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元勇者は禍根渦中  作者: 数ビット
19/46

「騒動のあと」

 伝説の巨竜グラムドリンガーが飛び去った後のインモールの街は、すぐに平穏にはならなかった。

 広場の周囲の建物はドラゴンブレスの業火によって焼け落ち、愚かにも戦いを挑んだ若手冒険者の痕跡が人型の焦げ跡となって残っていた。他の建物もグラムドリンガーがぶつかった事で崩れかけており、周囲数ブロックに点在していた露店も戦闘の激しい衝撃で無残な状態になっていた。


「話が通じないドラゴンだったら、間違いなく俺のほうが死んでいたな……」


 飛び去ったグラムドリンガーの影が空から消えた頃にようやく元勇者は緊張の糸を緩めた。


「俺の愚かさに呆れて去って行ったようなものだな。確かに人間より上位の生命体に戦って勝とうだなんて身の程を知らない愚かしいにも程がある事だが、ともあれグラムドリンガーの知能が高くて聞き分けが良くて助かった……」


 元勇者にとっては考えるまでもない事だが、魔王を倒そうとして戦った事は本当に愚かしい事だった。少なくともフリーランス業の者が目指すべき目標ではない。日々の糧を得る為に商売のルールそのものを作り直そうとするような愚かしさだ。

 平たく言えば「○○で天下を取って見せる!」という妄想でフリーランスに身を落とすようなものだ。


 しかし若かった頃の元勇者達はそれが出来ると思い違いをした。結果として魔王を打ち倒してしまったが、若い頃特有の勘違い妄想モチベーションが消えうせても魔王討伐の旅を続ける事は苦行でしかなかった。結局それで元勇者が裕福になれたわけでもなく、世界もさほど変わりはしなかった。その結果が、または目の前の世界が、元勇者の愚かしさの証明に思えた。


(さて、これからどうするかな。とりあえず宿屋に戻ってみるかな)


 元勇者にとっては魔王を打ち倒した事も冒険者稼業で中高年になってしまった事もネガティブなトラウマに近いものだったが、それでも、その力を以って伝説の巨竜グラムドリンガーを追い払う事に成功した事は気分が良かった。

 3年のブランクがありながらも変わらず攻撃できた事、怪我せず済んだ事、普段は役に立たない冒険者のスキルが活用できた事は晴れ晴れするほど気分が良かった。


(とにかくちょっと目立ち過ぎた。もうこんな街に長居しないで、とっとと帰らなきゃ)


 魔王を倒した勇者の力が有用に生かせた事は気分が良かったが、それを人前で晒した事はあまり気分が良くなかった。元勇者にとっては良い記憶の無い事だったからだ。


 騒乱の収まった広場の周囲で人が集まってくるざわめきが聞こえてきた。元勇者はその気配から身を隠すように建物の壁に沿っていそいそと広場を離れた。




-----


 宿屋の近くに行くとディアやホリィ・ライムにミーケの姿があった。どうやらグラムドリンガーが飛び去ったのを見計らって戻ってきたようだ。


「ゆ……勇者様、お怪我はありませんでしたか?」


 ホリィの口調は遠慮がちだった。グラムドリンガーから逃げようとする元勇者をホリィが懐疑的に問い詰めた事を反省しているのだろう。


「久しぶりに身体を動かしたから良い運動になったよ。たぶん明日は1日遅れの筋肉痛になるかもしれないけど」


 元勇者は出来るだけ刺激しないよう普段通りの口調で話したつもりだったが、ホリィは申し訳無さそうに恐縮するばかりだった。


 ディアはアーティス王家の者なのでホリィのように萎縮はしていなかったが、普段の明るい能天気な雰囲気は顰めていた。


「勇者様。ご無事で何よりです」

「まー無事で済まない事はするつもりないし」

「それはあの巨竜を倒す自信があったという事ですか?」

「いや、ヤバくなったら戦闘から逃げようと思ってた」

「そ、そんな……いえ、それが一番正しい判断なのですね」

「まーね。俺はこのインモールの街を救う事が目的じゃなくて、そこのケモミミのミーケや皆が逃げるまでの時間稼ぎをする事が目的だったから。皆は逃げる時に転んで怪我したりしてないよな?」

「おかげさまで私達みんな無事です。もちろん転んでもいません」

「ふーむ、思っていたよりディアはしっかりしているんだな」

「どのように思っていらっしゃったのか」

「ディアは絶対に転んでヒザを擦りむいてると思ってた」

「もうっ! 私そこまで子供じゃありません!」


 元勇者の視線は自然とディアの胸元に向いた。確かに部分的には大人っぽい。


 ディアの背後でケモミミがピョコピョコと動いた。


「あ、あのっ! 助けていただいてありうがとうございますっ!」

「いやいや、ミーケから買ったコフガ村謹製の剣のおかげだよ。もしナマクラ刀だったらこれほど簡単には済まなかったと思うよ。そういえばお代がまだだったね」


 受け取る時には50Gと言われたが、元勇者は500G入った小袋を取り出して手渡した。


「あと”転移のオーブ”も幾つか譲っておくよ。帰る時に使ってもいいし、道具屋で売れば相応の値段で買い取ってくれる筈だ」


 元勇者は実家から送られてきた果物をご近所さんにおすそ分けするように無造作に転移のオーブをミーケに手渡した。何個も持たせようとしたがミーケは3個抱えるのが精一杯だった。


「転移のオーブって高価なマジックアイテムですよ! それをこんなに貰うわけには……」

「現役冒険者時代に買い溜めしたものだから気にしないでいいよ。まだ90個くらい余ってるし」

「きゅっ……?! なんでそんなに……」

「それにコフガ村の武具は一級品で本来なら数千Gはするものだからね。良いものは安売りすべきじゃないと思うよ」

「しかし魔王が倒されてからは冒険者からの需要が減って、鍛冶職人も跡継ぎがいないのでコフガ村での武具生産は長くは続かないと思います……」

「そ、そうか……それは済まなかった」

「なぜ謝られるのですか?」

「いや気にしないでくれ……」


 元勇者が魔王を倒したばかりに優れた鍛冶職人が職を失おうとしている事が悩ましかった。世界を救った筈なのに、強い武器でお世話になったコフガ村の産業は救えなかったのだ。元勇者は事情を知らないミーケの前では出来るだけ普通を装ったが、気分は明らかにネガティブに沈んでいった。


「勇者サマガ、コノ街ヲ救ッタノデスネ」

「さーあ? それはどうだろう……」


 ライムへの返事を濁していると、逃げた人達が集まって元勇者のほうに歩み寄ってきた。

 その表情からは助けられた者が感謝を伝えに来たわけではない事が伺えた。



-----


 集まった街の人々は元勇者たちを取り囲むように近付いた。しかし間近には寄って来なかった。

 その中から老いた男が一歩前に出て言った。


「アンタがドラゴンを追い払ったのを見ていた」


 元勇者はその言葉に(あぁ……このパターンか)と察した。はぁと小さな溜め息をついてから、さも何事も無かったかのように返事をした。


「ああ。俺が追い払った」

「アンタのせいで広場の周囲はメチャクチャになった。どう責任を取ってくれるんだ?」

「俺のせいじゃない。たまたま広場の近くにいただけさ。ドラゴンがいるなんて思っていなかった」

「そのドラゴンのせいで何人もの若い冒険者が焼き殺されたんだぞ。どうして引き止めなかったんだ」

「止めようと声をかけたさ。しかし聞いてはくれなかった」

「ドラゴンを追い払えるのに若い冒険者を止められなかったわけがないだろう!」

「うーむ、それはそうだったかもしれないなぁ……」


 老いた男と元勇者の話を聞いていた少女達は驚きの表情で固まっていた。

 どうして街を救いドラゴンを追い払った元勇者が責め立てられているのか?

 何故たった一人でドラゴンと戦った元勇者が責任を問われているのか?

 街を救ってもらった街の人々はどうして喜び感謝しようとしないのか?

 少女達はわけもわからず元勇者が責め立てられている様子を見つめる事しか出来なかった。


「それに逃げたドラゴンが舞い戻ってくるかもしれないだろう! どうして殺さなかったんだ!」

「いや~、あんな大きなドラゴンを倒すだなんて、とてもとても」

「嘘をつけ! あの巨体を吹き飛ばすほどの攻撃をしていたのを俺達はちゃんと見ていたんだぞ!」

「ははは、あれが精一杯ですよもう。あれだけ頑張って倒せないドラゴンですから、逃げてくれて本当ラッキーでしたよ~」

「ドラゴンがいなくなっても、ドラゴンを吹き飛ばしたアンタのような奴が居たら危なくて、おちおち生活出来やしないんだよ!」

「うーん、なるほどねー。わかりますよ~」


 不当に攻め立て続ける男と、のらりくらり安穏とした返事を返すばかりの元勇者の様子に業を煮やしたのは、ライムだった。


「ドウシテ誰モ”ありがとう”ト言ワナインデスカ! ドウシテ”助カリマシタ”ト言エナインデスカ!」

「なんだ、この女の子は。余計な口を挟むんじゃない」

「イイエ、言ワセテモライマス! 誰モどらごんト戦オウトシナカッタくせニ、ドウシテ唯一人どらごんト戦ッタ勇者様ガ責メラレナケレバナラナイノデスカ!」


 普段はおとなしく感情も表に出さないライムだが、はっきりと”怒り”の感情を顕わにしていた。それはホムンクルスとして世に生を受けたばかりのライムにとって初めての怒りの感情だった。


「周りの建物を見てみろ。ドラゴンの炎で焼かれ、ぶつかって傾いて、再建するのがどれほど大変な事か! その男がドラゴンと戦ってこうなったんじゃないか!」

「どらごんト戦ワナケレバいんもーるノ街ハ滅ンデイマシタ! 街ヲ救ッタ勇者様ヲ責メルノハ間違ッテイマス!」

「滅んでいたとは限らないだろ! 何もしなければドラゴンも暴れずに飛んでいったかもしれないじゃないか!」


 周囲を取り囲んでいる街の人々が「そうだそうだ!」と声を上げた。


 ライムは毅然とした怒りの表情で人々を睨みつけたが、元勇者がライムの肩に手を置くと、とたんに大粒の涙がぽろぽろと溢れ出した。


「言うだけ無駄だよライム。そろそろ帰ろう」


 駄々っ子のように動こうとしないライムの耳元で元勇者は囁いた。


「ありがとうライム。いまこの場にいる人で誰より一番正しいのはライムだよ」


 元勇者は顔を上げて周囲の人達を見つめ、言った。


「どうやら俺は余計な事をしたみたいだからそろそろ街を出る事にするよ。もしかしたらあのドラゴンが舞い戻ってくるかもしれないが、その時はどうぞ皆さんの良いように」


 周囲を取り囲む人々の誰かが「無責任だ!」と叫んだ。

 元勇者はその野次に怒る事もなく「じゃぁ後は責任者にお任せって事で」とシニカルに微笑んだ。


 元勇者達は周囲の人々を無視して場を離れ、インモールを取り囲む壁の外に向かった。




-----


 インモールの街を出るまで、少女達は沈痛な面持ちだった。

 泣き顔のライム、自省に沈むホリィ。

 元勇者が街の人々を救う為にその力を奮ったのに報われない結果に到った事にショックを受けていた。


 唯一ディアだけはさほどショックを受けていない様子だった。


「アーティスの民は民度が高いので、インモールの民度の低さを見れて勉強になったわ」

「まーアーティスで一番民度の低い変人って王様だからなー」

「確かに父上は少しだけ変わった人ですけど、アーティスでは街の為に戦った人を愚弄するような事はありえないので」

「そうなんだ?」

「はい、アーティスにはそういう条例があるのです。特に防衛の為に奮闘した者を敬い丁重にもてなすべしと定められていますし、反すれば罰則もあります」

「あ~、あぁ~、なるほどねぇ~」

「勇者様、私なにか変な事を言いましたか?」

「いや興味深いなぁと思ってね。アーティスは王政の……言わば独裁国家で、ここインモールは民主主義の自治区だ。アーティス王は変人だけど良い独裁者だからアーティスの国民の民度は高いけど、自由と平等の筈の民主主義のインモールのほうが民度が低く治安が悪い事が面白いなぁと」

「面白い、ですか?」

「うん。つまり……民主主義のセキュリティホールは有権者の民度にあるんだ。国や自治区が反映するか衰退するかは、王政国家だと王様の責任だけど、民主国家は国民に責任があるのさ」

「アーティスの政治は単純なので良かったです!」

「いやいや、ディアは一応は王家継承権があるんだから、そーゆー事は人前では言うんじゃない」

「それにしても、どうしてインモールの人達は勇者様に文句ばかり言ったんでしょうね?」

「ま~、文句を言っていれば済むと思っているからだろうなぁ」

「文句を言う相手は誰でも良かったのかしら……。勇者様、あの人達を少しだけ脅かせばよかったのにと思っちゃいます。あの戦闘モードの時のスキル……”卍解”でしたっけ?」

「”フィアー”というスキルの事だろうけど、どう間違えたらそうなるのかと。やってもよかったんだけど後々面倒になるのもイヤだなーって思って。脅かしすぎて俺が本物の悪者にされちゃうかもしれないし」

「あの人達ならありえそうですね……」

「フリーランスはトラブル起きた時も自己責任で自力対処しなきゃならないから、些細な面倒事はスルーが一番なのさ」


 ディアの背後でケモミミがピョコピョコと動いた。


「あのぅ、私はこのあたりでおいとましようと思います」

「ミーケはこの街に来て踏んだり蹴ったりの目に遭っているから、転移のオーブを使って早く帰ったほうがいいね。インモールは長居すべき街じゃないようだから」

「改めてですが、助けて頂きありがとうございました!」

「い、いやいや……ミーケを助けようとしたのはホリィだよ。俺は少しだけお節介しただけで」

「もちろんホリィさんや皆さんには感謝しています! ただ、ドラゴンの灼熱の火から身を挺してかばってくれた姿は一生忘れません! 街の人達は酷い事ばかり言ってましたが、私にとっては貴方は見紛う事なく英雄でした!!」

「ははは、そう言ってくれるとオジサン頑張った甲斐があったよ。ありがとう」

「ホリィさんも、ライムさんやディアさんも、本当にありがとうございました!」


 ミーケの言葉に笑顔で応じた3人娘だったが、ホリィの笑顔は少し引きつっていた。


「それでは失礼します! もしコフガ村の近くにいらっしゃった時には是非お立ち寄りください! 村を上げて歓迎しますから!!」


 きゅぴーんゅぴーん、と転移のオーブを用いてミーケの姿が消えた。


「さて俺達もそろそろ帰るとするか。何か忘れている気もするけど」

「あのう、カールさんが戻ってきていないようですけど……」とディア。

「誰だっけ?」

「存在そのものを忘れないでください!」

「ま~、あいつも転移のオーブは持っているから先に戻っているかも。冒険者はアイテム袋に財布と薬草と転移のオーブは必ず入れているものだから」

「そういうものなんですか? 薬草も持ち歩いているんですか?」

「薬草は危ない時の最後の命綱だからね~。回復魔法も使えない時には薬草を取り出して素早く噛んで飲み込む最後の手段なんだ。葉っぱをモシャモシャ食べる事なんて日常生活では滅多にないけど冒険者には必須のスキルだよ」

「世界を救った勇者様が葉っぱを食べている姿はあまり見たくないです……」

「普通はエリクサーとか体力回復薬(L)とかがあるから、薬草を使う時はよほどピンチの時か、回復アイテムを買い忘れた時くらいだよ。薬草、おいしくないし」

「美味しかったらいいんですか?」

「冒険者の中には戦闘中に丸焼きの肉を食べて体力回復する輩もいるそうだから、おいしい葉っぱなら手軽かなぁと。俺も若くないから敵から逃げ回りながら丸焼き肉をガツガツ食べるのはキツイし、逆に胃もたれで体力削られそうだし」

「食事中に他の事をするのはマナー違反ですしね」

「せ、戦闘中にはマナーは無いから大丈夫ではないかと。多分……」


 元勇者は振り返ってインモールの街を眺めた。

 山賊セシルの目論見を探るべく酒場で目立って様子を見たが、よもや伝説の火吹き山のドラゴンが出現したのは想定外だった。この騒動の黒幕はセシルであろうが、形振り構わず自らが拠点とする街を壊してまで罠を仕掛けてきた事をどう捕らえるべきか悩ましかった。


「とりあえず戻ろう。ここにいてもトラブルが増えるだけだろう」


 元勇者は転移のオーブを取り出し、住処である砦のエントランスをイメージした。


 きゅぴーんきゅぴーん。




-----


「お帰りなさ~い☆ ごはんになさいますか? それともお風呂?」


 自宅に転移するとそこには半裸にエプロン姿のサッちゃんが待ち構えていた。

 突如押しかけてきたサッキュバスの存在を忘れていた元勇者はガックリと脱力したが、しかしエプロンから垣間見える豊満な横乳からは目が離せなかった。さすがサッキュバス。


「魔物の分際で魔王を打ち倒した俺の自宅で我が物顔に振舞うとは」

「もちろんお風呂でするか、女体盛りを楽しむかって意味ですよ~☆」

「そういった品の無い事を年頃の娘さん達がいる前で言うんじゃない。度が過ぎるようなら躊躇無く瞬殺するぞ」

「そのお年頃の娘達ですが、なにやら元気が無いように見えますね。何かありましたか?」

「ちょっと伝説のドラゴンを軽くボコってきただけだよ。サッちゃんにも見せたかったなぁ」

「それモンスターの私にとって一番見たくない光景なのでは。ドラゴンって全モンスターの中でも最大級の体力があるんですよ? それを容易くボコられては商売上がったりです!」

「何はともあれ下着にエプロン姿は俺の血圧が上がるから、もう少しマトモな格好に着替えてくだしあ」

「ベッドの上でエキサイトしてくれるなら大歓迎ですけど、出かける時には無かった筈の御立派な両手剣が気になって仕方が無いので言う通りにしますね」


 いそいそと退場するサッちゃん(の横乳)を横目で見送り、ようやく一息つける状況になった。


「ふぅ、とりあえずお茶でも飲んでのんびりしたい気分だ」


 元勇者が呟くと、はっとした様子でホリィが台所に向かった。


「お茶ですね、すぐに用意します!」

「あ、あぁ……別に急がなくて大丈夫だからね」


 ようやく元勇者はこれまでホリィが先んじてお茶の用意をしていた事に気付いた。気の効いたタイミングでそつなく用意されていたので意識していなかったのだ。


「ちょっと図々しかったかな……お茶とか掃除とかをしてもらっていた事を当たり前のように思い込んでいたようだ」


 元勇者のボヤキにディアが答えた。


「頼られる事は嬉しい事ですよ。でもホリィちゃんの様子を見ると別の事に気が逸れているように見えます」

「他の事? やはりドラゴンなんて化け物モンスターと遭遇すればショックを受けるか」

「違いますよ! ホリィちゃんはミーケちゃんを助ける為に悪漢に立ち向かいましたし、ドラゴンがいる広場にも真っ先に向かいました。そんなホリィちゃんがショックを受けたのは、やはり街の人達の反応だと思います」

「なるほど……。ディアはあまりショックを受けていないように見えるけど」

「私はこれでもアーティスの王族ですし、勇者様にお会いした頃から幾度も戦乱での民衆の様子を目にしていますから」

「アーティスが魔物の大軍勢に襲われて俺達が助太刀した頃ディアはまだチビスケだったじゃないか」

「いまでは立派に成長したと思いませんか?」

「胸を張っておっぱいを強調するでない。しかしまぁ、なるほどホリィはそういった戦乱とは無縁のところで暮らしていたのだろうから、世間が混迷している時の庶民の風見鶏のようにクルクル意見を変えるクレームを受けるのは初めてか」

「普通の人は好き勝手にクレームを言う側ですからね。私や勇者様はクレームを受ける側ですけど」

「王族はともあれ、どうして魔王を倒した勇者の筈の俺までクレームを受ける側なのか、正直未だに納得はできていないよ。もう随分昔に慣れて免疫は出来てるけど」

「納得出来ないのは、自分の正しさを信じていないからだと思います。私も父上も自分達が正しいと思うからこそ不条理なクレームに耐える事が出来るのです」

「自分の正しさ、か……。でも王族ならではの責任を、根無し草のフリーランス冒険者に求めないで欲しいなぁ」


 ”正しさ”は元勇者も随分悩まされてきた事だ。

 何を以って正しいとすべきか、誰にとって正しいのか、正しいという保証はあるのか、その正しさはベストなのかベターなのか、正しいと思った事を忠実にやり通す事が出来るのか、正しい事をやった責任はどうするのか……。冒険者としてのレベルが上がって難しい局面を迎えるたびに”正しさ”は複雑で曖昧なものになっていった。その難しい判断を何の権力も持たないフリーランスが判断し決定し行動に移さねばならない幾多の局面はその殆どがストレスフルなものばかりだった。

 そして熟考を重ねた上での”正しい”行動も、理解されなければ”正しくない”事として非難を受けた。元勇者や4英雄・または盗賊セシル達さえも”正しさ”に悩まされた挙句に性格が歪んだのだ。


 ディアの言う”自分の正しさを信じる”という事は、その悩ましい問題に対してシンプルすぎる答だったが、それこそが真理だと思えた。もちろん正義というものは簡単に定義出来ない曖昧なものだと知っている元勇者にとってはシンプルな答を実行する事さえ難しいと思えたが、自分の正しさを自分で疑ってしまっては誰にも理解出来る筈が無い。結局のところ自分を信じる事が一番難しいのだ。


「お茶の用意が出来ました……」


 会話が途切れるのを待って声をかけたホリィの声はいささか元気が無かった。

 ホリィはカップをテーブルに並べると、戻ってくる時から拗ねた子供のように一言も喋らないライムの隣に座った。ホリィとライムの周囲に意気消沈オーラが漂っているのが目に見えるようだった。


「キャピキャピ賑やかなのも困るが、お通夜みたいに暗い空気というのも困るなぁ……」


 アラフィフともなるとお通夜は結構身近な行事となる。年上の親戚や近親者が天寿を全うしていく順番は正に年功序列だ。事故や病気で急折という事も歳を取るほど可能性が高まっていく。まして元勇者は冒険者時代に同業者の訃報を頻繁に耳にしていた。やがて自分もその年功序列の順番が回ってくるという事が肌感覚で感じ取れるようになってくるお年頃だった。


「あの……先程は本当に失礼しました」と、ホリィは小声で言った。


 おおよそ察しはつくが気付かないそぶりで元勇者は言葉を返した。


「何の事かな? ホリィはなにも失礼な事なんてしていないと思うんだが」

「私モ謝リマス。余計ナ事ヲ言ッテ申シ訳アリマセンデシタ」

「どうしたんだ、ライムまで」

「私、どらごんヲ倒シテ街ヲ守ル事ガ正シイト思ッテイマシタ。シカシソウデハ無カッタヨウデシタ」

「私もドラゴンと戦わずに逃げると仰った時、勇者様の事を少し疑ってしまいました」


 重~い空気に、折角のお茶がみるみる冷めていくようだった。


「勇者様の事を疑うだなんて私、お嫁さんになる資格が無いのかも……」

「お嫁さんとかはさておき、勇者とか冒険者なんて刃物を振り回して生計を立ててるヤクザな商売だから、少々疑われるほうが丁度いいのさ」


 ディアが口を挟んだ。


「確かに普段から刃物を振り回していたら完全に危ない人ですよね」

「知り合いに普段からメテオストライク落としたりする完全に危ない人がいるからな~。逮捕されればいいのに」

「勇者様も、インモールの悪漢からミーケちゃんを助ける時には相当でしたよ」

「あああ、やっぱり黒歴史になっている……」

「私と結婚すればアーティス王家の一族ですから、少々危ない人でも”狂王”とかの二つ名で歴史に名を残せますよ!」

「それもう後世に暗黒時代とか言われちゃう本物の黒歴史じゃないか」


 見目麗しい美少女達に結婚を迫られるシチュエーションは独身中年の元勇者にとっては非常にありがたく嬉しいモテ期ではあったが、おいそれと手を出せない事に変わりは無い。若い少女と同格に話していると元勇者は自分も若者であるように錯覚しそうになるが、ずっと錯覚したままでいられるほど若くは無かった。


 元勇者は軽く咳払いをして、沈むホリィとライムに話しかけた。


「ドラゴンのグラムドリンガーはわけもわからず街に放り込まれ、街の人は突然のドラゴン出現で被害を受け、俺達は巻き込まれた挙句に文句を言われたんだから、ま~”三方一両損”ってところじゃないかな。誰もがちょっとだけ嫌な思いをしただけで済んだのだから、まあまあベターな結果だと思うよ」


 無謀にもグラムドリンガーに攻撃を仕掛けて焼き殺された無謀な冒険者達の事には敢えて触れなかった。広場の近くに住んでいた人達も相当の被害を受けているだろう。しかし通りすがりの元勇者がそこまで責任は持てない。


「あんな恐ろしいドラゴンと戦ったのに街の人達から罵られた事が、ベターですか?」

「俺が予定通りに逃げていれば確実にインモールは滅んでいただろうし、街の人達もドラゴンとは無縁の生活を営んでいた人達だ。たしかに大活躍したので褒めてほしい俺が非難を受けるのは納得いかないけど、街の人達はグラムドリンガーに襲われなかったから俺に文句を言う事が出来たんだ」

「デモヤッパリ、勇者様ニありがとうト言ッテ欲シカッタデス……」

「俺も言ってほしいと思ったけど……よく考えたら俺自身あまり誰かに”ありがとう”って言ってこなかった気もするから、反面教師として受け止めなきゃなぁ」


 そう言った矢先ライムが元勇者の耳にキスするかというほど唇を近付け、小さな声で囁いた。


「アノ時、勇者様ハ私ニ”ありがとう”ッテ言ッテクレマシタ! 普段言ワナイノナラ、アノ”ありがとう”ッテ貴重ダッタンデスネ!」


 言い終わって離れたライムは嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。普段は無表情のようなライムが嬉しそうな顔をしているのは珍しく、とても可愛らしかった。


 ちょっと照れつつ咳払いをひとつ、元勇者はホリィに言った。


「ホリィがケモナーのミーケを助けたようと広場に向かった事で、結果としてインモールの被害が一番少ないシナリオ分岐になったんだ。ミーケを助けた事も広場に向かった事も結果として正しかったんだから、何も謝らなくていいんだよ」

「はい……そう思うようにします……」

「但し、俺の目の届かないところでそういった無茶をすると命が幾つあっても足りないから気をつけるんだよ」

「はいっ。でも正しい事をした筈なのに否定されると、何が正しいのかわからなくなりますね……」


 何が正しいのか?という事は突き詰めると禅問答や哲学のように小難しい話になってしまう。立場や社会によっても定義が変わる事でもある。元勇者はオッサンなので一過言持ち合わせていたが、それを語っても少女達のウンザリした顔しか見れない事もわかっていたので言いとどまった。


「まぁみんなは難しく考えずに”俺達は正しかった! 悪いのは山賊セシル達だ!”という感じでいいんじゃないかな」

「イイト思イマス!」と、ライム。

「随分簡単にまとめちゃいましたねー」と、ディア。

「そういえば山賊セシルさんの内偵をしていた筈のカールさんが戻ってきませんね」と、ホリィ。


 元勇者は真顔で言った。


「誰だっけ?」


 ”噂をすれば影”と言うし、カールが戻ってくれば山賊セシルの陰謀などの胡散臭い騒動に本腰を入れて向き合う事になるかもしれない。いっそ戻ってこないほうが元勇者にとっては平和だが、それはそれで酒場での事やドラゴンとの対峙などの苦労が無駄という事にもなる。


「勇者様、あまり薄情な事を言うのは如何なものかと思います」

「まぁ、かつては素早さのスキルも兼ね備えていたアーチャーだったし、インモールの騒動がどのように落ち着くのかを見定めているのかもしれない。用事が済めばすぐに戻ってくるさ」

「失礼ながら、現在のカールさんの体型からは素早さのスキルがあるようには思えないのですが」

「それ本人の前では言うなよ。中高年は案外とガラスのハートなんだから」


 結局、その日はカールは戻ってこなかった。

 騒動の後という事もあって賑やかさとは程遠い落ち着いた時間を過ごし、皆早目に床に着いた。


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