表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元勇者は禍根渦中  作者: 数ビット
22/46

「ダババ・マイロード」

 ディア・ホリィ・ライムの3人娘を見送った元勇者は、誰か忘れている気がした。


「ふむ、思い出せない事は思い出さないほうがいいだろう。無理は良くない」


 自分への甘さが痴呆一直線のような気もするが、どうせ思い出してもロクな事じゃないのは確実だった。


「ふっふっふ……」


 元勇者の背後の物影でキラーンと光る瞳の輝き。

 メインキャラがいなくなった砦で元勇者以外の気配がある筈はなかった。


「うむ。誰もいない筈である。とりあえず二度寝してから客間とかの掃除をしておくか……」

「ふっふっふ」

「もし不法侵入者とかいても瞬殺すればいいし。目撃者もいないからへーきへーき」

「ふっh……って瞬殺されるのは困ります! どんだけ出番待ちしてたと思ってるんですか!」


 声の主は元勇者がインモールから期間直後に追い払われたサッちゃんだった。


「てっきり魔界とかに帰ったのかと思ってた。まだいたんだ……しかも物陰に隠れてコソ泥みたいに」

「不穏な比喩表現はやめてくだしあ! 本当に瞬殺するつもりじゃないですよね!?」


 インモールから帰ってきた時に出迎えて以来まる1日姿を隠し続けていたサッキュバスのサッちゃんは、小娘達がいなくなった頃合を見計らって登場しようと待ち構えていたのに、なんとも物陰から登場しにくい感じに困惑した。


「大体なんでモンスターが魔王を倒した俺の所に勝手に住み着いているんだ」

「それはもう私モンスターですから、湧き出して存在しちゃったらモンスターとしての勤めを果たすのが存在意義なので」

「”湧き出して”って虫みたいな発生現象だなオイ」

「まぁ似たようなものですよ。虫だって無からは発生しませんし、魔物も自然現象として人間界に発生するのですから」

「問題は、なんで俺の砦になんで住み着いているのか?ってところなんだけどなぁ……」

「ともあれそろそろ登場してもいいですか? お若い方々に配慮する理由もなくなったようですし」

「配慮しなきゃならんエロい格好してるのが悪い」

「サッキュバスからエロ要素を取り上げないでください! もう人目を気にしないでいい状況なんですから、だかだかエロで殺生はやめてください! 表現規制派みたいに目くじら立てないでください!」

「一応言っておくけど表現の自由より猥褻物陳列罪のほうが上だからな」


 はぁ……とサッちゃんは大きな溜め息をついた。

 サッちゃんも体感として”元勇者はヒネクレている”という事を理解したようだ。


「とりあえず出ますからね~」と、サッちゃんは物陰から姿を現した。

「う、う~む」と、元勇者は、唸った。

「いかがですか? 下手にヒネるよりベタな感じでコーディネートしてみました」

「うむむ……」


 色香の濃い絶妙なプロポーションのサッちゃんの格好は、一言で言えば”悪魔っ娘”という感じだった。光沢レザーの紐のようなコスチュームがサッちゃんの身体を交差し、その柔らかい肌を締め付けてひときわプロポーションを強調していた。背中には小さなコウモリ風の羽根飾りが付いている。


「うむ……75点といったところか。サッキュバスらしさ全開の直球ストレートだとケチはつけにくいな。コーディネートはこうでねーt……いやなんでもない」

「若い人はいないんですから古語を使ってもよろしいのでは? 私達オトナだけなんですから」

「”大人”という言葉を意味深な口調で言うな」

「だって私サッキュバスですし、あなたは魔王様を倒した勇者ですから、英傑色を好むほうが普通ではないですか?」

「色事は恰幅の良い商人みたいな体格になった元色男カールに任せてた。俺じゃなくあのマシュマロマンに色仕掛けしてこいよ」

「だってあの人間は魔王様との戦いの前に逃げて戻ってこなかったじゃないですか。精力を頂く相手がSSRとノーマルじゃ比較になりません。それに見た目で選ぶ権利っていうのもあると思います」

「ま、まぁ……」


 さらりと言われたので一瞬戸惑ったが、サッちゃんは遠まわしに元勇者のルックスを(おだ)てていた。お世辞であっても比較対象が太ったカールであっても褒められて悪い気分はしない。これまでオッドアイにスカーフェイスは中二病と揶揄され続けてきたので尚更だ。


「私はあの若い子達のように人間好みの味でお茶を入れるのは上手くは無いですが、お酒を付き合う事は出来ますよ。食糧貯蔵子に丁度良い葡萄酒がありましたから、二度寝の前の午前中からほろ酔いというのもオツじゃありませんか?」

「そんな事を言ったって、元勇者の俺が魔物と酒を飲み交わすわけないだろ」

「むしろ魔王を倒した勇者なら、私程度のモンスターなど(もてあそ)ぶに丁度良いのでは? どうせ少しばかり色情に溺れた程度で魔王様を復活させるだけの精力が得られるわけでも無いですし、お互い、それ以外にヤル事なんてないじゃないですか」


 サッちゃんの身体は元勇者に触れるか触れないかの距離まで接近していた、というかメリハリのある身体が無造作に元勇者の身体に密着しては離れた。柔らかい二の腕や乳房の肉感は魔物と人間の差は無かった。


 魔物と人間という異種族の差はあれど、大人の男と女が2人きりで一つ所にいれば色情に戯れる展開も珍しい事では無い。確かに「それ以外にヤル事なんてない」状況だ。むしろ拒む理由のほうが少ない。

 元勇者のネガティブ思考の一因もこういった戯れを拒みつつ「魔王を倒して世界を救うまでは!」と生真面目に行き続けて大損をした事にある。既に魔王を倒したいまサッキュバス相手に少々遊んだところで誰にも咎める事は出来ないだろう。どうせそこらの一般人の既婚者でさえ隠れて不倫とか浮気とかを楽しんでいるのだ。


「さぁさぁ、せっかく他に誰もいない時間なのですから少しは楽しまないと」


 促されるがままサッちゃんに寝室に誘導されベッドに腰掛けた元勇者は(このまま惰性で、もう何年ぶりかもわからない肉欲に溺れるのも悪くないかもしれないなぁ)と思った。中高年ともなると未開発の生娘よりも遊び慣れた女性のほうが手間がかからず楽しみやすい気分になる。


「肉欲に愛情は不要ですし、お互いに楽しむだけですし、誰にも秘密にすれば問題ないじゃ無いですか。私こう見えても口は堅いほうなんですよ」


 サッちゃんはサッキュバスらしいコスチュームを脱ぎ始めた。紐のようなコスチュームが柔らかい肉を締め上げて食い込み、つるりとした肌が露出した。


「うーむ、さすが腐ってもサッキュバス。もし何事も無い時に押しかけられていたら、さすがに拒みようが無かった色っぽさだ」

「私腐ってませんけど一応褒め言葉ですよね? 魔王を倒した勇者様はサディスト気質なんですね。私も攻められるとゾクゾクしちゃうマゾヒストの気がありますから、身体の相性は良いかもしれませんよ」


 元勇者は魔物相手に少々の間違いを楽しむ事について考えていた。別に大した事じゃないだろうし、さほど悪い事でもないだろう。元勇者は独身中高年であり、誰と遊んでも不貞とはならない。


「……しかし、何か一押したりないな」


 ボソッ、と元勇者は呟いた。


「何が足りないのでしょう? 私の色気ですか? それともムード?」

「いやその、サッちゃんの目的である魔王復活とか、俺は秒で出来るから。試していないからウソかホントかはわからないけど、魔王を倒した俺は”魔王の名”を伝えられているから、魔王を召還する事が出来るらしい」

「それは存じています。魔力の摂理に()って、そのような事が起きるそうですが……」

「ならサッちゃんが身体を張って俺を誘惑する意味もそんなにないという事だよ」

「えっ? 何もなさらないんですか? 私を抱いても別に何も問題ないんですよ?」

「それも悪くないなーと思うんだけど、俺も中高年だから事後ぐったり疲れそうだし、後々面倒な事になるのもイヤだし。とりあえず二度寝するから邪魔しないでね」

「えっ、えっ! あのちょっと! サッキュバスとしての私の立場をもうちょっと尊重してくれても……」

「あ、寝る邪魔したら瞬殺するから」

「ちょ、おま、この状況で本当に寝るとか……」


 元勇者は布団に潜り込んで寝る格好となっていた。

 不用意に邪魔すれば本当に瞬殺されるかも知れず、サッちゃんは言葉に詰まった。


 元勇者もディアやホリィやライム達の若い色香に接していなければサッちゃんの誘惑に負けていただろうが、ガツガツするほどの若さも無く、色気も寂しさも適度に補われている現状では魔物の女に手を出す禁忌を犯す必要はなかった。


(わ……私の存在意義って……)


 唯一かつ最大の武器である性的魅力が不発に終わったサッちゃんは、マッパのまま呆然と立ち尽くしていた。




-----


 二度寝から目覚めた昼下がり、元勇者はベランダで煙管に火をつけ、久しぶりの気兼ねない一服を味わおうとしてい……。


「頼も~う! 頼も~うッ!」

「なんだなんだ藪から棒に? ここは道場じゃないし、道場破りと宗教の勧誘と押し売りはお断りだ」

「お目覚めのところ申し訳ありませんが、このままじゃサッキュバスとしての立場がありません!」

「いまどきサッキュバスなんて少々のお色気キャラ程度という風潮なんだから別にいいじゃないか。萌えの時代に過度のエロはそれほど需要無いんだよ」

「そう仰られても私プロのサッキュバスですし!」

「エロにもプライドってあるのか……」

「なので私の必殺技を試していただきたいなーと!」

「サッちゃんに必殺技とかあったんだ。ちょっとまって殺傷用の武器を探すから」

「いえいえ戦闘モードではなくエロ展開専用の必殺技なので、勇者でも抗えずエレクチオンするかどうかを試したいだけなのです! どうか試させてください! でないと心が折れそうなので!」


 元勇者は脳内でサッちゃんが”どうしてエレクチオンしないのー!”と叫ぶ展開を想像したが、枯れ気味とはいえ元勇者のエロ耐性はそれほど高くない。そもそも拒む理由も少なくなってきたのでサッちゃんの誘惑がもう少し上手ければあっさり陥落しそうな気さえしていた。


「別に構わないけど、お色気展開はもう少し有難味がある感じでイベント発生して欲しいんだけどな~」

「有難味がないタイミングでも即ハボ確実な必殺技、受けて勃ってください!」

「サッちゃん、サッキュバスに向いていないんじゃないかな?」

「ではイキますよ~! ……チェイング!!」


 掛け声と共にサッちゃんの全身が光に包まれ、うぉっ眩し!と思った次の瞬間にはサッちゃんの姿は変化していた。


「おぅふ!! こ、これは……!」

「いかがですか勇者サマ?」


 サッちゃんの姿は、サッキュバスのきわどいコスチューム姿のホリィになっていた。真面目な少女のホリィが布面積極小のサッキュバス衣装に身を包んでいる姿にしか見えなかった。


「おぅふ。声までホリィとは……こりゃあ破壊力凄いな……」


 一応風呂場でマッパのホリィを目にしているが、本人そのままの姿できわどいコスチュームでフェロモン発している状況は、背徳感が加わってエロさ100倍だった。(元勇者の個人的な感想です)


「いかがですか勇者サマ? 私は魔物ですから避妊の心配なく無責任に遊んでいいんですよ。SMでもアブノーマルでも何でも構いませんよ? それが大人の秘め事というものですから」

「おわわ、ホリィの声で言われると理性が破壊されそうだ。偽者とわかっていても本人不在のところで勝手にエロ展開していると背徳感マシマシだな」

「本人達の前では披露できなかったサッキュバスの必殺技です。もちろん他の姿がお好みなら、いかようにも変えられますよ」


 そう言うとサッちゃんはホリィからディアの姿に変わった。張りのある肌の質感まで完全再現されており、偽物とわかっていても本人と見分けがつかない完成度の高さだった。


「私の身体の中に、精力が尽きるまで注ぎ込んでみませんか? 一緒に気持ちよくなりましょうよ」

「こんどはディアの声で誘惑とか……おぅふ」

「もちろんこんな姿にもなれますよ……クルクルパピンチョパペンペポ!」


 呪文の意味はわからないが、サッちゃんは一瞬でディアの姿からライムの姿に変身した。

 小柄な割には3人娘の中で何気にバストサイズが一番大きいライムの姿ではサッキュバスの紐のようなコスチュームは柔らかな肌に深く食い込み、さながら拘束プレイのような格好だ。


「イカガデスカ? 好キナダケ膣中ニ出シテ構ワナインデスヨ?」

「おっ急にギャップが無くなったぞ。無垢なのにエロ知識ばかりのライムは普通に言いそうな台詞なんだよなぁ」

「アララ? 何カ間違ッタデショウカ?」

「そういやサッちゃんとライムはエロ部分での目的はネタがかぶっていたんだな。うーむ」

「ドウシマシタ? 興ガ削ガレチャイマシタカ?」

「これまでのサッちゃんの誘惑の中では最高レベルの攻撃だったのだが……」


 ふと元勇者の脳裏に「まさか勇者様は魔物の女と浮気なんてしないですよね?」と言われた記憶がリフレインした。まだ誰とも婚約していない独身中高年が魔物の女を抱いたとしても浮気にはならない筈だが、抱けば(やま)しい気持ちが残る事になるだろう。


「……やっぱり我慢しておくよ。そろそろ誘惑はやめてくれないか。通常の日常モードに戻ろう」

「お気に召しませんでしたか? 私サッキュバスですから単にエロい事を楽しんでもらえれば十分満足なんですけど。リクエストがあるならスタイルの微調整も出来ますよ?」

「いや十分に目の保養になったよ。伸びしろに期待しつつ95点は点数付けられる。でもまぁ……いまはエロい事を楽しむタイミングじゃなかったみたいだ」


 サッちゃんは元の姿に戻りつつ、はぁと溜め息をついた。


「残念ですわ……でも全く脈が無いワケでもなさそうと判っただけでも満足ですわ」

「最近ちょっと色々あったからな。色々な事が起きる前にこんな誘惑されてたら秒で陥落していたよ」

「あら嬉しい。お世辞でもサッキュバスとしての自信が取り戻せそうです」

「いやいやサッキュバスとしてのレベルを上げてもらっても困るんだけど。結構マジで」

「せめて一緒にお風呂に入りませんか? お背中お流ししますよ」

「その程度なら……いやいや! なし崩しでこれまでの我慢が台無しになる未来しか見えないから遠慮しておく! 俺はこれから旅の支度をするよ」




-----


 気持ちを切り替え元勇者は旅支度を始めた。

 旅支度と言ってもオッサン一人の自由気ままな放浪だ。ツーリング先のソロキャンプで美味しい料理を作って優雅なひと時を楽しむわけでもない。荷物は最低限で十分だし、冒険者時代の蓄えを切り崩して生活している元勇者には贅沢する余裕もない。長い冒険者時代の経験で野宿にも慣れている。


 既に現役を退いているとはいえ冒険者だったのだから一応の武器も用意するが、インモールで獣人族のミーケから買い取った片刃の両手剣のような高級品は不用であろう。果物ナイフ1本あれば魔物との戦闘に使えるし、キャンプ飯を作る時にも使える。


「移動は”転移のオーブ”で済ませるとして、宿屋に泊まる宿泊費とかは節約したいから野宿の用意をして……」


 様子を伺いに来たサッちゃんが話しかけてきた。


「もぐもぐ……そういえば一体どこに向かう予定なんですか?」

「まぁた何か食べているのか。サッちゃんは備蓄食料を食い尽くして独身中年の家計にダメージを与えるつもりなのか?」

「食べる他にする事ないですし、私モンスターなので食べ過ぎても太らないんですよ。せいぜいおっぱいが大きくなる程度で」

「なんとまぁ悩ましい魔物だ。俺が旅に出る目的地は、賢者のいる神殿だよ。かつて必殺技とかのスキルを学びに行った場所だ」

「でももう新しいスキルとか不要ですよね?」

「まぁね。しかし世の中なんだかジワジワ不穏な感じになってきているから、神殿に行けばなにか情報とかが得られるかもしれないなーと。一応はお世話になった師匠のようなものでもあるから一度はご挨拶に伺わなきゃとも思っていたし」

「ヒマだし、私もついていこうかしら」

「別に構わないが、賢者ってのはモンスター退治に効果的な必殺技に詳しいスペシャリストだぞ」

「ヒェッ!! わわわ私お留守番してますね」

「とっとと何処かに出て行って欲しいんだけど、まぁ番犬程度の役には立つかな。留守番で粗相があったら容赦なく瞬殺するから」

「人畜無害のモンスターに対する扱いが酷く無いですか?」

「このエロ規制の厳しい世の中ではサッキュバスの存在自体が有害なんだよ。少しは(わきま)えてくれよ……」




-----


 翌日、元勇者は転移のオーブを使って賢者の集う”ダババ神殿”に移動した。


 マジックアイテムでの一瞬の移動も、目的地の鼻先まで行けるわけではない。転移しても人や物とぶつからない丁度良い場所でなければ「*いしのなかにいる*」という事になりかねないからだ。高価なマジックアイテムなので補正で転移事故は滅多に発生しないようになっているが、補正しきれない場合はその場所にある物体と融合してしまうおぞましい事態になる。


 使用者のイメージから魔法的に転移先の場所とリンクして転移するので、イメージと転移先の現状に大きな差があるとリンクされず転移も出来ない。また転移場所に植物が生えていた程度の地形変化であれば数フィートずれた場所に転移するようになっている。この安全装置と補正機能によって”転移のオーブ”は便利で高価なハイレベル冒険者御用達アイテムとなった。大量に買い込むのは長い年月をかけて世界中を旅した酔狂な冒険者だけで、元勇者もその一人だ。


 きゅぴーんきゅぴーん。


「……随分久しぶりのダババ神殿だが、景色は昔と変わらないな」


 ダババ神殿は神官や僧侶や賢者が一箇所に集い、その才や知識を修行僧や冒険者に分け与える事を勤めとしている場所だ。かつては太古の神を祭る為に作られた神殿だったが、現在は信仰や宗教を説く場ではなく賢者がその知識を求めるものに分け与える”特殊スキル専門学校”のような場として使われていた。


 元勇者も剣技の新技をこのダババ神殿で会得している。またダババ神殿はジョブチェンジという転職相談も(うけたまわ)っているので場合によってはそちらのお世話になるかもしれない。


「はてさて、剣の必殺技を幾つも教えてくれた大賢人様はまだご存命だろうか。俺が教えを請うた時でも相当なご高齢だったが……」


 思い出を懐かしみながらダババ神殿の正門に向かった元勇者だが、昔とは何か少し違うように感じた。

 その違和感の理由は、正門に張られた紙に書かれていた。


 ”ダババ神殿は利用者の減少に伴う経営不振により閉館する事となりました。長きに渡りご愛顧いただき

心から御礼申し上げます。ありがとうございました。”


「なんと!」


 張り紙の前で元勇者は呆然とした。

 昔とは何か少し違うように感じたのは、あまりに静かで閑散としていたからだ。


「日付を見ると2年以上前か。やっぱり俺が魔王を倒した事で冒険者の需要が無くなってしまいダババ神殿も経営不振に陥ってしまったようだ……」


 世の中を平和にする為に命がけで戦った筈なのに、また不幸な結果を目にしてしまった事に元勇者の気分はドンヨリした。もう慣れているので落ち込むほどではなかったが、それでも気分は曇ってしまう。


「さて、どうしたものか」


 辺りを見回してみても、ダババ神殿の周囲にあった店はどれも閉まっていた。


「せめて剣技を教わった師匠とも言うべき大賢人様にはご挨拶しておきたかったのだが……」


 途方に暮れている元勇者に、年上らしき男性が声をかけてきた。


「そこの兄ちゃん、ダババに転職相談に来たんだろう?」

「えっ?」


 確かにダババ神殿では様々なスキル習得の指導だけではなく、ジョブチェンジの仲介斡旋もやっていた。何年も遊び人として放蕩していたのに賢者に転職して様々な呪文を扱えるようになった冒険者もいるという。酒場で見かけたセクシーギャルが数年後にクレリックとソーサラー両方の呪文を習得していて驚いた事もある。


「見りゃわかるよ、いまどき冒険者じゃ食べていけないから、ダババ神殿が閉店した後も転職相談に来る人は多いんだ」

「そ、そうか……」


 確かに元勇者は冒険者というフリーランス業が好きでは無い。しかしダババ神殿に訪れたのは転職したいからではなく、あからさまに冒険者じゃ食べていけないと言われるのも複雑な気分だった。


「あなたはダババ神殿の転職相談係だった人なのかな?」

「まさか。オレはこのあたりで家業の卸業者をやっているんだ。ダババの周辺にも雑貨屋はあるからマーケティングも兼ねて定期的に様子を見に来ているのさ」

「家業の卸業者かぁ。卸業者って家業でやる事なのかな」

「冒険者やってる兄ちゃんにはわからないだろうけど、卸売業者ほど手堅い商売はないね。安く買い叩いたものを高く売りつける。これで儲からない筈がないだろう? 買い占めれば売値も付け放題だ」


 元勇者は自分より少し年上の世代……つまり魔王の世界侵攻が本格化する前の平和な時代に成り上がった世代が一番嫌いだった。元勇者が冒険者になった頃は魔王の侵攻によって世界中が不景気になったが、その直前までは「ラグナロク時代」「平和バブル時代」等と言われていた。元勇者はその時代に苦労せず成り上がった世代が大嫌いだった。

 しかし誰彼構わず「平和バブル世代」に対して不快感を顕わにするほど愚か者ではない。元勇者は眉間にシワが寄るのをグッと堪えた。


「あなたは卸売りの仕事なのにダババ神殿に転職に来る冒険者をチェックしているのかい?」

「用心棒を安く雇えるからね……いや安いって言ったって冒険者ギルドでの仕事より格段に良い賃金を払っているけどね。兄ちゃんは顔に傷とかあるし、それなりにベテラン冒険者のようだけど、仕事が欲しいなら雇ってやろうか?」


 元勇者は(こんな奴にアゴでこき使われるのは嫌だな)と考えた。どうせ仕入先も小売も儲からないような強欲な卸売業をやっているのだろうから、そんな商売の片棒を担ぐくらいなら、歳下の正社員にアゴで使われるアルバイトのほうがまだマシだ。中高年でも雇用主は選びたい。


「ここには転職相談じゃなく、昔お世話になった大賢人様に挨拶に来ただけなんだ。しかし神殿が閉館しているとは知らなくてね」

「殆どの賢者はそれぞれ故郷とかに帰ったけど、大賢人のワンさんなら近くに隠居していた筈だ」

「おぉ! 一番偉い師範がこのあたりに残っているのか!」


 ダババ神殿にいた賢人はそれぞれの専門分野毎に数十人が集い、望む者にその知識を分け与えていた(有償)。その専門分野を誰よりも極めた者が大賢人と呼ばれ、剣術や魔術などの究極奥義などを伝授していた。元勇者も剣術の大賢人に幾つもの必殺技を授かった。その剣術の大賢人の名がワン・セボンだ。


「ただ正確な場所はハッキリしないんだ。そこの近くの山の中に居を構えているらしいが、実際に辿り着いた者はいなくてな」

「なるほどねぇ……まぁ、それだけ判れば十分だよ」

「しかし魔王がいなくなったこのご時勢になんでわざわざ大賢人に用があるんだ? オレのところで用心棒をやるなら高く雇ってもいいんだぜ?」


 元勇者は(こんな守銭奴の商人を守るくらいなら、山賊に転職したほうが清々しく稼げる気しかしない)と思った。もちろん口には出さなかった。


「用心棒と言えば、インモールの商工会はどんな感じなんだい? 少し前にインモールに行ったが物の質は悪いのに値段が高くて参ったよ。用心棒の給料分でも上乗せされているのかって程にね」


 ストレートに山賊セシルの事を尋ねれば何かの事情を知る者として怪しまれるかもしれないので、わざと世間知らずを装って尋ねた。


「インモールはなぁ……あのあたりは大手の卸業者は危なくて近付かないんだ。手練(てだ)れの山賊が狙い済ましたかのように襲ってくるから、街まで荷物を届けられねぇんだ」

(手練れの山賊って……アーティスの近くで俺のフィアー能力で蜘蛛の子を散らすように逃げ去った連中の事か)

「インモールの商品が高くて低品質なのは、そういった事情だからだろうさ。それに噂じゃつい先日ドラゴンに襲われて滅んだっていう話だ」

(俺が救ったのに、噂では滅んだ事になってるのか……噂話の情報精度って、低いなぁ……)


 ともあれ大賢者の大体の居所はわかったし、閉館しているダババ神殿には用は無い。

 平和バブル世代の卸売商人から得られる情報も無さそうだし、手短に挨拶して別れようとした。


「……そうそう、兄ちゃんはインモールに行ったんだよな? なら”希望の暁”って団体は知っているかい?」


 突然の質問に元勇者は返事に窮した。それなりに知っている分だけ、あまり詳しく語る事が出来ない。


「もし”希望の暁”に知り合いがいたら、オレの事を紹介してくれないか?」

「えっ……、アレって、なんか、怪しい感じの集まりでは?」

「噂では魔王を倒した勇者が立ち上げた組織らしいぞ。”希望の暁”に加われば山賊に襲われる事もなくなるという評判だってある。商人が広く商売するには山賊除けのお守りがないと困るんだ」


 元勇者は「へぇ」とか「ほぉ」と曖昧な相槌を打つしか出来なかった。


「ま、まぁ……何処かで見かけたら、ダババ神殿の近くで商売やってる卸売業者の事を伝えておくよ」

「よろしく頼むぜ兄ちゃん!」


 元勇者は何事も無かったかのように商人と別れ、姿が見えなくなったところで大きな溜め息をついた。


「よもやよもや、山賊セシルの”希望の暁”が商人達に人気になっているとは思わなんだ」


 山賊セシルの謀略に関しては、出来るだけカールやアーティス国王に任せて済ませたかった。

 現在のセシルは心に闇を抱えた悪党だが、かつては元勇者と共に死線を乗り越えてきた仲間だった。心の闇も元勇者には理解出来る所も多い。


 似たような禍根を持ちながらも元勇者より落ちぶれて悪党となったかつての仲間が、山賊と商工会を使い分けて悪巧みをやっている事は、言うなれば「元勇者もそうなるかもしれなかった姿」だ。

 山賊退治の時に「俺を仲間にしてくれないか?」と言ったのも半分は冗談ながら、残りの半分は冗談とは言い切れなかった。真面目に魔王を倒してもさほど得しなかった事を考えれば、気まぐれに山賊家業に身を落とすのも悪くは無いとさえ思った。


 元勇者が光とすれば、山賊セシルは影と言えるのかも知れない……。


「……いやいや、俺が”光”とか? それは無いな」


 デフォルト設定がネガティブな元勇者は独り言を呟きながら、本来の目的である大賢者の元を目指した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ