「大賢人ワンセボン」
元勇者はダババ神殿に近い小山に登り、その山頂付近で野宿の支度を始めた。
低級モンスターが寄り付かない「フィアー」の能力を持つ元勇者でも、蚊の襲来は防げない。刺されてもHPは減らないが、かゆい。なので風通しが良く蚊の少ない湿気の篭らない場所を探した。
「野宿も随分久しぶりだな。たまには外の空気を吸いながら一夜を明かすのも悪くないか」
冒険者時代の野宿は最低だったという記憶しかなかった。風呂に入れず汗臭い身体で、焚き火の煤に燻されながら粗末な料理を作る。生水は腹を壊すので沸騰させ、風下の一角をトイレとして使う。生ゴミなどは不用意に捨てれば生態系を壊すので焚き火で燃やせるものは燃やす事となるが、その臭いも身体や衣服に染み込んで、汗臭い冒険者に更なる異臭が加味される。季節によっては寒暖差の朝露で目覚めも最悪だ。アウトドアとかソロキャンとか言ったところで所詮は野宿だ。宿に泊まるほうが格段に良いのは明白だ。
とはいえ長旅で宿屋の無いエリアを探索しているわけではない現状では、高い割にはサービスの乏しい安宿に余計な金を支払わずに済み、誰にも気を使う必要もなく、煙管を吸っても世間様に文句を言われず、嫌になったら”転移のオーブ”で棲家の砦に帰れば済む。いっそ風呂に入る為に棲家に戻り、風呂上りにこの場所に戻る事だって出来る。冒険者時代に共に過ごした時間が長すぎてギスギスしていた仲間もいない。
魔王を倒してからの3年間は孤独の寂しさに歯を食いしばりながら耐え続けていたので、わざわざ野宿で一層の孤独を求める必要は無かった。
しかし最近は少女達の襲来に巻き込まれ型イベントの発生で、少なくとも寂しさは感じずに済んだ。寂しくない時間は求めるものとはかなり違っていたが、それでも孤独な中高年にとって心が救われる気分さえ感じた。ラッキースケベの数々は網膜に焼き付けているので当分は脳内再生余裕だ。
とはいえ未だ独身でしかない中高年の元勇者は、その寂しくない時間が一過性のものであると感じていた。
ホリィやディアやライムの誰かと、または皆と一緒に暮らす事となれば退屈とは無縁の満たされた日々を過ごす事が出来るかもしれない。しかしその満たされた日々は元勇者だけの話であって、若い少女達の人生を犠牲にして得られるものだ。男女の仲ともなれば諍いも生じるであろうし、何かの拍子に縁が切れるという事もよくある。その若い少女達の人生を犠牲を無駄にしただけという事も有り得、元勇者が少女達の献身的な犠牲に見合うだけの何かを与えられそうには無い気がした。
元勇者は感情や欲望で突っ走るだけの若さは失われているし、考えれば考えるほど歳の離れた少女達のハッピーエンドは有り得ないという結論に到ってしまう。
(何か得られそうでいて何も得られないような状況のまま、というのも案外幸せな事なのかもしれないな)
まるでネガティブが一周してポジティブに到ったような考え方だが、”何も得られない”よりは”何か得られそうだけど得ない”ほうが絶望感が少ない気がした。実際に何かを得られたとしてもその先が幸せとは限らない。歳を取っていれば尚更だ。
ともあれ、寂しさとは無縁だった日々に慣れすぎないうちに元の孤独な生活に戻った事は良い事なのだと自分に言い聞かせようとした。煙管に火をつけ、小山の木々を揺らす風の匂いを吸い込み、夕日を眺めた。
(大賢者様がいるとすれば、あの辺りかな)
元勇者は索敵能力や探査スキルは殆ど持ち合わせていなかったが、景色を眺め観察しているとそれなりに見えてくるものがある。元勇者が蚊のいない場所で野宿しているように、大賢者も暮らしに不自由する場所に住み着いたりはしない筈だ。
日の当たる南向きで、川などの水源があり、望まざる客が来ない目立たない場所……概ねそういったあたりだろう。
小山の上から見渡して概ね大賢者が住んでいそうな場所の目星をつけ、持ってきた荷物から食料と調理道具を用意して水を汲み、枯れ枝を拾い集めて焚き火を始めた。時折周囲を警戒する時に無意識に発動するフィアー効果で魔物や野生動物も寄っては来ないだろう。のんびりとソロキャンを堪能し、夜が明けたら大賢者に会いに行く事にした。
「……やっぱ一人っきりだと寂しいもんだなぁ。いまのところは騒動の余韻で一人っきりも悪くないと思えるが、この寂しい状況が死ぬまで続くかもしれないと考えたら発狂しそうになるな」
ラッキースケベが恋しいわけではないが、話相手や何かの行動にリアクションしてくれる誰かがいないのは心底虚しい事だ。それで性格が捻じ曲がってヒネクレてしまった元勇者に対して然程の文句も言わずに相手をしていた若い少女達の健気さが恋しい気分だった。孫や姪っ子でもないのに中高年を構ってくれる美少女がいる事はとても有り難い事のように思えた。
「かしまし3人娘達は何事も無く平穏無事に過ごしてだろうか……」
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かしまし……もとい、ホリィ・ディア・ライムの3人は”転移のオーブ”でアーティス王国に移動した。先の山賊退治の功績もあって門番や衛兵に余計な時間を取られる事も無く、ディアの案内で最短ルートでアーティス王の元に辿り着いた。
ホリィとライムはお行儀良くかしこまり、ディアが事の事情をアーティス王に説明した。
山賊セシル達が山賊業の他にインモールの商工会と深く癒着している事、そのインモールに被害が出る事も厭わずに元勇者ユート・ニィツを殺す為にドラゴンを呼び寄せた事、それら首謀者であろうセシルは相当に精神を病んでいる事、ディアは未だ元勇者に求婚を受け入れられていない事……。
「ナンデヤネン」とライムがディアに突っ込みを入れた。
「ま、まぁ勇者様との結婚の話はひとまず置いといて……つまりそういった状況という事です、お父上」
黙って話を聞いていたアーティス王が、重い口を開いた。
「結婚は早いほうがいいぞ、ディアよ」
「そっちの話は置いといてください」とホリィも王様にツッコミを入れた。
「ま、まぁ……かつてアーティスを救った冒険者だったセシル殿が山賊に身を落とし暴虐の限りを尽くさんとするのであれば、アーティスもかつての恩義を御破算として”狼煙獅子団”とやらを徹底的に駆逐するのが当然であろう。しかし……」
「しかし……何です? お父上」とディア。
「しかし話を聞いた限りでは、実に狡猾な相手と言えよう。山賊集団”狼煙獅子団”と商工会と癒着している”希望の暁”が同じ組織とすれば、山賊退治の為に商工会を敵にしなければならなくなる。インモールの商工会だけなら良いが、それ以外の諸国の商工会まで”希望の暁”の手に落ちていれば、交易都市であるアーティスは迂闊に手を出す事が出来なくなる」
「お父上、まだ確証は無いにせよアーティスの交易ルートや近隣の農村が”狼煙獅子団”に襲撃されぬようアーティスの軍勢を割いて警備・警戒すべきではと」
「それだけで済めば良いが、我がアーティスは物流で成り立っている国であるから、商人の中に伏兵が紛れ込んで内乱を企てられれば事前に手を打つ事は困難であろう。もちろん農村や交易ルートも警備せねばならぬであろうが、いつ起こるやも知れぬ問題への対策は国民を不安にさせるばかりで理解は得られぬ」
ふむふむ……と話を聞くライム、王様がマトモな事ばかり話してる……と感心するホリィ。
「では被害が出るまで手は打てないのですか?」と、ディア。
「表立ってはな。もちろん先手を打って対策せねば守れるものも守れなくなるので秘密裏に警備し警戒する事となろうが、確証の無い段階では万全とは言いがたい守りしか出来ぬであろう」
3人娘達はせっかくインモールで大変な思いをして情報を集めたというのに積極的な解決策に到らなかった事に意気消沈した。
「いや娘達よ、気落ちする事は無いぞ。そなた等の話によって問題の中核が明確になり、対策を取る準備をせねばならん事も明確となった。ご苦労であった」
「ところでお父上、もうひとつお話があって……私達これから3人で冒険者として旅に出てみようと思っているのですが」
「ダメ! 絶対!」
「えっ、お父上まで勇者様と同じ事を言うとは予想外でした」
「よいかディアよ、冒険者としての旅は魔物との戦いは避けられない事である。そなた達は”ローパー”という魔物を知っておるか?」
「いえ」
「ローパーとは身体から無数の触手を伸ばして冒険者の身体に巻きついてくる恐ろしい魔物なのだ。近年は見かけぬが、かつてその被害を纏めた薄い本によれば、そのおぞましき内容は禁書の如き年齢制限が設けられた程である」
「……薄イ本?」とライム。
「年齢制限?」とホリィ。
「ローパーだけではないぞ。魔物の中には”ワーム”という触手そのものの姿のものもおる。魔物としては単純な存在ゆえ遭遇確率も高く、襲われた冒険者は極太ワームの餌食となり、身体を蝕まれて苗床とされる事もあるという」
「極太? 苗床?」とライム。
「王様って普段どんな書物をお読みなのかしら?」とホリィ。
「そういった異形の魔物だけではなく、近年は一般的な魔物である豚に似た姿の”オーク”も凶暴化していると伝え聞く。最近の薄い本の定番はオークであり屈強な女冒険者でさえ陥落する事が多いそうじゃ」
「陥落?」とライム。
「王様の情報源って偏っているんじゃないかしら?」とホリィ。
そこそこ真面目に話を聞いていたディアも少々不満そうな表情だった。
「モンスターの恐ろしさは判りましたが、山賊セシルさんの謀略に対処する為にも、勇者様の妻となる為にも、冒険者としての経験を積むのは必要な事だと思うのです!」
「ふむ……」
アーティス王はしばし考え込み、そして言った。
「ならば我が軍の一部隊をそなた達に預けよう。そこで剣技や魔術の訓練を重ねて実力をつけるのだ。我が兵の中には冒険者としての経験を積んだ者も多い。闇雲に冒険者として流浪するより学べる事も多かろう」
3人娘は少しだけ悩んだが、アーティス王の提案は最も手っ取り早く経験値を稼げそうに思え、その提案を受ける事とした。
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「そーゆーワケだから、オレはそろそろ帰るよ」
シュナの家に状況報告に赴いたカールは、手短に状況を説明し、山賊セシルの怨念が篭ったノートをシュナに渡した。
「あら、来て早々にインモールの商工会やら伝説の火竜やらまくしたてて、妙なノートを私に押し付けたら即座に帰るのは少し礼節を欠くんじゃないかしら」
「常識を欠いているシュナに礼節を説かれるとは思わなかった。しかしその……さっきから巨大な鍋で煮込んで混ぜている怪しいゲル状のモノは一体なんなんだ? 黒装束に鍔広の三角帽子までかぶって不気味すぎんだろ」
「なによ私のルームウェアにケチつける気? それに混ぜてるのはいつものおやつよ」
「おやつ? 若返りの秘薬じゃなくて?」
「こうやって練れば練るほど色が変わって……ンマイっ!」てーれってれー
「……それ、巨大な鍋で作るものか?」
「だって私オトナですから」
「てっきり干した爬虫類とか謎のキノコとかを煮込んで混ぜているのかと思った」
「バナナ味を十分に練ってからチョコ味のソースにつけるのよ。若返りの秘薬じゃないけれど気分は若返るわね」
カールは胃酸が込み上げてくるような気分の悪さを感じた。はやくかえりたい。
「とにかく山賊セシルのデスノートは渡したからな。何かわかったら……オレのところじゃなくユートにでも伝えてくれ。7勇者時代の事はオレはさっぱりわからないからな」
「確かにセシルとは昔一緒にチームを組んでいたけれど、感覚的には昔の職場の同僚みたいな程度よ。調子の良い時には正義のヒーロー気取りだけど面倒事は仲間にまかせっきりで、アーティス攻防戦の後は天狗様気取り……その高い鼻もドラゴンとの戦いで折られちゃって、その落差で冒険者を辞めたようなものだから私とユートはセシルなんかに付いていかなかったのよ」
「英雄症候群ってやつかな。ほとんど中二病のようなものだが大人になっても治らず、その英雄願望で結果を出してしまったら、そりゃぁ人生は狂うだろうな」
「まぁ魔王を倒そうと冒険した私達はそれを笑えないし、人生が狂ったのは私達も同じなんじゃない?」
はぁ……、ふぅ……、とシュナとカールの深く重い溜め息が洩れた。
「ま、セシルのノートなんて私に見せられても……」
そう言いながらページをパラパラとめくるうち、シュナの表情は真剣なものになっていった。
「どうした? ”呪”の文字の写経の中に”祝”の文字でも隠されていたか?」
「違うわよ。その怨念の篭った呪いの文字の他に、ミミズの這ったような落書きが書かれているのはわかる? ほら、これとか」
「ぐちゃぐちゃとランダムな感じで線が引かれているが、やっぱり魔術の計算式かなにかか?」
シュナはしばらく考え込んだ。カールは茶化さずに返事を待った。
「これは錬金術の物質集成術式に似ている……この部分は相対性理論に似ているし……」
「この落書きが、何かの魔法の術式なのか?」
「いえ、こんなデタラメな落書きで魔法が作れるほど甘くないわ。でもセシルが何を目論んでいるのかはわかるかもしれない」
シュナは机の引き出しから眼鏡を取り出し、セシルのノートに書かれた不規則な紋様を入念に観察した。
無節操に卑猥な事ばかり言う普段の姿とは違い、眼鏡をかけ真剣に魔法術師気を読み解こうとする姿はかつてのインテリ美人だった頃の雰囲気を髣髴とさせた。
「魔法っていうのはね、無から有を生み出す奇跡なんかじゃないの。魔力や自然界のマナをエネルギーにして、そのエネルギーを他のエネルギーに等価交換した結果が魔術なのよ」
「オレは難しい話はわからないぞ」
「お勉強の出来なさそうなカールにもわかるように言えば、弓矢の弦を引く力と矢が放たれるスピードとの関係のように、魔法もどこかでバランスが取れているものなのよ」
「シュナがよく使うメテオストライクのような魔法でもか?」
「魔法使いの持つ魔力だけで大火球を生成し打ち込む事は不可能だけど、池に石を投げて出来た波紋のように大きな波を作って最終的にはプラスマイナスゼロの平坦になる。魔術というのは様々なエネルギーで様々な”波”を起こし最大の”波紋”が出来る瞬間を魔法効果として利用しているわけよ」
「やっぱり難しい話だな……。そんな難しい事を元ファイターで現役山賊のセシルがオリジナル魔法を作ろうとしているって事か?」
「このノートに書かれているのは理論にもなっていないけど、素人が考える魔法の突飛さには驚かされるわ」
「山賊セシルの魔法がどういったものなのか、わかりそうなのか?」
「E=MCスクエア……えぇっと、多分だけどこの魔法は何かを媒介として何かの永久機関を作ろうとしているように思えるわ」
「”何か”ばかりだな」
シュナは眼鏡を取り、言った。
「池に石を投げ込めば水しぶきが上がって波紋が広がり、そして波は消えて元の平らな水面に戻る。でももし石を投げ込んだ後に永久に水しぶきが上がり続け波紋が広がり続けるとしたら?」
「そ、それはなんていうか……”宇宙の 法則が 乱れる!”みたいな感じかなぁ」
「そう。普通は絶対に有り得ない事よ。でもそれをやろうとしている術式のように見えるのよね」
「一体何をやろうとしている魔法術式なんだってばよ」
「それがわからないのよねぇ」
「結局、何もわかりませんでしたって事かな?」
「私これでも一流のソーサラーなのよ。あまり馬鹿にしないで欲しいわ」
「でも、わからないんだろ?」
シュナはカールの太った体型を睨んでイライラした。こんな一縷の隙も無い完璧な中高年のオッサンよりシュナのほうが数歳年上だという現実が不愉快だった。シュナより若いくせに、太るとこまかい事は何も気にならなくなるのだろうか?という疑念さえ湧いた。
「おバカなカールにわかるように言うと、これはセシルの”呪いの魔法”よ。何かのエネルギーをトリガーに、この世界の何かを連鎖反応で永遠に奪い取り続ける魔法術式である可能性が高いわ。もちろんこんな魔法は完成しないでしょうし、トリガーとなるエネルギーも膨大なものが必要になるでしょうけど」
「そ、そうか……完成しない魔法なら一安心だな……」
そう言うカールの表情は青ざめて硬直していた。
なにしろ目の前にいるシュナは歪んだメンタルの果てに世界初のホムンクルスを生み出しているのだ。
歪んでいても強烈な情念は常識を超える結果に到るという事を知っているカールは、山賊セシルの魔法は完成しないだろうと言われても安心できなかった。
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のんびり優雅なソロキャンを堪能した元勇者だったが、久しぶりの静かな朝に落ち着かなくなって早々に目が覚めた。
(思った以上に小娘達に翻弄される日々に慣れてしまっていたようだ……)
それはそれで孤独な独身中高年にとって嬉しいシチュではあったが、その喜びを求めたところでさほど長くは続かないであろう事も察していた。少女の情熱は男が夢想するほど長くは続かないものだし、時には驚くほどの心変わりをする可能性だってある。結婚して日常となれば様々な問題が生まれてくるであろうし、目先の幸せが変質して失われていく侘しさも少なからず経験するだろう。その相手が同世代であれば幸も不幸もお互い様だが、歳の離れた若い娘を中高年の不幸に巻き込むわけにはいかない。オッサンが少女を不幸にする事は、罪だ。
求められたからと言って元勇者が求めてしまえば罪だとすれば、早めに諦めて元の寂しい生活に戻るべきなのだ。
(そうとは判っていても、こんな孤独な生活が死ぬまで続くかと思うと、マジメにしているのもイヤになるなぁ)
キャンプ飯を作るのは慣れているので簡単に朝食を用意して食べる。然程の失敗も無く料理したが、自分で作った料理の自分が作った通りの味しかしない事にはいつも微妙な気分にさせられる。美味い筈だが美味しいという気分が涌かない。
早目に起きて早目の朝食を済ませた元勇者はしばらく煙管をふかしてくつろごうとしたが、次第に時間を持て余している気分になってしまい、荷物を片付け早めに大賢人のところに向かう事にした。
山の中ではあるがダババ神殿や人里に近い小山なので、人が通って出来た細い畦道があった。近隣の老人が山菜取りをしているのかもしれない。この山で暮らすという大賢人も道があれば利用するだろう。
元勇者は久しぶりの山道でヒザが痛み出した。動かすには問題ないし、我慢できないほどでもないが、丁度イヤな気分になれる程度には痛みを感じるのが不快だった。
目星をつけていた辺りに赴くと、すぐにそれらしき場所が見つかった。
隠居している賢者なので少しは目立たないようにしているのかと思っていたが、結構普通に立派な小屋が設けられていた。小屋の前は広場のようになっていて、来訪者の為に用意されているらしいベンチも複数あった。
「まるで……土産物屋だなぁ」
そう思って小屋に近付くと、幟旗が立っていた。
旗には「いらっしゃいませ」「千客万来」「大賢人ワン・セボンの小屋」と書かれ、そよ風になびいていた。
「まるで土産物屋だな」
元勇者は、迷いの無い口調で言い直した。
更に近付くと、土産物屋から何かのテーマソングらしき曲が聞こえてきた。
♪ワン・セボンおーおお、ワン・セボンおーおおー、セボン、セボン、ワン・セボン~♪
「何かのネタのようだが相当古いな……。しかも多分ED曲ではないかと」
土産物屋の近くに行くと、店先の片隅に置かれた小さな水晶玉から曲が響いていた。何かのマジックアイテムらしい。
「水晶玉から音が鳴るとか変わったものがあるもんだ。冒険者時代にはみかけなかったが最近のトレンド商品だろうか?」
店先にはモンスター除けのお守りとか木刀とか三角ペナントとかキーホルダー的なものが置かれていた。本当に完全な土産物屋である。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。いらっしゃいませ」
土産物屋の奥から老人が姿を現した。
「お客さん、観光かね?」
「いえちょっと人を探して……って、あなたは大賢人ワン・セボン様じゃないですか!」
「いかにも私がワン・セボンである。ところでこの水晶玉はいかがかね? ナウなヤングにバカウケの人気グッズじゃよ」
「いやいやいや、あなたはかつてダババ寺院で剣技の超必殺技とかを伝授していた偉大な賢者様でしたよね? 何やってんすか?」
「見ての通り、商いを営んでおる」
「あー、みやげもの屋の主人になったんですかー」
「なにせ魔王が打ち倒されたようじゃから、当分は賢人としての仕事は世間から求められぬであろうからのう」
「それは悪い事をしたなぁと……」
「ふぉ、ふぉ、ふぉっ。やはりそなたが魔王を倒したものじゃな?」
「はい。大賢人様に習った剣技により大儀を成就する事が出来ました。そのお礼を伝えようとここに来たのですが、賢者から商人にジョブチェンジしていたとは存じませんでした。俺が魔王を倒したばかりに大賢人様の崇高なお勤めを奪ったようで、申し訳ありません」
大賢人は屈託無く笑った。
「何を謝る事があろうか。おぬしのおかげで登山客相手に楽しく商売が出来るようになって感謝しておるぞ。わしの教えが求められる時は世が闇に包まれる時ばかりであるから、賢者の教えが不要な世界のほうが良いに決まっておろう」
「そう仰られましても魔王を倒し世界に平和をもたらした一番の貢献者である大賢人様が、このような人里離れた山の中でみやげもの屋の主人というのは……」
一応真面目に謝意を伝えようとしていた元勇者だったが、BGMに謎のテーマソングが流れ続けている状況ではどうにも気がそれる。♪ワンセボンおー、おおワンセボンおーおおー♪
「……それにしてもなんすか、この妙な歌は」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ、大賢人ワンセボンは自らの意思を持つ賢者である! ふぉふぉふぉ……」
「いややっぱりネタが古すぎてよくワカランっすよ」
「歌はともあれ、この水晶玉は人気商品であるぞ。おぬしもひとつどうじゃ?」
「人気って、スーパーボールのようによく弾むとかですか?」
「おぬしは若者の間で流行しているものを知らぬようじゃな。世の中が平和になってからマジックアイテムの需要が減った事で新商品が開発され、水晶玉に音や映像を映し込むものが流行しておるのじゃ」
「なんとまぁ」
「水晶玉に向かって語りかけた姿が魔力によって記憶され、その水晶玉を覗き込む事で記憶された映像が見えるという”水晶・オン・デマンド”というものじゃ。略してSODじゃ」
「その略称めっちゃヤバくないっすか?」
「水晶はクリスタルじゃからCODだったかのう?」
「それはそれで殺伐としてますけど。デューティーでモダンな感じというか」
「そなた達冒険者の間でも水晶を使った仕事が流行しておるそうではないか。たしかヴァーチャル冒険者とか」
元勇者は以前アーティスの酒場の主人から最近の冒険者事情を聞いた事を思い出した。
一部の冒険者はその経験を語って稼ぐ講師業を始めており、経験の浅い冒険者でもセルフプロデュースが上手ければ素人相手に人気が得られ、その人気で収益を上げて稼いでいるらしい。
「なるほど……覆面をして講師業をしているバーチャル冒険者さえいると聞いたが、この水晶を用いて商売していたのか」
「かくいうわしも、この水晶で技の習得を販売しておる。お前さんもひとつどうじゃ?」
「俺は一応、ダババ寺院が営業中だった頃に、あなたから最終奥義まで授けて頂いているので」
「初心に帰る事も大事じゃぞ? ほれこの水晶はたった5Gでダイジェスト映像が見れるぞ」
「それただ商売したいだけじゃないっすか?」
「本格的な技を求めるのは客100人のうち1人か2人しかおらんからのう。初級技の”2段切り”の水晶は50Gじゃが、それさえ買うものは殆どおらん」
「それで商売になるんですか?」
「それだけ世の中が平和になったという事じゃろうて。わしのような老人が暮らすには然程の金もかからん。これもまた一興じゃろうて。ふぉ、ふぉ、ふぉ」
元勇者は深く溜め息を吐いた。
「そろそろマジメな話、宜しいでしょうか? その平和な世の中に不穏な動きが見られるのです」
山賊騒動、交易都市インモールでの出来事、山賊セシルの”狼煙獅子団”と”希望の暁”の謀略の事を話し、再び世界に騒乱が起こるかもしれない事を大賢人に説明した。
「それが一体なんだと言うのかね?」
「再び戦乱の世になるかもしれぬ、という話なんですが。先程まで世の中が平和になったと仰っていたじゃないですか。もしやボケましたか?」
「わしが何年生き続けていると思っておるのじゃ。エルフ族の血と歴戦の武人の知識を受け継ぎ語り継いできたわしにとっては戦乱の世も日常と変わらぬ」
大賢人ワンの年齢は定かではないが、齢数百年と見て間違いないだろう。元勇者が初めて教えを請うた時から老人の姿だったが、それから10数年の年月を経ても当時のまま変わらないように見えた。むしろ流行の水晶玉グッズで遊んでいる姿は元勇者より若さを失っていない気さえする。
「とはいえ闇落ちした悪党が世の中を牛耳ろうとしているのですから、何か手を打ったほうが良いと思うのですが。俺はエルフの血族じゃないので大賢人様のように長生きできませんし、ヨボヨボになった頃に悪党が天下を取られると手の打ちようがないのです」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ、ならば魔王を打ち倒したそなたが世界を支配してしまえば良いではないか。魔王を超える力を持っておる事を証明したようなものじゃからな」
「俺がそんな元気一杯の肉食系男子だったらこんなにテンション低くないっすよ。俺は大賢人様以上に平和主義なんです」
「しかし人の歴史は争い事の歴史でもある。その山賊のセシルとやらが過去に仲間だったとしても、そなたがその野望を止めねばならない責務も無かろう」
「確かにそのとおりで、出来ればその野望を知らないまま放置しようと思っていたのですが、のっぴきならない事情でなんやかんや、こんな感じになりまして」
「急にグダグダな説明になったが、どうせそなたの周りに厄介事に首を突っ込んだ者でもおるのじゃろう」
「仰るとおりです。はい」
「それに、いまのそなたでは山賊セシルの企てを阻止する事は難しいであろう。どうせ魔王を倒してからの幾年月なにも修行をしておらんかったのだろう? 魔王を倒せたからと言って悪事を阻止する力があると考えるのは浅墓で愚かな事じゃ。目的が違いすべき事も違うであろうに何の修行もしておらず、どうにかできると思い違いをしていては叶う事も叶わなくなるじゃろう」
元勇者は大賢人ワンの御説教にうなだれた。
大人になって叱られるのは結構キツイ。ありがたい事ではあるけれど。
「では、俺はどうすればいいのでしょうか」
「そうさのう……その問題に関わらずに済むところまで逃げ続けるか、毒を食らわば皿までという気概で応じるか、といったところであろう」
「うむむ、どっちもイヤだなぁ……」
「どちらにせよ中途半端に逃げたり、中途半端に関わる事がそなたを一番不幸にする結末になるであろう。逃げる事も関わる事も覚悟を決めて行わなければ道に迷い無駄な労を増やす事となり、望む結果にも到らずに終わる事となるかもしれぬ」
「うーむ……。逃げたいのに意地を張って魔王を倒すしかなくなって、結果こんなグダグダな無職中高年になってしまった俺としては、希望が全然感じられないんですが」
「それはそなたが道に迷った現れであろう。もし魔王を倒していなければ、何の実績も無いただの無職中年でしかなかったのじゃからな。自分の心の中だけでも誇れる事があるならば、それが道に迷わぬよう己を導く力となるものじゃ」
元勇者は大賢人ワンの言葉に困り果てた笑みを返すしかなかった。”元勇者”の看板が無ければ山賊セシル達の陰謀を知らずに孤独な日々を送り続けていただろうし、少女達とのささやかな賑わいも無かっただろう。ただ婚期を逃しただけの独身中高年になってしまう。しかし”ただの独身中高年”であったとしても自分の行いに自信があれば鬱になったり性格がヒネたりしていなかっただろう。
魔王を倒したのに悪いところばかり思い返し、孤独な事で自分に自信も無くマイナス思考に陥りやすいのは、元勇者自身の「弱さ」が原因なのだろう。
しかし自分の欠点を再認識したところで、歳を取ってからの自己改革は難しい。大賢人ワンの御説教はありがたくも難しく思えた。
「なぜ困り果てた顔をしておる?」
「困り果てているから、でしょうねぇ」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。そなたもまだ若いのう。そなたは魔王を倒したとはいえ、出来る事と出来ない事がある。その事を忘れず、出来る事に尽力を尽くせば結果が伴うかも知れぬであろう」
「もし俺が魔王を倒せなかった男だったとしても?」
「同じ事じゃ。人はどれほど長く生きても出来る事と出来ない事がある。出来る事を増やせる時代が過ぎれば、後は出来る事に集中すれば良い」
「まー俺はしがない冒険者だったから、魔物を倒すとかしか出来ないチンピラですけどね」
「それでも半世紀ほど生きておるじゃろう。生きる事が出来ているではないか。まずは生きる事に集中するが良い」
「できれば楽~に生きたいなぁ。それに山賊セシルの問題がどうにかなりそうな気も全然しないし」
大賢人ワンは不敵な笑みを浮かべた。
「折角ここに来たのじゃから、不甲斐ないそなたには最後の技を伝授してやろう」
「最後の技? もう魔王とか倒してるのに、まだ強力な必殺技みたいなものがあるんですか?」
「魔王を倒せるだけのスキルポイントがなければ習得できないほどの超必殺技じゃ」
元勇者は、戦慄した。
「……なんすかスキルポイントって」




