「邪気の予兆」
「貴様に飲ますお茶は無ぇ!」と元勇者は言った。
皆が揃ってホリィが用意したお茶をキッチンで飲もうとしている中、サッキュバスのサッちゃんだけが床に正座する事を強いられていた。
「まーまー勇者様。モンスターとはいえ、いまのことろ害は無さそうですから、お茶くらいは宜しいのではないでしょうか?」
「いやぁゴメンゴメン、久しぶりの魔物だからついついテンションが高まっちゃったようだ。昔は魔物と遭遇したら問答無用で殺していたから。プチッと」
ホリィもディアも、見た目はセクシー女性のサッキュバスに対して完全塩対応の元勇者の様子を見て内心「ライバルになる事は無さそう」と安堵していた。
サッちゃんがおずおずと小さく手を挙げ、消え入りそうな声で言った。
「あ、あの、サッキュバスなので戦いに来たのではなくて、あの、そのぅ、害虫駆除のノリでプチッと殺さないで頂けると有り難いのですが……」
「そうは言っても魔物を戦わずに逃がすのは慣れていないんだよなぁ」
「そこをなんとか……。繰り返しになりますが、戦いにきたわけでは無いので……その……」
「そうそう、登場シーンの台詞をもう一度言ってみてよ」
「えっ! いきなり罰ゲームですか?」
「言ったら椅子に座ってお茶する事を許可しよう」
「この空気で言うのは抵抗があるのですが……”魔王様を倒した勇者の精力を頂きに来た”……みたいな?」
「それだ。やっぱりカブってる」
「何がですか?」
元勇者はふぅと溜め息を吐いてから言った。
「そこにいる最狂ソーサラーとカブってるんだよ。ソーサラーのシュナは昔は生真面目だったが婚期を逃して最悪にお下劣な汚れキャラになって、サッちゃんと似たような事を言いまくっているんだ」
シュナが「失礼ね、私は誰の精子でも良いってわけじゃないわ」と文句を言った。
ライムも「勇者様ノざーめんハ、ワタシガサキニヨヤクシテマス」と言った。
「もしかしてこの2人とワタシが、カブってるんですか? そんなぁ」
サッちゃんはガックシとうなだれた。orz。
「しかもサッキュバスって事でみせびらかすようなボンキュッボーンなセクシーダイナマイトだけど、アラフィフのオッサンにもなるとエロ要素しかアピールポイントが無い相手は胃もたれするんだよ」
「いっ、胃もたれですか?! それでは折角のサッキュバスの長所が全然役に立たないじゃないですか!」
「エロいだけでウェーイ!ってテンション上がる男はせいぜい30代までだ。そもそもいまの時代は”エロ”じゃなく”萌え”の時代なんだよ。萌えにエロは邪魔な要素なんだよ」
ガーン、ガーン、ガーン(残響音含む)
「あの、でも、それでも殿方はやっぱり、もっ、萌えだけじゃ物足りないですよね……?」
「そりゃぁ人それぞれだろうけど、アラフィフにもなると見た目より性格とか相性のほうが重要だし、若い人でも知らないエロいねーちゃんが近付いてきたら警戒するよ」
「ワタシ、美人局とか客引きじゃないです! ただのサッキュバスです! 警戒しないでくだしあ!」
「……で、サッちゃんはエロ要素の他に何かアピールする事ってあるの?」
「ンガングッ」
「では、お帰りはアチラになります」
粛々とサッキュバスを追い返そうとする元勇者を、ディアが止めた。
「ちょっと待って勇者様。このサッちゃんさん、どうして急に勇者様の所に来たのでしょうか?」
「おっ、そう言えばそうだ。なんでだろう?」
「それにシュナさんが言っていたようにサッちゃんさんがミドルクラスのモンスターだとすれば、最近見かけなくなった強いモンスターが出現している事にもなります」
「魔王は倒したんだから魔物も強いのは出てこない筈なんだけどなぁ?」
サッちゃんが小さく手を挙げた。
「ワタシ、そのあたり説明出来ます!」
元勇者は言った。
「椅子に座ってお茶を飲む事を許可しよう。お茶菓子も許可する」
ホリィは少し呆れた感じで呟いた。
「勇者様ってモンスター相手だと元気になるのかしら? 普段よりも生き生きしているように見えるのは気のせいかしら?」
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「ではいただきます! ゴクゴク、むしゃむしゃ……」
「いきなりお茶と茶菓子をもりもり食べだしたぞ」
「ヤケ食いです! ムシャムシャ。サッキュバスとしてのお色気が通用しないなら、いつ殺されても仕方が無い立場ですので! モゴモゴ」
「あー、食べながら喋るのはお行儀が悪いですよ」
「お茶もお菓子も美味しいです!」
「サッちゃん、結構ふてぶてしいな~。さすが元勇者の俺の所にのこのこやってきただけの事はある」
「そう! それなんですよ!」とサッちゃんは膝を叩いた。
いささか呆れ顔で様子を伺っていたシュナが口を開いた。
「そもそもどうしてサッキュバスなんて魔物がココに来ているのよ? 魔王を倒してから3年も経っているのよ?」
「もともと魔物は魔界の住人ですから、魔王様の強力な魔力が無ければ人間界に導かれる事は無いですし、魔力も無いのに魔物が湧き出す事も無いのです。しかしワタシは人間界で実体化しました」
「魔力も無いのにモンスターが湧き出したという事?」
「魔力というものは魔王様とは関係なく人間界にも存在しているものです。人間の魔法使いが魔法を使える理由も人間界に魔力があるからです。きっとそういった魔力が強まった事でワタシが実体化したのだと思います」
「つまり魔王の魔力とソーサラーの使う魔法は同じ成分って事?」
「大雑把に言えばそうです。人間界の魔力はいわゆる”マナ”というプラスのエネルギーとは逆のものです。そのエネルギーを無限に生み出せる偉大な存在が魔王様でした」
「生命力のマナとは逆のエネルギーという事は、死を司る邪気のような”ネガティブ・マナ”という感じかしら。その力によってサッちゃんが出現したという事ね?」
「はい! おかげさまでお茶が美味しいです!」
「案外ポジティブな魔物ねぇ。魔王が復活しているなら出現する魔物がこんな呑気なわけもないんだけど」
「そうです、なのでワタシが勇者の精力を吸い取りまくって、それを糧に魔王様を復活させようと目論んだわけです。実はどうしてワタシが人間界に出現できたのかもよくわからないのですが」
「わからないんだ」
「なにかの魔力が強まっているのだろうと思うのですが、サッキュバスのお仕事は人間の男を惑わし精力を吸い取る事ですから、人間界に出現した理由は結構どうでもいいんです」
「じゃあそろそろ殺していいかしら? 色々と目的が私とカブってるみたいだから」
「えええっ! ちょっと物騒すぎませんかココの人達?!」
サッちゃんはすがるような目で元勇者を見た。魔物の敵である勇者に頼ろうとしているあたりサッちゃんも色々残念な魔物のようだ。
「シュナを退場させてサッちゃんが代役となれば幾分マトモな日常に近付く気はするけど、サッちゃん魔物だしなー」
「殿方を誘惑して精力吸い取る以外は結構普通の人間と同じですよ!」
「それ魔物として正しいアピールなんだろうか?」
「後腐れの無い都合のよい女と思っていただければ!」
「サッキュバスでもそこまで卑屈になっちゃダメだろ」
ホリィとディアが冷ややかな目で元勇者を見ていた。
「まさか勇者様は魔物の女と浮気なんてしないですよね?」とホリィ。
「結婚前から不貞を働くようでは勇者失格だと思います!」とディア。
「ワタシヲユウシャサマノざーめんイロニソメテクダサイ」とライム。
元勇者の瞳から光が消えていく事に気付く者はいないようだった。
「俺なにもしてないし、ラッキースケベ展開でも無いのに、どうして間男のような扱いを受けているんだろう」
香りの良い紅茶もいまの元勇者にとっては渋茶のように感じられた。精神的疲労で老け込みそうになりながらズズズとお茶をすすった。
「そもそも魔王は倒した筈なのに、どうして”ネガティブ・マナ”が増えているんだ?」
「モゴモゴ、もふわはらなひんでふが……」
「サッちゃん、まだお茶菓子食べてるのか」
「よくわからないのですが、ネガティブ・マナとも言える魔力は魔王様だけのエネルギーではないんです。普通のマナと同じようにネガティブ・マナも自然の中に存在しますし、人間が魔法を扱うように人間がネガティブ・マナを扱う事も出来る筈です」
「人間が魔王と同じエネルギーを扱う事が出来るだって? シュナは聞いた事あるか?」
「魔術とは別カテゴリだから詳しくは知らないけど、いわゆる呪術とかで用いられる暗黒エネルギーのようなものとネガティブ・マナが同じだとすれば理解出来ない事も無いわ」
「呪術って、カルト教団の使うインチキじゃないのか?」
「呪術のわかりやすい例は……死体をゾンビとして蘇らせて不死兵団を作るとか。実際に成功した話は聞かないけど、ある程度の成果は私達も何度か遭遇しているわ。遺跡の財宝を守るスケルトン・アーミーとかという感じでね」
「あ~確かに。人間のお宝を守るモンスターを魔王が作る理由は無いからなぁ」
「問題は、ネガティブ・マナを増やそうとしている人間がいるのか?というところかしら」
「誰かが魔王復活を目論んで呪術とかやっちゃってるのか? 俺はイヤだぞ、また魔王と戦うのは」
サッちゃんが小さく手を挙げた。
「この程度のネガティブ・マナの量では魔王様の復活には全然足りないです。世界中のネガティブ・マナを凝縮しても魔王様復活に必要なエネルギーになるには数百年はかかるかと」
「なら安心だな」
「なので魔王様の復活には勇者の精力が一番の近道なのです。ワタシもそれが仕事ですし、お互い気持ちよく遊んでWin-Winじゃないですかー」
「ぜんぜん安心できないじゃないか」
「そうそう、ソレですよ」
「なにが?」
「安心できない不安な気持ち、恐怖心、疑いの心、負の感情……そういったものがネガティブ・マナの源なんです」
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城砦都市「インモール」。
かつては王政国家だったインモールも長い歴史の中で王家は滅び、金を持つ商人達が権力を掌握した都市だ。
インモールに拠点を持つセシル達の秘密組織「希望の暁」の地下集会場には信者が集まっていた。
「世に再び混迷と騒乱を! 世界を滅ぼし、新しき平等の世界を築こう!」
信者達が生気の無い声を揃えて念仏のように唱えていた。
祭壇にはローザの姿があった。盗賊の装束ではなく僧侶の服装に似た格好だったが、その衣装は薄手で肌が透けて見える。信者を誘惑し魅了して抗えないようにする目論見が透けて見える格好だ。
信者達も世が平和になった事で損をした不埒な輩なのだろう。敬虔な信者のように装っているが、その一人ひとりの様相はどこかアウトローの雰囲気を醸している。
「世は欺瞞に満ちている。商人は腹を空かせた者にタダで食べ物は与えない。飢えた者から金を取る。医者も病人から金を取る。それが正義と誰もが信じて疑わない。金を取らずに食べ物を与え病気や怪我を治そうとする者を怪しむ。飢えた者や病人から金を毟り取る者達が権力を握る。そこには正義に基くものなどはない!」
ローザは信者に向かって朗々と説教を唱えた。
「金という呪縛から開放され権力に惑わされず正義を平等なものとするには、世を混乱と騒乱で満たす他には無い。世界を滅ぼす事で貧富の格差を無くし真の平和が得られるのだ」
信者達が小波のような拍手をした。信者の多くはローザの妄言に陶酔している様子だった。
「しかし魔王が姿を消してから僅か3年で世界は偽りの平和に満ちてしまった。世襲で王となる者や金で権力を得た者が作る世界に真の平和がある筈がない! 故に我々は王族や権力者を失墜させる為の努力をしなければならないのだ」
再び拍手が鳴り響いた。大きな拍手の音が地下集会場に鳴り響いた。
「……本日の周回はここまでとします。皆くれぐれも”希望の暁”の存在を世間に知られないよう常々注意してください」
信者達はローザに深々と頭を下げ、地下集会場を出て行った。
ローザは出て行く信者の一人の肩に手を添えて止めた。
「あなたは”希望の暁”への今月の寄付をとても頑張っていました。その頑張りに対して私が直々に”特別な洗礼”を授けますから別室にどうぞ」
呼び止められた信者は顔を真っ赤にして頷いた。ローザは信者に身体を密着させ吐息を首筋に吹き付けた。
そしてローザと信者は地下集会場を出て小部屋に姿を消した。
集会場の片隅の物影にはセシルとルナーグがいた。
「毎度の事とはいえ、いいのかセシル?」
「……どうせもうローザは妊娠しない。ローザの身体で信者が余計に貢いで暮れるなら”希望の暁”にとっても有り難い事だ」
「セシルの気持ちを尋ねているんだ。嫌ならローザに言うべきだ……お前の妻なんだから」
「別に構いやしないさ。こんな組織をやって山賊をやっていながら真っ当な夫婦生活なんて期待なんてした事は無い。それに妄信する信者は金では買えない貴重な道具だしな」
ルナーグは密かに溜め息をついた。セシルが何も気にしていないなら、ローザの様子を物陰に隠れて眺める必要など無いのだ。しかし冒険者を辞めてから裏稼業ばかり続けてきた元7英雄メンバーが普通の幸せを望める筈もなかった。
「”希望の暁”を維持する金を稼いでいるのも、あのユート・ニィツを倒す策を持つのもローザだ。実質的なリーダーはローザで、俺はお飾りのリーダーさ」
「セシル、そこまで卑屈になる必要は無いだろ。冒険者なんて都合のいい奴隷仕事から足を洗えたのも、組織をここまで育てたのもセシルが頑張ったおかげだ」
「それはそうだ。俺達がやってきた悪事は全部正しい事だ。その正しさを証明する為にも俺達を悪とみなす者達は全て打ち倒さなければならない」
多くの悪人は自身の事を完全悪と自覚する者は稀だ。強盗でも人殺しでもその犯罪に「そうするしかなかった」と理由を付けたり「自分が悪事を働いたのは過去の誰かのせいだ」と言い訳を持ち、自分が悪いとは本心では思わず、自分にしか通用しない自己正当化の言い訳を自分だけが本気で信じ込んでいるのだ。
その悪事を正当化する言い訳は時に同類の悪党の心の救いとなり、群れて犯罪集団となる。セシルがかつて冒険者として善行の為に命がけで戦っていた事が山賊集団”狼煙獅子団”や秘密組織”希望の暁”に集まった反社会的なはみ出し者にとっての救いとなってた。
「俺がお飾りのリーダーであっても、ユート・ニィツを殺さない限り俺達に未来は無い。そのユートを殺す方法がローザにはあると言うのだから、従う他あるまい」
「そういえばハガーは何処に行ったんだ? ここに戻ってから姿を見ないが……」
「ハガーは、ローザの指示で”火吹き山”に出かけたよ。転移のオーブを幾つも持って」
「伝説では火吹き山には誰も近づけないんじゃなかったか?」
「魔王がいた頃は魔法結界で入れなかったが、魔王がいなくなったいまなら裏ダンジョンにも入れる筈だ」
「火吹き山は凶暴なドラゴンが眠っているという伝説がある場所だ。どうしてそんなところにハガーを?」
「もちろん、ユートを殺す為さ」
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徒歩での旅でインモールに向かっていたカールは途中で行商の馬車に乗せてもらい予定よりも早く到着出来そうだった。のんびりとした旅と言えば優雅だが、実際には何も無い道を延々と歩き続け景色も見飽きてしまう退屈な時間だ。馬車に乗せてもらえた事は太ったカールにとってラッキーだった。
「ご同業なのに馬車が無いとは珍しい」
行商人に普段通りのツッコミを入れそうになったカールだが、踏み止まった。
「いや見た目は商人っぽいけど、商人じゃないんスよ……これでも若い頃は冒険者でして」
「リバウンドみたいなものですかい? てっきり最近話題の山賊に襲われて馬車を失ったのかと」
「やはり山賊はこのあたりで話題なんですか?」
「インモールのカルト集団が山賊をやっているんじゃないかという噂は結構有名ですよ。ただ結構金を持っているようなので商売人にとっては悩ましいところですわ。金を持ってりゃカルト相手でも商売しますが、山賊に襲われたら商売にならないですから」
「カルトも山賊も取り締まれないものなのかい?」
「インモールは王政国家じゃないですからねぇ。大地主が集まって民主的な統治というのがタテマエですが、よほどの金持ちでないと治安や統制に意見できないし、金があればカルトでも黙認される……まぁ良くも悪くも自由貿易都市といった感じですよ」
「独裁者の王政国家もイヤなものだが、自由すぎる貿易都市もあまり良いワケじゃないって事か」
「まぁインモールは活気ある街ですよ。闇マーケットに関わらなければ危なくないし、城砦都市ですからインモールの街中で山賊に教われるような事もありませんから、普通にしていれば治安の良い街ですよ」
「冒険者時代にインモールにいった事はあるけど、ほとんど素通りだったから詳しくなかったんだ」
「昔はがめつい王様が市民を苦しめていたそうですが、魔王が現れて世の中が魔物だらけになった騒乱の時代に真っ先に滅亡したんですよ。大地主が資産を守る為に治安を取り仕切って、いまのインモールになったわけです」
「なるほどねぇ。インモールが金が正義の街だとしたら、商売で大儲けできる感じなのかい?」
「それがねぇ……そうでもないんですわ」
行商人の口調が曇った。
「活気のある街ではあるんですけどね、金が正義という事は真面目に商売やるよりもインチキで金を稼いだほうが得をするんですわ。悪どい商売で荒稼ぎをしても金で帳消しに出来るんですから、治安は良いのに犯罪は多いんですよ」
「うーむ、”汚い金でも蔵は建つ”って事か。そんな街で商売して大丈夫なのかい?」
「まがりなりにも自由貿易都市ですから、客も多いんで相応には稼げるんですがねぇ。やはり稼いだ金を山賊に奪われたらどうしようもないんで悩ましいところですよ」
カールはいかにも自分は無関係であると装って言った。
「アーティスを襲おうとした山賊は返り討ちに遭って逃げたという噂を聞いたから当分は大丈夫じゃないかなぁ」
「山賊がいないなら有り難いんですが、インモールのカルト集団もいなくなってくれれば尚有り難いんですがねぇ」
「そんなにカルト集団って危ない連中なのかい?」
「カルトというより反社集団ですわ。表立っては活動していないんですが、裏では相当ヤバイ事もやってるとの噂で、脅迫や殺人なんて事もやっているらしいですから、出来るだけ関わらないようにしたほうがいいですよ」
「カルト集団で脅迫や殺人か……」
カールは、山賊セシルを思い浮かべた。
カルト集団が山賊と同じ組織なら、カルト集団のリーダーはセシルの筈だ。そのセシルが脅迫や殺人を命令しているのだとしたら……。
(だとしたら、セシルはユート以上に冒険者稼業でメンタル壊したのかもしれないなぁ)
冒険者の敵は基本的には魔物だが、時には乱世に便乗して悪事を働く者や山賊などとも戦う事になる。冒険者の戦いは基本的に”殺すか、殺されるか”であり、敵が人間であっても戦いになれば相手を殺す事となる。殺さずに見逃したとしても相手が改心する可能性は案外と低い。改心するだけの理性があるならそもそも悪事などしないのだから当然の顛末だ。
それは魔王を倒して世に平和を取り戻そうとする冒険者にとっては大きなストレスだった。魔物を倒す手段を用いて人間どうして殺しあう事はお互いの志や善悪の価値観が異なるだけのただの殺し合いに過ぎない。生き残った者は「自分が正しかった」と言う事が出来るが、倫理観での正義とは全く関係のない主張でしかない。倫理的に正しい者が生き残ったとしても、やった事は人殺しなのだ。
なので長く冒険者を続ける上では”戦いとなれば何も考えずに相手を殺す”という事が重要となる。もちろん人間相手の場合は戦わずに済む方法を模索するが、それでも戦闘が始まれば善も悪も無く相手を殺す事だけに集中しなければならない。そうしなければ自分が殺されるからだ。
魔王を倒すという正義の為の戦いも長く続けていると正義の定義がわからなくなっていく。自分が正しいと信じ続ける事は難しく、自分の正しさが信じられなくなっても戦いをやめる事は出来ない。善悪に関係なく戦いに負ければ命を落とす。もし自分が正しくなかったとしても時間を巻き戻す事は出来ない。魔王を倒す戦いを続けたユート、魔王との戦いから逃げたセシル、両者とも異なった形で性格が歪んだのだろう。
カール自身は魔王討伐の旅の後半戦からの参戦で、冒険当時はカールも色男だったので町の女性とのアバンチュールで適度にストレス発散をしていた。女癖の悪さという形でカールも性格が歪んでいるのかもしれないが、魔王関係なく元来の性格だ。不真面目でナンパな性格でよかったと思った。
「なるほど、とにかくカルト集団には気をつける事にするよ」
「あぁ、そうしたほうがいい」
行商人の馬車は平原を進んだ。周囲に森や崖などは無く山賊に襲われる心配はしばらく無さそうだった。
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ドンドンドン!と元勇者の部屋の戸が叩かれる音が響いた。
「勇者様! 朝食の支度が出来ましたよ!」
アーティスから砦に戻って3日目の朝である。
シュナがつれてきたホムンクルス娘ライムと、魔物サッキュバスのサッちゃんが来襲して3日目である。
シュナはその日のうちに帰ったがライムは置いていかれた。ホリイ・ディア・ライム・サッちゃんの4人が元勇者の砦に住み着いている状態だった。
(……うーむ、目覚めた瞬間に居心地の悪さを感じるなぁ)
シュナが帰った後、ホリィとディアには「ライムに一般常識を教えるように」と頼み、サッちゃんには「お色気しか売りが無いなら帰るように」と命じた。
結果としてサッちゃんは「お色気以外の売りを身につける為に花嫁修業します!」と言いだし、ライムの行動原理の基本が肉体関係なのでなかなか常識的な行動が身につかず、非常に騒々しいドタバタした2日間となった。元勇者は隙を突いてこっそり逃げ出し街の宿屋に避難しようと目論んだがディアに見つかって失敗に終わった。
元勇者は渋々と身なりを整え部屋から出て、待ち構えていたホリィに「おはよう」と挨拶した。
「よく眠れましたか? なんだか元気がないようですが」
「朝の中高年は大体こんなもんだよ」
元勇者は一応の愛想笑いをしたが、内心(自宅が女子校のようになったら元気もなくなるよ)と思った。
自宅に4人も元勇者を慕う女性がいるという事は非常に恵まれているように錯覚しがちだが実際は違う。
4人もいるから誰か一人に手を出す事もできず、それぞれ迂闊に手を出せない面々でもあった。中高年が少女に手を出す事は若者の将来に傷を付けるようなものだし、ホムンクルス相手に肉体関係を持って良いものかもわからず、魔王の復活を望む魔物を相手に都合よく遊ぶというわけにもいかない。いくら可愛く美しい異性でも手が出せないなら我慢する他ない。
また女性ばかりの中に男が一人という状況は非常に居心地が悪いものだ。日常的な事でも男と女での感性や考え方の違いを感じる事となるし、女性ばかりでは感性の違いは常に女性側が正しいという事になる。それらは些細な事ばかりではあるが、些細な事でも積み重なれば息苦しさに似た居心地の悪さになる。ラッキースケベというイベントが発生しないよう折角の24時間風呂にもなかなか入れない。
(据え膳食わぬは勇者の恥かもしれないが、手を出せる相手がいないんだよなぁ)
「勇者様、なにか仰りましたか?」
「ディアもいたのか! な、何も言ってないよ」
「そうですか。では朝食にしましょう」
(うぅむ……こりゃぁ迂闊に独り言をボヤく事も出来ないぞ)
元勇者はしぶしぶキッチンに向かった。
なにしろ押しかけ女房が4人である。これで和気藹々としている事が不思議だが、最終的には「誰が元勇者の嫁となるか」という話になるので落ちつく事が出来ない。元勇者も嫁は欲しいとは思っているが、年頃の少女では年齢差がありすぎる。埋められないジェネレーションギャップを感じ続けて生活するのは厳しい事のように思えた。
パンケーキとサラダなどの朝食の用意されたテーブルに着くと、サッちゃんが紅茶が注いだ。
サッちゃんはサッキュバスの魅惑的な身体をエプロンで包み隠していたが、それが逆に豊満なボディラインを強調し色香を濃くしていた。とはいえ少女達の前でガン見するわけにもいかない。
(これじゃぁ生殺し状態じゃないか)
元勇者も中高年なのだからエロオヤジを装ってセクハラに明け暮れるという選択肢も無いわけでは無い。むしろこれほどラッキースケベのフラグが目白押し状態になる事は長い人生の中でも稀な事だ。元勇者に遅咲きのモテ期がやってきたとしか思えないが、元勇者にとってはモテ期も手遅れにしか思えない。
その憂鬱さを察してか、サッちゃんが紅茶を注ぎ終わった時に元勇者の耳元で囁いた。
「若い子のいない時に教育上よろしくない事を楽しみませんか? 私魔物ですからハードなSMプレイにはおあつらえ向きでしょう?」
「……殺される事を覚悟しているなら、いつか相手してやるかもしれないな」
「うふふ、脅し文句なら目を見て言って下さいね。油断大敵ですね、お互いに」
元勇者は何事も無かったかのように振舞う事で精一杯だった。サッちゃんと呼んで侮っていたが、ふとした隙に誘惑されては心が惑わされそうになる。さすがは本職のサッキュバス。
「大体なんでサッちゃんがうちに住み着いているんだ?」
「だって私サッキュバスですもの。狙った男を堕とさないと次の相手を狙えないんです」
「難儀な魔物だなぁ」
注がれた紅茶に変なものが入れられてやしないかと不安になってくる。
元勇者は朝食を食べる前から胃もたれ気分だった。
「トコロデ勇者サマ、ソロソロ結婚相手ヲ選ブカ、夜ノオ勤メノ相手ヲ決メテホシイノデスガ」
「ライムはある程度は言葉遣いがマトモになったようだが内容はいつも通りだなぁ。俺はいまのところ誰とも結婚するつもりは無いよ」
「シカシ勇者サマハコレマデ寂シイ一人暮ラシヲ続ケテイラッシャッタノデスヨネ? 嫁ガイタホウガ日々楽シイノデハト思イマス」
「それはそうだけど」
「ナノデ、提案ガアリマス」
「提案?」
「私達全員ト結婚スルノハイカガデショウ? 4人ヲ交代制デ嫁ニスレバ何モ問題ハアリマセン」
「いやいやいや、それ重婚だし」
「私達モ家事ナドノ仕事ガ分担出来マスシ、良イあいであダト思ウノデスガ。名付ケテ”4等分ノ花嫁”デス」
「危ないっ! でも多分セーフ! 一人少なくて助かった! 偶数でよかった!」
ホリィは4等分アイデアに肯定的な様子だった。
「独り占めしたいですけど、このまま誰も選ばれないより4人全員が勇者様の妻になるほうが納得できます。家事も楽できそうですし、万が一介護という事になっても皆で協力すれば問題ないと思います」
ディアは少々複雑な様子だった。
「私は人が一杯いるほうが楽しいけど、一応アーティスの王族なので、重婚では妾のようで父上様が納得しないと思います……」
ライムは相変わらずお人形さんのような微笑だった。
「出来レバ毎日夜ノオ勤メをヲシテ頂ケタ方ガ私ハ早ク普通ノ人間ニナレルノデスガ、でぃあヤほりぃガ妊娠スレバソノ間ハ私ダケガオ相手出来ルノデ、悪クナイあいであダト思イマス」
サッちゃんも4等分アイデアに乗り気のようだった。
「私は満足するだけ精を注ぎ込んでくれれば後は捨てられても構わないわ。もちろん精が枯れるまでお相手する事も出来ますよ」
元勇者は頭を抱えた。
「お前達は俺を一体何だと思っているのかと。俺は魔王を倒しただけの結構普通の中高年だぞ? 別に絶倫でもないし色情狂でもない。それに職業欄には無職と書かざるを得ないヒキニートだ。大体なんで魔物のサッちゃんまで花嫁候補になっているのかと」
「私は勇者様がヒキニートでも構いません」とホリィ。
「アーティスのお城は広いですからヒキニート生活も退屈しませんよ!」とディア。
「私ハ勇者サマガざーめんヲ出シテクレレバにーとデモ問題アリマセン」とライム。
「ヒキニートでも性欲は発散しなきゃ」とサッちゃん。
元勇者の顔から表情がゆっくりと消えていった。
(あぁ、やっぱみんな若い女子なんだよなぁ)
中高年の元勇者が求めるのは若く可愛い少女でも好きに弄べる女性でもなかった。ヒキニート設定を肯定するのではなく他の道を示唆してくれるような人のほうが元勇者にとって有り難い存在だ。それが出来るのは元勇者を理解しつつ異なった考え方が出来る相手で、それには相応の人生経験というものが不可欠だった。見た目の可愛さや若さは無いよりあるほうが良かったが、必須条件ではなかった。中高年で若い女に本気になれる者は大概は自分の年齢を忘れているだけなのだ。
もちろんホリィやディアがそのような女性になる可能性は十分にあるが、それを待てるほど元勇者は若くなかった。この男冥利に尽きる境遇に応じられないのは元勇者自身の問題なのだ。モテ期が遅すぎたのだ。
元勇者は朝食のパンケーキを食べたが、味が感じられなかった。
(それに食事の支度も掃除洗濯も娘さん達がやってしまうから、俺のする事が何もないぞ。一体どうやって1日を過ごせばいいのやら……)
独身中高年が最も望むものは良き伴侶だが4人は多すぎる。家事を分担すれば元勇者のする事など何も残らず、寂しさを埋めるには姦しすぎる。多数の女性の中に男一人というのも居心地が悪い。一応はハーレム状態ではあるが、勇者と慕う相手に対して不埒な事をするわけにもいかない。
元勇者が困り果てている時、玄関のエントランスホールの辺りで「キュピーン、キュピーン」という謎の効果音が聞こえた。
「どうやら来客のようだ」
元勇者はホッとした口調で言った。
この砦の場所を知っていて、転移のオーブを使ってやってくる人間は一人しか思いつかない。
「おっ、ちょうど朝飯のタイミングか。俺の分もあるかな?」
「とりあえずカールは”ダイエット”って単語を覚えたほうがいいんじゃないかな?」
元勇者は紅茶をすすった。
城砦都市インモールに行っていたカールがここに来たという事は、山賊セシルの秘密組織に関してだろう。
穏やかな話ではないし楽しい話題でもないが、ハーレムの中で居場所がない状態よりは幾分マシに思えた。




