「技を継ぐ者」
アーティスの訓練教官が、ディア・ホリィ・ライムの少女3人に感嘆の声を上げた。
「なんと! ”ちょっと普通のダンジョン”をノーミスクリアとは! これは我がアーティスの新兵でもなかなか無かった好成績ですぞ!」
訓練教官は3人娘の力量を測る為、アーティスの新兵が実践訓練に利用している初級レベルのダンジョン攻略をさせていた。
「一人だと危なかったと思うけど、3人で協力して進んだから……」とホリィは控え目に言った。
「思ッテイタホド敵ガ多クナカッタノデ、魔法ヲ使ウ機会モ少ナカッタデス」と、ライム。
ディアだけは少々不満そうな表情だった。
「もしかして私がいるから接待プレイするようお父上から命ぜられてはいないでしょうね? 簡単すぎて歯応えが無かったわ」
「いえ、むしろアーティス王は実戦で怪我をされるよりこの練習の場で戦闘の危険さを学ぶよう、手加減はせずとも良いと仰っておりました。無論ですがダンジョンに巣食っていたモンスターは全て本物ですし、クリアできなければ経験値も入手したアイテムも失われていました」
「一応なんだかわからない草やら種やらが落ちていたからダンジョンの清掃をと思って拾っておいたけど、これってアイテムだったの?」
「はい、草は回復アイテムとして使え、種は各種能力の向上の効果が見込まれております」
(たしか勇者様が草を食べて体力回復するとか仰っていたけど、本当だったなんて……)
「ともあれダンジョンノノーミスクリア、おめでとうございます!」
「他にもダンジョンはあるの?」
「いえ……。昔は”行きは60階・帰りは120階の塔”があったのですが、あまりに理不尽な難易度でして、ベテラン冒険者でも攻略情報があっても危険すぎるという事で閉鎖され、いつのまにか落雷によって倒壊してしまいました」
「建築構造が謎過ぎる塔ね」
「ベテラン冒険者が多数集まり、入り口に攻略ノートを設けて情報交換した事で一応攻略できるという事は確認されたのですが、帰り道ではファイター系の戦士は役に立たないという事で訓練向きではなく、歴戦の冒険者の間では良くも悪くも語り草となっております」
「攻略ノートで情報交換しないとクリア出来ないなんて、その塔の攻略を投げ出す人が続出していそうね」
話を聞いていたライムが訓練教官に質問した。
「他ニ良イ訓練ハ無イノデスカ?」
「正直に申し上げますと、技量の点で言えばアーティス軍の新兵よりも何故かレベルが高いように見受けられます。冒険者としての実戦の経験が無いのにどうしてレベルが高いのか不思議ですが」
「別ニ私達ナニモシテイナイト思ウンデスガ」
「ちょっとだけ勇者様に剣技の基礎を教わったけど、練習ばかりで必殺技も習っていないし」とディア。
「私も特に目立った活躍は出来ていませんし、何故レベルが高いのかと仰られても……」とホリィ。
ディアとホリィは元勇者やシュナ・カールと一緒に多数の山賊と対峙しており、ライムも冒険者としてはハイレベルのシュナによって生み出されている。そして3人ともモンスターの中でも最も強力なドラゴン・グラムドリンガーと元勇者の戦いの場に居合わせていた。
中級レベル程度の冒険者は小型のドラゴンと遭遇する事も無く、ドラゴンと戦った事のある冒険者の多くは命を落としている。かつてアーティスを巣食った直後の7勇者時代の面々も初めてのドラゴンとの戦いで命を落としかけているし、リーダーだったセシル達は心が折れて山賊に身を落とした程だ。
3人娘は元勇者とくっついて行動していた為に山賊とかドラゴンとかの戦闘を目の当たりにしており、それが非常にレアで貴重な経験となった結果、冒険者としてのレベルが高まっていた。その片鱗はインモールで獣人族の娘ミーケを助けた時にも発揮されている。
それらを知らぬ訓練教官は不思議がりながらも、訓練の方針を模索しようとしていた。
「ライム殿とホリィ殿には専門の術師に魔術の指導をして頂き、ディア様は剣術の模擬戦をしていただくのが良いかと思いますが、それ以外にはテーブルトークで冒険者の知識を学ぶのが宜しいかと思います」
「てーぶるとーくッテ、何デスカ?」
「マスターが説明する状況を皆様がどのように行動するか考え、その行動の是々非々によって目的が達成できるかを試すシミュレーションです」
「座学のようなものかしら?」とディア。
「はい。まずはキャラクターシートを作成して、説明された状況に対してどうするか判断を繰り返す事で冒険者としての知識を学んでいくのです」
訓練教官は赤い箱を取り出した。
「まずはこの本に書かれているルールを覚えてください。大体の事は進行役となるマスターが判断するので難しくはありませんよ」
「随分とペラッペラな本ね」とディア。
「デモナンダカ結構高ソウナ気ガシマス」とライム。
「箱の中に変な形のサイコロが入っているわ」とホリィ。
「そのダイスは戦闘などの成否判定に用います。4面ダイスに6面・8面・そして20面ダイスもありますよ。まずは簡単なシナリオからはじめてみましょう」
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「伝説のドラゴンをけしかけても殺せないとは、ユートの野郎は本当に忌々しい奴だ。昔は俺の影に隠れて戦っていたような、せいぜい俺の活躍の引き立て役でしかなかったのに」
山賊セシルは苦虫を噛み潰したかのように顔をしかめて吐き捨てるように言った。
セシルの中ではユート・ニィツは昔のイメージのままで、セシル自身より格下の存在でしかないというイメージだった。山賊退治の時に脅された時の事も何かの間違いだったと思いたい気持ちがあり、時間が経つにつれその思い込みは強くなっていた。
「どうせユートはあなたを殺す事なんて出来はしないわ。だって馬鹿みたいに戦って魔王を倒すような”正義の勇者様”なんですから」
セシルの傍らでグラスでワインを飲み干しながら、ローザが言った。
「しかしハガーの攻撃も効かない、ドラゴンも無駄に終わったんだぞ。拠点だったインモールを壊しただけで、大損じゃないか」
「むしろ良いシナリオよ。私達が世の中を掌握するには相応しい敵が必要なんだから、ドラゴンと戦って街を壊すような相手のほうが”世の中を扇動しやすい”わ」
「そうか……そうなのか?」
「いずれ”希望の暁”の信者を騙し続ける為の大きな嘘が必要だったんだし、勇者ユートを悪者という事にすれば丁度良いじゃない。どうせユートなんて”狼煙獅子団”の一人も殺さなかった正義気取りの甘チャンでしかないんだから」
「魔王を倒したというユートが悪者で、山賊に落ちぶれた俺達のほうが正義になるとは、皮肉な話だ」
「あら、私達悪党だって幸せになる権利はある筈よ」
ローザはセシルに身を寄せた。
お互いアラフィフで、悪党家業で人相が悪くなって一層加齢気味になった容姿だが、一応は夫婦であり、そして共犯者だった。
「……ローザ、湯浴みせずにここに来たな。男遊びの臭いが残っているぞ」
「男遊びだなんて。”希望の暁”の信者にご褒美でお相手してあげただけよ。もしかして焼きもちを焼いてくれているのかしら?」
「そうかもしれないな」
「あなたも若い娘と遊んでくればいいのよ。私を裏切って本気になったりしなければ信者の娘を何人抱こうとも気にしないわ」
セシルは内心(もしローザとの間に子を儲ける事が出来ていたなら俺達はここまで酷い悪党にはならずに済んでいたのかもしれないな)と思った。口に出しても仕方の無い事であり、最初から後戻りの出来ない事でもあったが。
「では俺も少し気晴らしするとしよう。ハガーやルナーグにも美味しい思いをさせてやらねばならん」
「何人でも娘を孕ませて構わないけど、若い娘に本気になって私を捨てたらあなたを殺すから」
「俺はローザ以外の女に本気になったりしないよ」
セシルの言葉は半分が本心、残りの半分は”誓約”だった。セシルにとってローザは妻であり共犯者だ。妻を裏切る事と同等かそれ以上に共犯者を裏切る事は重大な背徳行為だ。共犯者を裏切れば返り討ちに遭ったとしても自業自得であり、結婚より共犯者のほうが一蓮托生の関係が強いとさえ言える。
ましてローザは歳を重ねる毎に非道を厭わない冷徹な女になっていった。その責任は山賊にジョブチェンジした事や子供を授からなかった事が原因かもしれない。悪事を生業とするようになったセシルが唯一責任を感じているのが妻のローザだった。夫婦としての関係が冷え切っていたとしても共犯者としての関係は断ち切る事など出来ない。
「では少しだけ遊んでくる。その後で”狼煙獅子団”を集めてインモール周辺の村や交易ルートを通る商人を襲う算段でも考えよう」
ローザは微笑でセシルを見送った。
「……私達悪党だって幸せになる権利はある筈よ」
ぼそりと呟いた言葉には怨念めいた冷たさが篭っていた。
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「そんで一体なんなんですかスキルポイントって。なんだか枝分かれした選択によって習得できない技とか出てきそうな、経験値とは別に貯めなきゃならないような感じなんですけど」
元勇者は大賢人にブツクサ言ってみたが、大賢人は右から左に受け流して説明を始めた。
「魔王を倒したそなたの力量は勇者と呼ぶに相応しいものではあるが、その力は攻撃の力であり破壊の力でしかない。世界を魔王の恐怖から開放したそなたの行動は正義と呼ぶに相応しいであろうが、その行動はそなたや誰かが幸せになる為の行動ではなかった。……わしの言っている事がわかるかね?」
「つまり俺の人生ぜんぶ間違っていた、って事ですね」
「そこまでネガティブにならんでよい。そなたは勇者となりえるだけの努力をしてきたが、平凡な幸せを得る為の努力は何もしてこなかったという事じゃ。何も努力していないそなたが安穏とわしのところに尋ねて来られるだけ幸せとは思わんかね?」
「正直あまり思いませんね。ものすごーーーく謙虚な気持ちで考えれば”生きてるだけで丸儲け!”とも思えますが、その程度の幸せは生きている人全員が持ち合わせている幸福じゃないですか」
「その不満はそなたの煩悩や欲望が生み出しているものでしかない。しかしその煩悩や欲望は間違っておらぬ」
「……ちょっと、ホメたのかクサしたのかよくわからないのですが。禅問答でしょうか?」
大賢人は「ホッ、ホッ、ホッ」と小声で愉快そうに笑った。
「その下らない煩悩や欲望こそが人間にとっての真理なのじゃよ。これらが無ければ人間は純粋な生物となれるだろうが、それは動物や草木と何ら変わらぬ」
「いちおーは大賢人であるお方が、そのような俗な事をお認めになるとは意外です」
「しかしその簡単な真理を実践して生きる事は非常に難解で困難となる。さて、冒険の日々を続けて勇者となったそなたにとって、これまで積み重ねてきた生き方を捨てて新たな道を模索する事は幸福になれる近道に思えるかね?」
「それは……わかりません。これだけ長くフリーランス冒険者を続けてきた結果が”幸せになれなかった”としか思えないので、これ以上続けても幸せになれる気はしないんです」
「しかし中高年となったそなたがいまさら新しい生き方を模索したところで”一般人:LV1”にしかなれぬ。それで満足かね? それとも勇者となった者がその重役を捨てて山賊に身を落とすかね?」
「だから俺はナーバスなんですよ。いまさら悪党にもなれない、平凡なリーマン生活も無理、歳を取って新しい事を始めるのも難しい。フリーランス生活を続けた結果が八方塞なんですよ」
「故にそなたに残された道は勇者のままグッドエンドを目指す事しかないであろう。過去の禍根から逃れた先で幸福を得たとしてもそなたは満足できぬであろう。過去の禍根の先で幸福を見出さない事にはそなたのこれまでの苦労は全て無駄となるのだ」
「フンワリとしか理解できないのですが、つまり、俺はもっとこの状況で苦労しろって事ですか?」
「その通りじゃ」
「そんな御無体な」
「もちろん妥協した幸せで満足する事も出来るであろう。かつての仲間だった者が悪事を働いても関わらない事も出来るであろう。しかしそれを拒みたい気持ちがあるからそなたはわしの所に来たのであろう?」
「……仰るとおりです」
「そこで話は最初の提案となる。勇者としての最後の技を身につける事じゃ」
「そんな技があるなら、魔王を倒すの簡単だったんじゃないかなーって思うんですけど。いっそ大賢人様が魔王を倒しちゃえば良かったに」
「わしは技を語り継ぎ教える事しか出来ぬ。わしのような老いぼれは魔王に辿り着く前に何某かで息絶えるであろうからな」
「ふーむ、そんなもんなんですかねぇ」
「それにこの最後の技を身につけたとしても、そなたは山賊セシルとやらの悪事を食い止める事は難しいであろう。そなたの力は魔王を倒す事は出来ても、人間の悪事を阻止する事は出来ないかもしれぬ」
「えっ? そ、そんな……最後の技とやらを身につけても山賊セシルの悪事は止められないというのですか?」
元勇者は心底情けない表情となった。何かの救いになればと大賢人に教えを乞いに来たのに、最後の技を習得したところで役に立たないかもしれないのでは困惑するのも当然だ。
しかし大賢人も元勇者をからかう為に言っている様子ではなく、真剣な面持ちだった。
「人間が魔王を悪とする事と、山賊の行う悪事とは本質的に異なる。ただ山賊を殺すだけであれば最後の技も不用であろう。しかしそなたが悔いなく闘い続ける為には最後の技を持つ者という心の拠り所が必要となろう」
「心の拠り所……」
「究極の最後の技を持つ者は、それを使って悪に負けたとしても、使わずに悪に負けたとしても、尽くせる尽力を尽くしきったと言えるであろう。どのような結果になったとしても後悔はせずに済む」
「ま、負ける事は決定事項なんすか?」
「勝敗は時の常、そなたが全力で挑んだとしても人間の悪に打ち勝つ事は難しいであろう。しかしそなたの専門分野の力量不足が原因で勝てないという可能性は完全に排除されるであろう」
「……その必殺技とは、どのようなものなんでしょうか?」
「攻撃力最強すぎて言わば禁術となっておる技じゃ。そなたは多重同時攻撃と精密攻撃と瞬間攻撃力倍化攻撃のスキルはきちんと身につけておるな?」
「はい。攻撃力倍化スキルは魔王を打ち倒す時に使いました。攻撃力を倍化・倍化・倍化の倍化で瞬間的に16倍ダメージでようやくトドメを刺す事が出来ました」
「ほっほっほ、それではそなたの身も反動で全身骨折したであろう。よくしぶとく生き残れたものじゃ」
「しぶとくとか言わんでくださいよ。少しは褒めてください」
「自滅玉砕を覚悟しての戦いなど褒めるに値しないわ」
「……ご尤もです」
魔王との相打ちを覚悟して放った限界以上の攻撃だった事を大賢人に見透かされ、元勇者は頭を垂れた。喉元過ぎて忘れかけていた3年前の失意と絶望を思い返すと、こうして大賢人と話をしている事も奇跡でしかないのだ。フリーランス冒険者家業に疲れ果て、挙句に仲間に見捨てられたユート・ニィツがいまも生き残っている事自体が奇跡なのだ。生きる希望を失いながらも元気に生きているのだから。
「ともあれ、これまで習得した技の数々の全てを一層洗練した形で繰り出す事で究極の攻撃力を持つ最強の技と成る。技リストから選択してスキルポイントを消費すればすぐに習得できるといった生易しいものでは無いぞ」
「だから何すかスキルポイントって」
「最後の技の名は”デーモン・コア・ブレイク”じゃ」
「デーモンコア? ……な、なんというか……それって物凄くヤバそうな必殺技のような予感がするのですが……」
「まぁこの技を習得した者は過去数百年に遡ってもせいぜい数人、技の発動に成功する確率も25%以下、実戦で使われた事は一度も無いほど危険な技であるから、技の名前が気に入らんなら好きに付け直して構わぬ。”バシュタール”とか”ロンギヌス”とか好きに変えるが良い」
「どの名前もヤバさマシマシな感じっすね……」
「ヤバいのは技の名前だけではないぞ。技を習得するための練習で手を抜いたり気を抜いて失敗すれば自滅しかねぬ。さて……どうするかね? 技を習得せずに帰るのもひとつの決断じゃ」
元勇者は少しだけ考え込んだが、すぐに返答した。
「大賢人様は最初に答を語っていますよね。不甲斐ない俺に技を授ける、と。未だ過去の禍根の渦中から抜け出せない俺に更なる技が必要だと仰るのなら、まぁ乗り気ではないんですけど最後の技を習得したいと思います」
「強力すぎて使えぬ技となるかもしれぬが、その習得で命を落とすかもしれぬ。覚悟は良いか?」
「覚悟は無いですけど、ここまで来て手ぶらで帰ってもしょうがないので」
「まぁよい」
「いいのか」
「最後の技は、これまで伝授してきた必殺技を同時かつ精密に放つ事で最大以上の破壊力を放つ技じゃ。そなたは多重同時攻撃は出来るな?」
「瞬間的に分身っぽくなって攻撃する技ですよね。チャクラを練ったり印を結んだりしなくても4重分身攻撃は出来ますよ」
「4重では足りんな。せめてその倍は必要じゃ。攻撃するほんの一瞬で良い」
「ならば瞬間攻撃力倍化の技を組み合わせないと難しいかと。しかしこの技を使えば倍加した分だけ攻撃後しばらく動けなくなってしまうのですが。ブレイブでデフォルトな感じで」
「少々動けなくなるのは構わん。重要なのは瞬間的に多数の最大攻撃を同時かつ精密に繰り出す事にある」
「すると、どうなりますか?」
「それは……ゴニョゴニョゴニョ」
大賢人は元勇者の耳元で技の原理を小声で囁いた。老人と中高年が顔を近付けている様は誰も得をしない光景であったが、説明を聞く元勇者の顔色は次第に蒼白になっていった。
「こ……この技……、技って言っていいものかどうかもわかりませんが、そ、そりゃぁ過去の誰も実戦で使わない筈ですよ……」
「完全に失敗すれば何も発動せずおぬしが動けなるだけ、中途半端に発動すればそなたもダメージを食らって即死、多重攻撃のうちどれかひとつもクリティカルしなければ苦労の割に合わない攻撃力にしかならぬ。しかしこの技を習得しているだけで現世の神にも悪魔にもなれるであろう。そなたの悩みなど些細なものにしかならぬ程にな」
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シュナの元を離れたカールは、インモールから離れた街道沿いの宿場町に立ち寄っていた。
ハイレベルの冒険者はマジックアイテムの”転移のオーブ”を持ち、既に行った事のある地方に瞬間移動できる。しかし一般人が高価なマジックアイテムを日常的に使う事は無く徒歩や馬車で長旅をするのが普通だった。大量の荷物を運ぶ行商人なら尚更だ。
故に街と街を結ぶ街道には人の足で1日程度の距離毎に宿場町がある。旅人が疲れを癒す為の宿屋や茶屋などが並び、酒場や土産物屋などもある。農地や住宅はなく”街道沿いにある商店街”のようなものだ。
カールがこの宿場町に訪れたのは、山賊セシルの動向を探る為だった。かつてアーチャーとして活躍したカールは索敵や内偵のスキルに長けており、また街の女性を口説いては密会を重ねるナンパな色男だった。女性の懐に潜り込む難易度に比べれば山賊セシルの陰謀を探る事など朝飯前だった。
「そこの商人さん、あんたも”希望の暁”の護符を買いに来たのかい?」
「ぎゃふん!」
カールは商人に間違われた事と、探ろうとしていた事を人に尋ねる前に言われた事に、返す返事の言葉を詰まらせた。
「いきなり声をかけてすまなかった。俺も商人をやっているから同業者はすぐにわかるよ」
「は……ははっ、すぐにわかりますか~」
心の中で(これでもオレは昔はイケメンでモテモテの凄腕アーチャーだったんだ!)と叫んだが、弛みきった体型がその過去を脂肪で覆い隠していた。恰幅の良い身体を引き締めて昔の姿に戻り商人ではない事を証明したかったが、相手を驚かすだけになるか周囲がパニックに陥るだけなので我慢した。
「ところでその護符というのは何の話だい?」
声をかけてきた商人は自慢するように羊皮紙の札を取り出した。
羊皮紙に焼印でなにかのシンボルのようなマークが焼き付けられていた。いかにも護符っぽい感じであるが、安く簡単に量産できそうなものにも見える。
「この護符は、かつてアーティスを救った7勇者の一人ローザ様が魔力を込めて作られたもので、これを荷馬車の目立つところに貼り付けておけば7英雄の”希望の暁”に恐れをなして山賊共が襲ってこないという話だ」
「その”希望の暁”ってのは何なんだい? オレは若い者に仕事を任せっきりにしていたもんで最近のトレンドに疎いんだ」
とりあえずは情報を得る事が先決だ。カールはしぶしぶではあるが商人設定のまま会話を続る事にした。
「このあたりのハイレベル冒険者の中でも一番有名なのが7勇者と呼ばれたセシル様のパーティなんだが、魔王が世界から姿を消した後は7勇者のうち生き残った5人が世直しの為の組織を立ち上げて、それが”希望の暁”ってわけさ」
事情を知るカールの表情が怒りで歪みそうになった。しかし事情を知らぬ商人を怒っても仕方が無い。商人を襲う山賊のリーダーもセシルだというのに、この商人はそれを知らないのだ。
「そ、その7勇者のセシルっていうのが魔王を倒したのかい?」
「それは話半分ってところですけどね。セシル様自身が魔王を倒したとは仰っていないそうですし、遠方の商人仲間の話ではアーティス戦以降の7勇者の活躍の話は耳にしていないそうですし。なんでも仲間が2人死んだ事で冒険者としての仕事を減らしたとかなんとか」
(勝手に死んだ事にされたユートとシュナがこの場にいなくて良かった……。攻撃力特化型のファイターとソーサラーだから虫の居所が悪かったらこんな宿場町なんて秒で消し飛ぶぞ)
「まぁ噂には尾ひれがつくものだが、この護符の効果は本物だったよ。実は数週間前に山賊に襲われた時にこの護符を掲げて見せつけたら山賊共が襲わずに逃げていったんだ」
「それはスゴイな……」(……”狼煙獅子団”とやらの演技力が)
「なので護符をもう少し買っておこうと思ってね。うちの荷馬車の全部に護符を貼ろうと思っているんだ」
「でもお高いんでしょう?」
「それがそうでもないんだ。いまは売り出しセールで1枚3G、初めて買う人は特別に2枚セットで同じ価格の3Gだ」
「思ったほど高くはないが……なんだか通販みたいだな。”しじみチャンス!”とかあるんじゃないか?」
旬を過ぎたら意味不明になるようなネタを呟くカールだったが、商人にとってお守りに3Gというのはさほど高い値付けではない。ましてや本当に山賊を追い払えるなら安い買い物だ。”希望の暁”が怪しいカルト集団である事を知っているカールはお布施や上納金のように高い金をせしめているのではと思っていたが、むしろリーズナブルな価格設定だった事に驚きを隠せなかった。
「そのなんとかチャンスは知らないし、買おうとしている時に”ちょっと待ってください!”と大声で更なるサービスをアピールするような事も無かったよ」
「……オレも試しに1枚買ってみようかなぁ」
「買うなら早いうちがいいぞ。山賊除けになるという評判で小規模な荷馬車の商人も買い漁っているから、結構早く売り切れる事も多いようだからな」
「なるほど、色々と教えてくれてありがとう」
商人と別れたカールが宿場町の通りを歩くと、出店で件の護符が売られていた。旅人向けのランタン用オイルや冒険者向けの剣を手入れする為の砥石などの雑貨に並んで”希望の暁の護符”が売られていた。
一見すると護符は数枚しか残っていないように見えたが、商品棚の影に在庫と思われる護符の束が残っている事に気付いた。
(……ちょっと待てよ? 安いから試しに1枚買ってみようと思ったが、それも山賊セシルの思惑のうちじゃないのか?)
カルト組織のお布施としては安い価格設定に騙されそうになったが、そもそも話しかけてきた商人が本物とは限らない。本当の目的は護符を売る事よりも”希望の暁”の売名かもしれないし、行きかう商人の全員が羊皮紙に焼印を押せば完成の原価の安い護符を買えば結構な収益になるだろう。
(仮にそうだとすると、山賊セシルの目的は一体……)
自作自演であっても山賊に襲われない護符の効果が本当という評判が広まれば”希望の暁”は商人達の支持を得る事になるだろう。護符が売れれば山賊家業の”狼煙獅子団”は活動できなくなるだろうが、インモールの商工会を牛耳ったようにこの界隈の商人達のリーダー的存在になれば山賊セシルの権威は一層強まる事だろう。”希望の暁”の信者と化したみかじめ料や税金のようなものをせしめる目論見かもしれない。
そもそも山賊セシルがドラゴン騒動を起こしインモールから姿を消してから殆ど時間が経っていない。なのに用意周到に次の手を打っている。邪魔者である勇者ユートに伝説のドラゴン・グリムドランガーをけしかけたのも、本来の目的である護符を広めて”希望の暁”の売名活動を邪魔されたくなかったからかもしれない。
「お守りを売って小銭を稼ぎつつ”希望の暁”の名前も売る、ってところか。セコい悪事だが相当厄介だぞ……なにしろ”何も悪い事はしていない”んだから」
本物の悪人の厄介なところは、ひとつの悪事を暴いて潰しても、すぐに別の悪事を始める事だ。
悪事を暴いて潰すには、まずそれが悪事であるという確証を調べ上げ、被害者を守りながら悪事を阻止しなければならない。しかし悪事をするのは、ただ悪い事をするだけだ。悪事を潰す手間に比べれば、悪事そのものの手間など無いに等しいほどだ。
真剣に考え込むカールの表情は険しかった。
表情だけに力が篭った結果、体型はそのままに顔だけ昔の引き締まった二枚目となり、道行く人々は驚きの悲鳴を上げたり近付かないよう大きく距離を取ったりしていた。
「ママー、あそこに変なオジサンがいるよー」
「シッ! 見ちゃいけません!」
宿場町は平和だったが、山賊セシルの企てと、顔だけ二枚目のカールによって不穏な空気が漂っていた。




