No.16・身から出た錆
2つの香しいハーブティーの薄紅色の水面には、金と水晶の美しいシャンデリアが写り、そのティーカップが置かれているテーブルもまた、素人目にも職人の趣向が凝らしてある逸品だと分かる。
そのテーブルを挟んで、ついさっきまでシャルルと話していたプラカは、自身に充てがわれた王子の私室と何ら変わらぬほど豪華な部屋で、ただ一人椅子に座ったまま窓の外を眺めていた。
夕日に照らされて、温かい色合いに染まる王都バグノーアの町並みを眺める美神。なんとも絵になる光景である。
・・・だが、当の美神は供を下がらせ、黄昏の中で俯いていた。
慰める者も居ない中、不意に彼は立ち上がると、今までの儚さは何処へ行ったのだと突っ込みたくなるほどの俊敏さで、天蓋付きのベッドにダイブした。
「――うおおォォァァァッ!!やらかしたァァァ――ッ!!」
枕を押しつぶさんばかりに駆き抱き、のたうち回る美神。何とも絵になる光景である。
――では、なぜこんなザマになってしまったのかを説明しよう。
時は、シャルルが執務室から王の寝室へ顔を出した後、プラカの部屋の扉をノックした所まで遡る。
(・・・何しに来たんだろ?)
人数分のハーブティーを淹れたナットリューを背後に控えさせたプラカは、会議を終えた後になって、今更何を話しに来たのだろうかと訝しむ。
しかも、シャルルは顔を強ばらせ、ティーカップを両手で包んだまま微動だにしないし、アルストロは顔を合わせるなり、素だろうが歯の浮くような台詞を言ってきたので、もう目を合わせないと決めた。
ちなみに、間髪入れずにアルストロはナットリューにお盆で殴られていた。
「・・・今日は、何度も申し訳ない。失礼は重々承知です。でも・・・後回しにしちゃあ、駄目だと思って・・・」
「こら、王子。とりあえず茶でも飲んで落ち着きたまえよ。そんな様子じゃあ、話なんてできやしない」
「そ、そうですね。いただきます」
シャルルはプラカに言われるがままにハーブティーを飲んだ。・・・一気に。
普段の落ち着き払ったシャルルが絶対にしないようなはしたない行動であるそれに、ナットリューでさえも目を丸くする。
少し落ち着いたのか、カップを音も立てずにソーサーに戻したシャルルは、目に光を戻し、意を決して話し始めた。
「無理を承知でお尋ねしたいことが。・・・大陸戦争とエンキドゥ殿の死に関する繋がり・・・・我々の見解の真偽を・・・どうか、教えて欲しいのです。」
(・・・ん?)
てっきり円卓会議で言い忘れた事でもあったのだろうと思っていたプラカは、予想外の展開に一瞬固まった。
大陸戦争の事なら、プラかも流石に知っている。
世界史をもう一度勉強し直すようで苦痛ではあったが、ナットリューが調達してきた歴史書を読み込んでいるので、概要から所謂コラムのように小さな記述で済まされている出来事まで空で言えるくらいだ。
・・・しかし、その戦争とまだ生まれてもいないエンキドゥに何の関係性があるというのか。
プラカは訝しんだが、同時に、今の状況がかなりまずいことも薄々感じ取っていた。
先程シャルルは「こちらの見解についての真偽を教えてもらいたい」と言った。それも、エンキドゥ関連の。
しかし、まだ『核』の状態で、生まれてすらいないエンキドゥの情報に厚みなぞあるはずもない。・・・ならば、考えうる可能性は一つしかないだろう。
(・・・やっべ。向こうさん、また何か勘違いしてんじゃないか・・・?)
プラカは、自分に『勘違い属性』があることをなんとなく察していた。
今の今まで、何の気なしに行ってきたことが全て偉業だとブリキ達に認識され、自分の言動が相手の超解釈に辻褄として作用するとなれば、もう察するしかないだろう。
・・・何より、その性質を利用してきたのは自分自身だ。
「・・・君が、どういう見解に至ったのか・・・興味があるね」
「!では・・・!」
「とりあえず、聞かせておくれよ」
そのうち、誤魔化しのバチでも当たるんじゃあないか、とは思っていた。
・・・しかし、これはあんまりではなかろうか。
――シャルルの見解は、アルストロと話していた通りのそれであった。
まず、それを聞いた上で真っ先に思ったのが、「マジか、辻褄めっちゃ合ってるんですけど」である。中身おっさんのプラカの精神が、危うく女子高生になりかけていた。
・・・さて。シャルルの話は、辻褄という名のパズルピースを合わせるかの如く完璧で隙のないものだ。
・・・ただし、それが「事実であったならば」。
(まずい・・・)
プラカの顔に強張りが見え隠れし始める。
アクシス2が心配して声をかけるが、生返事しかできていない。
ナットリューもアクシス2も突っ込みを入れないということは、ブリキ達にも同じ予測を立てられている、と考えた方がいいだろう。焦るプラカに何を思ったのか、一旦話し終わったシャルルは、頭を下げて尚も言い募る。
――曰く、知らなかったとはいえ、今まで貴方の悲しみに付け込むような事をして協定を結ばせてしまい、本当に申し訳なかった。
――曰く、人間の行いを許して欲しいとは言わない。けれど、どうか我らに協力して欲しい。
――曰く、『原初の泥』・・・いや、エンキドゥ殿のご遺体は何とかお返ししてみせる。
曰く、曰く、曰く・・・
(ヤバイって!見当違いにも程があるんですけどォッ!?)
プラカは混乱している!
――が、その混乱も、二度目の人生でいくらか回るようになった頭が、素早く状況を分析した事により、割とすぐに終わりを告げた。
(しまった!やっぱ『原初の泥』に関しては、もっと慎重になるべきだったか・・・クソ!)
いきなり神官勢力の事を調べたいと言われれば、まず「なぜだ」と思うのは当然である。その上でエンキドゥの事を知っている人間ならば、ルドドゥ神殿の『原初の泥』と結びつけても何ら不自然ではない。
・・・しかも、プラカは「エンキドゥの遺体探しを協力の対価としている」のだ。『原初の泥』をよこせと言われている、と解釈するのがむしろ妥当だろう。
不味い、とプラカは手に滲む冷や汗を握り込む。
エンキドゥの『核』の設定を「シャルルの解釈通りに書き直す」のはまだ良い。生まれてない以上は、まだ設定変更の余地はある。問題なのは、そんな言いがかりを元にした無茶な要求を神官側にした後の事だ。
多分シャルルからは、国宝級の代物を要求するなんて余程の事情があるに違いない、とか思われたのだろうが、神官勢力はそうはいかない。
彼らは信仰もそうだが、神に纏わる歴史の保護も仕事の一つなのだ。神に連なる歴史的出来事なんて、それこそ空で言えたりするに違いない。『ありもしない出来事』についてとやかく言われても、彼らに反論材料など掃いて捨てるほどあるだろう。
安易に国宝を引き合いに出すんじゃなかったと後悔しても後の祭り。
確かにエンキドゥ作成には『原初の泥』は必要不可欠になるだろうが、自分にそんな重苦しい背景なんて全く無いのだ。罪悪感が鎧装備でタックルをかましてくる。もれなく急所に当たった。
「・・・ようやくお気づきになられましたか。我らが神のお心持ちに」
(やっぱりか――!!)
せめてもの希望として、ナットリューに「何言ってんのこいつ」と言って欲しかったのだが、そんな儚い願いはあっさりと打ち砕かれた。
なんてこった、とプラカは頭を抱えたくてたまらなくなる。何年も煮詰まった勘違いを今更正すなんて不可能だ。
「はい。・・・しかし、先祖らの誤ちに気づいたからには、それを正し、もう二度とこのような事にならぬよう勤めるのが我ら王家の役目!」
しかも、王子のご先祖が悪い事になっている。
草葉の陰で泣くどころか、プラカに向けて呪詛を飛ばしてきていいレベルのとばっちりだ。全身に巡る血液が冷える感覚を覚えたプラカだが、彼を置いて話はどんどん進んでいく。
「スタンガータ嬢、我々人間に良い感情を抱くなど、今更不可能でしょう。・・・ですが、どうか王子の誠意だけでも認めて下さらぬだろうか。」
「即答しかねます。そも、誠意とは言いますが、そんな事は口ではいくらでも言えますので。形として残らねば――この場合は『原初の泥』ですが、恐らくはお父様やアクシス2様などはお認めにならないでしょう」
「全くもってその通りダ」
最早、この勘違いを正すことは不可能だ。
・・・そう思いはするが、かと言ってこのまま放っておけば、王家が神官側に要求をするよう唆した罪に問われかねない。
ヤケクソだろうがなんだろうが、何としてでも今のうちに勘違いを正さねば。そう決意し、プラカは何とか早鐘を打つ心臓を鎮めようとする。
とはいえ、どうやらこちら側にも勘違いは浸透し切っているようだし、そのせいで下手に発言が出来ない。勘違いを正す前にボロが出てしまったら元も子もないのだ。慎重に慎重を重ね、尚且つ迅速に行動せねば。
――ああ。こんな事になるなら、協定なんて受けなきゃ良かったと泣きそうになっていると、ノックの音と共に、自身を呼ぶアクシス5の声が響く。
ナットリューにどうなさいますか、と目線で尋ねられ、一先ず落ち着きが欲しかったプラカは入室を許可する事にした。
「・・・で、アクシス5。何の用だい?」
「はい。本日の王の食事と投薬が終わりましたので、ご報告にと王宮医師から連絡が。それから、俺・・・んん、私が所持していた試験薬を渡し、厨房内の食材や飲み水にヒ素が盛られていないかを警戒させています」
「そうかい、ご苦労だったね」
「・・・身に余る光栄にございます」
普段飄々としている癖に、褒めてやると目茶苦茶嬉しそうにするアクシス5を見て、改めてこの忠誠心が瓦解してしまうのは不味い、と、プラカは皮膚が破れるのではないかというほどきつく拳を握り締めた。
「あ。そういえば、祭事大臣が早速書状を神官らに送ったようですよ。王子に報告しようとこちらに向かっていましたんで、私が代理を務めて手間を省かせてやりました」
(えあぁぁぁ!?大臣仕事早すぎぃぃぃぃッ!!)
まさか人間嫌いをこじらせているアクシス2ではなく、アクシス5の方から爆弾を落とされると思っていなかったプラカは、思わず出そうになった絶叫を冷めたハーブティーで飲み込む。
そんなプラカとは対照的に、シャルルは嬉しそうに顔をほころばせた。
「そうだったのですか、ありがとうございます。伝令に「迅速にと伝えよ」と念を入れた甲斐がありました。」
「仕方ないとはいえ、大臣はこれから大変でしょうなあ。王子、大臣にも神話の内容を共有すべきでは?」
「それもそうか。エスターニオ殿、よろしいか?」
(よろしくねえわコラ!!)
プラカは逃げられない!!
・・・もう、プラカは悟った。
もう書状が送られたんなら、今勘違いを正しても意味がない。もうどうにでもなれと流れに身を任せるしか道は残されていないのだ。
ならば、誤魔化せるだけ誤魔化してやる!・・・と、妙な方向でやる気を見せた駄神は、ごほん、と咳払いをしてから唇を舐めた。
「・・・とりあえず、大臣に負担が大きすぎる。アレを手渡すならば、明日か、神官達の返事が来てからでも遅くはないはずさ」
「では、そのようにいたしましょう。」
それから、推察の真偽を聞いていないとばかりにこちらを捉えて離さないシャルルに、観念したかのように――実際観念しているのだが――プラカは、今まで向こうが勝手に勘違いしていたので、つく必要の無かった嘘を初めてついた。
「・・・・・・それから・・・君の言うことは全て的を射ているよ、シャルル=レファーノ・バグノア。・・・口に出すと、心苦しいものだね」
・・・言い換えれば、彼は今まで超解釈をした相手に同意をしたことが無かったが――今回、初めて「お前の考えは正しい」と同意したのである。
そうとは知らない面々は、まさかプラカが「嘘をつくことを心苦しく思っている」などと露知らず、悲痛な面持ちを隠すのに必死であった。
「・・・ああ、もうこんな時間だ。そろそろ失礼させていただこう。本日は突然押しかけて申し訳なかった。」
「ああ・・・」
今できる最大限の対抗策を講じ、シャルルと軽い挨拶を交わした後、プラカはドアの閉まる音をぼんやりと聞き届ける。
一気に脱力したプラカは、なけなしのメンタルを振り絞って三機に退出するように命ずる。ナットリューとアクシス5は食事の警戒にあたるために割とすんなり退出したが、やはりというかアクシス2は渋っていたので、もうすぐ城内構造を叩き込んでいるネジーが戻ってくるからと、ほとんど強引に追い出した。
・・・そして冒頭に至るのである。
「あああ、どうしよう・・・神官達の返事によるよなあ・・・」
悶えつつ微睡んでいると、いつの間にか空は光を弱めており、王都バグノーアの町にちらほらと灯りが見え始めていた。
もう夜になろうとしている。お腹も少し空いてきた気がする。
食事時になったらナットリューが呼んでくれるかと、一気に疲れたプラカは、とりあえず仮眠を取る事にした。
「・・・そうですか。食材に異常は無かった、と」
「ああ。食材の時点でどうこうするのは難しいと思って、念のため調味料も徹底的に調べたんだがなぁ・・・」
「ぬうゥ、はっきりせんナ。確かに何もないのが一番だガ・・・」
一方、ふて寝した神の代わりにきびきび働いていたブリキ達は、始めこそ王宮内の皆から奇怪な物を見る目で遠巻きに避けられるだけだったが、皆ブリキの神から賜ったという仕事への情熱を感じたのだろう、今は一部の人間が協力的になっている。
そして、毒の所在を調べていたナットリュー、アクシス5、アクシス2の三機は、厨房の食材を総ざらいしていたのだが――どこにも毒は無い、という結果に終わった。
「飲み水も白、ワインも白と来た。他にどこか、毒を盛れる物とかあるかねぇ?」
「いっそ、犯人が証拠を根こそぎ持ち出した、とかでしょうか?」
「そりゃあ無いな。もしそうなら、毎日交代で物資管理してる奴が気付くはずだ」
証拠となる毒がどこにもない。
予想外の出来事に、ブリキ達は戸惑っていた。
犯人の正体云々より、毒が見つからない方が、予防策を講じようとしている今では遥かに問題である。
王だけが危険だと言うならばまだ良い。解毒剤を投与している以上、少量の毒を盛られたならば、まだ対処し切れる。
しかし、犯人の魔の手が、自分達の神に伸びたら・・・そうも言っていられない。
「・・・神の叡智ヲ、お借りするしかなイ、のカ・・・?」
医師として、毒の所在確認の手伝いをせよと(半ば強引に)命じられたアクシス2は、何の成果も上げられていない事に酷く落ち込んでいた。
そして、そうは呟いてみたものの、直ぐに首を振ってその考えを否定する。
手伝いを任され、任せてくださいと言った身で、「わかりませんでしたので、知恵をお借りしたいです」などと言えるはずもなかった。
素直に力を借りれば早いだろうにと、アクシス5は兄弟機に言ってやりたかったが、口を噤む。アクシス2は誇り高く、プライドも高いブリキなのである。例えアクシス5の言を聞き届けたとして、実行に移せるかは別問題であった。
「とりあえず、毒の心配は無いって分かったんだ。そろそろ飯にでもしましょうや。神も待っておられるだろうよ」
「・・・そうですね。このまま立ち止まっていても仕方ありません。即刻準備に移ります」
「ほら、アクシス2。あんたはエスターニオ様にお声かけしろよ。あと、報告もよろしく」
事も無げにそう言って、調査書をぽんと渡してきた末弟を次男が睨む。
「き、貴様ァ・・・よりによって私を報告役に仕立て上げるつもりカ!」
「いや、適任だろ。あんたはエスターニオ様から直々に送り出されて来たんでしょうが」
「うゥ・・・」
口の回る末弟にあっさり言いくるめられて、「しかシ・・・」とまごつく兄にひらひらと手を振りながら厨房を後にしたアクシス5は、廊下から見える星空を見上げ、大袈裟な身振りで溜息をついた。
「いや、ホント・・・どうするかねぇ」
犯人の影は、未だに見えず。