No.3・王都での事件
さて、バグノア王国の歴史やプラカの昔話はここで一旦区切るとして、現在プラカの目の前には、きょろきょろと落ち着きなく辺りを見渡す王子が居る。
――まず、ここがどこかと言うと、神殿のホールの奥。プラカの私室へと続く廊下である。
ネジーはシャルルを部屋へ案内しようとするプラカに難色を示したが、「温かい茶が飲みたい」とプラカが言った途端に、不満は何処へやら、きびきびと準備に取りかかるために引っ込んでいった。
シャルルは敵意を向けてきたネジーに対し多少の恐れはあったが、自由人そうなプラカに振り回されているのはいっそ微笑ましいと思いなおす。何より王宮育ちのシャルルは、所謂忠臣という者を嫌というほど見てきたので、ネジーの忠誠心に一切の曇りが無いことは直ぐに解ったし、そのあり方に感心した。
そしてネジーと入れ替わるように、神殿入口付近に控えていた漆黒のメイド服を着た茶髪の女性が歩み出て、優雅に一礼する。
「お初にお目にかかります、シャルル=レファーノ・バグノア殿下。私、エスターニオ様のお世話を任されております者が一機、名をナットリュー・スタンガータと申します。なんなりとお申し付けくださいませ。」
ロングスカートタイプのオーソドックスなメイド服であるにも関わらず、光の加減で浮き出る細かい刺繍や、エプロンの上質で優美なレースはまるで上流階級の子女が纏うドレスのようだと舌を巻く。
礼をしてからたっぷり3秒。顔を上げたナットリューに、シャルルは息を呑んだ。
パチリとした大きな目は透き通る空の色。
目を縁取る睫毛も、後れ毛が見当たらぬほどにきちりと夜会巻きにされた髪も、スプーンから糸を引く濃密な蜂蜜のように一本一本が細く、美しいハニーブラウンであった。
小さな顔はお世辞にも血色が良いとは言えないくらいには白いが、それがまた魅力なのだろう。無表情すら彼女を飾り立てる要素でしかない。
「これは、ご丁寧な挨拶を・・・感謝する。」
――呑まれていた。
ぎこちなくなってしまったが、なんとか返事を返したシャルルとて、ナットリューと並んでも遜色ない美男子である。なんならシャルルの母である第一王妃もかなりの美女だが、自身を「一人」ではなく「一機」と言ったことから推測するに、彼女は人間ではない。
基本的に「人間とその他動物」というカテゴライズしか存在しないこの世で、人外の美女というのは初めてだ。思わず喉が鳴るのも無理からぬ事であろう。
ナットリューはシャルルの返しに気を良くするでも悪くするでもなく軽く頭を下げると、くるりと振り返った。
「感謝する、など・・・勿体無きお言葉にございます。・・・先導致しますので、どうぞこちらへ。」
ホットカーペットが途切れた先、神殿に入ってすぐのホールには3つ通路があり、その入口には室内履き――つまりスリッパが置いてある。主人と客人が履くのを確認すると、ナットリューは真ん中の通路を歩き出した。暫く様々な工芸品と思しきものや絵画が飾られた、ホールと同様のホットカーペットが引かれた廊下を歩いていると、行き止まりにぽつりと一つドアが見える。
「ああ・・・ここ、私様の私室だよ」
「私室!?」
ナットリューがドアノブに手をかけたので、目的地がここなのは分かった。しかし、ここはなんの部屋だろうかと思案していると、シャルルの後ろからついて来ていたエスターニオが事も無げにそう言ったではないか。
シャルルは思わず振り返った上で仰け反る。
王族、それも次期後継者であるシャルルからすれば、いくら王子とてアポ無しで来た者をコミュニティのトップの私室に入れるなどありえない。
(・・・どうとでもなるんだ。僕が何をしようとも。)
ごくり、とシャルルは唾を飲み込む。
何より恐ろしいのは、剣を取り上げられていないことだ。
そもそもシャルルは神殿に入ってすぐ、球体――ネジーから武装解除を言い渡された。仕込み武器や毒を入れているかもしれないから、と装飾品類も全て。それはまあ仕方なし、と若干不安はあったものの素直に外そうとすれば、トップであるエスターニオから待ったがかかったのだ。
「まあまあ、いいじゃないか。正直ネジーで過剰戦力感あるんだし。」
――プラカからすれば、「これ以上王子刺激すんのはやめようぜ」的なシャルルに対するフォローのつもりだったのだが、ネジーを納得させるために戦力について言及したのがいけなかった。
シャルルには、「まあこっちの方が強いんだし、何かあっても万が一すらないよ」と言っているように聞こえたのだ。当然である。
「さ、どうぞ。散らかっているが寛いでくれたまえ」
そんな盛大なすれ違いが起こっているなど露知らず、プラカは「お前友人を家に上げでもしてんのか」と突っ込みたくなる気安さでシャルルを迎え入れる――が、気楽に言われたってガチガチに緊張するに決まっている。
実際、シャルルは声には出さなかったが「いや、そんなこと言われたって・・・」と思った。
そんな当たり前の感想を胸にシャルルが踏み入った部屋は、ベッドと机が壁伝いに置かれ、それ以外の壁を本棚が占領しているせいで、少し狭い印象を受けた。
窓は明り取り程度の小さいものが天井に一つと、カーテン付きの普通サイズのものが机の前の壁に一つ。
本棚には膨大な量の書物が押し込められ、『神の私室』と言うよりは、『研究所』と言われた方がしっくりくる様子である。
プラカは机に備え付けられている椅子を引くと、部屋の隅に置いてある椅子とテーブルを指し、「掛けたまえ」と言ったまま動かない。
相変わらず尊大な態度だが、何げに客人より先に座らないのだなと感心し、言われるままに腰掛けたシャルルは、テーブル越しに腰掛けるプラカを見やる。
改めて見ると本当に美しい。
卓上のランタンのオレンジ色の炎と、窓から漏れる月明かりの柔らかな白銀の光が、長い黒髪に天の川の如き輝きを与え、プラカをより一層美しく魅せていた。
「エスターニオ、殿。」
「なんだい?」
性別が分からないが一応「殿」をつけて呼んでみると、特に咎める素振りもなく普通に返事が返ってくる。しかし呼んでみたはいいものの、何を話すか考えていなかった。
温かい室内にも関わらず、緊張で指先が震える。まるで恋する娘のようだ。
「王子、ここへは何の御用で?」
もじもじするシャルルを見かねてか、先に話を切り出したのはプラカであった。
夜空を彷彿とさせる瞳でじっと見つめられ、先ほどから心臓がうるさい。だがシャルルとて、国民の上に立つ者。終始しどろもどろになるようなヘマをするわけにもいかない、と言い聞かせ、無理やり口を動かした。
「・・・その事なんだが、エスターニオ殿。あなたのその不思議な錬金技術、是非とも我が国で振るっていただきたいのです」
プラカが片眉を跳ね上げる。
錬金技師の悲劇的な末路について、知らない者は幼い子供くらいだ。
シャルルも、彼がそれを知っていて当然であると思っていたので、「錬金技師の真似事をしてほしい」なんて言われれば「使い潰されて死ねと言っているのか」と怒って当然であり、最悪怒鳴られるか手を上げられても文句は言えないため、この反応は予想よりかなり小さかったと言える。
しかし皆さん。どうか忘れないでいただきたいのだが、話を聞いて片眉を跳ね上げた『だけ』しかしなかったこのプラカという男・・・平和な時代の日本で生まれ育ち、事件と無縁な人生だったせいで、大陸の歴史を知った際にも『過去の出来事』と思ってしまい、イマイチ実感が湧かないだけだったのだ。
断じて余裕たっぷりに構えているわけではない。
「詳しく聞かせてもらっても?」
「ええ。実は父上が・・・王が、数週間前の話なのですが体調を崩し、つい最近床に伏せてしまいまして・・・それと同時に、『九つの陣』による王族暗殺未遂が起こりました。」
「・・・九つの陣・・・暗殺・・・」
顎に手を当てて小さく呟いたプラカは、聞いたこともない組織名と王族暗殺未遂というとんでもない事件があったという事実に、早速ついていけなくなってしまっていた。
概要を王子に説明してもらいたいが、王子はさっきから口を噤んでいる。
(うわっ・・・これ、私様が口を挟んだから続きを待っているパターンだ、絶対そうだ。え・・・どうしよう、素直に「なんだそれは」って聞くか?いや、でも、こんな上から目線の『神』とか呼ばれいてるヤツが無知とか論外だよな・・・)
いや素直に聞けよ、「聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥」って言葉知らんのか。・・・と思うかもしれないが、実はこの男、ブリキ達の神となってかれこれ11年目で、その分ブリキ達に舐められないよう神として振舞っていたために、何事にも尊大な態度で挑まねば、という認識が抜けきれないのだ。
「私様」という妙な一人称もそのせいであり、内心「これ、後々黒歴史になるんだろうなあ」と思いながらも、前世でも今世でも微妙に中二病を患っているプラカは、ちょっとこの状況を楽しんでいた。
ええカッコしいのどうしようもない阿呆である。
ともかく微妙な空気が部屋を支配していると、控えめなノック音が響く。プラカがナイスタイミング!とばかりに「入りたまえ」と言うと、プラカの傍に控えていたナットリューがドアを開け、「失礼致します」と機械的なテノールを響かせながらネジーが茶器を乗せたカートを押して入室してきた。
「なあナットリュー、今の話をどう思う?おまえの意見を聞きたい。」
2人分のティーカップをテーブルに置き、茶を淹れるナットリューに尋ねてみる。
もしかしたら『偵察用に作った』のだからワンチャンあるかも。という期待を込めて。
「はっ。あくまで事実ではなく私の愚考ではございますが、それでよろしければお伝えしたく存じます。」
「いいとも。そういう意見を聞くために、賢く作ったのは他でもない私様だしね。」
頭を下げるナットリューに内心ガッツポーズをする。後は自然に話を振れば完璧だ。
「偵察用のブリキに事欠くことはないが、一番外に出ているのはおまえだ。おまえほど外に関して的確な意見を言える者も居なかろうよ。」
「おお、神よ・・・身に余る光栄にございます。」
人間と違い、口をそれっぽく開閉する機能しか付いていないので常に無表情ではあるが、その分全身で感激をあらわにするナットリューに若干引きつつ、プラカはティーカップに注がれた茶に口を付けた。・・・正確には、ティーカップに注がれた『緑茶』に、である。
何とかなったな、流石私様だ。とあほくさい自画自賛するプラカを尻目に、シャルルはナットリューが淹れた薄緑の液体を見て盛大に困惑していた。
それもそのはず。シャルルを含めたバグノア国民にとって茶とは紅茶の事であり、間違っても緑色ではないからだ。
しかし、紅茶も緑茶も烏龍茶も元の茶葉は同じで、焙煎や乾燥の処理で違いが出ているだけなのである。特に紅茶以外に茶というモノがハーブティーくらいしかない大陸民のシャルルからすれば、例えそう説明されても「製造途中で淹れるって気が早すぎないか?」と思うだけだろう。
何食わぬ顔で茶?・・・を啜るプラカを見る限り変な物では無いことは明白だが、いまいち美味そうには見えない。
しかし長時間の移動で喉はカラカラで、体も冷え切っている。得体はしれないが水分を欲している身体は正直で、ごくりと喉を鳴らした後、恐る恐る一口含んでみた。
「!…おいしい」
いい意味で、紅茶とは全く違う。香ばしい渋みが口いっぱいに広がり、しかし後味はふわりと優しい甘さ。
これが神の飲む茶なのか。思わずといったふうに呟いたシャルルは、はたと顔を上げる。今まさに話始めようとしていたのだろう、口が半開きになったナットリューと、元々少しつり上がっている目を見開いたプラカがこちらを見ていた。
完全に話の腰を折ってしまっている。
「も、申し訳ない!」
みっともなさに真っ赤になって謝罪すると、プラカはにやりと口角を釣り上げ、ナットリューからは「それは良うございました」と明るい声で返される。
ますます顔を赤くしたシャルルが、続きをどうぞ。と縮こまると、では、と一礼してからナットリューはプラカに向き直った。
「まずわたくしが『九つの陣』について小耳にはさんだのは、王都バグノーアでの情報収集命令をお父様より言いつかっていた日・・・丁度3日前のことです。どうも、王家に不満を持った者共が結成したクーデター集団であるとか。警備が厳しい王宮に侵入できた時点で、隠密行動に長けた手練が居るものと思われます。」
「へえ、ナットリューも3日前まで知らなかったのか。ぽっと出の奴らにそんな大層な事が出来るとも思えないし、もしかしなくともかなり危ない組織かい?」
声色こそ平坦だが、プラカの警戒心ゲージは一気にMAXになる。
王都バグノーアはブリキヶ丘から一番近い街なのだ。そんな所に過激派組織が潜伏しているなど笑えない。冷や汗大量生産待った無しである。
「とは言え、隠密が上手かろうが所詮人間です。お姉さまの広範囲サーモグラフィー探知の前では無意味ですし、ましてエスターニオ様の相手も務まるかどうか・・・」
「ちょっ・・・」
「ま、待っていただきたい!今回ここを訪ねたのは、父上が『九つの陣』に対抗できるほどの技術者がブリキヶ丘に居ると仰っていたからなのです!」
「えっ」
断っておくが、プラカの筋力は『殺人人形兵器』として作られたナットリューの姉とは比べ物にならないほど弱い。完全に非力の部類に入る。
そして、これは詳しく語ると長くなるので端折るが――間違っても、プラカは錬金技師などの技術者ではない。そんな自分をキリングドールと同列・・・いや、それ以上の強さの持ち主のように語るナットリューに抗議しようとしたが、シャルルの爆弾発言に全神経を持って行かれた。
(・・・・・・何で私様の存在が国王にバレてんの?)
「・・・なぜ我らが神の存在を王が知っているのですか」
やあ、気が合うね。
自身が創った『人造人間』に対し、プラカは現実逃避めいた共感を抱いた。