「ニシヘヒガシヘ」
インモールでの騒動を経て、山賊稼業に身を落とした元英雄セシルが何か大きな悪事を企てている事が垣間見えてきた。
「しかし”新世界の神になる!”とか目論んでいる事がわかってもなぁ……。いっそ”海賊王に俺はなる”とかのほうが清々しいんだが」
「しかしユート、冗談や妄言でインモールの商工会や周辺地域を支配したり、勢力拡大を目指したりはしないだろう」
「そんなもんかねぇ? 悪の秘密結社を作ったのなら世界征服を目指して勢力拡大するのは必然だろう? ただ山賊稼業を続けるだけなら手下はいつか謀反を企てるだろうから、大きな目標を打ち立ててそれに邁進するフリをしないとリーダーでいられなくなる。冒険者時代に、貧しかった独裁国が一気に豊かになったところがあっただろう」
「あったな……たしかキヒナ帝国だったっけ。貧しかった国が豊かになったが発展が頭打ちになって、しかし生活レベルを下げる事を嫌がった国民が暴動を起こさないよう国を挙げて周辺国を侵略し続けた”イナゴ国家”だったな。結局バブルがはじける様に滅亡したが、酷い国だったな」
「そうそう。山賊セシル達もそのキヒナ帝国と同じ道を進んでいるんだろう」
「オレはそうは思えないんだけどなぁ。いい歳をした中高年が呪いの文字と共に”人類補完計画”とか”新世界の神になる”とかという事を冗談で書くとは到底思えない」
「確かに、マトモじゃなさそうな奴が何を目論んでいるのかは常識的に考えてもわからないのかもしれないな……」
「ユートを殺す為にわざわざ火吹き山を攻略してグラムドリンガーを街中に転移させるような異常さだ。そんなセシルが世界征服を目論んでいるとすれば、普通じゃない事をしでかすかもしれないぞ」
「異常な奴を相手にするのはイヤだなぁ」
「そういえば、セシルはお前の事をサイコパスと言っていたぞ。ハイレベル冒険者は敵を皆殺しにする非人道的な奴等だと」
「なぬっ! サイコパスにサイコパス呼ばわりされるとは!」
元勇者とカールは断片的な情報から山賊セシルの動向を探ろうとしたが、結論は出なかった。
セシル達”狼煙獅子団”と”希望の暁”の仲間達はグラムドリンガー出現と共にインモールの街から姿を消していた。カールは騒動の後もインモールの街の様子を調べ続けたが、街を統治している筈の商工会は被害に大して何をする様子もなく機能不全状態で、広場の周辺だけで済んだ被害の復旧は何の目処も立たないままだった。
セシルとその仲間達は幾つもある拠点に散り散りに逃げ去ったようだが、その拠点が何処にあるのかは判らなかった。インモールの街の支配を手放す筈もないのでいつかは戻ってくるだろうが、既にインモールは重要な拠点ではないのかもしれず、逃げたセシル達を探し出す事も待ち構える事も難しそうだった。
「大変な思いをした割に、はっきりとした事はわからなかったわけですね」
ディアがハッキリと言った。普段は明るく陽気だが、周辺地帯の情勢などの事になると真剣な顔つきとなった。可愛い笑顔を見せない真顔でも端整な顔立ちが際立った。
とはいえ美少女に厳しい指摘をされるのは中高年にとってはダメージが大きい。
「ま、まぁ一応、山賊セシルがユートにかけていた賞金はウヤムヤになったようだし、インモールの商工会を裏で操っている事も、グラムドリンガーを呼び寄せた張本人もセシルだという事はハッキリしたんだ」
カールは必死に弁明した。せっかく潜入したのにまるで成果が無いように言われては立つ瀬がない。
「でも商工会もドラゴンもインモールの内政問題ですから、アーティスや周辺の国は干渉できません。せめて山賊の”狼煙獅子団”が次に狙っているターゲットの情報や証拠があれば対策を練る事も出来るのですが……」
元勇者が横槍を入れた。
「カールが持ち帰ったのは気持ち悪いデスノートばかりだしな」
「見つからないように”希望の暁”のアジトに忍び込んですぐにドラゴン騒ぎだったんだから、少しでも情報を持ち帰った事を感謝して欲しいよ」
「忍び込んだのにこの程度かよと問い詰めたい気分なんだが」
「……そう言えばもうひとつ、確証はない事だが」
「なんだ?」
「実質的なリーダーはセシルじゃなくローザのようだ。”希望の暁”で商工会を丸め込んでいるのも、グラムドリンガーを呼び寄せたのも、ローザが取り仕切っているようだ」
「たしかローザはセシルと職場結婚していたんだよな。セシルはカカア殿下の尻に敷かれているわけか」
「そう馬鹿にしたもんでも無いぞ。陰鬱としたセシルが命令した事を、ローザが情け容赦なく実行に移すといった感じのようだ。首謀者がセシル、実行犯がローザといった感じの冷血カップルだ」
「うーむ、戦闘勝負なら恐るるに足らない相手だが、罠とか謀略では侮れないといった感じか。たしかにグラムドリンガーをけしかけてきた程だし、運が悪ければ俺は死んでいただろうし」
「ま、オレが見聞きしてきた印象だから、実際がどの程度なのかはハッキリしないけどな」
「悪い予想ほどよく当たるから、用心に越した事はないな」
はぁ、とディアは溜め息をついた。危険の予兆が大きくなっただけで、先手を打つ為の材料が無いのだ。
「とりあえず父アーティス王には状況を伝えておきます。交易ルートやアーティス近隣の農村が山賊に襲われないよう警戒するよう進言しますが……所在の知れない相手から守るのって物凄くコストがかかるんですよねぇ……。父上が何か対策してくれるかどうかは五分五分だと思います」
折角グラムドリンガーと戦ったのに然程の成果も得られなかった事に、元勇者も申し訳ない気分になった。
「まぁ一応、俺を殺そうとした秘密兵器グラムドリンガーが不発に終わったんだから、山賊セシル達も当分は俺達を付け狙ったりはしない筈だろう。インモールから散り散りに逃げたそうだからすぐに悪さを始めるという事も無いだろうし、しばらくは大丈夫じゃないのかな」
「勇者様ならいつドラゴンが来ても魔王が来ても平気かもしれないですけど、アーティスの兵士が街の人々を守る為には襲われる前から警戒しておかないと」
(いやさすがにドラゴンとか魔王とか突然来られたら俺でも結構どうにもならないんですけど……)と思ったが、ディアの言う事は正しいので余計な言葉は飲み込んだ。
カールも然程の成果を得られなかった事に顔をしかめていた。
「すぐに山賊セシル達が行動に移さないのなら、その間に調べられる事を調べるしかないようだな……仕方が無いからデスノート持ってシュナの意見を聞きに行ってくるよ」
「歩くハレンチ罪のシュナに何か判るような事があるのか?」
「カールの書き連ねたデスノートには”呪”の写経だけでなく、何かの魔術の術式を計算しているような落書きも幾つかあるんだ。かなり複雑な魔術を組み合わせて何かを発動させようとしているようだが、見た事の無い術式だし、オレはシュナほど魔法に詳しくないし」
「行ってくれるのは有り難いが、間違ってもシュナをここに連れて来るなよ」
「出来るだけそうするが……シュナが人の言う事を聞いたりしないし、シュナを止められる自信も全く無いから約束は出来ないぞ」
カールはしっかり夕食を頂いてから”転移のオーブ”で帰っていった。一度自宅に戻ってからシュナの所に行くつもりらしい。
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山賊カールの目論見がわからずスッキリしない雰囲気で夜が明けた。
既に少女達が元勇者の砦に寝泊りする事が当たり前になっている感があるが、筋肉痛で身体が重いのでただただ休みたかったし、少女たちもはしゃぐ事なく大人しくしていた。
(さて小娘達をこのまま泊め続けるわけにもいかないから、そろそろ追い出さなければならないな)
成り行きですっかり当たり前のように居ついてしまっているが、元勇者は独身中高年であるし、3人の少女達は大人の女性と言うには少々若かった。歳の離れた未婚の男女がひとつ屋根の下で一緒に生活している状況は、元勇者が疑念の目で見られる危険があり、少女達のイメージに傷を付けかねない。歳の差婚というのも珍しくない世の中になりつつあるようだが、さすがに五十路のオッサンが10代の娘と結婚するのは無理がある。
正直な思いとしては、いっそ少女達の願いどおりに結婚できるのなら元勇者にとっても過去の禍根を払拭する程のハッピーエンドであろうと思う。しかしそれを阻んでいるのは元勇者の年齢だ。ホリィやディアやライムの10年後・20年後はきっと魅力的な淑女であろうが、元勇者は完全に老人だ。子をもうけたとしても成人するまで寿命があるとも限らない。少女達の将来を考えれば中高年がおいそれと手を出して良い筈が無かった。
(結局、鬱になる原因は自分自身というのが嫌になる。若い頃にもっと人生設計を考えておくべきだった)
突発的に起きるラッキースケベイベントに未練はあるが、朝食時に追い出す方向に仕向けようと考えていた元勇者だったが、先手を打ったのはホリィだった。
「勇者様、私達しばらくここを離れようと思っています」
「えっ?」
思わず「なんで?」と言いそうになったが我慢した。少女達がここを出て行く事は元勇者の考えと一致しているからだ。しかし「トラブルでもあったかな?」とか「嫌われる事をしたかな?」とか考えてしまう。もし嫌われて少女達が逃げ出していくのだとすれば気にならない筈がなかったが、追い出そうと考えていた張本人が「なんで?」と尋ねるわけにはいかなかった。
「な……そ、そうか。ここを出て行くのか。それがいい。うん」
「3人で相談したのですけど、私達、冒険者として旅に出る事にしたんです」
元勇者はキッパリと即答した。
「ダメ! 絶対!」
しかし少女達はその声を右から左にスルーした。予想通りの反応だったようだ。
「まず山賊セシルさんの事をアーティスに報告した後、少し冒険者としての知識と経験を積もうと思うんです」
「ダメよ~! ダメダメ!」
「そんな妙な口調で拒まれても……。ともあれ、私達はもう少し冒険者としての知識を得て理解しないと、勇者様のお近くにいる事は出来ないと思うんです」
「いやいやダメダメ。みんな若いんだから、貴重な青春時代を冒険者なんてヤクザな稼業で浪費しちゃダメだよ」
「それに山賊セシルさん達が世間の騒乱を目論んでいるのだとすれば、私達も自衛の為のスキルを身につけておいたほうが良いと思うんです」
「うーむ、痴漢撃退の護身術とかで十分じゃないかなぁ。冒険者なんてやらないほうがいいよ絶対」
「もう決めた事ですから」
事も無げに言い切るホリィに、元勇者ははあと大きな溜め息をついた。元勇者の住む砦から出て行くだけなら目論み通りだったが、冒険者になるというのでは新たな心配事が増えるだけだ。
朝食を食べながら、ディアが言った。
「明日にはアーティスに向かおうと思うのですが、きょうは剣技を教えてくださいませんか? 魔王を倒した勇者様から直々に必殺技を伝授して頂こうかなと」
「いくらなんでも必殺技とかは無理でしょ。基本程度なら教えられるかもだけど」
「サクっと簡単に習得できる必殺技とか無いんですか?」
「ないよそんな”誰でも簡単!新常識!”みたいな必殺技。若い人はすぐ最短ルートで結果を求めるけれど、結局地道~な努力が一番確実なルートだよ」
「でも無駄な努力のような事もありますよね? 何が必要で何が不要な努力かを教えていただければ!」
「まぁその程度なら……、って、もう俺が教える事が決定してるような感じだけど?」
「勇者様、きょうは何がご予定はあります?」
「無職の中年にそれを聞くか。しょうがない、少しだけなら」
「やったー! これで私もドラゴンを吹き飛ばせる剣術を身につけられます!」
「そんな簡単に身についたらドラゴン可哀相じゃね?」
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朝食後、ホリィとライムが見守る中、元勇者はディアに剣技の基礎を教える事となった。
「冒険者としてパーティ組んだ場合、ホリィちゃんはクレリック、ライムちゃんはソーサラーが適役だけど、私はそういった特別なステータスが無いからファイター系かなって」
「うーん、ほんと冒険者なんてやらないほうがいいんだけどなぁ。危ないし」
「危なくないよう、基礎だけでいいので教えてください!」
「何も知らないまま冒険者やられるよりはマシか……仕方が無いなぁ」
元勇者はしぶしぶ刃物を取り出した。
台所で使っていた包丁だ。
「まず刃物の基本だが、刃物はノコギリのように”押し付けても案外切れない”が”引くと切れる”。この包丁も手のひらに押し付けるだけだとスパッと切れたりしない。豆腐を手のひらで切る時には包丁を押し付けるだけで、絶対に引いたらいけない。手のひらを切っちゃうから」
ライムがうっかり「豆腐ノアル世界設定ダッタノデスネ」と言ったが、ファンタジーの世界観を守る為に誰も返事をしなかった。きっと世界の何処かにはある食材なのだろう。肉じゃがのある世界だし。
「しつもーん。刃物の扱いは理解できるのですが、それでどうやってドラゴンを吹き飛ばしたのですか?」
若い者は結論を急ぐなぁと思いつつ、元勇者は答えた。
「インモールでの事を言っているなら、あれは吹き飛ばしたんじゃない。グラムドリンガーが自分で吹き飛んだんだ」
「自分で吹き飛ぶ?」
「剣を突きつけられた時、その切っ先に向かっていったら深く刺さっちゃうだろう? 逆に身を引いたら刺さっても浅く済む。グラムドリンガーは剣の攻撃で吹き飛んだように見えて、かわす為に攻撃とは逆の方向に自分で吹き飛んだのさ」
「もしかわしていなかったら、グラムドリンガーはどうなっていたんですか?」
「攻撃をモロに食らって、スッパリ大きな切り傷が出来ていただろうね」
「ドラゴンの鱗は鋼より硬いと聞きますが、勇者様はそれを切り裂けるんですね! でも人間が巨大なドラゴンを切るなんて事って普通は無理ですよね?」
「いや、そうでもないよ」
元勇者は足元に落ちていたひのきのぼうを拾って構えた。
「グラムドリンガーの時は運良くコフガ村謹製の刃の鋭い刀を使えたけれど、打撃力重視の鋳造の大剣でもきちんと振るえば結構スパッと切れるものなんだ。この木の棒でさえ打撃点を正確に引けば切り傷を付けられる」
「木の棒じゃ、スパッとは切れないですよね」
「うん。当たった部分の面積が広いと攻撃力が分散しちゃうからね。攻撃力は切ったり突いたりする部分の面積が小さいほうがいい」
「面積、ですか?」
「トンカチで木を叩いてもトンカチが木に刺さったりしないが、先の細い釘をトンカチで叩けば刺さるだろう。トンカチの力は同じでも、その力が一点に集中すれば木を貫く事が出来るというわけさ」
「じゃぁ刃の鋭い剣を使えば攻撃力が高くなるんですね!」
「そうとも言い切れなくて、刃が鋭くても剣の振り方がブレブレだと当たったところに攻撃力が集中しないから、まずは扱いやすい武器を使って、きちんと剣を振れるようになるほうが良いだろうね」
「それでも剣の一撃でドラゴンと戦うのって普通は無理と思うのですが、どうやってダメージを与えたのですか?」
「それもやっぱりトンカチと釘の理屈だよ。剣を振りぬいた時の攻撃力の全てを刃先の一点に集中できれば硬いものでも切る事が出来る。釘が刺さらないなら針の先ほどの一点に全ての攻撃力を集中させるわけさ」
説明を聞いていたディアの表情が曇った。
「流石にそれは無理ゲーですよね……。そんな精密攻撃をどうやって習得すればいいんでしょうか?」
「無理ゲー言うな。いきなり精密な攻撃は無理だし、俺も10数年剣を振り回した結果で身体に染み付いただけだから、結局は経験値という事になるかなぁ」
「やっぱり新常識!みたいな都合の良い近道は無いんですね……」
「でも寄り道はしないで済むだろう? 剣をひねったりせず普通に正確に振りぬく練習をすれば、それだけで攻撃力が上がるわけだし、振る剣がブレないほうが疲れにくいし」
「勇者様は簡単そうに仰いますけど、やはり難しい事ですよね」
「一番難しいのは続ける事さ。無理をすれば続けられないし、長く続けているとモチベーションが尽きる事もある。それらを乗り越えて剣技スキルを習得しても日常生活では使わないし転職にも役立たないから……やっぱり冒険者とかのフリーランス業はオススメしないし、やるにしても嗜み程度で十分だと思うよ」
「もう、勇者様ったらどうして素直に後押ししてくださらないのかしら。これから冒険者として活躍できるよう応援してくださっても良いと思うんですけど!」
「素直に冒険者ダメ!って言ってるじゃないか。まぁとにかく基本的な事は教えたから、とにかく無茶はせず、無理もしない事! あと危なそうな時は即座に逃げる事!」
「戦い方を教わりたいのに逃げる事なんて言わないでください」
「あ、いやいや。グラムドリンガーが吹き飛んだように見える勢いで飛び退いたように、攻撃を避けたり逃げたりする事は攻撃以上に重要な事なんだ。格闘家の場合だと合気道として用いられているし、痴漢とかの護身術にも応用できるから、ディアだけじゃなくホリィやライムも逃げる練習はしたほうがいい」
「あら勇者様、私達が痴漢被害に遭わないよう心配してくださるんですか?」
「まぁ……そりゃぁ心配くらいはするよ」
「では早速その練習をしましょう! 勇者様が痴漢役になって私達に襲い掛かってきてください!」
「それ何のプレイだよ!」
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冒険者パーティを結成すると決めた3人娘達は剣技などの練習や旅支度などで日中を過ごし、元勇者は煙管を吹かしながらそれを眺めていた。
(明日からようやく静かな日々が戻ってくるな……。いや明日からまた寂しい日々が戻ってきてしまう、というほうが正しいのかな)
少女達が元勇者の元を離れる事はどう考えても正しい結末であるが、思惑とは少々違った展開であり、元勇者の抱えていた問題が払拭されるわけでも無い。
元勇者は魔王を倒した後に何も得るものが無いまま無職の独身中年として侘しい日々を過ごして来た。世界を救った勇者として称えられたいわけではなく、冒険者稼業で失った人並みの幸せを望むばかりで、その望みも加齢と共に潰えていく事に鬱屈する日々だった。
唐突に来襲したホリィやディアやライム達のおかげで寂しさを感じる暇の無いかしましい日々が続いたし、有り難い事にラッキースケベも多々遭遇した。中高年でもラッキースケベは喜ばしい事である。過去のトラウマも随分と刺激されたが、一人で失意に沈む陰鬱な日々よりは幾分マシだった。
(過去の禍根に囚われてこんな辺鄙な砦に一人篭っていたが、一人というのは精神衛生に良くないものだな。感情をぶつける相手が自分自身しかいないと、どうしても後悔や失望ばかりになってしまう。人の感情というものも案外と自分以外の誰かとの相対的なものなのかもしれないな……)
ふぅ、と煙管の煙を吐き出し、元勇者は安穏とした時間を過ごした。
一瞬だけ「孫娘が遊んでいるのを見守る老人のようだ」と思ってしまい、いやいやさすがにそこまで老け込んでいないぞと頭を振った。シュナほどではないがにしろ、ただ老いるだけという事を甘受する気分は否定したかった。
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夕食を終える頃、ライムが元勇者に質問した。
「勇者様ハ、ドウシテ冒険者ニナッタノデスカ?」
元勇者は「えっ?」と驚きの声を漏らした。ライムは純真すぎるが故に元勇者にとって都合の悪いところをストレートに尋ねてくる。あまり話したくなかった事だが、隠す事でもないと思い直した。
「俺が冒険者になった頃って、就職氷河期だったんだよ。魔王の率いる魔物達が本格的に人々を襲い始めて世の中が一気に不景気になったんだ」
「勇者様って確か20代後半の頃に冒険者になられたんですよね? 就職氷河期の前に就職できたのではないですか?」と、ホリィ。
「確かにそのとおりで、俺は村の手伝いとかでそこそこ仕事で雇ってもらえていた。しかし就職氷河期で雇用が全然無くなって……就職氷河期って新卒の求人倍率ばかり語られるけど、実際にはその時期の転職者や失業者のほうがダメージ大きいんだ」
「物凄くしょっぱい話になってきましたね」と、ディア。
「しょうがないから他の街に仕事を捜しに行ったんだけど、俺が村を空けている間に魔物に襲われて壊滅していたんだ。若者の少ない村だったし」
「村ヲ滅ボシタ魔物ヘノ復讐デ冒険者ニナッタノデスネ」と、ライム。
「うん。よくも俺の村と雇用主を滅ぼしたな!という感じで。他の街でも良い仕事は無かったし、村が滅んじゃ家事手伝いも出来ないし、冒険者になるしかなかったんだよ」
「義憤と私怨がほど良くブレンドされて冒険者になられたのですね……」
「ホリィはなんだか呆れ顔になってないかな? 一応義憤のほうが大きかったよ。俺もまだ若かったし、魔物を倒す事で不景気も収まる筈だと思っていたし、その原因である魔王は人類の敵だという事も疑いようが無かったから」
確かにあの頃は「魔王を打ち倒して世界を平和に!」などという青臭い事を本気で真剣に考えていた。そして努力すればそれは達成可能に違いないとさえ思い込んでいた。しかし実際にそれを実現するまでに20年近くの歳月を費やす事となるとは露ほども思っていなかった。若気の至りが中高年まで続くのは苦行でしかなかった。
ディアも元勇者に尋ねた。
「初めてすぐに冒険者がイヤになったんですか? 勇者様に冒険者としてのレベルが低かった時代のイメージってあまり感じないんですけど、なにか危ない目に遭ったりとかで冒険者のお仕事に嫌気がさしたとか」
元勇者は苦笑いした。
「俺が冒険を始めた時なんて、剣の扱い方も知らないド素人だったよ。そんな俺が……」
そこで少し言葉に詰まった。何か愚痴めいた事を言いそうになったのだろう。しかしそれをこらえて、やはり少し困ったような笑顔で話を続けた。
「そんな俺でも最初の頃は冒険者になってよかった!って思っていたよ。弱かったから何度も危ない目に遭ったけど、それでも頑張って戦い続けようと思ってた」
「現在のすこしヒネた勇者様とは逆ですね」
「こんなに素直な中高年に対してヒネてるとは失礼な。ともあれ、危ない目に遭っても村を救って人から感謝されるという事は、とても嬉しい事だった。命をかけるに値する事とさえ思ったよ。友情・努力・勝利って感じの冒険者ライフは、まるで自分が何かのストーリーの主人公になったような気分だった」
少女達は少し意外そうな表情だった。
「それがどうしてヒネちゃったんですか?」
「それは冒険者がフリーランスだったから、かなぁ? 冒険者としてのレベルが上がっていくと、要領が悪いと命をかける価値がどんどん下がっていくんだ」
「フリーランスって、要領で命の価値が下がっちゃうんですか?」
元勇者は大きく頷いた。
「村を襲う魔物10匹を倒すのと100匹倒すのでは、100匹倒すほうが安く扱われる。依頼主から”そんなに強いなら魔物100匹くらいボランティアで退治してくれ!”とか言われたりするんだ。弱いうちは魔物10匹でも”頑張ってくれてありがとう”とか言われるんだけど」
「うわ~。依頼主の気分で命の値段って変わっちゃうんですね」
「酷い時には”知り合いなんだからタダでやってくれ”とか言われるし、偉そうな人からは”偉い俺から仕事を請けた事が宣伝になるぞ”なんて言われたりもする」
「賃上げ交渉とかって出来ないものなんですか?」
「それは魔物退治より難しくてストレスなんだ。依頼主のごきげんを損ねられないし、若手の冒険者が”安値で請け負います!”なんて言いだすから、冒険者として強くなるほど仕事が減って生活が苦しくなる」
「魔物退治の相場も価格破壊が進んでいたんですね。でも強い冒険者だからこそ付加価値でお高い仕事が出来るという事もあるんじゃないですか?」
元勇者は少し言いにくそうに口篭ったが、会話の流れ出し仕方が無いと説明を続けた。
「ベテランの冒険者で稼げるのは、値段分の仕事しかしない事なんだ。例えば魔物退治の仕事の途中で魔物の発生源”ピット”を突き止めたとする。そのピットを破壊とかすれば魔物は出てこなくなる。普通は壊したほうが安全なんだけど、要領の良いベテラン冒険者は敢えて壊さずそのまま放置するんだ」
「それじゃあ魔物を倒して仕事を終えた後に、新たな魔物が出てきちゃいますよね」
「依頼を済ませて仕事量を受け取ってから、ピットを破壊する依頼を受ければ2回お手当てがもらえるというわけさ。俺達のパーティはそういった事が下手だったから赤字続きだったよ」
「冒険者って強いだけじゃ生きていけないんですね……」
元勇者は「優しくなければ生きる資格が無い」と言いかけたが、そういった話でもないので控えた。
「まぁみんなはそういった面倒な苦労をするのは当分後だろうし、昔とは冒険者事情も変わっているだろうから、とにかく怪我しないよう安全第一かつ副業気分で冒険者やるのがいいと思うよ」
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翌朝。
旅支度を済ませた3人娘を見送る元勇者は「本当に冒険者なんてやめておいたほうがいいんだけどなぁ」等とブツクサ言い続けていたが、それ以上の強い制止は出来なかった。
「ディアもホリィもライムも、魔物だけじゃなく他の冒険者達にも気をつけるんだよ。若くて可愛い女の子を狙うのはモンスターだけじゃないんだから」
「ご安心ください、私達、勇者様一筋ですから」
「あと餞別として20種類のアイテムが各99個入る小袋をみんなにあげよう。冒険者の基本アイテムだ」
「それってもう四次元ポケッt……いえなんでもないです。有難く頂きます」
「小袋には何個か”転移のオーブ”を入れておいた。冒険者なんて本業でやるには不安定すぎる職種なんだから、とにかく無理せず、いつ辞めても構わないよう安全第一でやるんだよ」
ディアはクスクスと笑った。
「もう勇者様って心配性なんだから。私達まずはアーティスに報告に行って、それから少しだけ冒険者の世界をお勉強してくるだけですから。剣の扱い方も昨日教えてもらったし、危ない事はしませんからご安心ください」
「そ、そうか……それならいいんだけど」
まるでディアのほうが年長者のように堂々としていて、心配する元勇者のほうが歳下のようだった。年齢に関わらず女性は男より大人に見える瞬間があるものだ。
「最初から長い冒険の旅はしないつもりですから、勇者様は私達がいなくて寂しくてもきちんとした生活をしてくださいね」とホリィ。
元勇者は「ああ」と短く答えた。”寂しくても”というところを否定しなかったのは、その通りだろうと思ったからだ。騒々しい日々が続いたが、寂しさとは無縁だった。望む形ではなかったにしろ何も無い毎日を後悔と自己嫌悪ですごす鬱屈した日々よりずっとマシだった。
「俺も2~3日のんびり過ごした後、暫く旅に出ようと思っているんだ。ディアやホリィやライムが冒険者としての旅に飽きるまで一人ここで待ち呆けているのも虚しいし、ちょっと昔お世話になった人の様子を見に行きたくなったんだ」
「えっ!」と3人娘が驚きの声を上げた。
「大丈夫デスカ、勇者サマ。一人デ旅ガ出来ルンデスカ?」とライム。
「旅先で鬱になったら無理せず休んでくださいね」とホリィ。
「勇者様ってお強いですけど色々と弱いんですから、旅に出るのはやめたほうがいいんじゃないですか?」とディア。
「俺はみんなの中でどんなイメージなんだってばよ」
「私達スグ戻リマスカラ、ソレマデ良い子ニシテお留守番シテイテクダサイ」
「みんな心配性だなぁ。そこまでお子様じゃないって。多分だけど」
いつもの如く少々グダグダな雰囲気となったが、3人娘は転移のオーブでアーティスに旅立っていった。
「……この静けさも久しぶりだな」
広い砦に独身中高年が一人暮らしで、冒険者時代の蓄えを切り崩しながらの質素で陰鬱な毎日が戻ってきた。小娘達のかしましさにも慣れてきたところだったので一層静かに感じた。
(そういえば何か忘れている気もするが……思い出さないほうが良い気がする)