暗く孤独な旅路の果て
流れ流れて……気が付いてみれば、この町に着いていた。
俺が生まれたのは、灰色の壁に覆われた場所だ。コンクリートの壁は高く、地面はとても冷たかったのを覚えている。両親の顔なんざ知らねえし、興味もねえよ。ましてや、両親からの愛情なんてものは受けた記憶がねえ。そんなもんはクソだ。今、目の前に両親と名乗るバカが現れたら……ただ、殴り倒すだけだ。何のためらいもなく殴れるよ。
物心つく前から、俺は街の片隅に潜んでいた。みんなは俺に、汚い物でも見るかのような視線を向けてくる。
そんな目で見るんじゃねえよ!
俺は必死で闘い、何とか生き延びてきた。他者から盗み、そして逃げる。必要とあれば、ゴミ箱だって漁る。そうして、俺は成長していった。
世の中、クズばかりだ──
どいつもこいつも、俺の顔を見ると嫌そうな顔をする。中には、石を投げる奴までいる。俺がただ歩いているだけで、棒を振り回して追いかけて来る奴までいたくらいだ。
俺が何をしたって言うんだ?
他の奴より、見た目が醜い……それは、罪なのか?
そう、俺の顔は醜い。小さい頃に熱湯をかけられたせいで、顔に火傷の痕が残ってやがる。そのせいで、誰からも好かれたことがねえ。
腹が立って仕方がなかった。俺は自分を取り巻く世界を憎んでいたし、何もかもを壊したいと思っていた。
そんな俺に、仲間なんか居やしない。周りは、みんな敵だ。食うか食われるか、その間柄でしかない。俺が生きるためには、闘うしかなかった。
幸いにも、俺は大きく強い体に生まれた。俺がパンチを食らわせば、みんな尻尾を巻いて逃げ出す。そう、俺のパンチは最強だ。どんな奴が相手でも勝てる。
醜い俺は、強くなければ生きられなかった。もし俺が弱かったら、ここにはいやしねえ。
やがて俺は、他者から奪うことを覚えた。俺は強い。強い者が、弱い者から奪うのは当然だ。
欲しい物があれば、誰かから奪う。目障りな奴はぶちのめす。俺には、誰にも負けない力がある。
それで充分だ。力さえあれば、望みは何でも叶う。それが、この世の掟だ。
こうして俺は、あちこちの町を渡り歩いた。どこの町に行っても、俺に勝てる奴はいなかった。
強ければ、それでいい。力さえあれば、どこに行ってもやっていける。気に入らない奴は、みんなぶっ飛ばしてやった。
中には、俺に媚びへつらう奴もいたな。だがな、俺はつまらないご機嫌取りは大嫌いだ。ブン殴ってやったら、呆気なく逃げて行きやがったよ。しょせん、そんなもんさ。
だが、なぜか知らないが……どこの町にも、俺は長居できなかった。しばらく経つと、俺は何もかも嫌になり、また旅に出ていた。
自分でも、何のために旅に出るのかわからない。ただ、気がつくと俺は歩き出していた。
あちこちの町や村を渡り歩き、流れ流れて……俺は、この町へとやって来た。
見回してみると、どうにも暗い雰囲気だ。潰れた工場や、汚ねえ木造の家ばかりだよ。外を出歩いているのも、しけた面した奴ばかりだ。みんな、俺を見てビビってやがる。本当に気に入らねえ。
「おい、何見てんだよ。俺の顔に何か付いてるのか?」
頭に来た俺は、通りで目が合った奴に言ってやった。すると、そいつはビビりまくって目を逸らしやがった。ムカついたから、追いかけて殴ってやったよ。そしたら、ヒイヒイ泣きながら逃げていきやがった。
だせえ奴だ。
「ケッ、根性無しが」
尻尾を巻いて逃げていく後ろ姿を見ながら、俺はひとりで毒づいた。いっそのこと、この町にいる奴を全員ブッ飛ばしてやろうか。
そんな気持ちで、俺は歩き回っていた。睨み付けるだけで、みんな怯えた顔でこそこそと居なくなる。なんて情けねえ奴らだ。見てるだけでイラつくぜ。
俺はイライラをぶつけるように、そこらに居た奴を片っ端からブン殴ってやった。どいつもこいつも、俺のパンチ一発で吹っ飛び、呆気なく逃げて行きやがる。この町にも、俺とまともにやり合える野郎はいねえのかよ。
だらしねえ連中だぜ。
そんな俺の前に、奴は現れた。
「おい、見かけねえツラだな。てめえか、この町で騒ぎを起こしてる新入りってのは」
突然、のっそりと現れたそいつ。がっちりした体格だが、動きも速そうだ。何より、表情には自信がみなぎってやがる。
気に入らねえ奴だ。
「ここで何しようが、俺の勝手だろうが。てめえにゃ関係ねえ。文句あんなら、てめえもブッ飛ばしてやろうか」
言いながら、俺はそいつを睨み付ける。
だが、俺の勘は言っている。目の前にいるのは、今まで会った中でも最強の相手だと。体の大きさ、傷の数、筋肉の付き方、全身から放っている闘気……全てが桁外れだ。
そいつは、いきなり一歩進み出てくる。俺は思わず、その場から飛び退いていた。間合いを離し、低い姿勢で構える。
目の前にいる男は、平然としていた。まるで、お前なんか大したことねえよ、とでも言いたげに。
こいつ、俺より強いのか? 知らぬ間に、足が震え出していた。
ざけんじゃねえよ。
俺に勝てる奴なんか、いやしねえ。
俺は、勇気を奮い起こして睨みつける。すると、そいつはニヤリと笑った。
「そのツラから察するに……てめえは、世の中で自分が一番不幸だとでも思ってるんだろうが。だから、あちこちで暴れてやがるんだろ。本当にひねくれたガキだな」
「んだと! てめえなんかに何が分かる!」
思わず吠えていた。俺の気持ちが、こんな奴に分かるはずがないのだ。
だが、そいつは平然とした表情のままだ。ビビる気配なんか、ありゃしねえ。
「お前は、自分だけが可哀想で自分だけが正しいと思っているんだろうが。どうしようもねえ奴だな。てめえのその捻れた根性、俺が叩き直してやるぜ」
言いながら、そいつも低い姿勢で構えた。
何だと?
上等じゃねえか!
次の瞬間、俺は飛びかかった。喧嘩の基本、それは先手必勝だ。一気に間合いを詰め、そいつの顔面に強烈なパンチを食らわせる──
強烈な手応えを感じた。普通の奴なら、この一発で倒れているはずだ。
しかし、そいつは倒れない。俺のパンチをまともに食らったのに、僅かに顔を歪めただけ……。
信じられない。俺は思わず、その場に立ちすくんでいた。
一方、そいつはニヤリと笑った。何のダメージも受けていないのか。
「ほほう、やるじゃねえか。なかなかいいパンチだ。じゃあ、次は俺の番だぜ!」
直後、そいつのパンチが飛んで来た──
それは、あまりにも強烈な一撃だった。俺は吹っ飛び、道路に倒れる。今まで生きてきて、数えきれないくらい喧嘩をしてきたが……掛け値なしに、最強のパンチだ。
しかし、俺は素早く起き上がる。フラフラしながらも、そいつを睨み付けた。どんな奴が相手だろうと、喧嘩で負ける訳にはいかねえんだ。
「俺は負けねえ! 絶対に負けねえ!」
叫ぶと同時に、俺は猛然と襲いかかって行った。
こんな奴に、負けるわけにはいかねえ。
負けたら、何もかも失ってしまうんだよ!
だが、俺は倒されていた。
強烈すぎるパンチやキックを何発も食らい、俺は無様な姿で地面に伏していたのだ。
くそが……。
てめえなんかに負けるかよ。
ボロボロの状態で、俺はどうにか立ち上がる。絶対に負けられないのだ。喧嘩で負けたら、俺にはもう何も無い。
弱ければ、生きていけないのだから。
「お前、しつこい奴だな。いい加減、楽になれや」
そいつの声が聞こえてきた。同時に飛んできた、脳天を抉るようなパンチ──
俺は吹っ飛ばされ、またしても地面に倒される。こいつは、本当に強い。俺なんかよりも、ずっと。
どう頑張っても、俺は勝てないのだ。
しかし、もはや勝ち負けなど関係ない。
負けるくらいなら、ここで死んだ方がマシだ。
すると、そいつは不思議そうな顔をした。
「おい、いい加減にしろよな。そんなボロボロの体で、まだ突っかかってくる気か? 俺に、何か恨みでもあるのか?」
「てめえなんかに、何がわかる! 俺は負けられねえんだ。喧嘩で負けたら、俺には何も残らねえんだ!」
そいつを睨みながら、声を振り絞る。そう、俺には何も無いのだ。
喧嘩で負けたら、俺に何が残る?
俺は、ただの醜く弱いクズでしかねえ。
その時、ため息が聞こえた。
「そうかい。だがな、そんなのは俺の知ったことじゃねえよ。お前の石頭をブン殴ってたら、腹が減っちまった。もう帰らせてもらうぜ」
「んだと……待ちやがれ! まだ終わってねえぞ……俺は、負けてねえ!」
俺はふらつきながらも、そいつに向かって行こうとした。だが、体が思うように動かねえ。二~三歩進んだだけで、無様な姿で地面に倒れちまった。
駄目だ。
もう、一歩も動けねえ。
倒れている俺を、そいつは涼しい顔で見下ろしている。
やがて、そいつは口を開いた。
「明日の夜、この先にある真幌公園で集会をやる。もしお前が、俺たちの仲間になりたいなら……その集会にツラを出せ。俺から、町のみんなに紹介してやる。だがな、仲間になる気がないなら、さっさとこの町から消えろ」
「えっ」
そう言ったきり、俺は何も言えなかった。想像もしなかった言葉を聞かされ、ぶったまげて全身が硬直していたのだ。
どういうことだよ?
仲間に入れてくれるのか?
この俺を、仲間に?
醜い顔の、俺を?
「お前、聞いてんのかよ? 大事なことだから、もう一度言うぞ。この道を真っ直ぐ行くと、真幌公園って場所がある。でっかい池のある、広い公園だ。そこで明日の夜、俺たちは集会をやる。もし、お前に仲間になる気があるなら、その集会に参加するんだ。仲間になる気が無いなら、この町から出ていけ。言いたいことは、それだけだ」
そいつは向きを変え、立ち去ろうとする。俺は、慌てて呼び止めた。
「ちょっと待ってくれよ!」
すると、そいつは立ち止まった。面倒くさそうな表情を浮かべ、ゆっくりと振り向く。
「何だよ。続きは、また今度にしてくれや。俺は、腹が減っちまったんだよ。まあ、どうしてもって言うなら、相手してやるけどな」
言葉と同時に、そいつはのっそりと近づいて来た。
俺は、慌てて首を振る。これ以上、奴のパンチやキックを食らったら死んじまうかもしれない。今は、まだ死ねないのだ。
奴には、聞かなくちゃいけないことがある。
「違うんだよ! あんたに聞きたいことがある!」
「はあ? いったい何だよ?」
「あ、あんたの名前を教えてくれ!」
俺の必死の言葉を聞き、そいつはニッコリ微笑んだ。
「俺の名はアレクサンダー、通称アレク。ここいらを仕切ってるボス猫だよ」
「あんた、ボス猫だったのか」
「ああ。それと、ひとつ覚えておけ」
そう言うと、アレクはこちらに近づいて来た。何をされるんだ……俺はビビりまくり、思わず耳をふせる。
だが、予想に反してアレクは何もしなかった。
「人に名前を聞いたら、自分も名乗るのが礼儀だ。お前、名前は?」
「ニャ、ニャンゴロウだよ」
「ニャンゴロウ、か。いい名前じゃねえか」
言いながら、アレクはもう一度笑った。
とても、とても優しい笑顔だった。
なんて、優しい笑顔なんだ。
あんなに強いのに、こんなに優しく笑えるのか。
勝てないはずだよ。
俺の、完敗だ。
気がつくと、俺はアレクの前で耳を後ろにふせ、うずくまっていた。生まれて初めて、自分から認めた敗北の姿勢だ。しかし、気分は悪くない。むしろ心地いい。
そう、本当に清々しい気持ちだった。やっと、己を縛る何かから解放されたような──
「ニャンゴロウ……またな。お前が集会に来てくれるのを、俺は楽しみに待ってるからな。それからな、仲間になっても、お前の挑戦は受けてやるぜ。いつでも来な」
アレクはそう言って、悠然とした態度で去っていった。
その後ろ姿を、じっと見つめていた俺だったが……不意に、視界がぼやけてきた。
やっとわかったよ。
俺が今まで、何のために旅をしていたか。
探していたものは、これだったんだ。
俺の仲間と、居場所……。
あれ?
これ、涙か?
俺、泣いてるのか。
知らなかった。
涙って、こんなに暖かいものだったんだな……。




