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さよなら、メモリーズ。  作者: 葦原 聖
いつか見た満点の星空と
4/24

喫茶店

本日三話目です。次は19日の25時の更新となります。

「それで、わたしは名前を教えましたけど、君の名前は何ですか?」



 どこかの映画にでも出てきそうな台詞を言いながら、華耶は歩道と車道を区切る石————歩車道境界ブロックの上を両手を広げながら歩く。子供じみたその仕草に僕は込み上がる笑いを堪える羽目となった。危ないからやめなよ、とは言ったが、どうにも聞き入れてはもらえなかった。


 もう少し落ち着いて話を出来る場所に行こうという華耶からの提案の後、僕たちは先ほどまでいた撤去予定の公園を後にしていた。僕としては適当なファミレスにでも入るのだろうか、と予想していたのだけど、間髪入れずに首を横に振る事で却下された。どうやら彼女には行きたい場所があるらしかった。


 華耶に案内され、目的地へと向かうその道中、思い出したかのように放たれた言葉がそれだった。確かにそうだ、華耶の名前は聞いていた、というより名刺を渡されて知る事は出来たものの、肝心の僕の名前を言う事を忘れていた。このままでは僕は名前不詳の少し怪しい人のままだ。それは僕の思うところではない。



「僕の名前は、そうだな……」


「そうだな!? 名前ってそんな前置きの後に言うものでしたっけ!?」



 僕の言葉におもしろいほどの反応を見せる華耶。そうした態度が僕みたいなのを付け上がらせる事になる、というのを知らないのかもしれない。だからと言ってやめようとは思えなかった。



「偽物の偽に名人の名、太麺の太に野郎の郎だよ」


「無視ですか……。それに、偽名太郎ってもう少しましな嘘をついてくださいよ……」



 げんなりした顔をしながら華耶はぴょんとブロックから飛び降りる。目的の場所に着いたのだろう、華耶が立ち止まった。

 華耶に連れられた先にあったのは小洒落た喫茶店だ。規模からしてチェーン店ではなく個人経営だろう。そんなチョイスから彼女のこだわりが感じられた。



「いらっしゃいませー。二名様でよろしいですか?」


「はい、ボックス席って空いてますか?」


「丁度今お席が空いたところでして、少々お待ちいただくことになるのですが……」


「あ、わたしたちはそれで大丈夫です。わざわざすみません」



 後片付けが済み次第お声を掛けさせていただきます、とそう言い残しアルバイトと思われる店員がその場を後にする。

 先ほどからの様子を見る限り、恐らくこのカフェは華耶の行きつけなのだろう。そう考えながら彼女を見ていると、その視線に気が付いたのか、こちらを見て一瞬きょとんとしたかと思うとすぐさまにんまりと口を吊り上げる。どうやら行きつけのカフェがある事を自慢気に思っているようだ。


 だけど出不精な僕からしてみればこれっぽっちも羨ましくない。僕の表情に羨望を見つける事が出来なかったのだろう、見るからにしょんぼりと彼女は落ち込んだ。ころころと表情が変わる様子は見ていて気持ちがいい。表情がさほど変わらない人と比べるとよほど好感が持てる。だから僕の好感度は初めからあまり高くなかったのだろう。


 そんな風に自己分析をし、軽く落ち込んでいたところ、まるでタイミングを見計らったかのように先ほどと同じ店員が戻って来る。


 案内に従い通された場所は店内の中でも奥まった所、同じようなボックス席がいくつか並ぶ中の一番奥だった。

 ごゆっくりどうぞという声とともに去っていった店員に小さく会釈した後に華耶は意気揚々とメニュー表を取り出す。デザート欄へと舐めるように視線を這わせるその姿を見ていると、当初の目的というものを忘れているんじゃないかと思えてならない。僕ははぁっと溜息を一つ吐き、少々乱暴ながらメニュー表をひったくった。



「あぁっ! わたしの『全部乗せ! 魅惑のデラックスパフェ』がっ……!」


「なんだそれは……。ここには君の事情を詳しく話してもらうために来たんだろうが」


「それはっ、そうですけどぉ……。あぁ、わたしのパフェちゃん……」


 面白いほどの落ち込みようを見せる華耶。その姿に罪悪感を抱かないでもないが、こうでもしないとあのまま放っておけば数十分はああして悩んでいただろう事を思えばそれも薄らぐというもの。僕はそこまでの堪え性は持ち合わせていない。


 テーブルに突っ伏す華耶を尻目に、ひったくったメニュー表に今度は僕が素早く目を通す。そうしながら、僕は脱線してしまっていた話を戻すべく動いた。



「……榎田」


「わたしのパ————え、何ですか? えのき?」


「僕の名前だよ。榎寺の榎に田んぼの田、それに鬱蒼の蒼で榎田 蒼だ。……僕はブラックコーヒーにするけど君はデラックスパフェでいいんだろ?」


「あ、待って待ってそんなっ! まだ決めかねてるんですって!」


「そんなに悩む事もないだろ。じゃあ呼び鈴鳴らすから」


「あっ、ちょっ! 本当に押しましたね!? メニュー表返してください! 店員さんが来るまでに早く決めないと……!」



 メニュー表をひったくり返し、目を回しそうな速度で隅々まで走らせる。そんな彼女の努力を嘲笑うかのように数十秒も経たぬうちに店員が到着する。泣く泣くデラックスパフェとカフェラテを頼んだ彼女からの恨みの視線がひどく痛い。食べ物の恨みというものは往々にして深い、という事を完全に失念していた。仕返しとして何をされるか分かったもんじゃない。



「……本当にやってくれましたね、榎田さん。いや、君なんてさん付けするのも生温い。榎田くん、よしこれですね」



 そんな僕の心配を裏腹に、華耶からの仕返しはほんのささいなものだった。さん付けからくん付けへの降格……と呼べるかすら怪しいものだ。

 一人で相槌を打ちながら語呂でも確かめるように口の中で数回彼女は僕の名前を繰り返した。


 そうしていて、自分の中でしっくりきたのか、くん付けであることを強調するように彼女はしたり顔で僕に語り掛ける。



「本当にやってくれましたね、榎田くん。わたしここでデザートをどれにしようかなって迷いながら選ぶのが毎週の楽しみなんですよ。君はそのわたしの一週間分の楽しみを奪ったわけです。どう落とし前を付けてくれるんですか」


「別にデザートなんて甘ければどれでもいいと僕は思うけど」


「今君は全国の女性を敵に回しましたよ! ……まったく、そんなだと彼女とかも出来ませんよ」


「余計なお世話だね。それに僕はもう間に合ってる」


「————えっ!?」



 ここでそういう風な驚きの声を上げられるのは心外でしかない。やはり女性というものは恋愛話を食い物にしているのか、華耶もそれは例外ではなく、テーブルに身を乗り出すようにして話に食いついた。先ほどまでの恨みがましい視線も、今はきらきらと光を放っているように錯覚しそうにすらなる。


 と、その時店員が注文したものを持ってくる。僕にはホットのブラックコーヒー。そして彼女には目を見張るほどに具材が散りばめられたパフェらしきものとホットカフェオレ。



「正直意外ですね。今までわたしにしてきた仕打ちを考えればお相手の人を心配せざるを得ないところですが。もちろん君がその人にひどい事をしてないかどうかという心配ですけど」


「今まさにひどい事を面と向かって僕に吐き捨ててる君が言える台詞じゃないだろ。僕の事はいいから今は君の事だ」


「えー……」


「えー、じゃない。————君は所謂、記憶喪失って事でいいんだよな?」



 再び脱線しかけた話を僕は無理やり戻した。自分の恋愛話を掘り下げられるほど居心地の悪い事はない。


 記憶喪失。言葉だけならば誰でも知っているだろう。しかし、それに反しておよそ日常生活を送っていて身近に感じる事のあまりない出来事だ。

 僕も詳しいわけでは決してないが、聞くところによると頭を強く打ったりした人が患う病気のようなものだという。だけど、彼女を見たところ、そんな風に外傷を負っているとはとてもじゃないが思えない。

 しかし、そんな事が何の原因も無しに起こり得るはずがない。彼女が記憶喪失となったならば、そうなった原因となる出来事があるはず。



「その原因については手がかりもないって事でいいの? もし分かっていたらすぐにでもなんとかしているだろうし」


「気が付いた時にはわたしは一人ぽつんと立っていた状態でしたからね。財布とかもなくて本当にどうしたものかと途方に暮れたものです」



 その時の苦労を思い出したのか、遠い目をしながらカフェオレをすする華耶。僕もそれにならって一口コーヒーを口に運んだ。程よい苦味が舌を刺激し、深いコクがそれを包み込むようにして後からやってくる。口からコップを離す時に漂ってきた香ばしい香りと合わせての三連コンボが僕の味覚を強く打った。

 が、そうやって余韻に浸りながら、思い至る事があった。僕はそれを慌てて華耶に問いただす。

 


「ちょっと待て、そもそもの話、君は今どうやって生活をしてるんだ? 今まで正直混乱してて全然考え付かなかったけど、話を聞いた限りその時の君、無一文だろ。というか、君の話には色々と疑問点が多すぎる。そう言えば忘れさせ屋ってのも結局何なんだよ」


「そんなに一気に聞かれても……。そもそもわたし、まだ君の事をちゃんと信用したわけじゃないですからね」



 敬語口調を止めないことから薄々察してはいたが、どうやら未だに僕は不審者扱いを抜け出せられていないようだった。

 華耶は一旦話を止め、パフェの生クリーム部分をスプーンで少しだけ削り取り、口に運んだ。



「んん~~~っ!! やっぱりここのパフェは最高だなぁ。今週はデラックスパフェだったし来週はどうしよっかなぁ……」



 表情を弾ませながら次々とパフェを口に運んでいく華耶。今まさに面と向かって信用していないと告げられたばっかりに、至福の時間を邪魔する事も出来ない。僕は彼女の気が済むまでちびちびとコーヒーを啜っている他なかった。なぜだか先ほど感じたものよりずっと苦いように感じられた。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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