喫茶店 ③
本日二話目です。
「それで、その超能力じみたもので街行く人のいらない記憶を忘れさせていたって事?」
「忘れさせていたといいますか、何というか……」
「そういえば、最初に僕に言ってたような……。記憶を貰うだとかなんとか……」
ここまで来れば彼女がその能力を用いてどうしてきたか、どうしたかったのかがだいたい想像がつく。
しかし、そうだとしても、彼女がこのような申し訳なさそうな表情をする理由がよく分からない。
「その、忘れたいって記憶を集めて、その中に元のわたしに繋がるものがないかって探してたんです」
「そんな顔をするのは、勝手に人の記憶を覗く事に対して抵抗があるからってこと?」
「だって、失礼じゃないですか。人が忘れたい、消し去りたいって思っている記憶を覗くだなんてっ……。君は言っていましたよね、誰でも消したい記憶はあるって。もし自分の嫌な記憶を人に無断で見られたとすれば、その人を軽蔑するでしょう?」
記憶喪失の後、どれだけ彼女がその能力でもって人々の記憶を集めてたのかは分からない。僕が『記憶を集める女』の記事を見たのは夏の頃だ。そこから季節を二つ経るまでずっと、ずっと彼女はこの葛藤と戦っていたのだろう。
もしかすると、僕以外にこのような話の出来る人がこれまでいなかったのかもしれない。彼女の生活必需品の充実度から、保護した人がいるという事は分かるが、そんな関係である手前彼女の方から甘えるという事は性格的に難しいのだろう。
————つくづく難儀な性格だな。僕は心のそこからそう嘆息した。
「わたし、本当はひどい人なんです。知代さんに色々と面倒を見てもらっているばかりか、自分のために聞く人聞く人の記憶を盗み見て。こうして榎田くんに話してるのも、たぶん自分が楽になりたいからなんです。そんな、わたしなんて————」
「馬鹿か、君は」
「わたしなんて————って、え?」
僕の言い放った言葉にきょとんとする華耶。そんなことを言われるだなんて夢にも思っていなかったのだろう。
共感して、優しい言葉で慰めるのは簡単だ。だが、それをしたところで何になるだろう。
男性と女性では考え方が違う、というのはよく聞く話だ。
男性は物事に対して解決という手段を取る傾向があり、女性は共感という方法を取りがちなのだと言う。
だから、これは男性側の考え、そしてその押し付けなのかもしれない。だけど言わないでいるわけにはいかなかった。
「正直に言うとだな、君の話してる事なんか胡散臭いんだよ。記憶を操作出来る? それで忘れさせた記憶を集めて、それを悦に浸りながら覗いている?」
「悦に浸ってるなんて言ってません!」
「僕から言わせてみればこんな胡散臭い話に乗っかる方も乗っかる方だよ」
「それは、暴論です!」
「暴論で何が悪い。君は勝手に声なき声を代弁してるんだ、そんなあるかも分からないのに比べれば論じてるだけこっちの方がましだろ」
その言葉に彼女は開いた口が塞がらないといった様子で呆ける。品性方向を是としている華耶からしてみれば、文字通り言葉に殴りつけられたかのような衝撃だろう。
僕は一つ鼻をふんと鳴らしてコーヒーカップに手を付ける。口元まで持ってきて、そこでようやく中身がなくなっている事に気が付いた。どうやら思っていたよりも長くこの店に居座っていたらしい。
テーブルに裏返して置いておいたスマホを見てみれば、もう閉店間際も間際。これ以上は閉店業務に差し障ってくるだろう。ここらが潮時というやつだ。
そう考えて、一つ思い至ることがあった。僕は少しばかりの緊張を滲ませて、彼女に問い掛ける。
「……君の連絡先、貰ってもいいか?」
「え? あ、はい、大丈夫、ですけど……」
僕の言葉にはっと気が付いたように華耶もスマホに手をやる。慣れた手つきで操作して、ひょいとこちらに向けられた画面に表示されていたのは、メッセージアプリの友達登録画面。
僕も同じようにその画面を表示し、華耶の表示したQRコードをカメラで読み取る。軽快なサウンドが、僕と華耶を電子上で繫げた事を知らせるように鳴り響いた。
それに続くように、店内の音楽が変わる。華耶の方を見れば、閉店時間の合図だ、と言うことを教えてくれた。
「……送っていくべき?」
会計を終え、店外に出た僕は念のため彼女に問いかける。
いつの間にか雪は降り止んでいた。代わりにとでも言う様に、冷たさの増した夜風が静かに吹き抜けている。
本格的に薄着である事を後悔し始めていた。なぜ僕はこんな格好で寒空のもと外出しているのか、過去の自分を張り倒したい気分だった。
「大丈夫ですよ。連絡したら、知代さんがタクシーを送ってくれるって」
「そっか。いい人だな」
「うん、毎日お礼を言っても足りないくらい」
未だに思いつめたような顔をしている華耶。余計な事を言っただろうか、と心配が鎌首をもたげるが、僕の意見をどう消化するかは彼女次第だ。
こんな時、『彼女』ならどうするだろう。僕はふと思った。そうしてみて、すぐに僕は頭を振った。考えるまでもない。もっと親身になり、心に寄り添い、なんでもないかのように助けるのだ。『彼女』はそういう人だ。
「————ねえ」
そんな風に想いを馳せていた僕を、どこか見透かしたような視線が刺す。数瞬ばかり、視線が交錯する。短いようでいて、どこか長い時間。人は視線で会話をする事は出来ない。
だけどこの瞬間は。この瞬間だけは、華耶が何を伝えようとしているのかを感じ取れるような、そんな気がした。これも立派なオカルトの一部なのだろうか。そうだとすれば先ほどの意見を翻す必要が出てくるかもしれない。
「……やっぱり何でもないです」
結局彼女の取った選択は、顔をそむける事だった。僕からは完全に表情を読み取る事が出来ない場所に自分の顔を置くその姿は、まるで僕の存在を拒否してるような気さえしてくる。
先ほどの感覚が嘘のような、そんな態度。それを見て僕は、やはり人には言葉が必要なのだな、とそう思い直した。
タクシーが来たのはそれからすぐの事だった。
「……今日はありがとうございました」
そう一言言い残し、華耶はタクシーの中へと姿を消していった。やっぱり僕には視線を向けないままで。
彼女の考えた末の答えが僕の拒絶だと言うならば、それは受け入れる他ない。僕に出来る事はそこまでという証左なのだから。
やけに寒く感じる外気に僕は一つ身震いをした後、マフラーを吊り上げる。口元までをすっぽりと覆い隠してくれるそれが、今はありがたい。
タクシーが静かな駆動音を響かせながら去っていく。僕はその姿がしっかりと見えなくなるまでその場から離れなかった。
「ダメだな、僕は」
ぽつりと弱音のようなものを零す。華耶は得体の知れない僕に対して最後まで誠実に向き合ってくれた。それに対して僕はどうだ。最初から最後までタメ口で、偉そうに説教じみた事をして、自分の事は棚上げにして言いたいように言うだけ。
くるりとタクシーが向かっていった方向に背を向け、僕はアパートへと足を向ける。じくじくとした後悔が胸に染みを垂らす。それはまるで真っ白い雪道を汚す泥土のようで、僕は行き場のない怒りをぶつけるように、道脇に除雪された雪の塊を蹴りつけた。
柔らかな新雪はそんな僕の怒りを受け止めるほどの硬さを持っているはずもなく、空回りした感情が僕の表情を歪めた。
ふと気が付けば、クリスマスが終わりを告げていた。どこまでも苦いクリスマスだった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。