「皇道と覇道」
インモールでの騒動から一夜が明けた。
皆それぞれの疲労を感じ、また肝心な情報を調べているカールが戻らなかった事で山賊カールの謀略について何もわからず、普段よりも穏やかに一夜が過ぎていった。
夜が明けても元勇者の住む砦は静けさに包まれていて、朝食の支度を始めたホリィとその手伝いをするライム、部屋の掃除を担うディアも不要な物音を立てないよう気遣うほどだった。
「もうすぐ朝食の支度が済むのですが、勇者様はまだお休みなのかしら?」
「勇者様ハイツモコンナニ朝ハ遅イ起床ナノデスカ?」
「いえ……歳を取ると早朝から目が覚める、と自虐的に仰る事はあるのですが」
「殿方ハ朝ニハ”朝立チ”トイウモノヲスルト教エラレテイルノデスガ」
「知らない言葉だけど、それを教えたのがシュナさんだったら方向性はわかる気がします」
玄関先と室内の掃除を済ませたディアも、一向に姿を見せない元勇者の事が気になっている様子だった。
「なかなか起きてこないですね。もしかして私達の存在に飽きちゃっているとか?」
「存在に飽きるって、どういう事ですか?」
「勇者様にとってのハーレム展開シチュの事よ」
「えっ!」
「エッ!」
ホリィとライムの驚きの声が、ハモった。
「だって勇者様、寂しい一人暮らしのところに私達がやってきて、私達の事を可愛いとさえ言ってくださって、結婚すれば孤独な独身生活から開放されるし、もちろん私は譲る気は無いけれどお嫁さん候補が揃っているのにちっとも前向きに考えてくださらないのだから、もしかしたら私達完全にお嫁さんとして眼中にないのかも」
実のところ元勇者は最初から若すぎる娘達を嫁に迎える考えは無かった。むしろ眼中に無いと思い込もうとしながら些細な状況に誘惑されまくって心がユラユラ、煮え切らない態度しか取れなくなっているだけだった。何か世間体を気にしないで済む口実でもあればあっさり陥落しそうな気配さえある。
しかし少女達はそれに気付かず、また少女であっても女としての価値を認められたい気持ちがあった。早熟な少女であっても女を否定される事は存在の否定にも似た重大事だった。少女に限らず若者にとって認められる事と求められる事は自己存在の肯定感に大きく影響するものであろう。
「私インモールでは勇者様に生意気な態度ばかり取ってしまったから、もしかしたらそれでご機嫌を損ねたのかも……」
「魔王ヲ倒シタ勇者様ニトッテハ、私ノヨウナ世界初のほむんくるすナドきゃらガ薄イノカモ……」
「私と結婚したらアーティス王家の一族になるという事だから重荷に思っているのかも……」
少女達は、一斉に頭を抱えた。
「なんとかして、挽回しないと……!」
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その頃、元勇者はまだ夢の中にいた。
(……ここは何処だ? 随分懐かしい感じがする)
灰色の空、朽ちた寒村、あぜ道の轍に溜まった雨水は僅かに腐臭を放っている。冷たい風が吹いているのに、少し蒸し暑い。
(そうだ、ここは俺達が救えなかった村だ。懐かしいな)
冒険者の魔物との戦いの旅は、しばしばイベント的な展開となる。魔物が人間を惑わしたり脅したりして、魔物の尖兵として村人などが襲ってくるようなイベントでは、人間と戦わなければ……つまり人間と殺し合いをしなければ黒幕の魔物と戦う事が出来ないような展開だ。
(確かこの村は、四天王のラウバの幻術によって惑わされた村人達が、俺達を殺せば平和になると信じ込んで襲いかかって来たんだっけ。それとも魔物の放った疫病で滅びかかっていた村で、魔物を倒した後も結局村人は村を捨てざるを得なかったところだったかなぁ?)
よく思い出せないまま元勇者は滅んだ村の光景を懐かしそうに眺めた。
(俺達はその時その時で正しいと思った事を全力で頑張ってきた筈だ。当たり前だけど命がけで頑張ってきた筈なんだ。フリーランスだから全ては自己責任だし、思ったような結果にならなかった事ばかりだったけど、それでも頑張り続けなきゃいけないと覚悟していた筈なんだ)
結局この夢の光景が何処の村だったのかは釈然としないままだった。当時は凄くネガティブな感情に苛まれた事は覚えているが、そのネガティブな感情さえ懐かしく思えた。
決してハッピーエンドではなかった筈のこの村の光景を見て懐かしさしか感じないのは、諦めの気持ちの所為だった。
(だって、しょうがないじゃないか。俺達は全力で頑張ったし、出来る限りの事をした。俺達は正しかった筈だし、他にもっと良い方法があったとも思えない。魔王を倒してから隠居の3年間毎日もっと良い解決方法が無かったのか?と考えても全然わからないんだ)
過去を後悔する事は旅に似ている。もし経験した事を経験しなかった場合どうなっていただろうとIFの妄想を巡らせ、そして迷子になる。しばらくは道に迷っている事も気付かないまま想像を前に進める。何もかもわからなくなった時にようやく迷子になっている事に気付くが、旅での見知らぬ街では迷子になった事で見れた景色も貴重な思い出となる。過去の様々な可能性を想像してみても答が出る筈は無く、しかし答が出なかった事に安堵もするのだ。
灰色の夢の中、元勇者は人影に気付いた。
光の加減の所為か、目が霞んでいるのか、顔はよく見えない。ただジットリとした目つきで元勇者を見つめている事だけは判った。
「……久しぶり」
元勇者は相手が誰かもわからないまま挨拶をした。ただ何処かで会っている事は確かに思えた。
相手は返事をせず元勇者を見つめ、そしてうなだれた。
「もう、すっかり疲れ果ててしまったよ」
相手は溜め息と共に呟いた。建物の壁に寄りかかり、しゃがみこんだ。
「冒険者稼業は辛いよな」と元勇者は言った。他に相槌が思い浮かばなかった。
「もちろん厳しい事は覚悟していたさ。それでも他に出来る事も無いから頑張ってきた。でももう……俺も若くないから、若かった頃の覚悟に耐えられなくなってきた感じがするんだ」
「わかるよ。凄くわかる」
「冒険者ってもっと単純に、悪を倒して正義が勝つものだと思い込んでいたんだ。頑張れば平和と幸せが訪れると思っていたんだ。若い頃の俺はなんて愚かだったんだろうと後悔するよ」
「でもお前は……俺より若いじゃないか。自己責任のフリーランスに平和が来るかはわからないが、少々の幸せなら得られるかもしれないさ」
「得られると思うかい?」
元勇者は心の中で「どうせ得られない」と思った。
しかし「きっと得られるさ」と答えた。
「ふふっ、お前は嘘が下手だな」と相手は乾いた笑い声を漏らした。
元勇者も苦笑いするしかなかった。
元勇者が話している相手は、かつての自分だったようだ。
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灰色の夢は揺らいで闇に消え、次第に目覚めていくのを感じた。
(少々の幸せなら得られるかもしれないだなんて、随分と侘しい希望しか語れなかったな。どうせ夢なら昔の自分にもっと希望を与えるようなことが言えたら良かったのに)
魔王を倒してさえ失望と失意ばかりの元勇者だが、失望するまでの間は希望を抱いていたほうが幸せだっただろう。灰色の夢の中の昔の自分は希望も無いまま魔王と戦い、倒しても報われない気分しか得られないだろう。それでは昔の自分があまりにも可哀相だ。せめて夢の中だけでも希望を与えてやるべきだった。しかし元勇者にはその希望が何かわからなかった。
瞼の向こうに朝日を感じ、ゆっくりと目を開けた。
「あっ! おはようございます勇者様!」
目の前には、シャツの首もとの隙間から丸い乳房の谷間が揺れているのが見えた。
(Oh! 目覚めていきなりの”少々の幸せ”ッ!!)
マシュマロのように白く柔らかそうに揺れているのは……ホリィの胸だろう。既に風呂でマッパな姿を拝顔しているが、着衣から見える光景には別の素晴らしさがあった。
どうやら元勇者を起こそうと馬乗りになっているようだが、前かがみになるとかなりきわどいところまでシャツの奥が見えてしまう。子供が父親を起こそうとしているシチュエーションと同じではあるが、決定的に胸のふくらみが違った。
「少しうなされていたようですけど、悪い夢でも見ていたのでしょうか?」
「い、いや、いつもと同じような夢だったよ」
確かあまり良くない夢を見ていた筈だが、夢は覚醒するほど記憶が薄れていくものだし、目の前で揺れるふたつの果実から目が離せなかった。
「ホリィちゃんだけ勇者様と密着して、ズルイ!」
寝ている元勇者の上にディアが飛び乗った。
「うふふ、寝込みを襲われるなんて勇者らしくないですね!」
「自宅で寝込みを襲われたら、おちおち熟睡できないじゃないか……」
そうはいいつつも揺れる果実が合計4つに増えた事で、元勇者の視線は泳ぎまくった。
ホリィもディアも子猫のように戯れているだけのつもりだろうが、無垢な少女には不釣合いなほどの見事な曲線美が眼前で揺れていては無邪気では済まない。ホリィの細いウェストが曲線美を際立たせ、ディアの肌の奥で若い筋肉が弾んでいるのが伝わってくる。
「そういえばもう一人、ライムは何処にいるんだ?」
言いかけた時、毛布の中で誰かが足元から伝い上がってきた。小柄な身体につるりとした肌。
「勇者サマ、”朝立チ”シテマスカ?」
「大ピーーーンチ!!」
毛布の上から馬乗りになっているホリィとディアからは元勇者の下半身事情は判らない筈だが、ライムに毛布の中から探られては抗う術は無い。中高年の元勇者は朝立ちという事も殆ど無い日々だったが、目覚めと同時に若い少女の無自覚な誘惑に直面していては若干の変化も起きてしまう。
「私の肉体構成ニハ良質ナ蛋白質ガ不可欠ナノデ、宜シケレバイマ出シテクダサルト嬉シイノデスガ」
「蛋白質なら朝食の卵焼きとか大豆で摂りなさい! そこ触っちゃダメ!絶対!」
ライムの小さな手が場所を確かめるように下着の上から元勇者の絶対領域に触れた。慣れない触り方で中を探ろうとする感触に、視界には乳房を揺らす2人の美少女。ラッキースケベの四面楚歌だ。
「こうなったら仕方が無い……卍解ッ!!」
精神を集中し戦闘モードに切り替えると、元勇者の固有スキル”フィアー”が発動した。ハイレベルの冒険者が放つ覇気による恐怖でレベル差のある者を退ける能力だ。
きゃっ、と声を上げて少女達はベッドの上からコロコロと落ちた。3人の美少女は一瞬驚き怯えた様子を見せたが、窓の外でチュンチュンと雀の鳴き声が聞こえてくるとすぐに普段通りの様子に戻った。
「いたた……まだ何もしてないのに、なにかご機嫌を損ねるような事したかしら?」とディア。
「どうしたんですか急に? 私達は勇者様を起こそうと思っただけなんですが」とホリィ。
「私モ、勇者サマノ下半身ガ起キテ朝ダt」
「おおっとライム、お喋りはそこまでだ。余計な事はなにひとつ言わないように」
陰鬱な夢から覚めた途端にラッキースケベ展開は、中高年には血圧に悪い。
それにしても魔王を倒した元勇者のフィアー能力でも少女達はさほど怯えずケロッとしているのだから、妙なレベルが上がってしまったのかもしれないと思った。
「このままでは危険だ。とりあえず起きなくては……」
元勇者は起き上がろうとしたが、何故か身体が動かなかった。
「クッ……どうした事か? 身体が動かない……足も腕も力が入らない……ッ!!」
「どうしたのですか、勇者様?」とホリィが心配そうに見つめた。
「まるで全身がパラライズ(麻痺)の状態異常になったように、動かす事が出来ない……」
「どっ、どうしましょう? 私の回復魔法で治せるかどうか……」
様子を見ていたディアが、一言。
「勇者様、もしかして筋肉痛ですか?」
「えっ」
「昨日は伝説のドラゴンとの一騎打ちでしたから。たしか3年ぶりに本気の戦闘モードで戦ったのではないですか?」
「あぁ~、なるへそ」
言われて見れば、確かに。
元勇者は身体を動かそうと試行錯誤し、そして高らかに笑った。
「フハハハハ! 筋肉痛が1日遅れではなく翌日すぐに来たぞ! ワーッハッハ!!」
「ナ、ナニガソンナニ楽シイノデショウカ……?」
「いや~、俺の歳にもなると1日遅れとか、稀に2日遅れて筋肉痛になる事があるから、運動した翌日に筋肉痛なら俺もまだまだ若いという事だ!」
少女達は(加齢を気にしている時点でお歳なのでは)と思ったが口には出さなかった。心優しい少女達である。
「動けないなら、添い寝しちゃおうかしら」と、ディア。
「あっコラ、無抵抗の元冒険者を襲ってはイカン。人道に反する事だぞ」
「何故そんなに拒まれるのです?」
「あ、あの……寝起きで汗臭いし、加齢臭とかも気になるし……」
「勇者様って身だしなみを整えれば10歳や15歳は若くお見えになられるのに、案外とそういった事をお気になさるんですね」
「中高年はそういった意識を忘れるとみるみる小汚くなっていくものなんだよ」
「それは伴侶となる者がお世話しますから、お気になさらず」
そういえば他の冒険者が結婚した途端に衣服のセンスが変わったのを幾度も目にしたなぁと思った。男のファッションなんて結局は異性の目を引く事が第一目的だから、それを度外視すれば着の身着のままの無頓着で何も問題はなかったりする。結婚後に奥さんの着せ替え人形と化す事はなんら不思議はなかったが、魔王討伐とかより家庭を守る事が一番になったんだろうなぁと思ったりしたものだ。同じ道を歩んでいた筈の者達がいつのまにか別の道に進んでいる事には一縷の寂しさを感じた。同類と思っていた者達が同類ではなかった寂しさ。自分だけ取り残されたような寂しさ。
「アッ、勇者サマのてんしょんガ、ミルミル下ガッテイクヨウニ見エマス!」とライム。
「なにか勇者様のトラウマを刺激してしまったのでしょうか?」とホリィ。
「勇者様って魔王を倒した割に、あちこち意外な所に地雷がありますよね」とディア。
筋肉痛でまな板の上の鯉状態の元勇者は少女達に何をされても抵抗できない状態だったが、どうやらキャッキャウフフという雰囲気から遠のいた事で3人娘も強引に迫るのを控えた。
「おじさんは筋肉痛なので二度寝しますー。みんなは先に朝食とか済ませてくだしあ」
「私アーティス王家の者として躾けられてきたので、二度寝ってした事ないんですよね……」
「ディアは奔放なようで案外としっかりしているのは、王族としての教育の為か。あの王様もそういったところは結構しっかりしているんだな」
「なので私も一緒に二度寝してもよろしいでしょうか?」
「二度寝は構わないけど”一緒に”というのは年頃の娘さんの教育上よろしくないのでは」
「私モ二度寝、シタイ!」とライムが声を上げた。
「わ、私もします!」とホリィも手を挙げた。
3人娘はもぞもぞと毛布の中に潜り込んだ。ディアとホリィが両脇、ライムは腰に抱きつくような格好だ。もちろん元勇者は抵抗しようとしたが、波打つベッドで全身筋肉痛では身動きが取れない。
ポジション取りで少々騒々しくなったが、その後は案外とおとなしく、誰かがあくびをしたのにつられて3人とも早々に眠りに就いていった。
(まぁ添い寝という程度なら問題は無いだろう……無いという事にしよう。うん。部屋着の布越しに少女の柔肌が感じられるが、シチュ的には娘と一緒に寝るお父さんとか子猫に囲まれた飼い主といったところだろう……うむ、問題無い!)
全身筋肉痛で動かない身体では3人の少女を押しのける事も困難だし、身体が回復するまでは寝る他に無い。
しばらくは不可抗力のラッキースケベ状況に内心ご満悦だった元勇者だが、しばらくするとその表情が歪んでいった。
(わ、若い子って案外と体温が高いんだな……正直、暑い……!)
若者の血行の良さに比べれば中高年の血流の悪さはミイラのようなものだ。
若くはつらつとした少女達を肉布団にしている元勇者は(あるミツバチは外敵のスズメバチを大勢で取り囲み、その体温で蒸し焼きにして倒すらしい)という事を思い出した。
(あ、暑い、喉が乾く、逃げ出したいけど動けない……)
すやすやと眠る少女達を振り払う事も出来ないまま、元勇者は次第に意識を失っていった。
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二度寝を終えた少女達は、屍のように深い眠りに就いている元勇者を起こさないようキッチンに行き、昼食を済ませた。
丁度その時エントランスのほうから”キュピーンキュピーン”という音が響いた。瞬間移動できるマジックアイテム”転移のオーブ”の音だ。
「しまった、どうやら食事時を逃してしまったようだ」
恰幅の良い身体を揺らしながら姿を現したのは、もちろんカールだ。
「カールさん、少しダイエットを意識しないと糖尿病になりますよ?」と、ホリィ。
「歳を取ったら少し太っているぐらいじゃないと貧相に見えるから、無理してやせる必要なんて無いよ」
「少しと言うには限度を越えている気もするのですが……」
「大は少を兼ねると言うし、細かい事は気にしない気にしない」
「細かい事と言うのも限度はあると思うのですが……、まぁストレスは無さそうですよね」
ディアがカールに話しかけた。
「ところでインモールでの、山賊セシルさんの秘密組織”希望の暁”の調査はどうでしたか?」
「色々とわかったが、”希望の暁”なんて名前に似つかわしくないほど悪どい組織だったよ。ユートを殺す為に伝説の火竜グラムドリンガーをインモールに転移させたのもセシル達の謀略さ。みんなよく無事に逃げ延びたな」
「伝説のドラゴンは勇者様が追い払ってくれましたので」
「ユートが? たった一人でグラムドリンガーと対峙するなんて危険すぎるから、てっきり巻き込まれる前に逃げていたと思ったんだが」
「あのう……やはり強い敵とは戦わずに逃げるのが普通なんでしょうか?」とホリイが尋ねた。
「勿論。死んだらそこでゲームオーバーだから、死なない事が冒険者の一番重要な基本ルールなんだ。強力な蘇生魔法でも回復できるのは仮死状態までだし、ドラゴンに踏み潰されてバラバラのミンチになったら治しようが無いからな」
「それが弱者を助けたりする場合でも、でしょうか?」
「川で溺れている子供を助けようとした大人が命を落とす事も多いだろう? 助けられないのに助けようとする事は何もしないより被害者が増える場合もあるんだ」
「そうですか……そうですよね……」
ホリィはインモールの街でケモミミ少女ミーケを助けようとした事が蛮勇だった事を改めて思い知り、表情が曇った。
「で、グラムドリンガーと戦ったユートはどうしているんだ? 相打ちで死んだか?」
タイミングよく元勇者が姿を現した。
「俺を勝手に殺すな」
元勇者は3人娘が食事をしている間に風呂に漬かって筋肉痛を癒していた。全身筋肉痛で思うように動けない状態では風呂でのラッキースケベをかわしきれないので、3人娘が昼食を食べている間にこっそり風呂に入っていたのだ。
「魔法スキルもないのに、よくグラムドリンガーと戦う気になったな」
「俺も少しは回復魔法を使えるぞ。数字で言えば3~8ポイントほど回復する事が出来る。体力の上限値が9999の場合でだけど」
「それもうフラシーボじゃないのか? そんなんで伝説のドラゴンと戦って、よく生き残れたな」
「回復魔法は初心者レベルだが、攻撃スキルは一応それなりにあるからな」
「いつもの戦術か? 瞬間的に攻撃力を倍化させるスキルの」
「ドラゴン相手に普通の攻撃じゃ時間がかかって俺の体力が持たないからな。ただ、殆ど効かなかったよ。攻撃を受け流されて殆どダメージを与えられなかった」
「まさか四天王の時に使った必殺技”倍化している間に更に倍化”の4倍攻撃をやったのか?」
「いやいや無理無理、もう俺の身体が持たないよ。グラムドリンガーには話し合いでお引取り願った。長生きしているドラゴンなら人語が通じる事が多いから、まぁ運が良かったよ」
「運が悪けりゃ死んでいたぞ?」
「人はいつか死ぬもんだ。それに長い冒険の間には不老長寿を求めるジジイも結構いたが大概ゲス野郎ばかりだったじゃないか。ああはなりたくない」
「それはそうだが、オレはもう少し生きていたいね」
中高年トークにディアが水を差した。
「山賊セシルさんの動向はアーティスや近隣の都市の平和を脅かすかもしれないんだから、そろそろ調べてきた事を真面目に説明して欲しいわ」
ディアはアーティス王家の者として、この問題を真剣に考えているようだ。
2人の中高年も他愛の無い話でグダグダしている場合では無い事を察し、カールは潜入調査の結果を話し始めた。
「カールの山賊チーム”狼煙獅子団”と、街を牛耳る”希望の暁”は案の定同じ組織だ。しかしオレ達が相手をするには少々厄介かもしれない」
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山賊チーム”狼煙獅子団”と、インモールの商工会に深く根を張る”希望の暁”は、コインの表裏に等しかった。
”狼煙獅子団”が山賊行為で金を集め、その金を”希望の暁”インモールの商工会の重鎮を操る為の裏金として使い、従わない者は”狼煙獅子団”が暴力や脅迫で痛めつけ、その悪行を”希望の暁”が揉み消す。
インモールは表向きは民主的な自由貿易都市だったが、その民主制は”かつてアーティスを救った7勇者のリーダー”であるセシルにとって都合が良かった。かつて英雄だった事は事実であり、インモールの人々の支持を得る事は容易かったようだ。
セシル自身は滅多に人前に出ない事で元英雄としてのブランディング価値を高め、セシルが立ち上げた”希望の暁”を特別な組織に仕立て上げていった。
セシルが支配力を強めていった結果、インモールは民主的な都市のまま”権力が一極集中した共産的都市”に変容していった。セシルは”民衆を騙せば合法的に独裁できる”という民主主義のセキュリティホールを堅実に攻め続けたのだ。
山賊”狼煙獅子団”に身を落としたセシルが”希望の暁”を立ち上げてインモールを支配し始めてから既に5年以上経っており、インモールの実質統治を担っている商工会の上層は完全にセシルの支配下になっていた。
「もちろんユートにグラムドリンガーをけしかけたのも山賊セシルのやった事だ。わざわざ火吹き山を攻略して”転移のオーブ”を使って呼び寄せたのさ」
「俺が街で目立つように行動した直後に火吹き山を攻略したのか? 随分と手際が良いな?」
「いつユートがインモールに来ても襲えるように準備していたようだ」
「脅しが過ぎたかな? やっぱり山賊退治の時に問答無用でセシルを殺しておくべきだったかな」
「そのセシルの書いたらしいノートを何冊か持ち帰ってきた。見てみるか? ゾッとするぞ」
「どれどれ、セシルは日記なんて書く律儀な正確だったっけ? ……うわぁッ!!」
元勇者はノートを開くと「呪」の文字がびっしりと書き込まれていた。
「怖っ! ほんこわっ! なんでこんなデスノート持ってきたんだよ! それも何冊も!」
「日付を見てみろ、この呪いの文字は別にユートに向けて書かれたワケじゃなさそうなんだ」
「日付?……10年前とか5年前とかか。セシルが冒険者を辞めて山賊になった頃とか、”希望の暁”でインモールを支配し始めた頃とかになるのか」
「つまりユートがセシルを脅す前からずっとメンタル病んでいたんだろうな。多分だが、冒険者を辞めた頃から」
「7英雄時代のリーダーもフリーランスの苦労には勝てなかったのか。そして病んだまま悪の組織を結成というわけか……世知辛い世の中だなぁ」
「他のページも見てみろよ。呪い以外にも何やら書いてあるんだ」
パラパラとページをめくると確かに断片的なキーワードが書かれていた。
他の文字が「呪」ばかりなので目につきやすかった。
「えぇっと……”人類補完計画”とか”新世界の神となる”とか……別の意味でヤバそうな事が書かれているぞ」
「セシルはユートと同世代だったよな?」
「ああ。カールより数歳年上の、俺と同じアラフィフ世代だ」
「いい歳したオッサンが、こんな妄言を書き連ねたノートを後生大事に隠し持っているというのは、どう思う?」
「俺もそれなりに病んでいる自覚はあったが、こんな中二病めいた事を真剣に考えているならセシルは正に”死に至る病”の末期だよ。狂ってる」
「日々絶望に打ちひしがれているユートがそう言うのなら相当だな」
「俺は常識は捨てずに持ち合わせているからな。しかしセシルはそうではないようだ。絶望しかない人間というのは相当危ないぞ」
ディアが尋ねた。
「山賊セシルさんが危ないメンタルという事は判りましたが、現状においてアーティスはどのように対処すべきなのか、もう少し具体的な情報は無いのでしょうか?」
「オレが調べた情報だけではわからない事も多いが、セシルは本当に神になる事を望んでいるようだ。たとえば愚民化政策でインモールの市民の判断力を奪おうとしたり、実際に実行されているかはわからないが他の街を争わせて衰退させたり、鉱山や農地の権利を奪って実効支配する事を目論んでいるようだ」
「それは実際に行われていたり、行われる証拠があったりするのですか?」
「それが……無いんだ。昨日のドラゴン騒動の後もインモールの街を調べ続け、相応に信憑性のある情報は得られたんだが、物的証拠というものが全然出てこないんだ。黒い噂が立つと逆の噂が広められて何が本当なのか誰にもわからなくなるといった感じさ。多分”狼煙獅子団”の山賊達も本当のところまでは知らされていないんだろう」
「それは……困りました。もっと具体的な謀略の証拠があればアーティスも軍を動かして制裁を行う事が出きるのですが」
「なにしろ昨日のドラゴン騒動だって、街の噂じゃユート達が悪いという声も多くなっていたからな」
ムッとした顔でライムが怒った。
「ヤッパリ納得デキマセン! 勇者様ハ絶対ニ正シカッタデス!!」
「まー正しく無い事に頑張る若さと元気も無いしなぁ」と、元勇者。
「それでも街の声は半々といった感じだったよ」とカールがたしなめた。「酒場のベテラン勢とか過去の戦乱を知っている世代はユートがインモールを救った事を結構きちんと理解している様子だった」
黙って話を聞いていたホリィが素朴な疑問を呈した。
「……どうして山賊セシルさんは、悪党になったのでしょうか?」
簡単なようで明確にはわからない問いかけに一同言葉に詰まった。
「悪党にも2種類いて、悪い事を悪いとわからずに生業にしてしまった悪党と、悪い事と知りながら自己正当化して生業にする悪党がいる。厄介なのは前者だが、深刻なのは後者のほうといった感じかなぁ」
元勇者はとりあえずの一般論を語ってみたが、あまり明快な回答ではなかったようだ。
「山賊セシルさんも元々は世界の平和を志した英雄のリーダーだったんですよね? それがどうして悪党になったのでしょう?」
安穏とカールは答えた。
「魔王を倒さんとする冒険者の辿り着く先は、皇道か覇道のどちらかさ。こちらにおわす魔王を倒した勇者ユート・ニィツも、もう少しネガティブをこじらせていたら山賊セシルと同じ道をたどっていたかもしれないんだ」
不安そうにホリィは尋ねた。
「勇者様は……セシルさんのようにはなりませんよね?」
元勇者は苦笑しつつ、言った。
「ならないと思うよ。でも確かに俺とセシルは同類なのかもしれない」
ライムは真剣な瞳で元勇者に言った。
「同類デハアリマセン。絶対ニ。私ハ信ジテイマス」
実のところ元勇者が山賊退治の時に「仲間に入れろ」と言ったのはあながち冗談とも言い切れなかった。正しい事をした筈なのに理解されない苦痛と苦悩は善悪の価値観を歪めていく。魔王を倒した勇者ユート・ニィツも例外ではなかった。報われない戦いの日々に人生を浪費した事を後悔しつつ、善悪に関係なく認められる事や利が得られる事のほうが苦悩や苦痛は少ないのではと考える事もしばしばだった。
しかし元勇者が全く予想しなかったタイミングでホリィやディア、そしてカールやシュナやライムが訪れてきた事で、過去の禍根から心が闇に飲み込まれるヒマが無くなってしまったのだ。
(もしこの騒々しい連中と出会ったり昔の仲間だった奴等と再会していなければ……いつか俺は山賊セシルのような邪の道に迷っていただろうな)
中高年になっても道に迷うし正解もわからない。そんな時にホリィの純朴さやディアの素直さ、ライムの純粋さが迷いを消してくれる瞬間があった。
「みんなありがとう。俺はセシルのような道には進まないようにするよ。約束する」




