No.4・深夜問答
ナットリューの膨張表現を正せぬまま、ネジーが焼きたてのパンと南瓜スープを持って来たのをきっかけに話を切り上げた2人は、軽食を済ませた後、ホールから見て右側の通路の先にある神殿傍に作られた大浴場に湯浴みへと向かった。
無駄に広い脱衣所にて、プラカが何のためらいもなく服を脱ぎ始めてぎょっとしたが、平坦な胸板を見たシャルルは――すぐさま視線を逸らしはしたが――やっとプラカが男性だとわかった。
しかし、その理解の過程で色々気力を使い果たした気がする。
白磁の肌と湯に濡れた黒髪が目の毒だのなんだのと悶々として、結局のところ全く疲れが取れなったシャルルは、借り物の寝巻き姿という、先程までの王子としての華やかさをかなぐり捨てた格好で、大浴場と併設された客人用の寝室に案内された。
ちなみにこの客室、プラカがノリで作ったはいいが今まで出番が無かったので、シャルルが何気に初めての使用者であったりするのだが、そんなおニューの客室でベッドに腰掛け、窓から見える月をぼんやりと眺めるシャルルの表情は硬い。
(流石にすぐ返事はしてくれなかったな・・・)
早い話、王国の危機に助力してくれないか、という申し出に、プラカがすぐ返事をくれなかったのである。
別にそれはいいのだ。プラカが神話の神であるにしろ人間にしろ、指導者たるもの決断が早い事に越したことはないが、得ている情報が少なすぎる時に即答するのは早計なのだから。
(そもそも協力関係になったとして、彼と上手くやっていけるだろうか)
まず不安なのはそこである。
王宮に招けば、彼の美しさに目をつけた貴族や家臣連中が黙っていまい。ただでさえ王宮に族が侵入したということで、「バグノアの騎士団はたるんでいる」などと貴族連中からは陰口を叩かれたり、王族達に安息の地が無くなったりと、バグノア王家は崖っぷちに立たされているのだ。
こう言っては失礼だが、異端者である彼の身を保証しきれないのがバグノア王家の現状であった。
「シャルル王子。今、よろしいか?」
「・・・ネジー、殿?」
不安に項垂れるシャルルの耳に、騎士が鎧越しに喋っているような、若干エコーがかかった声が聞こえてくる。
音源であるドアを開けると、そこには自称神の左腕――ゴンドラに乗っている時にそう自己紹介してきた――が浮いていた。
「なにかあったのですか?」
「いや、なに。神のお部屋での出来事は娘から・・・おっと失礼、ナットリューから報告を受けておりましてな。その事でお話をさせていただきたく参った次第。」
「はあ。・・・・・・娘ェ!?」
ああ、あの事か。特に進展は無かったんだがな・・・と思いながらネジーを部屋に招き入れたところで、シャルルはこの球体がとんでもないことを宣ったのを思い出して絶叫した。
ナットリューは人間と見た目的な違いが一切ない。シャルルとて、彼女に出会ったのがブリキの巣窟ではなく王都であったなら、どこぞの貴族に召抱えられている美しい20代女性にしか見えなかっただろう。
一方ネジーの見た目は完全にザ・ブリキである。
そんな球体が彼女を『娘』と言ったのだ。そりゃあ驚くに決まっている。
「ええ、娘ですとも。ナットリューは私のデータを元に作られていますからな。私や上の娘と違い、戦闘こそ得意ではありませぬが、情報収集要員としては優秀ですし、長き時を費やしてまで神がお作りになられたのです。自慢の娘です。」
「そ、そうですか・・・」
「でーた」というものが何なのかは分からないが、とにかくナットリューがネジーの娘だというのは本当の話らしい。
こうなってくると長女がどんなブリキなのか気になる所だが、ただでさえ虫やらプロペラで飛ぶ球体やら、見た目にインパクトのあるブリキにしか会っていないので、戦闘要員というだけでも少し会うのが恐ろしい。というか出来れば会いたくない。
「そういえば、その・・・なぜ敬語なのです?」
衝撃は抜けきれないが、ネジーの家族構成についてこれ以上話しても不毛な気がしたので、とりあえずシャルルは目先の疑問の解消に努めることにした。
「・・・我らが神に危害を加える気はなさそうでありますし、何よりお客人に無礼を働くのは、エスターニオ様の顔に泥を塗る所業ですからな。」
質問を受けたネジーはというと、少々不服そうにしながらもきっぱりと言い放った。
武装していたシャルルを主人に近づかせるのは、いくら戦力が上だとしても不安があっただろうに。やはりこのブリキ、忠誠心の塊である。
「しかし・・・今更敬語で話しかけられても変な感じがしますし、普段通りに振舞ってください。エスターニオ殿に厳命されているならば話は別ですが・・・」
「・・・・・・いや、命は受けておらぬ。では、いつものように振舞わせていただこう。」
ああ、そうそう。これこれ。
出会って数時間程度なのに、既に当初のネジーの態度に安心感を覚えているシャルルであった。
・・・一方その頃、プラカは自室の窓から見える町並みを眺めていた。
ギリシャのサントリーニ島にあるような、混じりけのない白と青を基調とした街を表現したくて、自身の住居兼神殿の建設と共に、大工として作ったブリキ達にオーダーを出したのは――かれこれ10年前。
プラカがブリキの神になって1年後のことである。
本家には流石に劣るが、今のブリキヶ丘の町並みはなかなか素晴らしい。
棚田のように段々と整えられた、投棄されていた金属類をリサイクルで継ぎ合わせた複雑な通路に乗っかるように軒を連ねる家々の様は圧巻。
およそ10年かけて建設を繰り返したとはいえ、元ががらくたの山だっただけに自然的な美しさは無いものの、これはこれで趣深く、何よりわかる人にはわかるであろうが、『スチームパンク風の町並み』が格好良くてたまらない。
プラカは、こうして時々ブリキヶ丘の頂上から自身の好みがダイレクトに出た町を眺めては、「ここまで苦労の連続だったなあ」と呟くのであった。
一通り町並み観賞を楽しんだ後、ベッドに身を投げ出したプラカは考える。
『九つの陣』はブリキヶ丘に作られたユートピアの存在に気づいていないだろう。
軽食の後にシャルルにそれとなく聞いてみたが、この町の存在をを認知しているのは王とシャルル、直接見ていないが、「ブリキヶ丘に何かがある」と認識しているのは騎士団長だけだという。
鵜呑みにするのは危ないが、信じようが信じまいが、どちらにせよ事態は非常にまずい。
王都から近い分、ここが『九つの陣』に知られるのも時間の問題だからである。
その前に王家と協力し、出来ればさっさと潰しておきたいが、相手の戦力がわからない以上迂闊な行動は厳禁だ。
なにせプラカは――『魔術』が使えるだけの、ひ弱な人間なのだから。
・・・そもそも、ネジーを含めたこの町で稼働するブリキ達の元は、ブリキヶ丘に投棄されていた兵器だ。
前世の知識を総動員して作り出したとはいえ、所詮はリサイクル品。元の製作者であった錬金技師が凄いだけであって、プラカはそこに『改造』のようなものを加えただけにすぎない。
いくら人生2回目だからといっても、前世でできないことはできないのだ。しかしプラカは実に幸運な事に、「『魔術』を行使できるというオプション」が付与された。実際のところ、プラカが胸を張って「凄いだろう」と自慢できるのはそれだけ。
例えるなら、プラカは『レベルは低いが装備が凄いのでなかなか倒れない周回要素込みのゲームキャラ』みたいなもんである。
「あー・・・ダメだ、全然いい案が浮かばないや。」
眠さも手伝って、思考を早々に放棄したプラカは布団を被る。
(この寒い冬をどう乗り切るかで忙しいってのに、面倒なことしやがって・・・)
まだ見ぬ仮想敵『九つの陣』に悪態を付くと、プラカはゆっくりと目を閉じた。
「――という訳なのです。」
「なるほど。不敬極まりない発想だが・・・地下組織にとって、このブリキヶ丘は絶好の根城となるからこそ王の目が向いたという事か。」
プラカが寝入った頃、シャルルとネジーは、なぜ王がここの存在に気づいたのか、なぜシャルルがここへ来たのかについて話していた。
そもそもここが知られたのは、こういう人が近寄らない場所に『九つの陣』が基地を作っているのではと疑った王が、病体に鞭打ち、『物見の鏡』という「国中のあらゆる場所を見る事が出来る鏡」を使ったのがきっかけである。
そして、王は見たのだろう。白と青の町並みを。
王は最初こそ本当に『九つの陣』の基地かと警戒していたようだったが、見ていくうちに顔を青くし、おもむろに鏡を放ると、傍に控えていた騎士団長とシャルルに「ブリキヶ丘に『九つの陣』はおらぬ」とだけ言って寝室から追い出した。
しかもその後『物見の鏡』を宝物殿の最奥に封じるとまで公言したものだから、あっけに取られた王子と騎士団長は顔を見合わせたものだ。
それから数日。騎士団長は立場故に忙しく、疑問を解消する余裕など無かったようだが、シャルルは違った。
暗雲が立ち込める王国を案じ、とにかく打開策が欲しかったシャルルは、毎日王の元に通っては、鏡で何を見たのかを問いただし続けた。
流石に病で床に伏せ、既に精神が摩耗している上で毎日来られては心も折れる。
えげつないが確実な方法で、シャルルは王が何を見たのかを聞き出す事に成功したのだ。
「――その時、父は言ったのです。「町があった。見たことも聞いたこともない建築様式で、限られた敷地に適応した合理的な家が大量に。・・・少なくとも余の知る限りでは、10年前にあんなものは無かったはずだ」、と・・・」
余りの突拍子のなさに、シャルルは我が父は幻覚でも見たのではないかとさえ思ったが、『物見の鏡』は『万能の鍵』と同じ国宝級の遺産だ。
国内ならば、どんな場所でもリアルタイムで見ることが出来るとあって、大陸戦争では大活躍した代物に、映し間違いなどあるはずがない。
ちなみにだが、「その頃、ブリキヶ丘にはすでに町があったのでは?」という疑問も湧くだろうから、先に解消しておく。
思い出して欲しい。
プラカが町を作ろうと思い立ったのは11年前と言った。
しかしそれはあくまで、「思い立ったのが11年前だった」だけである。
何より、プラカは自身の住居であるエスターニオ神殿の建設を優先したので、その当時町など存在しなかったのだ。
プラカにとっては運が良い事に、王家にとっては不運なことに。完全に入れ違いの形になったわけである。
「だからこそ、そのような技術力と行動力のあるお人が力になってくれたら、どれだけ助かるだろうかと――父も僕もそう思って・・・。父には、逆に我らの脅威となるやもしれぬから行くなと言われたけれど、皆には内緒で、このブリキヶ丘の代表者に交渉しにここまで来たのです。」
シャルルは、音が出そうなほど強く拳を握りしめた。
ネジ―を見つめる瞳も――現にブリキヶ丘に住まう神とやらに出会った事が大きいのだろう――部屋の光源たるランタンの光を反射しているのも原因の一つだが、きらきらと希望に満ち溢れたものに見える。
「・・・水を差すようで悪いのだがな、王子よ。・・・かの御方のご慈悲に、過度な期待をかけるな。・・・お前が、辛くなるだけだ。」
――しかし、静かにそれを見つめるネジーのレンズは、全く光を反射していなかった。