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元勇者は禍根渦中  作者: 数ビット
11/46

「魔王と勇者」

「その……冗談、よね?」


 シュナの声は緊張で上擦っていた。

 広い部屋には静寂と緊張感が漂っていた。


「冗談というか、俺もあまり信じちゃいないんだけど」


 元勇者はのほほんと返事をした。


 しかしアーティス国王は一層の威厳を以って元勇者に言った。


「その真偽を確かめるには、そなたが救った世界の命運を賭ける必要があるのだぞ」

「そこのところは理解してますって。マジで」


 そう言いながら元勇者は困り果てたように後頭部を掻き毟った。


「とりあえず魔王との戦いの事をざっくり話しますんで、過不足あればアーティス王の監修の元で脚色とかお願いしますよ」

「承知した。良きように取りまとめる事を約束しよう」

「ではどこから話そうか……四天王までの事はカールやシュナに任せるとして、魔王との戦いの事を話せばいいのかな?」

「魔王がどのような存在だったのか、どのような力を持っていたのか、どのように打ち倒したのかを語って頂きたい」

「では……」


 元勇者はまるで他人事のように淡々と魔王について語った。


 元勇者が魔王と対峙した時、魔王は元勇者を歓迎するかのような態度だった。

 魔王は身の丈190cm程の細く筋肉質な身体付きで、その瞳と髪は燃えるように赤く光っていた。しばらく他愛も無い会話が続き、その会話では「世界の半分をやろう」とも言われた。それを断ると魔王は楽しそうに元勇者と戦う事を切望した。それに元勇者が応じ、魔王との戦いが始まった。


 魔王は魔術と剣の両方を自在に操る猛者で、その力は四天王の数倍はあろうかという圧倒的なものだった。元勇者は魔王の魔法攻撃をかわしつつ一進一退の攻撃を繰り返した。魔王との戦いは最終的には力比べのようになっていった。罠や謀略といった小細工が無かった事は幸運だったが、力量は元勇者より魔王のほうが上回っていた。


 そして戦いはほぼ相打ちのような様相で決着がついた。

 魔王の身体が塵となって消えるまでの間、魔王は己の名を元勇者に教え「そなたが名を呼べば我は蘇り、そなたの僕となる事を誓おう」と言った。


「とまぁ、そんな感じで」と元勇者。

「成る程。魔王は攻撃魔法を用いたとの事だが、どのような術を使ったのか?」

「威力は異常なほど高かったのですが、魔法自体はファイアー系やサンダー系の攻撃力特化型魔術ばかりでした。他にも重力系や幻術系などの様々な術は使えたのでしょうけど、俺が目にしたのは攻撃メインの魔法ばかりでした」

「ふむ、他に何か特別な事が無かったのなら、後はこちらで上手くまとめておこう」

「あまり尾ひれ付けないでくださいよ」


 話を聞いていたカールがボソッと呟いた。


「……やっぱアーティス王は普通じゃないわ。だってユートの言う事が本当なら”ユートが魔王以上の存在”というだけでなく”ユートが魔王を呼び出せば魔王2人分の世界破壊力”って事なんだぜ? そんな話を淡々と受け入れるなんて普通の神経じゃないよ」


 シュナは呆然としつつもカールに説明した。


「つまりユートは”魔王を召還する能力”を手に入れたという事になるけど、その召還スキルは使えないのよ。だってユートが魔王を呼び出したとして、魔王がユートの使い魔として働いたとしても、ユートが寿命とかで亡くなったらどうなると思う?」

「主を失った魔王は再び自由の身となって、せっかくユートが魔王を打ち倒したことが完全に無駄になる、という事か……」


 元勇者は2人のほうを向いてシニカルな笑みを浮かべた。


「そういう事さ」


 ホリィとディアは話のスケールが大きすぎて上手く理解できない様子だった。


「全ては終わり、魔王の脅威は無くなった。あとは宴のカニクリームコロッケとかウニイクラ丼とかを食べて平和な世に感謝するだけさ」


 元勇者は王に一礼し、席を立った。


「しかしユートのあっさりした話だけで大丈夫なんですか?」とカールが王に尋ねた。

「勇者ユート殿の武勇は様々な形で世に刻まれ、行く先々で何かとなって残っていくだろう。それがユート殿の望まぬものであったとしても、美化されたものであったとしても、遠き未来の先人達はその痕跡から何かを学び取る事であろう」

「つまり先の事は後の世代に丸投げという事でしょうか?」

「後の世代が何かを学ぶ事を選ぶか、何も学ばず身を滅ぼすかは、後の世代が選ぶ事なのだ」


 アーティス王の言葉は無責任なものではなく、どこか我が身の無力さを嘆くような侘しさを含んでいるように聞こえた。




---


 宴の広間に戻ると、余興はリンボーダンスで盛り上がっていた。


「うむ、平和だ」


 元勇者は妙な疲労感を感じながら席に付き、適当に料理をつまんだ。


「あのう……こんな適当な感じで、ご不満ではありませんか?」とディア。


 一応は魔王討伐おめでとうパーティーを催し、その功績が後の伝説となるであろう記録を取った。しかし若きディアにとってはなにか納得のいかない事としか感じられなかった。


「勇者様、せっかくの機会なのですから何か希望や要望があるなら言ってはいかがですか?」とホリィ。


 アーティス王の言う事は正しく、3年も放置されていた元勇者にとっても一応の功労を称えるイベントが行われている。しかし世界を救った英雄に対する処遇としてはあまりにも素っ気無く、その淡白な現実にディアもホリィも納得出来ないでいた。


「うーむ、強いて言うなら……」

『言うなら、なんですか?』

「宴の料理に少しはお肉も欲しかったかなーと。でも若い頃ほど食べられないから別にいいんだけど」

『そ……そんな事ですか……?』


 元勇者の反応も淡白だった事にディアもホリィも落胆した。

 一応は元勇者は魔王を打ち倒した覇者であるのに、この期に及んでも欲の薄い様子の元勇者には覇者の風格が感じられなかった。疲れ果てた定年間際のサラリーマンのようなオーラを発していた。


「いや俺はこれでも結構楽しんでいるんだ。なにしろ魔王を倒してからの3年間なにひとつイベントの無い日々を過ごしていたから、ホリィやディアが押しかけて来た事も、こうして宴の席を設けて貰った事も、山賊退治でかつての仲間だった連中の顔を見れた事も、良い事ばかりじゃないけれど孤独で寂しい日々よりずっと楽しい気分なんだ」

「勇者様にご不満が無いのであれば、よいのですけど……」

「不満はなにも無いよ。それよりこの宴に集まった兵士達でも食べきれないほどの料理が気になるな。残すのは勿体無いけど鮮魚とかナマ物が多いから廃棄処分を少しでも減らさなきゃという事が気になって……。とりあえずいまは食べて食べて食べまくる事にしないか?」


 離れたテーブルから「D・H・A! D・H・A!」という奇妙な声が響いていた。どうせシュナが美容目的でイワシやサンマを食べまくっているのだろう。元勇者は心の中で「食べ過ぎて太れ」と念じた。カールは放置いていても勝手に太るだろう。


「まだまだ成長期のディアやホリィは少々食べすぎても大丈夫だろう。アーティスでも毎日こんな宴をやっているわけじゃないんだろうから、たまには贅沢を楽しもう」


 元勇者はいかにも楽しそうな口調で言った。勿論普段からテンションの低い元勇者が心の底から楽しんで言ったわけではないが、珍しく明るい様子の元勇者の意見にディアとホリィも賛同した。


 そうして豪勢な宴は夜遅くまで続いた。

 元勇者もアジフライとかエビチリとかイカ飯などを食べつつ濁り酒を嗜んだ。


 宴の賑わいが落ち着き静かになってきた頃に給仕が客間の用意が出来ている事を伝えた。


「確認でございますが、ユート様は何人部屋を御所望でしょうか?」


 その言葉に元勇者のほろ良い気分が醒めた。英雄色を好むというが、この気遣いは完全におせっかいだった。ディアやホリィと同室になればあぶないイベントが発生しそうだし、シュナとカールも論外だ。


「尋ねるまでも無く一人部屋で。何がなんでもひとり部屋のシングルベッドで。それ以外はダメ!絶対」

「畏まりました。ご休憩なさる時にご案内いたしますので、いつでもお声掛けください」


 深い意味は無いのだろうが「ご休憩」が別の意味に思えてしまうのは自意識過剰であろうか、被害妄想であろうか。

 ともあれ元勇者は宴の席の賑わいが落ち着くまで愛想笑いを続け、ディアとホリィが一足先に就寝し、参加している非番の兵士達が酔い潰れた頃を見計らって、用意された客室に向かった。




---


 アーティス城の客室は立派な作りで、調度品も寝具も高級なもののようだった。


 海の幸をたらふく食べたほろ酔いの元勇者はすぐに深い眠りにつきたい気分だったが、心の中の何かが落ち着かず、目が冴えていた。ベッドにごろりと横たわってみたが、目を閉じても睡魔がやってこない。


 しばらくベッドに仰向けになって天井を見つめていた元勇者は、ぼそりと呟いた。


「そうか、これで全てのイベントが終わったんだな」


 魔王討伐から3年も経っていて実感がないが、この宴が魔王討伐に捧げた長い長い旅の終わりのエピローグだったのだ。


(……あまりにも長い旅だったから、終わる事は無いのだと思っていた。魔王を倒した事で終わったように勘違いしていたが、アーティス王に魔王討伐の顛末を話し、宴で祝って、ようやく旅の目的の全てが果たされたんだ)


 それは本来喜ばしい事の筈だった。

 元勇者はアラサーの頃の本懐を20年近くかけて果たしたのだ。若かった頃の目的を投げ出す事なくやり遂げたのだから喜ばしい筈だが、元勇者の心には喪失感しかなかった。


(魔王討伐イベントの全てをクリアーした俺は、次に何をすればいいんだ? 次に何が出来るんだ? 魔物を倒す事しか出来ない俺に、なにか出来る事なんてあるのか?)


 元勇者はぼんやりと天井を眺めながら「これも、呪いかなぁ」と呟いた。

 一向に眠気を感じない元勇者はベッドから起き上がり、キセルを手に窓際のバルコニーに出た。美しい月夜だった。


 キセルに葉を詰め、火をつけて一服ふかしながら、魔王と出会った時の事を思い返した。




---


「お前一人か。随分と待ったぞ」


 魔王はまるで友人に話しかけるかのような口調だった。

 勇者ユート・ニィツは何かを言おうとして、言葉が出ず、自嘲的な笑みを浮かべた。


「俺はそなたが来るのを一人でずっと待っておったのだ。この世界を手中に収める戦を始めた日から数十年の時を、そなたが来るのを孤独に待ち続けていたのだ」

「手下の魔物が山ほどいるのに孤独だったとはね」

「我は生死とは無縁の魔物ゆえ滅びるまでは存在し続ける。下等な人間とは時の流れが違う故、数十年など人間の時の流れで言えばせいぜい2~3年といった感覚であろうが、魔王であれど3年の孤独は抗いようの無い苦しみである。故に私は待ち続けていたのだ、私を打ち倒さんとする愚かな勇者が来る時を」


 魔王の口調は会話する事を楽しんでいるように感じられた。魔族が人間の言葉を話している事でニュアンスが違って聞こえているのではなく、確かに魔王は話相手がいる事を喜んでいる様子だった。


「せっかく来た勇者が、俺のようなみすぼらしいオッサンで申し訳ないよ」

「卑下する事は無い。そなたは唯一この私を打ち倒しに来た勇者であるのだから」

「魔王を倒す事しかないんだ。他には何も」

「フフフ……そなたは期待以上の勇者のようだ。世界を救う為に戦い、人々の為に戦い、弱き者を守る為に戦ってきた本物の勇者だという事は、その澱んだ目を見ればよくわかる」

「……」

「人の為に尽くし人の為に戦い続けて、人間という者共がどれほど下等で愚かな生き物かを、そなたは長い旅の中で嫌というほど知った事であろう。裏切られ、失い、誰かを助けても誰からも助けてもらえない」

「……フリーランスの辛いところさ」

「得られるものが無くとも自分の理想や目的の為だと思い込もうとしても、人間の短い人生では理想も目的もすぐに色褪せた事であろう。他の仲間や同業者は色褪せた理想に意欲を無くして長い旅を辞めていったのであろう。そなたも長い旅を辞めようと幾度も思った事であろう」

「仰るとおりですよ。世の中の正義とか平和というものが如何にテキトーで曖昧で嘘くさいものかをさんざん思い知らされて、真面目に魔物と戦うほど損をするのに、冒険者は全てが自己責任のフリーランス業だからこんな事を続ければ続けるほど辞めたくなる。正直いまも辞めたい気分だし、何も考えずにずっと寝ていたい」


 憮然とした表情の勇者ユートは緊張感の無い愚痴を魔族最強である魔王に語った。

 しかし魔王はユートの愚痴さえ楽しげに聞き入っていた。


「帰られては困る。そなたがいなければ私は再び孤独になるではないか。そなたがいなければ話す事も殺しあう事も出来ないではないか」

「俺でなくても、別に誰でも構わないでしょう。話がしたいなら、俺達が倒しちゃったけど四天王とでも話していればよかったのさ」

「そうはいかん。お前が冒険者というフリーランスであるならば、その話相手は同格のフリーランスでなければ通じぬ事も多かろう。魔王である私と対峙しているそなたでなければ苦労も孤独も理解など出来ぬのだ」

「買いかぶりだね。俺は人や魔王の苦労や孤独を理解できるほど賢い人間じゃない」

「その”理解出来ない事”を理解している者が世にどれほどいようか。人も魔物も理解できぬ事を認めぬ愚か者ばかりであるし、私も下等な人間の事など理解できぬ。そなたも魔物の事など理解できぬだろう。戦い続けた果てに理解できぬという事を理解したそなたは、魔王である私と同等であり同格なのだ」


 勇者ユートは深く呼吸をして平常心を意識した。

 魔王の話す言葉は理知的で、そっけなく話すユートに対して紳士的な受け答えをしていた。ユートは魔王の言葉が何か翻弄しようと、または思考を誘導しようとしているのではと疑った。だが魔王はただ会話を楽しんでいるようにしか感じられず、姑息な罠を言葉の中に忍ばせているようにも思えなかった。


「魔王と同格だなんて恐れ多い。俺も愚か者の人間でしかないですよ。むしろ一番愚かしい人間だとさえ思う」

「ハハハ! 魔王であるこの私も愚かしい魔物でしかない。やはり同等ではないか!」


 魔王は本当に愉快そうに笑った。

 その快活な笑い声に、勇者ユートは(戦っても負けるだろう)と感じた。力量の差というものは声や雰囲気に宿る生命力のようなものからも測り知る事が出来る。仲間が戻らず失望と失意に沈む勇者ユートには高笑いするような活力など無かった。


「そなたとこのまま殺し合いをするのも良いが、我の仲間となって一緒に世界を統べるというのは如何か」

「……世界を統べる? 世界の半分をくれるとか?」

「我と共に世界を支配するのだから、世界の半分と言えるだろう。欲しいなら好きなだけそなたに任せよう」

「いや……別にいらないね、世界とか」

「手にした世界の半分を好きにするも放置するもそなたの自由だ。急な話で決断できぬというのなら、しばし待つ事も厭わぬぞ」


 はぁぁ、と勇者ユートは深い溜め息をついた。

 考えたのは世界の半分をどうするかという事ではなく、友好的に接してくれる仇敵になんと言えば良いのかだった。


「……なんて言えば良いのか、申し訳ないけど、魔王さんは俺と戦ってくれないかな」

「そなたと戦う事は我も望む事であるが、そなたはなぜ戦う? 戦ってもそなたは何も得られぬであろう?」

「そう、確かに何も得られない。ただ長い旅を終わりにしたいんだ」


 勇者ユートは剣を抜き、構えた。


「旅の終わりにそなたが生きておれば、我が名を教えよう。但し欲も我も無く無心で戦おうとするそなたが相手では手加減は出来ぬ。我が全力を尽くして相手致すので、易々と死なぬよう」


 魔王は玉座から立ち上がり、黒剣を振りかざした。


「では、殺し合いを楽しもうではないか!」




---


 元勇者はキセルの灰を落とし、再び葉を詰めた。


「……もう少し魔王と話をしておけばよかったかなぁ」


 ぼんやりと月夜を眺めながら呟いた。ランタンの火でキセルに火をつけ、ゆっくりと吸い込んだ。


 元勇者ユートは魔王討伐からの3年の間に幾度も魔王と対峙した時の事を思い出し反芻していた。その記憶はまるで別れた恋人のように時に苛立ち時に恋しいものとして思い返された。元勇者の心を覗き込むかのような会話が不愉快に思えた時期も長かったが、最近では旧友のような懐かしさを感じてしまう。勇者が魔王を倒したというより、対等な者同士が全力で勝負した試合のような印象が強くなっている。


 魔王との戦いの時、確かに勇者ユートの助力となる仲間は誰一人いなかった。最終決戦前だけでなく、7勇者だけでもなく、長い旅の間では幾度も仲間が去っていった。魔王討伐という人間側にとっては絶対的に正しい事だった筈なのに、その正しい事を否定して仲間が去っていったのだ。

 仲間を辞めて去っていくのはそれぞれの都合であるから仕方がない事だと納得しようとした。冒険者稼業はフリーランスなのだから辞めたい時に辞めても構わないのだ。……そうとは理解していても仲間に去られる側にも都合はあり、魔王討伐を辞める冒険者が増えるほど勇者ユートは引っ込みがつかなくなっていった。


 引っ込みがつかなくなった結果たまたま魔王を倒しただけという事も元勇者は自覚していた。きっと魔王のところに辿り着けなかったが冒険を続けていた冒険者は沢山いるはずで、元勇者よりも正義感の強い真っ当な勇者もいた筈だろうと思っていた。正しい冒険者が魔王のところに辿り着けず、誰一人仲間のいなくなった元勇者が魔王のところに辿り着いてしまっただけなのだろうと。


(俺が魔王を倒した事を妬む冒険者はいるのだろうか。俺が魔王を倒した事で救われた冒険者はいたのだろうか?)


 魔王討伐の長い長いフリーランス生活の苦労を分かち合う仲間が欲しかったが、その苦労を理解できたのは魔王だけだったような気さえした。魔王はただ元勇者を見下し哀れんでいただけかもしれないが、その勝負は潔い戦いだったようにも思う。


 元勇者が物思いに耽っていると、隣のバルコニーで物音がした。


「あらユート、いつのまにか宴の席からいなくなっていたから、とっくに寝たものと思っていたわ」

「おやおや大魔法使いのシュナさんもお月見ですか。てっきり衛兵あたりを口説いているものと思っていたよ」

「少し嫌味に聞こえるのだけれど、それってやっぱり最後の戦いの前に私が戻らなかった事を根に持っているのよね」

「まぁ、ハッキリ言っちゃえばその通りだよ。7勇者時代から4英雄時代までの10数年、魔王を倒す為に一緒に戦ってきた仲間と思っていた奴が一番肝心な時にいなかったのだから」


 シュナはなにか冗談を言おうとしたがやめた。そして真面目な口調で言った。


「……ユート、あなたも逃げてよかったのよ」

「もう済んだ話だよ」

「あなたも逃げればよかったのよ。冒険者なんてフリーランスなんだし、転職するのも自由なんだし、どれほどレベルが高くても魔王討伐は義務じゃないんだから、魔王と戦うなんて危ない事から逃げていればよかったのよ」

「そーだったのかもしれないねぇ」

「どうして、あなたは逃げなかったの?」

「どうでもいいだろ」

「気になるから尋ねているのよ」

「……逃げ場が無かっただけさ。逃げる故郷も無いし、冒険者をやめて転職する目処もなかった。だって人生のうちの働き盛りの時代をずーっとフリーランス冒険者ばかりやり続けていたんだ。中年の転職は若者が上司になったりして色々キツイし、他に何かをする技能や資格も無いし、魔王討伐から逃げ出す理由もないし、他に何も無かったんだ」

「理由が無くても、逃げていいじゃないの」

「俺も逃げたかったけど、引っ込みがつかなくなっていたんだ。ゴール直前で魔王から逃げ出して何が残る? それまで費やした時間と苦労が水の泡になるだけさ。フリーランス時代の10数年の人生が無駄だったと思う事が怖かったんだ」

「……む、無駄な人生なんてある筈が無いじゃないの」

「シュナはそれを本心で言えるのかな? 無駄な人生はあるし、それに気付くのが早ければ早目にやり直せるけど、気付くのが遅いほど逃げようがなくなるし引っ込みがつかなくなるものじゃないか。でなきゃシュナも婚活で苦労する事も無かったんだ」

「でも私たちは確かに沢山の人々を救った筈よ」

「俺達を救ってくれた人はどれだけいた?」

「……全くいなかったわけじゃないわ。確かにそれほど多くはなかったし、役に立たない善意も多かったけど、無かったわけじゃないわ」

「その善意とやらで俺達は救われなかったから、お前達は逃げ出したんだろう?」

「……仕方がないけど、きょうは随分と意地悪ね」

「あー……もしかしたら月夜のせいかも。魔王と戦った時も綺麗な月夜だったんだ。戦っている最中に魔王の城の壁に大穴をあけてしまって、そこから濃紺の夜空に数多の星が煌いているのが見えたんだ……」


 バルコニー越しに沈黙が流れた。

 シュナはその綺麗な夜空を見る事を放棄していた事を理解した。長い冒険の旅を元勇者と共に過ごし同じ景色を見てきたのに、共感も共有も出来ない光景があるのだ。それは一番肝心なところでかつて仲間だったユート・ニィツを理解できないという事でもあった。


 シュナの心中に罪や後悔に似ているが少し違う気持ちが湧いた。隙あらば下品な事を口走るシュナにしてはシリアスな気分に支配されていた。


「……そういえば」と元勇者。「シュナが聞けば後悔するであろう事を教えてやろう」

「なによ突然?」

「魔王を前に逃げ出したのは失敗だったなシュナ。魔王はすげーイケメンで性格も良かったぞ。俺に対してさえ紳士的だったし、魔がつくけど王様だし、なにより孤独な”独身”だ」

「そ、そ、それって……つまり?」

「シュナが求婚すればたぶん応じただろうな~と。魔王ならシュナの下品さも受け止められたんじゃないかなぁ? 魔法使いの魔女と魔王ならお似合いのカップリングだろうし」


 シュナの表情からシリアスな要素が消えていった。


「まっ! まっ! 魔王さまァァァッ! アァッ! ホアァァァー!!」

「これこれ夜に奇声を発するでない。しかも魔王討伐おめでとうパーティやったお城の中で」

「ナンデッ! ユウシャナンデッ! なんで魔王倒すとか! 私が魔王と一発ヤルまでどうして待たなかったのかと! ホアァァァー!!」

「ははは、もう済んだ話だよ。それじゃぁおやすみ」


 かなりマジで魔王とのカップリングに到らなかった事を後悔して奇声を発するシュナを尻目に、元勇者はバルコニーから部屋に戻った。




---


 元勇者はベッドにもぐりこんで瞼を閉じた。

 まだ睡魔を感じないが、すぐに眠りに落ちる事だろう。


 魔王との戦いは殆ど相打ちだったが、勇者ユートの辛勝に終わった。


「どうした? そなたの勝ちだ。私は負けたようだ」


 確かに勇者ユートの剣は魔王の身体を貫いていた。

 しかしその渾身の一撃を繰り出した衝撃が反動となって勇者ユート自身の全身も打ち砕いていた。

 全身骨折しボロ雑巾のようになった勇者ユートは最後の一撃を繰り出した格好のまま指の一本も動かせなかった。対する魔王は心臓の辺りを貫かれただけの綺麗な格好だった。魔王は苦痛に呻いたり取り乱したりもしておらず、ただ満足そうな笑みを浮かべていた。


「そなたには私の名前を教えよう。我が名を呼べばそなたの僕として復活し、そなたの手足として務める事を誓おう。これは私との戦いに勝利した褒美であり、魔王から人間へのささやかな呪いである」

「……」


 勇者ユートは既に声も出せなかった。肋骨も折れていて最低限の呼吸をするのが精一杯だった。

 魔王の身体は次第に塵となって崩れ始めていた。


「人間の言葉で言うならば、我が名は魔王ゴグ・グリスト。そなたの長い旅とやらの最後しかと見届けた。戦えて楽しかったぞ」


 勇者ユートは塵となって消えゆく魔王に声をかける体力も残っていなかった。打ち倒されてなお相手を称える魔王に対し、返事も出来ず剣を構えたまま魔王を睨みつける勇者ユートのほうが悪者に見えるであろうと思った。


 ふわり、と遂に魔王の体が全て塵と化し消え去ると、勇者ユートの剣はその重さで地面にゴトリと落ちた。

 魔王が姿を消して誰もいなくなった魔王の牙城の玉座の間に、勇者ユートただ一人となった。

 勇者ユートは全身のダメージの痛みに悶え苦しみ、悲鳴も上げられず、身体を丸めて床に崩れるように倒れた。剣を振り下ろした腕の骨や筋肉、その打ち込む力を支えた両足の骨と筋肉が、魔王を貫いた時の激しい衝撃で砕けていた。戦闘の緊張が解けると苦痛と激痛に耐える事も出来なくなったが、呼吸さえままならない状態では何も出来なかった。


 そして何時間もの間、床に転がる小石を眺め続けた。視線を動かす余力さえ無かったので倒れこんだ時の視界しか見る事が出来なかった。床にはいつくばって小石を見つめたまま、吐息の湿気が床石を濡らしている事を感じるだけだった。


 激痛で気を失う事も出来ないまま、勇者ユートは(誰か助けて! 誰か助けて!)と祈り続けた。他の事はなにひとつ考えられなかった。ただ苦しく、ただ痛かった。魔王の攻撃で受けた傷口から流れ出る血と共に体温も失われていくのを感じた。


 僅かに思考力が戻ると勇者ユートは初級の回復魔法を唱え続けた。どこかの傷口に向けてではなく、痛みを感じる方向に闇雲に呪文を唱えた。ごく初級の効力の弱い回復魔法なので一度では痛みさえ消す事はできなかった。勇者ユートは何度も何度も回復魔法を唱え続けた。


 ようやく身体を動かせるようになったのは2日ほど過ぎた頃だった。床石は勇者ユートが這いつくばっていた所為で人肌に暖まっていた。まだ骨も筋肉も治りきっていなかったが、飲まず食わずで倒れ込んでいたので泥水でもいいから何か水分を取りたかった。


 更に数日経ち、勇者ユートはかつて魔王が座っていた玉座で回復魔法を続けた。なんとか歩ける程度まで回復し、旅の荷物から僅かな食料を食べた。


 呆然と玉座に腰掛けながら勇者ユートは戦いで壊れた広間を眺めた。

 広く、誰もいない。


(魔王ゴグもこの広間でずっと一人きりだったのだろうか)


 そうは思ったが、魔王に対して共感や同情の感情は湧かなかった。ただ理解できなかった。


 ……ベッドの中で瞼を閉じながら3年前の記憶に思いを馳せていた元勇者には、少しだけ理解できる気がした。


(たしかに魔王と俺はどこか同類だったのかもしれないな)


 魔王も「世界征服を目論む魔王という自営業」としての長い旅を続けていたのだろう。人間とは感覚が違うので命がけの世界征服も戯れでしかなかったのだろうが、その旅の道中での孤独や孤立はフリーランス冒険者と同じく自己責任だ。誰も魔王を助けられないし、誰も魔王を救う事は出来ない。


(俺が魔王の長い旅にピリオドを打った事が魔王の救いになっているなら、多分きっと良い事だろうと思う)


 もし元勇者が負けていたなら魔王を恨んだだろうか?と考えると、その可能性は限りなく低く思えた。勇者ユート・ニィツの10数年の長い戦いの旅が敗北で幕を閉じたとしても人生を無駄にしたとは思わなかったような気がする。魔王を打ち倒して生き残っている現在のほうが冒険者稼業の10数年は無駄だったと感じてしまうのにだ。



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