みとめる光は瞬く間に
久保田タケルは、23歳、社会人になったばかり。毎日、お気に入りのマイバイク、タケル号で元気に自転車通勤をしている。
家を出てすぐのところに小学校がある。小学校を通り過ぎると、上り坂になる。上り坂を登ると、今度は下り坂である。何度か緩やかな坂を上ったり下ったりすると、大通りに出る。その大通りに会社がある。
だいたい30分かけて会社へ行く。
夏場は毎日暑くてとろけそうだ。日焼けもお見事だ。熱中症対策で、飲み物も欠かせない。
タケルは、いつも坂を上って、下ったところで水分補給をする。オレンジ色のかわいい屋根のお家の目の前で、少しだけタケル号を止めて、ゴクリとスポーツドリンクを飲む。何口か飲んでから、またすぐに出発する。
そのオレンジ色の屋根のお家の前には信号がある。
スポーツドリンクを飲んでいる最中に、いつも目に入る信号だ。最近、その信号の前に、いつも同じ時間に、同じ女性が立っていることに気がついた。
今日は、水色の白のワンピースを着ていた。毎日、水色の日傘を差し、つばの広い麦わら帽子をかぶっている。ワンピースのスカートの裾を揺らし、風に揺れる長い髪の毛を片手でおさえながら信号を待っている。
なんとなくしか顔が見えないが、とても色白で美人だ。華奢な細い手首も美しい。
翌日もその女性は、信号の前に立っていた。
今日は、紺色のワンピースだ。花柄がとてもよく似合っている。
その翌日も、またその次の日もその女性は立っていた。毎日違う色のワンピースを着ていた。
いつしかタケルは、今日も綺麗だなぁと、毎日見惚れている自分に気がついた。
ある日、タケルがいつものようにその女性に見惚れていると、女性がこちらを一瞬見たような気がした。
タケルは、ドキッとした。
すると、急に強い風が吹き、女性の帽子が飛ばされてしまった。
「あっ。」
タケルは、とっさに飛ばされた帽子を追いかけた。
「あっ。」
その女性は驚いたようにタケルを見ていた。
帽子に手を伸ばしたタケルは、まるで一瞬だけ時が止まったように感じた。
タケルは、帽子を手に取り、その女性に自然に手渡した。
その女性は、ニッコリ微笑み、
「ありがとう。」とお礼を言った。
すると、その一瞬から世界は瞬く間に明るく光った。タケルは、その世界に吸い込まれて行く感覚がわかった。とても綺麗で柔らかな白い光であった。
タケルは、その女性に軽く会釈をすると、すぐにまたタケル号に飛び乗り、がむしゃらに自転車を漕いだ。
なんだかとても不思議な気分であった。自転車に乗っているのに、体がふわふわと宙に浮いている。
女性の顔は思い出せない。よく見えなかった。いや、恥ずかしくて見ることなんて出来なかった。
その日からタケルから見える世界は、明らかに変わった。
信号は、青になっているのも渡り忘れ、気がつけば赤に変わってしまっていた。いつも飲んでいるスポーツドリンクは買い忘れて、なぜかブラックのコーヒーを買った。いつもは掃除なんてしないのに、タケル号の汚れが妙に気になり、念入りに洗車をした。ワイシャツのシワが許せなくなり、アイロンを自分でかけるようになった。
朝は、少しだけ早く出勤するようになった。タケルは、あの女性に、また会いたいと思った。けれども、こんな自分じゃ自信が持てないと心のどこかで感じていた。その心がタケルを変えた。
1ヶ月くらいたって、タケルは、前と同じ時間に出勤するようになった。
いつもと同じ時間、いつもの信号前には、あの女性が立っていた。今日は、ピンク色のワンピースを着ていた。
タケルは、ゆっくりとその女性を見た。
すると、女性は、はっと気がつき、ニッコリと微笑んだ。
はじめて顔が見えた。