No.18・ドロワナー神殿
――プラカがシャルルの部屋に突撃した翌日。ぱたぱたと王宮内の廊下を小走りで渡る音が、そこかしこで響いていた。
これも、全て客人――いや、知る人ぞ知る『客神』として迎えられたプラカにより、王の容態が回復し出し、更に王に毒を盛ったという犯人探しの手がかりができたからである。
今は王が倒れた日の前後に出入りした荷馬車の積荷記録を総ざらいしているところで、加えて今後搬入される積荷に厳重注意しなければならず、最高責任者代理のシャルルも朝から駆け回ったり書類整理したりと大忙しだ。
――そして数日後。
忙しい彼らに追い打ちをかけるように、円卓会議に出席した者だけが知っている、神官達に送った書状の返事も帰ってきた。
・・・予想していなかった返事が。
「――は?神官長から書状が来たって?」
「はい。こちら、代読させていただいても?」
「・・・お願いするよ」
ネジーの申し出にありがたく乗っかったプラカだが、実を言うと、この世界で17年生きてきたとは言え成熟した精神では『新しく覚える』という事が難しく、かしこまった文章をまだ読み解くことが出来ないから丸投げしただけなのである。要は、いきなり外国語を生活用語にしろと言われたようなもので、17年あったとはいえ半ば生きることに必死だったプラカには、時間が些か足りなかったのだ。
異世界に転生すると、こういう世知辛い問題に直面するから嫌なんだ、と内心でひとりごちるプラカを他所に、ネジーは朗々と書状を読み上げる。
――親愛なるバグノア王家の方々、王宮にお勤めされる皆々様。
我々ルドドゥ神殿の神官長が、客将プラカ=デ・エスターニオ殿との面談を受けることを承諾いたしました。
しかし、只今ルドドゥ神殿神官長ゴルドウは、病の療養のためバグノーア郊外の診療所に身を寄せており、王宮への参上が難しいというのが現状です。しかし、知らせを受けた神官長はエスターニオ殿との対談を強く望んでおられます。
そこで我々は、伝令役にも伝えてありますが、格式を考慮して診療所から最も近いドロワナー神殿での対談を提案させていただきました。これはあくまで提案でございますので、何か不都合がございましたら、日程と共にお書きくだされば考慮いたします。その他、ご不明な点がございましたら伝令役にお尋ねください。
「――だ、そうです。」
「へえ・・・」
プラカは、不可抗力とはいえ無茶な要求をした自分達に、よく色好い返事をしてくれたものだと感心した。
と言うのも、ルドドゥ神殿神官長が床に伏せているのは事実であり、療養の為に神殿を離れることを余儀なくされている事もまた事実だからだ。また、なぜドロワナー神殿を会議の場に指定したかだが、単純に診療所から一番近いのがドロワナー神殿だからである。そうなれば、こちらは書状の条件を飲まなければならないだろう。なんといっても、表向きには王家に送られた書状なのだ。返事を書くのは、当然シャルルになる。家臣らは、日時から場所までを向こうが指示する事に不満を見せていたようだが、父が床に伏せている青年に「無理してでもルドドゥ神殿に来い」というような文言を書いたらどうか――などと、口が裂けても言えやしなかった。
ルドドゥ神殿の『原初の泥』を一目見ておきたかった、と落胆するプラカであったが、こればかりはどうしようもないだろう。
「それにしても・・・ドロワナー神殿か。」
ぽつりと零すプラカに、ネジーは声をかけたりはしない。
プラカがなにかと思考に耽ることを、この忠臣は理解しているからだ。それを邪魔するのは無粋であると、ネジーを始めとした多くの忠臣達は思っている。
(ドロワナー神殿・・・あんまり調べる気にならなかったんだよなあ。・・・神器が一つも伝わっていないらしいし・・・)
・・・――ネジーの気遣いを無碍にするかの如く、いまいちやる気がないプラカを乗せて、がたごと揺れる馬車で小一時間。
バグノーア郊外から少し離れた、薄暗いものの所々に差す木漏れ日が美しい森の中、ネジーと護衛兵を数人連れ立って、入口やら壁やらをしっかり舗装した洞窟に――ドロワナー神殿の入口にたどり着いたプラカは、必死になって考えを巡らせていた。
(しかし、なんで神官長は文句の一つも寄こさなかったんだ?)
普通、誰とも知らぬ者から領分にずかずかと踏み入られるとなれば、あれこれ言葉を並べてでも面倒を回避したがるだろう。流石に言及されるだろうと身構えていたのもあって、拍子抜けだったといういか、なんとも言えないむずむずとした気持ちになってしまった。
とはいえ、どやされた時に備えて言い訳を考えていた身としては、素直に有難がるべきなのだろう。そうなってくると、最大限の譲歩をしてくれたゴルドウ神官長と、場を用意してくれたドロワナー神殿神官長には足を向けて眠れない。
――そんな事をぼんやり考えていると、御者がドロワナー神殿への到着を告げた。
「お待たせいたしました、エスターニオ様。ドロワナー神殿でございます。」
「ん、ああ・・・ご苦労様。」
言われるままにいそいそと馬車から降りたプラカは、凝り固まった体をほぐしながら、森の中にあるにも関わらず舗装が行き届いた道を歩く。
バグノーア郊外のドロワナー神殿は洞窟内に作ってある、とは聞いていたが、その大きな入口は純白の石を積み上げられた荘厳なもので、内開きの扉から漏れる松明の光が幻想的である。プラカからすればこの世界自体が異世界だが、見る者は大体「異世界に来たようだ」という感想がまず浮かび上がるだろう。
異世界に息づく文化に感心というか放心していると、その扉の奥から黄土色のローブと黒いローブを羽織った男達が歩いてきた。
先頭を歩く2人は、更にそのローブに上品な金の刺繍がしてある。十中八九、この2人がルドドゥ、ドロワナー両神官長だ。
黄土のローブの男、ルドドゥの神官長ゴルドウは、療養中と言われなくとも察するに余りある青い顔に、深く刻まれた皺が厳かな雰囲気を醸し出している老人である。
対して黒のローブの男、ドロワナーの神官長は、まだ若い男だ。30代手前にしか見えない彼は、猛禽類のような鋭い目でこちらを威圧してくるように見えるが、真意はわからない。
4、5歩離れた所で彼らは立ち止まると、ゆっくりと頭を下げる。そして奇怪な見目であるはずのネジーには目もくれず、プラカ『のみ』をじっと見つめると、代表者としてルドドゥの神官長が重々しく口を開いた。
「ようこそおいでくださいました。御足労をおかけして早々で申し訳ないのですが、まずは見てもらいたい物があるのです。」
神官長はそう言うや、答えを待たずに踵を返し、ドロワナーの神官長に支えられながら、ご老体に見合ったおぼつかない足取りで歩き出す。
ネジーは、その素っ気ない態度にむっとしながらも、何も言わずについて行く。プラカも何も言わずにネジーの後ろをゆったりと歩くが、内心では不安が燻っていた。書状では穏やかに受理してくれたが、本当は王家に強く物を言えなかっただけで、不満があったのだろうか。
・・・ありうる。
しかし、見せたい物とはなんだろうか、と思考を無理やり切り替えた。ここはドロワナー神殿だから『原初の泥』ではないだろうし――と、調べた神話の中でそれっぽい神器とかあったろうかと思い返してみるが、そもそも、わざわざここに持ってくる意味合いが分からない。
・・・闇の神ドロワナー。
その神が『夜や影』といった概念を作り出したとされ、多くの人――特に一年を通して気温が高い国の人々より信仰されている。
一般的に影だとか闇だとかは恐怖の対象になりやすいが、砂漠地帯などに住む者達からすればむしろ逆。影というのは、照りつける太陽から守ってくれる救済ポイントなのだ。それもあって、昔からお布施も沢山あったのだろう。いざ入ってみると、神殿の内装は神官らのローブと比例するくらい見事なものである。
しかし、この荘厳な神殿には――と、いうより、「全国のどのドロワナー神殿にも」神器が何一つ無いという。
戦乱のどさくさに紛れて持ち出されたとか、壊れたとかではなく、本当に最初から無いのだとか。
そんな事をふと思い出し、長い廊下をひたすら歩み続けると、もう最奥の部屋にたどり着いていたようで、神官らがドロワナーの像の前できちりと並んでいるのが見えた。因みにドロワナーは女性神なので、像はウエーブがかかったロングヘアの美しい女性を型取っている。
プラカがおっかなびっくりでネジーの前へ出ると、ドロワナーの神官長が両手で抱えねばならないほど大きな、闇色の地に金で飾りの縁どりが施された縦長い箱を眼前に掲げた。
そして、蝶番を神官の一人が外し、ゆっくりと開ける。
もしや、ドロワナーには隠されし神器があるのだろうか。
不用心に箱に近づくプラカにネジーが慌てて声をかけるが、本人は完全に興味本位で中を覗く。
「・・・ん?」
――そこにあったのは、ガラス製の『フラスコ』であった。
真っ赤なクッションの上に、特に飾り掘りがある訳でもない、ただの大きな丸底フラスコが置いてある。
なんじゃこりゃ。とプラカが思うよりも先に、突如としてプラカの姿がそこから掻き消えた。
「――・・・!?」
一瞬の出来事。
しかし、それに迅速に反応してみせたネジーは即座に踵を返し、後方で固まっている衛兵に「走れ!」と叫んでから、全速力で入口へと飛ぶ。
・・・直後、後ろから聞こえる怒声。
逃がすなだの何だのと聞こえる事で、こいつらは神に仇なす不敬者であるとネジーは確信した。
断っておくが、機械的なくぐもった音で舌打ちを響かせながら飛ぶネジーは、神官達から逃げている訳ではない。本当なら、あの不敬者共を皆殺しにしてプラカを救出したいが、プラカがどうなったのかの手掛かりが皆無な今は、「ルドドゥ、ドロワナー両神官勢力が反逆者である」という事実を王室に持ち帰らねばならない。ここで感情任せに特攻したとして、万が一ネジーが反逆者共の手に掛かり、事実を伝えられる者が居なくなったら、それこそ相手の思う壷。
要は戦略的撤退という訳だ。
ともかく、衛兵をとっくに追い越したネジーは、プロペラの稼働音が少ないという特性をここでも発揮し、まるでドローンの如く音も立てずに光射す出口へ――
「!!・・・扉が!」
――飛び出せ無かった。
石造りの扉はしっかり閉じられ、ベークライト――つまり『合成樹脂プラスチック』の腕の下に内蔵された、鋼鉄のアームを稼働させて押してみても、両脇の壁の松明の光を反射するばかり。ご丁寧に外からカンヌキを下ろしているようだ。パワー型とは言い難いネジーには、どう足掻いても開けられないだろう。
しかし、それは諦める材料になりえない。
ネジーは『機動性重視』のブリキなので、プラカの移動速度に合わせる必要が無くなった今は、人間の足とは比べ物にならない程の速さで飛べる。・・・ので、長い廊下を秒単位で渡りきったネジーは、後ろをちらりと振り返り、撤退する衛兵と武装した神官達の距離にまだ余裕がある事を確認すると、そういえば外に門番が居たなと思い出す。神殿に門番ぐらい居て当然だろうから、そこに注意が向かなかったのが悔やまれるが、もう過ぎた事だ。
――が、先程も言ったように、神の左腕たるネジーを舐めてもらっては困る。この程度の妨害を嘆き、泣き寝入りするなどありえない。
「・・・まだ門番は警戒のために近くに居るだろうが・・・ま、知ったことではないか。」
プラカを含めた誰も知らぬ事ではあるが、プラカより齎された『核』は、プラカが生きている限り無限にエネルギーが供給されるチートな代物である。
プラカが生き続ける限り、ブリキの歩みは、主への信仰は止まらないのだ。・・・つまり。
(少なくとも、エスターニオ様は生きておられる・・・)
ネジーを始めとしたブリキ達は、プラカの命と『核』が連動している事を知らずとも、どこかで「そうではないか」と思っていた。その共有感覚は最早本能に近いそれだが、ネジーは気を取り直して、両の手を前に突き出す。徐々に敵味方の足音が迫る中、ネジーはエネルギーを両手の平に集結させ――一気に解き放つ。
「なん、うわあああああ!?」
「ああぁぁああぁぁ目が、耳があ・・・!!」
「・・・げほっ、ごほ・・・なにが・・・これは一体・・・」
・・・少しやりすぎたかもしれない。
元々洞窟という事もあり、凄まじいまでの轟音と砂埃が廊下を駆け抜け、辺りを満たした弊害が早速出ている。味方の衛兵までのたうち回っている事に若干辟易したネジーは、ブリキであるが故にその砂埃をものともせず、粉々に破壊され、最早原型を留めていない扉をさっさとくぐり抜けた。
「・・・しっかりせよ。お前たちは神官共と違い、鎧を着ているのだ。この程度でへばってもらっては困る。」
・・・そう、味方の衛兵も居る中でためらいなくエネルギー砲を打ったのには理由がある。
ネジーが言った通り、バグノア王国騎士団から選りすぐられた衛兵達は、神の御前という事で武装こそしていないが、いざという時には肉弾戦もできるように、全身を鎧で固めていた。なんなら、兜の中は反響対策のために頭巾で顔以外を覆っている徹底ぶり。
・・・つまるところ、ネジーは「まあ神官らよりは少ない被害で済むだろう」というノリでエネルギー砲を放ったのである。パーツの換えが効くブリキならではの考え方だが、人間からすればたまったものではない。
しかし、不満を零すどころか、心の中でさえもネジーに反感を抱く者は、衛兵の中に誰一人として居なかった。皆、今回の会談がどれほど重要なものなのかを騎士団長たるアルストロから口酸っぱく言われていたし、何より衛兵という役割を果たすことができなかったのだ。反感だなんてとんでもない――誰もがそう言うだろう。アルストロとネジーが共同で選りすぐっただけはある彼らは、ぐらつく頭を強引に上にあげ、ネジーの後に続く。
神殿を出て、ふらつきつつも着いてくる衛兵を確認すると、ネジーは礫で抉れた跡もある地面を何の気なしに見てみる。すると、そう遠くない所で、門番が2人気絶しているのがレンズに映った。
一人は礫を浴びて血塗れになっており、一人は左腕があらぬ方向に曲がっているが、まあそんな事はどうでもいい。轟音と砂埃をもろで受けた神殿内の神官らは倒れ伏して痙攣しているが、まあそれもどうでも・・・いや、少しだけざまあみろと思う。
「私はこの通り飛べるので、先に王宮に戻らせてもらうぞ。馬車は無事のようだから、お前たちはそれで帰ってくるように。」
「はい。・・・ネジー様」
「なんだ。」
早く王宮に情報を持ち帰りたいネジーは若干苛立ち紛れに振り返るが、まだ年若い衛兵は、揺れる脳内のせいで焦点が合っていない目をしながらも、懸命にネジーを見据えて言い放つ。
「衛兵としてのお役目を果たせず、申し訳ございませんでした。・・・それから、どうか道中お気を付けください。」
「・・・言われるまでもない。くだらぬことで呼び止めるな」
ネジーはそう突き放して飛び去ったが、その声色は明らかに明るかった。
どう足掻いても、若者には父親属性が発生するというネジーの質に気付いたかはともかくとして、ネジーが自身を邪険にしていないと敏感に感じ取った若き衛兵は笑顔を浮かべる。それから、大分晴れてきた頭の中から馬車の場所を引っ張り出しつつ、まだぐらつく仲間に肩を貸して歩みを再開した。
・・・彼らはともかく、ネジーが向かうは王宮。
プラカを救出し、箱の中身を明らかにする為、この世で最速のブリキは空を切った。