「火竜グラムドリンガー」
宿屋を探して歩くホリィ・ディア・ライムの3人は、広場の近くで騒ぎが起きているのを目にした。
騒ぎの周囲には野次馬もまばらで、このインモールの街では街中での騒ぎなど珍しい出来事ではない事が伺えた。集まった野次馬はしばらく様子を眺めては何事も無かったかのように過ぎ去り、通りかかった他の野次馬が似たような事を繰り返す。
「なにかトラブルのようだけど、街中の往来で騒ぎだなんてインモールの治安はどうなっているのかしら」
ディアは眉間にしわを寄せた。アーティスの市民はしっかり者気質なので街中でトラブル等という事は滅多にない。しかしここインモールでは人通りの多い道でも当たり前のようにトラブルが起きている事がディアには不快だった。
「よく見て! 小さな子が暴力を受けているわ!」
ホリィが悲鳴に近い声を上げた。
野次馬の向こうでは数人の荒くれ冒険者らしき男達が怒声を上げ、その足元には小さな娘が蹲っていた。仲間らしき男達をあわせて5人が娘を取り囲んでいた。
「助ケマショウ。状況ハワカリマセンガ、コノ暴力ガ正シイ事トハ思エマセン」
ライムの言葉には毅然とした迷いのない意思がこもっていた。
「どうして誰もあの子を助けようとしないのかしら」
「事情は助けた後に尋ねましょう。私は護身用の短剣を持っているから、私が前衛として盾になっている間にホリィとライムは女の子を助けてあげて!」
「モシ戦闘ノヨウナ事ニナッタラ、私モ魔法攻撃デさぽーとシマス。ソノ場合ニハでぃあサンハ呪文詠唱ノ数秒間ノ時間ヲ稼イデクダサイ」
「わかったわ。出来れば戦いたくは無いけれど、相手が攻撃してきたなら容赦しないわ。ホリィは女の子を守ってあげて」
「もちろんです。危なくない所に移動できたら回復魔法で手当てをしないと」
3人は手早く段取りを決めると、野次馬の人壁を押しのけて荒くれ冒険者の元に駆け込んだ。
足元に蹲る娘を踏みつけようとした荒くれ冒険者の動きが止まった。
「なんだァ、お前たちは? このガキの仲間か?」
「乱暴はおやめなさい! 大の大人がこんな小さな子を足蹴にするなんて酷すぎるわ!」
ディアの声に荒くれ者達はしばし呆気に取られた。それまで足元の少女に対して何か怒りをぶつけていたが、唐突に現れた3人の美少女の怒りの声を理解するのに少々の時間が必要だった。荒くれ者達にとってはこの程度の騒ぎは当たり前で日常的な事であったし、3人の少女は美少女という言葉では足りないほどの上玉に見えた。
「お嬢さん達、何か勘違いをしてないかァ? このインモールの街で無許可で商売しようとしたガキを少々痛めつけているだけだ。デミヒューマンの分際で勝手に露店で商売しやがって、野放しにしていたら示しがつかないだろうが」
荒くれ者達はニヤリと笑みを浮かべた。どうやら悪い事をしているとは微塵も思っていない様子だ。
地面に蹲っている娘は一見10歳前後の少女のように見えるが、確かに動物のような耳の全身に毛が生えている”デミヒューマン”(亜人)だった。
デミヒューマンは人間型の人間ではない種族の総称で、エルフやドワーフのような人間に近い種族から、狼男やミノタウロスのような人間とは程遠い魔物までが含まれる。概ね人語を話し交流のある種族に対して言う場合は侮蔑の意味が含まれている事が多い。
デミヒューマンの娘は掠れる小声で反論した。
「……インモールの商工会には行商の許可を求めたけど、2週間も何の返事も無いままで、滞在費で帰る為の費用も無くなってしまって、旅費だけでもと仕方無しに持ってきた物を売ろうとした途端にこの人達が襲い掛かってきたんです……」
「事情なんてどうでもいいんだよ! 許可なしで商売しようとした事は確かじゃねぇか!」
ディアの頭に血が上った。
「許可なしの商売が罪だとしても、弱いものイジメの暴力の罪が許されるわけじゃないわ! 私にとってはあなたたちの商売の事情なんて本当にどうでもいい事よ!」
普段は感情を見せないライムも怒りを見せていた。
「でみひゅーまんノ分際トイウノデアレバ私モでみひゅーまんデスガ、コノヨウナ野蛮ナ人達ニ見下サレルノハ我慢デキマセン」
半分は人間・半分は魔力の塊であるライムの身体が薄く輝く赤いオーラに包まれた。どうやらシュナの得意な炎属性の魔法の才能を引き継いでいるようだ。
「なんだァこいつら、ちょっとばかり可愛い顔をしているからっていい気になりやがって。それに少しも怯えていないのが気に食わねぇ。少し痛めつけてから、たっぷり可愛がってやるとするかァ?」
荒くれ者はゆっくりと剣を抜いて切っ先を向けたが、ディア達は不思議と恐怖を感じなかった。
ライムは魔法を使うのに適した距離を取り、ホリィは娘を抱きかかえて守っている。
ディアは向けられた切っ先を見つめながら何故か余裕のようなものを感じていた。
(抜いた剣を向けられても全然恐怖を感じない……怖くないから身体も萎縮していないし、相手は間抜けにも切っ先を私に向けているから攻撃パターンは限られる。肘を伸ばしきっているから突きでの攻撃を避けるのは簡単だし、振りかぶって振り下ろす隙だらけの攻撃なら私のほうが先に一撃を繰り出せるわ)
あまりに冷静に判断出来る事がディアは不思議だったが、まずはこの状況に対処する事に集中すべきという事も忘れはしなかった。
「私もあなたのような乱暴者は少しばかり痛めつけたいけど、可愛がるつもりは無いから覚悟なさいね」
「なんだと! 生意気な小娘めッ!!」
荒くれ者はあっさり挑発に乗って突きつけた剣を高く振り上げた。
ディアは冷静に短剣を引き抜いて荒くれ者を攻撃しようとした。
しかしディアの短剣は抜く事が出来ず、荒くれ者の剣が勢いよく振り下ろされた。
ゴイィィィ……ン!、と鈍い音が響いた。
「……なんか頭が痛いなぁ?」
気付くとディアと荒くれ者の間に、鬱オーラを纏った元勇者がボケーっと突っ立っていた。
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剣が抜けなかった事に驚いたディアだったが冷静さは失っていなかった。
ディアは状況を理解しようとした。
……ディアの短剣を抜く手は元勇者が押さえつけていた。いつ元勇者が間に割って入ったのかは全く判らなかった。ディアは攻撃に備えて荒くれ物の動きに集中していたので周囲の状況にまで気が回らなかったし、鬱オーラで生気が全く感じられない元勇者の気配は周囲の野次馬達にも気付かれていなかったようだ。
そして先日の山賊騒動の時と同じように、荒くれ者の振り下ろした剣は元勇者の頭を直撃していたが無傷だった。より観察すると剣と元勇者の頭の間にはわずかな隙間があった。どうやら元勇者の放つハイレベル冒険者特有の闘気のようなオーラが攻撃を跳ね返しているようだ。……もしかすれば闘気ではなく鬱オーラで弾き返したのかもしれないが。
荒くれ者は唐突に出現した元勇者の脳天に一撃を食らわせてしまった事に驚きつつ、言った。
「き、貴様は一体……何者だ?」
定石では啖呵や罵声として発せられる台詞だが、さすがの荒くれ者もついつい普通の疑問系で尋ねてしまった。なにしろ唐突に出現し、脳天にクリティカルヒットを食らっても平然としているのだ。死んだ魚の目のような中年男だったが、只者では無い事だけは確かだった。
「君たちは人に尋ねる時に剣を叩きつけてから質問するタイプなのかな?」
元勇者はボソボソと呟くように言いながら、ゆっくりとディアを遠ざけるように押しのけた。ディアは察して目立たぬように距離を取った。誰がこの場を支配しているのかは3人の少女達が一番理解していた。
荒くれ者も威厳を損なわないようさりげなく元勇者の頭に直撃している剣を引いて構えなおした。
「誰だか知らねぇが、俺達の邪魔をするなら怪我をする事になるぜ……」
そう言ってみたものの重い鋳造の剣の直撃を脳天に食らって微動だにしない相手に怪我をさせる自信は無かった。どう考えても普通の中高年では無い事だけは確かだった……。
「……って貴様、その白髪銀髪、傷痕のある顔、少し瞳の色が違うオッドアイの中年男……まさか500Gの賞金首か?!」
「さぁ? 俺みたいな中年のオッサンは結構いるんじゃないか? 白髪とか」
「いや白髪のオッサンは普通だけどそういう事じゃなくて、えぇっと……俺達の邪魔をしているお前は賞金首の男なのか?って事だ」
「だとしたら、どうする?」
「どうするって、決まってるじゃねぇか……」
周囲の野次馬の近くを子供連れの主婦が通りかかり、子供は下勇者を指差して「ママ~、あそこに変なオジサンがいるよ~」と言った。主婦はすかさず「シッ! 見ちゃいけません!」と子供を制してそそくさと去っていった。
「決まっているって、何がかなぁ?」
「そ、それは……」
荒くれ者は仲間の顔を伺った。
覇気の無い中年のオッサンに500Gもの賞金がかけられているのだから迷う事など無い筈だったが……何かが変だ。
周囲の仲間も何か不穏な雰囲気を感じている様子だった。「このまま捕らえちゃっていいんじゃね?」「捕らえても大丈夫なもんかなぁ?」といった妙な迷いが生じていた。
「何が、決まっているのかなぁ?」と再び元勇者が問うた。
ようやく荒くれ者達はその不穏な空気が「イヤな予感」だという事を察した。この中年男は何かを抑え込んでいて、抑え込んでいるものは圧倒的レベル差から生じる”フィアー”効果であるように思えた。そのフィアーが全開になった時に荒くれ者達が怯えずにいられるかどうかは自信が無かった。
「まぁ何が決まっててもどうでもいいか。その前に君たちは俺に何か言わなきゃならない事があるんじゃないかなぁ?」
荒くれ者達は警戒した。目の前似る中年男の鬱オーラが濃くなっているように感じられたからだ。
「うっかりにしろ何にしろ、人の頭に一撃食らわせていながらゴメンナサイの一言も無いのはちょっと失礼じゃないかなぁ?」
「そ、それはその……貴様が急に割り込んできたから……」
「君達もう子供じゃないよね? で、僕は君達より年長だよね? こういう事を言うと老害扱いされそうだけど、もうちょっと目上の者をいたわってもいいんじゃないかなぁ?」
じわり、とフィアー効果が濃くなった。この中年男はヤバイと感じた。どういった意味での”ヤバイ”かはわからなかったが危険な相手である事は確かだった。
「そ、その……スイマセンでした」
しかし目の前の中年男の機嫌が収まった様子はなかった。
「それにさぁ、街中で剣を抜くのもどうかと思うんだよね。普通は抜刀したら殺し合いになるもんだよ? いまの時代は違うのかな? 俺また老害っぽいこと言ってる?」
「い、イエ……それもスイマセンでした」
荒くれ者の仲間の一人が小声で囁いた。
(アニキ、このオッサン武器を持っていない丸腰ですよ? そこまで警戒しなくてイイんじゃないすか?)
(バカ! そんな事を言うならお前ももっと近付いてみろよ! なんかヤベー感じするから!)
(でも500Gの賞金がかかっているんですよ? 山分けしても一人100Gの金になるのに、みすみす逃すつもりじゃないっすよね?)
(確かに賞金は魅力だが……やっぱ何かヤバイ感じがするんだよなぁ)
荒くれ者達は目の前の中年男を警戒し、刺激しないようにした。
しかし一向に元勇者の鬱オーラは晴れなかった。
「話を戻すけど、俺が500Gの賞金首だったら、どうするのかな?」
「それはその……」と荒くれ者は少し言葉に詰まった後「捕らえてもイイっすか?」と遠慮がちに尋ねた。
「それはイヤだなぁ」と元勇者。
様子見で反応の乏しい荒くれ者を見ているうちに元勇者の鬱オーラがドロッとしたものに変質した。
「俺を捕らえるつもりなら、俺も抵抗しなきゃならないなぁ。でも君たちはもう剣を抜いているわけだから……殺し合いで構わないよね?」
「あの、まだ捕らえるって決めたワケじゃなくて、その……」
「冒険者が剣を抜いたら相手を殺すのは基本だよね? 剣を抜いたら戦闘モードって事だよね?」
「そ、それはそうッスけど……」
「じゃぁまずは……君達の中で既婚者いるかな? 既婚者優先で殺すようにするよ」
「えっ! な、なんなんスか一体?」
「俺って孤独な独身中年だから、時々だけど既婚者が憎く思えちゃうんだよねぇ。それに既婚者なら嫁さんとか子供とかがお葬式してくれるじゃないか。俺のような孤独な独身だと公共墓地にポイーって処理されるだけだからさー。身内が元気なうちにお葬式してもらったほうが幸せなんじゃないかなーって」
元勇者の発するフィアー効果に不気味さが加味され、荒くれ者達は戦慄した。
(このオッサン、本当に”ヤバイ”ほうだ!)
元勇者に絡んでいた荒くれ者は後ずさり、露骨なほど空々しい演技で言った。
「あっスイマセン俺達ちょっと用事があるのを忘れてました! お騒がせしてどうもスイマセン!」
「えっもう行っちゃうの? 折角ストレス発散できるかと思ったのに」
「本当にスンマセンでしたー!」
そういい残すと荒くれ者達はそそくさと退散していった。
「まぁ、よく考えたら身体動かすのも面倒くさいし、どうでもいいか……」
この騒ぎも山賊セシルの耳に入る事になるだろう。酒場ではあまり囮役としての務めを果たせなかったが、これで山賊セシルは何らかの動きを見せる筈で、その動きによっては元勇者かアーティス国王がセシル達の暗躍に手出し出来るようになるかもしれない。
「俺の勤めは済んだから、後は宿屋で寝て過ごす事にしよう……」
傍らで身構えていたディアが元勇者に声をかけた。
「手助けしていただき、ありがとうございます! でもどうして勇者様がここに?」
「いやまぁ……実は酒場でちょっと気分がヘコむ事があって。ディアの攻撃が先にヒットするのはわかっていたから俺が手出ししなくても良かったんだけど、状況わかんないから俺のほうから首を突っ込んでみようかなーって」
「不思議なんですけど、私ぜんぜん怖くなかったんです。怖い人達に剣を突きつけられても何故か冷静に判断できたというか」
「そりゃぁ当然だよ。ディアもホリィも4英雄と共にアーティスで山賊退治に行っているから、駆け出し冒険者よりも経験値を得ている筈だよ。ライムも元々シュナのところにいたし」
「なるほど。ハイレベルの冒険者と一緒に行動した事で初心者みたいな私達もレベルアップしていたという感じなんですね!」
「そうそう、そんな感じ」
「じゃぁ私達が勇者様をポカポカ叩いたらもっとレベルアップしちゃうのかしら?」
「えっそれ何のプレイ? 肩叩きなら構わないけど、トレーニングと称して石とかぶつけて経験値稼ぎするのはやめてね……」
「それにしても勇者様、ものすごく悪党みたいでした! 勇者様が既婚者を殺さないよう、早く結婚しないといけませんね!」
「鬱過ぎて黒歴史が増えてしまったようだ。気分的に他の威圧する言葉が思い浮かばなくて……」
ただでさえ低かった元勇者のテンションが更に下がった。
「ところでどうしてこんな事に?」
背後からホリィが答えた。
「この子がさっきの人達に暴力を受けていたんです。なので私達は助けようと咄嗟に」
ホリィの傍らには狼とも猫とも似た毛並みを持つ娘がいた。暴力を受けた傷はホリィの回復魔法によって回復していたが、まだ怯えた様子だった。
「可愛らしいケモミミの子じゃないか。このあたりで獣人族は珍しいなー。はるか遠方のエルフの森のほうに獣人族の部落があったが、そこから来たのかな?」
「い、いえ……」
「じゃぁ街道の先にある山を幾つか越えたところにある隠れ里のほうかな? 腕のいい武具の職人が集っているコフガ村とか」
「はいそうです。コフガ村をご存知なのですか?」
「昔、旅をしている時に強い武器を買うために何度か通った事があるんだ。ここからは結構遠い場所だが、きみはそこから来たんだね。長旅で大変だっただろう」
「私達の種族は野営には慣れているので長旅は苦痛じゃないです。ですが……」
娘は口篭った。その様子から獣人族に対する差別や迫害のような仕打ちを受けていたであろう事が察せられた。
「まぁ……このインモールの街は思っていた以上に物騒な街らしいから、早めにコフガ村に帰ったほうがいいだろう」
酒場で聞いた話では冒険者を襲うPKという輩がいるらしい。この獣人族の娘が狙われる事は無いだろうが、物騒な街である事には変わりない。実際に街中だというのに荒くれ者達に暴力も受けている。長居をするほど危険な目に遭うだろう。
「そうしたいのですが、インモールには行商できているので、少しは持ってきた商品が売れないと困るのです……」
「何を売っているんだい?」
「コフガ村の職人が鍛えた武器や防具などです。本当なら助けて頂いたお礼に差し上げたいのですが……」
「いやいや! コフガ村の武器って言ったらプラス属性の付いた高級品じゃないか! 容易く人にあげられるレベルのものじゃないよ。お礼とか考えなくていいから、変な人に絡まれないよう気をつけるんだよ」
獣人族の娘にとって異郷の地であるインモールで、故郷のコフガ村を知る中高年に助けられ気遣われて、喜びでケモミミがピョコピョコと動いた。
「私はミーケといいます。もしコフガ村に立ち寄る事があれば一族を挙げて歓迎します」
「俺は別に何もしてないから、ミーケを助けたディアとホリィとライムの3人を覚えておいてくれ。いつかコフガ村の優れた武具に相応しいレベルになるかもしれないし」
「勿論です! 皆さんが助けてくれなかったら私は嬲り殺しの目に遭っていたかもしれません。皆さんは命の恩人です!」
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秘密組織”希望の暁”の拠点でセシルは荷物をまとめていた。
淡々と荷物整理をするセシルに、ルナーグが話しかけた。
「セシル、一体何が始まろうとしているんだ?」
「何もかもユート・ニィツを殺すための事さ」
「ユートを殺すのに逃げ支度をしているのか?」
「あぁ」
「確かにアーティスの一軒でユートは次に会ったら殺すというような事を言っていたが、”希望の暁”の拠点を捨てて逃げるのは納得いかないぞ」
「正確には次にユートと会った時に俺が何かを喋り終えたら殺されるんだ。たとえ命乞いでもユートは容赦なく俺や仲間達を殺すだろう。昔から半端に律儀な奴だったし、俺達が冒険者を辞めた後もずっと魔物を殺し続けていた奴だ。ユートは”希望の暁”もスライムの群れ程度にしか思っていないだろう」
「しかし折角ここまで大きな組織にしたんだ。インモールの実権は殆ど掌握しているし、クライアントもスポンサーも増えてきたところなんだ。ここまでの組織にする為にどれほど苦労して何年かかったのかを忘れたのか?」
セシルは淡々と返事をした。まるで感情が無くなっているかのようだった。
「逃げ支度をしているのはユートから逃げる為じゃない。ユートを殺す巻き添えを食らわない為にさ」
「ユートを殺す巻き添え?」
「たかだか人間が魔物の王を倒したんだからユートは普通の人間じゃ殺せない。ユートと同等のハイレベルの冒険者を雇えば殺せるかもしれないが、多くのハイレベル冒険者は歳を取ってリタイアしている。……まぁ俺達もすっかり歳を取ってしまったがな」
「じゃぁ、どうやってユートを殺すんだ?」
「その作戦は、ローザに一任している」
「ローザはハガーに火吹き山を探索しろと指示していたが、ハガーが戻ってきてすぐローザとハガーが一緒に何処かに行ってしまったぞ?」
「火吹き山は魔王に従わぬ強靭な火竜が封じ込められ、魔王が生きていた頃には誰も火吹き山には近付けなかった。しかし魔王が打ち倒されて封印はアンロックされたんだ。だからハガーを探索に行かせた」
「つまり伝説の火竜を探しに行ったのか?」
「ローザとハガーには高価な”転移のオーブ”を幾つも持たせてある。たとえユートでもただでは済まないだろう」
ルナーグはしばし考え、作戦を理解して青ざめた。
「下手をすれば大勢の巻き添えが出るぞ?」
「別に構わないだろう? ”希望の暁”や”狼煙獅子団”の仲間には逃げるよう伝えてある」
「確かに誰が巻き添えになろうと俺達には関係ないが……」
困惑するルナーグに向き直ってセシルは言った。
「当然だろう? ユートを殺さなければ俺たち全員殺されるんだ。考えるまでもない事だよ」
そう言ったセシルは、無表情だった。
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火吹き山の洞窟でローザとハガーが最深部に向かって歩き続けていた。
マジックアイテム”転移のオーブ”は一度辿り着いた場所まで瞬時に移動できる。しかし狭い洞窟に転移した時に場所がずれれば壁の中に埋もれる危険もある。なので便利なアイテムであってもある程度の広さがある場所で使わなければならない。
ローザとハガーは洞窟の途中の広い場所に転移し、そこから最深部に向かっていた。
「このあたりには魔物は1匹もいやせん。火竜の放つ覇気のようなものが魔物さえ近付けないんでしょう」
「伝説では火竜は古代からの金銀財宝を蓄えているという噂だけど」
「噂ではそうだと……」
「何? ハガーは自分の目で確かめたんじゃないの?」
ヒステリックなローザの声にハガーは萎縮した。
「す、スイヤセン……火竜の姿を見てすぐに”転移のオーブ”で戻ったもんで、細かいところまでは……」
「なによバーバリアンのくせに意気地がないんだから」
怯えるハガーを尻目にローザは躊躇無く洞窟の奥に進んでいった。
やがて細い洞窟に火の粉の匂いが混ざった微風が漂ってきた。
「この先を抜けたら、すぐです」
「目的の火竜はどこよ?」
ローザは開けた場所を見回した。高く吹き抜けた天井には斜め上に伸びる大穴が空いており、火竜はそこからこの場所に出入りしているのだろう。しかし伝説のドラゴンが住まうには狭い空間に見えた。
「どこにもいないじゃない」
「違いやす! そこにいます! その目の前の全部が伝説の”グラムドリンガー”ですッ!!」
それまで全く怯える素振りを見せなかったローザも状況を理解して身を強張らせた。
狭い洞窟の中の少し開けた場所と思ってみていた空間の、不恰好に隆起した岩盤と思っていた小山の全てが火竜グラムドリンガーの身体だった。よく見れば赤黒い岩肌に見えた小山は竜の鱗で覆われていた。
かつてローザ達も7勇者時代の最後にドラゴンと戦い命を落としかけた事があるが、その時のドラゴンの倍以上大きい。しかし身体を丸めて眠りに就いているので正確な大きさはわからなかった。
「……さすがは伝説の火竜ね。これならユートを殺せるかもしれないわ」
「こんな化け物、俺達の手に負えませんぜ。一体どうするんで?」
「転移のオーブはあと幾つ残っているの?」
「あっしの持っている分は残り5コです」
「それだけあれば十分よ。私はこのデカブツの反対側にいくから、合図をしたら同時に転移するのよ」
「合図って……そんな事をしたらグラムドリンガーが目覚めてしまいますぜ」
ローザが岩山と勘違いしたのも無理はないほど、伝説の火竜グラムドリンガーは深い眠りに就いていて動かなかった。巨体すぎて呼吸をしているのかもわからない程だ。
ドラゴンほど莫大なエネルギーを備え持つ魔物は数少なく、活動時には膨大なカロリーが必要となる。逆に活動していない時には出来るだけのカロリーを浪費しないよう冬眠に似た深い眠りに就く。長寿のドラゴンほど巨体となり爆発的なエネルギーを持つが、普段は無駄なカロリーを浪費しないよう生涯の大半を深い眠りの中で過ごす。
「転移のオーブの効果範囲に入りきらないから2人同時に使わないとデカブツ火竜を巻き込めないのよ」
「しかしこんなに巨大なドラゴンの向こう側からじゃ大声で合図しなきゃならねぇですし、もしドラゴンが目を覚ましたら俺達が危ないですぜ!」
「これだけぐっすり寝ているなら目覚めが良い筈が無いわ。それに目覚めた時には転移しているんだから」
「それはそうですけど、こんな恐ろしいものをインモールの広場に転移させたら……街が滅びますぜ」
「ユート・ニィツを殺す為よ。仕方が無い事よ」
「仕方が無いって……やっぱりこんな事は止めにしましょう。グラムドリンガーがユートを殺した後にはもう誰も止められませんぜ」
「事は段取りどおりに進んでいるわ。”希望の暁”や”狼煙獅子団”には街から逃げるよう伝えてあるし、他の人の事なんてどうでもいいわ」
ハガーはすっかり怖じ気付いていたが、それ以上の反論はしなかった。
ローザは冒険者時代から山賊に身を落とした現在まで10年以上の”仲間”だ。ローザやセシルが率いてくれなかったらハガーは路頭に迷っていた事だろう。良い事も悪い事も一緒にやってきた仲間の言う事に逆らうわけにはいかなかった。……特に悪い事を一緒にやった”共犯者”としての仲間意識は簡単に拭えるものではなかった。
「段取りどおりにやればいいんですよね?」
「そうよ。この火竜をインモールの広場に転送したら、距離を取って私達だけこの場所に戻って、ドラゴンの溜め込んだお宝を探し出して頂いて、残りのオーブで他の隠れ家に転移するだけ。ユートはドラゴンに殺してもらって、私達は安全にお宝を頂戴する。一石二鳥だと思わない?」




