……ずっとずっと昔、俺がまだ無垢で小さな子供だった頃に見た景色だ……)
フリーランス冒険者として魔物と戦い続ける日々よりも遥か前、元勇者ユート・ニィツが物心つくかつかないかといった頃の幼少の頃の記憶の景色だった。
(俺の中の綺麗で美しい記憶というものは、こんなにも幼かった頃まで遡らなければ無いものなのか。俺は幼かった頃に見たこの景色からかけ離れた世界ばかり眺めてアラフィフまで生き続けてしまったのか)
きっと記憶を探せば冒険者時代にも綺麗な景色は目にしている筈だ。辺境の魔城から眺めた夕日の綺麗さ、マナ濃度の濃い迷いの森を見渡した時の広大な景色、北の最果ての宿場町で眺めた星空……それぞれ辛いフリーランス冒険者生活の荒んだ心を癒す美しい景色だった。冒険者でなければ生涯見る事の無かった景色でもある。
しかし眩しく煌く日差しとフレッシュな空気の香りは、それとは別格のもののように思えた。
(そうか、この景色は……)
元勇者はどうして忘れていたのか不思議に思った。
(この景色は、子供だった俺が初めて”景色が美しい”と思った時の記憶だったんだ)
いまやアラフィフの元勇者にも幼かった頃があった。親に守られ親を頼りにしなければ生きる事も出来なかったほど幼かった頃だ。
元勇者の家庭は裕福でもなく幸福でもなかったが、幼かった元勇者は絶望という概念そのものを知らなかった。不安も疑念も無かった頃に見た初めての”美しい景色”の記憶だ。それは自宅を出てすぐの、後の人生で飽きるほど目にした当たり前の景色だったが、そんな当たり前の景色を心の底から迷い無く美しいと感じた頃があり、消えずに元勇者の記憶の奥底に残っていたのだ。
(どうして忘れていたのだろう)
元勇者は夢の中で呆然と景色を眺めた。
魔王を倒して世界を救った元勇者にも親や大人に守られていた幼い頃があり、そんな頃に見た景色が夢の中で美しく輝いていた。
呆然と景色を眺め続けていると、どこか遠くに誰かがいる事に気付いた。
遠いからか、眩しい光に遮られているからか、何処にいるのかはわからなかったが、それは多分ルト・マルスだろうと感じた。
元勇者はマルスの事を思い返した。魔王討伐を目指す冒険者の中でも最有力と言われていたマルスだったが、北の宿場町で話をした時には「両親も冒険者として名を馳せていた事が重荷だ」と漏らしていた。勇者ルトという呼び名も親族に腕の立つ冒険者が多かった事に起因しているらしく、本当は冒険者家業を辞めたいと思う事もあると言っていた。元勇者と冒険者家業の愚痴を言い合った仲だが、マルスが冒険者を辞めたいと本気で思っているとは信じていなかった。
(マルス、良い天気だな)
元勇者は言った。夢の中なので声が出ている感じはしなかったが、マルスの返事が聞こえた気がした。
(良い天気だな。天気が良いと……気分がいいよな)
とても他愛の無い会話だったが、それで十分のように思えた。
(さっきまで、とても寒かったんだ。身体も、心も……。でも、ようやく楽になれた気がするよ)
マルスの言葉に、元勇者も言った。
(俺もさっきまで随分寒かった気がするよ。寒いのは本当に嫌だよな)
(俺達は寒い世界に長く居過ぎたようだ。でも俺は先に行く事にするよ)
(ゆっくりしていけよ。北の宿場町の時のように、久しぶりにくだらない時間を楽しもう)
(ユートは暖かくして、楽しい時を過ごしてくれよ)
元勇者はマルスの気配が遠のいていくのを感じた。(まだ行かなくてもいいじゃないか)と言おうとしたが、言わなくても通じている気がした。それでもマルスの気配はゆっくりと遠ざかって行った。
(さようなら、勇者ユート・ニィツ。さようなら……)
しばらくするとマルスの気配は感じられなくなった。きっと暖かい日差しの向こうにでも行ったのだろう。マルスと他愛も無い事を話せただけでも良かった気分を感じた。
(……そういえば、マルスは俺が倒したんだっけ)
元勇者は夢を見る前の事を薄く思い出し、その現実を不思議に思った。
お互い生きる為には嫌な事もしなきゃならないし、それはお互いに望んでいない事である場合も多い。
しかし余計な事情を全て差し引いて残るのは、他愛も無い些細な世間話で感じられる幸せという事が不思議だった。こんなに些細な事で幸せを感じられるのに、どうして辛く苦しく悲しい日々で人生を埋め尽くし後悔を重ねて生きているのか……。
そんな想いも、眩しい日差しの中の美しい景色の中に溶けていくようだった。
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元勇者が目を覚ますと、ディアと目が合った。
ディアは元勇者の顔の近くから真っ直ぐに見つめ、しかし何も言わなかった。
元勇者はしばらくディアの可愛らしくも端整な顔を眺め、しばらくしてようやくディアは気を失った元勇者を心配して様子を伺っていたのだという事に気付いた。
「……なんというか……、もう大丈夫だと思うよ」
戸惑いつつ元勇者が言うと、ディアの表情に安堵の微笑が浮かんだ。
「私、こんなに怖い思いをしたのは初めてです」
「えぇっと、なにか戦闘状態だったようだね。俺がもう少し早く”転移のオーブ”で帰っていれば良かったんだけど……」
「そうではなくて、勇者さまがこのまま目覚めないんじゃないかって不安だったんです!」
ディアが身を乗り出すと元勇者の身体にひんやりとした風が当たった。どうやらディアの身体が密着していたおかげで温かかったようだ……。
「……あっ」
ようやく元勇者は気付いた。自分が裸であり、ディアも裸である事を。しかもディアの反対側にはライムが裸で密着している。
いつぞやの二度寝の時と似た感じだったが、誰もが裸だった。
「はしたない格好ですいません。でも勇者様の身体が冷たくなったままで、ホリィちゃんの提案で私達の体温で勇者様を暖める事にしたんです」
「……そうか、エリクサーでは補えないほど大量出血していたからなぁ……」
回復アイテムで回復力を極限まで高めて傷が治っても、失われた血液までは戻らない。失血性ショックで死ぬ可能性もあったし、血圧低下で心臓が止まっていたかもしれない。体温が下がって生命力が低下すれば回復力も衰え、緩やかに衰弱死していただろう。
状況を理解すると、身を起こして目の前で揺れるディアの丸い乳房や、布団の中で密着しているライムのスライムおっぱいに欲情するような気は湧かなかった。そもそも赤面したり興奮したりするような余分な血液が無かった。
エリクサーで大怪我を直していても大量出血で死んでいたかもしれないところを、3人娘の看護で助けられていたのだ。
(小娘達の肉布団で助けられて、それで奇妙な夢を見たのかもしれないな)
先程まで見ていた夢の中の暖かい日差しのような気分、元勇者がまだ幼かった頃の気分が脳裏を掠めた。フリーランス冒険者として保険や社会保障も無い仕事で孤独に人々を助け続けた元勇者にも、大人に助けられ不安に怯えず生きていた頃があった。母性にも似た献身的な3人娘の看護が遥か昔の不幸を知らなかった無垢な記憶を思い出させたのかもしれない。
「勇者サマ、えれくちおんスル元気ハ回復シマシタカ?」
「エレクチオンとかゆーな。どうやらみんなのおかげで助かったようだ。完治するにはもう少し時間がかかりそうだが、もう心配は無いよ。お互いパンツは履いているようだし問題は無さそうだ」
ライムはにっこりと満面の笑みを浮かべて元勇者に頬ずりした。ホムンクルスとして生を受けて日の浅いライムにとって人の死は未知の不安だったのだろう。元勇者も動く余力は無く、頬ずりしてくるライムを拒む気も無かった。
「目覚めたのでしたら、少し栄養補給しておくほうが良いと思います。いまホリィちゃんが温かいスープを作っているので呼んできます」
添い寝の格好だったディアはベッドから出た。健康的な裸体は芸術品のように美しかった。
パンツ一丁のディアは手早くシャツを着て、下着姿でキッチンに向かった。
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しばらくすると、下着姿のディアと共に、裸エプロンの格好のホリィがスープの入った鍋を持って来た。
「勇者様、ご無事で何よりです!」
「ホリィまでそんな格好とは。裸エプロンのホリィに、下着姿のディアに、トップレスのライムって……」
元勇者は(こんな絶景100選が拝めるなら、たまには大怪我するのも悪くないな)と思った。もちろん口には出さなかった。
「クレリックの間で語り継がれている、ありったけの食料を食べれば12時間でジェットソンも治るという言い伝えを聞いた事はあるのですが、私には意味がわからなくて」
「まぁ12時間で直らないだろというツッコミは昔からあったようだけど、意味はわからないんだよな」
「ともあれ温かいスープを用意したので、栄養をつけて身体を温めてください」
「ありがとう、そうするよ」
大剣で腹を貫通する大穴を開けられた元勇者はエリクサーで傷がふさがっても本調子には程遠く酷く気分が悪かったが、心配する少女達の前ではあまり具合悪そうには振舞えない。
できるだけたいした事はないといった様相を保ちつつ、名残惜しいが密着するライムの柔肌を引き剥がし、ホリィが用意したスープの入ったカップを受け取った。
「しかし転移した直後に戦闘だったから、どういった状況だったのかがサッパリわからないんだよな。もう危険の無い状況なのかい?」
「危ない状況だったら、私達こんな無防備な格好ではいられません」とディアが笑った。
元勇者はなるほどと思った。いま誰かが元勇者に襲い掛かってくれば反撃する事も出来ずに負けてしまうだろう。
「そういえばカールもいた筈だよな? あいつは何処に行ったんだ?」
「状況が状況なので、シュナさんを呼びに行きました」と、ホリィは答えた。
「シュナを呼んでも騒ぎを大きくするだけのような気もするが……」
元勇者はマルス達の事を尋ねようとしたが、思い留まった。カールが何も言っていないのなら死んでいるのだろう。少女達に冒険者の戦闘の残酷な部分を必要以上に教え込む必要はないし、マルス達との戦闘で命の危険は感じている筈だ。お互いに武器を構えての戦いではお伽話のように勝ち負けだけでは済まない。大抵はどちらかが命を落とす事となるし、それは自分自身かもしれない事なのだ。
元勇者はスープを飲みながら、事の経緯を尋ねた。
3人娘とカールが”転移のオーブ”でこの砦に帰った時には既にマルス達が潜んでおり、不意打ちの形で襲撃を受け、カールやサッちゃんの時間稼ぎで逃げようとしたが叶わず、万事休すという時に(運悪く)元勇者が戻ってきた……という事のようだ。
「……なるほど。みんな”転移のオーブ”を使ったタイミングが少々悪かったって感じだなぁ」
「勇者サマハ、ドウシテたいみんぐ良クオ戻リニナラレタノデスカ?」とライムは尋ねた。
「タイミングは思いっきり悪かった気がするけど……」
ライムの丸見えのおっぱいを眺めつつ、元勇者は戻るまでの経緯を説明した。
大賢人ワンに状況を説明しアドバイスを求めたが明快な答は得られず、かわりに新しい技を教えてもらう事となった。元勇者はしばらく新技の練習を続けたが習得は難しく、「あとは自主練で」と言い訳して帰ってきたところで騒動に巻き込まれたのだ。
(それにしても、若い娘の巨乳は丸々とした形が素晴らしいなぁ……)
「それにしても、戻ってきた瞬間にすぐ反撃なされたのが凄かったです!」とディアが言った。
「えっ! そのっ……えぇっと……ゴホン。それはまぁ、”転移のオーブ”も進化の歴史があって、世間に出回り始めた頃は安全性に問題があったんだ。転移した先が”*いしのなかにいる*”なんて事も多かったそうだが、次世代型のオーブが発明されるたびに改善されていったんだ。俺世代の古参冒険者はそういった話をあちこちから伝え聞いているから”転移のオーブ”を使う時には転移先が安全かどうかを確認するクセが染み付いているのさ」
「それで転移してすぐに攻撃されても対応できたんですね」
「ちょうど大賢人のところで練習していた技が多重分身攻撃とかを用いるものだったから、たまたま瞬間的に出せた感じだよ。もうちょっと早く対応できれば怪我する前に倒せたかもしれないけど、相手は最強のマルス達だから、ほとんど運だよ」
「それにしても勇者様はライムちゃんのおっぱいを見すぎです」
「えっ! バレてt……えぇっと、その……ライムは服着て!服!」
「逆に、脱ぎましょうか?」と、ディア。
「私もエプロン外しましょうか?」と、ホリィ。
「いやいや、風邪ひくからみんな服着て! その……俺はスープで身体も温まったし、もう少し休む事にするから」
3人娘も修羅場を切り抜けた事からか、元勇者に慣れたのか、少女の初々しさより女の逞しさのほうが勝っているように思え、元勇者はタジタジとなった。年齢に関係なく、男は女には敵わないものだ。
「添い寝はもう十分だから、もう少し休ませてくれないか。みんなも疲れているだろうから、しっかり休んでくれ」
そう言って少女達を部屋から追い出し、布団を被った。
(……魔王と戦った時に痛めたヒザのように、この腹の傷も完全には治らず季節の変わり目にシクシク痛む事になりそうだなぁ…。)
アラフィフになると若い頃のように体調不良に鈍感ではいられなくなる。自分の身体が自分を裏切ったりするし、調子の悪さに合わせて行動を決める事も増えていく。エリクサーでも若さまでは回復できないのだ。しかし調子の悪さで生きている事を痛感し、深手を負っても生きている事に感謝する気持ちも湧いた。具合が悪くとも生きている事を有難いと思ういまとなっては、生きている事が当たり前に思えた若い頃の生き方は人生の無駄遣いだったような気さえした。
しかしどれほど後悔しても時間を巻き戻す事は出来ないし、昔に戻っても生きている事の有難さを忘れて同じ過ちを犯すような気もした。
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翌日。
夢も見ずに日の出前に目覚めた元勇者は、ある程度の快復を感じつつも完全には治りきらない感覚を感じていた。古傷のヒザの痛みのように、普段は問題ないし不都合に感じる事も少ないが肝心な時に再び壊れるのではないか?という不安が拭えない感覚だ。大丈夫に思えながらも季節の変わり目になると嫌な痛みで古傷が自己主張してくる。
(寄る年波には勝てない、って感じだなぁ)
アラフィフというのは微妙なお年頃だ。まだ若いと思いたいのにじわじわと加齢による問題で歳を取った事を痛感させられる。疲れやすくなったとか食べる量が減ってきたとかという些細な事も、積み重なって増えていけば若かった頃の生活とは大きく変わってしまう。
起き上がって身体を動かしてみると、やはり違和感を感じる。
腹を貫かれた大怪我の痕は突っ張るような痛みが残っているし、大量失血で死にかけて長く寝込んだ事で体調もすぐれない。微熱も感じるし、喉も渇いた。
(歳を取るほど微熱が不安になるなぁ。なにか大きな病気の兆候じゃないか?みたいな)
渇いた喉を潤すため、元勇者はキッチンに向かった。
2階の自室から階下のキッチンに向かうと、マルス達の戦闘で破壊されたエントランスが目に入った。玄関先が壁ごと無いので戸締りどころではない無用心さだ。
「あら勇者様おはようございます。体調のほうがいかがですか?」
眠そうな声で話しかけてきたのはホリィだった。どうやら朝食の支度の為に早起きしていたらしい。
「体調は随分良くなったよ。それにしても……玄関の風通しが良すぎるなぁ」
「勇者様がお休みの間に片付けようと思ったのですが、石造りなのでなかなか……」
「こんなゴロゴロの石を片付けたら腰を痛めるよ。作った時も数人がかりで石を積んだそうだから、直すのは無理じゃないかな」
「これだけ風通しが良いとアウトドア気分になりますね」
「天気の良い暖かい季節なら気分良いけど、寒い季節は大変な事になりそうだなぁ」
「私そろそろ朝食の支度を始めますね」
「適当でいいけど、よろしく頼むよ」
キッチンに向かうホリィの背中を見て元勇者は(なにか手伝おうか?と言えばよかったかな)と気付いた。ヒネた独身中年の生活が長すぎたせいで他者への気遣いがヘタクソになっていると反省したが、反省したところでどう挽回すればよいのか思いつかない。
しばらく壊れた玄関先で呆け、砦の周囲を見回り、する事も無くなってキッチンにいくと、ホリィはコーヒーを用意してくれた。
「なんだか余計な手間を掛けさせちゃって悪いね」
「いいえ。もう少しで朝食の用意が出来ますから、のんびりお待ちくださいね」
テーブルに付いてコーヒーを飲みながら、朝食の用意をするホリィの後姿を眺めた。昨晩のような裸エプロンではなく薄手の部屋着にエプロンという格好だったが、料理をする少女の背中を眺めているのは悪い気分ではなかった。ホリィも何故か機嫌が良さそうに思えたが、朝食の手伝いもせずにコーヒーを飲んでボンヤリしているだけなのに、どうして機嫌が良いのだろう……。
「勇者様、こうして二人きりだと新婚さんみたいですよね!」
「えっ! そ、そ、それは……どうかなぁ」
突然の回答に元勇者は狼狽して気の利いた事も言えず仕舞いだった。そんな元勇者の様子を見てホリィはクスクスと笑った。アラフィフのオッサンが10代の少女にからかわれたのだ。
居心地の悪くなった元勇者は咳払いをひとつ、席を立った。
「そろそろ朝食も出来上がりそうだし、ディアとライムを起こしに行くよ」
「それはダメです! 勇者様はコーヒー飲んでいてください!」
「えっ、俺も何かちょっとは手伝おうと思ったんだけど……」
「ディアさんは寝相が悪くて、ライムちゃんは寝起きが悪いので、勇者様には目の毒です!」
「えっ、あっ……ハイ……」
そう言われると好奇心も湧いてしまうが、ラッキースケベ目当てで行動しても顰蹙を買いそうだ。ホリィは手早くコーヒーのお代わりを注ぎ、ディアとライムを起こしに駆け出していった。
ズズズと渋茶のようにコーヒーをすすりながら、元勇者は呟いた。
「俺には魔王を倒した英雄であるという威厳はあるのだろ~か?」
たぶん無いような気がする。魔王を倒したところで女の子の扱いのレベルが上がったわけでもない。こんな中年のオッサンに親しく接してくれる事はとても有難いが、やはり親子のような年齢差を感じてしまう瞬間はしばしばあるし、世間的には通報懸案になりかねない相手との正しい接し方もわからない。
「しかしこの砦での生活もそろそろ終わりかな。マルスが待ち伏せしていたという事は山賊セシルに住処が知られているという事だろうし、玄関も無い砦ではホリィやディアやライムを守り通すのも難しそうだ」
それはこの暫くの間の騒々しい日々の終わりを意味していた。元勇者にとっては元の隠居生活に戻るだけだが、元勇者が望む展開ではなかった。美少女達に囲まれてのラッキースケb……否、魔王を倒してからの孤独で鬱屈した過去の禍根に苦しむだけの3年間の事を思い返せば元の生活に戻りたい筈がなかった。
そして元勇者があの3人娘達の存在に救われている事も事実なのだ。それは失血時の看護だけでなく、一人孤独でいた元勇者の精神的な部分も癒していた事も認めざるを得ない事だった。




