第三章 俺様とアイドル(5)
音楽スタジオにいる。あの壁一面が鏡張りになっているところだ。
今日のぷれそっくすは踊りと歌の修行だ。どうやら偶像として最大の活動となるライブが三日後に控えている。
「まず俺様に指導や意見を聞くな」
場に着き開口一番、俺様は三人に言った。
「いや、しませんけど、先生いるし」
「どうしたんですか、体調が悪いんですか?」
「違う」
「あー、みっちー、あの時は言ってませんでしたけど、ちゃんと言うべきですよ」
護衛初日に俺様はえりと隈に歌が嫌いだと言う事は言わなかった。あの時は三十分にも満たなかった。しかし、今日のぷれそっくすの予定は休憩を除いてほぼ一日を修行に費やす。つまり精神衛生的な負担が過大なのだ。
「俺様は偶像が嫌いで歌が大嫌いなのだ」
えりと隈は俺様の告白にさして驚いていない。むしろ傍で聞いていた指導者の方が驚いている。
「いや、まぁ知ってましたけど」
「どうして引き受けたんですか」
かなり呆れられているな。告白した俺様も嫌いなのに何故引き受けてしまったのだろうって気になる。が。
「否定する者を滅ぼす為だ」
更に呆れているな。もう一つの理由である花瑠の観察、超能力が使えるようになる為の手がかり探しは言う必要が無いからな。
「じゃあ、しっかりお仕事してくださいね。安藤さん」
えりの正論にちと怒りが湧く。
「全力で頼みますね」
この前の忠言を返された。今、否定する者が出てくれないかと思ったぞ。
修行が始まる。
似ているが、この前のとは違う。速くて軽い。無駄に爽やか然としているな。作り物臭が鼻につく。
力強さを感じる躍動的な踊り。手を俺様、信者側に向けているのが多い。
苛立ってはいる。瞑想できる状態ではないし、青筋が浮いていると感じる。ただ、覇道の奥義を使って今すぐ潰したくなるような殺意には達していない。潰したいが。
この前は仮の歌を聞かされ、踊りのみを見せられた。今は三人が実戦を想定して歌い踊っている。
俺様にとって三人の歌は胃がもたれる甘ったるい雑音、不協和音だ。
だが、不思議と殺意が滾らない。つまらぬ砂漠の中から雪の結晶を一粒見つけたくらいには珍しい。一パーセントだけ寝れる気がする。
ぬっ。
エルユー。
エルユー。
エネChuにゅう。
寒気に吐き気がこみ上げてきた。間奏と言う奴が酷過ぎる。喉を焼く強さの炭酸を延々と流し込んでくる様な不快感だ。
一度聞いただけでかなり疲れた。直接攻撃を受けたわけでもないのに頭痛や目眩、寒気が心なしかしてくる。指導者による指導や多少の休みを勘定に入れたとして、六、七時間は聞かねばならんのか。
地獄。
人間にとって最悪を表現する地獄。俺様にはそんな一日だった。差異はあるのだろうが、とにかく甘いのだ。凡庸な夢と恋、善性に寄り過ぎているのだ。つまり絶望的に感性と合わん。
だが、収穫はあった。俺様に一パーセントは寝れると感じさせた瞬間が何度もあった。
それは光。苛烈で清浄な魔を滅する光とは違う。荒んだ野に恵みをもたらす癒しの光。
歌、大嫌いな偶像の歌で寝れると感じた事は特質すべきだ。観察する必要がある。
俺様は廊下を歩いていた。過大な精神的負荷による疲労と考えなければいけない事の整理を兼ねての散歩だ。
扉が開いて男達が出てきた。
普通はそれだけだ。ただの中年の男なら歯牙にもかけん。
くたびれた冴えない中年の男。分らぬ者が見れば、狩れると思い舐めてかかりたくなる容姿をしている。
肉と脂、加齢で隠しても俺様には分かるのだ。その本質を。
暗澹より生まれ、殺戮を弾き、悲劇と絶望を奏でる邪な魂。
俺様が知る最高の音楽家。
「トル――」
「人違いです」
「私の名前は都劉音武良」
都劉音武良だと、ふざけた名だ。結局トルネではないか。わざと大きめな声まで出して周囲に赤の他人と思わせようとしおる。
「人間の皮を被ったところでごまかせはせんぞ。貴様はト――」
「先を急いでいますので失礼します」
ぅうむ。本来の名を呼ぼうとすると、奴の権能である音を操る力によってかき消され、奴の発する言葉にすぐ上書きされてしまう。
「貴様」
「みっちー」
ほわほわ。
人を腑抜けにさせる吐息が俺様の耳をくすぐってくる。
おかげで力が抜けてしまった。
呼ばれた方に振り向くと花瑠はいるが、吐息がかかる程近くはない。これもトルネの権能が為せる技だ。
覇道森羅一体流・雷哮の終奏譴。
花瑠に腕を引っ張られる。
このまま奥義を使いトルネとの距離を詰めたいが、巻き込まれた花瑠及び男達、他と揉めるのは間違いない。通常なら気にする必要は無い。が、今関係を悪くするのは得策ではない。
ぅうむ。トルネの背が遠のいていく。
仮に今捕まえたとしても、俺様の事は知らぬ存ぜぬだから、これでいいのか。
「ダメですよ、エーリッヒさんに迷惑をかけちゃ」
エーリッヒだと。横文字が似合わない東洋人の風体の冴えないあの男が。
「何故、トルネの事を知っている?」
「アーティストをやっている人なら皆、エーリッヒさんに作曲してもらいたいなって思っていますよ」
かつて俺様の眠りに相応しい音楽を奏でていたトルネが、今は俺様の大嫌いな歌の曲を作っているだと。
許せん。
「恐い顔になってますよ」
俺様とトルネの事を花瑠に言う必要は無い。
ちょうど人がいないし、花瑠に確かめてみるか。
「花瑠、歌え」
「ぇえっ!? 何言っちゃってるんですか」
かなり驚愕しているな。能面みたいに固まっている。
「一句だけでいい」
「急にどうしちゃったんですか? 頭を打っちゃったんですか? 大嫌いな歌を突然聞きたいって、明日は雪ですか」
花瑠の言いたい事は分かる。さっきまで拒絶していた歌を今聞きたいとは豹変甚だしいからな。
「歌うのか、歌わんのか、どっちだ?」
「いや、ええ、困りますよ、急にここでだなんて」
少し顔を赤らめてそんなに恥ずかしい事なのか。
「今ここで下着を見せろと言っているわけではない」
「それアウト」
「先も言ったように、一曲全てではなく、一句のみでいい」
どうも花瑠は歌おうとしない。俺様の顔色を窺い、はっきりと断らず迷っている。
「殴らないですよね? よくも変な歌を聞かせやがったなとか言って、ノーモーションで襲ってこないですよね?」
「しない」
なるほど、花瑠は俺様の怒りを買うのではないかと恐れていたのか。
検証の為だ。どんなに精神への負担が過大でも我慢しよう。一句のみだからな。
「どんな歌がいいですか?」
「任せる。その代わり実戦のつもりでやってくれ」
俺様は本気で聴く意思があると花瑠を見る。
息を吸ったのが分かる。
澄んだ声が伸びてくる。
素朴。
牧歌的。
ぼんやりしている。
花瑠は本気で歌った。嫌いな歌ではあるがマシな方ではある。だが、寝れるとは感じなかった。
「つまらん歌だ。だが、歌い手としての資質はあるな」
嘘の無い感想を花瑠に言った。
「やったー」
花瑠が満面の笑顔になり飛び上がらん勢いで喜んでいる。どうすれば高い評価と受け取れるのだ。
「いやー、歌が嫌いなみっちーのことだから、殴るとか、けちょんけちょんにディスられるかと思いましたよ。でも、思っていたより評価が高くて嬉しいです」
「前言撤回だ。聞けたものじゃない。バンシーの叫びの方がまだ心地良い」
「いやいや、ツンデレはやめましょーよー、みっちーなりに褒めてくれたんですよね。今日一のハッピーですね」
この後、俺様が何と言おうと、花瑠は調子に乗ったままやかましかった。
寝れると感じた瞬間が超能力によるものかを確かめると、俺様の黒いデバイスを桃色に変えてみせた。どうやら今日の花瑠の超能力は触れた物の色を変える能力だった。一時的だったから許したが、永続だったら半殺しにしていた。
あれは三人で歌ったからなのか。不明な事が多い故に結論は出せない。
初めて偶像達と共にして収穫を感じた。
花瑠の言う今日一番のハッピーかもしれん。




