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さよなら、メモリーズ。  作者: 葦原 聖
いつか見た満点の星空と
10/24

星見 ②

本日三話目です。今話で一章はおわりです。次は20日のこの辺りの時間帯に投稿したいと思います。

 先を行く華耶を、僕は焦燥を抱きながら追いかける。今の華耶はとてもじゃないが冷静とは言い難い状態だ。何が起こるか分からない。

 追いついた、と同時に道もまたそこで途切れる。立ち尽くす華耶の前にあるのはコンクリートで整備された見晴らしのいい高台だった。



「ここ、だ……」



 ふらりと引き寄せられるように華耶はそこに向かって行く。彼女の記憶が向かわせた場所、それがここだったのだろう、ようやく華耶は落ち着きを取り戻したようだった。



「あっ、榎田くん……。さっきはごめんね、ちょっと取り乱しちゃった」



 恥ずかしそうに言う華耶に、僕は大丈夫と身振りで伝えた。彼女の言うさっきとはどれの事なのか、問いただしたいような気もするが、それをしてしまうと何かが壊れてしまいそうな、そんな予感がした。


 高台の上、華耶は何かに気が付いたように手すりへと小走りに駆ける。今はまだ少し離れた華耶の事を視認出来るくらいだが、もう少しして完全に夜にもなればそれも難しくなるだろう。


 ここまでは徒歩で来たのだ、街灯がないわけではないだろうけど、日が落ちてしまえばそれだけ帰るのは難しくなる。

 ゆえに、そろそろ帰ろう、とそう声を掛けようと華耶に近づいた僕だったが、そこで息を呑むこととなった。



「すごい……」



 華耶は泣いていた。自分でも気が付いていないのか、それに触れる事なく、見下ろした眼下に煌めく夜の明かりを、涙に濡れながら同じようにきらきらと瞳を輝かせて、彼女はただただ見入っていた。



「————ここはこの辺りでは有名な場所なんだ」


「有名な場所? ああ、でもそう言われると分かる気がします。これだけ夜景が綺麗なら、見に来る人も多いんじゃないですか?」



 日が完全に沈み、夜の帳が空を覆う。この場所に限っては周囲の光源がないせいか、寝転がるとここからはよく星が見えた。


 華耶の姿を見てすっかり帰る気を無くしてしまった僕はそのまま彼女に星でも見ようと提案をした。驚いた顔を見せたのは最初の一瞬だけで、彼女はすぐに満面の笑みを浮かべるとそこでようやく自分が涙を流していた事に気が付いたのか、ポーチから取り出したハンカチでそっと拭う。

 かと思うと、恥ずかしさを噛み殺しながらにへらと笑みを浮かべた。


 星空を眺めながら、僕は華耶から投げ掛けられた疑問に答える。



「そうだね、こうやって夜景を見に来るカップルたちに人気なんだよ。まあ大半の人がここまで来るのが面倒だとかで途中で帰るらしいけど」


「そんな、もったいないですね。これを見た後だと余計にそう思えます。夜景もそうですし、星も本当に綺麗」



 だからこそ、ここの夜景と、そして星空は有名であるにも関わらず知る人ぞ知るみたいな矛盾したスポットとなってしまっている。こうして登ってみれば案外大したことはないというのに、それでもそれだけの行程を嫌う人たちだっている。この景色が好きな僕にしてみればそんなに残念な事はない。

 そんな風に僕はぼんやりと思った。華耶もまた思うところがあるのか、じっと夜景へと目を向けたままだった。



「……わたしも」


「うん?」


「わたしも、この景色を、誰かと一緒に見たのかな? もしかしたら、誰か好きな人とここに来て、でもそれはわたしが忘れてしまっていて……。それって、とても悲しい事、だよね……」



 そう言って華耶は座りながら膝を抱き抱え、そこに頭を乗せた。

 あの時もそうだけど、華耶はそうしてもしもを考えてしまうのだろう。だけど、結局もしもはもしも――――つまりあり得たかもしれない選択肢に過ぎない。



「……そんな風にもしも、もしもって全部を考えていたら辛いだけだよ。もしもって言うなのなら、こう言っちゃあれだけど、もしかしたら君はこの場所に一人寂しく来てたのかもしれないだろ」


「そのもしもには少しばかり悪意がありすぎるような気がしませんか? 本当にわたしの事慰める気があるんですか、それ……」


「慰める気なんかないさ。君は善意で協力してあげている僕に対して望みすぎなんだよ」


「なっ……。傷ついてる女の子がいるんですから、慰めてくれてもいいじゃないですか! そんなのだと終いには彼女さんに振られてしまいますからね!」


「彼女さんに悪いだとか言わなくなったと思ったら最近の君はそんな縁起の悪い事ばかり言うようになったな……」



 だんだん会話に遠慮が無くなってきたと思えばそれはそれで嬉しいような気もするから不思議だ。よくよく考えてみれば敬語一辺倒だった最初期と比べてたまにではあるが敬語が抜けて素の華耶が顔を覗かせる事がある。

 そう考えるとかなりの進歩だろう。不審者扱いされた事が妙な懐かしさすら伴っているように感じる。



「さて、そろそろ帰ろうか。知代さんも心配してるんじゃないか?」



 まだ会ったことこそないが、華耶からの話を聞く限りかなりの心配症だ。華耶の事を実の娘のように扱っている節があるらしく、注がれる無償の愛に対して戸惑いを覚えたと彼女は言っていた。

 どうもゆっくりとし過ぎたらしい。スマホで時間を確認してみればもう既にいい時間だ。どうりで腹の虫が妙に騒がしいと————。



「————あっ!」



 そんな事を考えながら腹をさすっていると、思わず耳を塞いでしまうくらいの声量で華耶が声を上げる。

 すわ何事かと隣を振り返ると、華耶がスマホを片手にあたふたと慌てふためいていた。



「急にどうしたんだよ、そんな大声出して」


「知代さんに連絡するのすっかり忘れてた! 知代さん、電話とか全然しない人だし、心配とかしてたらどうしよう……!」


「とりあえず今から電話するのとかは無理だったりするの?」


「今から電話するとこなの! ————あ、もしもし、知代さん!? ごめんね、連絡遅くなって! ……うん、今榎田くんと一緒。……そう」



 スマホを片手に僕から失礼にならない程度に離れていく華耶。表情を見た限り知代さんが怒っているという事はなさそうなのでそこは安心した。何しろ知代さんからすれば僕は色々な所に華耶を連れ出す知らない人と言った具合。華耶が上手い事説明してくれている事を願いたいが、それもそれでなんとなく恐ろしい想像に駆られてしまう。人伝の印象なんて信じられるものでもない。


 電話をかけ続ける華耶を横目に、僕は手すりに背を預け、星を見上げる。そこでふと思い立った。今回のことで華耶の記憶を取り戻すための足掛かりとなった。一度戻り始めればそれこそ堰を切ったかのように戻り始めるかもしれない。


 それは良い事なのだろう。彼女は苦しんで、苦しんで、それでもなお途方もない事を一人で成し遂げた。僕なんかいなかったようなものだ。

 もしその時が来れば、僕は素直に祝福が出来るのだろうか。たまに僕は僕自身の事が分からなくなる。だけど、一つだけ分かっている事はある。それがどんな感情から来るものか、という事だ。



「————うん、分かった。じゃあ、伝えとくね。うん、ばいばい」



 言葉尻を鑑みるに通話が終わったのだろう。手すりに持たれかけていた身体を起こす。華耶もまた、もう一度こちらの方へと近付いてきた。



「知代さん、なんて?」


「うん、気にしなくていいから、気を付けて帰ってきなさいって。それに……」


「それに?」


「なんか、知代さん、榎田くんに会いたいって言ってるんだけど……」


「……え?」



 非常に不安が残る一言を華耶は少しばかり困ったように眉をひそめながら言う。

 僕と華耶の春の星見はその一言を締めくくりとして終わりを告げた。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。よければ評価などもしていただけると幸いです。

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