星見
本日二話目です。
急いで向かった駅にて、目当ての人物を見かけた僕はそのまま停車場に車を寄せた。
予めメッセージを送っていたおかげだろう、彼女の方からも僕の車が見つけられたのか、ぱっと花の咲いたような笑顔を浮かべてこちらに小走りに駆け寄ってくる。
「……では、失礼します。それにしても随分遅くなりましたね。大学の方で何かあったんですか?」
相変わらずの礼儀正しさ、相変わらずの丁寧口調を崩さない華耶。助手席に乗り、シートベルトを締めながら、華耶は僕に問いかけてきた。
一応は遅れる旨の連絡はしたとは思うが、それでも待ち時間があったのだろう。
「講義が少し早く終わったから、友達とちょっと昼ご飯を食べてたんだ」
「えっ、わたしまだ食べてないんだけど……」
「……途中にでもどこかに寄ろうか」
若干の申し訳なさを感じながら、僕は車を発進させる。隣からのもの言いたげな視線が飛ばされているような気もするが、運転中のわき見は厳禁だ。
はぁ、と一つ溜息を吐いた後、話題を変えるように、そういえばと前置きをして華耶は話し始めた。
「車出してもらうのはありがたいんですけど、今日も遠くに行くんですか?」
「人が多い場所にいけばそれだけ手がかりもあるかなって思ってさ。数打ちゃ当たる戦法って事で」
「わたしもちょっと見通し甘かったしね……。結構かかるとは思ってたけど、まさかここまで何の手掛かりもないとはね……」
彼女の場合、元々住んでいた場所すらも分からないのだ。正直、ここまで分からない事尽くめでよくぞここまで気力が持ったものだ。もし立場が逆だったならどうしていただろう。僕ならば、早々に諦めてしまっていたかもしれない。
だって記憶がないのだから。自分が誰かも分からず、どこにいたかも分からず、世界に一人だけ取り残されたかのような孤独感と空虚を抱えながら死んでいるように生きていたかもしれない。
そう考えると身震いがしてくる。ほんとうによく一人でやれてきたものだ。
僕は気落ちする華耶に何も声を掛ける事が出来ないまま、目的地へと車を走らせた。
その前にまず華耶の昼御飯か。僕は急いで適当なファーストフード店へと走った。
「————あれ、ここ」
軽く昼食をとった後、気を取り直して元々の目的地――――小さめのアミューズメントパークへと向かっていた時のことだった。
途中、華耶がぽつりと言葉を上げた。誰かに聞かせるでもない、つい意識から漏れ出てしまったというようなそんな声。
「わたし……ここ、通ったことあるような……」
その言葉に、僕の心臓がどくりと跳ねたのを感じた。その一端すらまるで見つかる兆しの無かった、手がかりがあったんだ。
ここで停車するべきか、それとももう少し走らせるべきか。僕がするべき事はどちらなのだろう。
そうして迷っている間にも車は進む。ちらりと隣を見遣ると、華耶はどこか記憶の中の深い底を浚うかのように、ぎゅっと目を瞑っていた。
僕はどっちつかずのまま、迷惑にならない程度に速度だけを緩める。幸いな事に周囲には車が見当たらない。大通りじゃない事が功を奏したのだろう。
「————分かる。この辺り、わたし、分かる気がする」
言葉尻とともに語気もまた強くなっていく。確信に近づいているような、暗闇の中で一筋の光明を見つけたかのような、そんな声だった。
「そこ! そこの通り、右に曲がって!」
十字路の手前、華耶は小さく叫ぶ。ギリギリの所で僕は車線を変更し、右折した。この辺りはまだ僕が今住んでいる市ではあるものの、隣の市との境目近くだ。覚えはあるものの、今の段階では華耶がどこに向かおうとしているのかが分からない。
それから華耶の言う通りに道を進みながら、時には華耶の記憶がはっきりとするまで待ったりなどをする事、数時間。僕たちがその場所に辿り着いたのは、西日が強くなり始める頃だった。
「……えらく高い所まで登ってきたな」
「ごめんね、無理言って。でも、たぶんもうちょっとのはずだから……。ほら、ここも見た事ある……。わたし、たぶんここに……」
勾配がきつくなり始める頃、ちょうど広めの駐車場を見つけた僕らはそこで車を降り、徒歩で坂道を登る事にした。
華耶の記憶は揺らぐ水面のようにひどくあやふやだ。すぐに思い出す時もあれば、時間がかかる時もある。それを考えれば、この先は歩いた方がいいという結論に達した。
周囲を木々が覆う道を二人で並び登っていく。歩道はなく、車も頑張れば二台通れるかどうかという程。カーブを描きながら急勾配をかけて伸びていく道のその先に何があるか、だけど僕は知っていた。
夕日はいつの間にか色の悪い雲が覆いつくし、元々木々によって陽の光が遮られている事もあって感じる肌寒さも一入だ。
それにしても、どうして今になって華耶の記憶が一部分でも甦り始めたのだろうか。そうなるだけの兆候は感じられなかった。今まで二人で手がかりを探しに出かけていた時にはこんな事は起こらなかった。
あるいは、彼女自身に何らかの変化が起こったか。もしそうだとすれば僕には手の打ちようがない。
「そう……この道を登ったところに、車避けの石柱が二本あって……」
華耶はこの道を知っていると言った。それを辿る事によって失われた記憶が想起されているのだろうか。彼女は自分の記憶を確かめるように、道行く所にあるものを次々と口ずさむように言い連ねていく。
やっと見つかった手がかりだからか、華耶は夢中になってそれを追い求めていた。傍から見守る僕の立場からすればひどく心配で仕方がない。
足取りは酷く虚ろで、次の瞬間には足を引っかけて転んでしまいそうだ。それを見て、僕はつい手を差し伸べかける。
そこではたと気が付いた。これは何の手だ、と。確かに転ぶ心配はしていた。しかし、彼女とて何も子供ではない。歳はさすがに聞かなかったけど、見た目は僕と同じくらい。手を引く歳でもない。
僕は、何を考えてこの手を差し伸べた。感情が袋小路にでも迷い込んだかのようだ。だけど、そんな僕の躊躇などないかのように、引っ込めようとした手がぎゅっと握り締められた。
「————お、おいっ」
驚き、慌てて手を引き抜こうとするも、本人ですら無意識での行動なのか、固く閉ざされたそれは緩む気配を見せない。これ以上強く引いてしまうと心配していた事が現実に起こってしまう。僕は先導するように手を引く彼女の後に付いていく。いつもと立場が逆になったような、不思議な感覚を抱きながら。
「君が来たかったのはここだったのか……」
もう三十分は歩いただろうか、普通に登るよりも幾らか多くの時間を掛けて登った先、そこは子供向けの遊具がいくつも置かれている広々とした公園だった。しばらく誰も管理していなかったのか、それとももう管理者自体がいないのか、錆びの目立つそれらは、僕も幼い頃に遊んだことのあるものだった。
だけど、僕の納得とは別に華耶はふらふらと公園の中に入り、遊具へと近付きながら、違う、とそう一言零した。
「……違う。ここもそうだけど、わたしが……、わたしが来たことがあるの、は……。わたしが、ずっと来たかったのは……」
「あっ、おい! どこにっ……!」
突然走り出す華耶を、僕は慌てて追い掛ける。胸に浮かぶのは焦燥だ。それも華耶への心配とは似ているようでまったく別物の。
公園を抜け、申し訳程度に舗装された山道を駆ける。春になったとはいえ、陽が落ちるのはまだまだ早い。気が付けば辺りはもう仄暗さを感じるほどとなっている。今の華耶の状態のまま目を離すのは危険だろうと、僕は追いかける足を速めた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。