「火中の栗、剥いちゃいますか?」
元勇者は酒場を目指してテクテク歩いた。
かつての戦いで膝に痛みを感じるが、普通に生活する分には何も問題は無かった。無理にねじれば膝の古傷も悪化するだろうが、いまは魔王のいない天下泰平の世の中なので膝を痛めるような事も起きないだろう。
むしろ古傷と関係なく身体のあちこちが不調になる事のほうが不安だった。ぶつけた記憶の無いところに青あざが出来ていたり、普段通りの食事の量で気分が悪くなったり、物忘れがひどくなったり、更年期障害や加齢での身体の不調は勇者であっても止めようが無かった。
(まーそれを強引に止めようとしているアホな魔法使いはいるが)
元勇者はシュナの事を思い出した。戦闘の時には広範囲魔法で役立つ存在だったが、人間性に重要な問題があった。
ふと(シュナが魔王との戦いの場にいたらどうなっていただろうか?)と考えた。魔王討伐からの3年間で何度も考えてみた事だったが、何度考えてもあまり役には立たなかっただろうという結論にしかならなかった。シュナの魔法は多数の敵を瞬殺する場面では元勇者を凌駕する攻撃力だったが、単体の敵にはあまり効果が発揮できず、また圧倒的な魔王の攻撃から逃げながら戦わなければならないので危険も多い。
シュナ・カール・グレッグの3人は魔王と戦う直前に敵前逃亡したが、四天王相手に誰一人命を落とさずに済んだのは4人いたからという事が大きかった。1人の魔物を4人で攻撃すれば、魔物の攻撃は4人に分散される。
魔王との戦いは最初の一撃からお互い全て全力の攻撃だった。戦闘中にシュナやカールの援護攻撃やグレッグの回復魔法があれば少しは楽だったとは思うが、魔王が彼等を攻撃した時に元勇者が守れる自信は無かった。4人で魔王に挑んでも戦いは混迷を極めた事であろう。
(結局は、俺もアホって事か)
たった一人で魔王と戦った事は無謀でしかないし、勝てたのも偶然だ。最後の一太刀が空振りしていたら元勇者は挽き肉になっていた事だろう。しかし4人で戦っていたとしても4人のうち誰かが、または全員が挽き肉になっていたかもしれない。
信じていた仲間、または仲間だと信じたかった彼らに最後の最後で裏切られた事は易々と納得の出来る事ではない。しかし彼らの裏切りを恨み続けるのも何か少し間違っているように思えた。結果的には誰も死なずに済んだし、元勇者は貧乏くじを引いたにせよ悪い結果では無かった筈だ。なのに延々と裏切られた事を根に持っていた元勇者は自分は愚かしいと思える気分だった。
(まー許す許さない関係なく、当分は裏切った事をネタにイジリ倒してやるつもりだけど)
望むと望まざるとカールやシュナと再会した事は案外悪い事ではなかったように思えた。会わなければ元勇者はいつまでも一人孤独に彼等を恨み続けていた筈で、それは元勇者自身の精神面に良くない事だ。
そんな心の余裕のようなものを感じられるのは、元勇者が「冒険者ギルドで目立って囮役になる」という久しぶりのクエストに少なからず面白みを感じていたからだった。
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「インモールという街は、思ったほど都会じゃない感じね」
ディアは街並みを眺めながらしみじみと言った。
「たしかに建物は木造のあばら家のような建物が多いですね。アーティスのように石造りの建物じゃないから、建物も殆どが2階建てですし」
ホリィの故郷はインモールには遠く及ばない小さな田舎町だったが、インモールの建物の作りは大きな街には似つかわしくないように見えた。ホリィの故郷の建物より粗雑な建築のように思えた。
「なんだか大きなスラム街みたい」
「アーティスに近い都だからインモールの歴史はお勉強したけど、魔王が世界を支配しようとして魔物だらけになった時代にクーデターで王政が滅んだから、それから長い間フルボッコ状態で魔物に襲われ続けていたそうなの。商人が集う市場として再興したのは結構最近の事なの」
「魔物に襲われる前の王国だった時代でも王様が市民を苦しめていていたんですよね」
「私の国も何かを間違えればインモールのようにクーデターが起きちゃうかもしれないから他人事と思っていちゃダメなんだけど、アーティスは私の一族がちょっと失敗しても大丈夫なくらい市民がしっかりしているから」
「それはそれで……大丈夫なのかな?」
「大丈夫、大丈夫!」
少女達は通りを歩いて目的地である宿屋を目指した。
街は相応に活気があり行きかう人々も普通だったが、ホリィが言ったように街そのものはスラムのように粗雑なバラック小屋が建ち並ぶ雑然とした様相だった。きっと夜になれば少女だけで通りを歩ける雰囲気ではなくなるだろう。
「きっと宿屋はしっかりした建物ですよね?」
「多分そうだと思うわ。だって勇者様が向かった酒場って冒険者向けの宿屋も兼ねている筈だけど、普通の宿屋のほうは冒険者じゃない旅人も使うところだから」
「……ナニカ妙ナ匂イガシマス」
基本的に無口なライムが警戒するように周囲を見渡した。
「えっ何? どうしたのライムちゃん?」とディア。
「……僅カニ魔力ヲ感ジマス」
「魔物がいるのかしら? それとも他の何かが?」
ライムはしばらく真剣な表情で周囲を警戒したが、ふとそれを止めた。
「ドウヤラ気ノセイダッタヨウデス。何カ強力ナまじっくあいてむヲ使ッタ残リ香ダッタノカモ。勘違イ、すみませんデシタ」
「そ、そう……何事も無かったのなら良かったわ」
「ライムさんって魔力を感じる事が出来るんですね」
「私ハ魔法デ生マレタ存在ナノデ、普通の人ヨリハ魔法モ容易ニ扱エルヨウデス。れべるハマダ全然低イノデスガ」
ディアが楽しげに言った。
「私たち、冒険者のパーティみたいね! クレリックのホリィに、ソーサラーのライム。私はファイターになろうかしら」
元々は元勇者目当てに押しかけてきた少女達であったが、3人とも和気藹々と仲の良い友人関係となっていた。
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商工会の拠点となっている城跡地にカールが潜入していた。
周囲は何らかの取引や帳簿の管理などで他の商人が商工会の中を右往左往していた。
部外者のカールが容易に商工会に入り込み、咎められる事なくウロウロできるのは太ったカールの外見がいかにも商人っぽい恰幅の良さだったからだ。
(しかし秘密組織の拠点に通じる地下道に行くのは厄介そうだな……)
他の商人には用が無いのであろう地下階は人の気配が殆ど無かったが、武装した警備兵が一人だけ行き止まりの通路の奥を警備していた。いかにも不自然で、いかにも怪しい。
カールは武装した警備兵に向かって歩き出すと、威圧的な声で威嚇された。
「おい貴様、何の用だ。ここには何も無いぞ!」
(自分に用事があるとは考えずに”ここには何も無い”か。そんなアピールをしなければならないという事は、ここに隠し通路があるのは確定だな)
冒険者時代から索敵から宝箱の開錠までカールが受け持っていた。隠し通路を見つけ出す事も得意で、こういった感が外れた事はなかった。
(仕方が無い、やりたくは無かったが……ユートが言っていたあの作戦をやるか)
小型の弓を取り出して縦に構えた。
(あぁ、やりたくない、イヤだなぁ……)
「こんなところで弓を出すとは、貴様は狼藉者だな!」
「狼藉物? 誰の事かな?」
そう言いながらカールは一方の手で弓を、もう一方の手で弦を握り、広げるように引っ張った。丁度ブル○ーカーの使い方と同じ格好だ。
縦にした弓を筋トレ器具のように引っ張ると、カールの全身の筋肉が引き締まり、ぼよんぼよんの体型が一瞬で色男だった頃のスマートな体型になった。
「狼藉も……えっ? 急に痩せたッ?! い……いや、いまそこにいた太った男は何処に行った?!」
警備兵は突然の事に何が起こったのか理解できない様子だった。
「ユートの奴は”1秒間に最低8回、出来れば24回”なんて言っていたが、こんな事16連射も無理だっての」
ブツクサ言いつつカールは弓を引っ張ったり緩めたりを高速で繰り返した。
その動きに合わせてカールの体型は一瞬で太ったり痩せたり高速で変化した。
「な、なんだこれは?! 貴様一体何者なんだ……うわぁぁ!」
「失礼な反応だなぁ。オレは運動っぽい事をしているだけだぞ」
そう言いつつもカールの体型は1秒間に8コマのスピードで太ったり痩せたりしていた。
あまりに極端な変化なので警備兵の目には「2人の人間が同じ場所に多重に重なっている」ように見えた。目がチカチカして、脳がカールの姿をうまく理解出来なくなりそうだった。
「で、どうしてこんなところを警備しているんだい?」
「うわぁぁぁ! 近付いてくるなァァ!」
「どうしてパニックに陥っているんだ? オレは別に怪しい者じゃないんだけどなー」
「来るな! 来るなァァァ!!」
高速で点滅するように太った男とスマートな男の姿が重なって見えて警備兵は慌てふためいた。どちらかの姿が幻影だとしても、そんな幻術を使う意味がわからない。太った男とスマートな男が重なって同じ動きで近付いてくる状況が理解できない。
「なんかオレの格好変かなぁ?」
「ヒィッ……!!」
カールが警備兵の鼻先まで近付いた時、目の前で高速に姿を変えるカールが立体視で見えた。太ったオッサンとスマートなイケメンが飛び出して見える状況に警備兵は混乱して意識を失い崩れるように床に倒れた。
「オレを見て失神するとは失礼な。イケメン時代にはオレを見て失神する女性がいたかもしれないが」
弓を使ったブ○ワーカー運動を止めるとカールの体型はボヨヨンと普段通りの恰幅の良い体型に戻った。
「あ~汗だくになるからイヤだったんだけどなぁ。しかし何故かはわからんがユートの言うとおり戦闘せずに見張りを突破できたようだ」
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元勇者は酒場に入った。冒険者が集う酒場は冒険者ギルドとしての役割を持ち、カールの言う「ニセ勇者を捕らえれば賞金500G」という御触れも出ている筈だ。
(カモがネギ背負ってやってきたわけだが、はてさてどうなる事か)
元勇者は入り口から店内を見渡しながらキセルを取り出した。元勇者はネギを背負ったカモではあるが、そのカモが易々と捕らえられるとは限らない。なにしろ元勇者は魔王を倒したカモなので余程の事がない限りミイラ取りがミイラにな、という事になるだろう。
「お客さん、この店は昼間は禁煙なんです」
カウンターから店主らしき男が元勇者に言った。
「酒場なのに禁煙? 随分と健康志向な酒場だな。いっそ酒も出さないほうが良いんじゃないか?」
「文句があるなら出て行ってくれ。平和になって世間の目が厳しくなって、いまで煙草は夜の営業の時だけなんだ」
「禁煙ブームの影響って感じか。てっきり酒場に来る冒険者がお子様ばかりになったのかと心配したよ」
「酒場はお客さんの嫌味に付き合う商売じゃないんだ。何か注文するか、振り返って出て行くかしてくれ」
元勇者の言動は周囲の目を引く為だ。周囲の客が500Gの賞金首を目にしてどう動くか。どのような事態になるかで盗賊セシルの影響力やインモールの状況が垣間見える。荒事になる事も覚悟の上だが、何も反応がなければ寂しくもあった。
「注文か、なら……ミルクをくれ」
これも目立つ為に少し大きめの声で言った。
周囲は特に何の反応もなく、店主は粛々とグラスにミルクを注ぎ始めた。
(あっ、スベった?)
元勇者は(酒場でミルクっつーたら嘲笑されトラブルが起きるもんだろ!)と思ったが、どうやら酒場にいる冒険者の世代には通じなかったようだ。
「ほれ、ミルクだ」
「アッハイ……、どうも……」
定番で鉄板のネタだと思っていた事がジェネレーションギャップで通じなかった事に元勇者は深く意気消沈した。こういった事で歳を取った事を痛感するのはダメージが結構大きい。
ミルクの入ったグラスを片手に空いたテーブルを探し、壁際の席を選んだ。
その席の背後の壁には”スカーフェイスにオッドアイの白髪銀髪の中高年冒険者に賞金500G”の張り紙があったからだ。
(目立つだけ目立ったし、あとは静かに様子を見る事にしよう……)
そう思った矢先に一人の男が音もなく酒場から出て行ったのを元勇者は見逃さなかった。気配を消して酒場をでていった事が逆に元勇者の目に止まった。かなりハイレベルの隠密のスキルを持ちながら500Gの賞金首の目を盗んで姿を消そうとした事が不自然だった。
「……まぁとりあえずミルク飲むか~」
独身中高年は自炊のレパートリーも適当になりがちで偏食による栄養の偏りが気になる。こういった時に普段飲まないミルクとかを飲んでおきたい気分なのだ。
ミルクをちびちび飲みつつ釣り針に獲物がかかるのを待った。釣り餌は元勇者自身なので何も釣れないと困るし傷付く。魔王を倒した御当人がニセ勇者扱いされているのだから、少しばかりトラブルが起きた後に”この印籠が目に入らぬか!”みたいな展開を楽しんでもいいじゃないかと。何もリアクションがないとツライ。
わざと目立つようにした事で周囲にいる客は元勇者に注目していたが、しばらく何事も起きなかった。
客は元勇者より若い者達ばかりで概ね30代から40代のようだ。昼間から酒場ににたむろしているので仕事の依頼を探しているか冒険者としての情報交換をしているか、単にフリーランスとしての仕事にあぶれて暇を潰しているかといったところだろう。
「うーむ……目立って山賊セシルの手下とかが襲い掛かってきたりしてくれたほうが、カールが楽にスニーキングミッション出来るようにする為の囮役のつとめになるんだけどなぁ」
しばらくの間をおいて、近くの席の若い冒険者がヒソヒソ話を始め、そしてリーダーらしき男が元勇者の席に近付いてきた。
(よかった……ガン無視されなくて良かった……)
せっかく身を挺して騒ぎを起こしに来たのにノーリアクションではどうしようもない。一人で勝手に騒ぎを起こすのも恥ずかしいし、誰にも尋ねられていないのに「俺は魔王を倒した勇者だぞー」と言いだすのも恥ずかしかった。騒ぎが起こせなければカールが潜入調査しやすいよう賞金首の元勇者が目立って注意をひきつけるという役割を果たせなくなる。
そういった心配を払拭するかのように、ようやく釣り糸が引いたのだ。
(怖いもの知らずの若い冒険者に、感謝!)
「そこのオッサン、ちょっといいかな?」
「ん? 何かな?(キター!)」
「オッサンの後ろに張ってある手配書は、見た?」
「手配書なんて張ってあるのかぁ。(いいよ! その慇懃無礼な態度いいよ!)」
「あのさー、魔王を倒した勇者だとか言ってるペテン師に賞金が500Gかかってるんだけどさー」
「ペテン師かー。悪い奴もいるもんだなぁ(早く喧嘩売ってくれないかなぁ、ワクワクテカテカ)」
「ちょっとその手配書、見てくんね?」
「どれどれ……?」
元勇者はわざと隙を作るように若い冒険者に背を向けた。
衣擦れの音で若い冒険者が何か武器を構えようとしている事がわかる。山賊退治の時にはバーサーカーのハガーの懇親の一撃を受けてもかすり傷程度で済んだ元勇者にとって、若い冒険者が背後から襲いかかってきても大した事にはならないと考えた。
(……いやまてよ? レベルの低い若い冒険者の攻撃でも、なにか魔法効果とか毒や麻痺の属性とかだと全然平気というワケにはいかないぞ? こんな場所で洒落にならないダメージを受けたりしたら、魔王を倒したかどうかという以前に非常に格好悪いぞ?)
ちょっとした警戒心と共にハイレベルの冒険者が持つ”フィアー”効果が無意識に発動した。
ハイレベル冒険者の近くに低級モンスターが出現しないように、レベル差がありすぎる場合には低レベルの者は本能的な恐怖(=フィアー)を感じ取って逃げ出す。元勇者レベルのフィアー効果はよほど鈍感な者でなければ無法者さえ喧嘩を売らないほど強力なものだ。
元勇者が(しまった)と思った時には手遅れだった。
若い冒険者が手にした武器がゴトリと床に落ちる音が響き、酒場にいる若い冒険者の全員が萎縮したのがわかった。
「あ、えーっと、見たよ手配書。まるで俺の事を書いているみたいでビックリしたよー」
若い冒険者は硬直し、酒場は静まり返っていた。
(しまった……釣竿を引くのが早かった……)
「まぁその~、もしかしたら俺が賞金首なのかもしれないなー、なんて。はっはっは~」
「そ、そッスか……」
「で、えーっと……どうする? 俺が賞金首だったら捕らえられてもしょうがないなーって思うんだけど」
「いや、その、いいッス……」
「あーキミキミ、なんか武器を落としてるよ」
「アッハイスンマセン……」
若い冒険者はガチガチに緊張した身体で武器を拾い、そそくさと元勇者から離れていった。
(失敗したなぁ、いっそ捕らえられて山賊セシルの組織とやらに拉致られたほうが色々と話が早かったかもしれないのに)
これではただ酒場の雰囲気を悪くしただけだ。
若い冒険者に喧嘩を売られて戦闘状態になっていれば元勇者らしい必殺技を披露して大騒ぎを起こす事が出来た。騒ぎにならなければそのまま捕らえられて山賊カールが取り仕切る秘密組織に直送されたかもしれない。どの程度の大騒ぎになるか、またはどのように山賊セシルの秘密組織に連行されるのかで、このインモールの街での山賊セシルの影響力や支配の程度が見えてくる筈だった。しかしそのどちらにもならないという結果になってしまった。
(”急いては事を仕損じる”ってやつか……)
こうなっては打つ手がない。もはや先に酒場から出て行った者が山賊セシルの手下である事を祈るしかなかった。元勇者がインモールに来ているという事が山賊セシルに伝われば何らかの動きがある筈で、動きがあってこそ元勇者は山賊セシルの陰謀に関われる当事者になる事が出来、カールの潜入捜査もやりやすくなる筈だった。
(フィアーの効果は戦闘モードとか警戒モードになると自動的に発動しちゃうから、自分ではなかなか抑えられないんだよなぁ。すっかり酒場の雰囲気を悪くしちゃったよ……ミルク飲んだらさっさと宿屋に向かうか……)
簡単と思っていたイベントに失敗した元勇者は意気消沈してミルクをすすった。
「おくつろぎのところ失礼します。あの……ユート・ニィツ殿ですよね」
「あぁ。あなたは?」
声をかけてきたのはアラフォーと見受けられる中堅冒険者だった。
傍目にはどちらもオッサンに見えるのであろうが、アラフィフの元勇者から見ればアラフォーは若々しく見えた。フィアー効果の影響は受けているようだが怯えていない様子から相応のレベルがある冒険者のようだ。
「実は5~6年ほど前に、北方の宿場町のギルドでお見かけした事があるんです」
「あぁ……確かマルスのチームやカイエンのチームも滞在していた時じゃなかったっけ? 魔王の牙城が何処にあるか手がかりを求めて俺達オッサン冒険者がたまたま集まった数少ない時だった」
「そうです、そうです! カイエン殿にブランフォード殿にロラン殿に……私達の中堅チームから見れば第一線で活躍するプロ冒険者が勢ぞろいしていて夢のような光景でした!」
「プロ冒険者て……。ここに来る前にルト・マルスには会ったけど、カイエン達はいまは何をしているんだろう?」
「カイエン殿は亡くなったと伝え聞いています。あの宿場町から更に北に魔王の拠点があるのではと探索している途中、寒さで心筋梗塞を起こしたと」
「そうか……カイエンの剣技は誰にも真似出来ないほど凄い極め方だったから魔王にも負けないと思っていたんだが、心筋梗塞はどうにもできなかったか……。ブランフォードやロランは元気だろうか」
「ブランフォード殿もロラン殿もお亡くなりになられています。冒険を続ける為に相当の無理をなされていたようで、冒険者稼業は身体を壊しても自己責任というのはプロ冒険者レベルでも同じだったようで……」
元勇者は溜め息をついた。
「どうやら魔物に倒されたわけじゃなさそうだが、一流の腕を持つブランフォードやロランが死んで、俺のような地味キャラが生き残ってしまった事が申し訳ない気分だ」
「ユート殿まで鬼籍に入られていたら魔王討伐の仕事が私達中堅冒険者に回ってきちゃうじゃないですか! ベテランのプロ冒険者で無理な事が中堅に回ってきたらと思うと絶望しかありませんよ! 無理してハイレベルなクエストをしても回復アイテムなどの諸経費がかさんで危険な割に利益が出ないんですよ」
「しかし魔王討伐なんて立派な事はマルスやカイエンのようなしっかりしたチームが成し遂げてくれると思っていたんだがなぁ」
中堅冒険者は身を乗り出して元勇者に小声で尋ねた。
「失礼ですが……やはりユート殿が魔王を打ち倒したのですよね?」
「えっと……言っちゃっていいのかな? まぁ、そういう事になるみたいだねぇ」
「やはりそうですよね。あの北の宿場町からプロ冒険者の皆さんはそれぞれ別の方角に向かって旅立っていきましたから、他のプロ冒険者の方々が魔王を倒していないとすれば魔王の牙城に辿り着けたのはユート殿のチームの他にない事は若手冒険者以外は皆知っています」
「まぁ、このインモールの街では俺はニセの勇者として賞金がかけられているようだけどね」
元勇者はミルクを飲み干して酒場を見回した。
話しかけてきた中堅冒険者の他は若い冒険者ばかりで、先程のフィアーで元勇者を怪しい者として警戒している様子だった。
「どうしてインモールにいらっしゃったんですか?」
「500Gの賞金首がいると聞いて様子を伺いに来ただけさ。他の街の冒険者ギルドは介護とか警備員とかの地味な仕事が多いそうだが、インモールは景気が良いのかというのも気になるし。賞金をかけた奴はよほど儲かっている奴なんだろうか」
中堅冒険者は更に声を潜めた。
「このインモールの街は最悪ですよ」
「最悪? おだやかじゃないな」
「インモールのギルドでは一応は冒険者らしい仕事の依頼が多いので噂を聞いて来る者も多いのですが、クエストに向かったまま戻って来ない者が多いんです。噂では”PK”が狙っているとか」
「ピーケー?」
「PKとはプレイヤーキラーの略称で、冒険者を殺して金品を奪う冒険者です。クエストの依頼で冒険者をおびき出し背後から不意打ちで襲い掛かる強奪専門のチームが暗躍しているらしいんです」
「強奪専門チームか。まるで山賊だが、山賊なら冒険者ではなく商人を襲うのが普通じゃないか?」
「商人が山賊に襲われる事はインモール以外でも起きている事なんですが、プレイヤーキラーは金品だけでなく戦闘の経験値も狙っての事ではないかと噂されています。魔王の影響が無くなってモンスターも減りましたから、強い悪党が得をする世の中になってきているんです」
「結局は人類の敵は人間だった、って事か……」
「だからインモールにはあまり関わらないほうが良いですよ。市場は賑わっているように見えますが外貨を集めているだけという声もありますし、拝金主義こそ正義という風潮になってさえいます。昔の冒険者が活躍していた時代とは違う事を思い知らされるばかりですよ」
そう言うと中堅冒険者も溜め息をついた。
「そんな街にどうして留まっているんだ?」
「実はこの街に凄腕の鍛冶職人が商売に来たという噂を聞いたんです。魔王がいなくなって3年、優れた武具の需要が無くなって鍛冶職人も殆どが廃業に追い込まれているのですが、閉店セールで安く武具が買えるかもとインモールまで来たのです。しかし全く売れず商売にならず鍛冶職人は私が来る前にインモールを去って行ったそうです」
「そうか……魔王を倒した事で鍛冶職人の仕事も奪った事になるのか……」
「はい……いえ、魔王を倒さなければモンスターが村を滅ぼし、魔王の放つ邪気で農作物は育たず、災厄と飢饉で世界が滅ぶところだったのですから、魔王を倒した事を反省しないでください!」
「でもなぁ……なんだか魔王を倒したのに誰も幸せになっていないような気がしてきて……。カイエンもブランフォードもロランも志半ばでこの世を去っちゃったそうだし、元気なのは強い悪党だけだとしたら……なんだか落ち込んじゃうなぁ」
「そりゃぁ確かに私も冒険者は実力主義で成果を出せる仕事だと思って始めましたし、フリーランスの世界の厳しさも経験しましたが、健康に気を使って身の丈にあったクエストをしていれば不幸な事にはならないです。冒険者をしていた事で妻とも出会えましたし」
「あ、結婚してるんだ」
表情には出さなかったが、元勇者のテンションが底まで下がった。
「いまは狩人の仕事と農業を兼業していますが、子供には剣技を習わせようと思っています」
「それは良いねぇ(棒)」
「ですからユート殿も魔王を倒した事に誇りをもってください」
「そうだね、そうしよう(棒)」
「ユート殿と話す事が出来て、帰ったら妻と子供に自慢できますよ」
「はは、おしあわせに。奥さんと子供によろしく(棒)」
中堅冒険者が席を離れた後、元勇者も席を立って酒場を出た。
(あー俺の人生、やっぱどっか間違ってたんだわ……。魔王を倒すとかより、目の前の幸せとか、結婚相手探すとか、そういった事のほうが大事だったんだよなー)
見上げると青空が眩しかった。
囮役とか、もーどーでもいー気分だった。
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「酒場にユート・ニィツが来ました」
元勇者と入れ違いに酒場を出た男は山賊セシルの秘密組織”希望の暁”の拠点にいた。
報告を受けたセシルは固い表情で男に問うた。
「悟られなかっただろうな?」
「その様子はありませんでした。尾行もされていませんから、この場所は知られていないかと」
「そうじゃない! 相手は10数年も冒険者なんてヤクザな商売をやり続けてきた社会のはみ出し者だぞ! 魔物や悪党を10数年も殺し続けてきたフリーランスに比べれば山賊稼業のほうが人道的ってもんだ」
「は、はぁ……」
「お前もアーティスを襲う計画の時にユート・ニィツを目にしただろう。ハイレベルの冒険者って輩は戦闘モードになれば何のためらいも無く敵を殺すサイコパスだ」
「冒険者はサイコパス、ですか……」
「そのサイコパスの中で一番危ない奴がユート・ニィツで、そんな奴に俺達は目を付けられているんだ。僅かなミスで”希望の暁”と”狼煙獅子団”の全員が虐殺される事になるんだぞ」
セシルの話を聞いた男は震え上がった。男は狼煙獅子団の山賊の一人として元勇者を目にしており、その特殊能力”フィアー”で一目散に逃げ出している。あの時に感じた恐怖が現実になると想像すると絶望しかなかった。
「俺も昔は冒険者だったが、冒険者は敵をひとり残らず殺すのが当たり前なんだ。俺たちが狙われれば数十人の仲間が容赦なく殺され、関係者まで狙われれば100人以上が惨殺される事になる。金品を奪えれば無駄な殺しはしない山賊のほうがよほど紳士的なのさ」
セシルの話に青ざめ震える男の背後に、ローザが近付いていた。
「あら、ユート・ニィツがこの街に来たのね?」
「は、はいっ! あの恐ろしい男をどうにかしてくださいっ!」
「もちろんユートは殺すわ」
「あ、あの……魔王さえ倒したという恐ろしいユート・ニィツを、どうやって倒すんですか? 俺たち”狼煙獅子団”の全員が襲い掛かってもとても太刀打ちできません!」
「私たちが危ない思いをする必要は無いわ。ちょうどユートを殺す準備が整ったところよ」
「準備、ですか?」
「火吹き山を探索していたハガーが戻って来たの。インモールの街で騒ぎが起きたら街から逃げるように”希望の暁”と”狼煙獅子団”の全員に伝えておいて」
「わかりました」
「いくら魔王を倒すほどレベルが高くても、ユートも若くないんだからタダでは済まない筈よ」
その話を壁越しに聞いている男がいた。カールだ。
「魔王が倒された事で火吹き山がアンロックされていたのか……。たしか伝説のドラゴン”グラムドリンガー”が眠っているという噂だが、中堅レベルのセシルやローザごときがグラムドリンガーを支配できるわけもない。どうするつもりかは判らんが、一刻も早くユートに知らせないと……」
カールは場を離れようとしたが”希望の暁”の拠点は次第に慌しく人が出入りし、カールの太った巨体では素早く逃げ出す事は難しかった。大勢の前でブルワー○ー運動をしてもすり抜けられないだろう。
場が静まるまで気配を消して物陰に隠れるしかなかった。
「……まぁ俺の役割の潜入調査は済ませているし、ユートなら自力でどうにかするだろう。ガンバレよ!ユート☆」
カールは爽やかな笑みで遠く離れた元勇者にエールを送った。
もちろん、届く筈はなかった。




