プロローグ
他サイト様にて投稿していたものを、こちらでも投稿させていただきます。
完結済みのものなので、一日三話程度を毎日更新したいと思います。
こちら、本日一話目です。
「――――いらない記憶、ありませんか?」
投げかけられた言葉のあまりの突拍子のなさに僕は思わず目を見開いた。そうした事で冬特有の痛いまでの凍てつく外気がここぞとばかりに目を刺激し、知らず視界が潤み始める。
それを隠すように僕は出がけに引っ掛けてきたマフラーをぐいっとつり上げる。そんな僕を知ってか知らずか、目の前の人物————やけに厚着をした、同年代だろう女性は首を傾げるのみだ。
俗にクリスマス・イブと呼ばれるこの日、温暖化の影響かここ数年は雪の降り始めが次第に遅くなりつつあったが、今回ばかりは無駄にやる気を見せてしまったせいか、ホワイトクリスマスと言うにふさわしいほどには周囲が白く染まっていた。ここぞとばかりにイルミネーションが散りばめられている街路樹を嘲笑うかのようにその上から冬化粧を覆いかぶせている。本格的な冬の日の一日、といったような様相だった。
まさか降るとは思っていなかった僕は、外出自体がちょっとした目的によるものだったために部屋着にマフラーを巻いただけの軽装だ。明らかに装甲の強度が足りていなかった。服の隙間から入り込む風の冷たさたるや、身体の芯まで凍えてしまいそうなほどだ。
そもそもの話、ここ最近外出という行為から身を遠ざけていた僕が、どうして今日という日に限りわざわざ外出するに至ったのか。
それは彼女と輝かしい聖夜を過ごすためなんて甘ったるい理由じゃない。もしそんな理由で外出しているのだとしたら、僕は今頃こうして待ちゆく人々に対してある感情の籠った視線を向けたりなんて決してしないだろう。
僕が外出せざるを得なかった出来事、それは世の大学生ならば誰もが一度は追われた事があるだろう、『奴』に関する話だ。
そう、所謂ところの単位というもの。どうやら僕はこの単位というものが足りずに留年へと片足を突っ込んでいる状況なのだという。
ありがたい事にそれを言うために助言教員なるものに身を連ねている僕の所属する学部の教授は、わざわざどこかからか僕のメッセージアプリのアカウントを聞き出してまでして呼びつけてきたのだ。
そうして懇々と説教だか助言だか分からない長話をされたあげく、こうして一人寂しく帰っていたところを摑まったというわけだ。
「あの……、辛かったこととか、忘れちゃいたい恥ずかしい記憶とか、そういうのとかがあったりしませんか?」
僕の沈黙を聞き逃したゆえのものだと判断したのだろうか、おずおずという擬音が聞こえてくるかのような態度で彼女はそう言った。
ちらちらと僕の方を盗み見ているのは不審がっているからだろう。衝撃の大きさから言葉を出せずに口の開閉だけを繰り返している様子を見れば誰だってそう思うだろう。
それでももう一度言葉をかけてきたのは彼女の性格の良さの表れともいえるかも知れない。
「そりゃあるけど……。忘れたい記憶、忘れたくない記憶、そんなの誰だってあるに決まってる」
ぶっきらぼうに言葉を放って、すぐにしまったと思い直した。突然の事で驚いたとはいえ、敬語で話しかけてきた相手に対しての返答がこれはない。
だが、そんな僕の心配に反して彼女は僅かに目を見開いた後ほにゃりと相好を崩す。肩に触れるかどうか、というところで切りそろえられたボブが傾げた首にしたがってふわりと揺れた。
「うんうん、そうだよね。だからさ、ちょっとだけでいいからわたしにそんな記憶、分けてくれたりすると、うれしいんだけど……」
僕の話しぶりを聞いて彼女は合わせるように口調を変えた。こちらが元々の彼女の口調なのだろう。しっくりくるような、耳に馴染むような声が意味不明な言葉を列挙する。
僕はまじまじと対面の彼女の顔を凝視した。にこにことした笑みを浮かべているそれは邪な感情などを一切持ち合わせていないようにきらきらと輝いている。そんな彼女の態度が先の言葉――――記憶を分けてくれなんて荒唐無稽な言葉に真実味を持たせていた。
そこまで考えて、はたと記憶の片隅に引っかかるものを感じた。記憶、そう記憶に関する事だ。数か月ほど前にもこんな風なまるで夢物語のような話を目にしたような――――。
「急にこんな事を言い始めても信じられないかもしれないけどね、わたし実は――――」
「記憶を、集めている……」
天啓であるかのように頭に舞い降りてきた――――掘り出してきたという方が正確だろうか――――言葉を無意識のうちに口から絞り出す。それが目の前の女性のものと偶然にも一致した事で再び彼女が表情をころころと変える。
すごおい、なんていう彼女の感嘆詞を耳に滑らせながら、僕の意識は数か月前へと遡っていた。
『記憶を集める女』。少し前まで笑い飛ばしていた言葉を目にしたあの日へと。
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