No.11・アルストロメリアの思慕
馬が嘶くと同時に、馬車がゆっくりと止まる。
御者は周りに危険が無いかさっと見渡すと、速やかにドアを開け、恭しく頭を下げた。
このような扱いにシャルルもアルストロもすっかり慣れている様子で、2人とも軽く礼を言いながら、長年整備がされていない事が分かる荒れ放題な馬車道に足をつける。
冷たい風に吹かれながら、アルストロは巨大な石の壁をまじまじと仰いだ。
彼は、自身の銀色の瞳いっぱいに映る、瑞々しい青い空を侵食するように聳える薄汚れたそれの中に、神が居るなどとは到底思えず首を傾げる。
立ちすくむアルストロを一瞥もせず、シャルルは声を張り上げた。
「門を開けてください!約束を果たしに来ました!」
元々鍵がかかっていた訳では無いらしく、間髪入れずにごとり音を立てて鉄扉が振動し、手入れが行き届いているのか大して音もなく、ゆっくりと開いていった。
アルストロは目を限界まで見開いた。
・・・はたして、そこには確かに神が居たのだ。
神の後ろで控えているメイドも、空中を浮遊する金属の球体も気にはならなかった。
黒曜石を彷彿とさせる髪と瞳という、人間ではありえない色彩を引き立てるが如く白く輝くような珠の肌。
話で聞くだけではなかなか想像できなかったが、こうして見ると確かにこの世の者とは思えない程美しい御方である。
黒い不可思議なデザインの服に包まれた細い身体を覆うマントもまた漆黒。
バグノア王国に限った事ではないが、汚れが目立たぬ色としてメイド服や執事服に誂えられる以外は、黒い服とは即ち喪服の事であり、好んで着用する者など居ないが――
「やあ、シャルル王子とその騎士よ。早くからご苦労様だね。」
「エスターニオ殿、ご機嫌麗しゅう。こちらに控えますのは、バグノア騎士団団長アルストロ・ガードナーです。」
「へえ、彼が?」
しかし目の前の神は、人間の衣服事情など知るかとばかりに、見事に黒服を着こなし、何食わぬ顔で王子に挨拶をしている。王子も特に気にした様子もない事から、これが、この漆黒の衣装こそが神の装いなのだろう。
無礼を働くなと言われたばかりだというのに、アルストロはプラカを凝視してしまった。シャルルと話す度に揺れ動く漆黒は、いっそ危険なまでの美しさを惜しげもなく晒していたからだ。
慌ててアルストロが覆面御者を振り返ると、彼が危惧した通り御者はすっかり漆黒の神に魅了されており、頬がだらしなく緩んでいる。
・・・なんたることか。
正直、プラカ=デ・エスターニオという存在を過小評価していた、と言わざるを得ない。
神話を読む限り、かの神は絶世の美少年であったという描写は確かにあったし、それを踏まえて今では立派な美青年の姿をしているのだろうとは思っていた。
しかし、神話に記されていた自身のお気に入りの武神らの戦いを見る限り、かの戦いを生き抜くために、自分と同じく鍛え上げられた肉体をしているのだろうと勝手に思い込んでいたのだ。
アルストロは視線を神に戻す。予備知識で性別は男性だと分かっている。分かっているのに――
(このむず痒さは、まさか・・・)
鎧の上から左胸を押さえつける。アルストロは理解していた。今、自分が神に対して抱いた感情が何であるのかを。
・・・アルストロは女難体質である。
しかし、損ばかりしてきたかと問われると、非常に不本意ではあるが、そうでもないと答えられるだろう。
まず、恋文が来たならば馬鹿正直に全て目を通していたおかげで、生粋の騎士でありながらも、アルストロには文学的な知識と語彙力が身についた。
・・・語彙力が上がったとは言っても、歯の浮くような台詞が大半を占めているが、いつ物書きに転職しも大丈夫なようになっていた。
そして、言い寄ってくる女性達の争いを目にしてきたおかげで、人の心の機微に敏感になった――いや、敏感にならねばやっていけなかったアルストロ。
放っておけば血で血を洗うような愛憎劇が周りで繰り広げられかねない毎日を、厳しい剣の鍛錬と共に耐え抜いた彼は、心身ともに強いハイスペック騎士になっていた。
・・・詰まるところ、アルストロは恋愛経験皆無にも関わらず、うら若き乙女の恋愛相談に乗れるほどの恋愛的女子力だけでなく、男性のステータスである『男らしさ』も、その他のあらゆる分野の能力をも身につけていたのだ。
このタイミングで自身の心臓が疼くのを、「まさか不整脈か・・・!?」などと思ったり抜かしたりする阿呆ではないのである。
(私に衆道の気はない、はずなのだが・・・)
もうアルストロの中では答えが出ていた。
体が火照り、頭がぼうっとする。
百戦錬磨の騎士にそんな混乱をもたらした神に――プラカ=デ・エスターニオに、アルストロ・ガードナーは恋をしているのだ、と。
この感情をどうすればいいのか分からないまま、アルストロはシャルルと話を終えたらしいプラカに視線を合わせた。
「おや。」
「・・・!あ、」
思わず引きつった声を上げてしまう。
黒曜石の如き双眸に自分が映る。それだけで、どうしようもないほど嬉しく思う自分が居る。
恋の何たるかを解っていたつもりでいたが、やはり当事者にならない限り解らない事もあるものだ。
――恋とは、こうもむず痒いものなのだろうか。
未だぼんやりした頭を覚ます事もできないまま、アルストロの前にすい、と移動してきた漆黒は艶かしい口元をほころばせる。
「やあ、ごきげんよう。貴様がアルストロ・ガードナーか。」
「は、はい。お会いできて光栄にございます。」
がちがちになってしまっているアルストロに訝し気な顔を向けるシャルルだったが、アルストロにはそれを気にする余裕すら無かった。
「私様の元に泊まっていた王子から、既にバグノア王国のあれこれは聞いているからね。おかげで対策も練りやすかったよ。ああそうだ、政に対しても少しは知識があるから協力できるだろうし、その時は頼りにしてくれたまえ。」
「・・・ええ、はい・・・」
視界の端でシャルルを見たアルストロは、いつもの堂々とした佇まいは一体何処に行ってしまったのかとでも言いたそうに口パクする。
だが「いったいどうした?」だなんて、そんな事はどちらかといえば自分自身に言ってやりたいくらいである。不敬は承知の上だが、ちょっと今は放っておいてほしいとアルストロは思った。
今にも焼き切れそうな意識を無理やり繋ぎ止めていると、慈悲深いと神話に記されていた神は無慈悲にも止めを刺しにかかる。
「ああ・・・いいね、騎士というのは。やっぱりそういう装いには憧れるよね」
そう言うなり、彼はもう興味を無くしたとばかりに視線を外し、今までずっと微動だにしなかったメイドと球体に話しかけ始めた。
アルストロは一気に体が冷める感覚に襲われる。
彼は・・・ああ、彼の神は、「騎士の装いに憧れる」と言った。
アルストロは、それが「騎士なら誰だっていい」と言っているのだと受け取ったのだ。
自分に愛を囁く人達に求められてきたのは、「アルストロ・ガードナーという青年」だった。
だが、この方は違う。彼にとって、自分はあくまで王子の近衛であり、それ以上の特別な感情を抱くべき誰かではないのだ。
・・・プラカ=デ・エスターニオにとって、アルストロ・ガードナーという人間は、虎神シンゲンに対するもののように、敬意に基づくものであれども『愛』を捧げる相手ではないのだ!
「――エスターニオ様!」
「ん?」
いつの間にやら、鎧に覆われたアルストロの無骨な手が、プラカの細く滑らかな手を握りしめていた。
こうして傍に立つと身長差がかなりあるな、と微笑んだアルストロは、高鳴る心臓を押さえつけていた右手を緩め、再度しっかりとした手つきで左胸にあてがう。そしてゆっくりと跪き一礼すれば、王子とメイドから「あっ」という焦りに満ちた声が漏れた。
当然だ。なぜなら――
「美しい方よ、私は神事に明るい訳ではございませんが、それでも貴方様の輝きが美の神ナジェも眩しく思う程である事はわかります。」
「?・・・はあ・・・?」
「恐れ多くも、その隣に我が身がありますことを、このアルストロ・ガードナーが乞い願いますれば、貴方様はどう思われるのでしょうか?」
――騎士が想い人に求婚する際の所作をしたのだから。
止めとばかりに白磁の手に口づけを落とす。
――その瞬間、周りからは悲鳴が上がっていたと後に王子から聞いたが、この時の自分には全く聞こえていなかった。あまりの緊張と生まれて初めての感情に、思考回路が可笑しくなっていたとしか言い様がない。
そんな色々振り切れてしまっていたアルストロは、元々肌が白いこともあってか、面白いくらいに真っ赤になって固まってしまった人間味のある神に対し、可愛いお人だと思ってしまう。
(脈は――・・・なさそうだな。当然か。)
・・・顔は赤くなっているとはいえ、私には、エスターニオ様の反応が御伽草子にあるような白馬の王子を前にした村娘のそれではない事など瞬時に分かった。
それにちくりとした痛みを感じたものの、この私はそれくらいで落ち込む男ではない。
幸いにもバグノア王国は同性愛に比較的寛容であるし、きっと父上は私が男を好きになると予測していなかったからだろうが、私の元服の際に「お前がいいと思った相手と婚姻しろ」と仰った。
言質を取っている以上は、遠慮など不要だろう。
・・・後はまあ、簡単にはいかないだろうが、エスターニオ様を人間と神との壁をものともしないほどの恋に落としてしまえばいい。
いや、本当に騎士団長をやっていて良かった。でなければ、いくら騎士団長という職を全うしているとはいえ、王宮の最奥が主な住居となるであろうエスターニオ様に会うことすら出来なかったかもしれな「何してやがるかお前はァ――ッ!!」
左肩辺りに強い衝撃を感じた私は、突然の事にろくに受身も取れず、地面に頭を強かに打ち付ける。
揺れる視界の端で捉えた王子が、いつの間にやら私の左側に移動し、見事な飛び蹴りを披露したのだと気づいた後――私の意識は一旦そこで途切れた。
ちなみに、この後打ち所が悪くて気絶したせいで、ブリキヶ丘にて神の次に大きな権限を持つ者が現れ、王子と邂逅したりなんたりしている場面に遭遇できなかった。
本当に、今日という今日の私はどうかしていたと思う。
「いやぁ、遅れてすまねえ――・・・あ?なんだこの状況は」
アルストロが気絶し、プラカが放心状態になった後。つまり大騒ぎが少し収まった後を見計らったとしか思えないタイミングで、門から3体のブリキが出てきた。
先頭を歩いていたブリキ――アクシス5は、唖然とするプラカとその視線の先で倒れている騎士、その騎士に激怒している様子で今にも掴みかかりそうなネジーを捉える。
ネジーと騎士の間に割って入り、何とか彼を宥めているナットリューとおろおろしている王子に何事かと細い首を傾げたアクシス5は、持っている荷物を抱え直し、小走りでネジーの元へと急いだ。
「なあネジー殿、なんだってこんな乱痴気騒ぎが起きてるんだ?」
「む、貴様アクシス5!来るのが遅いではないか!おかげでエスターニオ様がどんな目に合われたと思っている!」
「はぁ・・・?」
どうも八つ当たり感が否めないが、神たるプラカに危害が及ぶとなれば話は別――なのだが、自身の後ろからはビシバシと殺気が飛んでくる。確実にネジーの発言を聞いた「重度のエスターニオ様信者」として知られている『アクシス2』の仕業だろうが、だからといってところ構わず殺気を撒き散らすのはやめて欲しい。『弟』として恥ずかしいのだ。
「・・・はいはい。遅れてすみませんでしたよ。で?一体全体何があったんです?」
「絶対悪いと思っとらんだろう貴様・・・まあいい。それよりも!この騎士が、無礼にもエスターニオ様に求婚しおったのだ!」
「は、求こ・・・!?」
おいおい、エスターニオ様は男性神だぞ?と言うより先に、アクシス5は持ち前の笑い上戸が災いし、どっと笑いがこみ上げてきた。
――いかん、耐えろアクシス5。ここで笑ったら袋叩きに合う事間違い無しだ。
「そ、そりゃあ、また・・・」
「ぐぬ。やはり人間に比べてエスターニオ様は美しすぎるのだ!王都になんて行ってみろ、何をされるか解ったものではない!」
「ネジー殿の言う通りダ!やはり人間は信用ならんゾ!」
そら見たことか、とアクシス5は肩を落とす。
声と言うより機械音を無理やり声っぽくしたものと言った方がいい様な、少し高めの声を張り上げる、白衣を着たアクシス5よりも長身の男――いや、アクシス5の兄弟機であるアクシス2まで、ネジーに加担し始めたのだ。
「ああーもう・・・2人とも落ち着けって。そーならないようにあんた方が居るんでしょうが。」
アクシス2はかけている意味があるのか分からない銀縁眼鏡を押し上げると、自身の荷物をアクシス5に押し付け、真っ先にプラカの元へと駆け寄り、固まっている彼を触診し始める。
それを目敏く見ていたシャルルは、そう言えばこのブリキ達は誰だろうかと思い、とりあえず声をかけてみる事にした。
「あの、貴方は?」
「ふム、身体的な異常は無シ。エスターニオ様、ショックなのは分かりますがお気を確かニ。」
「・・・あ?ああ、アクシス2か。いや、すまない。どうも意識が飛んでいたようだ。」
「何をおっしゃいますカ。私は貴方様の主治医ですかラ、この位当然の事でス!」
「あ、あの・・・?」
もしかせずとも、アクシス2はシャルルを完全に無視している。
神話の内容を熟知しているシャルルからすれば、『極度に』人間嫌いなブリキが居ても可笑しくは無いとは思っていたが、こうもあからさまに態度で示されると若干来るものがある。
・・・前途多難だ。
ため息と共にがくりと落とされたシャルルの肩に、ぽん、と優しく大きな鈍色の手が乗った。
「まあ、そうしょげなさんな。ああなのは俺らの中ではアクシス2だけだから、安心してくださいよ」
「あ、はい。ありがとうございます。」
「うんうん。・・・あ、そういやぁ初めましてだな、王子。俺はアクシス5つって、エスターニオ様のお食事を・・・いや、正確には「いずれ食事になる農産物」の生産を任されてます。以後お見知りおきを。」
アクシス5は、ひょろりとした体躯を折り曲げ胸に手を当て、農業士とは思えぬ程の丁寧なお辞儀をして見せた。
物言いというか雰囲気というか、とにかく内面と外見が突然ちぐはぐになって、何だか道化師を見ている様だとシャルルの口角は自然に上がる。
「これはご丁寧にありがとうございます。ご存知とは思いますが、シャルル=レファーノ・バグノアと申します。・・・あの、つかぬ事をお聞きしますが、『5』とか『2』とかって・・・」
「あー、俺ら『アクシス』は、ネジー殿の後に一斉に作られた5機のブリキ達の事なんですわ。俺はその末席・・・いや末っ子?・・・まあ、とにかくそんなモンなんですよ」
「ネジー殿の後って・・・古参中の古参って事じゃあないですか!」
シャルルは驚きを隠そうともしない。聞いた話によると、ネジーの直後に作られたと言うことは、このブリキの楽園の創設者が一機という事に他ならないからだ。
VIP中のVIPが二機もプラカの護衛に名乗り出たという事が、どれだけ今回の協定が重要であるかを再確認させられる。
「あ、ついでに紹介しとくと、そこでずっと黙ってる奴は『アクシス1』。エスターニオ様お抱えの鍛冶屋ですよ。ブリキヶ丘のブリキ達は、大体あいつとエスターニオ様とネジー殿の3人かかりで作られているんでさ。」
「ンンンン!?」
アクシス5はそんなシャルルの内心を知ってか知らずか、楽しげに振り返った。
彼の後ろで、恰幅の良い――と言っても、真円のガラスケースの腹の中に大量の工具が詰まっているだけであるが――職人特有の凛とした雰囲気の、鼻のないのっぺりとした顔のブリキが小さく会釈する。
VIPがもう一機追加され、彼らを迎えるのも臣下との間を取り持つのも、最高責任者である自分に全てがかかっているのだと突きつけられ、シャルルは呻き声を上げて腹を押さえた。
前かがみになりながら顔を馬車に向けると、プラカが既に乗り込んでいる馬車の中に、ナットリューに引きずられていたアルストロが叩き込まれているのが見える。
――そういえば、今から自分はアレに乗り込まねばならないんだった。
「あー・・・こういう時、確かエスターニオ様は『どんまい』つってたっけな。」
そう言った割に、ちっとも気の毒そうにしていないアクシス5は、とりあえずプラカから離れようとしないアクシス2を回収せねばと、面倒そうに歩を進めた。