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元勇者は禍根渦中  作者: 数ビット
1/46

「元勇者は中高年」

 白髪混じりの薄汚れた男が街の市場に向かい歩いていた。


 刀傷の痕が残るスカーフェイスを隠すように深くかぶったフードは埃まみれで、身だしなみにも無頓着といった様相でみすぼらしく、左右の瞳の色が僅かに異なるオッドアイ。唯一メガネをかけている事だけが文明人である事を示しているといった様相だった。この世界ではメガネを作るには優れた細工師に大金を払わねば買う事が出来ない高級品だ。


 男の年齢は40代後半……いわゆるアラフィフ世代だ。年齢より若く見えるが姿勢は悪く、どうやら身体中のあちこちを痛めているようで歩き方はゆっくりだった。

 切り傷のある顔、古傷で不自由のある身体、そしてみすぼらしい格好なので、すれ違う街の人々も男を不審者のように避けて歩いていた。

 ちなみにメガネをかけているのはオッドアイだからではなく、老眼だからである。


(2週に1度の食料の買出しは本当に苦痛でしかないな。宅配サービスをやっている店はないのかよ)


 心の中で悪態をつきつつトボトボと歩く男は……勇者だった。


 かつて人間界を支配しようと魔界から出現した魔王に人々が苦しめられていた時代があった。

 闇より出現する幾多ものモンスターに命を脅かされ続ける毎日に人々は絶望し、人類は魔族軍の家畜として支配される寸前にまで追い込まれた。しかし勇者は10余年に及ぶ長い冒険の果てに魔王の牙城を探し出し、単身戦いに挑んで勝利した。

 それが3年前の事だった。


(あぁ……ほんとマジ魔王なんて倒さなきゃ良かった)


 身体の節々が痛むので機嫌も悪くなる。買い物をしても店員の態度は素っ気無く、厄介者に対する扱いのようにさえ感じた。

 たしかに衣類に金をかけていないので身なりは悪く、顔にも古傷が目立つが、目立たないように顔を隠して人の邪魔にならぬよう通りの端を歩いている。なのに不審者のような目で見られるのはいささか納得が行かなかった。一人身の独身中年のオッサンはお洒落とか洗濯とか面倒なのだ。そのあたりはわかってほしい。


(あー、あそこの若夫婦、子供連れで買い物かよ……。子供は5歳ぐらいか? 俺が魔王の四天王と戦い始める頃に生まれた子じゃん……俺が命がけで戦っていた時にイチャついていたのかよ……)


 元勇者とは思えないほどみみっちい妬み半分、逆恨み半分の苦虫を噛み潰したような顔をフードで隠し、常温保存の利く穀物と根菜の袋を抱えて男は帰路についた。魔王討伐の苦労も知らずに平和を謳歌している俗世から離れた山奥の一軒家でひっそり暮らす孤独な生活に戻るのだ。


 俯いて歩いていた元勇者は、誰かとぶつかった。

 フードを深くかぶりすぎて前を見ていなかったのだ。元勇者はヨロヨロと地面に倒れた。

 ぶつかったのは清楚な身なりの少女だった。

 平和の塊のような上質な衣服に身を包んだ小奇麗で真面目そうな美少女だった。


(くそっ……魔王との戦いでの古傷のせいで、こんな小娘にも倒される中高年になっちまったんだなぁ……)


 かつての激しい戦いの日々を思い返して男は少し涙目になった。


「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」

「はいはい大丈夫です、スイマセンねぇ」

「ところであなた……」


 元勇者は咄嗟にフードを深くかぶって顔を隠した。何か嫌な予感がしたのだ。


「……この辺りに、かつて魔界の軍勢と戦った”ユート・ニイツ”という勇者様がいる筈なのですが、ご存知ありませんか?」


(うわっ! 嫌な予感が即座に的中した!)


「いえいえいえ、何もご存知ありません! あっしは何も知らないモブキャラですので!」


 元勇者は猛烈に首を横に振り、荷物を抱えて逃げるように少女から離れた。

 少女に見覚えは無かったが、魔王を倒した勇者を探しているだなんてロクな人間じゃない事は確かだ。


(魔王を倒して世界を救ったのが俺だなんてバレたら……俺はもう首をくくるしかない!)


 呆気に取られる少女を背に、男は普段より注意深く人目を忍ぶように市場を離れ人里離れた山奥の一軒家に帰った。




-----


 その晩、元勇者・ユートは悪夢にうなされた。


 魔王討伐の冒険の旅が始まったのは20代の後半の頃だった。まだ若さがみなぎり可能性に溢れていた頃だ。

 故郷の村をモンスターの襲撃で滅ぼされ、やむなく魔族の軍勢と戦う旅に出た。最初は農民よりも弱い腕力しかなかったユートだが、モンスターに苦しめられている人々を救うという義憤によって辛く苦しい修行を続け、地道に経験値を稼いでレベルアップして様々なスキルを身につけ、幾多もの町や村を救い続けた。


 戦士としてレベルが上がると冒険の仲間は次第に増えていった。魔王討伐の旅も後半戦になると魔界軍の対抗勢力に成り得るほどの革命軍となった。しかし革命軍とはいえ誰も人類の命運を賭けた作戦の責任を取りたがらず、リーダーは定まらなかったのでやむなくユートが作戦指揮を取る事が増え、仕方がなく陣頭に立って戦い続けた。魔族との戦いの中盤戦までは「7人の勇者」、後半戦は「4英雄」と呼ばれたが、単に他の者が先陣切って戦おうとしなかっただけだ。


(あぁ……この時に義憤に駆られて陣頭で戦ったりせず、冷静になって一兵士のままでいれば良かったんだ……。目の前の村を救えずに人類を救えるか!なんて考えなきゃ良かったんだ……)


 戦いの日々は長く続き、革命軍の中でもイザコザが増え始めた。先の見えない戦いの日々、増え続ける尊い犠牲、無尽蔵に湧く魔界軍のモンスター……、絶望的な戦いの日々でイザコザが生じるのも無理の無い事だったが、先陣切って戦っているのはユート達なのに、仲間は危険な戦いには参加せずにゴタゴタしてばかりなのは納得いかなかった。


 そして魔界軍も人間を惑わす攻撃をするようになり、疑心や誘惑で革命軍から謀反者が増えていった。世の統治者が魔王であっても人類にとってさほど問題はないという論調さえ出るようになった。魔界軍の誘惑によって革命軍を裏切ったり反旗を翻す者さえ出るようになった。


(この頃になると正しい事を言っても「この偽善者が!」とか罵られたんだよな……。腹が立つより先に悲しい気分になったなぁ……。あとせっかく情報を仕入れてきても「ガセ情報じゃないのか?」とか「一次ソースは?」とか疑われたし)


 革命軍の統制が取れなくなってきた頃、魔界軍の本丸を探し出して魔王と直接対決する事が最後の対抗手段となっていた。革命軍の消耗は激しく長期戦を続ける事は難しくなったのだ。小さな村を救うより魔王の本拠地を探し出す事が革命軍の目的となっていった。


(とかいって実際にはモンスターとの戦いから逃げて村も救わない輩が増えただけだったんだよな……。魔王の本拠地も結局自分で探す事になったし、小さな村とか片手間で救い続けてたし……でも村とか救ってもあんまり感謝されなかったんだよなぁ、「もっと早く助けに来ていれば○○が死なずに生んだのに!」とか逆恨みされたし……)


 長い冒険の果てにようやく魔族軍の本拠地を見つけ出したが、革命軍はほぼ自然消滅状態で、実質「4英雄」しか残っていなかった。各地にいる革命軍を集める猶予も無く、魔王に仕える四天王との壮絶な死闘が繰り広げられた。


(思い出しただけでも吐き気がする。四天王の2人目くらいで仲間の殆どが魔王に騙されたりしてチームワークは最悪で、そして魔王との最終決戦って時になったらみんな故郷とかに帰ったまま戻ってこなかったんだよなぁ……)


 そしてついに魔王の牙城に乗り込んだ勇者は単身戦いを挑み、激しい戦いの末に魔王の討伐に成功したのだ。


(まぁ「単身戦いを挑み」って、そりゃぁ仲間の全員が裏切ったり去っていったりすりゃ、ひとりぼっちにもなるさ。ははっ、俺、魔王と戦って勝ったのに誰も見てないのな!フヒヒ! 魔王倒して誰もいない玉座でボケーっとして、とぼとぼ一人で帰る俺の哀れさったら……ううっ……)


 男は悪夢にうなされ脂汗を滲ませ、そして涙を流した。


---


 元勇者ユート・ニイツの朝は早い。

 朝日が昇る前に目覚め、トイレで用を足し、自宅の周辺を見回り、そして二度寝する。

 気が向いたら掃除をし、残りの時間は自炊に費やされる。

 これが日課である。


 あの激しい戦いから3年の月日が流れていたが、正直「もう世界救ったんだし他の事まったくする気ナッシング」という気分を抱いたまま孤独な日々を過ごしていた。


 もう世界を救いたくない。

 もう戦いたくない。

 もう誰も救いたくない。

 ぶっちゃけもう何もしたくない。


 勇者として世界を救って得たものは、人々がモンスターに怯えずに暮らせる世界そのものである。

 ……他には何も得ていない。

 魔王の牙城にはそこそこの金銀財宝が蓄えられていたが、戦い終わって満身創痍の身体でそれら全てを運び出す事は出来ず、小袋に適当に詰め込んだ僅かな宝石しか持ち帰る事が出来なかった。後に換金しようと査定してみると半分ほどは値段がつかず、残りは現在の生活費として細々と使われている。


 得たものはないが、失ったものは多かった。

 革命軍では様々な嘘や裏切りに悩まされ続けた。その多くは魔王の謀略による人の心を惑わす術によるものだったが、嘘や裏切りが多発すると魔王の術とは関係なく便乗して裏切るものが出るようになった。人の心は弱く惑わされやすいという事を被害者として思い知らされ続ける日々だった。


 現実として健康も失った。若い頃は少々の怪我は戦士にとって勲章のようなものと思っていたが、いまや傷の治りの遅さで歳を取った事を痛感する日々である。筋肉痛は1日遅れで痛むし、家事をこなすだけで身体の節々が痛む。もちろん膝には爆弾を抱えている。

 魔王との最終決戦は孤軍奮闘だったので回復魔法を扱う仲間もおらず、独力で覚えた初級の回復魔法だけで戦い抜いた。まさか散々人々を救い続けてきた冒険の最後の最後で誰も自分を助けてくれる者がいなくなるとは想像もしていなかった。


 そして魔王討伐の冒険の日々も黒歴史となった。20代後半から10余年もの長きに渡ってモンスターと戦った青春の日々は、いまでは後悔と屈辱の積み重ねにしか思えなかった。魔王を倒したのに誰も仲間が残っていなかったので「勇者が魔王を倒した」という事実を殆ど誰も知らない。魔王やモンスターは勝手に何処かに消えたのだと思っている人が殆どだ。なので勇者の苦労は誰も知らず、誰にも褒めてもらえない。それが現実だったのだ。


(どーせ「ワシが魔王を倒した!」とか言ったところで「証拠は?」って言われるだけだし、なんかもーどーでもいいっつーか)


 長い戦いが終わり、勇者業というフリーランスから無職の中年独身男性となった元勇者ユートにとって、一番失ったものは人を信じる素直な心だった。


 自宅としているのは、かつて魔族軍との戦いで革命軍が拠点として使う予定だった砦だ。実際には拠点として使われず忘れ去られ放置されていたものを、人目を避けて暮らしたい元勇者が自宅としたのだ。


 自宅が砦なので広さは十分だが、自宅周辺の手入れが大変だった。放置すると雑草や蔦が伸び盛り、虫が湧いて砦の中に入り込んでくる。元勇者だって蚊に刺されれば痒い。また野生動物や革命軍関係者が近付いて来ていないかのチェックも不可欠なので、砦の周辺は常にチェックし手入れしておく必要があった。


 二度寝と昼寝の合間に砦の周辺の庭を手入れし、砦の中を掃除し、自炊する。

 これが元勇者の優雅で孤独なな一日の全てだ。

 市場で買い物を済ませたので2週間は誰とも会わずに静かな日々を送る事が出来る筈だった。


 周辺の庭の手入れを済ませて昼寝しようと砦に戻ろうとしていた時、人の気配を感じた。しかし気付いた時にはもう手遅れだった。


「勇者様! 貴方は勇者ユート・ニイツ様ですね!」


 声の主は、市場でぶつかった少女だった。




---


 年の頃15歳前後の穢れを知らぬ少女の外見は”美少女”と形容する事が相応しい端整な姿だった。ストレートのロングヘアーに瑞々しい白い肌、大きな瞳は水晶のようにキラキラと輝いて曇り一つなかった。


 …ただ、だからといって元勇者の心はときめいたりはしなかった。歳を取ると美少女という価値はさほどありがたく思えず、むしろ美少女特有のトラブルというものの厄介さに鬱陶しささえ感じる事さえあった。美少女には美少女であるというだけで発生するイベントが数多くあり、魔王討伐の為に冒険三昧で朴念仁の元勇者にとっては扱いにくい存在だった。


「そのお姿はやはり、3年前に悪辣なる魔王を一人で打ち倒した伝説の勇者ユート・ニイツ様ですよね」


 自宅周辺の庭の手入れをしている最中だったので、元勇者はフードで背格好を隠していなかった。

 3番目の四天王との戦いで顔に付けられた刀傷と魔王との戦いで焼かれた右目、低下した視力を補うためのメガネ、3年の歳月で白髪が増えたグレイの髪……この姿を見て男がユートとわかる人間はごく少数の筈だった。

 ましてや「魔王を一人で打ち倒した」事を知っている者は殆どいない筈だ。


(なにせ魔王との最終決戦の時には4人しかいないメンバーの俺以外の全員が逃げちゃってたからなぁ)


 四天王の2番手は幻術使いのラウバ、3番手は変身能力を持つ血霧のガーヴィ、4番手は最強武神コンドラだった。

 幻術使いラウバは革命軍に幻術を用いて「故郷の家族や大切な人をモンスターに襲わせる命令を出した」と思い込ませた。魔王の牙城に向かおうとする革命軍の気を逸らすための幻術だったが、効果は大きく殆どの仲間が故郷を守ろうと戦線を離脱した。

 革命軍が解散状態となり、血霧のガーヴィとの戦いはパーティメンバー4人だけで相手をしたが、仲間の能力が次々と奪われて苦戦する事となった。結局はユートが特殊ではない普通の攻撃でガーヴィをフルボッコにしたが、隠し刀で顔を切りつけられた。

 最後の四天王コンドラとの戦いは力と力のぶつかり合いといった感じの総力戦だった。魔法の効果も薄かったので結局元勇者ユート一人で戦い、残りは後方支援に徹していた。

 ちなみに最初の四天王は最弱だったらしく気付かぬうちに倒していたようだ。名前も記憶にない。


 なのでユートが元勇者だとわかるのは、四天王と戦った時にいた仲間の3人だけの筈だ。しかしこんな無垢な少女があの戦いの場にいたわけが無い。


「どちら様か存じませんが、人違いじゃないですか?」

「いいえ、人違いではないです! その身の丈にグレイヘアに顔の刀傷、貴方様こそ私の父グレッグと共に革命軍を率いたユート様の筈です!」


(あー、グレッグの娘かぁ……。そういやグレッグそんな事言ってたたなぁ。そんで四天王との戦いの後で「やはり娘が心配だ」とか言って帰っちまったんだよな……)


 元勇者は思い返した。はっきりいってグレッグに良いイメージは無い。血霧のガーヴィとの戦いではグレッグの回復魔法の能力が奪われ、どれほどガーヴィにダメージを与えても倒せず苦戦したからだ。蘇生呪文のせいでガーヴィを5回も倒さなければならなかった。しかも戦闘後にグレッグは魔力が尽きていて仲間を回復する事も出来なかった。そのせいで顔に刀傷が残ったままになったのだ。


 少女は元勇者が何か思い当たる事があるのをその表情で察した。


「やはり父のグレッグをご存知なのですね!」

「いや全然。ちっとも」

「とぼけないでください。……もしかして戦いの後遺症で記憶が?」

「いやいや」

「……やはり父が戦線を離れた事を恨んでらっしゃるのですね」


(恨むも何も、グレッグだけじゃなく全員あの時に帰っちゃったからなぁ。もうすぐ魔王の城って時に帰っちゃってこの後どーすんだよって途方にくれたわ)


「とにかく俺は何も知らないし、お嬢ちゃんはもう帰ったほうがいい」

「そういうわけには行きません。私は父の遺言で勇者ユート様に会いに来たのです」

「遺言? グレッグは亡くなったのか?」


 元勇者は「しまった」と思ったがもう遅かった。

 少女はユートがこれ以上話をはぐらかさないよう、その失言には言及せず即座に話を進めた。


「私はグレッグの一人娘のホリィといいます。父は亡くなるまでずっとユート様の事を気にかけておりました。最後の戦いの場にいなかった事を悔い、後の人生をユート様の武勇を称える為に費やそうとしていました」

「グレッグはどうして亡くなったんだ?」

「糖尿病と痛風です。その最後はとても厳しいものでした」

「贅沢病じゃねーか!」

「父は、これも肝心な時に勇者様のお力にならず平和を謳歌した罰であろうと嘆いておりました」

「……まーグレッグ、真面目で禁欲的なクレリックだったからなー。魔王がいなくなって平和になったもんだから羽目を外しちゃったんだろうなぁ」

「病気には回復魔法も効かず、その最後には葡萄酒の一気飲みで自ら幕を引きました」

「遊び下手な真面目な人がギャンブルにハマって身を滅ぼしたみたいな末路だな。1ミリも同情する気がわかないぞ」

「なので父が受けた恩義、いえ世界中の人々が魔王の恐怖から解放された御恩を少しでも返す為、勇者様に尽くす為に私はここにやってまいりました」

「間に合ってます。お引き取りください」

「わたし怪しいセールスではありません! 勇者ユート様の武勇と功績は魔王討伐の旅を共にした父グレッグの血を継ぐわたしの勤めなのです! この身をユート様に捧げ、いかような事でも従い尽くす事が私の使命なのです!」


 はぁぁ、と元勇者は大きなため息をついた。


(あぁ……。若い。若いなぁ……)


 元勇者も数年若ければ目の前の美少女ホリィの言葉に何か特別な感情がわいたかもしれない。魔王を討伐するまではホリィのように人生を賭した覚悟を口にして憚らない者も大勢いた。しかし結局一人孤独に魔王を倒した元勇者ユートにとって、若者の決断などというものは暑苦しいわりにふわふわしたものにしか思えなかった。


 そして長い冒険の旅で元勇者は中高年となっていた。若い頃ならばロマンスを期待したくなる美少女も、歳を取ったいまでは姪っ子のようにしか見えない。


(ハーレム展開にも旬ってもんがあるんだよ……。この年頃の娘なんて若い頃に結婚してりゃ自分の娘にいても普通だし、街を歩けば俺と同世代の子供連れ夫婦もしばしば見かけるし……)


 そういや真面目だったグレッグも若い頃に結婚して娘をこさえていて、家族を残して魔王討伐の旅をしていたのだから案外とアグレッシブだったんだなぁと、元勇者はボンヤリと思った。


「ともあれ折角だけど特にしてもらいたい事はないし、グレッグの娘の世話になる事も無いんだ。魔王はもう倒したし、世の中は平和だ。ホリィも故郷に帰って平和に暮らすといい」

「しかしそれでは勇者様にご恩返しのひとつも出来ない事になります」

「いいかいお譲ちゃん、まずは現実をきちんと理解しなきゃならない」

「現実を理解……?」

「俺はもう勇者じゃない。無職でヒキコモリの独身中年男性だ」


 ホリィは言葉に詰まって「ンゴッ」と喉の奥で妙な音を鳴らした。


「勇者というのは魔王を倒すのが仕事のフリーランスだから、魔王を倒したら失業するんだ。そして俺は魔王を倒した日から求職活動をしていない。つまり、無職だ」

「で、でもでも、それでも、あの……」

「無職の中年男性の家に君のようなオンナノコが一人で出入りしたら、世間の俺を見る目はどういったものになると思う? もちろん不審者だ」

「ど、独身中年の不審者……」

「君の言う勇者の武勇を称えるという事が俺を不審者にする事でなければ、暗くならないうちにおうちに帰るんだな」


 終始一貫して素っ気無い元勇者の塩対応に、ホリィの表情は重く沈んだ。

 しばしの沈黙の後、ホリィは口を開いた。


「私が幼かった頃、父は勇者様の物語を毎日聞かせてくれました。困っている人を助け、命がけで魔族軍と戦い、数多くの地から魔王軍の恐怖を消し去ってきたと。父が勇者様の仲間として迎えられた夜の喜びようは瞼に焼き付いて離れません。幼かった私は父が憧れる勇者様のお嫁さんになる事を夢見ていました」


 元勇者は声に出さずに大きな溜め息をついた。

 グレッグが仲間になったのは長い冒険の旅の中盤、言わば新シリーズ開始時だった。グレッグの村を魔族軍から救った時に助力を受けそのまま仲間になった。その夜はグレッグの家で奥さんの手料理でもてなされたが、もう8年以上も昔の事になる。少々のアルコールを堪能して早めに就寝し、早朝には旅立ったのでホリィに出会った記憶は薄い。


「夢を壊して悪いが、俺はもう勇者ではなく独身中年男性だ。白髪も増えたし老眼だし、身体もガタがきてる。英雄譚の主人公でも白馬に乗った王子様でも無いんだ」

「しかし、そんな勇者様の支えになる事を望んで私はここに来ました」

「君ほど若くて可愛らしい女の子には他に相応しい相手がいるものさ。俺じゃぁ無い」

「病床の父も私が勇者様と結ばれる事を望んでおりました。勇者様のねじれた……いえヒネた……いえいえ歪んd……、コホン、傷付いた心を癒す為には、勇者様と共に旅をした者の身内である私が相応しいのではと」

「子供の人生は親が決めていいものじゃない。そしてきみは子供だ。さあ、もう帰るんだ」

「……また来てもいいですか?」


 元勇者は返事をしなかった。余計な事を喋らないほうが良いという事も年齢を重ねて学んだ事だ。お伽話の中の勇者の中には魔王を倒す冒険の旅の間一切喋らなかった者さえいるという(そのお伽話の5作目では都合上一言だけ喋ったらしいが)。


 元勇者は若い少女の感情を刺激しないよう紳士的エスコートで粛々と出入り口のドアを開けた。


 ドアの外には、褐色の美少女が立っていた。


「やっと見つけた! ワタシの旦那様!」


 少女の歓喜の声を無視して、元勇者はドアをそっと閉じた。


「おじさん、ちょっと疲れたからもう寝ますね」

「ユート様……外にいらっしゃった人はお知り合いですか?」

「ワシも歳を取って最近すっかり物覚えが悪くなってねぇ」

「そこまでご高齢ではないですよね」

「え? 古傷で耳が遠くなって……」

「先程まで普通に話をしていたのですが」

「うーむ、マジで記憶に無いんだよなぁ。誰だろう? 宅配サービスかなぁ?」

「あの、旦那様、っておっしゃっていましたけど」

「道具屋の主人にはダンナと呼ばれる事もあったけど……まさか……」

「まさか?」

「道具屋の宅配サービス?」

「違うと思います」


 ドンドンドン!とドアを叩く音が響いた。


「8年前にアーティス王国を救った時の事は覚えてるよね? ワタシはその時にお嫁さんになる約束をしたディアです!」


 元勇者は長~い「あぁ~」の声を漏らした。

 10余年に及ぶ長い冒険の旅の前半線のクライマックスが異国アーティスだった。敵兵と間違われ囚われた勇者一行を地下牢から救い出したのがディアだった。子供だった事は覚えているが、てっきり男の子だと思っていた。別れの時のサプライズでその子供が女の子だった事が判明したのだ。


「そういえば、あったなぁ、そんなイベント……」


 仕方が無く元勇者はドアを開けると、褐色の美少女が飛びついてきた。


「魔王を倒したら戻ってくるかと思ったのに、全然こないんだもん! ワタシのほうから来ちゃった!」

「あ~、懐かしいねぇ。そんな事もあったねぇ」


 元勇者は抱きつくディアの胸の膨らみに8年の歳月を感じた。おおきい。


「あのう……勇者様?」


 不機嫌そうな表情でホリィが元勇者を見つめていた。


「ディアはたしかに皆の前ではっきりと、勇者様のお嫁さんになる!と宣言したのです!」

「た、確かにそんなオチだったけど、俺達は驚いたところでそのイベント終了した筈で、返事はしていないぞ」

「そうだったかもしれないけどディアの決意は変わっていません! 8年前の返事をいま!」


(うわ~、お嬢様タイプの次は、元気っ子かぁ……)


 中高年になると無駄にテンションの高い少女の相手は胃にもたれるようになってくる。若さ100%の少女の活力は中高年にとっては満腹時に出された脂っこい料理のように、好みとは関係なく手を出したくないものだった。


「ロマンスグレーの髪に、中二病みたいな顔のキズにオッドアイ! 旦那様と離れ離れだった8年間のご苦労が偲ばれますぅ~」

「中二病って言うな。あとディアがしがみついて重くて疲れるのがいまのご苦労だから」

「ワタシだって8年経てば色々成長します!」

「おっぱいを押し付けるんじゃない!」


 ホリィの視線が突き刺さる痛みを感じ、元勇者はディアを引き剥がして床に置いた。


「ふぅ……、ともあれアーティスがいまも平和である事だけはわかったよ」

「勇者様のおかげなのです! 父上も勇者様への感謝を忘れた事は1日たりともありませんです!」


 ディアはアーティス王国の王族の娘であり、つまりディアはアーティス国のプリンセスの一人である。

 ……とはいえディアの父であるアーティス王は勇者達メンバーを敵兵と勘違いして地下牢に閉じ込めた早とちり野郎である。そのそそっかしさが遺伝している事は唐突に脈絡無く押しかけてきた無計画な行動力からも垣間見える。そそっかしいプリンセスなど危なっかしい事この上ない存在だ。イノシシみたいな一族が王家なのだからアーティス国民が不憫に思えてくる。


「では俺からアーティス国王に伝言を頼む。魔王の討伐は成功しアーティスに魔族軍の侵攻は無くなった事と、この結果に一縷の助力を頂いた事に感謝する、と」

「了解しましたです!」

「さぁ、アーティス国王が伝言を待っているぞ。早いとこ頼むよ」

「任せてくださいです!」


 バタン、と威勢よくドアを開け放ち、ディアはアーティス王国めがけて駆け出した。


「おぉ、行っちゃったな」

「……行きましたねぇ」


 しばしの沈黙の後、出かけた時と同じ勢いのままディアが戻ってきた。


「勇者様! 来たばかりなのに帰るのは、あんまりです!」

「行く前に気付かないもんかな普通」

「勇者様はそんなにディアをお嫁さんにしたくないのですか? ディアの事が嫌いなのですか?」

「うーむ……」


 元勇者は大きな溜め息をついてから、言った。


「ディアは勇者と結婚したいようだが、勇者はもういない。魔王を倒して封印した事で勇者という仕事は無くなり、現在は無職の独身中年でしかないんだ」


 ディアは何かを言おうとして言葉に詰まり神妙な表情のまま「フガッ」と喉の奥で妙な音を鳴らした。


 こういった自虐的な愚痴は中年になると毎日でも語れるようになる。しかし1日に何度も語るのは元勇者でもメンタルを削られる自虐行為でもあった。戦闘中だったらMPが減っているだろう。


 元勇者はディアとホリィの2人に言った。


「何か期待を裏切ったようで申し訳ないが、俺はもうただの無職の独身中高年だ。そろそろ日が暮れるから、街に戻って宿屋を探したほうがいい。そして明日にはそれぞれの故郷に帰るんだ」


 しばし硬直していたディアが口を開いた。


「あの……実はそのぉ……」

「どうした、トイレか?」

「アーティス王国はここから遥か遠方の地にありまして」

「うんうん知ってる。行った事あるし」

「思った以上に遠かったので、ディアがここに来るまでに旅費を使い切ってしまったので宿代も残っていないのです……」


 元勇者の脳味噌が一瞬フリーズした。


「あー、うー、つまりその……」

「しばらくここに住まわせて頂けませんか?」

「……」


 元勇者は再びメンタルが削られる事を覚悟で、言った。


「無職の中年男性の家に君達のようなオンナノコが出入りしたら、世間の俺を見る目はどういったものになると思う? もちろん不審者だ。元勇者の俺を不審者にしたいのでなければ、ここから出て行くんだ」


「……不審者でもディアは構いません! 元勇者の不審者のお嫁さんになります!」

「元勇者の不審者って言うな! なんだか怪しさ倍増している気がするぞ!」

「ディアはそれでも元勇者ユート・ニイツ様のお嫁さんになりたいのです! 不審者でも何でも関係ないし、出来る事は何でもするし、何をされても構わないです!」

「うわぁ……、(若いなぁ……若者の妄信的な情熱ってやつだなぁ……)」


 抱きつこうと飛びついてくるディアをかわしている時、ホリィも気を張った声で元勇者に言った。


「わ、私も実は帰りの旅費がありません! なので私も、出来る事は何でもしますし、何をされても構いませんから、ここに住まわせてください!」


 元勇者は心の中で「うわぁ……」と思ったところで思考停止した。

 ホリィが旅費も無いというのは嘘であろう。ディアの言う事に便乗して、咄嗟に下手な嘘をついてまでこんなところに居ようとしているのだ。健気であり情熱的だが、元勇者の目には刹那的な熱意にしか見えなかった。アラフィフ中高年の元勇者は、未来ある若者の熱意は未来になれば別の熱意に変わる事を知っていた。


 美少女2人に迫られるという状況は、もう少し若い頃であればハーレム展開に心躍っていた事であろう。しかし未来なき中年が少女達の熱意に惑わされる事は無かった。


「おじさん、ちょっと昼寝しますね。ちょっと疲れてきたし、日課なので」


 困惑する2人に、続けて言った。


「1階は自由に使っていい。リビングにゲストルームにキッチンにトイレ。ある物も好きに使って構わない。腹が減ったら何か食べればいいし、帰るならいつでも帰って構わない」


 2人を振り返りもせず階段を上っていく元勇者は無愛想そのものだった。


 ホリィとディアは顔を見合わせ、困惑した。


「とりあえずは……ここにいても良いって事かしら?」


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