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元勇者は禍根渦中  作者: 数ビット
26/46

「相打ち」

「人質は1人いれば十分だ。人数が多ければ予測不能なトラブルも増える。魔王を倒したユート相手に手加減するのは危険だからな」


 魔王を倒す最有力候補と言われたルト・マルスは、ホリィを片腕で抱きかかえて盾にした格好で、仲間のルランとソルに言った。2人ともファイター系だが簡素な呪文も扱える熟練冒険者だ。


「は、離してください!」


 抱きかかえられたホリィは毅然とした声でマルスに言ったが、華奢な少女の腕力では屈強な戦士の腕から逃れられなかった。


「魔王を倒すと上玉の若い娘を妾に出来るようだな。ユートは地味な男と思っていたが、女遊びのほうはお盛んなようだ」

「勇者様は私達に品性下劣な事などなさりません!」


 ホリィは咄嗟に反論した。ホリィ自身は結婚が目的であって肉体関係を求めていたわけではないが、元勇者がホリィ達の誘いに乗らなかった事で堂々と反論できた形だ。たとえ男と女の関係であったとしても他人の関係を邪推するような事に品性があるとは言えない。


 しかし何を言おうともホリィとライムは背後から片腕で抱きかかえられて両腕の自由も利かない格好だ。ハイレベル冒険者にとって少女の身体など手荷物程度でしかなく、空いたもう一方の手で剣を抜き構える事も余裕の様子だ。


 ライムを捕らえているルランが言った。


「”希望の暁”の上層の連中の女癖の悪さも相当酷いが、この小娘達を連れ帰ればボーナスになるかもしれないぞ」

「なるほど、確かにその通りだ。ユートを殺すなんて危ない仕事に見合うだけの報酬だから受けた仕事だが、”希望の暁”に敵対する輩が減れば高額報酬の仕事も減るだろうから、少しでも稼ぎを増やしておくべきかもしれないな」


 ディアを捕らえ損ねたソルは剣を構えカール達を警戒しながらながら言った。


「あいつ等は汚い事で稼ぐのが得意な連中だからな。金持ちが女遊びに糸目をつけない事を利用して、特段の出資をした金持ちにはセシルの妻のローザ自らが身体で奉仕しているらしい。これからは”希望の暁”に加わる商人も増えるから、金持ちの相手をする女は多いほうがいいだろう。若くて上玉の娘なら信者相手の娼婦として高く買い取ってくれるだろう」

「俺達の目的はユートを殺す事だが不在ならば仕方が無い。とりあえず人質にして、抵抗するものは殺し、ユートが戻ってきた時に少しでも優位に立てるよう用意しなければな」


 マルスの口調は悪人らしさの無い淡々とした口調だった。

 仲間のソルもルランも余裕こそ見せているが隙は無く、欲ではなく仕事として行動している様子だった。


(山賊セシルの手下共の”狼煙獅子団”ならオレ一人でも相手できたが……ルト・マルスのチーム相手だと完全に勝ち目が無いぞ)


 カールは遠距離攻撃専門のアーチャーで、相手は近距離攻撃専門のファイター系だ。元勇者の住家はもともと大人数が拠点として滞在できるように作られた”砦”なので、屋内はそれなりに広い間取りで作られている。玄関先のエントランスは”転移のオーブ”で移動したり帰還したりする事が出来る広さがある。熟練の冒険者が剣を振り回すにも十分な広さの空間だ。


 カールも一応はハイレベルの冒険者で、弓矢が無くとも戦える技は幾つか会得している。しかしカールは防具も身につけていない普段着であり、敵となるマルス達はフルプレートの鎧でしっかり身を固めていた。


 戦闘力に大きな差がある相手に不意打ちされ、冒険者としての経験が浅い3人娘のうち2人が人質に取られては、どう考えてもカールに勝ち目は無かった。


(殺されずに済む方法は……スキを見てホリィとライムを助けてから即時撤退する他ないが、戦闘経験の浅い女の子3人を守りながらはムリだろうな……)


 このまま戦闘になれば人質としての価値の低いカールは確実に殺されるだろう。かつて魔王との戦いの前にユートを見捨てたカールはその償いの為に死ぬ覚悟もしていた。しかしカールが犠牲になっても3人娘を守り逃がす事が出来なければユートへの償いにもならない無駄死にとなってしまう。


 カールはちらりとディアの様子を伺った。

 ディアはショートソードを構えて怒りに瞳を燃やしていたが、無謀な攻撃を仕掛けようとするほど冷静さを失ってはいない様子だった。


「オレ達に勝ち目は無い相手だ。どうすればいいのか理解できているか?」

「……もちろんです。ただ一瞬の隙があれば、それに全てを賭けるまでです」


 ディアの声は緊張を含んでいたが、怖気付いてはいないようだった。


「オレが隙を作る。相手がひるんだ一瞬に仕掛けるんだ」

「わかりました」


 小声での打ち合わせでもマルス達に作戦が知られては奇襲攻撃も出来ない。カールの曖昧な確認でディアがどこまで理解できたかわからないが、この状況を打破して逃げる為にはこちらから仕掛ける他なかった。


「相談は済んだか?」とマルス。

「まぁね。どうせオレのようなオッサンは人質にされる事も無く真っ先に殺されるだろうが、若い女の子に刀傷を残せば山賊セシルに売り飛ばす値も下がるから、マルス達は攻撃できないって説明をしていたのさ」

「それはどうかな。どうせ売り払えば人身御供の慰み者にされるのだし、御し難い生意気な娘では扱いにも困る。手足の骨の2・3本を折っても慰み者の役割は務まる。それに俺達の目当てはユート・ニィツの首にかかった高額報酬だ」

「つまり、オレの命は金にもならないから殺しても問題無いって事だな」

「そういう事だ。まぁこれもビジネスだから悪く思うな」


 言いながらマルスは剣を振り上げてカールに近付いた。


 カールは大袈裟に溜め息をついた。

 マルス達に話かける事によってその注目をカール一人に集中させる事に成功しているようだ。その注目を逸らさないようようオーバーな口調と身振りで話し続けた。


「悲しいなぁ……でもオレも殺される前に少しは抵抗してもいいよな?」


 言い終わると同時に、カールは”マジックアロー”を撃つ体勢を取った。

 マジックアローは実体ある矢ではなく、魔力を細い棒状に集積して放つ特殊攻撃だ。通常は矢に魔力を纏わせる形で用いられるが、ハイレベルのアーチャーであれば弓と矢が無くとも魔力を集積させる事が出来、集約する魔力の性質によって効果も変えられる。


 攻撃態勢になったカールに、マルス・ルラン・ソルの3人は同時に「ひぇっ?!」とハイレベル冒険者に似つかわしくない悲鳴に似た声を上げた。


 目の前の太った中年男が消え去り、凛々しいチョイワル男に変身したように見えたからだ。

 マルス達も若くは無く、老眼なども気になってくる年齢だ。攻撃のポーズを取っただけで何の脈絡も無くカールの姿が瞬時に変わった事にマルス達の視覚中枢が混乱した。


 その一瞬の隙を突くように、ディアがマルスに突進した。

 戦闘経験が殆ど無いとは思えぬ鮮烈な瞬発力で、片腕にホリィを盾にしているマルスは咄嗟に反応できない程の素早さだった。ディアの一撃をホリィの身体で防ごうとしたマルスは、次の瞬間にはディアの姿を見失っていた。


 ホリィとライムを人質に取られて怒り心頭だったディアだが、ただ隙を突いて正面から攻撃を仕掛けてもホリィを盾にされる事は先読みしていた。強烈な一撃を打ち込むように見せかけ、小柄な身体を生かしてマルスの脇をすり抜けて背後を取った。


「ソニック・ブレード!」


 ディアの一閃がノーガードのマルスの背中に直撃した。


「うぉっ!」


 思わず苦悶の声を漏らしたマルスは前のめりによろめき、盾にしていたホリイを締め上げていた腕の力が抜けた。


「プロテクト・シールドっ!」


 ホリィが叫ぶと、マルスの腕とホリィの身体の隙間に魔力障壁が発生した。見えない魔法の壁によってマルスとホリィの身体が弾かれ、拘束から解放されて床に転がった。


 間髪入れず、カールが攻撃を放った。


「”シャドウ・バインド”……影縫い!」


 攻撃対象の影に魔力を打ち込み動きを封じる”影縫い”は、攻撃が敵に当たらないカールお得意の特殊攻撃だ。

 カールの放った魔法の矢はマルス達3人の影を正確に射抜いたが、動きを封じられたのはほんの一瞬だった。ハイレベル冒険者同士の戦いでは相手の攻撃を先読みする事でその効果に耐えて(レジスト)半減する事が出来る。カールの攻撃はマルス達にとって予想の範疇内だった。


 しかし一瞬でも動きが封じられた事によって人質となっていたホリィとライムが逃げる余裕が生じた。

 ライムは捕らえていたルランから離れると即座に振り返って呪文を詠唱した。


「ファイア・ウォール!」


 瞬時に炎の壁がライム達とマルス達の間を遮り、ホリィとライムは背後から攻撃される事無くカールとディアの元に戻る事が出来た。


「よし、いまのうちに逃げ……」

「きゃあっ!!」


 カールが3人娘を砦の外に逃がそうとした瞬間、砦のエントランスが爆音と共に崩れた。

 石造りの砦の玄関部分が瓦礫となって、カールと3人娘の周囲を取り囲むように崩れていた。


 ”影縫い”によって封じられた動きをレジストしたと同時に”ソニック・ブレード”系の技を放ったようだが、その威力はディアが放ったものとはケタ違いの攻撃力だった。


 ”ファイア・ウォール”の炎の壁でマルス達の視界を遮ったつもりだったが、熟練の冒険者だった相手には小細工でしかなかった。圧倒的な破壊力の衝撃波によって炎の壁は消し飛び、天井と壁が崩れ去って外の景色が見えていた。周囲は瓦礫で埋まってしまい、逃げるにはゴロゴロとした石壁の残骸を乗り越えなければならない。

 マジックアイテムの”転移のオーブ”を使おうにも混戦状態で範囲魔法を使ってはカールと3人娘だけを転移させる事は難しい。マルス達まで一緒に転移してしまっては意味が無い。


「楽しませてくれてありがとう。仕事とはいえ一方的に殺すのは気が引けていたからな」


 マルスは平然とした口調で言った。

 ルランとソルも何事も無かったかのようにマルスの傍らに並んで剣を構えた。屋内や洞窟などの狭い場所で前衛が取る陣形だ。


「どうするマルス、このお譲ちゃん達はそれなりに実力があるようだぞ。無傷で人質にするのはリスクが高い」

「ソルの言う通りだ。俺達の目的はユートであって、些細なボーナスの為に危険を冒すべきじゃない」


 ソルとルランは冷静に語り、マルスもその言葉に同意した。


「人質を取ろうが取るまいが、ユートとの戦いは命がけとなるだろう。しかしこいつ等を逃がしてユートと合流されるのも困る。こちらにはクレリックもウィザードもいないから長期戦になるほど不利になる」


 マルスは穏やかな声で言った。


「はやり何人か殺しておこう。無理なら全員だ」




-----


 カールの額に脂汗が流れた。決して太っているからではなく……そうとも言い切れないが、ともあれ冒険者時代に出会ったモンスターよりも強い相手に、3人娘を守りながらたった一人で立ち向かわなければならない状況に勝機を見出せなかったからだ。


「マルス達も冒険者の頃は多くの人を助け、魔王を倒して世界を救う事に命を駆けていただろう。なぜ山賊セシルの手下として晩節を汚すような仕事を引き受けたんだ」

「なぜって、金の為に決まっているだろう。正義だけじゃ生きていけない事はお前もよく知っている事だろう?」


 そう言われると返す言葉も無い。カールも冒険者として命をかけ続ける事に疲れ果てて故郷に逃げた身分だ。故郷でも親の介護で疲れ果て、善行をし続けている筈なのにストレスが溜まるばかりだった結果がボヨンボヨンの体型なのだ。


(せめてこの状況を脱する事が出来れば、オレ一人の犠牲でお嬢ちゃん達が逃げられるだけの時間稼ぎが出来るんだが……)


 後方支援型のアーチャーのスキルはサポート系が多い。カールが3人娘を逃がす事をサポートする事は出来るが、同格のハイレベル冒険者3人の攻撃を受けながらでは到底無理だ。カールが命を捨てても犬死ににしかならないだろう。

 しかしカールには肝心な時に仲間であるユートを見捨てたという負い目があった。若い少女達がむざむざ殺されてしまうのを見過ごすような事も出来ない。カールも元冒険者であり幾度も死を覚悟してきた。この窮地から3人娘だけでも逃がしたいが、魔王討伐候補トップだったマルスのパーティ相手ではカール一人の命ではどうにもならない。


 マルスは感情の無い表情で剣を振りかぶった。


「ソーサラーとクレリックは武器を使わず戦況を左右する厄介な相手だ。贅肉を着込んだアーチャーも人質にするには邪魔だ。人質は”ソニック・ブレード”を扱える元気のいいお嬢さんだけでいいだろう」


 マルス達の近くにいるのはホリィとライムだった。不意打ちを食らった事で運悪く後衛のホリィとライムがマルス達に近い場所になってしまったのだ。2人の近くにはルランとソルが剣を構えていて、マルスの号令があれば即座に攻撃できる状況だった。


 カールはどうにか時間を稼ぎ隙を作りたかった。


「おいおい”最後に言い残す事は?”とかの定番の会話はナシかい? オレは結構言い残したい事があるんだけど」

「聞く気は無い」

「そう言うなって。金の為とはいえマルスが山賊に身を落としたセシルの手下となって人殺しをしようとするのがオレにはどうにも納得出来ないんだ。魔王が倒されてからの3年の間に何があったんだ?」

「……何も無かったよ。何も無かったから、商人の教祖様みたいになったセシルの仕事を請け負ったのさ」

「何も無かったからってセシルの下っ端になる理由にはならないだろ? そのあたりを聞かなきゃオレは殺されても成仏出来ないそ」

「セシルの仲間でいれば金になるし、支配される側でいるより支配する側に肩入れしたほうが老後も安泰だからな。理由として十分だろう?」

「山賊セシルが支配する側だって? そんな筈が無いだろ! 山賊の頭領が支配する世の中になったら、それは魔王がいた頃の世界と何も変わらないじゃないか!」


 マルスはフフッと小さく笑った。


「俺達もいい歳の大人なんだから薄々わかっている事だろう? 結局世の中は格差社会で、その格差を大きくしたほうが得をするんだよ。魔王はモンスターだから仲間にはなれないが、元山賊の悪徳カルト商人なら同じ人間同士だから仲間になれる。命を安く買い叩かれる冒険者より、フリーランスを安く買い叩く側に付いたほうが老後も安泰だと思わないか?」

「……思わないね」

「おや、時間稼ぎの会話に付き合ってやったのに、もう話す気が無くなったようだな」


 カールは顔をしかめた。

 どうにか話を引き伸ばして隙を作ろうとしたが、熟練冒険者のマルスが易々と隙を見せる事は無かった。ルランとソルは剣を構えてホリィとライムを威嚇し続け、ディアもこの状況では何一つ手が出せないでいた。会話の分だけ時間が過ぎただけだった。


「厄介なのはユートただ一人だ。魔王を倒したユートと戦う前に余計な労力は使いたくない。……そろそろお別れだ」


 マルスが剣を握りなおすと、ルランとソルも剣を構え直した。攻撃に移った瞬間にカール・ホリィ・ライムは命を落とす事になるだろう。


 ディアが声を挙げた。


「殺すならまず私からにしなさいよ! 勿論ただで殺されるつもりは無いですけどね!」


 勇猛果敢に声を挙げたディアの声には恐怖の感情は含まれていなかった。勝ち目があるなら凛々しくもあったが、ホリィとライムを助けたい一心の無駄な足掻きで命を捨てる覚悟をしたに過ぎなかった。


「お前には人質になってもらうから生かしてやるが、あまり元気が過ぎるようなら手足の骨を砕くぞ」

「その前にあなた達の思いあがった鼻をへし折ってみせるわ」


 ディアの勇敢な立ち振る舞いは新米冒険者とは思えない貫禄があった。

 しかしマルスにとっては油断できない相手であると認識を改めさせるだけだった。


(あぁ、挑発が通用する相手じゃないのに……)


 カールはこの絶望的な状況で隙を探り続けていたが、死の瞬間が近付いている事に焦るばかりだった。

 それでもディアは挑発のような言葉を続けた。


「悪党に雇われたのならあなた達も悪党よ! どれだけのお金で雇われたか知らないけど、いっそ老後の心配がいらないようにしてあげるわ!」


 マルス達は挑発に乗る事も無く、表情ひとつ変えなかった。


「人質は誰でも構わないんだ。人質が嫌なら望みどおりに最初に殺してやる」


 マルスが剣を振りかぶった時、マルス達の背後から声が響いた。


「その最初というのは、どちらの私かしら?」


 声の方向に目をやると、そこにはもう一人のディアがいた。

 マルス達だけでなく3人娘とカールも驚きの表情となったが、カール達はすぐに状況を理解した。背後に現れたディアの格好が露出度の高いサッちゃんのサッキュバス・コスチュームだったからだ。


「いまだ、シャドウ・バインド!」


 一瞬の隙を突いてカールは必殺技の”影縫い”を放った。

 魔力の矢がマルス達の影を貫き、動きを完全に封じた。


「私はこれ以上巻き込まれたくないから先に逃げるわ」


 ディアの姿から元の姿に戻ったサッちゃんは、廊下の奥に姿を消した。


「みんなも早く逃げるんだ!」

「はいっ!」


 ホリィとライムは動けないルランとソルから離れたが、カールとディアの元に2人が駆け寄ったところで”シャドウ・バインド”の効果は切れた。カールと3人娘が集まったが、マルスの攻撃で崩れた瓦礫が足元を埋め尽くしており、それを乗り越えるにはマルス達に背を向けて瓦礫を乗り越える他になかった。


「……俺達がもう少し低レベルだったら、動きを封じる必殺技の効果も長かっただろうが、俺達はせっかちなんだ」

「やっぱり1ターン程度じゃ逃げるのは無理だったか……」

「他にお仲間がいれば攻撃1回分の猶予はあっただろうな。しかしアーチャー一人で俺達の相手は無理だったようだな」


 マルスの言葉にカールは反論出来ず、歯軋りした。

 折角サッちゃんが不意を突いて隙を作ってくれたが、それだけではどうにもならなかった。カールが命を捨てても冒険者としてはまだ未熟な3人娘を守る事も逃がす事も出来ない。魔王討伐の最有力候補だったマルスだけでも勝ち目は無いのに、マルスと同等の力量を持つソルとルランも揃っているのだ。


 ディアのマルス達への怒りも、次第に絶望する悔しさに歯を食いしばるばかりとなっていった。付け焼刃の戦闘テクで太刀打ちできる相手ではない事は明らかだった。逃げる事も大事と教わってきたが、逃げる事さえ出来ない無力さを思い知らされて悔しくない筈がなかった。


 ライムはどうしてこのような事になっているのか理解出来なかった。そもそも人生経験の乏しいホムンクルスだが、かつては冒険者として知り合いだったマルス達が世界を救った元勇者を殺そうとしていることが理解できなかった。金の為の仕事だとしても理不尽すぎるようにしか思えなかった。


 ホリィも自分の無力さを痛感するばかりだった。攻撃においてはクレリックはまるで役に立たず、圧倒的な攻撃力を持つマルス達が相手では防御魔法で誰かを守る事も出来そうに無い。守る事も抗う事も出来ないまま不本意な死を受け入れるしかない状況が現実の事とは思えなかった。


「まぁ誰だって死ぬ時は突然の事のように思うものさ。それは冒険者をやっていた者なら誰でも知っている事だろう?」


 マルスが剣を握りなおすと、ソルとルランも剣を構えなおした。

 いよいよ年貢の納め時であるとカールと3人娘は目を閉じ……そうになった時、場違いな音が響いた。


 きゅぴーんきゅぴーん


 カール達は声を出しかけたが、マルスは動じず、その口元に笑みが浮かんだ。


-----


 ”転移のオーブ”を用いた時の「きゅぴーんぴゅぴーん」という効果音(のような音)と共に、元勇者が姿を現した。

 元勇者は運悪くマルス達とカールたちの中間の位置に出現していた。


「誰だ?玄関を壊したのは……」


 それと同時にマルス・ソル・ルランの3人は切っ先を元勇者に向けた。


「勇者様、危ないっ!」と3人娘の声が、

「ユート、避けろ避けろ!」と叫ぶカールの声が、同時に響いた。


「えっ?」


 元勇者が周囲の状況を振り返った時、3本の剣が元勇者に襲いかかった。


 ……鮮血。

 元勇者の身体をマルスの剣が貫き、背後にいたホリィとライムに血しぶきがかかった。


 元勇者は瞬間的にソルとルランの左右からの攻撃を交わしたが、咄嗟の事で体勢を立て直す事が出来ずマルスの攻撃を正面から食らっていた。完全にクリティカルヒットだった。


 マルスが剣を引き抜くと、元勇者の身体から大量の出血が床に流れ落ちてビシャッと音を立てた。

 元勇者はそのまま力なく床に崩れ落ちるように倒れた。


「はははっ! 魔王を倒した勇者でも、転移の直後ではどうにも出来ないか。いま丁度、死ぬ時は突然の事だという話をしていたんだ。こういうのは”噂をすれば影”というのかな、それとも”飛んで火にいる夏の虫”かな」


 マルスは魔王を倒した唯一の男を易々と仕留めた事に興奮を抑えられなかった。

 たとえハイレベル冒険者同士の戦いであっても、魔王を倒した唯一の男が相手では対等な戦いでは勝機が乏しかった。なので奇襲をかけ、人質を取って脅迫して戦いを有利にする算段だった。苦労するであろうと考えていた相手が、最も倒しやすい”戦闘モードになる前の油断した状態”で目の前に現れてくれたのだ。


「インモールの町で出会った時こうなる事は薄々感じていたんだろう? お察しの通り俺達はセシルの”希望の暁”に雇われて勇者ユートを始末しに来たのさ」


 倒れ込んで動かない元勇者の周囲に血溜まりが広がっていった。


「勇者様! 勇者様しっかりして! 死なないでっ!」


 3人娘達の悲痛な叫びが響いた。

 元勇者は絞り出すような声でマルスに話しかけた。


「挨拶もなしに不意打ちとは、酷いじゃないか。勇者ルトとの名声も世に知られたマルスがこんな事をするとは想定外だったよ……」

「挨拶したら不意打ちじゃなくなるだろう。しかし、最後に言い残す事があるなら聞いてやるよ」

「ある……ひとつだけ……」

「言ってみろ」


 息も絶え絶えに、元勇者は言った。


「誰だって死ぬ時は突然だよな、お前達も」


 ドン!という激しい打撃音が衝撃波のように響き、同時にソルとルランがそれぞれ”2人の元勇者”の攻撃によって宙を舞っていた。

 ”元勇者B”と”元勇者C”が手にしていたのはほうきと擂り粉木であったが、すかさずの連撃でルランとソルは成す術も無く壊れた玄関先から屋外に弧を描いて飛ばされていた。


「多重分身攻撃かッ!」


 そう叫んだマルスの耳元で”元勇者D”が言った。


「俺を即死させなかった事がマルスの敗因だよ。山賊セシルの下っ端に甘んじて冒険者のセオリーを忘れてしまったようだな」

「一体何人の分身が……ッ!」

「そういうのを”油断大敵”って言うんだよ」


 ドン!という爆音と共にマルスの姿は消えた。元勇者の一撃による衝撃波でマルスの身体は全身の骨を砕かれ、宙高く吹き飛んでいた。


 ……戦闘は終わった。


 元勇者が転移してから僅か数十秒の出来事でマルス達は瞬時に倒され、遠くに吹き飛ばされた。その打撃力はそれぞれ不意打ちによるクリティカルヒットだったので最低でも全身の骨が砕けて戦闘不能になっているだろう。遠くに吹き飛ばしたのは元勇者が3人娘がいる事を確認した直後の戦闘だったので、人殺しによる死体を見せたくないという配慮だった。


 とはいえ戦闘が終わり、分身攻撃による”元勇者B”から”元勇者D”までが音も無く消え去ると、残ったのは血溜まりに蹲って動かない”元勇者A”……つまり元勇者ユート・ニィツ本人の哀れな姿だった。


 来襲者は退けたが、勝敗で言えば相打ちのようなものだった。


「……勇者様、助けに来てくださったのですね!」とディアが歓喜の声を挙げた。

「さすがです勇者様! あの恐ろしい人達を一瞬で退けるなんて!」とホリィ。

「勇者様ハ凄イデス! ソンナニ出血シテモ分身攻撃デ戦エルナンテ……?」とライム。途中で勝利の余韻に浸っている場合ではない事に気付いたようだ。


「……出来れば俺が死ぬ前に、そこの戸棚にある虎の子のエリクサーを傷口にじゃばじゃば注いでくれないかな……」


 かすれる小声が3人娘に届いたのかどうかもわからぬまま、元勇者は失血で意識を失っていった。




-----


「勇者様、しっかりしてください。勇者様……」


 意識を失った元勇者は、さめざめと泣きながら心配の声を掛け続けるホリィ・ディア・ライムの悲痛な声に、安穏と失神している事も出来なかった。


 どうやら言った通りに手持ち少ないエリクサーを傷口にかけてくれたようで、腹部を貫かれた大きな傷は塞がっているようだ。

 強力な魔力によって極限まで回復力を高める秘薬エリクサーは死ぬ前であれば致命傷さえ治す効力があるが、大量出血して失われた血液までを即座に補う効果は無かった。


「……うーむ。どうやら無事に済んだようだな」


 3人娘を安心させようと声を出してみたが、貧血で顔面蒼白となり自力で起き上がる事も出来ない元勇者の様子は少女達の不安を払拭するには程遠かった。


 粛々と床の血溜まりを雑巾で拭いていたカールが声を掛けた。


「使ったエリクサーは最後の1本だったのか? 新しく買いなおすまで無茶は出来ないな」


 カールも一応は心配していたが、少女達が狼狽している時にカールまで不安そうにはしていられない。冒険者時代には時々あった事でもあり、エリクサーも消費期限を過ぎていなかったようだったので、血だらけの床を掃除して元勇者の回復を待っていたのだ。


「エリクサーは消耗品のくせに超高額アイテムなんだぞ。そうそう買いなおせるわけないだろ」

「それで虎の子で1本だけ取っておいたのか。魔王との戦いで全部使わなかったのか?」

「貧乏性なんだよ俺は。それより……詳しい状況はよくわからないが、襲撃してきたらしいルト・マルスを撃退して、もう安全なんだな?」

「少人数の4人パーティ編成で唯一の前衛を担ってたユートの攻撃をクリティカルで食らって平気な人間なんて、この世にいないだろうぜ。もう死んでいる頃合だろう」

「そうは言っても相手は勇者ルト・マルス達だ。詳しい話は後で聞くとして、とりあえず奴等の状態を確認してきてくれないか?」

「構わないが、場外ホームラン級に打ち飛ばしたんだから大丈夫だろう」

「230ヤードは飛ばしたと思うから落下地点を探すのも大変と思うが、頼むよ」

「お前の攻撃は1番ウッドかよ。まぁ他の外敵の気配も無いからユートは休んでいて大丈夫だろう」


 カールは元勇者を取り囲んで心配している3人娘に声を掛けた。


「ユートの看護は任せるよ」


 元勇者は内心(こんな状態で3人娘の相手をする体力は無いぞ)と思ったが、大量出血での貧血で動く事も出来ない。失血性ショックで死なないよう生命維持に意識を集中するのが精一杯だった。


 カールが確認の為に去った後、おずおずとホリィが元勇者に尋ねた。


「あのぅ、エリクサーがまだ瓶に半分ほど残っているのですが、これで勇者様の体力回復に使えないでしょうか?」

「それは良かった。じゃぁちょっとお願いしていいかな?」

「はい、なんでも申し付けてください」


 床に倒れたままの勇者は、言った。


「俺の身体をひっくり返して、貫通した傷口の反対側にもエリクサーかけてくれないかな?」


 えっ!と驚いた表情でホリィは即座に元勇者を座布団の如くひっくり返した。

 エリクサーの効果で塞がったと思っていた傷口の反対側は、ぱっくり傷が開いていた。


 ひゃあぁぁ~!という3人娘の悲鳴を聞きながら、元勇者は完全に意識を失った。

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