表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元勇者は禍根渦中  作者: 数ビット
2/46

「歴史は舌先三寸で作られ」

「畜生っ! 何がアーティスの戦いが最終決戦だよ!」


 仲間の一人が泣きながら叫んだ。

 近くには山のように巨大なドラゴンの屍が横たわっていた。

 仲間達は皆、強大なドラゴンとの戦いに恐怖し絶望した。巨大な山が子猫のように俊敏に動き、視界を遮るほど大量の炎を撒き散らして襲いかかってきたのだ。満身創痍になりながらも運良くドラゴンを倒す事が出来たが、緊張の糸が切れた途端に全員がガタガタと震えだし涙を垂れ流した。7人の英雄を以ってしても、ドラゴンを倒せたのは本当に運だけだった。


(あぁ、この頃の俺達は7人の英雄と呼ばれていたんだ……。アーティスを襲った魔族軍の大軍勢を倒せば、もう敵の戦力は殆ど残っていないだろうと思いこんでいたんだ……)


「もうヤダ! もうヤダ! もうヤダ!」


 この頃クレリックを務めていたのはローザだ。自慢のロングヘアーはドラゴンブレスの炎によってチリチリに焼け焦げ、絶え間なく回復魔法を唱え続けていた事で魔力は尽き果て、戦いの最後には狂ったようにメイスでドラゴンの固い鱗を叩き続けていたので手首を捻挫していた。


「うわああああん! 怖かったよぉ! 怖かったよぉ!」


 子供のように泣きじゃくっているのはバーバリアンのハガーだ。近接戦闘を得意とする巨漢のハガーも巨大で強大なドラゴンにとっては小粒な餌でしかなく、踏み潰されないよう逃げ回るのが精一杯だった。その渾身の一撃もまるで効果が無く、ドラゴンブレスの炎に焼かれ巨大な翼の風圧に吹き飛ばされながら、踏み潰されないよう逃げ回って九死に一生を得た。


「ねぇ?オレ生きてる?ねぇ?オレ生きてる?ねぇ?ねぇオレって生きてる?」


 アーチャーのクロビスはうずくまって地面に向かって問い続けていた。熱風吹き荒れるドラゴンとの戦いの場で家宝の弓矢はすぐに使い物にならなくなった。熱で歪み伸びきった弦を必死に張って攻撃を続けたがついにドラゴンの鱗を貫いた矢は1本も無かった。幾度もドラゴンの翼に叩きつけられ尻尾に弾き飛ばされ、護身用の短剣も突き刺して抜けず、いまもドラゴンの屍に刺さったままだ。


「……」


 格闘家のルナーグは失神したままだった。近接戦闘で肉弾戦が得意であっても拳で山を破壊する事は出来ない。普通の魔族に対しては圧倒的な強さを誇ったルナーグもドラゴンに対しては全く無力で、ドラゴンに睨まれた瞬間に格闘家の自分の存在を全て否定されたように感じていた。格闘スキルに費やした人生が否定されたようなものだった。最強の格闘家ルナーグは戦う前に自身の尊厳全てを失ったのだ。


 ウィザードのシュナは普段は美人である容姿とは裏腹に、魔力を完全に使い果たして立ったまま失神していた。白目を向いて硬直しているシュナのローブはあちこち燃えていたが、シュナは石化しているかのように微動だにしなかった。


「何が7人の英雄だよ! こんな事やってられるか! どうして誰も俺達を助けてくれないんだ! 英雄は助けちゃいけない決まりでもあるのかよ! 俺達を英雄と呼んでおだてていれば魔族との戦いを押し付けられるってだけじゃないのかよ!」


 そう叫んだのは聖騎士でリーダーのセシルだった。セシルも恐怖でがくがくと振るえ、涙を流していた。


「俺達が死にそうになって戦っているのに、街の連中は魔族に怯えながらも何もしちゃいない! こんな戦いに正義も何も無かったんだ!」


 そう言うとセシルは悔し涙と嗚咽を漏らした。ドラゴンと戦って勝利した英雄とは思えない陰惨とした状況だった。


 とりあえず俺は声を出した。


「……ケテ……タスケテ」


 ドラゴンが炎を吐き終わった瞬間、やぶれかぶれで口中に飛び込んだ。口の中なら固い鱗がないので剣が刺さるだろうと思ったが、分厚い肉を貫くのは人間の力では無理だった。ロングソードを突き立てたがどうにもならず、逃げ出そうとしたが足が牙に引っかかってドラゴンの口の中から出られない。俺を噛み砕こうとした力でロングソードがドラゴンの脳天を貫き、そのまま動かなくなった。


「タスケテ……」


 俺は声を振り絞ったが誰にも声は届かず、放置された。

 魔力は使い果たして誰も回復魔法を扱えず、誰もが酷い火傷や骨折の痛みに悶え苦しんでいた。助けられたのは俺がドラゴンの口の中で圧死しかけて気を失った後の事だった。


(……あぁ、なんて酷い戦いだっただろうか。後に竜殺しドラゴンスレイヤーの称号を得て称えられたが、そんなものはただの呼び名でしかないし、ただの呼び名の為に命を捨てる意味なんてありゃしない。街の人々は馬鹿な俺たちをおだてていればタダで戦ってくれるだろうとでも思っているのだろう……悪意ではなく善意の心で)


 結局この戦いの後「7人の勇者」のうちシュナを除く5人が戦う事をやめた。誰もが少し心を病んでいた。

 一番心を痛めていたのがリーダーだったセシルだ。真面目で正義感が強く、絶望的な状況でも果敢に戦い続けた。俺の剣士としての腕もセシルに学んだ事は数多い。

 しかしセシルも戦いの後に平和が訪れる事を確信できなくなった事で次第に迷いが生じるようになっていった。倒しても倒しても尚襲い掛かってくる魔族軍との戦いにすっかり疲弊しきっていた。先のアーティス戦が人類の存亡を賭けたかのような大軍勢を率いた大規模な戦いであり、多数の犠牲も伴ったものであったのに、たった1匹の巨大なドラゴンの強さはその戦いを凌駕する絶望的なものだったのだ。


 その後は1ヶ月ほど周辺調査という名目で弱い雑魚敵とばかり戦って茶を濁したが、いよいよ命を賭して戦う意義を見失った5人は魔王討伐の旅を辞める事となった。

 残ったのは俺と、魔法使いのシュナだけだった。魔王討伐の旅を辞める口実が咄嗟には思いつかなかった2人だ。

 2人は途方に暮れつつも仕方が無く魔王討伐の為の情報を集め続け、その道中でクレリックのグレッグとアーチャーのカールがパーティに加わった。


(魔王の城の前でさっさと故郷に帰った時にはムカついたけど、通風で亡くなったのは可哀相だな……。グレッグも旅の後半では心を病みかけてたんだよなぁ……。せめて美味いもん食って楽しい思いをしていたのなら良いんだがな……)


 元勇者が昼寝から目覚めた時には日の沈んだ空の色がオレンジから紺色に変わる最中だった。

 元勇者の枕は涙で濡れていた。


---


 元勇者はトイレに向かった。

 元々は魔王討伐の革命軍の為に用意された砦なので十分な広さがあり、設備も整っていた。近くに源泉が湧き出ている事を利用して24時間風呂も完備していたが、これが「金属製の武具を補完するのに適さない」という問題となり殆ど使われず放棄された。その放棄された砦を個人住宅として再利用しているのだ。


(あのコワッパ共もそろそろ退屈して帰った頃だろう)


「勇者様、台所をお借りしています」


 ホリィの健気な声に、元勇者はガックシとうなだれた。


「食材もお借りしてます~! きょうは私たちの手料理で勇者様の心を掴んでみせます!」


 ディアの言葉に元勇者は(きょうは、って事は明日も居座るつもりでいるのか)と心の中でツッコまざるを得なかった。


「あー、おじょうちゃん達、暗くなる前に帰るように言わなかったっけ?」

「ワタシは旅費を使い果たしてしまったので帰るに帰れないのデス……」

「わ、私もです!」

(ホリィはまだ旅費がない設定を続けるつもりなのかぁ)

「しかしご厄介になる分はワタシの身体で賄いますからご心配なくです!」

「ディアは一応アーティスのお姫様でしょ」

「私も勇者様に身体でお尽くししますから、どうか御甘受くださいませ!」

「ホリィは自分でナニ言ってるかわかってんのかなぁ」


 元勇者はゴホンと咳払いをひとつ、改めて少々気が滅入る自己説明をした。


「俺はもう勇者じゃなく、ただの中高年のヒキコモリ独身中高年だ。年頃の娘さんたちがひとつ屋根の下にいていいようなキャラ設定じゃない。宿代ぐらいは俺が出してやるから、これからでも街に行って宿屋を探すんだ」


「宿代を出していただけるのでしたら……もう少しまともな食材を買うほうに使いたいのですが。穀物や根菜などの保存が利くものばかりで栄養バランスが心配です」

「まぁ独身中年の食生活なんてこんなもんだよ」

「干し肉や乾物とか、お湯で煮込めば食べられるインスタント食材も多いです」

「いや独身中年の食生活なんて適当なもんだよ」

「なので私とディアが勇者様に少しでも美味しいものを食べて頂こうと考えたのです」

「そしてドチラの料理が美味しかったかでワタシとホリィのどちらをお嫁さんにするかを決めるのです!」

(俺が昼寝している間に、よからぬ勝負事を勝手に始めやがって……)


 中高年になると勝ち負けに対する興味が薄れる。魔王を倒した勇者なら尚更だ。勝った負けたの駆け引きに身を投じる若さがある頃は刺激的でもあるし自分の価値を見出せるような気分にさえなる。しかし我が身が老いてくると物事の勝敗よりも血圧とか老後の不安とかのほうが重要に思えてくるのだ。ましてや魔王を倒したのに何の成果も評価も得られなかった元勇者にとっては勝つ事に価値さえ見出せなくなっていた。


「……とりあえず食材をオモチャにしないように」


 勇者はキッチンに背を向け、リビングスペースに向かった。


 この砦も元々は革命軍の兵士数十人が寝泊りできるよう作られたものだった。1階は広々とした空間で、入り口には馬を繋ぎ、甲冑を着て身支度を整えるスペースがあったが、中高年の一人暮らしには不要なのでリフォームし、広いエントランスの隣にリビングスペースを作った。キッチンは中高年一人でリフォームするのは無理だったので、テーブルを設けてダイニングスペースにした。


 1階の奥にはこの砦が廃棄される原因となった24時間風呂があり、他には物置やゲストルームが多数あった。一人暮らしには広すぎる住処だったが元勇者の日常は特にする事も無いので広い砦の掃除が日課となっていた。


 普段なら簡素な食事で済ませる夕食だが、いまはホリィとディアがキッチンを占領している。2人の間に入って一緒に夕食を作る気は起きないし、正直なところ自炊以外の料理を食べてみたい気分もあった。


 元勇者は煙草葉と煙管を手に、砦の2階のバルコニーに行った。街に背を向けた方角を向くバルコニーからは地平線に消え行く夕日のオレンジ色の帯がゆらめき、群青色の夜空に星が輝き始めていた。


 煙管に火を点しゆっくりと煙草の紫煙を吸い込んだ。

 この平和で美しい景色を眺めながら毎日のように「俺の戦いの日々は何だったんだろう?」と考えた。

 元勇者は20代の後半から40代初頭までの10数年の人生を賭して魔王を倒す為、つまり正義の為に戦い続けた。その執念の戦いはついに身を結び、魔王を打ち倒して世界に平和がもたらされた。……それだけだった。


 人生の中でも最も成熟している働き盛りの年代に、定職にもつかずふらふらと世界中を旅して魔族軍と戦い続けた日々に何の価値があったのだろう?と考えずにはいられなかった。人々の平和の為に戦い、感謝された事も多い。しかし助けた人々はそれぞれ自分達の暮らしを守っていて、結婚し家族を作って日々の営みを続け、その空き時間に感謝したに過ぎない。


(伝説の勇者の末裔でもなく特殊な才能があったわけでも無い一般人の俺が最終的には魔王を打ち倒した。つまり他の誰でも勇者になれたんだ。そりゃぁ俺も魔王を倒す為に経験値上げまくって努力したわけけど、もしかしたらその努力は盛大な勘違いだったのかもしれない……)


 魔族に村を焼かれて成り行きで冒険者となった元勇者より、農民や木こりのほうが腕力などの初期ステータスは高かった事だろう。なのに元勇者は復讐と義憤に駆られて戦士として魔物と戦い続け、冒険の止め時が見つけ出せないまま魔王を倒してしまったが、もっと強い誰かが魔王討伐の旅をしていればもっと早く魔王は倒されていたかもしれない。


 冒険が止められなかったのは、長く冒険を続けた事で魔王討伐に関する情報に一番詳しい集団になってしまった為だ。魔王トラブルは「7人の英雄」か「4勇者」に頼めば解決!といった風潮さえ生まれていた。他に魔王討伐の役割を担ってくれる者が現れなかった為に止む無く冒険を続けていたところがあった。


(「7人の英雄」時代の仲間が去ったのも、あのドラゴンとの戦いでの絶望感を何度も何度も味わっていれば当然だよなぁ……)


 7人から2人になった事で魔王討伐の旅も終わるかと思われたが、近くの村まで送った時にクレリックのグレッグと出会い、道中で魔物に襲われていたアーチャーを助け、なんやかや成り行きでシリーズ後半戦「4勇者」シーズンとして旅が続いてしまった。勿論仲間になったアーチャーのカールとクレリックのグレッグにはしばらくドラゴンとの戦いの恐怖については隠し、逃げないよう勇者の素晴らしさを切々と吹き込み続けた。まるでブラックな職場に来た新入社員が逃げないよう丸め込む感じだった。


 元勇者は陰鬱な記憶を振り払うように頭を振り、景色を眺めた。

 過去を振り返って後悔するのも独身中高年の日課である。しかし考えすぎると鬱になって動きたくなくなってしまう。


「勇者様、夕食の準備が整いました!」


 階下からホリィの声が聞こえた。

 元勇者は煙管を叩いて灰を落とし、重い足取りでダイニングに向かった。


---


「勇者様に精をつけてもらおうと、バーベキューにしました!」


 ディアが用意した皿の上には黒い物体が山盛りとなっていた。

 炭、である。


「これは保険金目当ての殺人事件とかかな?」

「その……実は料理とかした事が……、火力の調節もよくわからなくって……」

「まぁ、こういった展開になるとは思っていたよ」


 ディアは一応はお姫様である。王位継承権こそ無いにしても王家の不自由ない暮らしをしてきた娘だ。

 それに炭火での料理は相応の経験が必要だ。ゆるキャン気分では料理できないし、むしろ火傷しなかった事を褒めたい気分でさえあった。


「食材をオモチャにするなと言った筈なんだが……まぁ炭火で炭を作ったと思えば器用だなぁと思うよ。絶対に食べないけど」

「ううっ……スミマセン……」

「ホリィがなにか食べられるものを作っただろうから気にしなくていい」

「はい! 私は食材を使って食べ物を作りました!」

「お、おう」

「では用意しますから、お掛けになってお待ちください!」


 ディアと元勇者がダイニングテーブルの椅子に腰掛けると、ホリィは手際よく料理を並べた。


「これはポトフ?」


 一応はお姫様であるディアが、料理を目にして言った。南国アーティスでは目にしない料理のようだ。

 その問いにホリィが答えた。


「これは肉じゃがです」

「……ニク……ジャガー」


 一応断っておくが、この物語は中世風ファンタジーである。


「ジャガイモと干し肉を穀物ベースの調味料で甘露煮にした料理です。もちろんご飯もご用意しました。上手く炊けたと思うんですけど」

「ニックジャガーとゴハーン……」


 念のために断っておくが、この物語は中世風ファンタジーである。


 見慣れぬ(もしくはファンタジーの概念を否定するかのような)料理に硬直するディアを横目に、元勇者は箸を持った。


「ロクな食材も無いのに料理らしい料理を作った事は、どこかのお姫様とは大違いだな」

「ンゴッ」

「あ、あの、どちらをお嫁さんにすr」

「ディア、とりあえず頂く事にしよう」

「いただきまーす!」


 何か言いかけたホリィの言葉を遮るように元勇者は肉じゃがを食べた。明らかに自分で言い出した勝負に不利となったディアもホリィの言葉を完全に無視した。


「うう! お箸の使い方がよくわからないのです……」

「ディアの国では箸なんて無かったからなぁ。そこの戸棚にフォークとか先割れスプーンとかあるから、それを使いなさい」


 元勇者のメンタルは殆どおとうさん状態だったが、2人の少女はそれに気付いていなかった。


「勇者様、お口に合いますか?」


 元勇者が肉じゃがを食べる様子をホリィが凝視しているので非常に落ち着かなかった。元勇者は素っ気無く答えた。


「少し味付けが濃いな。中高年向きじゃない若者向けの味付けだ」

「そ、そうですか……」


 傍目にわかるほどホリィの表情が沈んでいった。

 塩分の摂り過ぎには気をつけたいお年頃の元勇者は塩対応を貫きたいところだったが、少女達に嫌われる為の役作りは慣れていなかった。


「そういえば随分昔にこれと同じ味の肉じゃがを食べたなぁ。その時はこんなに美味いものがあったのかと思ったものだ。その時の肉じゃがと全く同じ美味さだが、俺も歳を取って舌が変わったんだなぁと老化を感じるよ。あの頃は何度でもお代わり出来たが、いまは1杯で十分だなぁ」


 その言葉にホリィの表情は紅潮した。かつてグレッグが仲間になった夜の晩餐の料理の一つが肉じゃがだった。幼いホリィは物陰から勇者達の晩餐を眺め、肉じゃがを食べながら勇者と父グレッグと料理を作った母が楽しそうに歓談している様子を目にしていた。元勇者はその時の事を覚えていたのだと気付き、ホリィの瞳が涙で潤んだ。


「まぁ煮物料理だから日持ちするだろう。ごはんが進むし、明日のおかずに残しておこう」

「美味しい! おかわりー!」

「……ディアが全部食べちゃいそうだなぁ」

「勇者様、早い者勝ちですよ」


 ホリィはそう言って微笑んだ。


---


 元勇者にとってはかしましい少女達の存在は鬱陶しいものであったが、孤独で寂しい毎日に欠けていたものでもあった。

 中年とはいえ独身の男でもあり、万が一にも年頃の少女と間違いを起こさぬよう追い払いたいところではあるが、魔王討伐から3年の間にこういったイベントは無かったのでどう扱えばいいのか皆目わからなかった。経験値不足だった。


(このコワッパ共、きょうは泊めるしかないな……)


 夕食後のまったりムードを強制終了して少女達を追い出すほど元勇者は心を鬼に出来なかった。

 魔王を倒して平和になったとはいえ夜になれば野犬が出るかもしれないし、公共交通機関のある世界でもない。

 それに「魔王を倒した元勇者を慕っている」という全人類でも珍しいキャラ設定の少女たちなのだ。


(この子達の前で煙管を吸うわけにもいかないし、2階のベランダで一服ついてからゲストルームを整えるか)


 そう考えていると、ディアが退屈を持て余して元勇者に話しかけた。


「勇者様! 冒険のお話を聞かせて!」

「えー。俺にとっては結構思い出したくない話題なんだけどなぁ。もう黒歴史でしかないよ」

「魔族軍の大軍勢からアーティスを救ったからすぐにでも魔王を倒すんだと思っていたのに5年以上もかかったから、一体何があったんだろうと心配してたの」

「アーティスの戦いって、私の父が勇者様の仲間になる少し前の事でしたよね」


 ホリィも興味津々で会話に加わったが、元勇者は案外と武勇伝を尋ねられた事がなかったので困惑した。


「あー、まー、そんな楽しい話じゃないんだけどねぇ……。アーディアを旅立った後にドラゴンに襲われたし」

『ドラゴン!』とホリィとディアが驚愕の声を上げた。

「うん。すっごく大きかったしメッチャ強くて、俺ら7人の勇者の全員怖くてワンワン泣きながら戦って。まぐれで倒せたけど、俺なんかドラゴンにパクっと食べられてる最中だから、もーすっごく格好悪かった」


 元勇者は自虐ではなく事実を述べただけだった。あの恐怖は経験したものにしかわからない。巨大すぎてドラゴンの全身像が見えないのだ。歩けば大地震、羽ばたけば台風が吹き荒れ、土煙で視界の悪い中をドラゴンの攻撃から逃れる為に逃げ回った。


「勇者なんて言っても全然格好良くないし、あの時戦った7人の勇者もドラゴンと戦った後で5人もメンバー脱退しちゃったから」

「でも、それほど強大な敵と逃げずに戦い続けた事が凄いです」

「いや逃げたかったんだけど逃げ場が無かったんだよ。逃げ切れなかったというか」

「それほど強大なドラゴンを倒した勇者様は凄いです! 真のドラゴンスレイヤーです!」

「いやまぐれなんだってば。本当に……」


 正しく「ドラゴンと戦った7人の勇者の無様さ」を語った筈なのだが、少女達は瞳をキラキラさせていた。


(こうやって英雄譚は美化されていくんだろうなぁ……)


「ともあれまぁ戦いの後で7人いた仲間が5人辞めちゃって困ったなーって時に、ホリィのお父さんのグレッグが仲間に入りたいって言ってくれたんだよね。おかげで冒険やめるタイミングを逃したんだけど、もう一人仲間が加わって後半戦の4英雄編が始まった、と」

「アーティス王国を救ったあたりまでが第1シーズン”7人の勇者”編、その後から魔王討伐までが第2シーズン”4英雄”編デスね!」

「10余年に及ぶ魔王討伐の旅を2クールで済みそうな言い方するな」

「それから魔王を倒すまでの数年の間はアーティス以上の様々な冒険があったのですね!」

「いや、アーティスのような魔族軍の大軍勢との戦いは殆ど無かったよ。大軍勢と戦うんじゃなく一層強い敵が出てくるようになった感じだから、語っても盛り上がらない地味な話ばかりだよ」


 それでもホリィはまだ話を聞きたい様子だった。


「父は勇者様に御迷惑をお掛けしなかったでしょうか?」

「グレッグは……グレッグは、まぁ、なんてったってクレリックだから回復魔法でいつも助けられていたよ」


 実際には4英雄編の旅はギスギスしたものだった。グレッグは毎日のように「もう帰りたい」と泣き続け、4人で醜い言い争いもしばしばだった。終盤まではそのストレスを魔王に責任転嫁し「魔王をブッ倒さなきゃ腹の虫が納まらない」と一致団結していたが、四天王の強さに心が折れて元勇者を残して3人が去っていった。

 元勇者は、ホリィは父グレッグを亡くした娘であるから、あまり醜い部分は語れないなぁと思った。


「父は生前、お酒を飲んでは勇者様の色々な武勇伝を聞かせてくれました。そして魔王討伐の直前で勇者様の元を離れた事をとても悔いていました」

(グレッグの奴、余計な事まで話していないだろうな……? 長い冒険の間には年頃の少女向きじゃないグダグダな展開も相当多かったからなぁ)


 なにしろ当時アラフォーの中年が4人集まって長旅をしていたのだから、大人の薄汚い部分が露呈するようなエピソードが山のようにあった。元勇者もグレッグも精神を病みながら辛い旅を続けていたし、いつ死んでもおかしくない日々では人間の本性が剥き出しになる瞬間も多々あった。

 特にグレッグは「4勇者間イジメ」の中心にいた。皆で「攻撃力では役に立たない奴が!」と罵り、その反撃に「回復魔法を使って欲しければグレッグ様と呼べ!」とやり返された。中年同士のイジメほど見苦しいものはなかった。

 その不安を誤魔化すように元勇者は語った。


「グレッグは素晴らしい冒険者だったよ。彼の回復魔法が無ければ4英雄は戦いを続ける事など出来なかった。しかもグレッグの魔力は旅を続けている間もどんどん成長し、グレッグの扱える魔力を計算に入れて戦い方を考える事も多かったよ」

「そうでしたか……少しでも勇者様のお役に立てたのなら父も本望だったと思います」


 元勇者は亡きグレッグの尊厳を傷付けないよう綺麗なところだけをホリィに語ったが、心の底で(こうして英雄譚は美化されていくんだろうなぁ)と思わざるを得なかった。


「ところで何かコゲ臭くない?」とディアが言った。


 確かに何処かから何かが焼ける匂いが漂っていた。


「おコゲと言えば、誰かさんが作った食材の消し炭しか思い浮かばないけど」

「うぐっ! かの伝説の勇者様が気にするような事ではないのです! 些細な事なのです!」

「でも台所のほうから匂いがしますけど……?」


 嫌な予感しかしないまま3人はキッチンを見た。

 案の定、ディアが作った炭化物から天井まで炎が立ち上っていた。


「アーティス王国のお姫様は、俺の砦を破壊しに来た工作員とかなのかな?」

「あわわ! 違います違います! ゴメンナサイ! ゴメンナサイ!」


 皿に盛り付けられていた大量の炭は種火が残っており、自然発火して周囲に飛び散り、近くにあった本物の炭や薪に飛び火した。3人が呆然としている数秒間でみるみる火が広がり、キッチンに黒煙が立ち込めた。


「あははー確かに些細な事みたいだなー、俺が気にするような事じゃないのかもなーあはははは~」

「勇者様ヤケを起こさないでください!」

「お水、お水はどこですか? とにかく消さなきゃ」


 元勇者は「ヤケ石に水」とオヤジギャグを言おうと思ったが、滑る事間違いなしなので口には出さなかった。


 ホリィとディアはキッチンを右往左往して火を消そうとしたが煙が立ち込めて水場の場所もわからなくなっていた。


「やれやれ……キッチンが汚れているのは風水的に金運が下がるらしいんだよなぁ、嫌だなぁ」

「勇者様、そんな呑気な心配を言っている場合じゃ……」

「とりあえずお嬢さんたちは俺の後ろに来なさい。ヤケドしちゃうから」


 元勇者はふと「俺に惚れたらヤケドするぜ」とオヤジギャグを言いそうになったが、滑るか面倒な事になるだけと思って口には出さなかった。


「でも私達のせいでこんな事に……火を消さなきゃ!」

「ワタシがもっと真面目に花嫁修業をしていればこんな事にはならなかったのです!うわぁん!」

「ホリィは肉じゃがの鍋を持ってきて。ディアはそこらにある三徳包丁を持ってきてくれないか?」


 ホリィとディアは言われた通りに肉じゃがの鍋を守り包丁を元勇者に手渡した。

 既に地獄の業火のように燃え盛っていたが、元勇者はのほほんとした様相だった。


「こんなに燃え広がって、一体どうすれば……」

「勇者様ぁ~、危ないですから逃げましょう!」


 元勇者は三徳包丁を構え、一閃した。


「ソニック・ブレード!」


 その瞬間、キッチンに突風が吹き荒れた。炎と煙が窓から吹き飛び、室内が一瞬の真空状態になって火は収まり、新鮮な空気が突風となって吹き込んできた。


 元勇者は内心(技の名前を言わないと剣を振るタイミングがズレちゃんんだよなぁ)と羞恥心に苛まれていた。

 しかしキッチンの火災は一瞬で収まり、残った火種にコップで水をかけるだけで事態は収集となった。


「これで火は収まった。肉じゃがも無事のようだし、後片付けと掃除は明日にしよう」


 自宅の台所で必殺技を叫ぶ中高年という最高に恥ずかしいシチュエーションを誤魔化そうと平静を装ったが、2人の少女は魂が抜けたように呆然としていて意に介していなかった。


「……ん? 2人ともどうしたんだ? 火事はもう大丈夫だぞ?」


 ホリィとディアは抱き合って「あわわわわ……」と言葉にならない声を発して震えていた。

 絶え間なく襲い掛かってくるワンダリング・モンスターを10数年間倒し続けてきた元勇者の経験値は平和になって3年の時が経っても衰えておらず、三徳包丁であってもその攻撃範囲にいれば命を落とす事は戦いを知らない少女達でも十分理解できた。魔王を倒した伝説の勇者という存在は寓話で語られる聖人ではなく、死線に身を置き戦い続けて生き残った猛者である事を実感したのだ。


「あー、いやまぁ、こーいった隠し芸は大体の勇者は出来るから。そんな珍しいものじゃないよ」

「あわわわわ……」ガクガクブルブル。


(うーむ、魔族軍をケチョンケチョンに虐殺するのは慣れているんだけど、年頃の女の子が怖がらないような必殺技の使い方なんて習得してないからなぁ)


 元勇者は溜め息をつきつつ頭を掻き毟った。完全な被害者なのに押しかけ加害者のご機嫌をとらなければならない状況だ。平穏な日常が遠のいたまま戻ってこない事が憂鬱だった。


「2人ともススだらけだし煙臭くなっただろうから、きょうはもうお風呂に入ってさっさと寝なさい」

「こんな状況でお風呂に入れるんですか?」


 一応は中世風ファンタジー世界であり、ガス湯沸し機の無い世界である。ゆえに風呂に入る事は一般人にはハードルの高い贅沢な事で、湯を沸かしてタライに溜めて湯浴みで身体を清める程度が普通だった。


「近くの山に温泉の源泉があってそこから湯を引き込んでいるから、いつでも風呂に入り放題だ。少しぬるいけど長風呂するとのぼせるから気をつけるんだぞ」

「アーティス王国のお城でも水浴びが普通なのに、お湯のお風呂に入れるの?」

「まぁアーティスは南国で年中暑いところじゃないか。この砦のあたりはそんなに暑くない」

「お風呂に入り放題だなんて、街の宿屋より立派ですわ」


 ホリィの言葉に元勇者は心の中で(しまった!)と舌打ちした。街の宿屋に追い払うつもりだったのに、その計画を自ら台無しにしてしまったようなものだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ