No.17・動き出す異端達
仮眠を取り、すっきりとした頭で豪華な食事を頂く。
なんとも贅沢なひと時であるが、表面に香ばしい焼き色が付き、香草入りのスープで柔らかく煮込まれた肉を頬張るプラカの表情は固い。
別に毒が盛られてないかを心配しているのではない。試験薬での検査をクリアした食材を使い、切るところから盛り付けまでをナットリューに任せたそれを疑うだけ無駄というものだ。
問題は、アクシス2の報告内容。ヒ素なんて証拠が残りやすい毒をどうやって持ち込み、どうやって持ち去ったのかが全く解らないと報告されてから、それが気になって仕方がない。
仮眠前のいざこざも相まって、折角の美味しい食事も何だか味気ないどころか、心なしか塩っぱい気がする。
さて、口に押し込んでは噛んで飲み込みを繰り返し、何とか夕食を完食したプラカは、湯浴みのためナットリューを連れて浴場へと向かっていた。
後ろからは、世話役に任命された侍女が3人しずしずと付いて来る。侍女の同行をあっさり許可したネジーに「珍しい事もあるもんだなあ」と思っていたら、なんと人選はナットリューが行ったと言うのだから、その用意周到さに脱力してしまったものである。
因みに、3人とも既に恋人が居り、プラカに求婚した誰かさんのようにならない可能性が高い者である。本当に用意周到だ。
そして大浴場へと到着し、脱衣所から湯船を覗き込んだプラカは、へえ、と感嘆の声を上げた。
磨かれた石造りの立派な湯船の両脇には、バグノア王国の国旗にも使われている馬の彫刻が鎮座し、その足元には香り高い薔薇の花が散らしてある。よく見ると、洒落た事に湯にも薔薇の花弁が浮かんでおり、開けた大窓からは、バグノーアの夜景が一望できるときた。様式的には古代ローマなどで言うところのテルマエってやつである。
この通り、実に見事な大浴場であるが、元社畜リーマンのプラカには3割増くらい魅力的に映った。なにせ、前世では大学生になった途端に、多忙を理由にシャワーしか浴びる事が無くなったからだ。ブリキヶ丘の神殿に浴場を作らせるまで、湯にゆっくり浸かって足を伸ばす事が出来なかったプラカにとって、目の前の浴場は正しく桃源郷である。
ゆっくり浸かりたい。特に疲れている今日は、多少長湯したって罰は当たるまい。
長丁場になると確信したプラカは、脱衣所の入口で待機している侍女とナットリューに適当に世間話でもしていてくれと言い残し、後で畳んでくれるのをいい事に、乱雑に服を脱ぎ捨てて大浴場へと向かう。
大窓が開いているため冬の寒さが身に染みるが、慌てず騒がず。あらかじめ用意していた布で長い黒髪を纏め上げ、置いてあった手桶でかけ湯をしてからゆっくりと湯船に身を沈める。
「ああ・・・極楽・・・」
じんわりと全身を満たす幸福感に酔いしれつつ、大窓から夜空を見やる。薔薇の香りを孕んだ湯気越しに、真っ黒なカンバスに色とりどりのビーズを散りばめた様な美しさが目に飛び込んできた。前世ではネオンの影響でろくに見えなかった星だが、電気を使う者が一部のブリキ達しか居ないこの世界ではよく見える。特に今は空気が澄んでいる冬。ロケーションも星見のタイミングもばっちりだ。
・・・ああ、なんて贅沢なんだろうか!
「エスターニオ様、失礼いたします」
「!?」
高級ホテルで大浴場を貸し切っているような気分でいると、音もなく入ってきた侍女に背後から声をかけられたプラカは盛大にビビるが、幸い声は出さずに済んだ。
しかし、何故男湯同然のここに入ってきたんだ。女性だぞ君は。
プラカは無意識に両手で胸を庇ってしまいそうになるが、自身は前世も今世も男であるし、仮にも客将なのに侍女の前でみっともない真似などできない。歯を食いしばって全力で耐えた。
ここ最近で、プラカのメンタルは鋼に成長しつつある。
「・・・君、何故ここに?待機しろと言ったはずだが?」
「申し訳ございません。しかし、お背中くらいは流させてくださいませ。何もしないのでは、王家付きの侍女の面目が潰れてしまいます」
(うーん・・・それもそうか。)
確かに仕事を取るのは不味いかと、プラカは仕方なく布を腰に巻いて湯船から上がり、侍女に染み一つ無い背を向ける。緊張した面持ちだった侍女は、ほっとした様子で近寄ってくると、香料を含ませた布で、垢擦りの容量でごしごしとプラカの背を綺麗にしていく。やはり慣れているのか、なかなか気持ちがいい。
・・・が。湯周りに居るからか、元々丈の短めな服を着ている侍女に背中を流して貰っているというこの状況。メンタルは多少硬くなっても、精神年齢はオッサンなプラカは落ち着かない。というか、沈黙が痛い。
そんな中身40過ぎの美青年は、気を紛らわすためにも、何か話をしようと考えを巡らす。
「・・・ところで、ナットリューとは何か話をしたのかい?彼女は口下手ではないはずだが」
「はい。その・・・失礼とは存じますが、始めは少し気難しい方かと思っていたのです。しかし、話始めて考えが変わりました。ナットリュー様は博識でいらっしゃいますね。とても会話が弾みましたわ。」
「そうかい、それは良かった。因みに、何の話を?」
「え、ああ、ええと・・・」
会話が途切れないよう、何の話をしたかまで突っ込んだ所で、侍女が言い澱む。
何か不味い事でも言ったろうかと内心焦りながら首を傾げると、プラカが訝しんでいると思ったのか、侍女が慌てて捲し立てた。
「その、隠し事がある訳ではないのです。・・・お恥ずかしい話ですが、不出来な使用人の愚痴をしていまして・・・」
「はは・・・そうだったのかい。まあ、こんな職場だ。たまには愚痴くらい言いたくもなるだろう。因みに、その使用人とやらは何をやらかしたんだい?」
「ふふ、ありがとうございます。ところで、その使用人というのは王宮庭師なのですが、この間、花壇の――確か、スノードロップを全て枯らしてしまいまして・・・」
「・・・ん?スノードロップを?」
プラカは今度こそ眉根を寄せて訝しむ。
というのも、この世界の植物事情は、プラカの知る限りでは前世と変わりはほとんど無かったはずなのだ。
その中の一つが、冬に咲く白い花――スノードロップ。
だが、しかし――
(確かスノードロップって、そうそう枯れる事は無いはずだけど・・・)
そう。スノードロップは寒さに強く、栄養を持っていく雑草が生えない冬に咲く分、手入れが楽でガーデニング初心者にもお勧めな花だ。スノードロップは前世のプラカの実家の庭にも生えており、実際にしんしんと雪が降り積もる中でしっかり咲いていたので、その花の概要だけはよく覚えていた。
・・・だからこそおかしい。王宮勤めの庭師が、放っておいても環境さえ整っていれば自生できる花を枯らすなんて、職務怠慢を通り越しているのだが。
そんなプラカの内心を知らず、侍女は手桶で湯を汲み、プラカの背にかけてやりながら話し続ける。
「可哀想なほど、すっかり萎れてしまっていて・・・でも、本人はちゃんと水やりもしていたって言い張るのですよ。白々しいですよね。」
「・・・他の花は?」
苦笑する侍女の言葉に、プラカは鋭い切り返しをする。
これは・・・もしかしたら、もしかするかもしれないぞ、と。
「え?」
「他の花は無事だったのか?」
「は、はい・・・」
至近距離で突然振り向いたプラカの双眸に捕えられ、侍女はほんのりと頬を赤らめる・・・が、プラカにとってそんな事はどうでも良かった。
「水は?」
「え?水、ですか?」
「そのスノードロップに撒いた水は、どうしているんだ?」
振り返り、がっつくように質問を重ねる様子に気圧されながらも、ほんのり色付いて薄桃色になった肌に濡れた体という目の毒な状態であるにも関わらず、きちんとプラカと目を合わせて返答をするあたり、この侍女は洗礼されている。
ナットリューが選りすぐっただけはある、という訳だ。
「撒いている水は、確か寒さで直ぐに冷えて凍るので、お風呂の残り湯を使っていたと思い、ます・・・」
「――スノードロップが枯れた日の前後に、王の容態が悪くなったのではないか?」
「え?・・・ええと、時期的にそうだったと思いますが・・・何故お分かりに・・・?」
点と点が線で繋がるとは正にこの事だ、とプラカは興奮する己を抑えられなかった。
・・・同時に、コーネリウス王毒殺未遂の真相に気づいた事による焦燥感も抑えることができず、その心のままに行動する。
「やはりか!くそッ!!」
「あ、エスターニオ様!?」
プラカはそう吐き捨てるや、濡れた大浴場内を危なげなく走り抜け、籠に入れていた着替えを引っ掴み、布を腰に巻いたまま脱衣場を飛び出した。
ナットリューの驚いた顔と侍女達の黄色い声、肌を刺す寒さをものともせず、一直線に自室がある方角へと駆け出す。向かいから見回りをしているアルストロが歩いて来て、水も滴る良い美神を見るなり叫び声を上げたが、そんな事はどうでもいいとばかりに走る。
しかし、プラカはアルストロに目もくれない。今は黒歴史になりそうだの何だのと言っていられないのだ。
「ううわあぁぁッ!えええ、エスターニオ様!?ふふふ服を着てくだささささ!?」
「ええい貴様には用は無い!王子はどこだ!」
「王子ですか?この時間帯ならば、自らのお部屋に居ると思いますが・・・」
真っ赤になった顔を覆いつつ、指の間からプラカを盗み見ているアルストロであるが、返答はしっかりしている。何故バグノアの者達は、返答だけは洗礼されているのだろうか。
「あいわかった。・・・ナットリュー、早く来い!事態は急を要するぞ!」
「それよりもエスターニオ様!服を!服を着てください!!」
「そう言いながらエスターニオ様から目線を外さない貴方も貴方ですよ、騎士団長殿!」
プラカからは死角となっているため見えていないが、プラカの艶かしい姿に釘付けになっていたアルストロに、プラカを追いかけてきたナットリューの鉄拳制裁が下る。・・・と言っても、ナットリューが本気で殴ったら頭が割れる可能性があるので、比較的軽く、ではあるが。
そんなこんなでアルストロを殴り抜けてプラカの後ろを走るナットリューは、ブリキ故に息を乱す様子も無く、前を走る主神に声をかける。
「エスターニオ様、いかがなされたのですか!?お風邪を召されてしまいますよ!」
「分かっている!だがそれどころじゃあない!アクシス2と王子に確認しなければならない事があるんだ!」
「・・・なんですって、お2人に、ですか!?」
王国騎士団長としては、王子に用があると言われれば当然黙っていられない。ナットリューに不意打ちで殴られた箇所を涙目で押さえつつ、アルストロは慌ててプラカを追った。
がしゃがしゃと鎧を鳴らしつつ追うアルストロと、足音を立てずに走るナットリュー。どちらがブリキか分かったものではないが、生憎と突っ込む者は皆無であった。
「ナットリュー、お前も聞いたろう?スノードロップの件だ。あれは枯らす方が難しいレベルの強い花!・・・だったら、何故枯れたのか!何が枯れる原因だったのか!今まで誰も分からなかったそれが、今分かったんだッ!」
「原因・・・?庭師の怠慢ではなく、ですか?」
「いいや。庭師はきちんと水やりをしていたと言っていた。・・・正確には、毒入りの水をやってしまった・・・かな?」
「毒・・・まさか、ヒ素入の水!?」
途中からプラカに並走しつつ、彼の体や髪を濡らす水を拭き取っていたナットリューは驚きの声を上げた。
無理もない。自分たちが必死こいて調べていた毒の在り処の見当がついたと言うのだ。
減速したプラカに追いつき、はたと気づいた時には、もうすぐ部屋に着く所まで来ていたようで、今更ではあるが大判の布をかけてやると、「ありがとう」と言ってプラカは息を整えた。
「簡単なトリックだ。大浴場の湯に毒を混入したんだよ。客人の私様が使う浴場にさえ、温室で育てられたという高級品である薔薇をふんだんに散りばめていた。王の浴室にだって当然散りばめていただろう。井戸の水は白だったわけだから、湯船に浮かべる薔薇にでも、この世界にあるのかは分からんが入浴剤にでも毒を混ぜておく――そうすれば、湯気を吸ったり皮膚から直接ヒ素が取り込まれるって寸法だ。」
プラカは内心で胸を撫で下ろしていた。
前世で探偵もののアニメや刑事ドラマをよく見ていた甲斐があった、と息を吐く。もし、この記憶がなければ、コーネリウス王毒殺未遂事件の真相が下手すれば永遠に明るみに出ない所であったのだ。
(ッは~。良かった気づいて。やっぱり探偵アニメとか刑事ドラマ見ておくもんだな)
「で、では!スノードロップが枯れたのは、毒入りの湯をかけたからなのですね?」
「ああ。庭師は身に覚えのない罪を負っ被ってしまったわけだ。」
犯人の手口を推理している間に、もう2人はシャルルの私室の前まで来ていた。プラカは面食らった様子のナットリューに振り返り、悔しさから目を伏せる。
「既に王が倒れてから、そこそこの時間が経っている。一応、王子にその日の前後に怪しいヤツが居なかったか確認をとってはみる。・・・が、証拠隠滅の方法が他人に罪を被せるやり方なだけに、今まで気づかなかった分のタイムラグが発生してしまっているからね・・・犯人の手がかりはもう無いと思った方が良いだろう。」
「く・・・真に不甲斐なく、申し訳ない限りにございます・・・!」
「え?あ、いや。こればっかりは仕方ないさ。うん。」
この反応はある程度予測していたが、感情の起伏があまり無い方のナットリューが、不甲斐なさから本気で悔しそうにしているのを見ると、罪悪感に苛まれる。しかし、真相に到達しかけたとはいえ、こちらが出遅れている以上は――すごく寒いし、若干後悔しているが――服を着ずに飛び出した事もそうなのだが、なりふり構っていられない。そんな感じで、すっ裸に近い切羽詰まったプラカに追いついて来たアルストロもまた、神妙な表情であった。
「お話は全て聞きました。・・・早速、騎士団に特別警戒をさせますが、その他にご用向きはございますか?」
「・・・え?王子の護衛はいいのかい?」
プラカは面食らう。王の容態が回復すれば、事実上のトップから外れるとは言え、現在シャルルは要人中の要人だ。彼の護衛につかなくていいのか、とプラカは考えたのだが、その様を敏感に察したアルストロは苦笑する。
「確かに王子は護衛対象ではありますが、四六時中一緒に居る訳ではございませんよ。どちらかというと、私は騎士団長の役割があります故、そちらに掛かり切りの方が多いのです。・・・今回は、王子が王宮を抜け出すという大事件がありましたので、特例でしばらく『監視』していただけなのですよ。」
「ああ・・・納得。」
ナットリューからバスローブをかけてもらいつつ、プラカは持ち前の社畜精神から、アルストロの苦労を察して遠い目をする。しかし、哀れみであろうともプラカに見つめられているのが嬉しいのか、ほんのり頬を蒸気させているアルストロ。純情騎士はこれだから締まらないのだ。呆れのため息を隠さずに、そんなアルストロからプラカを隠すナットリューは、冬の乾燥した空気ですっかり冷えきったシャルルの私室のドアにさっさと手をかける。
・・・犯人の影は、未だに見えず。
――されど、神はその手を伸ばし始めた。