No.10・アルストロメリアの憂鬱
「・・・そ、その協定、お受けしよう。」
――シャルルの一世一代の大博打の後、たっぷり10数秒沈黙してから、若干震え声でプラカは宣言した。
(うわああああああ!!なんで王子が黒歴史を知ってるんだよォォォ!?)
夢を叶える可能性に一歩近づく協定を結ぶにあたり、多くのモノを失いはしたが。
・・・そして、一波乱あった協定宣言から4日後。
装飾などは無いものの、大きさだけは立派な馬車の中で、プラカは物凄く不機嫌そうに窓から見える木々を睨みつけていた。
プラカの隣に座るナットリューは無表情。彼女に抱えられているネジーは、プラカ以上に不機嫌そうである。
そんな彼らの様子に、プラカの向かいに座るシャルルは冷や汗が止まらない。
・・・そんなシャルルの隣に座る、頭以外を白銀色の鎧で固めた大柄な男のせいでこのような空気になってしまったのだが、当の本人は顔を真っ赤にして俯いている。
・・・こいつは、どうにもならなそうだ。
重い空気に溜息も出せないシャルルは、隣の役立たずの代わりに口を開いた。
王子とは思えぬ苦労人ぶりを見せるシャルルだが、はたしてブリキ達は憐れんでくれるのだろうか!
「・・・・・・その、エスターニオ殿。うちの騎士団長が無礼を働いて申し訳ない。決して悪いやつではないのです。少し機嫌を直してくれませんか?」
「王子。」
シャルルが絞り出すように許しを乞うと、ナットリューが厳しい口調で言い放つ。
「神を拝見するなり、あろう事か口説きやがったその男が謝るべきでは?」
「――ですよね!」
残念。通用しなかった!
ナットリューの敬語が可笑しい事など最早気にならない。
とりあえずシャルルは、王国最強の騎士と名高い隣の男の頭を恨めし気にひっぱたいた。
・・・で、仕える王子に頭をひっぱたかれた騎士団長、アルストロ・ガードナーは、未だ顔を上げられずにいた。なぜなら、自分の斜向かいに座る美しい神に人生初の恋をし、気恥ずかしさから目を合わせられないからだ。
・・・唐突すぎて訳がわからないと思うだろうが、ありのままを言っただけである。
(・・・ああ、見れば見るほどお美しい)
さすがに王子に窘められた手前じろじろと見ることはできないが、最後にちらりとお姿を確認した私は、ぐっと気を引き締めて前を向く。
――かなり遡った話になるが、この私、アルストロ・ガードナーの生家、ガードナー家は代々王家に仕える優秀な騎士を輩出してきたとして、特例で時の王より苗字と確固たる地位を与えられた家である。地位は伯爵にあたり、名家の令嬢を代々嫁に貰っている事から、騎士という血生臭い職を全うする一族でありながら、今ではすっかり「高貴とは言えないが華麗なる血筋」という扱いになっている。
現当主であるヴォルフス・ガードナーの長男として丹念に鍛え上げられた肉体と、持ち前の正義感、巡回中でも困っている人に世話を焼く人の良さ、更には美麗とまではいかずとも、爽やかな笑顔が映える整った顔をしていれば、引く手多数となるのは自然の摂理というものであった。
――と父上は言うが、理解できないし、したくない。
その性質のせいで昔から女性に言い寄られ、碌な目に合っていないからだ。
・・・簡潔に言うと、私は女難体質なのである。
その事実から目を背けるように稽古に打ち込んでいると、いつの間にか天才児扱いになり、あれよあれよと16歳で元服し、父上の後を継いでバグノア騎士団で名を挙げてからは――女難体質がより酷くなった。
王都の巡回中に、道端で体調を崩して蹲っていた女性を見つけたので家に送り届けるや、その女性の姉が「騎士様に媚を売るなんて!」と青い顔をした自身の妹を怒鳴って頬を打ったのだ。
・・・こうなってしまえば、毎年山積みになる恋文に寒気すら覚えるのも無理からぬことであると言えよう。
思うに、ガードナー家の男達の結婚思想が爵位持ちとしては特殊だったのも、この場合はいけなかったらしい。家系図を見てみれば分かるが、長男は大体名家の令嬢を娶っているのに対し、次男以下の結婚相手の身分は実に様々だ。
もちろん、その中には多くの『平民』が居る。
敷居が低く、高嶺の花ではない以上、平民の娘からのアプローチが圧倒的に多くなるのは当然だが、「長男だから」という理由も付けて貴族家の娘様方も混じるのは本当に勘弁してほしい。
――そんな胃の痛い毎日を送りつつ23歳現在。
『九つの陣』が活発化してからは、多忙を理由に縁談を流してきたが――王がお倒れになってからは本当に多忙になってしまった。罰が当たったのだろうか。
肝心の族の足取りが掴めぬというのに、日に日に増えてゆくばかりの恋文に頭を抱えていると、王子が王宮を抜け出したとの連絡が入り、椅子から転げ落ちた時は物理的にも精神的にも頭を痛めた。
急いで捜索隊と結成し、王都はおろか隣町にまで足を伸ばしたが見当たらず。
夜が明けてもなお捜索を続けていると、なんと王子がひょっこり王都に帰ってきたと聞き、思わず濃い隈を落とした目を見開かせたら伝令に「ひえっ」と叫ばれたが、私は絶対に悪くないはずだ。
しかし、如何に私が忠誠高き騎士であり、王家の命は絶対であると認識しているとは言え、さすがに今回の王子の暴挙は目に余る。
「そこで待っている」と伝言を受け取ったため急いで駆け込んだ謁見の間にて、世話役の執事や医師らに怪我の有無などを念入りに確認されている王子に物申さんと、とりあえず跪き息を吸い込むと、私の姿を認めた王子は興奮したご様子でまくし立てられた。
「アルストロ!居たんだ、ブリキヶ丘に!――我らの希望となる御方が!」
――と。
「・・・して、王子。ブリキヶ丘に神と名乗る者が・・・いえ、プラカ=デ・エスターニオ様なる方が居られる、というのは真なのですか?」
「なんだ、ネジー殿からいただいた神話を読み、ここまで来ておいて今更信じないなんて言うのではないだろうな?」
さて、場面はアルストロがシャルルにひっぱたかれた所から少し遡る。
二人は、屈強な兵士が変装した御者が操る覆面馬車で、ブリキヶ丘へと続く舗装されていない道を移動していた。
「いいか、アルストロ。まず、エスターニオ殿本人が『神』と名乗っているんじゃない。ブリキ達が進んでそう呼び、崇拝しているんだ。・・・たとえブリキ達がそう言わずとも、エスターニオ殿を一目見れば、人とは思えぬ『何か』があると思うだろう。」
プラカの正体を知っている奴が見たら滑稽に思うだろうが、シャルルは大まじめに、真剣な顔でそう言った。
その様子にさすがに何も言えなくなったアルストロであったが、しかして不安は尽きぬとばかりに俯く。
「しかし、よりにもよって『ブリキの神』ときましたか。・・・荒れるでしょうな、王宮は。」
「・・・ああ。口止めはもちろんするが・・・問題が解決するのが先か、「新たな問題が浮上してしまう」のが先か、といった感じなのは確かだ。」
大陸戦争の汚点にして、負の遺産であるブリキ。
それらが自意識を持ち、動いているだけでも悪夢だと思う者はごまんと居るだろうに、その頂点に立つ者が現れたとなれば・・・
「だめだ。後ろ向きな事を考えると埒が明かない。・・・が、ブリキ達は神話にもある通り、エンキドゥ殿の件で人間を恨んでいる者が多い。間違っても無礼な行いはするんじゃないぞ。協定をフイにされたら舌噛んで死ぬからな僕は。」
「王子!いくらなんでも、そのような事を仰るのはおやめください。お父上が悲しまれますぞ。」
「冗談だ」と吐き捨てたシャルルが緊張した面持ちで黙ったので、アルストロは自身の右手に――いや、その手に持っている本――『エスターニオ神話』に視線を落とす。
実は協定宣言の日に、ネジーから崇拝心と勘違いたっぷりなこれを渡されたシャルルは、その日のうちに隅から隅まで読み込んで、プラカが如何に素晴らしい神かを再認識し、その神と協定を結べたという偉業に胸を震わせていた。
簡単に言うと、シャルルは信者に片足を突っ込んでいたのである。
そんなシャルルが王宮に帰還してすぐの謁見んで、「明後日ブリキヶ丘に向かうまでに良く読み込んでおけ」と言われて『エスターニオ神話』を渡されたアルストロは、「決定事項なのですか!?王の許可は!?」と叫んだが、あえなく黙殺。
唐突な理不尽を目の当たりにし、抗議したくとも出来なかった哀れな男である。
しかし、アルストロには読まないという選択肢は無い。
そもそも王が床に伏せっているのだから、今のところバグノア国家の最高権力者は実質シャルルである。彼が「読め」と言ったならば、どれだけ嫌でも読むしかないのだ。
最高権力者がシャルルならば、王の許可もへったくれもないのは周知の事であったが、アルストロは王の許可を得ているのかとシャルルに尋ねたくなるほどには混乱していた。
本当に哀れな男である。
そんな事をしているうちにすっかり日が暮れ、王宮を後にして城の敷地内にある自室に戻ったアルストロは、シャルルから言われたままに、厚みのある本の表紙を開いた。
――結論を言うと、彼は徹夜をしてまで読み込んだ。それほどまでに魅力的な内容だったのだ。
実はこの神話、プラカが前世の知識を時折語るのを元に、ネジーがきちんと筋が通る一つの話に纏め上げ、話しぶりから推測した時系列ごとに章で区切った大作だった。
その中でもアルストロが特に惹かれたのは、神の国で壮絶な戦いを何度も繰り広げたという、『タケダ・シンゲン』と『ウエスギ・ケンシン』という武神達の話である。
ネジーの潤沢な語彙力と勘違いのおかげで、文字を追うごとに好敵手として互いを尊敬し合い、打ち負かさんと敵意を向け合う神々の様がひしひしと伝わって来て、おとぎ話を聞く少年のように震えたのだ。
――エスターニオ神話第3章から抜粋。
神エスターニオがシンゲン公と呼び慕う事から、かの御方が虎神シンゲンにお味方していらっしゃるのは明白。しかし軍神ケンシンを嫌っているわけではなく、どうも神エスターニオは、あちらの事も好ましく思っていらっしゃるようであった。
そう思うと、誇り高き戦士には些か失礼かもしれぬが、戦いというのはままならぬものであると言わざるを得ない。
神エスターニオは、この武神らの戦いに決着が着こうとも、ついぞどちらの信念が正しかったとは仰らなかった。敬愛せし虎神シンゲンが正しいと言わなかったのである。・・・しかし、それも無理からぬことであろう。
――こんな話があるからだ。
武神らの戦いに業を煮やした他の神の仕業かは定かでは無いが、ある時虎神シンゲンが納める『カイノクニ』に厄災が降りかかったのだという。
そんな折、困り果てた虎神シンゲンの元にある知らせが飛び込んでくる。なんと、軍神ケンシンの従者が大量の支援物資を携えて来たと言うのだ。
これを聞いて驚いた者は多い事だろう。事実、神エスターニオもそれを知った時は、軍神ケンシンの正気を疑ったそうだ。
結論を言うと、これは罠でも何でもなく、本気で相手を思いやっての行為だったと言うのだから畏れ入る。
好敵手と言えども――決して互いに邪険にしている訳では無いとはいえども、ここまで出来る者が果たして居るだろうか。
・・・そう、この武神らは互いに誇り高く、互いに優しき御方々だったのだ。
例え双方同意の上で行っている戦いであっても、斯様な御方々が戦うと言うならば、殺し合いをするならば、どちらかが滅びねばならぬ。
――それは、真に悲しき事であると神エスターニオは仰った。
誇りある戦いと言えど、戦いは戦い。殺し合いは殺し合い。
武神らの行いを否定する気は毛頭ないが、それでも書かせてもらう。
――汝、忘れる事勿れ。
その戦いに心を痛める者が居るならば、本当にその者達の事を考えているのなら――その戦いは、本当にするべきなのか良く考えよ。
栞を挟んだそのページを改めて読み終えたアルストロは、馬車に揺られながらぼんやりと考える。
慈悲深き神。無から有を創り出す神、プラカ=デ・エスターニオ。
俗世に降り立ったという神は、バクノア王国を含め、隣接する国との3竦みが今にも決壊しそうな――それこそ、近いうちに戦乱の世になるのではと指摘する学者も居るような人の世に、一体何を思うのだろうか。
いや、と軽く頭を振ると、アルストロは本を荷袋に丁寧に仕舞い込む。
戦う者である騎士としては、著者の忠告は少しどきりとする内容だったが、同時に、古くから戦争で領土争奪合戦をしてきた我ら人間にとっては今更な事でもあった。
そして生真面目な性格のアルストロだからこそ、そんな人間の都合で俗世に引っ張り出される事となり、親友の仇である人間と協定を結ばなければならなくなった神に、かなりの申し訳なさを感じたのである。
言い方は悪いが、虎神シンゲンを戦友とする誇り高き強者を、我々は親友をダシに利用すると言うのだ。きっと、今は亡き神の人形が聞けば激怒するであろう所業である。
だが、もう別の解決策を模索する時間の猶予はない。この際、頼れる者なら神だろうと人だろうと関係ない。利用出来るものは何でも利用してやると思える程には、バグノア王国は追い込まれているのだ。
――ならば、せめて騎士として、バクノア王国の国民として、戦友となる者には最大の敬意を払うまで。
藁にもすがる思いでブリキヶ丘を目指すアルストロは、決して恥ずべき行いはすまいと誓ったのであった。