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元勇者は禍根渦中  作者: 数ビット
18/46

「最も愚かな人間」

 宿屋の主人はニヤニヤとした表情で言った。


「お客さん、”お楽しみ”ですかい? 良ければ他の客と鉢合わせない角部屋を用意しますよ」


 元勇者はウンザリした表情で言った。


「この娘達は従妹から預かっている姪っ子だ。他にもう一人付き添いも来るから子供用と大人用の2部屋を借りたい。いまのところ一泊の予定だ」

「そうですか、それは失礼しました」


 ディアが元勇者の小脇をつついて不平を囁いた。


「勇者様! 私達を子ども扱いしないでください!」

「こーいったところで余計なトラブルは起こしたくないし、そもそも遊びに来たんじゃないんだから、出来るだけ目立たないようにしてくれよ」

「でも姪っ子扱いは……ちょっとショックです」とホリィ。リアリティがありすぎて”勇者のお嫁さんになる”という希望が一気に遠のく気がしたのだ。

「私ハ生後数ヶ月ナノデスガ姪っ子設定デ大丈夫デショウカ?」とライム。傍目にはそうとは思えないたわわなボディラインが揺れた。

「とーにーかーくー、ここインモールの街は女の子が安心して過ごせるほど治安が良いようではないみたいだから、おとなしくオジサンの言う事を聞きなさい」

『はーい、おじさん』と3人が声を揃えた。なぜかおじさんという言葉で元勇者の精神ポイントに僅かなダメージを受けた。


「じゃぁ部屋にご案内しま……」


 その時、ズズーン! と地鳴りが響いた。

 宿屋がミシミシと音を立て、天井から埃が舞い落ちた。


「じ、地震っ?」とディア。

「ナニカガ落チタヨウナ凄イ音デシタ」とライム。その声は少し怯えていた。

「建物全体が揺れています。なにかが爆発したのでしょうか?」とホリィ。


 元勇者は言った。


「わからん」


 しばらくすると地鳴りの余韻も消え去り、何事も無かったかのような静寂となった。

 元勇者は宿屋の主人に問うた。


「インモールの街ではこういった事はしばしばあるのかい?」

「い、いえ……この宿屋を始めて長いですが、こんな妙な音は初めてです」

「なるほど、ちょっと辺りの様子を見たいんだが、この宿屋は屋上に出られるかい?」

「え、えぇ」

「じゃぁ、ちょっと上がらせてもらうよ」


 普段は積極的に物事に首を突っ込むタイプではない元勇者だったが、突発的なトラブルにおいては”どさくさに紛れて物事を頼む”方法が有効である事を年の功で知っていた。この宿屋は3階建てなので屋上に上ればインモールの街が見渡せるだろう。


 狼狽する宿屋の主人を無視して屋上に上がると、状況は明白となった。


「勇者様! 広場に……広場にドラゴンがいます!!」


 そう叫んだホリィの声は恐怖で上擦っていた。


「なんて大きな……噂に聞くよりも大きすぎます!」


 ディアの声も震えていた。

 上位レベルの冒険者がエンカウントし戦うドラゴンは長い首と尾を含めて10m程度、7勇者時代の最後に戦ったドラゴンでさえ15m程度だ。しかし広場に横たわる巨大なドラゴンは20m以上はあるように見えた。胴体だけでも周囲の建物より大きい。


「モノスゴク……モノスゴク強大ナえねるぎーヲ感ジマス」


 ライムは状況を理解しきれず呆然とした様子だった。ただドラゴンが発する膨大な熱量は広場から2ブロックほど離れている宿屋の屋上でも感じる事が出来るほどだった。


 安穏と元勇者は言った。


「多分だけどアレは”グラムドリンガー”だろうなぁ。ドラゴンが巨大になるにはとてつもなく長い時間がかかるから、この大きさだと数百年は生きながらえている伝説級ドラゴンだ。このあたりの大陸で伝え聞くのは火吹き山にいると噂されていたグラムドリンガーしか思い当たらないな」


 ディアは元勇者に問うた。


「勇者様、あのドラゴンをどうします? 私達どうすればいいのですか?」

「そりゃぁ当然、逃げるしかないよ」

「……逃げるんですか?」

「うん。当然でしょ」

「ドラゴンは、あのまま放置しておくのですか?」

「うん。近付いたら危ないからね」

「……」

「ん? なにか変な事を言ったかな?」

「……勇者様は、何もなさらないのですか?」

「俺も逃げるよ。当然でしょ」


 気付けば3人娘は勇者を凝視していた。不満そうな表情でもなく、疑念を抱いた目でもなかったが、かつて魔王を倒したという勇者が眼前のドラゴンに対して何もせず逃げる事が理解出来ない様子だった。


「うーむ、まぁ、説明すると」


 元勇者はいささか不機嫌そうな表情で話し始めた。


「あのドラゴンの大きさだと膨大なカロリーが必要になるから、ひとたび暴れ出せば目の前の有機物は何でもかんでも喰らい尽くす。人間も家畜も食べるし、建物の建材になっている木さえ食べてしまう。そうして蓄えた膨大なカロリーで暴れたりドラゴンブレスを吹いたりするんだ。……しかしドラゴンも腹が減ってなきゃ暴れないし、普段は腹が減らないよう深い眠りに就いている。広場にいるドラゴンはまだ眠っていて目覚めていないから、目を覚ます前に逃げ出すのが一番安全なんだ」


 一応は納得した様子の3人娘だったが、いまひとつ反応が薄いように思え元勇者は溜め息をついた。


「俺があのドラゴンと戦ったりはしないよ。このインモールですべき事は大体済んでるから、とっとと帰ろう。まだカールが戻ってきていないけど、あいつなら多分大丈夫だろう。うん」

「ソレハ理解デキルノデスガ……私タチガ逃ゲタ後、コノ街ハドウナリマスカ?」

「まぁグラムドリンガーが目覚めたら街中のものを食べて、食べるものが無くなったらどこかに飛んでいくだろうね」

「ツマリ、いんもーるノ街ハ滅ビルノデスカ?」

「そうなるかもしれないね」

「ソレデ良イノデスカ?」

「……グラムドリンガーはこの辺りをふらふら飛んでいるようなドラゴンじゃない。誰かがこの街に招きいれたんだろう。その誰かの目的はわからないが、その誰かの目論見に巻き込まれる必要は無いんじゃないかな」


 ディアは納得した様子だった。


「街に被害が出るのは嫌な事だけど、大局を考えれば被害者が少なく済む事が何よりも大事だから、ドラゴンを前に逃げるのは正しい判断だと思う」


 しかしホリィは不満を漏らした。


「これから街に被害が出る事がわかっていながら、その被害を食い止める事が出来ないのは少し残念です……」

「そもそも人里離れた火吹き山の奥に住まうグラムドリンガーが街中に出現した事が異常な事だが、こんな巨大なドラゴンは地震や台風と同じ天災と思うしかないよ。……さぁ、グラムドリンガーが目覚める前に俺達も早く逃げよう」

「逃げる他に無いんでしょうか?」

「逃げる時に街の人に広場から出来るだけ離れるようにと伝える事は出来る。好奇心で近付いたら危ない相手だが、ドラゴンの恐ろしさを知らない人もいるかもしれないからね」

「ソンナ人、イルンデスカ?」

「地震になったら海の様子を見に行ったり、台風が来たら畑の様子を見に行く人ってのは結構いるもんだよ。危ない事というのは実際に危ない目に遭った事がないと案外わからないものなのさ」


 ディアは勇者に質問した。


「好奇心で聞きたいのでもしかしたら失礼かもですが……勇者様はあのドラゴン”グリムドランガー”を退治出来たり、します?」

「うーん、どうだろう? 俺もこれほど大きなドラゴンとは戦った事が無いから倒せるかどうかは微妙なところかなぁ」

「でも勇者様は魔王を倒していますよね?」

「その魔王が支配しきれずに封印したのがグラムドリンガーだし、単純な物理攻撃力は魔王よりも上じゃないかなぁ。まぁ魔王は幾つかの属性攻撃もしてきたから色々厄介だったし、ドラゴンはそういったヤヤコシイ攻撃はしてこないだろうけど、単純に物凄く強いからなー」


 話しながら元勇者は3人娘の様子を伺った。どうやらドラゴンを見た時の恐怖心は幾分薄らぎ冷静さもあるようだ。怯えたままでは冷静な行動は出来ないし、突発的な事態でパニックに陥る事もあるが、落ち着いて避難する事が出来そうだ。


 元勇者は背後で呆然としている宿屋の主人に声をかけた。


「そういうわけで部屋はキャンセルだ。あんたもすぐに逃げたほうがいい」

「逃げるったって……ワシがこの宿屋を立ち上げるのにどれほどの苦労をしたかと思うと、易々と逃げ出すわけには……」

「その苦労とやらの為にここで死ぬ価値があるならそうすればいい。それに運が良ければ宿屋も壊されずに済むかもしれないんだから、まずは身の安全が大事じゃないかな?」

「う、うむむ……」


 宿屋の主人は黙り込んだ。主人が悠長に悩んでいられるのも、広場に見えるドラゴンは山のように動かないままだったからだ。

 しかしドラゴンの眠りは長く続きそうにはなかった。


「勇者様! ドラゴンに向かっていく人達がいます!」とホリィが声を上げた。

「まさかそんな……」


 元勇者は屋上から身を乗り出して広場に続く道を見下ろした。

 そこには武装した若き冒険者達が徒党を組んで広場に向かっていく姿があった。10数人の若手冒険者が意気揚々と広場に向かって走っていた。


「あれは酒場にいた若い冒険者達だな。敵の力量も見抜けない低レベルなのか……」


 元勇者は「おおい、おーい!」と大声で冒険者に声をかけた。


「危ないから広場に近付くな! 早く逃げろ!」


 路上から若い冒険者の嘲笑の声が響いた。


「あれほどのドラゴンを討ち取れば名誉と金になる! しかもドラゴンは全然動きやしない! こんなチャンスを見逃すほうがどうかしてるぜ!」


 元勇者の言う事には耳も貸さず、若い冒険者達は広場に向かって走り去った。初めて観たであろうドラゴンに気持ちが高ぶっているのか、向こう見ずなのか、まるで恐れる様子はなかった。


「……こりゃぁ思っていたより早く逃げなきゃならなそうだ」




-----


 元勇者たちが屋上からエントランスに戻った時、広場の方角から地響きのような咆哮が響いた。


「こりゃぁグズグズしていられないぞ」

「勇者様! どうなっているんですか?」とディア。

「ドラゴンが金蔓にしか見えない連中が、グラムドリンガーを攻撃して目覚めさせてしまったんだろう。寝ぼけているうちに逃げないと本当に危ない事になるぞ」

「グラムドリンガーを目覚めさせてしまった冒険者達はどうなるんですか?」

「もう助からない。戦闘モードになったら相手を殺すまで戦いが終わらないのは冒険者にとっての基本ルールだけど、それは相手のモンスターのルールでもあるんだ。寝ているところを攻撃されたドラゴンが襲ってきた冒険者に情けをかけると思うかい? 勝てない相手に剣を抜いた瞬間に生き残る可能性を捨てたんだ。だからもう助からない」

「そんな……」

「剣を抜くという事はそういう事なのさ。相手がドラゴンであってもモンスターであっても、殺そうとした側が殺されないなんて都合の良い話は無いんだ。ともあれとにかく逃げないと。まだドラゴンは寝ぼけているだろうけど本格的に目を覚ましたらとばっちりで命を落とす事になるぞ」


 その時”ドン!”と何かが爆発するかのような爆音が響いた。

 続いて激しい熱風が宿屋の入り口に吹き込んできた。


「きゃぁーッ!!」と3人娘の悲鳴が上がった。

「これはドラゴンブレスのようだが……さすが伝説のグラムドリンガー、熱量がケタ違いだ!」


 熱風が過ぎ去ると周囲は黒煙に包まれた。


「あっしは先に逃げますぜ!」


 宿屋の主人が一足先に宿屋を飛び出していった。どうやら宿屋を始めた頃の苦労はドラゴンブレスの熱量ほどではなかったようだ。


「俺達もすぐに逃げよう。広場の反対側に向かって街の外に出るんだ」


 元勇者たちも宿屋の外に出ると、広場から2ブロックに亘る建物が燃え上がっているのが見えた。


「そうだ、ミーケちゃんが!」


 突然ホリィが声を上げた。


「……さっきのケモミミの、いや獣人族の女の子だっけ?」

「そうです! ミーケちゃんは商品を売りたいと広場のほうに行ったんです!」

「さ……さすがにドラゴンが出現したら逃げ出しているだろう?」

「だと良いのですが、私、心配です!」


 そう言うとホリィは駆け出していた。


「ホリィちゃん! ……私ホリィちゃんを追いかけます!」とディア。

「私モ行キマス!」とライム。


 衝動的に飛び出していった3人娘を止め損ねた元勇者は深く溜め息をついた。


「まったく若者は後先考えずに行動しよって……」


 そうボヤいた言葉が年寄り臭い事に元勇者はゲンナリした。

 後先考えずに行動するのは、まるで若かった頃の元勇者自身ではないか。後先の事を考えてフリーランス冒険者になったり、後先を考えて魔王を打ち倒すのは普通の考え方ではない。阿呆のする事だ。魔王を討伐したのに後悔しネガティブになったのも自分自身が阿呆だという現実を痛感したからではないか。元勇者は堅実な人生を捨ててフリーランス冒険者となって歳を取った阿呆なのだ。

 そして若い3人娘が後先考えずに走り出した事が羨ましく妬ましく思えた。元勇者が歳を取って失ったものが”後先考えずに行動できる活力”なのではないか?とさえ思えた。


「ま……放置も出来んし、後は野となれ山となれってところか……」




-----


 一目散に広場に駆け出したホリィは、その状況に唖然とした。


 広場の周囲には多数の一般市民が残っていた。物珍しいドラゴンを眺めていて逃げ遅れたのだろう。

 そしてドラゴンブレスが吹かれた方角の建物は燃え崩れ、広場に近い建物は消し炭のように燃え尽きて殆ど更地になっていた。どれほど強力な火力だったのかが窺い知れる。


 10数人はいた筈の冒険者の姿は既に無く、数人の若い冒険者が尻餅をついて動けなくなっていた。……きっと他の仲間達はドラゴンブレスの一撃で灰も残さず燃え尽きてしまったのだろう。


「み……ミーケちゃん」


 ホリィはミーケを呼ぼうとしたが、巨大なドラゴンの気を引くのではとの恐怖で声が出なかった。

 追いついたディアとライムも広場の周囲の様子を目にして呆然とした。まるで大災害の後のようだが、その災害の元となるドラゴン”グラムドリンガー”は広場の中央に陣取っていて、その唸りのような呼吸音が機嫌の悪さを伝えていた。


「ホリィちゃん、ミーケちゃんは見つかった?」

「いいえ、どこにいるのかさっぱり……」

「アッ、アソコニみーけチャンガ!」


 ライムが指差した方向に、大きな荷物の山があった。ミ-ケが行商で売ろうとしていた武器防具を収めた荷物であろう。その影に隠れるようにケモミミがピョコピョコと動くのが見えた。

 3人娘はミーケのところに駆け寄った。


「ミーケちゃん、無事? 怪我してない? 一緒に逃げましょう!」とホリィ。

「ディアさん、ホリィさん、ライムさん……来てくれたんですね! でも荷物を置いて逃げるわけには……」

「何を言っているの! 荷物より命のほうが大事でしょ!」

「でも少しでも売ってお金を稼がないと、コフガ村で待っている仲間が飢えてしまいます。荷物を置いていくわけには……」

「逃げなきゃ死んじゃうのよ!」


 そう言ってからホリィは数刻前の自分の事を思い出した。街に被害が出るのを食い止めるだなんて事は、目の前の現実を見れば不可能である事は明白だ。なのにホリィは元勇者が逃げようとする事に不満を感じていた。ホリィは自分の浅墓さを恥じた。


「とにかく、荷物は置いて逃げましょう! 運が良ければドラゴンが去った後に荷物が残っているかもしれないわ。まずは身の安全が大事よ!」


 元勇者が宿屋に言った言葉を転用したが、ミーケの視線は広場のほうから離せないでいた。


「も、もう手遅れかもしれません……」


 ミーケの言葉に3人娘が広場の中央に振り向くと、巨大なドラゴン”グラムドリンガー”と目が合った。


 グラムドリンガーは周囲にいる人間全てを敵と認識していた。住処である火吹き山ではなく見覚えの無い街の広場で目を覚ましたグラムドリンガーは状況がわからず、寝込みを襲い掛かってきた冒険者達を消し炭にしても高ぶった怒りは収まっていなかった。


 グラムドリンガーに襲い掛かった冒険者たちの残りは散り散りになっていて、逃げ送れている一般市民は建物の中にいた。グラムドリンガーの目につく所で一箇所に集まっている人間は3人娘とミーケ達だけだった。この瞬間にグラムドリンガーが怒りをぶつける対象は他に無かった。


 巨大なグラムドリンガーの身体が大きく膨らみ、その体内が赤く光っているのが透けて見えた。灼熱のドラゴンブレスを吹き出そうとしている事は明白だったが、少女達に出来るのは死を覚悟する事だけだった。絶望と恐怖で身体が動かない。もはや悲鳴を上げる事さえも出来ない。2ブロックの建物を焼き尽くしたドラゴンブレスの業火によって一瞬で焼き尽くされるだろう。


 そしてグラムドリンガーは炎を吹いた。

 一瞬にして周囲の空気が焼け付き、視界の全てが赤く染まった。


「助けて、勇者様!」


 3人娘の悲鳴が響いた。


「そりゃーもちろん助けるけれど、オジサンを置いていかないでほしいなぁ」


 少女達が固く閉じた瞼を開けると、ドラゴンブレスの業火を全身で受け止めている元勇者の姿が見えた。


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 10数秒に亘るドラゴンブレスの火炎放射は元勇者の身体で受け止められ、その火炎は周囲に拡散して弱められ散っていた。


「火炎耐性のメリットは、着ている服がコゲたりしない事だ。身体だけ火炎耐性だとドラゴンブレスが終わった後には服が焼き尽くされて恥ずかしい格好になっちゃうからなぁ。ただ案外と鼻毛はコゲてたりするからあまりこーいった事はしたくないんだよな。臭いがイヤだし鼻がムズムズするし」


 元勇者は初めてドラゴンを倒した時に火炎耐性のスキルを得ている。シュナのメテオストライクを喰らっても無傷でいられるほどの効果を持つが、やはりドラゴンの発する炎に対しての耐性は一段と強いようだった。


 ドラゴンブレスを吹き終えたグラムドリンガーは唐突に出現した元勇者の存在に気付き、様子を伺うように攻撃を控えているようだった。


「さて……さすがに手ぶらじゃ伝説のグラムドリンガーの相手をしたくないんだけど、何か武器は無いかな?」


 業火に焼かれて死ぬ事を覚悟した少女達は呆然としていたが、獣人族のミーケが我に返った。


「わ、私、武器持ってます! 持ってきたのに全然売れなかった武器と防具だけど、色々あります!」

「そういえばミーケはプラス効果の付いた高級武具を作るコフガ村から来たんだっけ。いま取りこみ中だから後払いにして欲しいんだけど、両手剣を1本買うよ。いいのあるかな?」

「あります! 片刃の両手剣ですけど」

「どれどれ……うわ! メッチャ高そう! お、おいくら万円でしょうか……?」

「えぇっと、50Gも頂ければ十分です……」

「えっ? なんでそんなに安いの?」

「実用性の無い宝剣と間違われたり、そもそも攻撃力の高い武器の需要が無かったり、殆ど閉店処分セール価格なんです」

「ま、まぁ……あとでちゃんとお題は払うから、その剣を頂くよ」


 ミーケは大きな袋をゴソゴソと漁って1本の剣を取り出した。片刃の両手剣は細身だが重く鍛え上げられているものだった。


「剣を構えるのも3年ぶりか……腕がなまってなきゃいいけど」


 元勇者は両手剣を受け取り、固く握り締めた。


「あ、あの……勇者様、あのドラゴンを倒せますか?」


 ディアの問いかけに元勇者は「まさか」と本音を洩らしそうになったが、押し留めた。怖がらせたり心配させてもデメリットしかないからだ。


「戦闘が始まったら君達を守る余裕は無いと思うから、さっき言ったように街の外に向かって逃げるんだ。もし街に残っている人を見かけたら広場から離れるように声をかけてくれ」


 少女達は頷いた。


「俺がグラムドリンガーの注意を引いている間は君達を狙って攻撃はしないだろうから、慌てて転んで怪我したりしないように。慌てず急いで逃げるんだ」


 少女達は再び頷いた。どうやら声を出して返事をする余裕は無いらしい。


(まぁ伝説のドラゴンが荒ぶっている時に落ち着いて返事は出来ないか。そもそもこんな巨大なドラゴンはハイレベルの冒険者がパーティ組んで連係プレイで戦わないと勝ち目なんて無いんだが)


 元勇者はグラムドリンガーに向き直り、ゆっくりと近付いていった。


(そうそうこの感じ……戦う前に”死ぬ事”を覚悟しなきゃならない感じ、久しぶりだな)


 魔王を倒す為の長い長い旅での無数の戦闘では、その1回1回で”死ぬ覚悟”をしていた事を思い出した。戦いに敗れれば命を落とすという事が当たり前だった。その覚悟を怠った時には格下の魔物との戦いでさえ危険な目に遭い深い手傷を負った。フリーランス業としては割に合わない事だったが、手を抜いて稼ぐ事が出来なかったのだ。


(魔王を倒そうだなんて思わずに、手を抜いていた連中は無難に稼いで結婚しているんだよなぁ……。俺もそうしていれば良かったと後悔が尽きないよ。その挙句がこんな状況だ)


 目の前には伝説のドラゴン、背後には元勇者を慕う娘達がいて、逃げられるシチュエーションには程遠い状況だった。

 しかし元勇者の気分はむしろ清々しかった。後悔の鬱気分も無く、死を覚悟しての悲壮感も無かった。


(こんな巨大なドラゴンを相手にたった一人で戦おうとしている俺は、大馬鹿者だな)


 元勇者は首をもたげるグラムドリンガーの眼前に近付いた。グラムドリンガーにとって人間などは蟻か鼠のように小さな小動物でしかなかったが、元勇者が只者では無い事は察する事が出来る程度には目が覚めていた。


 まず元勇者はグラムドリンガーに話しかけた。


「それだけの巨体ならばさぞや長生きしていて人間の言葉も判るのだろう。ここは人間のテリトリーだ。何故人間のテリトリーを犯す。おとなしく立ち去れば見逃してやる。さもなくば打ち倒す」


 グラムドリンガーは人間の言葉を理解するのに暫くの時間を要した。そして喉を唸らせて整えた後、人間の言葉で答えた。


「ワシを倒すだと? 小ざかしい人間如きが! 人間の縄張りなど知らぬ、ワシが何故ここに居るかも知らぬ! 我が眠りを妨げた者は誰であろうとも何処であろうとも容赦はせぬ!」

「ならば……覚悟!」


 次の瞬間、グラムドリンガーの山のような巨体が高く高く宙に吹き飛んだ。

 広場の周囲の逃げ遅れた人々が驚きの声が響いている中、次の瞬間にはグラムドリンガーは地面に叩きつけられていた。


 地響き、衝撃、そして土煙が高く舞い上がり、その奥で元勇者の構える両手剣の刃がキラリと光った。


 間近でそれを目にした少女達は呆気に取られそうになったが、ディアが声を上げた。


「みんな広場から離れて! ドラゴンと勇者様から逃げて!」


 度を越えた恐怖は感覚を麻痺させる。伝説のドラゴン・グラムドリンガーの放つ恐怖だけではなく、それに抗おうとする元勇者の恐るべき攻撃力の恐怖が加わり、この広場で起きている事は危険な状況なのだという当たり前の事を理解する事が誰にとっても難しい事となっていた。ディアはそれを単純に言い纏めて避難を促そうとしたのだ……「勇者から逃げろ」と。




-----


 一瞬のうちに2発の必殺技を叩き込んだ元勇者だったが、顔をしかめていた。


(さすが伝説のドラゴン、折角の必殺技の二連撃を思いっきり吹き飛ばされる事でダメージを受け流しやがった)


 傍目には元勇者の攻撃でグラムドリンガーを高く吹き飛ばし地面に叩きつけたように見えるが、実際には違う。剣の動きに合わせてわざと吹き飛ばされる事によってダメージを半減させているのだ。


「ならば、もう一撃!」


 間髪いれずに元勇者は再び二連撃を繰り出した。ニ撃目の攻撃は直下ではなく斜め前方に角度を変えて打ち込んだ。

 瞬きほどの一瞬の間にグラムドリンガーは宙に吹き飛ばされ、広場の脇の更地と化した焼け跡に叩きつけられた。


 それを逃げながら遠目に見ていた者達は驚愕するばかりだった。山のような巨体のドラゴンが高く突き飛ばされ、地面に叩きつけられ、その衝撃が地震のように地面と建物を揺らした。建物の隙間から見える広場の辺りは砂埃が巻き上がっていた。


 広場の周囲の建物にいた人々が一斉に逃げ出して道は人で溢れかえっていた。必死に逃げる者達の中には眠っていたグラムドリンガーを攻撃して返り討ちに遭った若い冒険者の生き残りの姿もあった。

 ディアとホリィとライム・ミーケの4人は「広場から離れて、街の外に逃げて!」と声を上げ続けた。逃げ惑う人々はパニック状態で、その人混みに紛れて逃げるのも危ないので、道の端で避難誘導しながらゆっくりと移動するのがベターであろうという判断だった。


 逃げながらも広場の様子を気にかけていた娘達は、ドン!という爆音と共に広場に大きな火柱が立ち上がるのを見た。グラムドリンガーのドラゴンブレスによるものだろう。その灼熱の炎を受け止めているのは元勇者ただ一人であろうが、娘達も元勇者の火炎耐性でどこまであの灼熱に耐えられるのかは判らなかった。

 娘達は逃げるしかないと言っていた元勇者の言葉の意味を理解した。山のように巨大なドラゴンが灼熱の炎を吹いて暴れる様子はまるで火山の噴火だ。火山の噴火を人間の力で止めようと考えるのは愚かで傲慢な事だ。しかし娘達も、眠っていたグラムドリンガーを起こした若い冒険者達も、実際に火山が噴火するまでその危険を甘く見ていたのだ。


「こんどのドラゴンの炎、かなり長いわ」

「本当ね。勇者様大丈夫かしら……」


 広場の中央で元勇者は強烈なドラゴンブレスに耐え続けていた。マグマのように粘りのある灼熱の炎が元勇者の身体に纏わり付き、収まるまで攻撃出来そうもない。


(どうやら俺ではなく、周囲の空気を燃やし尽くすつもりだな)


 いくらドラゴンブレスに耐えうる火炎耐性であっても、息が出来なければどうにもならない。グラムドリンガーは酸素を燃やし尽くす為に長く炎を吹き続けているのだ。


(全力の攻撃を連続で打ち込んでも受け流されて威力は半減してしまう。倒すには全力攻撃を続けてグラムドリンガーの体力を削り続けるしかないが、俺が酸欠で動けなくなるほうが先だろうな……)


 酸素が尽きればドラゴンブレスの威力も弱まるだろうが、酸欠状態でグラムドリンガーを倒す事は到底無理だ。魔法攻撃などの駆け引きがないだけドラゴンとの戦闘は単純だが、その結果は攻撃力の高さで決まってしまう。伝説のドラゴンを相手に普通に戦ったのでは元勇者に勝ち目は無いが、元勇者は普通の戦い方しか出来ない普通のファイターでしかない。


(ドラゴンブレスが止んだ瞬間に攻撃を打ち込むしかないが、連撃は無理だな)


 そう考えた矢先に炎が途切れ、元勇者は考えるより先にグラムドリンガーの懐に飛び込んだ。


「少しは効いてくれ……部位破壊!」


 元勇者は懇親の一撃をグラムドリンガーの足に打ち込んだ。横からの攻撃に回避運動が間にあわず、グラムドリンガーは横っ飛びに周囲の建物に叩きつけられた。粗末な建築構造の建物はあっさりと倒壊した。


「……この程度か? 小ざかしい人間め」


 グラムドリンガーは唸るように言った。

 元勇者は、倒壊した瓦礫の中で首だけを動かして睨みつけるグラムドリンガーの横に位置するよう移動しながら返事をした。


「貴様はその小ざかしい人間のテリトリーにいるんだ。もう一度言うが、立ち去るならば見逃してやる」

「ここが誰の縄張りかなど知らぬわ。我が炎で焼かれぬからといって生意気な事をほざくでないぞ」

「では問うが貴様は何故ここにいる? 理由もなくこんな街にいるのであれば、元の住処に帰るのが必然であろう」

「生意気な事をほざくなと言ったであろう!」


 驚くべき瞬発力でグラムドリンガーは元勇者に突進した。周囲の瓦礫を蹴散らし、その破片が元勇者のほうにも飛び散った。グラムドリンガーの突進と飛び散る瓦礫を避ける為に元勇者は大きく回避しなければならなかった。


(足への一撃、骨まで響いたと思ったんだが……さすがは伝説のドラゴン)


 ドラゴンの巨体を支える足の骨は想像を超える丈夫さだったようで、元勇者の渾身の一撃でもヒビさえ入らなかったようだ。

 同じ威力の攻撃をドラゴンの翼に打ち込んでいれば明確なダメージになっていたであろうし部位破壊する事も可能だったが、元勇者の考えでは翼を攻撃する考えは皆無だった。


(やべっ、もう結構疲れてきた……。さすがに3年ぶりの戦闘だし、こんな大物相手に長期戦するだけの体力は無さそうだ……)


 先程のドラゴンブレスで酸素は薄く、周囲の建物が燃えた煙で空気も悪い。時間が経つだけで元勇者の体力は奪われてしまう状況だった。


「しょうがない……言う事を聞かぬなら、少し痛い思いをしてもらうぞ!」


 言い終わるや否や、元勇者の姿が消えた。

 ……いや、グラムドリンガーの目にさえ止まらぬ速さで、再びその足に一撃を打ち込んだ後だった。


 雷鳴のような空気を切り裂く音が響いた。

 そしてグラムドリンガーは「グオォォォ……!!」と恐ろしい咆哮を上げながら横向きに倒れた。山のような巨竜が倒れた地響きが街中に響いた。


 ハイレベルの冒険者が強大な魔物にダメージを与え打ち倒せるのは、その攻撃力を一点に集中させる熟練の技によるものだ。剃刀の刃が薄く鋭いほど切れるように、打ち込んだ剣戟の攻撃力を切っ先の僅かな部分に集中させる事で何倍もの威力に高める。

 重く大きな両手剣の刃先であっても、髪の毛よりも針の先よりも細い極僅かな部分に攻撃力を集中する事で、全ての攻撃力を刃先の僅かな一点に集中させる事でドラゴンの硬い鱗さえチーズのように切り裂けるのだ。それは10数年に及ぶフリーランス冒険者の長年の経験によってしか体得出来ない高精度攻撃だ。


「骨を断つのが無理だったので、肉を断ってみた」

「おのれ、小ざかしい人間め……」

「そんなに人間が小ざかしいなら、さっさと火吹き山に帰ったらどうだ? せっかく魔王による封印が解けて火吹き山から出られるようになったというのに、こんなつまらない場所で怪我を増やすほうが気分が悪かろう」


 グラムドリンガーは暫く憤怒の呻き声を唸らせていたが、次第に静まっていった。


「……火吹き山の封印が解かれている、だと?」

「数十年に亘って世界を混沌に陥れていた魔王は打ち倒された。火吹き山を封印した魔王がいなくなったんだから、封印も無くなって当然だろう」

「まさか……いや、成る程……。あの忌々しい魔王に封印されてから長く眠りに就いていたが、目が覚めればこんな所で煩い雑兵に取り囲まれておった。一暴れせねば気が収まらんところであったが、そうか……封印は解けたか……」

「忌々しい魔王はいなくなったが世の中から忌々しい事が無くなったわけじゃない。あんたをこの街に転送した誰かがいる筈だし、その目的も俺にはわからないからな」

「それはワシにとっては、人間共の下らなき謀略に巻き込まれるくらいなら戯れに人間共を食い散らかすのも悪くは無い、という事でもあるぞ」

「確かにあんたをこんな場所に転移させた人間の事を考えればそういう選択肢に到るのも当然だが、無関係の俺を巻き込まれては困る。もう一度だけ言うが、ここは人間のテリトリーだ」

「ならばどうした。ワシを止めるとでも言うのか?」

「まぁ無理だろうね。人間はあんたと違って結構早く老いるし、俺ももう中高年だから若い頃ほどハッスルできない」

「ではワシに食われるか? それとも逃げ出すか?」


 どうやらグラムドリンガーは挑発しているのではなく、挑発的な会話を楽しんでいるようだ。火吹き山に住まう伝説の巨竜と知りながら恐れる事もなく立ち向かってきて、硬い鱗を切り裂いて足に大ダメージを与えた謎の中年男に興味を持ったのだ。


「逃げるのも結構疲れるから、食われて死ぬまでの間に悪あがきの攻撃をするだろうね。勝てる気はしないけど、季節の変わり目にシクシク痛むような傷を幾つかプレゼント出来ると思うよ」

「ククク、生意気で愚かな人間だ。死ぬとわかっていながらワシに挑むというのか?」

「まぁ、他にする事も無いしね」


 グラムドリンガーは元勇者に顔を近づけ、睨んだ。


「……成る程。貴様が魔王を倒した人間だな?」

「ご明察。なぜ判った?」

「愚かしいからよ」

「あ、あらら……」

「人間よりも上位の存在を打ち倒そうとする貴様のような愚かな人間はそう多くは無いだろう? 人の生涯は竜や魔物に比べれば短きものであるのに、その短き生涯を費やして上位の存在を打ち倒す力を鍛え続けるなど実に愚かしい事だ」

「そのとおりです……。実際、それで結構後悔していたりもするんで……」

「あの魔王でさえワシの鱗を貫くにはもう少し苦労していたぞ。それほど貴様は愚か者なのだ」

「ホメるかクサすか、出来れば褒めるだけにしてほしいなぁ」


 元勇者は大きな溜め息をついた。

 既にグラムドリンガーもさほど戦意を剥き出しにしてはいなかった。


「ともあれそろそろ火吹き山に帰ったらどうだ? 何者かがあんたの根城を荒らしているかもしれないし、俺とあんたが戦う事には意味がない」

「貴様、それでわざと我が翼を攻撃しなかったのだな? ワシが飛び去る事を目論んで翼を折らぬように戦っておったのだな?」

「足の怪我は済まなかった。火吹き山はここから……東北東の方角だ。途中にあんたが腹ごしらえできそうな枯れ山があった筈だ。その大きな翼なら火吹き山まで一昼夜ほどで帰り着くんじゃないのかな」


 グラムドリンガーはギロリとした目で元勇者を睨みつけた。クックックと笑いを抑える呼吸で口と鼻から炎が漏れた。


「もし貴様が老いて死ぬ前に再び遭い見えた時には、この戦いの続きをしようぞ。名を聞こう」

「俺はユート・ニィツ。でも次に戦ったら100パー俺が負けるじゃん。伝説の巨竜は伝説らしく火吹き山に篭って長生きしてろ」


 グオォォォ!と高らかに咆哮を響かせた後、グラムドリンガーは二度三度と翼をはためかせ、そして大きく羽ばたくとその巨体が浮かび上がった。


「貴様も易々と死ぬでないぞ、最も愚かな人間よ!」


 元勇者は苦笑いしながら小さく手を振った。

 突風を吹き上げながらグラムドリンガーは高く舞い上がって太陽と青空を隠し、更に高く舞い上がって再び咆哮を響かせた。


 元勇者は、フフッと失笑の声を漏らした。


「やはり俺は自他共に認められた阿呆な愚か者なんだな」


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