No.8・シャルルの慟哭とブリキの想い
「そんな事が・・・」
――さて、そろそろプラカの黒歴史から現実に戻るが、ネジーが勘違いたっぷりの回想を話し終えると同時に、シャルルは呆然と呟いた。プラカが只者でないことなど百も承知だし、何を言われても良いように、シャルルは覚悟はしていたつもりだったのだが。
しかし、語られた物語は・・・いや、主軸となっているのは神だから神話か。ともかく、それは余りにもスケールが大きい話で、尚且つ、ネジーがなぜ「協定に対して色良い返事を期待するな」と言ったかがよく解った。
「・・・・・・御友人を殺したのは人間。今まさに助けを乞うているのも人間・・・なんてこった。こんなの断られるに決まっている!」
シャルルは頭を抱えた。
もし自分がプラカの立場であったなら、「国が危ないから協力してくれ」と言われた瞬間、ふざけるなと絶対に激昂していただろう。
・・・そして、合点がいった。ブリキヶ丘の入口で、妙にネジーからの当たりが強かったのは、『自分が人間だった』からだ。
そう考えると、シャルルが神殿に招かれたことも奇跡に等しい。
なぜプラカが自分を追い出さなかったのかは見当もつかないが、望みが潰えたことだけは理解できた。
シャルルは、はしたなくも唇を噛む。これから王や自分は、民からの陰口や『九つの陣』からの殺意をその身に浴びて生きていかねばならないのだ。
目の奥がじわりと熱くなる。
「馬鹿者」
――ネジーが椅子から飛び立ったと認識した時。べしりと、縮こまったシャルルの頭に衝撃が走った。
・・・ネジーが、その鋼鉄の腕で、軽くとはいえ叩いたのだ。
「痛った!?いきなり何を!?」
「何のために私がこの神話を語ったと思っているのだ。人間にかける慈悲が皆無ならば、わざわざ忠告せずに、協定を吹っ掛けた瞬間に神に断られて阿呆面晒しているお前を嘲笑ってやるわ。」
「いくらなんでも酷くないか!?」とシャルルは叫びそうになったが、確かにそうした方が憂さ晴らしにもなるだろう、と口を噤む。
なぜネジーがわざわざ心の準備をさせたのかが気になるところだが、だからどうしたというのだろうか。
「・・・今阿呆面を晒してどうするのだ・・・・・・まあ、いい。とにかく、神が承諾するかしないかは、今掘り下げるべき話題ではない。お前はどうも分かっていないようだから特別に教えてやるが、協力・・・それに基づく協定というのはな、双方の利害の一致で初めて成り立つのだ。だが、お前はどうだ?一方的に助けてくれと言っただけだろう。エスターニオ様とエンキドゥ様のように知古の仲なら話は別だが、初対面の相手に「見返りは無いが労力を提供してほしい」と言われて、はいと言う奴がどこにいる?」
ネジーの一方的に思える言葉は、シャルルの胸を容赦なく突き刺した。
しかし、全てが正論であり、全てがシャルルの自分勝手な主張を糾弾するものである。
しかし、シャルルとて「そうですね」と引き下がるわけにはいかなかった。彼の両肩には、バグノア王国という重すぎるものが乗っているのだから。
「そ、それは・・・『九つの陣』の驚異がそちらに向く前に潰した方が、そちらにとっても好都合なのでは・・・」
「そんな「今考えました」と言わんばかりの後付けはやめろ。それに、相手は人間で、我らは『核』さえ無事ならいつまででも動けるブリキだぞ?こちらにまだ実害がない以上、わざわざ神の貴重なお時間を割いてまで潰す理由にはならない。」
「・・・・・・」
これには、懸命に食い下がったシャルルも俯かざるを得なかった。
ネジーは「相手にならない」と軽く流したが、バグノア国民にとって『九つの陣』は強大な『闇』だ。何とかして取り除きたいが、地下組織なだけあって、なかなか尻尾を掴めないでいる。
その現状から分かる通り、今は猫の手も借りたい状況なのだ。
・・・それが、『九つの陣』を驚異としない者達なら、尚更。
「それに、ブリキヶ丘のブリキ達は皆、神話のことを知っている。あやつらを動かすならば、それ相応の利益がなければ駄目だ。・・・万が一、今の条件で神が協定を結ぶことを承諾しても、ブリキたちは快く引き受けやしないだろう。中には反発する者も居るやもしれん。」
・・・・・・正論である。
・・・正論であるのだが、シャルルは尚も言い募った。
「僕は・・・必死だったんだ。王家が廃れると民が不安がる。そこに悪人が甘言を囁けば、国は簡単に傾いてしまう。」
そうは言ってみたものの、シャルルは次の言葉が出ずに押し黙る。
父は賢王と言ってもいいほどに人が良くできた王だ。だからこそ、シャルルは生まれてこの方、安定した王国しか見たことがなかった。
過去の文献で謀反がどうのと書かれていても、それを読み込んで薄ら寒いものを感じ、「反感を抱かれないように言動に気を付けよう」と思っても、当事者でない以上は他人事でしかない。
シャルルは、謀反を受けた過去の王の気持ちがわからない。
国が荒れたら、内乱が起きたらどうすればいいかが分からない。
今まさに、そんな状況になろうとしているのに――慰めてくれる母は他界しており、王は、頼れる父は病に侵されている。
自分が、なんとかするしかないのだ。
「僕は・・・この現状をなんとかしたかった。でも、でも!なんとかって言ったって、一体何をすればいいんだ!?何をすればいいのかなんて、誰も教えてくれない!先生も父上も口を噤んでばかりだ。僕が役立たずだからなのか!?それとも王子には、まだ政は早いって言うのか!!」
シャルルはベッドから立ち上がって、喉が枯れるのではないかと心配になるほどの声量で叫んだ。
「わからない、わからないよ・・・」
咎めるでもなく、嘲笑うでもなく、じっとこちらを見たまま飛び続けるネジーに向かって、今度は嗚咽混じりに「わからない」と繰り返す。
ネジーはそんなシャルルに呆れると同時に、ナットリューの父と設定されたこともあってか、とうとう泣き出した青年を見て、「放っておけない」という思いが湧き上がっていた。
所謂親心というやつである。
ネジーは、それなりに王家のことについて娘から報告を受けていた。曰く、「シャルルはどこに行っても恥ずかしくないように教養を積んだ立派な王子」だそうだ。
・・・だが、彼とて人間。弱い部分があって当然である。
それを今の今までひた隠しにしてきた反動か、内に隠した不安を吐き出すうちに精神年齢が下がってしまっているシャルルは、美しい顔をくしゃりと歪め、とうとう泣き出してしまった。翡翠の双眸からこぼれ落ちる雫は、部屋に敷かれたボルドーのカーペットに深い色合いを足してゆく。
普段のネジーならば「カーペットを汚すな」ともう一発殴っているところだが、目の前の青年から子供っぽさしか感じられないからか、叱ろうにも叱れずにいた。
娘以上に手のかかるやつだ、とひっそりため息に似た音声を出す。
「・・・だからこうして私が来てやったのだろうが、阿呆め。」
「あ、あんたなぁ!さっきから阿呆阿呆言うなよッ!」
俯かせた真っ赤な顔を上げてネジーを睨むシャルルだったが、鼻水をすすりながら泣きじゃくる美形に覇気など一切ない。
むしろプラカなら腹を抱えて爆笑するレベルの顔面崩壊っぷりである。
しかしネジーは特に思う所も無かったのか、文句に対して何も言わずに、ドアの方へと飛んでいった。
「私は、ちゃんとヒントを教えてやったからな。」
え、と目を見開くシャルルを一瞥もせず、ネジーは部屋から出ていく。
ぱたりと閉められたドアを食い入るように見つめるシャルルを、ランタンの光が優しく包み込んだ。
――そして翌朝、ブリキヶ丘の麓のゴンドラ乗り場にて。
ざわざわと賑やかなそこには、ブリキヶ丘に住まう多くのブリキ達が集まっていた。
「ああ・・・やっと神にお会いすることができる!どれほどこの時を待ったことか・・・!」
既に乗り場が見えなくなってしまっているそこへ、麦藁帽子を被り、つるりとした金属製の顔面に大きすぎるほどの目を期待に輝かせた小柄なブリキの少年は、ゴンドラ乗り場に到着するや、震える手を握り締めながら呟いた。
少年の名は『ジャンク』。彼は、簡潔に言うと熱狂的なプラカ信者である。
作られてまだ1年ほどしか経っていないジャンクは、このブリキの楽園内でも片手で数えられる程度しか存在しない、農作業用に作られたブリキだ。
勿論ブリキに野菜や果物など必要無いので、作った作物の消費者はもっぱらプラカのみである。
しかし、それは『神への献上品を作る』という事と同義であり、ブリキたちにとって農業はとても誇り高い仕事という認識となっていた。
「ところで、本当なのか?人間の王子が神の元へやって来たというのは。」
そんな誉れ高き自分より先に、よりにもよってエンキドゥ様の仇たる種族である人間が、恐れ多くも神に会いに行ったという事実に、ジャンクは怒りを隠せずモーターを発熱させた。
睨みつける先、ゴンドラ乗り場の周りは戦闘用のブリキが警備しており、神を少しでも近くから拝見したいと、乗り場に向かって押し合いへし合いしている民達を宥めるのに大忙しといった様子である。
そんなブリキ達を一歩引いた場所から眺めていたジャンクは、隣で腕時計に目を落としている、細すぎていっそ骸骨にしか見えない背の高い男性型のブリキ、『アクシス5』に苛立ちを隠そうともせずに尋ねた。
そして、尋ねられたアクシス5は、自分より遥か下にあるジャンクの顔を覗くと、カタカタと顎を鳴らして笑う。
「あー?・・・そりゃあ、ネジー殿がそう仰ってたから、そうなんだろ。・・・なに?お前。まっさかぁ、ネジー殿が嘘ついたとでも言うつもりかよ?」
「なんっ!?無礼なことを!ネジー様がこんな時に悪趣味な嘘をつくはずないだろ!」
突如声を荒らげたジャンクに驚くこともなく、「じゃあ聞くなよ~」と、面倒くさそうにそっぽを向いたアクシス5を睨みながらも、ジャンクは、完全に八つ当たりだったと反省する。
そもそも、一番最初の農業要員として作られたアクシス5と、楽園唯一の鍛冶屋『アクシス1』の共同開発で作られたジャンクは、その胸に内蔵されている『核』を作ってくださったと尊敬する神、プラカ=デ・エスターニオに会ったことが無かった。
それでも、いつか会える日を夢見て、仕事終わりに『エスターニオ神話』を読み込んだものだと物思いに耽る。
農作業中以外では肌身離さず、今も背負っているリュックサックに入っているその書物は、初起動の際にネジーから与えられたもの。
――ちなみに、著、編集、はたまた挿絵までネジーが手がけたお手製である。
プラカの勘違い黒歴史は、確実に若者達にも浸透していた。
「・・・どんな面してるんだか」
それを所々擦り切れるほど読み込んでいる自分より、昨日まで神の存在すら知らなかった人間が、神に協定を持ちかけて来たというのだ。
これに怒りを感じているのは、なにも自分だけではないとジャンクは機能していない鼻を鳴らす。
そもそもこうしてブリキヶ丘中の民が集まったのは、神の左腕にして、我々ブリキ達を統治するネジー様直筆の御触書が各々の家のポストにあったからだ。
朝早くから畑作業をしていたせいで気づくのが遅れなければ、もっと早くから馳せ参じていたのに!と、歯が無いので内心で歯噛みをしていると、前方でどよめきが起こった。
「神がいらっしゃったぞ!!」
「ああ・・・なんて神々しきお姿!あいも変わらずお美しいわ!」
「む、あの人間が触書の・・・」
「こら、押すな!」
「ちょっとアンタ、でかい図体でそんな前に陣取るなんてどういうつもりだい!?」
「静粛に、静粛に!神の御前であるぞ!静粛にー!」
喧騒につられて顔を上げれば、ゴンドラに乗って降りてくる漆黒の美しい神と、その後ろで静かに控えるネジー。
・・・そして、金髪の青年の姿も見えた。
御触書によれば、今から民達の前で、神が御自ら人間の協定に乗るか否かを発表なさるという。
「ほおぉ、こりゃたまげた!どんなやつかと思ってたが、あんな色男だとはなぁ。」
「ふん。エスターニオ様の足元にも及ばないじゃあないか。」
「お前なあ・・・よりにもよってエスターニオ様と比べんなよ。ガキじゃあるまいし。」
「うるさいな!もうすぐ会合が始まるんだから、とっととその減らず口を塞げ!」
――さて、こちらは締まりのない空気になってしまったが・・・
シャルル王子とやら。お前が神のお眼鏡に叶うかどうか、このジャンクがしかと見てやろう。
・・・しかし、そのためには身長が足りないから、と、ジャンクはアクシス5に肩車を要求したのだった。