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さよなら、メモリーズ。  作者: 葦原 聖
過ごした時間の長さは
11/24

先達の言葉

本日の更新を開始します。一話目です。新しい章です。

 からんと聞き慣れたドアベルが鳴り響く。対応に来る店員もまた見慣れた顔だ。相手もまた、同じ事を思ったのだろう、ちらりと苦笑のようなものを浮かべてから彼女は一度席の確認のためか、奥へと引っ込んでいった。


 程なくして戻って来たその女性店員からいつも通り奥のボックス席へと通される。そこには今日の約束相手が既に座っていた。



「あら、ごめんなさいね。先に寛がせてもらっているわ」


「……いえ、こちらこそ。来るのが遅くなってしまって申し訳ありません」


「私が勝手に早く来過ぎただけよ、気にしないで。それに、そんなに固くなる必要なんてないのよ? もっとあの子に接するみたいにしなさいな」


 おっとり、を体現したかのような女性がそこにいた。華耶に聞いていたよりも随分若々しく感じられる。

 知代さんは早くに夫を亡くしているらしく、そこから再婚なんかはしたりせずに未亡人である事を貫いているのだという。


 華耶の記憶が戻る兆しを見せたあの日から数日が経っていた。知代さんは直ぐにでも会いたがっていたようだったが、僕の都合と知代さんの都合を擦り合わせた結果、今日会う事となった次第だ。


 ちなみに華耶は今日はいない。知代さんが華耶抜きで話をしたいと言ったためらしい。昨日それに対しての愚痴のようなものをメッセージで彼女から送られてきていた。曰く何を言われるか分かったもんじゃない、と。さもありなんだ。


 知代さんは僕に対して、さも友達にでも接するかのようにそう言った。ほとんど親ほどの年齢差のある相手に対して無茶な事を言うものだ。



「礼儀は弁えているつもりです」


「その割にはあの子と会った時にはいきなりタメ口から始まったらしいじゃない?」


「……あの時は、ちょっと精神的に参っていて、あんまり気配り出来なかっただけです」


「そ。貴方がそう言うのならそうなんでしょうね」



 含みのある言い方だ。僕が来る前に注文していたのだろう、紅茶を口に運びながら知代さんは言った。

 どこかつかみどころのない雰囲気を見せる知代さんに、僕の警戒心はうなぎのぼりだ。

 そんな相手から提案された事、僕と華耶を抜きにして話したいだなんて、一体何の用件なのだろうか。警戒心がさらに増した。


 考えられるとすれば一つだろうか。すなわち、華耶に近寄るな。彼女を保護する立場である知代さんにとってみれば僕は周囲を飛び交うお邪魔虫みたいなものだろう。それならわざわざこうして対面する必要もないかもしれないけど、確実な手だ。


 そんな予想を立てていたのだけど、それも先ほどの知代さんの言葉を考えるとどうも勘違いである可能性が高そうだった。もしそうだとするならば、友好的に過ぎる。そうして上げておいて落とすという作戦なのだとしたら大成功ではあるのだけど。



「それで、今日は一体どんなご用件でしょうか」


「ふふ、折角のデートと言うのに、せっかちなのね。貴方も何か注文したらどう? 私から誘ったのだから、ごちそうしてあげるつもりでいるのだけれど」


「そんな……、自分の分くらいは……」


「謙虚も美徳だけれど、断る方が失礼になる時もあるのよ? ここは私の顔を立てると思って」


「……そういう事なら」



 あっという間に言いくるめられる。言い方は失礼だけど、年の功というやつだろうか。

 呼び鈴を鳴らし、店員に注文を言いつける。例のごとくブラックコーヒーだ。それを見て知代さんが横から口を挟む。デラックスではないパフェを二つ頼んだようだった。



「……僕はあまり甘いものは食べないんですが」


「あら、それは悪い事をしたわね。でもここのパフェはおいしいのよ? 華耶も言っていたでしょう?」



 義母娘御用達の店らしい。もしかしたら華耶にこの店を教えたのは和代さんなのかもしれない。

 甘いものは食べられないわけではないが、好んで食べようとも思わない。ブラックコーヒーを頼んでおいてよかった。作ってくれる人には悪いけど、コーヒーで流し込まさせてもらう事にする。


 しばらくしてコーヒーと共にパフェが二つテーブルに運び込まれた。目の前に置かれたパフェを見て目を輝かせる知代さん。その姿にはどこか華耶に通じるものがあった。



「和代さんも甘いものが好きなんですか?」


「あんまり食べ過ぎるとお医者さんにちくちく言われたりするのだけれど。歳を取るのは怖いものね」



 何とも返答しづらい言葉に、僕は苦笑を浮かべた。女性の年齢については口を挟んではいけない。男なら誰でも知っている事だ。わざわざ虎の尾を自分から踏みに行く馬鹿なんて早々いないだろう。



「……今日貴方を誘ったのはね、確かめたい事があったからなの」


「確かめたい事?」


「そうよ。あの子の事はもう色々と聞いているのでしょう?」


「それは、まあ。記憶喪失、だとか」


「私があの子と会った時、もう既にあの子には記憶がなかった。覚えているのは自分の名前が華耶であるという事と、それとあの能力を持っているという事だけ」



 あの能力、華耶が使えるという記憶を操作する力だ。これまで彼女と共に記憶の手がかりを探してきて、何度も見た事がある。

 ただなんでもかんでも操れるわけではなく、本人がある程度鮮明に覚えている事が絶対条件なのだとか。そして忘れたい記憶を頭に思い浮かべたところで華耶が相手の額に触れたかと思うと次の瞬間には相手はもう既にその記憶を忘れている。嫌な記憶を忘れさせてもらうように依頼をした事は覚えている、そして忘れたという実感もあるのに、その忘れただろう記憶だけがない、というような状態になるそうだ。


 見ていて本当に不可思議、としか思えないような能力だった。記憶を失う前にもあった能力だとしたら驚きだ。世間から完全に隠し通してきたという事になるのだろう。まあ、彼女の場合ならばあり得る事ではあるかもしれないけど。



「あの子の力はもう体感したかしら?」


「いえ。僕は記憶が人を形作ると思っていますので。忘れ去りたい記憶、それもまた、今の僕を僕にしてくれるものです」


「強いのね。だけど、過去に向き合えない人だっているのよ。そんな話に頼ってまで、忘れたいって思ってしまうようにね」


「……分かっています。どちらかと言えば、僕はそちら側なので」



 向き合いたくない過去が忘れたい過去であるとは限らない。僕が言いたいのはそういう事だ。

 それが正しく知代さんに伝わったのかどうかは分からない。ただ、彼女は言う。



「————貴方には華耶ちゃんの事がどれくらい分かっているのかしら?」


「……それってどういう」


「貴方には貴方の考えがあるのでしょう。それがどういうものか邪推するほど私は無粋ではないつもりよ。ただ、あの子を後悔させるような事はやめて欲しいの。それに、貴方もまた、自分の選択を間違えないようにね」



 彼女はもしかすると、気が付いているかもしれない。僕に忠告するようにそう言った。

 その場はそれでお開きとなった。結局僕には知代さんのいう事はほとんど分からなかった。ただ分かったのは僕に伝えたかった事があるという事だけ。


 華耶に後悔させないようにして欲しい。知代さんは僕にそう言った。それだけ知代さんは華耶を想っているという事だろう。僕の方ももとよりそのつもりだ。そのための今の関係だ。


 タクシーに乗る知代さんの姿を見送りながら、僕は知代さんに言われた言葉を反芻する。飲んだコーヒーの苦味が未だに舌に残っているかのようだった。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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