No.5・ネジーの回想と勘違い
「エスターニオ様は悲劇のお人・・・いや、悲劇の神だ。あの御方の過去を考えると、色良い返事は期待せぬ方が良いだろう。」
突如話し始めたネジーは苦虫を噛み潰したかのような雰囲気を醸し出し、体を前向きに傾けた。分かりづらいが俯いているらしい。
あっさり希望を失くしたのがショックだったのだろう、目を見開き自身を凝視するシャルルをレンズに写したネジーは、近くに置いてある椅子に腰掛け――いや、着地した。
「そんな顔をするな。別に嫌がらせでこのような事を言っているのではない。」
そう言うネジーには相変わらずプロペラと腕二つが付いた球体にレンズ一つというルックスなので表情など無いが、普段の威勢の良さは見る影もなく、どことなく悲しそうにしていた。
「私は、この『ブリキの楽園』に住まう者達の中でも古参だ。特に私は、神殿建設前から「神の名の元でブリキ達を統治する役目」を与えられている。重要職故に、エスターニオ様のお側に居るのが最も長いのは、間違いなく私だろう。」
少なくとも10年前から一緒に居るのか、とシャルルは感心すると同時に、なぜ名誉ある事をこうも思いつめたように話すのかと首を傾げる。
「だがな、王子。それは、あの御方の悲しみや辛みに触れる機会が一番多い、という事でもあるのだよ。」
シャルルは、はっと息を呑んだ。
プラカの悲しき過去。
それに一番多く触れたと言うネジーから、今まさに憎悪の念を感じ取ったからだ。
「まず大前提として、我らが神エスターニオ様が人の世に降臨なされたのは、これで二度目なのだ。」
そのままの意味で受け取るのはいささか抵抗のある事象だが、例え『降臨する』が『生まれる』の比喩だとしても、普通は人間に二度目の生などありえない。言外に、プラカは人間ではなく紛う事なき『神』であると告げられ、シャルルは絶句し、微かに身震いした。
このブリキヶ丘に人間は自分しか居ない。その事実が途端に恐ろしくなったからなのか、好奇心が刺激されたのかは、シャルルにもわからない。
ただただ驚きが勝ったのである。
・・・もしプラカがここに居たら、「なにその厨二設定!?流石に痛すぎるし、もうその大前提から間違ってるからぁぁぁ!」と絶叫しただろうが、残念ながら本人は今呑気に食後のデザートを自室で貪っているので、訂正する者など皆無だ。
「これは私が私になる前・・・エスターニオ様が私を制作してくださっている真っ只中の話になるが、私は機械故な。今から話す事に記憶違いによる改変が一切無いことを念頭に置いておくように。」
「・・・わかりました。」
優秀な教師から高等教育を受けているシャルルは、ネジーが大事な講義をする時の先生のような雰囲気を纏ったので、癖が出たのか慌てて姿勢を正す。
その様子に満足したネジーは、一泊置いてから話を切り出した。
――ある日、私は覚醒した。
言い換えれば、この瞬間、私は『この世に生を受けた』。
レンズ越しに見えた、美しい少年の手によって。
まだ外核となるものが無く、モーターとレンズ、そして赤い宝石がコードで繋がった状態のものを露出しているという、今思えばかなり情けない格好で覚醒した、まだ名もない『ブリキですらない何か』は、知能を持った者の性なのか、とにかくレンズに映る物を理解する作業に努めた。
当時はまだ兵器や壊れた武器類の積み上がったままの丘の麓に胡座をかき、地面に木の棒で何やら絵を書いている少年は、「あー・・・上手くいかない・・・くそ、これも全部あいつらのせいだ」と気怠げに呟いていた。
必死にレンズの端に映った絵を解析すると、それは何かの設計図のようである。
それを作ろうとしているが、何者かに邪魔をされているのだろう。そう思い至ると、稼働していないはずのモーターが熱を帯びていくのを感じた。
――この現象を「怒りを感じている」と表現するのだと理解するのは、まだ先の話である。
激情に苛まれるネジーをよそに、美しい黒髪黒目の少年は棒きれを放ると、ネジーの元に駆け寄り、コードに繋がれた赤い宝石を手に取った。
すると驚くべき事に、今まで空っぽだったメモリに、この「プラカが住んでいた村からブリキヶ丘までの地形」が流れ込んできたのだ。
間違いない。この少年は――この造物主たる御方は、まだ未熟で不完全な矮小なる身に、知識を授けてくださっているのだ。
「あー、こいつの名前どうしよう。『プラカ君お手製ブリキ1号』・・・ダメだ長いな。ボルト・・・ナット・・・ネジ・・・あ、ネジー。ネジーでいいや。お前今日からネジーな。」
そんな軽いノリで命名され、忠臣ネジーは、プラカの『ブリキでユートピア作るぞ!計画』の足がかりとして、未完成ながらも誕生する。
そして自分に全てを与えたもうたこの少年こそ、この俗世に降り立った神であると認識するのに、さして時間は掛からなかった。
それからは、一刻も早くプラカの役に立たねばならぬと、まだ動かせぬ身体で、地形を元にした生態系の推測、星見による天気の移り変わり方の予測方法など、学べることは全て自力で吸収し、できる限りの事は全てやった。
基本的には独り言が多いが、ごくまれに自分に話しかけてくださる神のお言葉も大切な情報源の一つである。
一言一句記録せねば、とエネルギーを全て情報処理に回していたせいで、ネジーは自分がこの時既に話す機能が搭載されていた事に気づくのに少し時間が掛かる事となる。
また、この「ネジーは話すことが出来ない」という事をお互いに勘違いしていた間の時間こそが、プラカを『ブリキの神』としての立場を決定づける要因となるのだが――それはまた後で解説しよう。
・・・話を戻す。
簡素ではあるが仮の腕が付いた事で形もある程度様になり、一通り情報整理に余裕ができたネジーは、春先の清々しい青空をぼんやりと眺めていた。
プラカが時折ふと空を見上げては、「あの雲、綿菓子みたい・・・綿菓子食べたい・・・」とボヤくのを見ていたので、その真似である。
わたがし、という物が何なのか分からない無知なる我が身が口惜しいが、後にこの世界には存在しない食べ物であることが判明した。おそらくは、神の国に御座した際に食べていらっしゃったのだろう。
お可哀相に、項垂れていらっしゃる神を慰めることは誰にもできない。神の食べ物が人の世にあるはずがないのだから。
空に浮かぶ白い雲を眺め、動けるようになったならば、せめて何か美味いものを見繕って差し上げようと決意していると、
「エンキドゥ、エンキドゥ」
――と、繰り返し呟くプラカが視界の端に映った。
(エンキドゥ・・・?)
単語を検索にかけてみたが、なんの事かさっぱりわからない。困惑するネジーをよそに、完全に視界に映ったプラカは身を屈め、何かに呼びかけるような素振りを見せている。
と、いうことは、エンキドゥとは誰かの『名前』ということだ。
(だが、あれは・・・)
ネジーの思考回路は更に混乱を極める。
なにせ、プラカが話しかけていたのは自分のようなブリキですらなく、『泥の塊』だったからである。
対する泥は、当然というか反応を示さない。
泥とはいえ、神に名付けられておいて無反応とは無礼なやつだと、完全に忠誠心でトチ狂った怒りを泥に向けていると、プラカが悲しそうに目をふせた。
「エンキドゥ、わが友よ。いつまで私を待たせるつもりだい?どうすれば、私の前に現れてくれる?ああ、教えておくれ、教えておくれよ、エンキドゥ・・・・・・」
瞬間、無礼なのは自分だったと気付かされる。
『エンキドゥ』とは、我が造物主の友であらせられる御方のお名前だったのだ。
知らなかったとは言え、エンキドゥ『様』に場違いな怒りを向けた事を、ネジーは猛烈に後悔した。
しかし疑問は尽きない。
なぜ、神は物言わぬ泥を友と呼ぶのか?なぜ、エンキドゥ様は返事をなさらないのか?
その答えは、尚も語りかけることを止めないプラカによって明らかになる。
「このプラカ=デ・エスターニオ、一度目の生でお前に出会った時の事を忘れたことなど一度たりとも無い。『神の泥人形』たるお前が、人の世に降り立った後、ヤツの手に掛かって死んだと知った時は愕然としたけどね・・・」
なんという事か。ネジーは身を震わせ――ようとして出来なかったが、とにかく驚いた。
エンキドゥ様はこの世界に降り立った後、殺されたのだという。
ネジーは必死になって考える。この世界の生態系は、完全ではないにせよ、それなりに把握できているつもりである。神の御友人たるエンキドゥ様が、その辺の野生動物に襲われて死ぬなどありえない。
ならば、可能性は一つ。
(――人間かッ!!)
またしてもモーターがカッと熱くなる。人間は熊などに比べれば力こそ弱いが、策を弄する厄介な生き物だ。
人間と対立したにせよ無差別に殺されたにせよ、何かしらの罠にかかり命を落とされたのだとしたら、これほど腹立たしいことはない。その報復をすべく、神はこの世に降り立ったのだろうか。ならば、己も助力せねばならない。
――だが、それにしても・・・なんとお可哀相な御方であろうか。
『一度目の生』、確かにこの御方はそうおっしゃった。何かしらなさる時に度々呟かれる、「こういう時、前世の方が良いと思ってしまうな・・・」という言葉が裏付けとなって、ネジーは「プラカは一度人の世で死んで、もう一度生まれ直した」のだという結論にたどり着いた。
とりあえずこう言っておこう。
惜しい!そして訂正できる者が居ないのがもっと惜しい!・・・と。
そして勘違いを加速させたネジーは思う。
この御方は、ご自分が生まれ直したのならば、先に死した友も生まれ直したに違いないと、きっと喜んだのだろう。
しかし、どこを探しても見つからず、最後の望みとばかりに再び神の国からこの世界に降り立ったのだ。
そうまでしたのに見つかったのは、目の前のエンキドゥ様のご遺体――と、勝手にネジーがそう思っているただの泥――のみ。
これを悲しまずにいられるだろうか。
「ああ。神の泥人形であり、神の兵器であるお前が死んだとあって、当然私は肩を落としたとも。だが、こうは取れまいか?」
暫く沈黙していたプラカは、おもむろにエンキドゥの残滓と化した泥をこねながら不敵な笑みを浮かべた。
「そも、死んだと思うから後ろ向きになっていけないのさ。『壊れた』のだと思えばいいのだよ。そもそも、一度常人ならざる力を持つ者によってお前は作られたのだ。・・・そうすればネジーのように・・・きっと、私にだって、作れる。」
ネジーははっとする。
完全に盲点だった。
そもそもエンキドゥ様は泥人形。
ブリキだろうが木製だろうが、人形とは長年稼働し続け、磨り減って動作を停止しても、関節部分が外れてバラバラになっても、素材や『核』が無事ならばどうとでもなる『物』なのだ。
ネジーは感激した。この御方は、友との再会を諦めてはいない。
復讐の炎に身を焦がすことを良しとせず、そんな暇があるならばと、友の復活を実現させる事を優先したのだ。
なんと美しき精神だろうか。なんと素晴らしい御方なのだろうか!
「せっかくこんな世界に来たんだ。せっかく『二度目で』この力を手に入れたんだ。何が何でも、エンキドゥ・・・お前は私の手で作り出してみせるからな!」
決意に満ちた気高き姿に、出るはずのない涙がこぼれた気がした。