天才妹は理想の兄を取り戻したい
じつのところ長編で考えていたのですが私の能力不足により短編になってしましました
それでもいいという方はどうぞ
イチャラブはありません
「お兄ちゃん!」
自分の声にならない叫びで目が覚める。いつもの悪夢だ。
私は今までお兄ちゃんのことを忘れた日はない、この夢もまた私にとっての罰なのだろう。
あの日、あの忌々しい日、お兄ちゃんが私をかばって道路から飛び出して……それ以降のことは記憶が曖昧で思い出すことを拒否している。
どうやら私自身にさえ脳のroot権限は持っていないらしい。
キッチンに行く、いつものようにそこは空っぽだった。
あの日以来冷え込んだ家族仲だが一応の情という物はあるらしく朝食はトーストと目玉焼きがテーブルの上に置いてあって私はそれをかじる。
「まずっ……」
決してパンや卵が悪いわけではない調理も致命的な失敗をした形跡はない。
結局のところ気持ちの問題なのだろう、私自身が幸せを拒否しているのだろう。
学校に行く前に決まっているルーティンがある。
私は自室に入ると二十四時間つけっぱなしのワークステーションでPythonのIDEを開きスクリプトを実行する。
ターミナルが入力待ちになるので私はいつもの言葉を入力する。
「行ってきます! お兄ちゃん!」
「気をつけて行ってこいよ」
ターミナルに表示された返事が私を励ましてくれる。
分かっている、この私の作ったAIが学習量が足りないことも、何よりコレが実体を持つお兄ちゃんではないことも……
それでも私はこの習慣をやめられない、ディープラーニングが発表されたとき、私は自然言語処理を学んだ。
そうして作り上げたのが「お兄ちゃん」だ。
今のところ時間で応答を変える程度のことしかできないが私がお兄ちゃんとの思い出の全てを差し出せばお兄ちゃんはできあがるんじゃないだろうか、そんな無謀な考えがどうしても心から追い払うことができないでいる。
いつものが済んだ後に家の玄関に行く、玄関の靴箱の上には「家族の」写真が飾ってある――そこには『四人』がみんな笑顔で写っていた。
それに対しても「行ってきます」と声をかけるが、当然それに応えるものはない。
ただ、そうだとしても、私の少なくない部分を占めているお兄ちゃんを無視することはできなかった。
玄関を開けると陽光がまぶしく網膜に飛び込んでくる。
ああそうだ……この季節が憎くてしょうがない……きっと季節に文句を言うのは筋違いだしきっとあのとき悪かったのは私なのだろう、ただそれだけは認めるわけにはいかない。
玄関から外に一歩踏み出す、私はいつもこの時のお兄ちゃんとの別れが寂寞を感じて家の中に引き戻されそうになる。
そんな甘えた自分を押さえつけ一歩一歩とアスファルトを歩いていく。
まったく胸くそ悪いことこの上ない季節だ、暑いだけでもげんなりするし、この暑い日にお兄ちゃんを失ったことを思い出して心の中からどす黒いものが湧き出てくる。
そうして数十分歩いただろうか、やっと見知った顔を見つける。
ただただ今は何か思考をそらすためだけにその「友人」に声をかける。
「おはよう、水」
燐火水は私に気付くと微笑みを向けてくれる。
私のような罪深い人間にも救いを与えてくれる、それがたまらなく嬉しくて……たまらなく苦しかった。
「おはよ! 燐は相変わらずだねえ、私は期末テストが憂鬱なんだけどなあ……」
そう私の名前――水仙燐――を口にする。
私は高校では天才ポジションということらしい……
残念ながら私は天才などではない、ただひたすらにお兄ちゃんを求めた結果の学力だった。
世の科学者連中は「死者は生き返らない」などと訳知り顔で言う、彼らは本当に大事なものを失ったことがないのだろうか? 少なくとも私はそれを否定するために全てを知ろうとしてきた。
その結果の学力だが未だに生と死の壁を乗り越えるには至っていない。
「勉強なんてそんな役に立たないよ」
残念だが勉強はお兄ちゃんを返してくれなかった、求めるものが大きすぎるのだろうか?
「進歩しすぎた科学は魔法と区別がつかない」とは有名な格言であるが、私がお兄ちゃんと遊んだゲームでは僧侶が棺桶に入った死体を生き返らせていた、どうやらまだ科学は「進歩しすぎて」いないらしい。
「ほらほら、まーた難しい顔してる、笑わないと楽しいもんも楽しくないよ?」
水は私を気遣ってくれる、幾度かその気遣いが「お兄ちゃん」からだったら……などと大変失礼なことを考えたこともあるが水は私のお兄ちゃんとはやはり違うのだ。
誰かがお兄ちゃんの代わりになることは決してない。
ただ一人のお兄ちゃんのために、私は歩みを止めることはない。
科学が魔法になる日まで私は進んでいく、きっとそれは実現するはずだから……
「ほら、ちょっと笑えた」
水がほっとしたように言う。
どうやらお兄ちゃんを取り戻せたらと考え、ついつい笑っていたらしい。
お兄ちゃんがいないのはたまらなく悲しいが希望を捨てることはない。
だから私は今日も笑う、いずれ神にも反逆できることを信じているんだから、きっと私は世界の中心だ。
「やっほー、りんりんじゃん、相変わらず仲がいいねえ!」
私たちは名前のせいでひとくくりに「りんりん」と呼ぶ人が多少存在する、その大半はどうでもいい人間ではあるが今呼んだのは数少ない私の友人である。
元気な声で小春透子が私たちに声をかける。
「おはよ透子、よくまあ登校でそんなハイテンションになれるね……私はあんまり気乗りしないなー、学校」
学校が好きな人間の気持ちは分からない、仲間意識だとか友人だとか人間関係を尊ぶ人が少なからずいることは知っている。
もちろん私もお兄ちゃんとの関係は大事だが学校でそんなかけがえのない物をえられるとは思わない、知識ならば書籍を読めばいい、研究するのは象牙の塔の役割だ。
「顔にまで難しいこと考えてんのが出てるぞ、燐はいっつもそうだな」
「悪い? 世の中は難しかったり不可能なことにあふれてるんだから憂鬱にもなるよ」
世界は未知にあふれている、いや未知ならよい、そこには希望がある。
最悪なのは「不可能の証明」である。コレがされると誰もその問題をとこうとしないしはなっから諦めてしまう。
諦めは敗北宣言だ、私がお兄ちゃんを諦めていないのは負けたくないからだ。
そんな話をしていると――チャーンチャーンピーンポーン――と気の抜けるような予鈴の音がしてきた。
私たちはそれぞれクラスが違うので廊下で別れて教室に入る。
HRが始まっても私はお兄ちゃんのことばかり考えていた。
他の全てに用はないし、最悪退学になろうが知ったことではない。
私は死後の世界を信じていないが――もしそんなものがあるのなら――地獄だろうとお兄ちゃんと同じ場所にいたいと思う、神も悪魔も知ったことではないこの愛情だけで私は生きている。
――――
なにやら担任の木瀬先生が何か言っていたようだが特に記憶には残らなかった。
ひとえに私が学校に通っているのは『もし』お兄ちゃんが居ればそうしていただろうから、だけに過ぎない。
数学、科学、英語、そう言った授業をしていたらしいが私の記憶には残っていない。
私に残ったのは始業と終業のHRで先生が何か言っていたことだけだ、ありがたいことにこの高校はテストで成績を残せば多少の素行は大目に見られる。
私はそれをフル活用して自由に生活を送っている。
教室から出ると、水と透子が待っていた。
私は愛想笑いをする――本気で笑ったことはあの日以来ない――と二人が他愛もない話をしてくる。
「アイドルが……」
「あの人かっこいい……」
「テストがヤバくて……」
何やらそんな話をしていたのだと思う、基本的に日常生活の記憶は曖昧だ。
そんな私でも友達と呼んでくれるのだからこの二人には感謝するべきなのだろう。
そうしていつの間にか二人と別れて家に帰り着く。
取るものも取りあえず部屋に急いで行き、PCのターミナルに『ただいま』と入力する。
エコーバックは決まって『おかえり』だ。
この返答は私が決め打ちしているわけではなく自然言語の大量に処理させたときにこういうものと学習した結果だった。
初期には『ただいま』に『ごちそうさま』などという返答が返ってきて酷く落ち込んだ経験もある。
それだけにこの『おかえり』は私にとって大事な一言だ。
私の脳内にドーパミンが出てくるのが体で感じる、素晴らしい時間だ。
だが……コレは『お兄ちゃん』ではない、それは分かっていてもどうしてもすがりたくなってしまう。
おそらく私が生きている間に計算機が人の脳を超えることはないだろう。
何より『お兄ちゃん』はコピーであってはならないのだ、私が求める『本物』のお兄ちゃんを求めることがつきることはない。
私の作った『兄エンジン』は今日もネット上の兄妹のデータをあまねく蒐集して進化している。
偽物が本物になる日はいつだろうか? その日まで私という存在が生きているだろうか?
疑問はつきないがとにかく進んでいく、私に退却も敗北もあり得ない。
そうして日が落ち始めているのに気付いてキッチンへ向かう。
冷蔵庫にはいつものように夕食が用意してある、温かいメッセージなどというものは当然付いていない、ただ皿の上に料理があり炊飯器でご飯が炊いてあるだけだ。
まずい……それが感情か実際の味なのかは不明だ。
一人きりの夕食を済ませお風呂に入る。
もし私がもっと小さければお兄ちゃんと一緒に入っていたのだろうか? などと煩悩が浮かぶがそれは直視するに耐えない現実なので脳内から追い出す。
湯船のお湯から熱が体に伝わってくる、それは決して心を温めるものではないが、それはそれで気持ちのよいものだった。
パジャマを着て自室でネット巡回をする、主に自然言語処理関係の情報をあさっていく。
数時間が経ち私は『それ』を見つけた。
ブラウザを閉じてタスクバーにメールの着信アイコンが出ているのに気付いて何の気なしにメールを開いた。
現在はメーラーにゼロデイ脆弱性はないだろうし、余りにも偏った情報を見続けて気分転換のつもりだった。
メーラーには素っ気ない件名が書かれているだけだった。
「時空操作器の制作及び動作について」
それは私のメールアドレスから届いていた。
何度見ても差出人は「私」の使用しているアドレスだ、念のためメールヘッダも調べてみたが私のアドレスが表示されていた。
アカウントクラッキング? パスワードマネージャでこの長大なパスワードを解析してさらに二要素認証を突破した? あり得ない。
私は核兵器の起爆スイッチも持っていないし大規模テロを計画してもいない、ただ少しできる子だ、私の情報に関心が?
訝しみながらもメールを開いてみる。
そこには「過去の私へ」という一文だけが書かれていた。
そして添付ファイルには一つのPDFがあるだけだった。
PDFビュワーの脆弱性を狙っている可能性もあるが……私はウイルススキャンとバイナリを軽く見ておそらくマルウェアでないと当たりをつけてファイルを開く。
そこには『タイムマシン』の作り方が載っていた。
現在に存在している素材だけで、途方もないエネルギーこそ必要とするものの、成功すれば任意の時間へ現実世界を巻き戻せる魔法について書いてあった。
そこに書いてあるのはもはや「科学」と呼べるものではなく魔法と呼ぶであろう技術だった。
そうして私はそれにすがった……後世に何と言われようとも取り戻したいものがある。
私はそのためなら世界だって捨てられる。
私は部品調達に動いた、未来の私はちゃんとこの時代で調達できる部品だけを使用して作れる設計をしていた。
大容量のキャパシタやサイリスタの調達が少し面倒だったが他の部品は大体秋葉原の電子部品屋で手に入る物だった。
三日間、私は必要最低限の栄養を摂取し寝る時間もまともに取らず「それ」を完成させた。
それは小さな四角い銀色の箱でありコレを使用すれば時空が混ざり合って過去に戻ることが可能らしい。
しかし私はそれを使うのをためらっている。
設計図のPDFに書かれていた「現在の時空は消えてなくなる」という一文が頭から離れなかった。
どうせキャパシタに充電が完了するまでにしばらくかかるのだ、その間に考えよう。
部屋を埋め尽くしそうなキャパシタは全て電極に触れると即死するレベルの電気がたまっている、しかしフルチャージまではもうしばらくある。
私は自室にそれを残しそう言えばしばらくシャワーを浴びていなかったことに気付く。
起動するにせよどうするにせよお兄ちゃんと会うなら身なりはちゃんとしていなければならない。
そうしてシャワーを浴びる、冷ための温度に設定しているので脳内まで冷静になってくる。
あのPDFの最後のページに「後悔の無いように」と書かれていた。
きっとアレを作ろうとした未来の私はたっぷり後悔したのだろう。
そうして自分の手に余る決断をまだやり直しのきく私に丸投げした。
全くもって酷い話ではあるが私が私自身を軽視しているのでおそらく未来の私もそうなのだろう。
服を着る、暑いので薄着をして少し散歩をしようと思う。
この世界が消えるかもしれないのならこれが最後に見た景色になるのかもしれない。
そんなことをがらにもなく考え気付いたら玄関を開けていた。
しばらくぶりの直射日光は結構なまぶしさだったが、もうすぐこの太陽よりも明るいお兄ちゃんの笑顔に会えるのだと思うそんなことは些細なことだ。
ふと、二人の顔が思い浮かんだ、数少ない友人である水と透子、彼女らはどうなるのだろう?
もちろんお兄ちゃんのためなら全てを捨てることもいとわない。
そうして私は起動スイッチを……